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2015/04/02

耳嚢 巻之十 狸遊女を揚し奇談の事

 狸遊女を揚し奇談の事

 

 文化十一年の春、都鄙(とひ)專ら口説(くぜつ)しけるは、狸遊女を揚(あげ)て遊(あそび)しといふ事、くわしく尋(たづね)しに、眞はしらず、吉原江戸町貮丁目佐野松屋といへる遊女屋に、佐野川といふ遊女を、二三囘も來りて揚げ遊し者ありしが、右遊女に執心なりしやうすにて、遊女もにくからずもてなしけるが、或夜殊外(このほか)に酒を過(すご)し、右客朝寢して前後もしらず有(あり)しに、右客をおこすとて禿(かむろ)など來りて、わつといふて泣出(なきいだし)しける故、みなみな驚きて其樣(そのやう)を聞(きき)しに、右客は人間にあらずと口々罵りしが、いづれへ至りしや行衞(ゆくゑ)なくなりしが、追(おつ)て訊(ただ)しければ、いか樣(さま)にも、狸の化來(ばけきた)りしに違(ちがひ)なしとや。扨佐野松や、狐狸の類(たぐひ)ならば請取(うけとり)し勤(つとめ)も、誠の金ならじと改め見しに、正金(しやうきん)にまぎれなかりし故、亭主のいへるは、正金に候うへは、盜賊などの客になり來りしよりは、遙(はるか)に宜(よろしき)事といひて笑(わらひ)しとなり。

 

□やぶちゃん注

○前項連関:馬の悲憤慷慨という異類綺譚から、ちょっと珍しい狸が化けて、かの吉原通いというぶっ飛びの異類妖異譚で連関。訳は狸が化けたに違いないとする部分を翻案で膨らました。因みに、この真相は何だろう? 事件性はなく、佐野川も亭主も損害を被っていない。確かに見たというのはこうした擬似的超常現象に於いて精神感染しやすい成人前の少女らだけである(佐野川は親しくつき合ったわけだから、何かそれらしい不審を述べるのが自然なのに全く登場すらしない)。――これは実は佐野松屋が仕組んだ客寄せのための仕組まれた都市伝説だったのではないか?――と私は深く疑っているのである。しかも寧ろ、この第三種接近遭遇をする禿らは何も知らない被害者であって、蒲団の中の狸も案外、仕組まれたハリボテであったという想定も、これ面白いではないか。噂話にゃ鵜の眼鷹の眼の江戸っ子のこと、狸を抱いた佐野川を見たいとも思い、禿の実見話なら私も酒の肴に聴いてみたい気がする。少なくとも絶対にこの噂話によってこの後暫くは佐野松屋、繁昌したはずである。最後の主人の台詞と笑い声に私はそうした真相をほぼ確信的に感じ取ったことを述べおきたい。因みに、訳で「若い衆(し)」と使ったが、吉原で裏方仕事に従事した男衆は年老いてもこう呼ばれた。

・「文化十一年の春」岩波の長谷川氏注に、考証家石塚豊芥子(いしづかほうかいし 寛政一一(一七九九)年~文久元(一八六二)年)の「豊芥子日記」『中巻に、文化十一年三月、佐野屋抱え女郎某にこのことありという』とあり、「卷之十」の記載の推定下限は文化一一(一八一四)年六月であるから、恐ろしくホットな、しかも舞台が吉原という真正のアーバン・レジェンドである。

・「眞はしらず」岩波のカリフォルニア大学バークレー校版では『眞僞は知らず』である。そっちで採る。

・「吉原江戸町貮丁目」新吉原には京町(まち)一・二丁目、江戸町(ちょう)一・二丁目、仲之町(ちょう)、揚屋町(あげやちょう)、角町(かどちょう)があったが、江戸二丁目は大門を入って向かって左方二番目の路地を言った。

・「佐野松屋」底本の鈴木氏注に、『三村翁「江戸川町二丁目、半まがき交り、さの松屋、野恵上より四枚目、※佐の川と見ゆ。」ちなみ半籬は、交り見世ともいって、大籬に次ぐ階級の遊女屋。中見せ』とある。「※」の箇所には、

Sanokawahutyou

という屋号の符牒のようなものが入っている。大籬(おおまがき)というのは江戸吉原で最も格式の高い娼家(遊女屋)のことで、ウィキの「大籬」によれば、寛政年間(一七八九年~一八〇一年)以降、吉原では見世先の構造によって妓楼の等級を表わす規定があった。籬(遊郭の各店舗の入り口の落ち間(土間・上がり口)と遊女が通りかかる客を呼び入れる座敷である見世(みせ=張見世)との間に設けた格子戸)の高さが天井に達するものを「大籬」又は「総籬(そうまがき)」と呼び、その二分の一或いは四分の三のものを「半籬(はんまがき)」又は「交り見世」、籬の高さが二尺に限られていたものを「小見世(こみせ)」と区別した。大籬は間口十三間(二十三・六メートル)のうち、四間(七・三メートル)を見世にとり、右方の五~六間(十~十一メートル)を格子につくり、入り口は九尺(二・七メートル)乃至二間(三・六メートル)で、奥行は二十二間(ジャスト四十メートル)に制限されていた。 これ以下の格下の遊郭では間口十間(十八・一八メートル)を超えることは許されなかった、とある。因みに、作家隆慶一郎氏の公式サイト「隆慶一郎わーるど」の「隆慶遊女名鑑」に実在した「黛(かおる)」という江戸町佐野屋抱えの太夫のことが挙げられてあるから、結構知られた中級クラス半籬の遊女屋であったことが分かる。

・「禿」禿童とも書き、「かぶろ」とも読む。太夫(たゆう)・天神など上位の遊女が側に置いて遣った六、七歳から十三、四歳くらいまでの遊女見習いの少女。彼女たちは一種の未成年扱いで禿の時期には客はとらない。女郎の階級制度については「耳嚢 巻之十 親子年を經て廻り逢ふ奇談の事」の「新造」の私の注などを参照されたい。

・「勤(つとめ)」これは遊郭用語で揚げ代の支払いを言う。他にも広義に「遊女の仕事」の意でも用いる。

 

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 狸が遊女を揚げた奇談の事

 

 文化十一年の春、江戸市中はおろか、近郷近在に至るまで、専らの噂として、

――狸が遊女を揚げて吉原遊びをした

とのこと、これ、詳しく配下の探索方に訊ねさせてみたところが、真偽のほどは不明ながら……吉原江戸町二丁目の佐野松屋と申す遊女屋に、佐野川(さのがわ)と申す遊女を名指して、二、三度も来たっては揚げ、遊びおる者の御座ったが、この者、この佐野川にいたく執心なしておる様子にて、当の佐野川も満更でものぅ、憎からずもてなして御座ったと申す。

 ところがある夜のこと、殊の外に酒を過ごし、その客、朝寝を致いて、これ、前後不覚といった趣きにて大鼾(おおいびき)をかいて寝入って御座ったところ、陽も高こぅなったによって、その客を起こさんと、何人かの禿(かむろ)らが来たって部屋へ入ったところが、禿ら、

「きゃあっつ!」

「きぇえっつ!」

「なんや? これ?!」

と口々に黄色い声を挙げつつ、大泣きになりながら走り出て参った。

 されば、店中、皆々、大きに驚き、若い衆(し)、

「何じゃ? どうしたんじゃッツ!?……かの部屋で、何かされたんかッツ!?」

と糺いたところが、

「……あ、あのお客さまは!……」

「……に、人間にては!……」

「……これ! ありんせんッツ!……」

と、禿ら自身がこれ、顔引き攣らせ、狐目のまま、口々に騒ぎ立てて御座った。

 そこで若い衆(し)、心張棒を得物(えもの)に、恐る恐る、かの男の部屋を覗いてみたところが、何処(いずこ)参ったものか、男の姿はこれなく、蒲団はもぬけの殻にて、そのまんま男はこれ、行方知れずとなって御座った。

 暫くして、禿らが落ち着きを取り戻したによって、様子を再び質いたところが――

「……蒲団の端から……これ……ふさふさした……し、尻尾の出でておりやんして……」

「……あたいは……起こさんものと、お鼻をつままんとしやんしたが……そのお鼻、こ、これ……つんと出て濡れておって……もう、犬にそっくりやした……」

「……あたいは……足をくすぐろうと蒲団をめくりやんしたが……ほしたら……け、毛むくじゃらで……し、しかも……指が……こ、これ……全部で四つでありんした……」

などと申した。また、かの若い衆(し)も、

「……そういゃあ、空の蒲団の中にゃ、妙に強(こわ)い短い毛が、これ、いっぱい散らばっておりましたなぁ……」

などと、それを請けがうようなことを申したによって、皆々、

「……こ、これは! いかにも!……狸の化けて吉原通い致いたに違いないッ!」

と合点致いたと申す。

 さても、それまでその場にあって、黙って者どもの訴えを聴いて御座った佐野松屋の主人、そこで、

「……狐狸の類いとならば、受け取った揚げ代もこれ――葉っぱか馬糞か――孰れ、本物の金子にては御座らぬのではないかのぅ?……」

と申したによって、勘定方を呼び出だし、かの男の支払うた分が入(い)りおるはずの金箱(かねばこ)を、これ片っ端から改め見てみたが、これといって葉っぱや馬糞に変じておらず、贋金もない。既に支払(しはろ)うてより、かなり日の経ったものもあれば、どれも本物に間違御座らぬとの返事。

 されば、亭主の曰く、

「――正真正銘の金子にて御座った上は――これ、盜賊などの客に化けて来たって金はおろか命まで奪わるるよりは――これ、遙かに悦ばしいことにて、御座ろうぞ。」

と、呵々大笑致いた、と申す。

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