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2015/03/05

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 京都にて 4 附 メンデンホールの計測になる蝸牛と蟻の運動速度について

 京都から我々は、大阪へ引きかえした。ここで私が東京で知合いになった学生の一人小川君が、私をもてなしてくれようとしたが、私が日本料理に慣れ且つそれを好むことを知らない彼は、西洋風に料理されそして客に薦められると仮定されている物を出す日本の料理屋へ私を招いた。日本人は、適当に教えられれば素晴しい西洋料理人になれる。私はそれ迄にも日本の西洋料理屋へ行った経験はあるが、何が言語同断だといって、この大阪に於る企みは、実にその極致であった。出る料理、出る料理、残らずふざけ切った「誤訳」で、私は好奇心から我々の料理を食った日本人は、どんな印象を受けたことだろうと思って見た。

[やぶちゃん注:私には、この料理の詳細レシピが記されていないことが、まことに残念至極である。

「小川君」既注であるが、再掲しておくと、磯野先生が「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」で、先の現在の八尾市にある高安千塚古墳群の調査報告論文「日本のドルメン(支石墓)」(明治一三(一八八〇)年)に『大阪専門学校の小川教諭(東京での知り合いと『その日』にあるが、どういう人物か不明)』と記す不詳の人物である。]

 

 虎疫(コレラ)が大流行で、我々は生のもの、例えば葡萄(ぶどう)その他の果実や、各種の緑の物を食わぬようにせねばならぬ。加之(しかのみならず)、冷い水は一口も飲んではいけない。お茶、お茶、お茶と、朝昼晩及びその他あらゆる場合、お茶ばかりである。だがお茶といえぼ、友人の家でも商店でも、行く先で必ずお茶が出されるのは、日本に於て気持のいい特徴の一つである。その場所が如何に貧しく且つ賤しくとも、この礼儀は欠かぬ。同時に我々は、日本風の茶の入れようが如何にも簡単で、クリームも砂糖も入れずに飲むのであることを知っていなくてはならぬ。道路に沿うては、間を置いて小さな休憩所があり、そこでは通行人にお茶と煎餅数枚とをのせたお盆が差し出され、これに対して一セントの価格を持つ銭をお盆に入れる習慣がある。公開講演をする時には、おきまりの冷水を入れた水差とコップとの代りに、茶瓶と茶碗とをのせたお盆が机の上に置いてある。大学では先生達に出すお茶を入れるのに一人がつき切りで、一日中、時々彼は実験室に熱いお茶を入れた土瓶を持って来る。お茶は非常に弱いが、常に元気つける。数世紀にわたって日本人は、下肥を畑や水田に利用する国で、水を飲むことが如何に危険であるかを、理解し来ったのである。

 

 紙屋の店で見受ける非常に綺麗な品は、封筒と書簡紙とである。封筒は比較的新しく、外国の真似をした。以前は恰度我々が封筒発明前にやったと同じく、手紙を畳む一定の、形式的な方法があった。書簡紙は、幅六インチあるいはそれ以上の長い巻物である。書くのは右から始め縦の行である。それには筆を使い、用あるごとに墨をする。巻物は弛んでいる方の端から書き始めるのだが、それ自身が書く紙を支持する役に立つ。一行一行と書かれるに従って、紙は巻きを解かれ、手紙が書き終られた時にはその長さが五、六フィートに達することもある。そこで紙を引き裂き、再び緩やかに巻いて、指で平にし、巻紙よりすこし長くて、幅は二インチあるいはそれ以上ある封筒の一端からすべり込ませる。封筒は――屢々書簡紙も同様だが――彩色した美しい意匠で魅力的にされている。書簡紙には書く文字の邪魔にならぬ程度の淡色で、桜の花、花弁、松の葉、時としてはまとまった山水等が、ほのかに出してある。封筒の絵はもっとはっきりしているが、宛名の邪魔にならぬように、概して辺に近く置かれる。この意匠が、数限りなく多種多様なのには驚かされる。主題の多くは外国の事物から取ったもので、この上もなく散文的であるが、達者な芸術家の手によって、魅力あるものにされている。意匠の多くは、日本の民話や神話を知らぬ者にとっては、謎である。が、即座にその意味の判るものもある。例えば、前景に湯気の立つ土瓶が、遠景に鉄道の列車があるものや、稲妻と電信柱とがあるものは、蒸気や電気の発見の原因が理解されていることを示す。

[やぶちゃん注:この最後の文明開化期の封筒意匠はなかなか面白い。

「幅六インチ」幅十五・二四センチメートル・

「五、六フィート」一・五~一・八メートル。

「二インチ」五・〇八センチメートル。]

 

 私の同僚メンデンホール教授は、この頃昆虫や蝸牛(かたつむり)の運動の速度に興味を持っている。蝸牛の大きな種の進行時間を注意深くはかった結果、彼はそれが一マイル進むのに十四日と十八分を要することを見出した。また蟻の普通な種の速度を計った結果、普通に歩いて蟻は、一マイルを行くのに一日と七時間かかることを知った。これ等はごくざっとした計算である。

[やぶちゃん注:「メンデンホール教授」既注であるが、再掲しておく。モースが招聘した当時の東京大学理学部物理学教授トマス・メンデンホール(Thomas Corwin Mendenhall 一八四一年~一九二四年)。アメリカ合衆国オハイオ州生まれ。高卒後に独学で数学と物理学を習得し、高校教師からオハイオ州立大学物理学教授となった。モースの推薦で明治一一(一八七八)年十月一日附で東京大学に迎えられた彼は、富士山頂で重力測定や天文気象の観測を行うなど、本邦に於ける地球物理学の濫觴となり、また、モースの官舎の裏に当たる本郷区本富士町(現在の文京区本郷七丁目)に竣工した東京大学理学部観象台(気象台)の初代台長(観測主任)となって、翌明治一二(一八七九)年一月から二年間に亙って気象観測に従事、本邦での地震の頻発を考慮して、観象台への地震計設置を主張したり、日本地震学会の創立にも貢献した。明治一四(一八八一)年の帰国後はオハイオ州立大学教授・陸軍通信隊教授・ローズ工科大学学長・アメリカ科学振興協会(AAAS)会長・海岸陸地測量局長(アラスカの氷河の一つである彼の名を冠したメンデンホール氷河はこの局長時代の仕事を記念して命名されたもの)・ウースター工科大学学長などを歴任し、科学行政にも関与した。米政府のメートル法採用に果たした役割も大きい。明治四四(一九一一)年に日本を再訪している(以上はウィキの「トマス・メンデンホール」に磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」のデータを加えてある)。

「一マイル」千六百九メートル三十四センチ。

「十四日と十八分]三百三十六時間十八分。これだとカタツムリは約時速四・八メートルのスピードとなる。理系出身国語教師MrJohnny氏のブログ「吹風日記」のフルスピードでのろのろと、年速1kmの言葉、カタツムリの速度でには、時速六メートル説(国立感染症研究所の前身である国立予防衛生研究所昆虫部計測)と時速三・六メートル説(参照先をウィキペディア英語版とされておられるから、恐らくは同“Land snail中の記載にある“1 mm/s is a typical speed for adult Helix lucorum”に拠るものと思われる。因みに、この種は腹足綱有肺亜綱柄眼(マイマイ)目マイマイ超科エスカルゴ(マイマイ)科のチャオビエスカルゴでイタリア中部から小アジアに分布し、本邦には産しない)が挙げられてあるから、メンデンホールはまさにこの二つの平均値に相当し、頗る信用出来る数値ではないか!

「蟻の普通な種の速度を計った結果、普通に歩いて蟻は、一マイルを行くのに一日と七時間かかる」これだとアリは約時速五十一・九メートルのスピードとなる。長野県岡谷市生物科学研究所井口研究室の井口豊氏のアリと人間の速さの比較によれば、『一概には言えないが』と断わられた上で、摂氏二十~三十度の条件で秒速一~十四センチメートル程度であるが、『種による違いが意外と大きい』と注しておられるから、時速は三六~五〇四メートルに相当する。リンク先は極めて学術的なもので、しかもそこに示されてあるデータの一部は宮城県仙台市立六郷中学校二年生が実見して調べ上げたものである。実に素晴らしい! 必読!]

M607

図―607

 

 日本人は親の命日を神聖に記憶し、ふさわしい儀式を以てその日を祭る。祖父母の命日でさえも覚えていて、墓石の前に新しい花や果実を供えて祭る。仏教徒もまた、死者に対する定期の祭礼を持っている。この場合の為に奇妙な形をした提灯(ちょうちん)がつくられる(図607)が、二百年以上にもなる絵画にも、同じような捷灯が出ている。

[やぶちゃん注:切子燈籠(きりことうろう)である。]

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