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2015/04/29

カテゴリ 畔田翠山「水族志」 創始 / (二四六) クラゲ 《リロード》

 

カテゴリ『畔田翠山「水族志」』を創始し、江戸末期の和歌山藩士にして博物学者畔田翠山(くろだすいざん)の「水族志」の電子化に着手する。今回、人見必大の「本朝食鑑」の水族の部の電子化と訳注の参考にするため、島田勇雄訳の平凡社東洋文庫版全五巻(一九七六~一九八一年刊)を購入、それを管見するうち、その注の「水族志」の引用内容の細かさに驚いた(特にこれから行う「クラゲ」の項等)。しかも、この畔田翠山なる人物、謂わば、南方熊楠の大先輩とも言うべき人物なのである。これはもう、やらずんばならず、である。

「水族志」は文政一〇(一八二七)年に翠山によって書かれた、恐らくは日本最初の総合的水産動物誌で、明治になって偶然発見され(後述)、当初の分類方法を尊重しつつ、全十巻十編に改訂された。掲載された水族は本条二百五十七種、異種四百七十八種合わせて七百三十五種。異名を含めると千三百十二種に及ぶ。但し、貝類は含まれない(数値データは「水産総合研究センター図書資料デジタルアーカイブ」の同書の冒頭解説に拠った)。

 畔田翠山(寛政四(一七九二)年)~安政六(一八五九)年)は本名を源伴存(みなもとともあり)といい、紀州藩藩医であった。通称を十兵衛、別に畔田伴存とも名乗り、号は翠山・翠嶽・紫藤園など。「和州吉野郡群山記」「古名録」をはじめとする博物学の著作を遺した。以下、ウィキの「源伴存」より引く。『現在の和歌山市に下級藩士の畔田十兵衛の子として生まれた。若いときから学問に長じ、本居大平』(もとおりおおひら:本居宣長の弟子で養子。)『に国学と歌学、藩の本草家で小野蘭山の高弟であった小原桃洞に本草学を学んだ。父と同様、家禄』二十『石の身分であったが、時の』第十代藩主徳川治宝(はるとみ)に『学識を認められ、藩医や、紀の川河畔にあった藩の薬草園管理の任をつとめた』。『薬草園管理の任にあることで、研究のための余暇を得たとはいえ』、二十『石のわずかな禄では、書物の購入も研究のために旅に出ることも意のままにはならない。こうした伴存の境遇を経済面で支援したのが、和歌山の商人の雑賀屋』(さいかや)『長兵衛であった。長兵衛は、歌人としては安田長穂として知られる人物で、学者のパトロンをたびたびつとめた篤志家であった』。『また、伴存自身は地方の一学者でしかなかったが、蘭山没後の京都における本草家のひとりとして名声のあった山本沈三郎』(しんさぶろう)『との交流があった。沈三郎は、京都の本草名家である山本亡羊』(ぼうよう)『の子で、山本家には本草学の膨大な蔵書があった。沈三郎は』、弘化二(一八四五)年に『伴存の存命中に唯一刊行された著書』「紫藤園攷証」(しとうえんこうしょう)甲集(博物学書。国立国会図書館デジタルコレクションの原本へリンクさせた)に『ふれて感銘を受け、それ以来、伴存との交流があった』。『この交流を通じて、伴存は本草学の広範な文献に接することができた』。『このように、理解ある藩主に恵まれたことや』、『良きパトロンを得られたこと、さらに識見ある先達との交流を得られたことは、伴存の学問の大成に大きく影響した』。『伴存は、自らのフィールドワークと古今の文献渉猟を駆使して』、二十五部以上・約二百九十巻にも『及ぶ多数の著作を著した』『が、その業績の本質は本草学と言うよりも博物学である』。文政五(一八二二)年に『加賀国白山に赴き、その足で北越をめぐり、立山にも登って採集・調査を行った。山口藤次郎による評伝では、その他にも「東は甲信から西は防長」まで足を伸ばしたと述べられているが、その裏付けは確かではなく』、『伴存の足跡として確かなのは白山や立山を含む北越、自身の藩国である紀伊国の他は、大和国、河内国、和泉国といった畿内諸国のみである』。『その後の伴存は、自藩領を中心として紀伊半島での採集・調査を続け、多くの成果を挙げた。代表的著作である』「和州吉野郡群山記」も、『その中のひとつである』。安政六(一八五九)年、伴存は熊野地方での調査中に倒れて客死し、同地の本宮(田辺市本宮町)にて葬られた』。『伴存の著作の特徴となるのは、ある地域を限定し、その地域の地誌を明らかにしようとした点にある。その成果として』「白山草木志」・「北越卉牒」(ほくえつきちょう)・「紀南六郡志」・「熊野物産初志」・「野山草木通志」(やさんそうもくつうし:高野山の草木類についての本草書。巨大なツチノコではないかとも言い囃された「野槌」の図が載ることでも知られる「【イエティ】~永遠のロマン~ 未確認動物UMAまとめ その1【ツチノコ】」に図があるので参照されたい)、そして伴存の代表的著作』「和州吉野郡群山記」が『ある。特に紀伊国では広範囲に及ぶ調査を行い』、その中で、『日本で最初と見られる水産動物誌』である本「水族志」や、貝類図鑑である「三千介図」が生まれており、代表的著作とされる「熊野物産初誌」・「和州吉野郡群山記」も『そうした成果のひとつで』、「和州吉野郡群山記」は、『大峯山、大台ヶ原山、十津川や北山川流域の地理や民俗、自然を詳細に記述したもので、内容は正確かつ精密である。その他にも、本草学では』「綱目注疏」・「綱目外異名疏」、『名物学では全八十五巻からなる』「古名録」や「紫藤園攷証」があり、『伴存の学識』の博さを『知ることが出来る』。『前述のように、伴存は生涯にわたってフィールド』・『ワークを好んだだけでなく、広範な文献を渉猟した。ことに古今和漢の文献の駆使と』、『それにもとづく考証においては、蘭山はもとより、他の本草学者』とは比べものに『ならないほどの質量と専門性を示すことは特筆に価する。また、伴存の博物学的業績を特徴付けるのは、調査地域での記録として写生図だけでなく』、『標本を作成した分類学的手法』『である。その標本は、伴存の門人で大阪の堀田龍之介の手に渡り、後に堀田の子孫から大阪市立自然史博物館に寄贈された。これらの標本を現代の分類学から再検討することは行われていないが、紀伊山地の植物誌研究にとって重要な資料となりうるものである』。『伴存は以上のように大きな業績を残したが、生前に公刊した著作はわずか』一『冊のみであった。また、実子は父の志を継ぐことなく』、『廃藩置県後に零落』、明治三八(一九〇五)年に『不慮の死を遂げ、家系は途絶えた。伴存は堀田龍之介と栗山修太郎という』二『人の門人を持ったが、栗山の事跡は今日』、『ほとんど何も知られていない』。『堀田は、伴存と山本沈三郎との交流の仲立ちに功があった』『が、本草学者・博物学者としてはあくまでアマチュアの好事家の域にとどまった』。『こうしたこともあって、伴存は江戸末期から明治初期にかけて忘れさられただけでなく、第二次大戦後に至っても』、『本名と号とで』、『それぞれ別人であるかのように扱われることさえあった』。『伴存が再発見されたのは全くの偶然で』、明治一〇(一八七七)年、東京の愛書家・宍戸昌が』、古書店で「水族志」の『稿を入手したことに始まる。著者名は「紀藩源伴存」とあるだけで、何者とも知れなかったが、翌年に大阪で宍戸が堀田に見せたところ、その来歴が判明したのであった。後に田中芳男がこのことを知り、宍戸に勧めて』、明治一七(一八八四)年、本「水族志」が『刊行された。田中はまた』、「古名録」の『出版にもつとめ』、明治一八(一八八五)年から明治二三(一八九〇)年に刊行している。「古名録」の『刊行にあたっては』、本邦初の植物病理学者として知られる白井光太郎(みつたろう)が『和歌を寄せたほか、南方熊楠も伴存の学識を賞賛する一文を寄せている』とある。まさにその後輩とも言うべき博物学の巨人南方熊楠以上に、再評価されてよい人物と言えるのである。

 視認底本は国立国会図書館デジタルコレクションの「水族志」を用い、判読に困った部分では「水産総合研究センター図書資料デジタルアーカイブ」の「水族志」の画像も参考にした。異体字の漢字は最も近いものを当ててある。項目名の前にある( )は上部罫の外に示された通し番号である。底本では標題以外は本文全体が一字下げである。割注は【 】で本文と同ポイントで示した。本テクストはまず、訓点(返り点とカタカナの振り仮名があるが、送り仮名はごく一部にしかない)を除去した漢字カタカナ交じりの本文を示し、次に「○やぶちゃんの書き下し文」として、諸資料を参考にしながら、自然勝手流で訓読したものを示す。そこでは原本のカタカナのルビはそのまま生かして( )で示し、私の推定の読みは〔 〕によって歴史的仮名遣でひらがなで添え、場合によっては、読み易くするために改行を施した(本文のカタカナの内、一部はカタカナのままにした)。その後に読解の便を考えたオリジナルな注を附す。但し、始動した際は訓点を再現した関係上、その自身の当時の努力を残すために、この「クラゲ」と次の「ナマコ」では返り点と読み仮名が添えてある。また、後に「クラゲ」と「ナマコ」をPDF縦書版を作って添えたのだが、今見ると、PDF機能が拙劣で、漢字が横転しているなど、見るに堪えないものであったので、除去し、改訂したPDF縦書版を以下に添えた。

 例によって私の偏愛性から、最後の「第十編 海蟲類」から開始する。【二〇一五年四月二十九日 藪野直史】【二〇二〇年九月十九日改稿:放置が長く、注をしないというコンセプトを変えることにしたため、形式も変更し、本格的に本文も最初から校訂をやり直すことにした(実際に表記の誤りが数箇所あった)。始動の際の気持ちは変わらないので、この冒頭注の後半も全面的に書き変えたけれども、記事の日付はそのままとして、《リロード》と添えた。】

【特別付録】ここでは本文で訓点を再現したので、縦書の方が、その部分は流石に読み易いので、特別に「クラゲ」と「ナマコ」のカップリングで本文のみの縦書版(PDF)を用意した。 

 〇第十編 海蟲類

(二四六)

クラゲ 水母 海月【訓久良介(クラゲ)本朝食鑑】

本朝食鑑狀如水垢之凝結而成渾然體靜隨波逐潮浮水上其色紅紫無眼口手足腹下有物如絲如絮而長成[やぶちゃん注:この「成」は原文と対照することで、「曳」の誤読か誤植であることが判明したので、訓読ではそう変えた。]魚鰕相隨嘔其泛沫大者如盤小者如[やぶちゃん注:(上)「子」+(下)「皿」であるが、引用原拠を確認して「𥁂」ではなく「盂」であることを確認した。]其最厚者爲海月頭其味淡微腥而佳廣東未之海西最多故煎茶渣柴灰和䀋水之以送于東云々大和本草曰水母泥海ニアリ故備前筑後等ヨリ出無毒生ナルヲ取リクヌギノ葉ヲ多クキザミクラゲノ内ニ包ミ䀋ヲ不用木ノ葉ヲマジヱ桶ニ入フタヲオホヒ水ヲ入時々水ヲカユル久クアリテ不敗水ナケレハヤクルヤクルトハ枯テ不食ナリ本草啓蒙曰松前ニハ大サ三寸許ニ乄紫色ナル者アリ按一種白色ニ乄内ニ紅紫或藍紫色大瓣ノ櫻花形ヲナス者アリ閩中海錯疏曰水母海中浮漚所結也色正白濛濛如沫又如凝血縱廣數尺有知識腹臟無頭目處々不人按其紅者名海蜇其白者名白皮子事物紺珠曰水母仙狀如凝血大者如床次如覆笠斗泛々隨水上下無頭腹按此物群ヲナシ海潮ニ隨ヒテ行白色ノ松簟ノ半開セル形ノ如ク下ニ白色大小ノ絲ヲ引ク〇セイクラゲ 水母線 楊州畫舫錄曰𩶱魚割其肉蛇頭其裙曰蛇皮廣博物志曰海曲有物名蛇公形如覆蓮花正白閩中海錯疏曰按類相感志云水母大者如床小者如斗明州謂之蝦鮓皮切作縷名水母線唐久良介(トウクラゲ)」「海蜇[やぶちゃん注:以上の奇妙な鍵括弧列はママ。当該部(左ページ七行目)を見られたい。]【廣東新語】一名朝鮮(テウセン)クラゲ【山海名產圖會】本朝食鑑曰一種有唐海月ト云色黃白味淡嚼之有聲亦和薑醋熬酒進是自華傳肥之長崎而來本朝亦製之其法浸以石灰礬水其血汗則色變作白重洗滌之若不石灰之毒則害人大和本草曰唐クラゲアリ水母ヲ白礬水ヲ以制乄簾ニヒロケ乾シテ白クナリタル也ミヅクラゲ 一名ハゲクラゲ【紀州加太浦漁人沖ハゲヲ釣餌ニ用故ニ名ク】ブツウクラゲ【本草啓蒙防州旦村】ドウクハンクラゲ【同上雲州】白皮子」[やぶちゃん注:鍵括弧はママ。]八閩通志曰、水母有淡色者白色者其白者名白皮子本朝食鑑曰有水海月者色白作團如水泡之凝結亦曳絲絮魚鰕附之隨潮如飛漁人不之謂必有一レ毒又有毒者而味不好江東亦多有之大和本草曰「ミヅクラゲ」ハ「クラゲ」ニ似タリ食ベカラズ是ハ泥海ニハ生ゼズ本草啓蒙曰「ミヅクラゲ」四ノ黑㸃アリ即足ナリ按ニ白色ノ「クラゲ」也四ツノ黑㸃アルモノ又一品也フグ 本草啓蒙曰土州羽根浦ニ「フグ」ト云フモノアリ「ミヅクラゲ」ニ同シクシテ中ニ鍼ヲ藏ス若螫サルレハ甚タ人ヲ害スイラ 本草啓蒙曰備前兒島及勢州ニ「ミヅクラゲ」ト形狀同ジク肌滑ナラズ乄色紅乄血道ノ如キモノアリ若シ誤テ此物ニ觸レハ蕁麻(イラクサ)ニ螫レタルガ如シ薩州ニテ「イラ」ト云按ニ水母類ハ凡テ人肌ニ觸レハ螫疼ムモノ也絲(イト)クラゲ【紀州】一名サウメンクラゲ 洋中ニアリ長キ糸ヲ引タル如シ白色透明素麪ノ如シ又人肌ニ触ルレハ螫ス南風ノ時多シジユズクラゲ 長ク糸ヲ引テ念珠ノ如キ者相連レリ白色透明也一種一根ヨリ數条ヲ分チ房ヲナシ條如ニ[やぶちゃん注:この「如」には文脈から見て、誤記・誤字・誤植ではなかろうか? 細い条のようになっている丸いものというのは矛盾した謂いとしかとれないからである。私はこれを「每ニ」の誤りと見た。訓読でもそれを採用した。]圓キ榧子ノ如キモノ連ルアリ白色透明也ハナヒキクラゲ【紀州海士郡加太】水母ニ同乄表ニ紫褐色或醬褐色ノ荷葉ノ脉文アリキンチヤククラゲ 形狀荷包ニ似テ長シ白色ニ乄扁也半ニ四五分許ノ穴アリ其傍ヨリ長サ一尺許ノ紐出テ紙ヲ一分餘ニ斷テ着ルガ如シ西瓜(スイクワ)クラゲ 夏月ニ多シ西瓜ノ大サニシテ白色淡藍色ヲ帶

 

○やぶちゃんの書き下し文

 〇第十編 海蟲類

(二四六)

クラゲ 水母 海月【久良介(クラゲ)と訓ず。「本朝食鑑」。】

「本朝食鑑」に、『狀、水の垢〔あか〕の凝り結びて成れるがごとくして、渾然として、體〔たい〕、靜かなり。波に隨ひ潮を逐ふて水上に浮かぶ。其の色、紅紫、眼・口、無く、手足、無し。腹の下、物有りて、絲のごとく、絮〔わた〕のごとくにして、長く曳く。魚・鰕、相ひ隨ひ、其の泛〔うか〕べる沫〔あは〕を嘔〔す〕ふ。大なる者は盤のごとく、小なる者は盂〔はち〕のごとし。其の最も厚き者は「海月の頭〔かしら〕」と爲す。其の味はひ、淡く、微かに腥〔なまぐさ〕くして、佳なり。廣東[やぶちゃん注:「江東」の誤り。江戸を中心とした関東の意。]、未だ之れを見ず。海西、最も多し。故に煎茶の渣〔かす〕・柴〔しば〕の灰、䀋水〔えんすい〕に和して、之れを淹〔つ〕け、以つて東に送る』と云々。

「大和本草」に曰はく、『水母。泥海にあり。故に備前・筑後等より出づ。毒、無し。生なるを取り、くぬぎの葉を、多く、きざみ、くらげの内に包み、䀋を用ひず、木の葉をまじゑ、桶に入れ、ふたをおほひ、水を入れ、時々、水を、かゆる。久しくありて、敗〔くさ〕らず。水、なければ、やくる。「やくる」とは、枯れて食ふべからずなることなり』と。

「本草啓蒙」に曰はく、『松前には、大いさ三寸許りにして、紫色なる者あり』と。

按ずるに、一種、白色にして、内に紅紫、或いは藍紫色の大瓣の櫻の花形をなす者あり。

「閩中海錯疏〔びんちゆうかいさくそ〕」に曰はく、『水母』、『海中の浮漚〔ふおう〕、結ぶ所なり。色、正白、濛濛として沫〔あは〕のごとく、又、凝〔こ〕れる血のごとし。縱の廣さ數尺、知識は有るも、腹臟は無く、頭・目も無し。處々あり、人を避くることを知らず』と。『按ずるに、其の紅き者は「海蜇」と名づけ、其の白き者は「白皮子」と名づく。「事物紺珠」に曰はく、『水母仙、狀、凝れる血のごとく、大なる者、床〔とこ〕のごとく、次〔つ〕ぐは覆へる笠のごとく、斗〔ます/ひしやく〕のごとし。泛々〔はんぱん〕として水に隨ひ、上下す。頭・腹、無し』と。

按ずるに、此の物、群れをなし、海の潮に隨ひて行く。白色の松簟〔まつたけ〕の半開せる形のごとく、下に白色の大小の絲を引く。

〇セイクラゲ 水母線 「楊州畫舫錄〔ようしうぐわばうろく〕」に曰はく、『𩶱魚〔だぎよ〕、其れ、其の肉を割〔さ〕きて、蛇頭と曰ふ。其の裙〔ひれ〕は蛇皮と曰ふ』と。「廣博物志」に曰はく、『海曲。物、有り蛇公と名づく。形、覆蓮花のごとく、正白』と。「閩中海錯疏」に曰はく、『按ずるに、「類相感志」に云はく、『水母、大なる者は床のごとく、小なる者は斗のごとし』と。明州、之れを蝦鮓〔かさ〕と謂ふ。皮を切り、縷〔いと〕に作る。水母線と名づく』と。

唐久良介(トウクラゲ) 「海蜇」【「廣東新語」。】。一名朝鮮(テウセン)クラゲ【「山海名產圖會」。】「本朝食鑑」に曰はく、『一種、「唐海月」と云ふ者の有り。色、黃白、味、淡し。之れを嚼〔か〕みて、聲〔おと〕有り。亦、薑醋〔しやうがず〕・熬酒〔いりざけ〕に和して是れを進む。華より肥の長崎に傳へて來たる。本朝にも亦、之れを製す。其の法、浸すに石灰・礬水〔ばんすい〕を以つてして、其の血・汗を去る。則ち、色、變じて、白と作〔な〕る。重ねて之れを洗ひ、滌〔すす〕ぐ。若〔も〕し、石灰の毒を去らざれば、則ち、人を害す』と。「大和本草」に曰はく、『唐くらげあり。水母を白礬水を以つて制して、簾〔すだれ〕にひろげ、乾して、白くなりたるなり』と。

ミヅクラゲ 一名、ハゲクラゲ【紀州加太〔かだ〕浦の漁人、「沖はげ」を釣る餌に用ふ。故に名づく。】。ブツウクラゲ【「本草啓蒙」。防州旦村。】。ドウクハンクラゲ【同上。雲州。】。白皮子。「八閩通志〔はちびんつうし〕」に曰はく、『水母、淡き色の者、有り、白色の者、有り、其の白き者、白皮子と名づく』と。「本朝食鑑」に曰はく、『水海月と云ふ者、有り。色、白くして團を作〔な〕し、水の泡の凝結するがごとく、亦、絲絮〔しじよ〕を曳きて、魚・鰕、之れに附く。潮に隨ひて、飛ぶがごとし。漁人、之れを采〔と〕らず。謂ふ、「必ず、毒有り。又、毒、無き者、有れども、味はひ、好からず」と。江東にも亦、多く、之れ有り』と。「大和本草」に曰はく、『「ミヅクラゲ」は「クラゲ」に似たり。食すべからず。是れは泥海には生〔しやう〕ぜず』と。「本草啓蒙」に曰はく、『「ミヅクラゲ」。四つの黑㸃あり。即ち、足なり』と。按ずるに、白色の「クラゲ」なり。四つに黑㸃あるもの、又、一品なり。

フグ 「本草啓蒙」に曰はく、『土州〔どしふ〕羽根浦に「フグ」と云ふものあり。「ミヅクラゲ」に同じくして、中に鍼〔はり〕を藏〔かく〕す。若し、螫〔さ〕さるれば、甚だ、人を害す』と。

イラ 「本草啓蒙」に曰はく、『備前兒島及び勢州に「ミヅクラゲ」と、形狀、同じく、肌、滑かならずして、色、紅くして、血道〔けつだう〕のごときものあり。若し、誤りて此の物に觸るれば、蕁麻(イラクサ)に螫〔ささ〕れたるがごとし。薩州にて「イラ」と云ふ』と。按ずるに、水母類は、凡て、人の肌に觸るれば、螫〔さ〕し疼〔いた〕むものなり。

絲(イト)クラゲ【紀州】一名、サウメンクラゲ 洋中にあり、長き糸を引きたるごとし。白色、透明、素麪〔さうめん〕のごとし。又。人の肌に触るれば、螫す。南風〔はえ〕の時、多し。

ジユズクラゲ 長く糸を引きて、念珠のごとき者、相ひ連なれり。白色、透明なり。一種、一根〔いつこん〕より數条を分かち、房〔ふさ〕をなし、條〔じやう〕每〔ごと〕に圓〔まる〕き榧子〔かやのみ〕のごときもの、連なれる、あり。白色、透明なり。

ハナヒキクラゲ【紀州海士〔あま〕郡加太。】水母に同じくして、表に紫褐色、或いは醬褐色〔しやうかつしよく〕の荷葉〔はすのは〕の脉文〔みやくもん〕あり。

キンチヤククラゲ 形狀、荷包〔きんちやく〕に似て、長し。白色にして扁〔へん〕なり。半ばに、四、五分〔ぶ〕許りの穴あり。其の傍らより、長さ一尺許りの紐〔ひも〕、出でて、紙を一分餘りに斷ちて着〔つ〕くるがごとし。

西瓜(スイクワ)クラゲ 夏月に多し。西瓜の大いさにして、白色、淡藍色を帶ぶ。

 

[やぶちゃん注:非常に面倒なものとなることが事前に見えている種同定比定考証は後に回し、語釈をまず附す。なお、文中に附された「㋑」以下のそれは本書の編者が同類の中の個別種を見易くするするために附したもので、畔田の附したものではないので注意されたい。

 但し、最初にクラゲについて、是が非でも述べて置かねばならぬ、文学的民俗社会的な特異点がある。これは今まで何度か述べてきたのであるが、本邦の文学・史書に最初に現われる(比喩としてではある)最初の生物こそが、この「くらげ」であるという忘れられがちな事実なのである。ご存じのように、それは日本最古の史書であり、神話でもある「古事記」の、それもまさに冒頭に登場するという驚天動地の事実なのである。「古事記」本文の冒頭を引く。

   *

〇原文

天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御巢日神、次神巢日神。此三柱神者、竝獨神成坐而、隱身也。

次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神此神名以音、次天之常立神。訓常云登許、訓立云多知。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。

〇やぶちゃんの訓読

 天地(あめつち)の初めて發(おこ)りし時、高天(たかま)の原に成れる神の名(みな)は、天之御中主(あめのみなかぬし)の神。次に高御産巣日(たかみむすひ)の神。次に神産巣日(かみむすひ)の神。此の三柱(みはしら)の神は、竝(みな)、獨神(ひとりがみ)に成り坐(ま)して身を隱すなり。

 次に、國、稚(わか)く、浮かべる脂(あぶら)のごとくして、九羅下(くらげ)なす多陀用弊(ただよ)へる時、葦牙(あしかび)のごと、萌(も)え騰(あが)る物に因りて成れる神の名は、宇摩忘阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次に天之常立(あめのとこたち)の神。此の二柱(ふたはしら)の神も亦、獨神と成り坐(ま)して、身を隱すなり。

   *

語注しておくと、「獨神」とは、男女神のような単独では不完全なものではない相対的存在を超越した存在の意で、また、「身を隱す」というのは、天地の本質の中に溶融して一体となったことを意味すると、私は採っている。「葦牙」とは、生命の誕生の蠢動を象徴する春の葦の芽を指す。

 これを見ても分かる通り、日本神話に於いては、この地上の地面そのものが、カオスからコスモスの形態へと遷移する浮遊状態にあったそれを、「久羅下(くらげ)」に比しているのである。まさに――「くらげ」は日本に於いては原世界の開闢に於いて最初に神によって名指された最初の生物――である、と言ってよいのである。ことになるのである! 私は「古事記」を大いにしっかり授業でやるべきだと考えている(『扶桑社や「新しい歴史教科書」を編集している愚劣な輩へ告ぐ!!!』をも参照されたい)。それは、若者たちが、こういう博物学的な興味深い事実にこそ心打たれることが大切だと考えるからである。それは、強い神国としての日本をおぞましくも政治的に宣揚するためにではなく、自然と一体であった人類への回帰のために、である。

「本朝食鑑」「本朝食鑑」は医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書。「本草綱目」に依拠しながらも、独自の見解をも加え、魚貝類など、庶民の日常食品について和漢文で解説したものである。以上の引用部は、国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像の訓点に拠って訓読した。ここから(「卷之九 鱗之部三」)。これで「成」(×)→「曳」(〇)の誤りも発見した。以下でもこれを用いて訓読したが、比較すると判るが、畔田は細かい部分で、字を省略している。但し、問題なく原義と同義で読める部分は、特にここでは異同として掲げないので、各自で対照されたい。但し、私は既に「博物学古記録翻刻訳注 ■14 「本朝食鑑 第十二巻」に現われたる海月の記載」で全電子化注を終えているので、そちらを読まれた方が楽である。

「魚・鰕、相ひ隨ひ、其の泛〔うか〕べる沫〔あは〕を嘔〔す〕ふ」「泛〔うか〕べる沫〔あは〕」の部分は「本草食鑑」原本では『涎沫』となっている。これは「ゼンマツ」で「よだれ」の意である。「泛」でも、かく訓ずれば、躓かずに読めることは読める。「嘔〔す〕ふ」「嘔」には「歌う」や「養う・慈しみ育てる」の意があり、原本は「フ」を送っていることから、かく訓じた。これは観察の結果であるが、二様の可能性がある。則ち、小魚やエビが触手に捕捉されて食われているのを誤認した可能性が一つ、逆に触手毒に耐性を持ち、傘や触手間に寄り添って、外敵から身を守っている可能性が一つである。ある種のクラゲの傘や触手には、蚤か虱のように小型のエビ、或いは似た仲間である節足動物が寄生していることが有意にあることが知られており、条鰭綱スズキ目エボシダイ科エボシダイ属エボシダイ Nomeus gronovii の稚魚や幼魚が、強毒性のヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ属カツオノエボシ Physalia physalis などの触手の間で生活していることも有名である(これは現在、エボシダイがカツオノエボシの刺胞の毒に耐性を持つことが知られている。但し、そこでは時にエボシダイがクラゲの体の一部を食べたり、逆にクラゲがエボシダイを搦めとって食べる事例もある)からである。

「大和本草」貝原益軒のその水族の部は、先般、総ての電子化注を終えている。以上の引用部は「大和本草卷之十三 魚之下 水母(くらげ) (杜撰なクラゲ総論)」で電子化注してある。以下もそこで私が施した訓読を参考にした。

「本草啓蒙」「本草綱目啓蒙」。江戸後期の本草学研究書。享和三(一八〇三)年刊。本草学者小野蘭山の、「本草綱目」についての口授「本草紀聞」を、孫と門人が整理したもの。引用に自説を加え、方言名も記してある。以上は弘化四(一八四七)刊の「重訂本草綱目啓蒙」原本は国立国会図書館デジタルコレクションのここから始まる「海䖳 クラゲ」(巻之四十の「鱗之四」)であるが、引用部はここの三~四行目の一文だけである。なお、続く、以下の文は畔田の文章として独立させた。なお、以下に出る部分も上の原本で確認した。

「閩中海錯疏」明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書。一五九六年成立。中国の「維基文庫」のこちらで全文が正字で電子化されている。また、本邦の「漢籍リポジトリ」でも分割で全文が電子化されており、当該の「中卷」はこちらである。但し、引用は部分的で、名義標題は『水母』で、冒頭の『水母。一名、鮀。一名、鮓』がカットされており、引用の後の部分は以下が続く(太字は私が施した)。

   *

隨其東西。以蝦爲目無蝦、則浮沈不常、蝦憑之。其汎水如飛、蝦見人驚去、鮀亦隨之而沒、潮退蝦棄之於陸、故爲人所獲。○「本草」謂、『水母爲樗蒲魚』。「北戶錄」謂、『水母爲蚱。一名石鏡。南人治而食之。性熱、偏療河魚疾也【「補疏」。】。按、「物類相感志」云、『水母大者如牀、小者如斗。明州謂之蝦鮓。其紅者名海蜇、其白者名白皮。子皮切作縷。名水母線』。「嶺表異錄」云、『淡紫色、大者如覆帽、小者如碗、腹下有物如懸絮』。

   *

とある。「知識は有るも」(「何らかの対象認知の感覚的機序はあるが」の意か)など、出現しない部分があるのは不審。版本が異なるか? 後で「本朝食鑑」の引用に出るが、クラゲには目がなく、エビがその目の代わりをするという共生行動(しかし、中途半端で、引潮になると、クラゲを見捨てるためにクラゲは人に捕獲されるとある)を記しているのが面白いが、畔田のそれは、不全な引用である。本文にも出る「海蜇」(カイテツ)の「蜇」は「刺す」で、現代中国語でも「蜂などが刺す」以外に、単漢字でも「クラゲ」を刺す、基、指す。

「浮漚」浮いた泡。

「腹臟」原文は「腹髒」(音「フクザウ(フクゾウ)」)であるが、「髒」は「汚ない腸(はらわた)」で「臟」に同じい。

「事物紺珠」は明の黄一正撰で一〇六四年成立。「閩中海錯疏」では「物類相感志」であるが、それはかの宋の名詩人蘇軾の記した博物誌的一著であるものの、原本を縦覧したところ、このような記載はないので、畔田が補正したものと考えられた。かなり手間取ったが、英文サイトのデジタル・アーカイブ「The Library of Congress」の画像で同書「第三十九」の「鱗部」の「無鱗小魚」のここに発見した(左頁の主罫六行目)。

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水母仙【又名䖳加《音姹》】名樗蒲魚名𧓳名海靻、槎潮、石鏡。海蜇、鮓魚、狀如凝血大者如床次如覆笠如斗泛泛隨水上下無頭腹以鰕爲目鰕動䖳沉

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「泛々」浮かび漂うさま。

「楊州畫舫錄」(ようしゅうがぼうろく)は清の旅行家李斗の撰になる、三十年余の間に見聴きしたしたものを集成した揚州の見聞録。一七九五年刊。早稲田大学図書館「古典総合データベース」にある原本を調べたところ、「卷一」のここに見つけた。「淮南魚」で始まる部分の中に出現する。関係のありそうな部分まで引く。

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海魚割其翼曰魚翅、䖳魚割其肉曰䖳蛇頭、其裙曰䖳皮。石首春產於江、秋產於海、故狼山以下人家、八月頓頓食黃魚也。風乾其䖳曰膘、木經需之以聯物者、取魫甫曰※[やぶちゃん注:「月」+「責」。]、以鹽冰之曰醃魚子、凡此皆行貨也。

   *

「廣博物志」明の董斯張(とうしちょう)の撰になる、古今の書物などから不思議な話を纏めたもの。全五十巻。国立国会図書館デジタルコレクションの原本の、最後の「五十卷」のここに見つけた。右頁の四行目。

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海曲有物名蛇公形如覆蓮花一正白

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最後に割注で『並上』とあり、これは前に出る出典「異苑」を指す。「異苑」は六朝時代の宋の劉敬叔の著志怪小説集であるが、現存するそれは明代の胡震亨によって編集し直されたもので、原著とは異なっていると考えられている。

「覆蓮花」は蓮の花で覆われたような様態を指す。

「廣東新語」清初の屈大均(一六三五年~一六九五年)撰になる、広東に於ける天文・地理・経済・物産・人物・風俗などを記す。「広東通志」の不足を補ったもの。全二十八巻。早稲田大学図書館の「古典総合データベース」の原本のここ。但し、ここは文脈では『乾せる者を海蜇と曰ふ』となっとるぜよ、畔田どん!

「山海名產圖會」「日本山海名產圖會」。江戸時代の物産図会。全五巻。蔀(しとみ)関月画。木村蒹葭堂(けんかどう)序。撰者は蒹葭堂ともいうが、不詳。先行する「日本山海名物図会」の再板(寛政九(一七九七)年)の後を受けて、寛政十二年に大阪の塩屋長兵衛を板元として刊行された。本邦各国の農林水産・酒造・陶器・織物などを図説したもの。同前早稲田大学図書館「古典総合データベース」の、巻之五の「備前水母」、原本のこの一行目に出る。

「熬酒〔いりざけ〕」二種あり、①酒を煮立ててアルコール分を飛ばしたもので調味用に用いるもの。②酒に醤油・鰹節・梅干しなどを入れて煮詰めたもので、刺身・酢の物などの調味料として用いる。ここは②の意であろう。

「華」中華。中国。

「肥」肥前。

「礬水〔ばんすい〕」白礬水。天然明礬(みょうばん:カリ明礬石から製する)を温水に溶かして冷やしたもの。

「加太浦」現在の和歌山県和歌山市加太の加太湾及び加太沿岸(グーグル・マップ・データ)。

「沖ハゲ」顎口上綱硬骨魚綱条鰭亜綱新鰭区刺鰭上目スズキ系フグ目モンガラカワハギ亜目モンガラカワハギ科オキハギ属オキハギ Abalistes stellatus のことか? ウィキの「モンガラカワハギ科(Balistidae)によれば、『モンガラカワハギ科の魚類は』『一般に昼行性で、硬い殻をもつ貝類や棘皮動物などを含めたさまざまな無脊椎動物を捕食する。本科魚類の歯の形状は獲物をかじりとるよりも』、『噛み砕くことに適応しているものの、ナメモンガラ属など藻類や動物プランクトンを主に食べるグループも存在する』とあり、クラゲも食いそうだ。そもそもがクラゲ食はあたかもオサガメとマンボウの専売特許のように考えられてきたのは大間違いで、実は多様な海棲生物の餌として非常に重要な地位を持っているのである。「朝日新聞」の「GLOBE+」の「研究でわかったクラゲの人気度 海ではみんなの大好物だった」を読まれたいが、ゼラチン質のクラゲは平均すると九十五%が水分で、コップ一杯分の生きたクラゲから得られるエネルギー価は五キロカロリーでしかない。コップ一杯のセロリの三分の一だとしつつ、『クラゲを食物網』(嘗ては食物連鎖を生物(食物)ピラミッドと呼んでいたが、それは単純に階層的ではなく、網の目のように複雑に繋がっていることから、今はこう表現するのがより正確となった)『の最末端とする見方は間違った認識であることが浮かび上がってきた。マグロ類からペンギンまで、多くの種がクラゲを捕食しているのだ。「調べれば調べるほど、多くの動物がクラゲをエサにしていることがわか」ってきたとあるので、ミズクラゲを餌にしてもおかしくも何ともないのである。大体からして、マンボウはフグ目フグ亜目マンボウ科マンボウ属マンボウ Mola mola で、同じフグ目だし、以前にモンガラカワハギ科 Balistidae 然とした南方の魚が、巨大なクラゲ(種は忘れた)をガンガン突いて食っている画像をテレビで見たことがあるのだ。

「ブツウクラゲ」「本草綱目啓蒙」(ここの一行目)では『ブツウクラゲ』となっているから、「ぶっつうくらげ」(漢字表記や意味は不明。このようなミズクラゲの異名を私は聴いたことがない)である。但し、畔田は紀州藩藩医であるから、蘭山より彼の方が信頼出来ると思うのだが、如何せん、「」を現代口語で表記出来ない。「ぶつーくらげ」か? 判らん!

「防州旦村」山口市阿知須旦(あじすたん)か(Geoshapeリポジトリ)。或いはその東の旧山口県厚狭郡沖ノ旦村か(グーグル・マップ・データ)。

「雲州」出雲国。

「八閩通志〔はちびんつうし〕」明の黄仲昭の編になる福建省の地誌。福建省は宋代に福州・建州・泉州・漳州・汀州・南剣州の六州と邵武・興化の二郡に分かれていたことから、かくも称される。一四九〇年跋。全八十七巻。但し、「中國哲學書電子化計劃」で調べると、この文字列(特に大事な「白皮子」という異名)が見当たらない。版本が違うか。

「絲絮〔しじよ〕」生糸と綿。ここは無論、「のような物」という隠喩。

「土州」土佐国。

「羽根浦」現在の高知県羽根町(はねちょう)甲及び乙の沿岸部であろう。

『「フグ」と云ふものあり』「本草綱目啓蒙」にはここの直後に割注して、『河豚ノ方言フクと云』と記している。思うに、蘭山は魚のフグの毒の意をこのクラゲに喩えた命名と考えたもののようである。

「勢州」伊勢国。

「血道〔けつだう〕」血管のような脈筋のあることを言っている。

「蕁麻(イラクサ)」マンサク亜綱イラクサ目イラクサ科イラクサ属イラクサ Urtica thunbergianaウィキの「イラクサ」によれば、『茎や葉の表面には毛のようなトゲがある。そのトゲの基部にはアセチルコリン』(Acetylcholine)『とヒスタミン』(Histamine)『を含んだ液体の入った嚢があり、トゲに触れ』、『その嚢が破れて皮膚につくと』、『強い痛みがある。死亡することはないが、皮膚炎を発症することがある』とある。私も先週、左腕肘をやられた。

「薩州」薩摩国。

「南風〔はえ〕」南から吹く風。特に夏の風について言い、漁師は、これが吹くと、雨が降り、海が荒れると予知するのを常とする。

「榧子〔かやのみ〕」裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera の実。

「海士〔あま〕郡」紀伊国海部(あま)郡の誤り。

「醬褐色〔しやうかつしよく〕」見慣れない色名だが、意味は分かる。因みにネットでは陶磁器の専門家の解説で一箇所、掛かった。焼き物に使用する原料の土(胎土)の色を指して言っていた。まあ、暗褐色のやや明るいものととればよかろう。

「荷葉〔はすのは〕の脉文〔みやくもん〕」ハスの葉の葉脈のような紋様のこと。

四、五分〔ぶ〕」一分は三ミリメートルであるから、一・二~一・五センチメートル。

四、五分〔ぶ〕」一分は三ミリメートルであるから、一・二~一・五センチメートル。

 

 以下、挙げられたクラゲ類の同定比定を試みる。但し、それぞれの本草学者によって、名指しているクラゲが大いに異なる部分があることが、既にここまで一緒に見てきた読者の方にはお判り戴けているものと思う。されば、この同定は物によっては甚だ困難であることを最初に断っておかねばならないのである。

 

 まず、順に頭の総論部から見る。この「クラゲ 水母 海月」は、まず、刺胞動物門 Cnidaria ヒドロ虫綱 Hydrozoa

花水母(ハナクラゲ・無鞘)目 Anthomedusae

軟水母(ヤワクラゲ・有鞘)目 Leptomedusae

硬水母(カタクラゲ)目 Trachymedusae

剛水母(コワクラゲ)目 Narcomedusae

レングクラゲ目 Laingiomedusae

淡水水母目 Limnomedusae

アクチヌラ目 Actinulidae

管水母目 Siphonophorae

に属する種群と(淡水水母目には海産もいる。後で出す。嘗てはよく知られたギンカクラゲ科ギンカクラゲ属ギンカクラゲ Porpita porpita や、ギンカクラゲ科カツオノカンムリ属カツオノカンムリ Velella velella が含まれていた盤クラゲ目 Chondrophora があったが、ギンカクラゲ科 Porpitidae は現在は花水母目に編入されている)、

箱虫綱 Cubozoa の、

アンドンクラゲ目 Carybdeida

(個人的には、奄美諸島以南に棲息する強毒性のネッタイアンドンクラゲ科ハブクラゲ属ハブクラゲ Chironex yamaguchii を含む種群を、ネッタイアンドンクラゲ目 Chirodropida として目の中に立項する説があるのでそれも加えたいが、時代が江戸末期であるから棲息域から考えて畔田の知見の範疇外で無理がある)及び、

十文字クラゲ綱 Staurozoa

(但し、十文字クラゲ綱の種群はクラゲ型形態を成しながら、傘の頂部から生えた柄の先端で海藻や岩などに付着して生活する底在性クラゲであるため、畔田が仮に現認していたとしても、「クラゲ」としては認識しなかった可能性が極めて高い。なお、十文字クラゲ類は嘗ては鉢虫綱に含まれていたが、現在は綱として独立している)と、

鉢虫綱 Scyphozoa の、

冠(かんむり)クラゲ目 Coronatae

旗口(はたぐち)クラゲ(水クラゲ)目 Semaeostomeae

根口(ねくち)クラゲ(備前クラゲ)目 Rhizostomeae

(これ以外に羽(はね)クラゲ目 Pteromedusae を立項する説もあるようだが、私自身が個体自体をよく知らないことと、データシステム「BISMaL」(Biological Information System for Marine Life)のツリーで、プラヌラクラゲ科 Tetraplatiidae は剛クラゲ目に分類されていることから、挙げない)に含まれるものを指していると考えてよかろう。但し、クラゲによく似ているが、縁の遠い、刺胞を持たない有櫛(ゆうしつ)動物のクシクラゲ類(但し、フウセンクラゲ目フウセンクラゲモドキ科フウセンクラゲモドキ属フウセンクラゲモドキ Haeckelia rubra を除く。フウセンクラゲモドキは真正のクラゲ類を摂餌し、その刺胞をミノウミウシのように発射させずに、そのまま体内に蓄えて利用するという「盜刺胞」を行うからである)有櫛動物門 Ctenophora の、

無触手綱 Nuda ウリクラゲ目Beroida

及び、有触手綱 Tentaculata の、

フウセンクラゲ目 Cydippida

カブトクラゲ目 Lobata

ミナミカブトクラゲ目 Ganeshida

オビクラゲ目 Cestida

クシヒラムシ目 Platyctenida

カメンクラゲ目 Thalassocalycida

と、同様に、形態上、やはりクラゲと間違える可能性の高い、クラゲとは全く無縁の脊索動物門 Chordata 尾索動物亜門 Urochordata タリア綱 Thaliacea の中の、

ウミタル目 Doliolida

サルパ目 Salpida

も挙げておかねばならぬ。畔田の掲げるものは概ね「刺す」とあるのだが、叙述の中には私には、その形状がウミタル目ウミタル科 Doliolidae の種の中・大型個体や、サルパ目サルパ科 Salpidae の一メートルを超えるような連鎖群体に似ているものがあるように思われるからである。私でさえ、青森の仏ヶ浦で恐らくはトリトンウミタル Dolioletta tritonis ではないかと思われる大型のウミタルを多数、タイド・プール内に見たことがあり、沖に出る漁師ならば、サルパの連鎖個体やウミタルを見たことがあるに違いないと思われるからである。最後に言っておくと、そもそもがクラゲの和名は時代や地方によって著しい違いがあり、同じ名前でも異種を指したりすることが、現在でもままあって、同定は至難の技である。荒俣宏氏も「世界第博物図鑑」の別巻2の「水生無脊椎動物」(一九九四年平凡社刊)の「クラゲ」の項で(ピリオド・コンマを句読点に代えさせて貰った)、

   《引用開始》

 ところで、クラゲ個々の和名は種の同定が難しい。たとえば神奈川県の三崎の漁師は、東京湾の漁師と同じように、有櫛動物門に属するクシクラゲのことをミズクラゲとよぶ。ただしクシクラゲのなかまのウリクラゲ属は、とくにタルクラゲという。また学者がミズクラゲ Aurelia aurita と称する種は、モチクラゲとよぶそうだ(《動物学雑詰》第356号〈犬正7年6月〉)。

 佐賀県東松浦郡の呼子地方の漁民は、タコクラゲ Mastigias papua のことをイラとよんで、ひじょうに恐れる。一説にこの名の起こりは、タコクラゲに剌されるととても痛くて、いらいらするからだという(服部捨太郎〈佐賀県ニ於ケル食用くらげ〉《動物学雑誌》第59号〈明治26年9月〉)。なおこのイラという名は、地方によってはカツオノエボシを指す。

 北海道屈斜路地方の住民は、クラゲのことを〈クジラの鼻水[やぶちゃん注:ここに二行書きで『フンペ・エトロ』とアイヌ語を記す。]〉とよび、これが目の中にはいると失明すると信じていた(更科源蔵・更科光《コタン生物記》)。

   《引用終了》

とある。ただ――ちょっと口幅ったいのだが――この佐賀呼子地方の「タコクラゲ」というのは、本当に同種タコクラゲ Mastigias papua を指しているのだろうか? 私は幼少の頃からタコクラゲの刺胞毒は弱いと信じてきた(実際に触れたことはない)し、私の所持する専門家の書いた複数の本を見ても、刺胞毒はミズクラゲと同程度に弱いレベルとし、大抵の人は痛みを感じないと書かれてある(無論、ミズクラゲを含めて個人差があり、実際に中学時代、友人がミズクラゲをある知人の背中に悪戯でむちゃくちゃに押しつけたところ、真っ赤になって腫れあがった、と証言しており、ウィキの「ミズクラゲ」にも、『刺胞を持つが、刺されてもほとんど痛みを感じることはない。ただし、遊泳中に皮膚の角質の薄い顔面にふれたときに、人によっては多少の痛みを感じる。最近の研究によれば、ザリガニに対する毒性試験で』本邦最悪の『猛毒のハブクラゲ』(過去に確認されただけで三件のハブクラゲに刺されて亡くなったとする例がある。アナフラキシー・ショックもさることながら、刺毒によるのではなく、意識喪失で溺死したケースを数えていない可能性もあろうか)の四分の一『程度の毒を持っているとされ、分子量』四万三千の『酸性タンパク質が毒性物質の主成分と考えられ』ているとある)。しかし、呼子地方の漁師が全体に「タコクラゲ」を恐れるというのは、ちょっと解せないのである。或いは、別な強毒を持つクラゲをこう呼んでいるのではなかろうか? タコは足のシミュラクラ(真正のタコクラゲという和名はそれ)ではなくて、触手や刺胞がビタッ! と体に蛸の吸盤のように張り付くように感じられるの謂いはなかろうか? それと、この異名の「イラ」も気になる。私はこの名からは一番に鉢虫綱冠クラゲ目エフィラクラゲ科イラモ Stephanoscyphus racemosum を想起するからである。但し、彼らはクラゲとは認識されていない。「公益財団法人 黒潮生物研究所」のこちらを見られたいが、底在性で岩などにあたかもブロッコリーのような形で群体を成す。群体の直径は十センチメートルほどだが、二十 センチメートルを『超えることもある』。『各ポリプはキチン質の棲管に包まれている。ひとたび触れると』、『チクチクとした痛みとともに水膨れになり、火傷のような痕が残ることもある。浅場の岩礁上で見つかることが多いが、磯だまりにいることもあり、うっかり触らないよう注意が必要である』とあるそれだ。このポリプは荒波などによって引き剥がれて漂い、知らないうちに吸着されて、刺されこともままあるようである。また、私はそれとは別に、「イラ」という語から連想する別種がいる。ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目ボウズニラ科ボウズニラ属ボウズニラ Rhizophysa eysenhardtii である。ウィキの「ボウズニラ」によれば、『カツオノエボシなどと同様の、群体性の浮遊性ヒドロ虫で』、『暖海性で春に見られる』。『一般にはクラゲとされるが』、『その体は複数のポリプから構成され、クラゲの傘にあたる位置の気泡体から幹群をもった細長い幹が出、触手、対になった栄養体とその間から生えた生殖体叢からなる』『気胞体は高さ』十~十七ミリメートル、幅五~九ミリメートル、伸縮性に富む幹は三センチメートルから数メートル『まで伸縮する。種名の「ボウズ」は坊主頭に似た気泡体に、「ニラ」は魚や植物の棘を意味する「イラ」の訛に由来する』。『毒性はとても強く、漁師などが網を引き揚げるとき、本種などの被害を受けている』とある。私は現認したことはないものの、高校時代、非常に尊敬していたフィールド・ワーク好きの生物の教師が、「ボウズニラだけはおとろしい!」と真剣な目つきで仰っていたのを思い出す。学名画像検索はこれで、学名で動画検索すると、複数、見つかる。妖精染みた奇体な魔性の物である。ご覧あれ。こうして書いているうちに、私は呼子の漁師が恐れているのは、ボウズニラではなかろうかという気がしてきている。

『其の最も厚き者は「海月の頭〔かしら〕」と爲す』これは、まず、大型になるクラゲの筆頭である

鉢虫綱根口クラゲ目ビゼンクラゲ科エチゼンクラゲ属エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai

を筆頭に挙げねばなるまい。本邦では主に東シナ海から日本海にかけて分布し、実に最大個体では傘の直が二メートル、湿重量は百五十キログラにも達する。古くは瀬戸内海に有意に入り込んでいたものか備前国(岡山県)を産地としたことに和名は由来する(但し、私は実はそれは以下のビゼンクラゲを指していたのではないかと秘かに思っている)。次いで、その近縁種である、

ビゼンクラゲ科ビゼンクラゲ属ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta

も候補とはなる。こちらは本邦では主に有明海と瀬戸内海に棲息し、和名は古くは吉備の穴海(現在の岡山県岡山市の児島湾に相当する内海)が名産地であったことから「備前水母」と呼ばれる。両種は関東では見ず、西日本で最も多く見られる、という叙述とも完全に一致し、その形状はまさに巨大な大脳のようで、文字通り、「水母の頭」に相応しい。なお、近年、有明海産のビゼンクラゲは他の海域のものと別種の可能性が浮上してきており、現在、研究が進められていることを言い添えておく。

『「大和本草」に曰はく、『水母。泥海にあり。故に備前・筑後等より出づ。毒、無し。生なるを取り、くぬぎの葉を、多く、きざみ、くらげの内に包み、䀋を用ひず、木の葉をまじゑ、桶に入れ、ふたをおほひ、水を入れ、時々、水を、かゆる。久しくありて、敗〔くさ〕らず。水、なければ、やくる。「やくる」とは、枯れて食ふべからずなることなり』』と益軒が記すクラゲは、「備前・筑後」産とすることから、先に挙げたビゼンクラゲ・エチゼンクラゲと読めるのだが、益軒は食用クラゲ加工をする対象物として記しており、両者ともに古くから中華用食材とされてきたものの、本邦では後者エチゼンクラゲの食用加工の歴史がないので、益軒の在留地福岡藩からも、これは前者ビゼンクラゲのみを指すと考えるべきところである。

『「本草啓蒙」に曰はく、『松前には、大いさ三寸許りにして、紫色なる者あり』』紫色のクラゲは南方に棲息する種に有意にいるが、松前となると、ちょっと首を傾げる。北方クラゲは概ね白か透明なものが多いからである。古典で言う「紫」は青に傾いたものであった可能性が高く、この「紫」も青紫系統に広げて問題はあるまい。さて、叙述が痩せていて困るが、ここではその水母の大きさを九センチメートルほどとしている点に着目する。わざわざかくも小さなクラゲを記載するのは、それが、特異な形状或いは注意すべきクラゲだからではないか? と措定すれば、これは強毒性の、

ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目カツオノエボシ科カツオノエボシ属カツオノエボシ Physalia physalis の気泡体(浮袋)

が直ちに想起出来る。彼らは触手体まで入れると、恐るべき長さ(触手体の平均の長さは十メートルで、長いものでは約五十メートルにも達するものもあるという。一般には気泡体を見つけたら、周囲に二十メートルは危険という漁師の話を聴いたことがある)であるが、気泡体の打ち上げられたものは、圧倒的に青いごく小さな風船のように見え、諸図鑑でも概ね青色や藍色とするが、洋上を漂っている生時の大型個体の中には、実はかなり毒々しい青紫や赤紫の烏帽子の辺縁を持つ個体が有意にいるのである。同種は本邦では本州の太平洋湾岸でよく見られるから、海流に乗って、関門海峡を抜けて松前沖に出現してもおかしくはない。なお、打ち上がって死んで乾いた(彼らは機能が完全に分化した群体であるから何を以って死というかは難しい)ものでも、刺胞機能や毒性は物理的に有効であって、極めて危険である。三十数年前、鎌倉への遠足で由比ヶ浜で生徒を待っていたところ、遠くで別の学校の生徒が倒れており、救急車で運ばれるのを見た。翌日の新聞で、強風で吹き寄せられた小さなカツオノエボシを不用意に触れた結果であったことを知った。また、その後、沖縄修学旅行の際、イノー(沖縄方言で珊瑚礁に囲まれた浅い海「礁池(しょうち)」を指す)観察の指導中に、生徒が「先生、これ何?」と枝で掬った青いそ奴を目の前に突き出された時には、流石の渡しも胆が冷えたのを思い出す。無論、それがカツオノエボシであり、その毒が如何に強烈かを先の由比ヶ浜の例を述べて懇切丁寧に教えたことは言うまでもない。その生徒はまさに「青」くなって、そ奴を海の方へ放り出した。

「一種、白色にして、内に紅紫、或いは藍紫色の大瓣の櫻の花形をなす者あり」この畔田の謂いに最も当てはまりそうなものは、一つ、

鉢虫綱旗口クラゲ目ユウレイクラゲ科キタユウレイクラゲ Cyanea capillata

であろうか。傘の下方内部や触手が有意に赤みを帯び(全体は白い)、傘の辺縁が十六の縁弁に別れて花びらのように見え、下方から傘の下を見ると、触手の基部が白い花模様にも確かに見える。北方種で本邦では北海道周辺で見られ、大きくても傘の直径は三十センチメートルほどであるが、バルチック海にいるそれは、傘径二・五メートルにもなる巨大個体がいると、参考にしている書籍の一つ、並河洋・楚山勇著「クラゲガイドブック」(二〇〇〇年TBSブリタニカ刊)に書かれていた。

「凝〔こ〕れる血のごとし。縱の廣さ數尺」「閩中海錯疏」のこの部分は、恐らく、

鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ Chrysaora pacifica

を指していると当初は読んだ(同種は後の叙述にも頻繁に出ると思っている)。毒性の強い種として知られる。ウィキの「アカクラゲ」によれば、『放射状の褐色の縞模様が』十六『本走った直径』九~十五センチメートル『ほどの傘と、各』八『分画から』五~七『本ずつ、合計で』四十から五十六本の触手が伸び、その長さは二メートル以上に及ぶ。『北方性の近縁種』キタノアカクラゲ『Chrysaora melanaster も傘に同様の縞模様があるが、こちらは触手が』二十四『本しか無いことから区別できる』。『触手の刺胞毒は強く、刺されるとかなり強い痛みを感じる』。『このクラゲが乾燥すると毒をもった刺糸が舞い上がり、これが人の鼻に入ると』、『くしゃみを引き起こすため、「ハクションクラゲ」という別名を持つ』。『これに目をつけた戦国武将真田信繁(幸村)が、粉にしたアカクラゲを敵に投げつけ、くしゃみを連発させて困らせたという逸話があり、「サナダクラゲ」と呼ばれることもある』とある。しかし、以下を見ると、「紅き者」以下、「凝れる血のごとく、大なる者、床〔とこ〕のごとく、次〔つ〕ぐは覆へる笠のごとく、斗〔ひしやく〕のごとし」と続いており、以下に示す通り、先に掲げた、

ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta

の可能性の方に分(ぶ)がありそうである。

『其の紅き者は「海蜇」と名づけ』これは同前のアカクラゲではなく、先に示した、ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta

を指す。同種は本体は薄い灰色であるが、垂れ下がる大きく肥厚した口腕部が紅い。九州北部の有明海沿岸では今も昔も「あかくらげ」(赤水母)と呼称している。中文の「維基文庫」の「海蜇」を見られたい。なお、そこでは学名を Rhopilema esculentum としているが、これはビゼンクラゲのシノニム(synonym)である。

「白皮子」現代中国語では広くクラゲを指す語のようである。

「水母仙」これも以下の叙述から、ビゼンクラゲを最大とする広義のクラゲの意のようである。但し、似た中文名に「仙后水母」があり、これは、

鉢虫綱根口クラゲ目サカサクラゲ科サカサクラゲ属サカサクラゲ Cassiopea ornata

であることがこの中文サイトで判明した(画像有り)。「水族志」本文では私の好きなサカサクラゲちゃんが出ないので、取り敢えず、幸い!

「白色の松簟〔まつたけ〕の半開せる形のごとく、下に白色の大小の絲を引く」これも種同定は出来ない。それではないという排除比定なら出来るが、流石にそれは私自身も徒労と考えるので、やりたくない。悪しからず。

「〇セイクラゲ 水母線」「𩶱魚」「海曲」「蛇公」「蝦鮓〔かさ〕」これは、「其れ、其の肉を割〔さ〕きて、蛇頭と曰ふ。其の裙〔ひれ〕は蛇皮と曰ふ」とか、「皮を切り、縷〔いと〕に作る」とあるからには、明らかに中華食材の「クラゲ」の加工法を記しているととれる。されば、やはり、

エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai

或いは、

ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta

を指していると考えてよい。先に示した荒俣氏の「クラゲ」には、『博物学者の上野益三は』、『中国で一般にクラゲといったばあい』、『ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta も混ざってはいるが』、『その主体はエチゼンクラゲ Nemopilema nomurai だとしている』とあるので、先に言ったように、本邦では食用加工の歴史がないエチゼンクラゲの幼体から成体までの謂いでとって差別化することにする。因みに「水母線」というのは、長い触手ではなく、細く千切りして食すクラゲの謂いのような気がしてきた。だから、畔田は食品として「〇」を頭に打ったのではないか? さすれば、「セイクラゲ」は「製水母」か? いやいやむくむくもっこりと成長するから「勢水母」(「勢」は男根の意)か? 判らぬ。調査は続行する。実は、つい最近、箱虫綱アンドンクラゲ目アンドンクラゲ科アンドンクラゲ属アンドンクラゲ Carybdea brevipedalia と考えられてきた立方クラゲ類の一種が別種として認定され、箱虫綱ネッタイアンドンクラゲ目ヒサシリッポウクラゲ科リュウセイクラゲ属リュウセイクラゲ Meteorona kishinouyei Toshino, Miyake & Shibata,2015 と別種になっている。鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」のこちらで写真が見られる。しかし、この和名は「流星海月」「流星水母」とあるので、関連は低そうだ。「星水母」はありそうだが、その場合、「ホシクラゲ」と読みそうだ。勿論、小学館「日本国語大辞典」にも出ない。

「㋑唐久良介(トウクラゲ)」「朝鮮(テウセン)クラゲ」「華より肥の長崎に傳へて來たる。本朝にも亦、之れを製す」とあるから、先の荒俣氏に引用した上野氏に言に従うなら、送られてきた中国(清)製の加工された「中華くらげ」の原料は、ビゼンクラゲ Rhopilema esculenta で、日本で製した日本製の食用加品工「くらげ」の原料は、エチゼンクラゲ Nemopilema nomurai ということになる。先に示した「日本山海名產圖會」の、巻之五の「備前水母」の記載からもそれが証明される。しかし、何だ! 畔田を褒めて損した。これも厳密に考えれば、種の名ではなくて、加工した「中華くらげ」じゃんか! 糞!

「㋺ミヅクラゲ 一名、ハゲクラゲ」「ブツウクラゲ」「ドウクハンクラゲ」「白皮子」「水海月」これは、最後の『「本草啓蒙」に曰はく、『「ミヅクラゲ」。四つの黑㸃あり。即ち、足なり』と。按ずるに、白色の「クラゲ」なり。四つに黑㸃あるもの、又、一品なり』が決定打。流石は蘭山だ。

鉢虫綱旗口クラゲ目ミズクラゲ科ミズクラゲ属ミズクラゲ タイプ種 Aurelia aurita

で決まりだ。しかし、あれは足じゃない。生殖腺だ。そこから別名「ヨツメクラゲ」とも呼ばれるのである。

「必ず、毒り。又、毒、無き者、有れども、味はひ、好からず」いやぁ、ミズクラゲを食ったという報告は知らないなぁ。どこかの水産学者が加工したりしても何ら人間の役にたつものに変えることは出来ないと言っていたが、ヒドロ虫綱軟クラゲ目オワンクラゲ科オワンクラゲ属オワンクラゲ Aequorea coerulescens の発光機序の応用や、クラゲやイソギンチャクの猛毒が病原菌や癌細胞といった異物の攻撃に利用されていることを考えれば、何かの役には立つだろう。でなくても、前に述べた通り、多くの海産生物の重要な食物であるわけで、生きていても害こそ起こしこそすれ、何の値打ちもない私を含めた多くの人類に比べれば、生態系の重要な盤石とも言えるのである。

「㋩フグ」『「ミヅクラゲ」に同じくして、中に鍼〔はり〕を藏〔かく〕す。若し、螫〔さ〕さるれば、甚だ、人を害す』とあることから、ミズクラゲのように透明であること、その刺胞毒が強烈であること、の二点からは、

箱虫綱アンドンクラゲ目アンドンクラゲ科アンドンクラゲ属アンドンクラゲ Carybdea brevipedalia

と踏んだ。ウィキの「アンドンクラゲ」によれば(下線太字は私が附した)、『本種はカツオノエボシと共に電気クラゲと呼ばれて嫌われている種である。人が刺されると』、『激痛を感じ、患部はミミズ腫れのようになる。殆どの場合において大事には至らないが、その痛みの強さから、一度でも刺されると印象に残りやすい。体が透明で海水に透けて非常に見えにくいため、気づいた時には刺されているというケースも多く、海水浴やダイビングでの要注意動物とされている。本種が群れを成して押し寄せた場合、海水浴場が閉鎖される事もある』。『お盆以降の海水浴を避けた方が良いと言われる理由の一つとして、本種の存在が挙げられる』。『九州地方では本種を「イラ」と呼ぶことがある。これは人を刺して痛い思いをさせる本種を植物の棘になぞらえた呼び名である』。『また、神奈川県の地域では「イセラ」と呼ばれることもある』とある。「殺人クラゲ」として悪名高い、インド洋南部からオーストラリア近海に棲息するとされる、箱虫綱ネッタイアンドンクラゲ目ネッタイアンドンクラゲ科ハブクラゲ属キロネックス・フレッケリ(オーストラリアウンバチクラゲ) Chironex fleckeri は近縁種である(どうもこの和名は気に入らない。「海蜂(うんばち)」は花虫綱六放サンゴ亜綱イソギンチャク目カザリイソギンチャク科ウンバチイソギンチャク Phyllodiscus semoni の方が元祖でしょうが!)。因みに、幼い頃に愛読していた図鑑には、「電気クラゲ」はアンドンクラゲで、カツオノエボシは「電気クラゲ」ではない、という訳知り顔の記載があったが、六十三の今になっても、あれを書いた奴を私は告発したいと思っている。ビリビリきて蚯蚓腫れを起こす奴は、みんな、「電気クラゲ」だっつうの!

イラ」『若し、誤りて此の物に觸るれば、蕁麻(イラクサ)に螫〔ささ〕れたるがごとし。薩州にて「イラ」と云ふ』とあるのは、前注から同じアンドンクラゲ Carybdea brevipedalia としてよいと思うのだが、一点、「紅くして、血道〔けつだう〕のごときものあり」という部分は、鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科ヤナギクラゲ属アカクラゲ Chrysaora pacifica ぽい印象があり(アンドンクラゲに赤い血管のような筋はない)、また、「備前兒島」というところからは、主に瀬戸内海で、秋から冬にかけて見られる夜行性の大型(成体の傘高は十五~二十三センチメートルにもなる)傘の箱形クラゲの一種である箱虫綱アンドンクラゲ目イルカンジクラゲ科ヒクラゲ属ヒクラゲ Morbakka virulent をイメージしてしまう。これは『栗本丹洲自筆「蛸水月烏賊類図巻」 ヒクラゲ』の図に引かれているためであるが、事実、ヒクラゲは傘の下方の四隅から一本ずつ淡い桃色をした四本の長い触手(最長一メートルを超える)を伸ばすからである。しかし、生態写真を見ても、この触手のピンクははっきりとはせず、およそ血管のようには見えない。

「按ずるに、水母類は、凡て、人の肌に觸るれば、螫〔さ〕し疼〔いた〕むものなり」畔田先生、正しいです。強弱に違いはあれど、クラゲは総て刺胞を持ちます。過敏な人は無害とされるクラゲでも刺されて痛むのです。前に記した通り、クラゲではないクシクラゲ類(フウセンクラゲモドキ Haeckelia rubra を除く)とウミタル類とタリア類は、無論、刺しません。

絲(イト)クラゲ」「サウメンクラゲ」「洋中にあり、長き糸を引きたるごとし。白色、透明、素麪〔さうめん〕のごとし。又、人の肌に触るれば、螫す」困った。「イトクラゲ」「ソウメンクラゲ」という和名のクラゲはいないし、幾つかの記載で「イトクラゲ」は見かけたが、それぞれが、アカクラゲだったり(「白色」でアウト)、イラモだったり(「素麪」でアウト)して埒が明かない。この条件、特に「白色」としている点と、長い触手があってそれが強い刺胞毒を持つという点からは、私は先に語った、

ヒドロ虫綱クダクラゲ目嚢泳亜目ボウズニラ科ボウズニラ属ボウズニラ Rhizophysa eysenhardtii

がしっくりくると考えている。強毒性となると、鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科アマクサクラゲ属アマクサクラゲ Sanderia malayensis を挙げたくなったのだが(触手の素麺っぽいのはぴったり)、全体に淡紅色を帯びているから合わない。

「㋬ジユズクラゲ 長く糸を引きて、念珠のごとき者、相ひ連なれり。白色、透明なり。一種、一根〔いつこん〕より數条を分かち、房〔ふさ〕をなし、條〔じやう〕每〔ごと〕に圓〔まる〕き榧子〔かやのみ〕のごときもの、連なれる、あり。白色、透明なり」これはヒドロ虫綱花水母目有頭亜目タマウミヒドラ科ジュズクラゲ属ジュズクラゲ Stauridiosarsia ophiogaster。先の「クラゲガイドブック」の『ジュズクラゲの仲間』という写真のキャプションに、『ジュズクラゲの仲間の特徴は、成長するに従って口柄が傘の外まで伸び、口柄を取り巻く生殖腺が数珠(じゅず)状に連なっていること』で、『成長したクラゲは数㎜程度。夏に三浦半島の三崎周辺で見られる』とある。しかし、この記載通りだとすると、ちょっと現認しにくいけど、畔田はちゃんと見えたのかなぁ? 私はこれも前のボウズニラである可能性を否定できないでいるのである。

ハナヒキクラゲ」「表に紫褐色、或いは醬褐色〔しやうかつしよく〕の荷葉〔はすのは〕の脉文〔みやくもん〕あり」これは、

ヒドロ虫綱淡水水母目ハナガサクラゲ科ハナガサクラゲ属ハナガサクラゲ Olindias formosa

でよかろう。和名は明治から大正にかけての三崎の採取名人であった漁師の「熊さん」こと青木熊吉氏の命名。「花笠水母」で、種小名の「美しい」なんぞより遙かに本種の姿を髣髴させて呉れる和名である。但し、刺胞毒は強い。

キンチヤククラゲ 形狀、荷包〔きんちやく〕に似て、長し。白色にして扁〔へん〕なり。半ばに、四、五分〔ぶ〕許りの穴あり。其の傍らより、長さ一尺許りの紐〔ひも〕、出でて、紙を一分餘りに斷ちて着〔つ〕くるがごとし」「荷包〔きんちやく〕」の読みは財布の意味の「巾着」。財布にするような袋のこと。さてもこれは、クラゲではない、有櫛動物門有触手綱オビクラゲ目オビクラゲ科オビクラゲ属オビクラゲ Cestum veneris ではないかと思われる。詳しくはウィキの「オビクラゲ」によれば、『極端に扁平で細長い帯状をしている』。『これは一般のクシクラゲ類の球形に近い形から咽頭軸の方向に左右に強く引き延ばされた形である。この横方向の長さは大きいものでは』一~一・五メートルにも『達するものがある』が、普通は』八十センチメートル以下で、幅は約八センチメートルであるが、『この方向が体の縦軸方向で』、『全体に透明だが』、『黄色や紫の斑紋がその両端に出る個体があり、また同じような色が水管や触手に出る例もある』。『沿咽頭面の櫛板列は伸びている部分の両側に』二『列ずつ、上面の全域にわたって広がる。沿触手面の櫛板列は体の頂端にある感覚器の近くにあるものの、ごく短く』、『痕跡的になっている。左右の伸びた部分の中央を水管が端まで延びるが、これは体の中心部を縦に走る間輻管から分かれ、一度口側に伸びた後に』、『この高さに曲がり、そこから伸び出している。この管は端で咽頭面櫛板列の下を走る子午管と繋がり、生殖腺はこの子午管に沿って櫛板列の下の全域に連続的に発達する。身体の下側は溝があり、その全域にわたって多数の二次触手が出る。その体はこの類としては硬く、また筋肉がよく発達している』。『世界中の熱帯から亜熱帯域の海から知られ』、『表層域に見られることが多いが、小笠原沖では深さ』三百メートルで『観察された例もある。日本では東北地方以南で見られる』。『カイアシ類やその他の小型甲殻類を捕食する。捕食の際には口方向に水平に移動する。また』、『逃げる時には蛇のように全身を波打たせ、横方向に素早く動くことが出来る』。また、『子午管が発光する』ことが知られている。『発生の面では初期にはフウセンクラゲ』(有櫛動物門有触手綱フウセンクラゲ目テマリクラゲ科フウセンクラゲHormiphora palmate)『型、つまり楕円形で縦に』八『列の櫛板を持ち』、一『対の櫛状の分枝を持つ触手』を有する。『その後に』、『左右に伸びるように成長して成体の姿になる』。『本種の属するオビクラゲ属にはこのほかに幾つかの種が記載され、日本産のものは C. amphitrites とされたこともある。例えば岡田他』の(昭和四四(一九六九)年)では、『この学名の元で C. veneris を大西洋産として説明し、その上で別種と扱うことに疑問がある旨を記している。峰水他』(平成二五(二〇一五)年)では、表記の『学名をとっており、現在では本属は単形であるとの判断のようである』。『近縁のものには形態的に似ている』ものの、『小型のコオビクラゲ Velamen paralllelum があり、これは』二十センチメートル『ほどと遙かに小さい。その他に』も『沿触手面の櫛板列を完全に欠くこと、水管の配置に違いがあることなどから別属とされている。この』二『種でオビクラゲ科を構成し、往々にオビクラゲ目を単独に』立てる。『その形と泳ぐ姿のエレガントな美しさから『ヴィーナスの飾り帯』との呼称があ』り、また、『その奇妙な姿から、時に海の怪物目撃談と結びつけられる。例えば』、一九六三年『には』、『ニューヨーク近郊で巨大なウミヘビのような怪物の目撃があり、これが本種の巨大に成長した個体だったとの説が唱えられたことがあるという』とある。

「㋷西瓜(スイクワ)クラゲ 夏月に多し。西瓜の大いさにして、白色、淡藍色を帶ぶ」最後にまたしても難儀な記載である。当初はこの名から、やはり、クラゲでない有櫛動物門無触手綱ウリクラゲ目ウリクラゲ科ウリクラゲ属ウリクラゲ Beroe cucumis を考えたが、本種は透明で、六センチメートル内外で、凡そ西瓜に喩え得るものではない気がする。発光するヒドロ虫綱軟クラゲ目オワンクラゲ科オワンクラゲ属オワンクラゲ Aequorea coerulescens の発光は、暗い中では緑色に見えるから、これかとも思ったが、傘の形が西瓜とは全く似ていない。お手上げ。

 以上、私の同定比定が間違いであると思われる方は、是非、御教授戴きたい。]

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