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2015/05/01

堀辰雄 十月  正字正仮名版 附やぶちゃん注(Ⅺ)

十月二十四日夜  

 ゆふがた、淺茅(あさぢ)が原(はら)のあたりだの、ついぢのくずれから菜畑などの見えたりしてゐる高畑(たかばたけ)の裏の小徑だのをさまよひながら、きのふから念頭を去らなくなつた物語の女のうへを考へつづけてゐた。かうして築土(ついぢ)のくずれた小徑を、ときどき尾花(をばな)などをかき分けるやうにして歩いてゐると、ふいと自分のまへに女を搜してゐる狩衣(かりぎぬ)すがたの男が立ちあらはれさうな氣がしたり、さうかとおもふとまた、何處かから女のかなしげにすすり泣く音がきこえて來るやうな氣がして、おもはずぞつとしたりした。これならば好い。僕はいつなん時でも、このまますうつとその物語の中にはひつてゆけさうな氣がする。……

 この分なら、このままホテルにいて、ときどきここいらを散歩しながら、一週間ぐらゐで書いてしまへさうだ。

[やぶちゃん注:ここで辰雄の言う「物語」はもう明らかに、前に注した通り、十二月の『改造』に発表することとなる「曠野」である。既に述べた通り、実際にはこの旅から帰って翌十一月に起筆から二日ほどで仕上げている。

「淺茅が原」奈良公園内の春日参道の南側丘陵地一帯の古地名。現在、浅茅ヶ原園地。国立博物館の南側。

「高畑」奈良市高畑町。古くから続く春日大社の社家町で、春日原始林に連なる高円山を背に新薬師寺・白毫寺といった古刹が点在する。大正から昭和の初め頃に文化人の憧れの地とされていた地域で、志賀直哉や画家足立源一郎を初め、多くの文人や画家の自宅が軒を連ねていた(以上は「歴史街道 文化遺産をめぐる旅へようこそ」の奈良の文化に触れる-高畑~奈良町を歩くに拠った)。]

 

十月二十五日夜  

 けさちよつと博物館にいつただけで、あとは殆ど部屋とヴェランダとで暮らしながら、小説の構想をまとめた。構想だけはすつかり出來た。いま細部の工夫などを愉しんでやつてゐる。日暮れごろ、また高畑(たかばたけ)のはうへ往つて、ついぢの崩れのあるあたりを歩いてきた。尾花が一めんに咲きみだれ、もう葉の黄ばみだした柿の木の間から、夕月がちらりと見えたり、三笠山の落ちつゐた姿が澁い色をして見えたりするのが、何んともいへずに好い。晩秋から初冬へかけての、大和路はさぞいいだらうなあと、つい小説のほうから心を外らして、そんな事を考へ出してゐるうちに、僕は突然或る決心をした。――僕はやはり二三日うちに、荷物はこのまま預けておいて、ホテルを引き上げよう。しかし、いかるがの宿に籠もるのではない。東京へ歸る。さうしておまえの傍で、心しづかにこの仕事に向ひ、それを書き上げてから、もう一度、十一月のなかば過ぎにこちらに來ようといふのだ。さうして大和路のどこかで、秋が過ぎて、冬の來るのを見まもつてゐたい。都合がつゐたら、おまえも一しよにつれて來よう、どうもいまかうして奈良にゐると、一日ぢゅう仕事に沒頭してゐるのが何んだかもつたいなくなつて、つい何處かへ出かけてみたくなる。何處へいつても、すぐもうそこには自分の心を豐かにするものがあるのだからなあ。しかし、晝間はさうやつて歩きまわり、夜は夜で、落ちついてゆうべの仕事をつづけるなんといふ眞似のできない僕のことだから、いつそこのまま出來かけの仕事をもつて東京へ歸つた方がいいのではないか、とまあそんな事も一とほりは考へに入れたうへの決心なのだ。

 僕はホテルに歸つてくると、また氣のかはらないうちにとおもつて、すぐ帳場にそのことを話し、しあさつての汽車の切符を買つておいて貰ふことにした。

[やぶちゃん注:「夕月」昭和一六(一九四一)年十月二十五日の奈良の月の出は午前十時五十四分、正中が十六時十二分、月没が二十一時三十分で、月齢四・五の上弦の月であった(ページ」の計算に拠る)。

「三笠山」御蓋山(みかさやま)とも。通称、春日山。ウィキ春日を見ると、「春日山」は春日大社の東側にある標高四九七メートルの「花山(はなやま)」、若しくは西隣の標高二八三メートルの「御蓋山」の通称。「御蓋山」を「(春日)前山」・花山を「(春日)奥山」と区別する場合もあり、両山及び香山(高山)・芳山などの連峰の総称としても用いられるとある。

「もう一度、十一月のなかば過ぎにこちらに來ようといふのだ」「タツノオトシゴ」の「年譜」によれば、この昭和十六年十月二十九日に帰京した後、十一月中に二日ほどで「曠野」を脱稿した。その後は一週間ほど病臥したものの、この言葉通り、同年十一月三十日に奈良ホテルを再訪、三輪山・飛鳥などを跋渉した後、十二月四日の夕刻に神戸、五日には倉敷を散策、位十二月六日の午後に帰京している(但し、夫人は同伴していない模様)。因みに、その二日後の十二月八日、太平洋戦争が勃発している――。]

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