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2015/03/03

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十七章 南方の旅 京都にて 1

M597

図―597

M598_2

図―598

 

 京都の近郊は芸術と優雅の都、各種の点から興味の多い都のそれとして、如何にもふさわしいものである。清潔さ、厳粛さ、及び芸術的の雰囲気が人を印象する。数ある製陶の中心地――清水、五条坂、栗田――を訪れたことは、最も興味が深かった。粗野な近接地と、陶器の破片で醜くされた周囲と土地とは見出されず、まるでパリに近い有名な工房でも訪問しているようであった。奇麗な着物を着た附近の子供達は、我々が歩いて行くと、丁寧にお辞儀をした。製陶所の入口は控え目で質素であり(図567)、内へ入ると家長が出て挨拶し、即座に茶菓が供された。見受ける所、小さな男の子や女の子から、弱々しい体力で、ある簡単な仕事の一部を受持つ、老年の祖父までに至る家族の者だけが、仕事に携わるらしかった。製作高は、外国貿易の為の陶器(図598)で日本語では「ヨコハマ・ムケ」即ち横浜の方角、換言すれば輸出向きを意味する軽蔑的な言葉で呼ばれるものを除くと、僅少である。この仕事には、多数の家族以外の者が雇われ、十位の男の子が花、胡蝶その他、日本の神話から引き出した主題ではあるが、彼等の国内用品の装飾が繊美にも控え目であるのと反対に、これはまた胸が悪くなる程ゴテゴテした装飾を書きなぐつている。外国人の需要がある迄は、直系の家族だけが、心静かに形も装飾も優雅な陶器を製作していたのである。今や構内をあげて目の廻る程仕事をし、猫と杓子とその子供達とが総がかりで、バシャリ、バシャリ、何百何千と製造している。外国の代理人から十万組の茶碗と皿との注文があった。ある代理人が私に話した所によると、「出来るだけ沢山の赤と金とを使え」というのが注文なのである。そして製品の――それは米国と欧洲とへ輸出される――あわただしさと粗雑さとは、日本人をして、彼等の顧客が実に野蛮な趣味を持つ民族であることを確信させる【*】。而もこれ等の日本製品が我国では魅力に富むものとされている。

 

*一年後、私は我国で同様な実例に遭遇した。ミネアポリスで私は招かれて、大きな百貨店を見物した。その店のある階床(フロア)には固護謨(ゴム)製の品を山と積んだ卓子が沢山あった。櫛、腕輪、胸にさす留針(ピン)、安っぼい装身具、すべて言語に絶した野蛮な物である。私はこのようなひどい物は、最も貧乏な生物でさえ身につけたのを見たことが無いので、一体誰がこれを買うのだと質問せざるを得なかった。返事によると、それ等は北西部地方への品だとのことであったが、本当の未開人だってこれ等に我慢出来る筈は無いから、恐らく混血児やアメリカインディアンと白人種との雑種が買うのであろう。だが、一体どこでこれ等は製造されるのかと、私はたずねた。製地はボストンを去る五十マイルのアットルボロであった!

 

[やぶちゃん注:「清水」原文“Kiyomizu”。ウィキの「清水焼」によれば、『清水寺への参道である五条坂界隈(大和大路以東の五条通沿い)に清水六兵衛・高橋道八を初めとする多くの窯元があったのが由来とされる。京都を代表する焼物である』。『五条通の大和大路通から東大路通(東山通)に至る区間の北側に所在する若宮八幡宮社の境内には「清水焼発祥の地」との石碑が建って』いる。現行の公式名称は「京焼・清水焼」となっており、主な生産地は清水焼団地・五条坂周辺・今熊野及び泉涌寺の周辺とある。

「五条坂」原文“Gojiosaka”。前注参照。

「栗田」原文“Awata”。陶芸家安田浩人氏のサイト「粟田焼をたずねて」に詳しい。その「粟田焼沿革」によれば、『京都の焼き物史の極めて初期から存在し、「古清水」と呼ばれる作品群の大きな位置を占めていた。それが粟田焼(粟田口焼)であ』る、とある。

『「ヨコハマ・ムケ」即ち横浜の方角』原文“as Yokohama muke, meaning Yokohama direction””。横浜向け。以下に見るような、「横浜」から船便で送られる外国人「向け」に作られた派手で下品な陶器。

「今や構内をあげて目の廻る程仕事をし、猫と杓子とその子供達とが総がかりで、バシャリ、バシャリ、何百何千と製造している。」原文は“Now the whole compound is given up to a feverish activity of work, with Tom, Dick, and Harry and their children slapping it out by the gross.”で石川氏の意訳の面目躍如といった部分である。

「ミネアポリス」“Minneapolis”はミネソタ州東部に位置する州最大の都市であると同時にアメリカの世界都市(global cityworld city 主に経済的・政治的・文化的な中枢機能が集積したグローバルな観点に於ける重要性や影響力の高い都市のこと。グローバル都市)の一つで、アメリカ中西部地域の経済の中心地である。

「固護謨(ゴム)製」「ゴム」のルビは「固護謨」の三文字に振られているように見える。原文は“made of hard rubber”。

「恐らく混血児やアメリカインディアンと白人種との雑種が買うのであろう」ここは時代背景を考慮しつつも、原文及び訳文の謂いには批判的な視点を忘れずにお読み戴きたい。

「ボストン」“Boston”はマサチューセッツ州北東部サフォーク郡にある都市で、同州最大の都市で州都。同国有数の世界都市で、金融センターとしても高い影響力を持つ。

「五十マイル」八十・四七キロメートル。一寸、ドンブリ勘定(次注参照)。

「アットルボロ」アトルボロ“Attleboro”はマサチューセッツ州南東部、ブリストル郡の北西部に位置する都市。かつては市内に多くの宝石加工者がいたことから「世界の宝石首都」と呼ばれたこともあった。ボストン市からは南に三十九マイル (約六十三キロメートル) の位置にある。ウィキの「アトルボロ」によれば、一六三四年に『イングランド人開拓者が、現在アトルボロとなっている所に最初に入って来た。この開拓者達は痩せた土壌、水運の便宜のないことに遭遇し、貧しい生活に耐えることになった。彼らは人間の生存には適していないと宣言し、二度と戻って来ないと決断した』という。それでも一六九四年には『アトルボロの町としてレホボスから分離、法人化された』。『植民地時代にインディアンとの抗争が続いた間、アトルボロ住人の息子ナサニエル・ウッドコックが殺され、その頭が父の家の前庭にあった柱の上に置かれていた。その父の家は現在歴史史跡に指定されている。ジョージ・ワシントンがアトルボロを通り、ウッドコック・ガリソンの家近くハッチ酒場で滞在し、独立戦争の軍人でガリソン家屋の新所有者だったイスラエル・ハッチと靴のバックルを交換したという伝承がある』。『アトルボロには、宝石加工業のL・G・バルフォア社があり』、一九一三年には『宝石の加工で知られる町になっていた。バルフォア社はその後市から出て行き、その工場跡はリバーフロント公園に転換された。アトルボロは「世界の宝石首都」と呼ばれたこともあり、宝石加工会社が操業を続けている』とある。しかし、ミネアポリスとアトルボロ間は直線でも実に一七六〇キロメートルはある。エクスクラメンション・マークの意味が知れる。]

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