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2015/03/23

堀辰雄 十月  正字正仮名版 附やぶちゃん注(Ⅶ)

十月二十日夜  

 けふははじめて生駒山(いこまやま)を越えて、河内の國高安(たかやす)の里のあたりを歩いてみた。

 山の斜面に立つた、なんとなく寒ざむとした村で、西の方にはずつと河内の野が果てしなく擴がつてゐる。

 ここから二つ三つ向うの村には名だかい古墳群などもあるさうだが、そこまでは往つて見なかつた。さうして僕はなんの取りとめもないその村のほとりを、いまは山の向う側になつて全く見えなくなつた大和の小さな村々をなつかしさうに思ひ浮かべながら、ほんの一時間ばかりさまよつただけで、歸つてきた。

 こなひだ秋篠(あきしの)の里からゆふがた眺めたその山の姿になにか物語めゐたものを感じてゐたので、ふと氣まぐれに、そこまで往つてその昔の物語の匂ひをかいできただけのこと。(さうだ、まだお前には書かなかつたけれど、僕はこのごろはね、伊勢物語なんぞの中にもこつそりと探りを入れてゐるのだよ。……)

 夕方、すこし草臥れてホテルに歸つてきたら、廊下でばつたり小説家のA君に出逢つた。ゆうべ遲く大阪からこちらに著き、けふは法隆寺へいつて壁畫の模寫などを見てきたが、あすはまた京都へ往くのだといつてゐる。連れがふたりゐた。ひとりはその壁畫の模寫にたづさはつてゐる奈良在住の畫家で、もうひとりは京都から同道の若き哲學者である。みんなと一しよに僕も、自分の仕事はあきらめて、夜おそくまで酒場で駄辨つてゐた。

[やぶちゃん注:「高安」大阪府八尾市高安。言わずもがなであるが、「伊勢物語」第二十三段の「筒井筒」として人口に膾炙する章段に登場する地名である。煩を厭わず引いておく。底本は角川文庫版石田穣二訳注「新版 伊勢物語」を用いたが、恣意的に正字化した。

   *

 昔、ゐなかわたらひしける人の子ども、井(ゐ)のもとにいでて遊びけるを、大人(おとな)になりにければ、男も女も恥ぢかはしてありけれど、男はこの女をこそ得(え)めと思ふ、女はこの男をと思ひつつ、親のあはすれども、聞かでなむありける。さて、このとなりの男のもとより、かくなむ、

  筒井(つつゐ)つの井筒(ゐづつ)にかけしまろがたけ

    過ぎにけらしな妹(いも)見ざるまに

女、返し、

  くらべこしふりわけ髮も肩過ぎぬ

    君ならずして誰(たれ)かあぐべき

など言ひ言ひて、つひに本意のごとくあひにけり。

 さて、年ごろ經(ふ)るほどに、女、親なく、賴りなくなるままに、もろともにいふかひなくてあらむやはとて、河内(かふち)の國、高安(たかやす)の郡(こほり)に、行(い)き通ふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、あしと思へるけしきもなくて、いだしやりければ、男、こと心ありてかかるにやあらむと思ひうたがひて、前栽(せんざい)の中に隱れゐて、河内へいぬるかほにて見れば、この女、いとよう化粧(けさう)して、うちながめて、

  風吹けば沖つ白浪(しらなみ)龍田(たつた)山

    夜半(よは)にや君がひとり越ゆらむ

とよみけるを聞きて、かぎりなくかなしと思ひて、河内(かふち)へも行かずなりにけり。 まれまれかの高安(たかやす)に來て見れば、はじめこそ心にくくもつくりけれ、今はうちとけて、手づから飯匙(いひがひ)取りて、笥子(けこ)のうつはものに盛(も)りけるを見て、心憂(う)がりて行(い)かずなりにけり。

 さりければ、かの女、大和(やまと)の方を見やりて、

  君があたり見つつをらむ生駒山(いこまやま)

    雲な隱しそ雨は降るとも

と言ひて見いだすに、からうじて、大和人(やまとびと)、「來む」と言へり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、

  君來むと言ひし夜(よ)ごとに過ぎぬれば

    賴まぬものの戀ひつつぞ經(ふ)る

と言ひけれど、男住まずなりにけり。

   *

「名だかい古墳群」大きなものでは大阪府八尾市大竹にある心合寺山(しおんじやま)古墳があるが、高安山の麓(高安地区の中部である千塚・山畑・大窪・服部川・郡川附近)には中小約二百基の古墳群があり、現在は高安古墳群と呼ばれている。

「こなひだ秋篠の里からゆふがた眺めたその山の姿に……」十月十四日の「夕方、西の京にて」の断章の冒頭に、「秋篠の村はづれからは、生駒山が丁度いい工合に眺められた」とある。

「小説家のA君」個人サイト「タツノオトシゴ」の「年譜」の翌二十一日の記載から、これは阿部知二のことであることが分かる。当時満三十七歳で、辰雄と同年である。当時は明治大学教授として英文学を講じており、この年(昭和一六(一九四一)年)に訳したメルヴィルの「白鯨」は彼の翻訳の代表作となった(河出書房「新世界文学全集第一巻」所収。但し、これは「第一部」で続編完訳は戦後の昭和二四(一九四九)年を待たねばならなかった)。「奈良在住の畫家」「若き哲學者」は不詳。なお、同年譜によれば、この日の夕方には大阪に出て、天麩羅を食べたとあるから、どうも事実に手が加えられているようである。]

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