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2015/04/20

博物学古記録翻刻訳注 ■13 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる老海鼠(ほや)の記載

[やぶちゃん注:本テクストは先の私の「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」を受けて作成したものである。「老海鼠」は「海鼠」の条の次にあり、ホヤはナマコに劣らず、私の偏愛の対象だからでもある。

 「本朝食鑑」については上記リンク先の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館のデジタルコレクションの以下の頁の画像を視認した。本文は漢文脈であるため、まず、原典との対照をし易くするために原文と一行字数を一致させた白文を示し(割注もこれに准じて一行字数を一致させてある。底本にある訓点は省略した)、次に連続した文で底本の訓点に従って訓読したものに、独自に読みや送り仮名を附したものを示し、その後に注と訳を附した。原典ではポイント落ち二行書きの割注は〔 〕で同ポイントで示した。なお、原典では原文の所で示したように、頭の見出しである「老海鼠」のみが行頭から記されてあり、以下本文解説は総て一字下げである。なお、「老海鼠」の「鼠」の字は原典では「鼡」の(かんむり)部分が「臼」になったものであるが、コードにない漢字であるので、正字の「鼠」で統一した。「殻」「帯」など異体字は原典のママである。字体判断に迷ったものや正字に近い異体字(「状」など)は正字で採った。

 「本朝食鑑」は東洋文庫で訳注が出ているが、私は現在所持しないので、語注と現代語訳は全くの我流の産物である。真に学術的なものを求めておられる方は、そちらをお薦めする。何箇所かで意味が通じない箇所にぶつかったため、恣意的な翻案もしてある。大方の御批判を俟つものである。

 なお、この記載はおかしな部分が異様に多い。人見御大には失礼乍ら、注では相当に指弾批難しているので、悪しからず。また、申し上げよう。私の読解は好事家の恣意的なそれではあるが、相応に本気だ。――今朝、アカデミックな東洋文庫の訳注本を全巻注文しておいた。私の拙考や訳が下らないものかどうか? その時は私の記載はそのままに補足を致したく存ずる。……さても……鬼が出るか? 蛇が出るか?……お楽しみあれ――♪ふふふ♪……では、それまでまた……【二〇一五年四月二十日 藪野直史】一九七七年平凡社東洋文庫刊の国語学者島田勇雄(いさお)氏の手に成る訳注本を昨日入手したが、披見したところ、手を加える必要性を認めなかったので、これをそのまま私の定稿とする(ちょっと残念)。但し、同書(巻四三三〇~三三一頁)にある注四は恐らく平安から近世に至るまでのホヤの記載の蒐録として現在最も詳しい記載と拝察する。必読である。【二〇一五年四月二十八日追記】遅巻き乍ら、「本朝食鑑」には和漢の本草記載の違いを考察する「華和異同」という別項が各部の終りに附されていることに気づいたので、その本文に準じて追加することとした。但し、本文とダブる箇所が甚だ多いので注は最小限に留めてある。【二〇一五年五月二十三日追記】

 

□原文

 

老海鼠

 釋名保夜〔此俗訓古亦然〕

 集觧狀如言海鼠之老變而一箇肉片色紫赤外

 雖有如※鼇之殻者而粘石脱去肉味類海鼠而

[やぶちゃん字注:「※」=(上)「觧」+(下)「虫」。]

 硬或似鰒耳水母而極堅應節而生花如披人之

 指掌也江淹郭璞同言石蜐乎今芝品川間有之

 相豆總之海濵亦希采海西最多醃而送傳之古

 者若狹作交鮨貢之而不知造法内膳部有參河

 國保夜一斛今未聽國貢也

 氣味鹹冷無毒主治利小水止婦人帯下

 

□訓読文(原典の一字下げは省略した。読み易くするために句読点・記号・濁点・字空けを適宜、施した。一部に独自に歴史仮名遣で読みや送り仮名を附してあるが、読解に五月蠅くなるので、特にその区別を示していない。なお、原典には振られている読み仮名は少なく、片仮名で「間(マヽ)」とあるのみである。また、「今」(いま)には「マ」が送られてあるが、省略した。また、つまらぬ語注を減らすためにわざと確信犯で訓読みした箇所もあり、こうした恣意的な仕儀を経ている我流の訓読であるので、学術的には原典画像と対比しつつ、批判的にお読みになられたく存ずる。)

 

老海鼠

 釋名 保夜〔此れ俗訓。古へ亦、然り。〕

 集觧 狀(かた)ち、海鼠(なまこ)の老變(らうへん)と言ふがごとくにして、一箇の肉片。色、紫赤。外、※鼇(けいがう)のごとき殻有ると雖も、石に粘(ねん)じて脱け去る。肉味、海鼠(なまこ)に類して硬し。或いは鰒(あはび)の耳・水母(くらげ)に似て、極めて堅し。節に應じて花を生ず。人の指掌(ししやう)を披(ひら)くがごとし。江淹(かうえん)・郭璞(かくはく)、同じく言ふ、「石蜐(せきけふ)」か。今、芝・品川、間(まま)之れ有り。相(さう)・豆(づ)・總(さう)の海濵にも亦、希れに采(と)る。海西、最も多し。醃(しほづけ)して之を送り傳ふ。古へは若狹、交鮨(まぜずし)と作(な)して之を貢す。造法を知らず。「内膳部」に『參河(みかは)の國、保夜一斛(ひとさか)。』と有り。今、未だ國貢(こくこう)を聽かざるなり。

[やぶちゃん注:「※」=(上)「觧」+(下)「虫」。]

 氣味 鹹冷(かんれい)。毒、無し。主治 小水を利(り)し、婦人の帯下(こしけ)を止(と)む。

 

□やぶちゃん語注(既に私がものした、

寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「老海鼠」

「海産生物古記録集■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載」

「海産生物古記録集■4 後藤梨春「随観写真」に表われたるボウズボヤ及びホヤ類の記載」

「海産生物古記録集■5 広瀬旭荘「九桂草堂随筆」に表われたるホヤの記載」

「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 ホヤ」

などでさんざん注を施してきたので、寧ろ、それらを参考がてら、お読みに戴けるならば、恩幸、これに過ぎたるはない。但し、「本朝食鑑」全体の構成要素である「釋名」等の語意については既に「博物学古記録翻刻訳注 ■12 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海鼠の記載」で施しているので繰り返さなかった。そちらを参照されたい。)

・「老海鼠」食用としての記載であるから、脊索動物門尾索動物亜門海鞘(ホヤ)綱壁性(側性ホヤ)目褶鰓(しゅうさい)亜目ピウラ(マボヤ)科 Pyuridae マボヤHalocynthia roretzi 及びアカボヤHalocynthia Aurantium を挙げておけばよかろう。本書より後の寺島良安の「和漢三才図会」では、巻第四十七の「介貝部」に「老海鼠」を入れており(これは現代の一部の魚屋が本種を「ホヤガイ」と呼んで貝類と思い込んでいるのと同じである)、そこでは『「和名抄」は魚類に入る。以て海鼠の老いたる者と爲すか』と記している。因みに、人見はこの「老海鼠」を棘皮動物の「海鼠」と条鰭綱トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の魚類「海馬」(タツノオトシゴ)の間に挟み入れている(「本邦食鑑」の配列には強い細かな分類意識は働いていないように私は感じられる)。人見も「狀ち、海鼠の老變と言ふがごとくにして」と言っている辺り、海鼠と近縁と考えるにはやや躊躇があったようにも感じられはするが、寺島ほど強い批判的雰囲気は感じられない。

・「保夜〔此れ俗訓。古へ亦、然り。〕」しばしば俗にホヤには強壮効果があって「夜に保つ」ことからこう書くという説があるが、「保夜」は「ホヤ」という生物呼称が成立して以降に生まれた当て字であって誤りである。「ほや」という呼称は平安以前の非常に時代に発生しており、現在はその語源を解き明かすことは出来ない。

・「※鼇」(「※」=(上)「觧」+(下)「虫」)この「※」は「蟹」の異体字と判断する。「鼇」は大亀で、現行では大きなウミガメ(海亀)やスッポン(鼈)の類を指す。確かにホヤの「殻」(皮革質の被嚢)は蟹の甲羅やスッポン及びウミガメ類でも皮骨と鱗から成る比較的軟らかいオサガメの類の甲羅が発達しないタイプのそれによく似ているとは言えると思う。

・「節に應じて花を生ず。人の指掌を披くがごとし」問題の箇所である。この二箇所はどう考えてもホヤの生態、少なくとも食用にするマボヤやアカボヤのそれではあり得ない叙述である。百歩譲って、着底したホヤが成体となることを「花」と言い、被嚢の入水管・出水管の二本と皮革状の表面に発生する疣状或いは突起状のもの三つを合わせて「人の」「掌」(てのひら)や五本の「指」に譬えたのだと措定してみても、それを自然な表現であるとする人はまずいないはずである。あれは「花」には見えないし、五本の指のある人の掌には決して見えない。これがホヤだというのなら、その言っている本人は、実際の海中での生体としてのホヤは勿論、採れたての捌かないホヤを実見したことがない人間による誤った記載としか思われないのである。まず、この「人の指掌を披くがごとし」というのは、「披く」が明白に「花」を受けているから、前の「節に應じて花を生ず」ような運動に対する明白な補足比喩である。しかも後の「石蜐」の注で示すように、これは郭璞の「江賦」の中にある「石砝」(石蜐に同じい)の叙述である『石砝應節而揚葩』という表現を無批判に安易に自分の言葉として使ってしまった誤り(と私は断言する)なのであって、到底、人見が生体のホヤ実見していたとは思えないのである。しかもしかし、ここで一旦、立ち止まってよく見ると、これは、

――「節」(時。季節とは限らない。満潮時・干潮時も立派な「節」である)に「應じ」るかのように、「人の指掌」のようなものが窄(すぼ)んだ状態から、ぱっと「掌」を「披」いたかのように、「花を生」じたかのように見える、それは時によって人の「指」や閉じた「掌」のように見え、時によってそこから「花」に見紛うようなものが「掌」をぱっと開くように出て来る――

という運動を見せる生物体を描写していると読むのが自然であるということが分かってくる。こう書けば、少しでも海岸動物を知っておられる方は、これがホヤなどではなく、

甲殻亜門顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚(フジツボ)下綱完胸上目有柄目ミョウガガイ亜目ミョウガガイ科カメノテ Capitulum mitella

の形状にぴったり一致していることがお分かり戴けるはずである。そうして何より、「石蜐」は現代中国語でまさしくカメノテを指していることがはっきりと分かるのである(例えば中文サイトのここここをご覧あれ)。

・「殻有ると雖も、石に粘じて脱け去る」この叙述もおかしい。生体を水中で鋭利な道具を以って直接切り裂くのでもなければ、如何に乱暴な漁獲法を持ってしても、被嚢は容易には抜け落ちることはない。これを見ても人見はホヤ漁はおろかホヤの無傷の生体個体を実見したことがないように思われてならないのである。

・「肉味、海鼠に類して硬し。或いは鰒の耳・水母に似て、極めて堅し」この描写も、また大いに矛盾する。食用にするホヤの筋体部は硬くなく、寧ろぐにゃぐにゃしている。海鼠のそれに比すならこれは遙かに軟らかいし、凡そアワビの歩足体の外套膜の胴辺縁のように硬いのは筋体ではなく被嚢である。クラゲを出しているのは食用に処理されたクラゲの硬さを言っていると読めるが、ホヤのコリコリする硬い可食部は被嚢との入・出水口の接合部分のぐらいしかない。しかもそれは極めてそれは僅かな部位である。即ち、この人見が異様に硬いと言っているのは、どう考えても食べられない被嚢(皮革)部分を指しているである。これも人見がホヤの実体に極めて疎いことが知れ、彼は実はホヤの可食部をよく分かっていないのではないか、という強い疑惑を抱かざるを得ない奇妙な叙述なのである。

・「江淹」(四四四年~五〇五年)は六朝時代の文学者。河南省考城 の生まれ。字は文通。宋・斉・梁の三代に仕え、梁の時、金紫光禄大夫に至った。貧困の中で勉学に励み、若くして文章で名を挙げた。詩文に清冽な風格をもつが、特に「恨賦」「別賦」は抽象的な感情を題材として精緻な描写のうちに深い情緒を込めた、六朝の賦の一方の代表作とされる(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。ウィキの「江淹」によれば、南宋の詩人厳羽の「滄浪詩話」には「擬古は惟(こ)れ江文通、最も長ず。淵明に擬すれば淵明に似、康樂に擬すれば康樂に似、左思に擬すれば左思に似、郭璞に擬すれば郭璞に似たり。獨り李都尉に擬する一首、西漢に似ざるのみ」とあるとする。因みに「康樂」は東晋・南朝宋の詩人謝霊運のこと、「左思」は西晋の知られた文学者である(下線はやぶちゃん)。

・「郭璞」(二七六年~三二四年)は六朝時代の東晋の学者・文学者。山西省聞喜の生まれ。字は景純。博学で詩賦をよくし、特に天文・卜筮(ぼくぜい)の術に長じた。東晋の元帝に仕えて著作郎などを勤め、たびたび大事を占っている(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠る)。

・「石蜐」現代仮名遣「せききょう」(「せきこう」とも読める)。江淹のそれは彼の「石蜐賦序」にある『海人有食石蜐、一名紫𧄤、蚌蛤類也』に基づき、郭璞のそれは、彼の博物的な長江の生物層を詠じた「江賦」の中にある『石砝應節而揚葩』とある「石砝」を指しており、先の「節に應じて花を生ず」という人見の記述も、実はそれに拠っていることが分かる(以上の原文引用は中文サイトの検索による複数の情報から最も信頼出来ると判断したものから引用した)。前注で解き明かした通り、これは――生活史の一部にあって高等な脊索を持った尾索動物のホヤ――とは全く以って無縁で、似ても似つかぬ、逆立ちしたまま固着して動かない(そこは偶然にもホヤの生活史と一致するが)エビ――蔓脚類のフジツボの仲間であるカメノテのこと――なのである。

・「芝」現在の東京都港区芝。浜松町駅の南西、東京タワーの南東に位置し、江戸時代には付近一帯の海岸は「芝浜」と呼ばれ、その中に「雑魚場(ざこば)」と呼ばれる魚市場があった。江戸前の小魚や魚介類などが豊富に水揚げされ、「芝肴(しばざかな)」と呼ばれ、江戸庶民に賞味され、浅草海苔の生産地としても知られたが、江戸末期以降には漁獲量も減り、周辺の湾岸も徐々に埋め立てられて昭和四五(一九七〇)年には雑魚場のあった海岸も完全に埋めたてられ、その跡は本芝公園となった(この情報は芝四丁目の町内会「本芝町会」公式サイトの「町会の概要」の記載に基づいたものである)。

・「海西、最も多し」不審。皆さんもお分かりのように、ホヤ、特に最も食用に供されるマボヤは海西どころか、東北や北海道に多く、特に牡鹿半島・男鹿半島以北に多い。人見は北前船で回って来たホヤの塩辛が、西で獲れてそこで処理されてもたらされたものと勘違いしているのではあるまいか? とすれば、彼は少なくともホヤに関しては生態どころか、流通経路にも暗かったことになる。あんまり考えたくないが、そう思わないとこの悉くおかしな叙述は私には理解出来ないのである。

・「醃(しほづけ)」音は「エン」で、広く魚・肉・卵・野菜・果物などを塩・砂糖・味噌・油などで漬けることを言うが、ここは塩漬けで訓じた。

・「古へは若狹、交鮨と作して之を貢す」「交鮨」は「まぜずし」と訓じておいたが、これは一般的には見かけない語ではある。ところが「古へは若狹」が大きなヒントなのだ。「福井県文書館」公式サイト内の「『福井県史』通史編1 原始・古代」の「第四章 律令制下の若越 第二節 人びとのくらしと税 三 人びとのくらし」の「漁村のくらし」の中に、「延喜式 主計部 上」に『若狭からの調品目に貽貝保夜交鮨というのがある』とし、前文で紹介されてある若狭国遠敷(のちの大飯)郡青郷(里)に関わる木簡の『貽貝富也交作』や『貽貝富也并作』という記載について、『おそらく木簡にみえる交作・并作は交鮨のことであろう。そうであるならこれは、貽貝と海鞘とを混ぜこんで作った鮨ということになろう』と記されてあるのである。そうしてこれはほぼ間違いなく「いすし」、「飯寿司」「飯鮨」、本邦では非常に古くからあった飯と食材を「交」ぜて乳酸発酵させて作る「なれずし」のことを指しているのである。そうしてそれは平安時代の「土佐日記」や「枕草子」にさえ出ることは「海産生物古記録集■2 「筠庭雑録」に表われたるホヤの記載」で既に述べたところである。

・「内膳部」「延喜式」のそれ。宮内省の内膳司(ないぜんし:皇室・朝廷の食膳を管理した役所。)に関するパート。

・「一斛」一石。「斛」は古代の体積の単位で、一斛は十斗で約百八十リットル。米換算なら百四十キログラムほど。

・「帯下」女性生殖器からの血液以外の分泌物。普通、通常の分泌を越えて不快感を起こす程度に増量した状態を指す。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

老海鼠(ほや)

 釋名 保夜(ほや)〔これは俗訓。古えもまた、この通り。〕

 集觧 形は海鼠(なまこ)の老いて変じたとでも言ふようなものであって、一箇の肉片である。色は赤紫(あかむらさき)。肉の他に、蟹や鼈(スッポン)の如き殻を持ってはいるがしかし、この殻は石に強く附着していて、漁(と)った際に抜け去る。肉の味は、海鼠(なまこ)に類しており、硬い。或いは鮑(あわび)の耳や食用に加工された水母(くらげ)に似て、極めて堅い。

 この生物はまた、時節に応じて花のようなものを体表に生ずる。それは、あたかも人が掌の指をぱっと開くような感じである。

 江淹(こうえん)や郭璞(かくはく)の二人が、孰れも「石蜐(せきこう)」と呼んでいるものは、実はこの老海鼠(ほや)なのか?

 今、武蔵の芝・品川に於いて、まま、これを獲る。相模国・伊豆国・上総国や下総国の海浜にてもまた、稀(まれ)にこれを獲る。

 対して西日本では、これは最も多く漁獲され、塩漬けにして各地へ、その珍味が送られ齎(もたら)されるのである。

 古えは若狭に於いて馴(な)れ鮨(ずし)になして、これを貢納していた。しかし、その造法は詳らかでない。「延喜式 内膳部」にも『三河の国、保夜一斛(ひとさか)。』とある。しかし今は、この古えの「老海鼠の馴れ鮨」なるものが国へ貢納されているということは全く以って聴かない。

 気味 鹹冷(かんれい)。毒はない。主治 小水(しょうすい)の出をよくし、婦人の帯下(こしけ)を抑える。
 
 

◆華和異同

□原文

  老海鼠

石蜐又有紫𧉧〔音却〕紫〔音枵〕龜脚之名南産志曰石𧉧

福曰黄※1泉曰仙人掌莆曰佛爪春而發華故江賦

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。]

有石𧉧應節而揚葩之語而謝朓詩亦云紫※2曄春

[やぶちゃん字注:「※2=(くさかんむり)+「噐」。]

流今按春而發華者春月肉吐在外秋冬則否

 

□やぶちゃんの書き下し文

  老海鼠

石蜐(せきけう)。又、紫𧉧しけう)〔音、劫(けう)。〕・紫(しけう)〔音、枵(けう)。〕・龜脚(ききやく)の名、有り。「南産志」に曰く、『石𧉧福に「黄※1」と曰ふ[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。]。泉に「仙人掌」と曰ふ。莆(ほ)に「佛爪」と曰ふ。春にして華を發(ひら)く。故に「江の賦」、「石𧉧、節に應じて葩(はな)を揚ぐ」の語、有りて、謝朓(しやてう)が詩にも亦、云く、「紫※2、春流に曄(かゝや)く」と。』と[やぶちゃん字注:「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。]今、按ずるに春にして華を發く者は、春月、肉を吐きて外に在り。秋・冬、則ち、否(しから)ず。

 

□やぶちゃん注

・「龜脚」これだけは本邦の「ホヤ」ではなくて「カメノテ」にしっくりくることは言を俟たぬ。但し、その場合もミョウガガイやエボシガイなどもこう表現する可能性が高く、既に本文の「石蜐」の注でさんざんっぱら、いちゃもん考証をしたように他にも全く異なる種を指している可能性があり、必ずしも完全に限定同定は出来ないので注意が必要である。

・「南産志」「閩書南産志」。既注。

・「福」福州。現在の福建省の北の臨海部にある省都。閩江(びんこう)下流北岸にある港湾都市で木材・茶の集散地として知られる。

・「黄※1」(「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。)音不詳。「クワウイン(コウイン)」か?

・「泉」泉州。福建省の台湾海峡に面する港湾都市。唐代から外国貿易で発展し、インドやアラブまで航路が通じていた。マルコ=ポーロが「ザイトン」の名でヨーロッパに紹介している。

・「莆」現在の福建省莆田(プーテン)県。古くは興化(現在の江蘇省興化市とは別)とも呼ばれ、莆陽(プーヤン)・莆仙(プーシェン)とも呼ばれる。北は福州と隣接、南は泉州と隣接する。西には戴雲山脈があり、東南は台湾海峡に面している。世界的にも稀な三つの河口を有し、臨海部には百五十に及ぶ島嶼群がある。

・「江の賦」既注の「文選」所収の東晉の郭璞の手になる「江賦」。

・「謝朓が詩」謝朓(しゃちょう 四六四年~四九九年)は南朝の斉の詩人。陽夏(現在の河南省)の生まれ。字(あさな)は玄暉(げんき)。宣城の太守であったので謝宣城と呼ばれ、詩人として知られる同族の謝霊運(しゃれいうん 三八五年~四三三年:六朝時代の宋の詩人。字は宣明。)に対して「小謝」とも称された。但し、ここで人見が引く「詩」とは彼の詩ではなく、以下に見るように、まさにその謝霊運の方の詩である。

・「紫※2、春流に曄(かゝや)く」(「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。)前注で示した通り、これは謝朓の詩ではなく、謝霊運の「郡東山望溟海」(郡の東山にて溟海を望む)の一節である。個人の中国史サイト「枕流亭」の掲示板のこちらの過去ログの中にある殷景仁氏の投稿(投稿日三月五日(金)13236秒のもの)によれば(リンク先には原詩が総て載る)、

   *

白花皜陽林 白花 陽林に皜(て)り

曄春流 (しこう) 春流に曄(かかや)く

   *

で、当該部分を、

   《引用開始》

花の白さは南の林の中で映え、よろいぐさの紫色は春の川の流れの中で一際明るく輝く。

   《引用終了》

と訳しておられ、この「紫をセリ目セリ科シシウド属ヨロイグサ Angelica dahurica とされている。ロケーションからも(題名に海が出るが、実はこの詩には海の景観は読み込まれていない。リンク先の殷景仁氏の解説を必参照のこと)、この「紫」は「ホヤ」でも「カメノテ」でもないのである。これは全くの人見の見当違いなのである。因みに、これについて東洋文庫の島田氏の訳注が一切、問題にされていないのは、頗る不審と言わざるを得ない。

・「春にして華を發く者は、春月、肉を吐きて外に在り。秋・冬、則ち、否ず」意味不明。ホヤやカメノテの習性にこのような現象は見られない。私がさんざん本文で考証したように、人見は中国の本草書の「石蜐」を安易に一律に「老海鼠」(ホヤ)と同定してしまった結果、自分でも何を言っているのか分からないような、苦しい説明に堕したものと私は判断するものである(そうして言わせてもらうなら、人見はホヤの生態を全く以ってご存じないのに、分かったように書いている事実がここでもはっきりと見てとれるということである)。序でに言わせて頂くと、島田氏の訳(『春に華を発(ひら)くとみえるのは、春月に肉を外に吐き出しているんでおあって、秋・冬にはそんなことはない。』)も失礼乍ら、私には何だか半可通なものである。誤解なら誤解なりに納得出来る訳を心掛けるべきだと、若輩者乍ら、私は思うのである。そういう訳としたつもりである。

 

□やぶちゃん現代語訳

  老海鼠

石蜐(せききょう)。又、紫𧉧(しきょう)〔音、劫(きょう)。〕・紫(しきょう)〔音、枵(きょう)。〕・龜脚(ききゃく)の名がある。「閩書南産志」に曰く、『石𧉧(せききょう)は福州に於いては「黄※1(きいん)」と言い、泉州に於いては「仙人掌」と言い、莆(ほ)州に於いては「仏爪(ぶっそう)」と言う。春になると花を開いたように見える。故に郭璞(かくはく)の「江(こう)の賦」に、「石𧉧、節に応じて葩(はな)を揚ぐ」の語があり、謝朓(しゃちょう)の詩にもまた、「紫※2(しこう)、春流に曄(かかや)く」とある。』と記す。今、按ずるに、春になって華を開くという謂いは、春の時節には、この老海鼠(ほや)がその肉を外にべろりと吐きだしている状態を表現したものである。老海鼠は確かに、秋や冬には、そのような現象を見せない。

[やぶちゃん字注:「※1」=「虫」+新字体と同じ「隠」。「※2」=(くさかんむり)+(「噐」の「工」を「臣」に代えた字体。]

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