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2015/03/23

耳嚢 巻之十 頓智の事

 頓智の事

 

 金春(こんぱる)座の地謠(ぢうたひ)に瀧榮助といへるもの、今は果(はて)たる由。右の者、高貴の御方非常の節立退(たちのき)ありしを、外(ほか)へしらせ候文通に、無恙(つつがなし)とも無難(なんなし)とも書(かき)なん事如何(いかが)と、差當(さしあたり)筆取るもの困りしに、事故(ことゆゑ)なくと書(かき)て可然(しかるべし)と云(いひ)しを、人々感じけると也。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:地口(諺や成句などを捩って作った語呂合わせの文句)で連関。この話、今一つ、よく意味が分からない。以下、注も訳もやっつけ仕事とごろうじろ。大方の御叱正、御教授を乞うものである。……九百五十五話まできて、私は正直初めて、本章の訳に自信が持てない。されば、公開に際して、私の教え子にこれをプレで検証して貰った。以下は、そのメールの答えである。

   《引用開始》

先生

私も先生のお考えに添う解釈です。

但し、正当な理由なきことに対する鬱憤を通わせているというよりは、もっと広いぼんやりした意味のように思います。

何故なら「非常の節」としか書かれていないということから、納得いかない不条理による立ち退きであるとまでは読みにくかったからです。

恙なくという状況でもない、難なくという状況でもない、とにかくあまりよろしくない状況。しかし挨拶文にそう書くのは憚られる。ただこれという差し障りもなく、立ち退いたのだよ……理由は……聞かずとも良い、聞かんでおくれ……取り立ててこれという理由などないのだが……とそのようなニュアンスをうまく出せたところに、この瀧なる男の頓智が働いているのだ……

このように受け取りました。お役に立てず、すみません。

   《引用終了》

この教え子の見解は、私にはすこぶる正しいと感じられる。何故なら、私の注解釈の強引さは私自身が最も痛感しているからである。しかしさればこそ、これを添付した上で、敢えてその当初の私の訳と注をそのままに掲載し、諸家の御判断にお任せすることとしたいと思う。忙しい仕事の間に、私の酔狂に答えて呉れた教え子に、深い感謝を表しつつ。

・「瀧榮助」底本の鈴木氏注に、『館永助が正しい。文化六年武鑑に、金春の地謡の筆頭に見えている。文政六年武鑑にもあり、襲名とも思われぬが如何』とある。「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月。文政六年は一八二三年で九年後。詳細不詳。

・「高貴の御方非常の節立退ありし」「立退」は住まいを明け渡して他所へ移ることであるから、この「非常」は大名や公家などが、何らかの転封や制裁処分によってよんどころなく移転転地することを指しているのではあるまいか? それとも単なる火災などによる「非常」なのか? 訳はそのままにて誤魔化した。

・「事故なく」音読みするなら、無事の意であるが、訓読みするなら(この読みは岩波版に拠った)、これは例えば、本人とってはすこぶる不本意な転封や制裁措置であったとして、正当な理由もなくかく立ち退いたという、その本人の鬱憤にも通わせるものとなる、ということか?

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 頓智の事

 

 金春(こんぱる)座の地謡(じうたい)に瀧栄助と申す者が御座った。今は既に身罷った由。

 この者、贔屓にして戴いて御座った、さる高貴なる御方が、これ、非常の折りから、今の所より、立ち退かるることと相い成ってしまわれた。

 が、

「……さてもこのこと、外の皆々様方へ、これ、お伝え申し上ぐるに際し、その文(ふみ)の文頭に――無恙(つつがなし)――とも――難無(なんなし)――とも書くは、不祝儀のことなれば――さて。これ、如何(いかが)なもので御座ろうかのぅ?」

と述懐致いたによって、傍らにて、さしあたり栄助がために筆をとらんと致いて御座った栄助が右筆なる者、これ、ひどく困ってしもうた。

 と、栄助、

「――事故(ことゆえ)なく――と書くが、これ、よろしいか、の。」

と申したによって、これを聴いた周囲の人々は、これ皆、その頓智に感じ入った、とのことで御座る。

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