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2015/03/02

柳田國男 蝸牛考 初版(5) 童詞と新語發生

  童詞と新語發生

 

 デエロは西國のデエデエと同じく、元は確かに「出づる」といふ動詞の、命令形であつたらうと思ふが、現在はそれを疑はしめるやうな若干の事實が既に生じて居る。第一には話主にその語の由來を知らぬ者が多くなり、從うて之を少しづゝ變へようとする試みが行はれて來た。越後信州の大部分では、デイロ・ダイロの二つが共に報告せられ、上州に於ても利根吾妻の二部はデイロン、福島縣でも相馬郡、南會津の朝日村などはデーロであるが、他の多くの地方の方言集にはダイロ又はデァイロと報じて居る。一つには表音法の不完全もあろうが、大體に於てダイはデイよりも正しいと考へるダイコン(大根)流の匡正主義が働いて居るので、人が特別に注意を拂はなかつたならば、末には追々に此方に統一せられたかも知らぬ。現在知られているデエロ領の飛地としては、但馬國には水路を運ばれたかと思うダイロウがあり(但馬考)、遠くは海を隔てた對馬島の一隅にも、またダイリヨウといふ語が發見せられる。これらは何れも既に「出ろ」の意味を、知らない人々によつて傳へられたもので、斯ういふ單なる模倣こそは、往々にして又訛語の原因にもなつて居るので、方言其ものゝ成立ちを考へて見るには、これは寧ろ警戒しなければならぬ材料であつた。それとよく似た例ならば、デエデエの方にも幾つかある。たとへば雲州の松江附近のダイダイムシなどもその一つで、恐らくは亦何故にデエデエといふかを忘れて居る人々が、たゞ一般の正しい音に附いて、是をもダイダイに言ひ改めようとした迄であつたらうと思ふ。デンデンムシといふ語なども、實はもう最初の形では無いのだが、之に比べると遙かに弘い區域を持つて居る譯は、今尚其背後に一つの力、即ち其語を發生せしめたる元の理由の、殘つて居るものがあるからであつた。單語の符號化ということは、在來の使用者のみには何でも無い事のやうであるが、それを一の土地から他の土地に移さうとする場合には、可なり大きな障碍となつて現れる。新語の動機のまだ明らかに知られて居るものには、根を引いて植ゑかへるやうな味得があるに反して、こちらはたゞ枝を折つて手に持つだけの模倣しか無いからであらうと思ふ。個々の事物によつて方言量に多少があり、個々の方言に領域の廣狹があるといふことは、おそらくはこの符號化の遲速、もしくは之を防止すべき外部の力の、有無強弱によるものであつて、言語を一種の社會史料として利用せんとする者には、ことにこの關係を明確にしておく必要があるのである。

[やぶちゃん注:「デエロ」「デエデエ」は改訂版では「デェロ」「デェデェ」と拗音表記となっている。

「但馬考」日本の天気予報の創始者とされる行政官桜井勉が退官後にて郷里出石町伊木現在の兵庫県豊岡市)に戻って著わした「校補但馬考」(明治二七(一八九四)刊)。但馬の郷土史研究の基礎を築いた名著。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーのこちらで原典が読める。

「訛語」「かご」で、標準語と音韻上の違いのある言葉。なまった言葉。訛言(かげん)。

「味得」「みとく」で、よく味わって理解し、自分のものにすること。]

 私の假定がもし當つて居るならば、現在一つの方言の活躍を支持し、殊に其流傳を容易ならしめて居る力は、同時に又其語の新生を促した力であつた。だから一方の原因が不明になる頃には、他の一方の效果も弱つて、後には只曾て是を育てた人の群に、符號と化して殘る以外には、至つて僅少なる模倣者を得るに止まり、何かの機會ある毎に、新らしいものに代らるゝ運命をもつのである。是を單語の生老病死と名づくることは、必ずしも不倫とは言ふことが出來ぬ。固より其間には壽命の長短があつて、古語にも往々にして今も活き、成長し又征服しつゝあるものもあることは事實だが、大體からいふと古いものは失せ易く、後に生れたものゝ迎へられるのは常の法則である故に、我々は若干の例外のあるべきことを心に置いて、略現在の方言の分野から、それぞれの語の年齡長幼を推知することを許されるのである。

[やぶちゃん注:「不倫」ここは人の生死に譬えることの不謹慎・不適切・不適合とった程度の意味であろう。]

 或はこの新陳代謝の狀態を以て、簡單に流行と言つてしまへばよいと思ふ人もあるか知らぬが、それには二つの理由があつて、自分たちは從ふことが出來ない。「流行」は社會學上の用語として今尚あまりにも不精確な内容しか有たぬこと是が一つ、二つには新語の採擇には單にそれが新らしいからといふ以上に、遙かに具體的なる理由が、幾つでも想像し得られるからである。たとえば語音が當節の若き人々に、特に愛好せられるものであり、もしくは鮮明なる聯想があつて、記憶通意に便であることなども一つの場合であるが、更に命名の動機に意匠があり、聽く者をして容易に觀察の奇拔と、表現の技巧を承認せしめるものに至つては、其效果はちやうど他の複雜なる諸種の文藝の、世に行わるゝと異なるところは無い。一方には又其第一次の使用者等が、屢々試みてたゞ稀にしか成功しなかつた點も、頗る近世の詩歌俳譜秀句謎々などとよく似て居て、今でも其作品から遡つて、其が人を動かし得た理由を察し得るのであるが、しかも唯一つの相異は其作者の個人で無く、最初から一つの群であつたことである。曾て民間文藝の成長した經路を考へて見た人ならば、この點は決して諒解に難く無いであらう。獨り方言の發明のみと言はず、歌でも唱へ言でもはた諺でも、假令始めて口にする者は或一人であらうとも、それ以前に既にさう言はなけれはならぬ氣運は、群の中に釀されて居たので、たゞ其中の最も鋭敏なる者が、衆意を代表して出口の役を勤めた迄であつた。それ故にいつも確かなる起りは不明であり、又出來るや否や兎に角に直ぐに一部の用語となるのであつた。隱語や綽名は常に斯くの如くして現れた。各地の新方言の取捨選擇も、恐らくは又是と同樣なる支持者を持つて居たことであらう。この群衆の承認は積極的のものである。單に癖とか惰性とかいふやうな、見のがし聞きのがしとは一つで無い。それを自分が差別して、此方を新語の成長力などゝ名づけんとして居るのである。

 できるものならば此狀態が、決して近代に始まつたもので無いこと、否寧ろ以前の簡單な社會において、殊に盛んであつたことを私は立證してみたい。言葉を新たに作る群は、今でも氣を付けて見ると少しはある。一つの山小屋や遠洋漁船の中で、共に働いて居る者の中には仲間の語が出來る。香具師や芝居者の職業團に發生したものなどは、素より外間に通用することを期せざるものであつたが、それすらも折がある毎に普通語に化して居る。此頃でいふらば醫者語・辯護士語、以前の世の中では説教僧の經典語なども、誰が學んだものか知らぬ間に俗語になり切つて居る。ましてや境涯の全く相似たるものが、互ひに興ある隣の新語を、知れば用ゐようとするは自然の勢ひである。たゞ障碍は寧ろそれよりも根源に在つて、現在の人の集まりが雜駁で結合の力弱く、殊に興味の統一集注を求め難いために、一人の奇警なる言葉が、これを苗圃として甲拆することを得なかつたゞけである。

[やぶちゃん注:「香具師や芝居者の職業團」改訂版ではこの前に「碁打ちや將棋さし、」と挿入されている。柳田の趣味が分かる。

「外間」「ぐわいかん(がいかん)」と読み、当事者以外の人々の間、その事柄に関係のない人々の意。

「苗圃」「べうほ(びょうほ)」草木の苗を育てるための畑。

「甲拆」「こうたく」と読み、草木の芽生えることをいう。「甲」には「種子の皮のついたままの芽生え」、則ち「貝割れ」の意があり、「拆」は「裂ける」の意である。底本は「甲折」であるが、改訂版の字を採用した。実は「甲折」と書いても慣用表現として「こうたく」と読むのであるが、これはあくまで誤用である(「折」に「タク」という音はない)ので正字で採った。]

 私は前に「チギリコツコ考」その他二三の論文に於て、小兒が新語の製作者であつた顯著なる事例を擧證して居る。考へて見ると是が特に目に立つに至つたのは、他には同一の條件を具足したものが、次第に稀になつて來た結果であつて、必ずしも現代の日本語が、悉く恩を幼少なる者に負ふといふことを意味しなかつたのである。しかも我々が眼前の事實を基礎として、國語の是までの成長を考察しようといふことには、やはりこの手近の例を援用する他は無いないのであつて、後にはたゞ是と同じき推定が、更に前期の年長者たちの群にも、擴張し得るか否かを檢すればよからうと思ふ。少年靑年は其作業の組織が、今も昔に比べて甚だしく變化して居ない。さうしてその共同の利害は單に地域によつて制限せられるのみで、部外にも同質の共鳴者を持つて居ることは、曾て個々の盆地を耕作していた農夫群、もしくは長汀曲浦の一つ一つに村をなして、手結ひ網曳した漁夫群などとよく似て居る。新語の發明又は選擇が、遞傳して行くべき軌道には、これに上越すものは無かつたわけである。蝸牛には限らず、自然の小さな産物の中には、全國の童兒が各地等しく其心を傾けて居たものは多かつた。蒲公英の花を弄ぶ遊戲は、日本に大よそ四つあれば、その名稱もまた四つある。土筆を手に取つていふ唱へ言が五つあれば、其地方名も大略之を五系統に分けられる。たゞ其章句があまりに單純で、今は忘れてしまつた土地が多い爲に、まだ此兩者の關係を明確にすることが出來なかつたゞけである。ところが幸ひにして蝸牛の歌は殘つて居る。それと現在の名稱とは、誰が見ても緣が無いとは言えぬのである。しかも此歌の起りは年久しく、既にマルチネンゴ伯夫人が、その民謠論の序文に述べて居る樣に、「デデムシ出い出い」といふ童詞は世界の諸國、英蘭・蘇格蘭・獨逸・佛蘭西・トスカナ・羅馬尼亞・露西亞及び支那等の童兒によつて、一樣に高く唱へられて居たのであつた。

[やぶちゃん注:「チギリコツコ考」昭和四(一九二九)年刊。ネット検索によれば肩車についての考証論文らしい(私は未見)。

「遞傳」「ていでん」。逓伝。幾つかの中継点を経由して手紙や荷物などを次々に伝え送ること。逓送(他に宿駅で取り次いで送ること。また、その人足や車馬をも指す)。

「上越す」「うはこす」と訓じていよう。上を飛び越す。

「マルチネンゴ伯夫人」「民謠論」これは恐らく、南方熊楠の「十二支考」の「虎に関する史話と伝説民俗」の「(五)仏教譚」の南方の自注に出る、『マルチネンゴ・ツェザレスコ「民謡研究論(エッセイス・イン・ゼ・スタジー・オヴ・フォーク・ソングス)』とあるものと同一であろう。イタリア語版の「Martinengo (famiglia)によれば、イタリアの名家であったことまでは分かったが、有名な人物には複数この名がある。“Essays in the study of folk song”で検索したところ、一八八六年の刊行で、「Project Gutenberg」版の英訳がこちらで読める。それによれば英文綴りは「THE COUNTESS EVELYN MARTINENGO-CESARESCO」で、原典はフランス語で書かれているようである。柳田の言っている「デデムシ出い出い」というのは、その「INTRODUCTION」(非常に長く、全部で七章から成る)の「Ⅳ」にある。「Project Gutenberg」版から「Ⅳ」章総てを引いておく(ブログ版では総て左寄せにし、注記号は省略した)。

   《引用開始》

I pass on to the old curiosity shop of popular traditions—the nursery. Children, with their innate conservatism, have stored a vast assemblage of odds and ends which fascinate by their very incompleteness. Religion, mythology, history, physical science, or what stood for it; the East, the North—those great banks of ideas—have been impartially drawn on by the infant folk-lorists at their nurses' knees. Children in the four quarters of the globe, repeat the same magic formulæ; words which to every grown person seem devoid of sense, have a universality denied to any articles of faith. What, for example, is the meaning of the play with the snail? Why is he so persistently asked to put his horns out? Pages might be filled with the variants of the well-known invocation which has currency from Rome to Pekin.

 

English:

 

1.

 

Snail, snail, put out your horn,

Or I'll kill your father and mother the morn.

 

2.

 

Snail, snail, come out of your hole,

Or else I'll beat you as black as a coal.

 

3.

 

Snail, snail, put out your horn,

Tell me what's the day t'morn:

To-day's the morn to shear the corn,

Blaw bil buck thorn.

 

4.

 

Snail, snail, shoot out your horn,

Father and mother are dead;

Brother and sister are in the back-yard

Begging for barley bread.

 

Scotch:

 

Snail, snail, shoot out your horn,

And tell us it will be a bonnie day, the morn.

 

German:

 

1.

 

Schneckhûs, Peckhüs,

Stäk du dîn ver Horner rût,

Süst schmût ick dî in'n Graven,

Da freten dî de Raven.

 

2.

 

Tækeltuet,

Kruep uet dyn hues,

Dyn hues dat brennt,

Dyn Kinder de flennt:

Dyn Fru de ligt in Wäken:

Kann 'k dy nich mael spräken?

Tækeltuet, u. s. w.

 

3.

 

Snaek, snaek, komm herduet,

Sunst tobräk ik dy dyn Hues.

 

4.

 

Slingemues,

Kruep uet dyn Hues,

Stick all dyn veer Höern uet,

Wullt du 's neck uetstäken,

Wik ik dyn Hues tobräken.

Slingemues, u. s. w.

 

5.

 

Kuckuch, kuckuck Gerderut,

Stäk dîne vêr Horns herut.

 

French:

 

Colimaçon borgne!

Montre-moi tes cornes;

Je te dirai où ta mère est morte,

Elle est morte à Paris, à Rouen,

Où l'on sonne les cloches.

Bi, bim, bom,

Bi, bim, bom,

Bi, bim, bom.

 

Tuscan:

 

Chiocciola, chiocciola, vien da me,

Ti darò i' pan d' i' re;

E dell'ova affrittellate

Corni secchí e brucherate.
 
 

Roumanian:

 

Culbecu, culbecu,

Scóte corne boeresci

Si te du la Dunare

Si bé apa tulbure.
 
 

Russian:

 

Ulitka, ulitka,

Vypusti roga,

Ya tebé dam piroga.

 

Chinese:

 

Snail, snail, come here to be fed,

Put out your horns and lift up your head;

Father and mother will give you to eat,

Good boiled mutton shall be your meat.

 

Several lines in the second German version are evidently borrowed from the Ladybird or Maychafer rhyme which has been pronounced a relic of Freya worship. Here the question arises, is not the snail song also derived from some ancient myth? Count Gubernatis, in his valuable work on Zoological Mythology (vol. ii. p. 75), dismisses the matter with the remark that "the snail of superstition is demoniacal." This, however, is no proof that he always bore so suspicious a character, since all the accessories to past beliefs got into bad odour on the establishment of Christianity, unless saved by dedication to the Virgin or other saints. I ventured to suggest, in the Archivio per lo studio delle tradizioni popolari (the Italian Folklore Journal), that the snail who is so constantly urged to come forth from his dark house, might in some way prefigure the dawn. Horns have been from all antiquity associated with rays of light. But to write of "Nature Myths in Nursery Rhymes" is to enter on such dangerous ground that I will pursue the argument no further.

   《引用終了》

英詞は一読、残酷な匂いから「マザーグース」の流れを汲むことが分かる。すずしろ氏のブログ「スナーク森」の「仕立て屋さんと カタツムリ(マザーグース)」の頁にこれに酷似した「マザーグース」の蝸牛の呼びかけ唄の原文と訳が載るので是非、参照されたい。なお、彼女の事蹟について識者の御教授を乞う。

「蒲公英の花を弄ぶ遊戲は、日本に大よそ四つあれば、その名稱もまた四つある」「綿毛飛ばし」・「風車」或いは「水車」(T. HONJO氏の「サイエンスと歴史散歩」の「草花遊び(春の季節)、タンポポ(わた毛とばし、風車、ふえ)、カラスノエンドウ(ピーピー豆とも、ふえ)、シロツメクサ(クローバーとも、首かざり)の遊び、アカツメクサ、とは」を参照されたい)・「たんぽぽ笛」(yajin 野人氏の画「たんぽぽ笛」を参照されたい)までは自身の幼少の頃の遊びの思い出で浮かんだが、後は「花落とし」か?(個人ブログ「植物であそぼう!!」の「たんぽぽあそび」で発見、爪などで茎に切れ目を入れ、もう一本のたんぽぽを切れ目に通して二人で互いに引っ張り合い、花が千切れずに残った方の勝ちという遊び。私はオオバコでは、オオバコ相撲として、よくやった。

「土筆を手に取つていふ唱へ言が五つあれば、其地方名も大略之を五系統に分けられる」私は遊んだ記憶がなかったが、ネット検索をかけると、まず「土筆の何処つないだ」をこちらで発見、これは確かにやった覚えがあった。JA鶴岡の公式サイトの「ツクシで遊ぶ」にこの遊び唄として「土筆坊(ツウゲンボ)、ツウゲンボ/どこでついだツウゲンボ/ここらでついだついだツウゲンボ」という唄が紹介されてあった。また、この遊びを「接ぎ松」と呼ぶ地方があるらしい(こちらの記載)。「どこどこ継いだ」という呼称もあるようだ。後は土筆の胞子を飛ばすぐらいしか思い浮かばない。この五系統を御存じの方、是非、御教授下さい。

「英蘭」「イングランド」。

「蘇格蘭」「スコツトランド(スコットランド)」。

「羅馬尼亞」「ルーマニア」。]

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