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2015/04/20

志賀理斎「耳嚢副言」附やぶちゃん訳注 「追加」 (Ⅴ)

一 翁病中にありし時、自火(じくわ)ありて御役宅殘らず燒亡せし時、北の奉行永田氏早速駈付(かけつけ)、無程(ほどなく)鎭火に付(つき)翁に向ひ、「火に怪我もなきや、又書(かき)もの燒失もせざりしや」、其外同役の事なれば殘る處なく相尋(あひたずね)終りて歸られける。予も早速見廻(みまひ)に趣(おもむき)て後(のち)歸りがけに永田の御役所え出けるに、備後守火災の事など申され咄されけるは、「扨々同役は病中にてはあり、嘸(さぞ)かし轉動(てんどう)の事もあるべしとおもひの外、格別おどろきたる風情も見えず。諸向(しよむき)の事またさしあたりたる火事の始末に付ては色々の相談もせし處、諸事常にかはる事なくしめやかに申談(まうしだん)じ、萬事行屆(ゆきとどき)し趣也。いかなるものも自火といひかれこれ取亂(とりみだ)し、物事前後もすべきを、いさゝかの落度(おちど)もなき取鎭(とりしづ)めかた、誠に驚き入(いり)たる器量の程感心する事にて、中中我等などの及ぶ所にあらず」との物語り也。後々人のはなしをきくに、火事の出(いづ)べき朝(あさ)便所に行かれしに、「夫(それ)火事」とて大騷動也。附從(つきしたが)ひ來りし女ども大(おほい)に驚き、右の事をあはたゞしく告(つげ)て、「早く便所より出給(いでたま)ふ樣に」としきりに申せ共(ども)、いさゝか構はず平常の如く、燒(やく)るもかまはずゆるゆると便(べん)し終りて出たりとぞ。げに當世の一人物にて、其(その)量の程凡庸の人にあらざる事、此一事にてもをして知るべし。心廣く體(たい)ゆたかとは是をしもいふべし。

[やぶちゃん注:クレジットがないが、永田備後守正道(まさのり)と筆者の志賀が見舞いに訪れているから、永田の北町奉行就任である文化八(一八一一)年から奉行在任のまま根岸の死去する文化一二(一八一五)年の閉区間で、しかも根岸は「病中」とするから、この役宅(町奉行の役宅は奉行所内にあり、南町奉行所(南番所)は現在の有楽町マリオン付近であったとウィキの「町奉行」にある)を火元とする火災は四年間の後半の出来事と推理出来る。調べて見ると、人文社の「耳嚢で訪ねる もち歩き裏江戸東京散歩」(二〇〇六年刊)に、現在の千代田区神田駿河台一丁目(明大の向い)にあった根岸家屋敷の解説文中に、『根岸鎮衛とその子孫が居宅した場所。文化十二年十月、自宅二階の灯明が元で御役屋敷と居宅を焼失。鎮衛は罹災後この地で過ごし、十二月に死去した』とあった(下線やぶちゃん)。なんと! これは鎮衛の亡くなるたった二ヶ月前の満七十八歳の時の出来事だったのだ! しかもこれ以前、根岸は役宅に附属する形で自宅を構えていたということも遅まきながら分かった(私は「耳嚢」を訳していたこの五年の間、ずっと神田が彼がせんから住んでいた屋敷だと勘違いしていたのである)。役宅は全焼したものの、近隣に類延焼しなかったことこそが町奉行たる根岸にとって、何より最もほっとしたことではなかったろうか?……「燒るもかまはずゆるゆると便し終りて出たり」――いいねえ! 根岸の旦那!――馥郁たる御香の漂って参りやすぜ!!……

・「永田の御役所」北町奉行所(北番所)は東京駅の八重洲北口付近にあった。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

一 翁の病中にあられた折りのことである。

 御自宅より出火のあって、御役宅も、これ残らず焼亡なさった際には、北の御奉行永田正道(まさのり)氏も早速にお駈けつけなされたが、幸いなことに、ほどのぅ鎮火致いて御座ったによって、翁に向われ、

「――火にて怪我などなされなんだか?――また、公事方の重き文書の焼失などもなく済んで御座ったか?……」

など、その他、御同役なればこそのお気遣いから、こと細かに、こうした折りの公務上の危機管理に相当する事柄につき、洩れなくお訊ねになられ、総て事なきことのご確認を終えられた上、お帰りになられた。

 私も回禄の報を聴き、早速に御見舞いに赴き、その後、翁の避難なされておられたところからの帰りがけ、永田氏の北町の御役所へ少し御機嫌伺いに参ったところ、備後守殿、親しく対面なされて、この度の一件につき、お話しなされたが、

「――さてさて! 御同役は病中にてあれば、さぞかし、動転なされておらるる向きなんどもあろうほどに、と直ちに見舞って御座ったのじゃが、これ、当人、思いの外、格別驚いておらるる風情も見えず御座っての! 公務上の種々の対応の件及びさし当たっての奉行所役宅の焼失の後始末などに就きては、これ、いろいろと相談も致いたのじゃが、諸事これ、常に変わるところのぅ、まっこと、落ち着いて普段通りに話し合いなど致いて――そもそもが、我らが参ったは、やっと鎮火致いたかと申す、ほんの直後であったにも拘わらず、万事これ、なすべき処置や指図、総て行き届いておるといった趣きであった!……如何なる者といえども、これ、自家より火を出だいたとならば、百人が百人、かれこれ取り乱し、慌てふためき、まともな判断や対処もあっちゃこっちゃとなるが、これ、当たり前のところなるに、翁のそれは、もう、いささかの落度(おちど)もなく――いやさ! 冷静にとり鎮めて御座った、その仕儀たるや! まことに驚き入ったる器量のほど! いやもう! 感心するのなんの!……なかなか! 我らなんどの及ぶべきところにては、あらなんだわ!」

と、物語っておられた。

 のちのちになって、人の話を聴いたところ、火事の起こったまさにその折り、翁は朝の便所に行かれておられたが、

「――か、火事じゃッツ!!」

と、大騒動となったによって、つき従って御座った下女ども、これ、大きに驚き、

「――か、火事にて御座いまするッツ! お、お殿さまッツ!!……」

と、便所の内へ慌ただしく呼びかけ、

「――は、早う!――お便所よりお出で下さりませッツ!!――は、早くうにッツ!!!」と、しきりに申し上げたけれども、これ、翁、いささかも構はず、普段の如く――家のめらめらと焼くる音の致すも、どこ吹く風と――ゆるゆると、まり終わらるると、徐ろに出でて参られた、とのことで御座る。……

……げに――当世の一大人物にして、その御器量のほど、やはり流石に、凡庸の人にてはあらざること、この一事をとって見ても、推して知るべし――で御座る。

――心広く体(たい)豊か――とは、これをしも言うと申せましょうぞ。……]

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