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2015/03/30

耳嚢 巻之十 浮腫奇藥の事 但右に付奇談

 浮腫奇藥の事 右に付奇談

 

 予、夏になれば例年兩足の臑(すね)に聊(いささか)浮腫あり。文化十酉年、例よりは少しく腫れ多く、壽算七十七なれば、子孫これを切(きり)に養療せんと言(いふ)。しかれども服藥の醫、何れも愁(うれひ)とする程の事なしといへども、或人はなしけるは、水氣(すいき)の藥に狐のびんざゝらといふ草を用ゆれば、甚だ妙ある由。松平和泉守抔は右藥を用ひて快驗(くわいげん)あるといふ事を聞及(ききおよび)しと、與住玄卓語りける故、予が從者より彼(かの)家の知音(ちいん)まで尋(たづね)ければ、右びんざゝら泉州の白金(しろがね)やしきに多くありて、泉州など不斷(ふだん)服用有(あり)。尤(もつとも)右草を五歩(ぶ)程づゝに割(わり)、水貮盃を一盃に煎じ詰(つめ)て用ひる由。則(すなはち)とり寄置(よせおき)しとて、右草並(ならび)に先達(せんだつ)て取置しとて實(み)をも爲持越(もたせこさ)れし。用ひて聊しるしあれば、來春は右種を蒔かん事を家童(かどう)に教諭なしぬ。右の玄卓かたりけるは、右狐びんざゝらといふもの、本草には不見(みえず)。□□と云(いふ)書に、地□といふもの、右の草にあたれりと云々。近頃右びんざゝら、水病(すいびやう)或は脚氣(かつけ)によしと、專ら信要(しんえう)する者多し。近き事の由、上州とか、相州とか、相應の百姓ありしが、だんだん身の上をとろへ、家族死(しに)たへ唯一人にて、兩足共(とも)腫れ候て、農堯もならず誠に死をまつ斗(ばかり)なりしが、つらく考へて旦那寺へ至り、かくかくの事なれば何卒身上も寺へ可納(をさむべき)間、死期(しご)まで養ひたまはるべしと歎(なげき)しかば、旦那の事安き事なりと、墓所の片わきあやしき部やへ入れて養ひしに、壹年程の内に腫(はれ)も引(ひき)、足も丈夫に成(なり)しゆゑ、和尚と對談の上、元の家へ歸り住(すみ)しに、又半年程の内に元の如く足はれければ、又々旦那寺へ至りけるに無程(ほどなく)快(こころよく)なりし故、其身も不思議に思ひ、族(うか)らも是を奇なりとして和尚へも尋問(たづねとひ)しに、佛緣によりて快(こころよき)といふは妄談なるべし、何ぞ快き譯もあらんと色々工夫なしけるが、外に心付(こころづき)なし。しかるに寺にて、味噌を舂(つ)き候て樽へ詰(つめ)候節、かびを生(しやう)ぜざるため、山に有(ある)狐のびんざゝらをあみて底へ入(いれ)、又ふたにもなしけるが、右の故やと申(まうし)ける故、かゝる事も有(あり)けんと、右びんざゝらをとりて、近村まで水病のものを尋あたへしに、いづれも快(こころよき)由。これに依(より)て、右邊は殊外(ことのほか)取用(とりもち)ひ候由。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:なし。民間療法シリーズであるが、例外的に記事が極めて詳細である。おそらくこの浮腫(むくみ。水腫。本文の「水氣」「水病」も同義)に結構、根岸は苦しめられていたところ、この「狐のびんざゝら」が「聊しるしあ」って、「來春は右種を蒔く」と決めたほどにはよく効いたのであろう。そうした嬉しさが叙述に如実に感じられる。以下に見る通り、現代の漢方医学でも浮腫への効能が認められている。

・「文化十酉年」「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月。

・「壽算七十七」根岸鎮衛は元文二(一七三七)年生まれ。没年は文化十二年十一月四日(グレゴリオ暦一八一五年十二月四日)であるから、蒔いた自家で育った「狐のびんざゝら」、これきっと服用出来たと思いたい。

・「これを切に養療せん」岩波の長谷川氏注に、「切」について『限り。一区切。これを限りに退隠という』と記しておられる。根岸の家族が、例年になくむくみがひどいので、それを口実に、「これを限りとして南町奉行を辞めて隠居なされよ。」と勧めたのである。但し、根岸は現職のまま死去している。

・「狐のびんざゝら」底本の鈴木氏注に、『河原決明(カワラケツメイ)の異名。マメ科の一年草で、草を乾して飲料にする。浜茶、弘法茶いう。漢名山扁豆、黄瓜香。ネムチャ、アキボトクリ、ノマメ、キジマメ。三村翁曰く、クサネムのこと』とある。マメ目マメ科ジャケツイバラ亜科カワラケツメイ(河原決明) Chamaecrista nomame は、草本で高さ三十~六十センチメートルほど。葉は互生で羽状複葉(和名の別名「狐の編木(拍板)」(きつねのびんざさら)とは、この葉の形状が楽器の「ビンザサラ」(中国伝来の打楽器の一つで硬い板を何枚か重ねて端を皮紐(かわひも)で纏めたものを両端を持って打ち鳴らす)に似ていることに由来するのであろう)。参照したウィキの「カワラケツメイ」によれば、『日本では本州から九州に分布』し、『名前の通り、川原などの開けた野原に群生する。一年生であり、夏ごろ黄色い花が咲き、晩夏から秋にマメに似た果実をつける。なお、河川改修などによって河原の植物群落は帰化植物が非常に多くなり、在来種が減少している地域が非常に多い。そのため、カワラケツメイも稀少になっている』。『果実は煎じてマメ茶とする』。『なお、マメ科のクサネムは外見がなかなかよく似ている。はっきりした違いは、カワラケツメイの豆が立つのに対して、クサネムのそれは垂れ下がることである』とある(「クサネム」はマメ亜科クサネム連クサネム亜連クサネム Aeschynomene indica 。葉の形状はことに酷似するが亜科レベルで異なる全くの別種である。花は全く異なる。グーグル画像検索の「カワラケツメイ」「クサネム」とを対比されたい)。非常に生薬名は「山扁豆(サンヘンズ/サンペンズ)」。宮崎県薬剤師会公式サイト内の「宮崎 薬草の部屋」の「カワラケツメイ」に、薬用部分を『地上部全体』とし、『八~九月、花が終わりかけ豆果がつき始めた頃、地上部全体を刈り取り、水洗いして』『刻み日干しでよく乾燥させる』。『むくみや膀胱炎の時の利尿に、また慢性の便秘に、乾燥したもの』を、一に対して水を六の割合で入れ、それを『半量になるまで煎じ、一日三回に分けて飲む』。『むくみがち・便秘気味の人の健康茶として、刻んだものを一度フライパン等で炒り上げ、二~三日新聞紙に広げて日干しで乾燥させ、お茶のかわりに飲用する』とあり、『日当たりのよい原野、河原、山間の路傍に自生する一年草』で『ネムノキに似た葉をつける。葉、茎、果実に細毛が生えている。七~八月頃葉の付け根に小さくて黄色い五弁花をつける。エビスグサ(決明)に似ていて河原に生えるのでこの名がある』と記す(下線やぶちゃん。「エビスグサ」はジャケツイバラ亜科センナ属エビスグサ Senna obtusifolia のこと。但し、画像で見る限り、似ているのは黄色い花だけで葉は同じ羽状複葉であるが、見た目、全く異なる。グーグル画像検索の「カワラケツメイ」「エビスグサ」を対比されたい)。

・「松平和泉守」松平乗寛(のりひろ 安永六(一七七八)年~天保一〇(一八三九)年)は老中・三河西尾藩(藩庁は西尾城で現在の愛知県西尾市。六万石)第三代藩主。寛政五(一七九三)年、家督を相続。幕府では寺社奉行を二期勤め、京都所司代を経て、老中に就任した。この文化一〇(一八一三)年当時は最初の寺社奉行を辞任した年に当っており、満三十五で、根岸より四十一も年下であるので想定イメージに注意されたい。

・「白金屋敷」岩波の長谷川氏注に、西尾藩は現在の東京都港区『白金に下屋敷があった』とある。

・「與住玄卓」既注。根岸家の親類筋にして出入りの町医師。しかも根岸の医事関連の強力なニュース・ソースにしてその他の流言飛語の情報屋でもある。

・「五歩」五分(ごぶ)で一寸の半分の長さ。約一・五センチメートル。

・「家童」小間使いの若者。家僮。下男。ボーイ。

・「□□と云書に、地□といふもの」補填不能。岩波のカリフォルニア大学バークレー校版も両欠字部は同様。

・「農堯」底本には「堯」の右に、『(業カ)』と推定訂正注がある。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 浮腫の奇薬の事 附けたり それについての奇談一話

 

 私は夏になると、例年、両足の臑(すね)の部分に、これ、いささかむくみが生ずる。

 文化十年酉年は例年に比べ、かなり腫れがひどく、私も当年とって七十七ともなれば、子や孫どもはこれ、頻りに、

「――これを限りとなされて、ゆるりとご隠居なされ、養生なさるるが重畳(ちょうじょう)。」

なんどと申しておる。

 しかし、調剤の方(かた)を任せておる主治医は、

「むくみも、腫れ具合も――孰れも愁いとなさるるほどでは御座らぬ。」

と請けがって呉れた。

 従って私は隠居は、ゼッタイ、せん。……

   *

 さて、むくみのことである。

 さる御仁の話されたことには、水気(すいき)の薬として、「狐のびんざさら」という草を用うれば、はなはだ効用のある由。

「松平和泉守様などは、その薬を用いて、これ、あっという間に快験(かいげん)なされたということを聞き及んで御座います。」

と、拙者の主治医の一人、与住玄卓(よずみげんたく)が語っておったによって、和泉守乗寛(のりひろ)殿とは私も懇意にしておれば、私の従者より、かの松平家の知音(ちいん)が方に、当該の薬方につき、訪ね問わせたところ、以下の処方を得た。

――右「狐のびんざさら」は和泉守殿の白金(しろがね)の下屋敷に多く生えており、主君和泉守殿御自身も普段から服用なさっておらるる。

――もっとも、そのままにて服用するのではなく、その草を、五歩(ぶ)ほどの大きさに刻み、それを浸した水、これ、二杯分を、一杯になるまで、煎じつめて用いるとの由。

 しかも、和泉守殿、ちょうど乾して保存なされておったものが御座ったとのことにて、その草並びに、先だって採りおいた「狐のびんざさら」の実をも、これ、私の従者に持たせて贈り呉れた。

 されば早速に服用してみたところ、これ、なかなかに効果のあって、暫く服用を続けるうち、ふと気がつけば、むくみがすっかり消えておった。

 さても来春(らいはる)には、この「狐のびんざさら」の種を、我が家の庭にも蒔いてしっかり育てるように、と家僮(かどう)には命じおいた。

 さて、かの玄卓が申すには、この「狐のびんざさら」という薬草は、唐や本邦の本草書には所載せず、「□□」という書に「地□」という名で載るものが、この草に相当する、とのことで御座った。――以下、与住の話。

   *

 近頃、この「狐のびんざさら」が浮腫或いは脚気(かつけ)によく効くとして、専ら信用なし、服用致す者が多くなっておる。

 最近のことと聴き及んでいるが、上州とか相州とか、相応の家格の百姓のおったが、この者、だんだんに身上(しんしょう)も衰え、老いも進み、家族もまた、死に絶えて唯一人にて、両足とも、ひどくむくみの生じて御座ったれば、農事もままならず、まっこと、死を待つばかりのありさまとなり果てたによって、ひどく考え込んだ末、ある日、旦那寺へと参って、

「……かくかくのことなれば、何卒、今、御座る、身上も、総てこれ、寺へ納めんと思いますによって、死期(しご)に至るまで、これ、儂(わし)を養のうては……これ、下さるまいか?……」

と歎き訴えた。

 されば和尚は、

「旦那のことなれば安きことにて御座る。」

と、墓地の片際(かたぎわ)に設えた粗末な小屋へ、この者を入れて、養いおいた。

 すると、これ、一年ほど経つうちに、かのむくみも引き、足もかなり丈夫になって御座ったによって、和尚と相談の上、元の家へ戻って、また住もうて御座った。

 ところが、これまた、半年ほどのうちに、元の如く足がむくんで参ったによって、またまた、旦那寺へと移った。

 するとこれ、ほどのぅ軽快致いたによって、自身も不思議に思い、面倒は見れぬものの、気にかかっては見舞いに参ったる遠き縁者の者なんども、

「……これは……まっこと……不思議なることじゃ。……」

とて、和尚へもこのことにつき、

「……これは如何なることにて御座いましょうや?……」

と問い訊ねたところが、和尚、これ正直に、

「――仏縁によりて恢復せしなんど申すは妄談にて御座ろう。……何ぞ、軽快致すには相応の訳、これ、御座ろうほどに。」

と、住めるあばら屋やその辺りをもいろいろと調べてはみたものの、これといって気づくところも御座らなんだ。

 しかるに和尚、一つのことに目をとめた。

 寺にては、これ、味噌を搗(つ)いたものを樽へ詰めおく際、黴(かび)を生じさせぬため、その効のあると伝える山に自生致す「狐のびんざさら」の葉を縦横に編んで、これを底へ敷き入れ、さらにまた、同様のものを味噌樽の蓋にも用いて御座ったが、

「――さても! この草の効能の故にては、これ、御座るまいか?!」

と思い当った。

 されば、そのようなこともあろうかも知れぬと、和尚、かの「狐のびんざさら」を山より刈り取って参り、試しに、近村までむくみを患(わずろ)う者を訪ねては、これを茶になして飲ませてみたところ、どの患者も、これ、驚くほど軽快なした由。

 これに依って、その村の辺りにては殊の外、この「狐のびんざさら」を茶になしたものを日頃より呑んで御座る由。

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