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2015/05/13

ブログ・アクセス680000アクセス突破記念 火野葦平 花の下の井戸

[やぶちゃん注:先に語について注記する。

・「アカハラ」両生綱有尾目イモリ亜目イモリ科イモリ属アカハライモリ Cynops pyrrhogaster 

・「散兵線」は敵弾による損害を避けるため、散兵(各兵士を適当な間隔をとって散開させること)で形作る戦闘線。

・「線香遊び」「花まはし」「花わたり」という遊びは、何となく推定されるイメージはあるものの、はっきりした内容が分からない。ご存じの方は是非、お教え願いたい。

・「チシンコの葉」不詳。識者の御教授を乞う。

・「矯激」言動などが並外れて激しいこと。

・「萬やむを得なかつた」「萬」は「バン」と音読みする呼応の副詞で、通常は下に打消しの語を伴い、どうしても・なんとしても・万一(~ない)の意である。

 なお、本テクストは昨日、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、680000アクセスを突破した記念として公開した。【2015年5月13日公開 藪野直史】]

 

   花の下の井戸

 

 このあたりの村々は、やうやく旱魃(かんばつ)の危險におびえはじめた。百姓たちは靑息吐息である。夏至(げし)が來ても雨の氣配はなく、空梅雨(からつゆ)模樣の炎天下で、田植ゑを經つたばかりの水田はひからびはて、諸所に龜裂が入つて、その乾いた土の上で、稻の苗がたよりなげに熱風に吹かれてゐた。畑の作物もまるで焙(あぶ)られたやうにひわれる始末である。人間も鷄も牛も馬も犬も猫も、口をあけ舌を出して喘(あへ)ぎ、液體を渇望した。天を望んでみても、つらなつた山々のいただきにはぎらつく入道雲が立ちならぴ、濃く塗りたくられた靑空には一點の水氣もなかつた。村を流れる川はあるが、水位が低くなつて川底が露呈し、魚たちも方々のたまりに分離されてしまつてゐる。この水をどうやつて田へ引いたらよいのか、百姓たちは方法を知らない。池も沼も涸れてゐた。わづかに川べりの水田だけが潤つてゐたが、それもほんの一部にすぎず、百姓たちの顏色は日とともに險惡に曇つて行くばかり、いらいらしながら泣き面をかかへて、むなしく枯渇(こかつ)して行く自分の田を眺めてゐるにすぎなかつた。無論、雨乞ひはしばしば行はれた。鎭守社の境内に集り、しめなはを張り、火をたき、太鼓をたたいて、神に祈りをささげた。加持祈禱(かぢきたう)と占ひの得意な神主が、狂氣のやうに神樂(かぐら)を舞ひ、三つ叉鋒(ほこ)をしごいて雨を呼んだ。けれどもどこからも雲のあらはれる氣配はなく、雷鳴もおこつて來なかつた。雨乞ひは連日つづけられた。夜もあかあかと篝火がたかれ、未明にいたるまで祈願の行事がおこなはれた。しかし、さらに效驗はなかつた。

 すると、たれがいひだしたともなく、これは河童のたたりだといふことになつた。そして、それを疑ふ者がなくなり、早く河童に詫びをいひ、水をさづけてもらはなければこの村は死滅のほかはないと村議が一決した。まづ村民からひどく叱りつけられたのは一人の若者である。彼が河童と角力(すまふ)をとつて投げとばしたときには、村人は大いに彼の勇氣と力とを賞揚し、ほとんど英雄あつかひしたのに、今はもはや村全體の敵として若者を遇した。鎭守社の神主も神意をうかがつた結果、旱魃の原因がやはり河童の怒りにもとづいてゐると證言したので、庄屋が先登になつて、河童へ謝罪することになつた。この庄屋は短軀醜面で、途方もない將棋狂、村政はそつちのけで、毎日、朝から晩まで將棋をさしてゐる男であつたが、やはり代々の庄屋で權威だけは保つてゐた。下賤の河童などへ詫びをいつたり、頭を下げて賴みごとをしたりするのはいやでたまらなかつたが、村全體のためとあれば仕方がなかつた。殊に日ごろは將棋ばかりさしてゐることを村民も大目に見てくれてゐるし、これを斷れば將棋にも苦情が出て來さうなので、涙をのんで自尊心をおさへた。村民たちが勢揃ひした。河童の棲んでゐる井戸は村はづれの小高い丘の、藤の木の下にある。藤はいままつ盛りで、旱魃をよそごとのやうに、むらさき色の花びらを豐かにたらし、その花の姿を井戸の水にうつして、美しく微風にゆらめいてゐた。

 

 

 

 河童が井戸から出て、村の子供たちと遊びたはむれてゐたことは、長い間知られなかつた。河童はただ無性に子供が好きでたまらなかつただけであるし、子供と遊んでゐれば樂しかつたので、子供の守りをしてやつてゐるなどと恩に着せるわけもなかつたのである。子供たちも河童がおとなしくて親切で、いろいろな面白い遊戲を知つてゐるので、河童と遊ぶのが愉快でたまらなかつた。子供たらは河童がどこから來てどこに歸つて行くのか知らない。藤の花の下の井戸に河童がゐることは、親たちから聞かされてはゐたけれども、附近には川も池もあるし、井戸の河童だとは思はなかつた。親たちは河童を化けものだといひ、ひどい目にあはされるから近づくな、川や池に泳ぎに行くときは尻子玉(しりこだま)を拔かれぬ用心をせよなどと、害のことばかりいひ聞かせたが、子供たちは河童をほんたうに自分たらのよい友だちだと考へてゐた。第一身體も三尺足らずだから、それだけでも親しみがわく。細い眼、とがつた嘴、背の甲羅、水かきがある花車(きやしや)な手足、それに、頭の皿、さういふものは恐しいよりも瓢逸(へういつ)で、そんな河童がやることはなんでも、滑稽に見えて、子供たちの腹をかかへさせた。逆立ちや宙がへりもうまく、子供たちと繩飛びをしたり、角力をとつたり、ときにはクイズ遊びをして時間の經つのがわからないほどであつた。笹舟を編み、胡瓜や茄子を使つて、馬、牛、豚、猪などの動物をこしらへる方法も河童から習つた。線香遊びもした。ただ、子供たちは河童の身體から發散する魚のやうな生ぐさいにほひにちよつと辟易(へきえき)したけれども、遊びの面白さと帳消しになるほどではなかつた。子供たちは河童が頭の皿の水をすこぶる大切にしてゐることに氣づいた。皿の水こそ河童の生命の根源であることについて、子供たらに深い洞察(どうさつ)もあるはずはなかつたが、逆立したり宙がへりしたりしたあと、うつかり皿の水をこぼした河童が、急にげんなりと力をうしなつて靑ざめるのをしばしば見た。そんなとき、河童はかならず大あわてでそこらの水を手にすくひ、頭の皿に入れるのだつた。すると、たらまち顏は紅潮し、元氣を快復して、さらに子供たちと新しい遊戲をはじめる。河童は子供たちの機嫌をそこなはないやうに氣を使つてゐた。角力をとつてもたいてい負けてやがるが、ときには勝つても、その勝ち方は子供の身體と自尊心とを傷つけないやうに注意した。河童はいつまでも子供たちと遊んでゐたかつた。それは井戸の中の倦怠をまぎらせる意味もあつたが、子供たちの純眞な心に接觸することによつて、自分をたしかめるよすがともすることが出來るからである。子供たちは鏡なのであつた。子供たちと遊んでゐれば、彼は自分の無能と愚鈍とが安まる氣持がし、むづかしい歷史とか、傳統とか、權威とかいふものを忘れてゐることが出來るのだつた。

 彼は自分が水の豐富な美しい井戸を獨占して居られることについて、懷疑をいだいたことはない。それには歷史や傳統があり、權威とすら結びついてゐるらしいのだが、彼はそんなことは知らない。父から聞かされた記憶はあるが、父が死ぬと忘れてしまつた。そして、ただ傳説の掟に身をゆだねて、痴呆のやうに平和を樂しんでゐるだけだ。傳説の掟はきびしく、この井戸を侵略したり、纂奪(さんだつ)をたくらんだりする仲間もゐない。ひとりゐる兄は五里ほど離れた山裾のきたない沼にゐるが、兄の權利でこの井戸を乘とらうといふ考へもない。戰爭はきらひから、狡猾(かうくわつ)な腕力者が攻めて來たら、河童はたたかはずして逃げだしたかも知れないが、不心得な野心家はゐなかつた。

 さらにいへば、傳統と權威とを守つてゐるのは、河童だけではない。この地方は特に退屈な人間たちが住んでゐるが、そのため平和でもあつた。無能で將棋狂の庄屋も由緒(ゆゐしよ)ある家柄の末であるため、村民はこれをあがめてなにかのときには相談相手にする。庄屋も鹿爪らしい顏つきで意見を述べると、つまらないことをいつてゐてももつともらしく聞える。自分でどうしたらよいかわからなくなると、相手に水をぶつかけたり、馬鹿野郎とどなつたりするが、それも一つの見識のやうに見える。一度中風でたふれた彼は失言することが癖のやうになつたけれども、それもどうにか取り卷きが辻褄をあはせて、庄屋を失脚させるやうなことはしない。かういふ封建性は河童にも幸した。藤の下の井戸の水を汲むな――この掟がいつ出來たか知らないが、村人はちやんと守つてゐる。水を汲めば災があるとみんなが信じきつてゐて、河童井戸に近づかなかつた。この井戸の水は深い地の底からこんこんと湧き出てゐて、鯉や鮒がたくさんゐた。山椒魚やアカハラもゐる。蟹や蛙や源五郎なども安全で住み心地のよい場所にしてゐた。河童はだれとも爭ふことがきらひなので、魚たちとも仲よくし、味のいい水を飮むだけで生きるには充分なので、別に榮養物を必要としなかつた。かういふ風にして、長い歳月が流れたのである。

 しかし、この歷史に一つの變化が起つた。河童は例によつて子供たちと遊び呆けてゐたのであるが、或るとき、これに大人が介在したのである。大人といつてもまだ二十をすぎたばかりの若者であつたが、河童の存在を知つて、これを捕へようと考へたのであつた。別に理由はない。傳統を破壞しようとか、歷史を否定しようとか、大人の世界に叛逆しようとかいふ積極的な考へもなく、ただ河童に興味を持つたのである。痴呆的なアプレはいつの時代にもゐるものだから、若者は自分の行爲によつてどんな結果が生じるか、そんなことは一切念頭にはなかつた。強ひて理由をあげるならば、娘の子に封する示威(じゐ)のためであつたらう。彼の惚れてゐる娘に、まあ強いわねといつて感歎させたかつたのだ。若者は傳説を輕蔑し、武士さへも河童の復讐を受けたといふ話を嘲笑した。昔、劍豪をもつて聞えた一人の武士が河童退治を思ひたち、藤の下の井戸に行つて、上から弓の失を射こんだ。弦をはなれた數本の矢は次々にゼット機のやうな音を立てて、井戸底の水につきささつたが、そんなことで河童がやられるはずはなかつた。大きな緋鯉(ひごひ)が一匹、鰓(えら)を貫かれただけである。大體、河童自身、武士が自分を殺しに來たのだとは氣づかなかつた。そんな仕打らをうける覺えもないので、妙なことをするもんだと怪訝(けげん)の面持で見てゐただけだ。武士は意氣揚々として井戸端から引きあげて行つたが、あまり得意になつて胸をそらせてゐたせゐか、足もとが狂ひ、崖緣から落ちた。そんなに高いところでもなかつたのに、頭蓋骨にひびが入つた。死にはしなかつたが、腦ををかされて一生廢人同樣になつた。人々は河童の復讐の恐しさに戰慄したのである。これ以後、さらに河童が恐れられ、井戸に近づく者はまつたくなかつた。河童は苦笑したが、辯解する氣もおこらず、かへつてその誤解を好都合だと思つた。ところが、アプレの若者が、傲岸(がうがん)さによつてこの眞實を看破し、河童など大した神通力を持つてゐるものではないと豪語して、それを證明してみせようとこころみたのであつた。

 それには一つの動機があつた。若者の弟が河童から怪我をさせられたのである。或る日、額に大きなコブをこしらへて、泣きながら歸つて來た弟を見て、若者はするどく追及した。子供ははじめは口を喊(とざ)して河童のことを語らなかつた。毎日樂しく遊んでくれる河童は、子供たちになに一つ無理もいはず、氣に入らぬこともしなかつたが、一つだけ、絶對に河童と遊んでゐることをだれにも告げてくれるなと約束させてゐた。これまで子供たちはよくそれを守つたので、長い間、愉快なときをすごすことが出來たわけである。兄の詰問にあつて、弟は困惑した。額のコブは河童と別れて歸る途中、轉んで出來たものだつたが、兄は生ぐさいほひがするといひだし、執拗(しつえう)で威丈高であつた。やはり子供である。おどかされたりなだめられたり、菓子や小使錢をあたへられたりすると、このこと、他のだれにもいはないでねと約束させて、河童のことをしやべつてしまつた。若者は會心の笑みをもらした。

 次の日、若者は弟のあとを尾行して行つた。村道を行く子供たちは、まるでエレキに吸ひよせられる釘のやうに人數がふえ、壇那寺の裏にある杉林のなかへ吸ひこまれて行つた。そこは窪地になつてゐて、村のどこからも見えない位置にあつた。野薔薇の花が色とりどりに咲きみだれ、ミソサザイやツグミがしきりに鳴いてゐた。若者の弟が線香に火をつけて一本の杉の根元に立てると、子供たちは手拍子を打ら聲を揃へて、河童さん、河童さん、出ておいで、と唱ふやうに數囘はやしたてた。すると、今まで見えてゐた線香の赤い火がふつと見えなくなり、魚のやうな生ぐさい風がすうと吹いて來た。河童の姿があらはれた。深い灌木林に頑丈な身體をひそめてゐた若者は、その滑稽な姿を見てあやふくふきだすところであつた。同時に輕侮の思ひもわき、かういふたわいもない一匹の河童ごときに、村中がおそれをののいてゐることがなんと馬鹿らしくなり、この迷妄(めいまう)をとりのぞくことが若き世代に課せられた使命のやうな氣がして來たのである。若者は勇氣と功名心にあふれて機會を待ちかまへた。彼は腕力に自信があり、どんなにしたつてこんなちつぽけな河童に負けるはずはないと安堵した。

 河童は子供たちと遊びはじめた。逆だち、宙がへり、繩とび、綱ひき、線香遊び、花まはし、花わたり、など、次次におこなはれるプログラムに子供たちは狂喜した。不覺にも河童は樂しさに醉ひしれてゐて、曲者の存在などまつたく氣づかなかつた、若者は怒りに燃えはじめてゐた。河童がはじめは子供たちを手玉にとつてよろこばせ、油斷させておいてから全部殺して食べてしまふ魂膽であることは明瞭だ。その證據には、河童はつねに子供たらの顏や手足に氣を配り、どれがおいしいだらうか、どこから先に食べようかと舌なめづりしてゐるのであつた。若者はあせりはじめた。そして、角力がはじまつて、自分の弟が轉がきれるのを見ると、もう我慢しきれなくなつて、野薔薇の茂みからをどりだした。

 河童はおどろいた。子供たちもおどろいた。しかし、若者はうむをいはず河童の腕をとり、子供相手の角力に勝つてもいばるな、さあ一番おれとやらう、とさういひながら、お前たちも見とれといふ風に、子供たちを眺めまはした。颯爽としてゐて大角力の關脇くらゐには見えた。河童は拒んだ。角力をとる氣もなかつたし、これまでの團欒(だんらん)が破られたことと、子供たちのだれかが約束を破つたことの悲しさとで、うらひしがれてゐた。若者は腰拔け奴と叫びざま、もう取つ組んで來て、はげしく河苦を投げたふした。河童は頭の皿が充分にしみてゐれば、馬や牛を川へ引きこむほどの力を發揮出來る。いまも皿の水は乾いてはゐなかつたので、本氣になればこんな若者一人なんでもなかつたのだが、精神的に氣力が落ちてゐたので、やすやすと負けた。背の甲羅の何故かにひびが入つたやうである。若者は圖に乘つてさらに河童をとりおさへようとした。ところが、さつきから戸まどひした顏で立ちつくしてゐた子供たらが、やがてなにをなすべきかを悟つたやうに、いつせいに若者にむらがりついて來て、手取り足とりこれを引つくりかへさうとかかつた。おどろいた若者は、おいおい敵をまちがへるな、敵は河童ぢやぞと叫んだが、子供たちはなほも若者に武者ぶりつき、みんなわんわん泣きながら、蹴つたり嚙みついたりするのをやめなかつた。その間にいつか河童は逃げまり、杉の横に立てられた線香の火が冷えてゐた。二度と河童は子供たちのところにあらはれなくなつた。そして、旱魃がはじまつたのである。

 

 

 

 ふさふさとたれた紫いろの藤の花が、微風につれて豪華にゆれる。それはみごとな眺めであつたが、今はたれ一人その美しさに關心をいだく者はなかつた。藤の下の井戸をとりまいた數百人の村民たちは、庄屋を先登に、神主、若者の順でならび、井戸の河童にむかつてしきりに謝罪をした。河童を投げたふして一時は英雄氣取りであつた若者も、旱魃がはじまるにいたつて、はじめて河童の復讐に恐れをなし、自然をも支配するその神通力に戰慄した。もともと頭腦が單純であるから轉向も早い。もつとも河童を輕んじてゐた若者がもつとも恐怖と悔恨の虜になつて、もつとも熱狂的に謝罪をし、怒りをといて村へ水をさづけて下さるようにと懇願した。しかし犧牲にまでなる氣はなかつたから、自分をどうにでもしてくれとはいはなかつた。惚れた娘は一度は所期のとほり、強いわねとつぶらな瞳をいつぱいにひつぱりあけて感歎をしたが、いまはどう考へてゐるであらうか。若者は娘から愛想づかしされることをなにより恐れ、群衆のどこかにゐる女のことが氣になつて仕方がなかつた。加持祈禱と占ひの名人である神主は山伏樣のいでたちをして御幣(ごへい)をふりまはし、後頭部からしぼりだされるやうな不思議な聲を發して呪文(じゆもん)をとなへつづけた。村民たちも口々に雨を降らして欲しいと懇請した。井戸底の河童の注意を喚起するために、太鼓をたたき、笛を吹き、鉦を鳴らした。庄屋はしかし退屈な祈禱の間に將棋の手を考へてゐた。四角な井戸の緣が將棋盤に見える。王將、金將、銀將、飛車、角などが部署に就き、兩軍の歩兵が散兵線をしいて散らばつてゐた。庄屋は頭のなかで、四八銀、八五飛、六六角、二三桂、五八玉などと駒をうごかし、ああこの玉に五八はいけない、五九玉と寄つた方がよいなどとしきりに作戰に熱中した。彼は正直にいつて雨など降らなくともちつとも困らなかつたし、旱魃も直接の影響はないので、村民とはかけはなれた氣持でゐたのだが、爲政者といふものは曲りなりにも村民の意向を體してゐるふりをしてゐなくてはならないので、ともかく井戸端へ來ただけにすぎない。旱魃がつづけば米作がなくなり、年貢がおさまらなくなるけれども、それはまだ先の話なのですこしも切實感はなかつた。現在の庄屋にとつては、五八玉とあがる五九玉と寄るかの方がおほど大切な問題だ。どちらがよいか正確な判断が出來ず、庄屋は頭がうづいた。藤の花は相かはらず美しく風にゆれ、周圍の奇怪などよめきにおどろいたやうに、ひとひらふたひらが散つて井戸の底ふかくへ落ちて行つた。

 井戸底では、河童が放心した顏つきで、瘦せた膝をいだいたまま、途方に暮れてゐた。若者から投げられたときの傷がうづく。すぐにチシンコの葉をこねてこしらへた傷藥をつけたので、化膿したり擴大したりする心配はないけれども、甲羅の鱗二三枚が落ちかかるほどひどい打撃を受けたので、しばらく靜養を必要とした。人間の聲を聞きたくなかつた。それなのに、人間どもは大勢集つて來て、井戸の周圍でわいわいとがなりたてる。なんのためかよくわからないが、きつと自分を祈り殺すために攻めよせて來たものにちがひないと河童は考へた。子供たちと遊んだことがどうして惡かつたのか。人間たちはただ自分が河童であるといふだけで、敵として抹殺しようとしてゐるのだ。若者がその選手として選ばれた。彼が自分を殺しそこなつたので、村中が總動員でこの井戸を包圍したのだ。河童は腹苦しく悲しく情なかつた。河童は子供たちに感謝してゐた。あのとき、杉林のなかで子供たちが若者をさへぎつてくれなかつたら、殺されてゐたかも知れなかつた。はじめから對等ならば負けはしないが、だまし打ちのうへに氣合が拔けてゐたから不覺をとつた。命が助かつたのは子供たらのおかげだ。井戸底にゐたのでは外部の樣子はよくわからないが、友だちの河童を攻め殺さうとしてゐる大人ども見て、子供たらはなにを考へてゐるであらうか。なにをしてゐるであらうか。もう一度河童を救ふために敢然と大人とたたかはないであらうか。この大人の大軍に對してはさすがに齒が立たないのであらうか。河童は一人一人子供たちの顏を思ひ浮かべ、樂しかつた日々を囘想して、もはや二度とその幸福はかへつて來ないことに涙した。しかし彼は人間を憎み復讐のために人間とたたかふ氣持はなかつた。もともと河童の分際で人間の世界に出て行つたのがまちがひであつたと反省し、罪を内部へ求めることによつて孤獨を深めた。子供と遊んだことを楯(たて)にとつて、自分を祈り殺さうとしてゐる人間たちの殘忍さを恐しく感じたが、そんな人間の祈禱ぐらゐで、自分の生命が左右されることは絶對にないことは確信してゐたので、むしろ人間のひとりよがりが滑稽だつた。また、いかにももつともらしい神主の祈禱ぶりも腹の底を割れば處世術のためのインチキにすぎないから、どんな呪文にも所作にもあらたかな效驗などあらはれるはずはない。河童はよくそれを知つてゐた。ただ、かううるさくてはやりきれない。そつと一人にしておいてもらひたいのである。しかし、外部の騷擾(さうぜう)はけたたましさを増すばかり、日がかたむき、たそがれて來て、あたりが暗くなつても、星が出ても、月が出ても、一向にやむ樣子がなかつた。井戸のなかに棲んでゐる者たち、山椒魚、鯉、鮒、蟹、源五郎、アカハラなどもあきれた顏つきで、ひそひそとさきやきあつてゐたが、河童が浮かぬ面持で不機嫌きうにしてゐるので、だれも話しかける者はなかつた。井戸の水面には散り落ちて來る藤の花びらの數が増し、そこへ小さい宇宙が出來て、遊星がただよつてゐるかのやうに、花びらは動くともなく動いてゐた。

 

 

 

 數日が過ぎた。

 旱魃はいよいよひどくなり、井戸の中にはさかんに胡爪や茄子やたうもろこしが投げこまれた。人間たちは抽象的な呪文や歎願では貧欲な河童をうごかすことはむづかしいと考へて、買收戰術に出たのであつた。村のインテリである神主が民俗學を研究して、河童の好物を調べたのである。日照りのためそれらの野菜も出來がわるかつたけれども、相手が河童であるし、少々の腐れや蟲食ひがあつても多量に投與すれば、河童の歡心を買ふことが出來ると考へたにちがひない。しかし、河童はおどろいた。いよいよ攻擊が本格的になり、人間どもが爆彈を投下しはじめたと思つたからである。井戸はみるみる胡瓜と茄子とたうもろこしとで埋められた。恐怖にかられた河童は水底深くもぐつてゐたが、爆彈は炸裂(さくれつ)する樣子もなく、ただ水面を掩つて、天の光をさへぎつたにすぎなかつた。鯉や鮒や山椒魚がそれをつついてゐる。しかし、彼等にとつても御馳走ではなく、人間どものおせつかいや錯覺に舌打ちして、早くかういふ愚劣な騷ぎがとりやめになることを願はない者はなかつた。河童にも幾多の種類と血統があり、胡瓜や茄子を好む一族もあるであらう。特に南方の種族はそれらをたいへん愛好するらしい。しかし、この井戸の河童はただ水だけで充分なので、かかる御馳走の押し賣りは有難迷惑であつた。人間どもの智慧があさはかなのは、河童を恐れながらも河童を輕蔑し、河童の特殊性や嗜好(しかう)に對する研究が不充分のためにちがひない。河童は汚物によつて井戸がけがされることを歎きながらも、人間たらの行爲をとどめる術を知らなかつた。また、愚鈍な河童は人間たちの目的が河童を斬り殺すことにあると思つてゐたのに、食べ物をほりこんだりする意味が飮みこめず、この矛盾を解決出來ないで、次第にノイローゼ氣味になつて來た。

 或る日、井戸の口から子供の屍骸が落ちて來た。やはり子供たらは河童に逢ひたくてたまらず、大人たちの祈禱の間、すきを見ては井戸に近づかうとしてゐたのであつた。そして、一人の子供が井桁(ゐげた)から下をのぞいたのだが、あやまつて落ちたのである。哀れな子供はその拍子に岩ではげしく頭を打ち、水面に到着したときには死んでゐた。河童はおどろいた。人間もおどろいた。河童の方は人間がいよいよ矯激(けうげき)さを發揮して、子供を贄(いけにえ)にしたのだと思ひ、人間の方は殘忍で貪婪(たんらん)な河童が胡瓜や茄子などでは滿足せず、子供を引きこんだと信じたのである。さすがに人間たちは動搖した。村論は二つに分れた。保守派の方はいますこし祈願をつづけるべきだといひ、革新派はただ河童を増長させるだけにすぎないから、この犧牲を最後にして打ちきつた方がよいと主張した。ところが、その議論はまだ亂鬪にいたらないうちに新しい結論を生んだ。入道雲がギラギラ光りながら立ちならんでゐる山嶽の方角に、突然遠雷のとどろきが聞えて來たからである。人々がいつせいに顏をあげ耳をすましてゐると、その雷鳴は次第に大きくなり、靑空の一角に黑雲が湧きおこつて走るやうに村の上空にひろがつて來た。ばらばらと雨が落ちて來た。村民たらは狂喜の喊聲(かんせい)をあげた。しかし、それは夕立にすぎなくて、ひとしきりそこらを濡らした後、雲は雷とともに消えて行き、さらにはげしい炎熱と太陽の直射とが地上を灼(や)いた。ちよつと黑味を帶びた田の土が紙をめくるやうに白つぽく乾き、龜裂のためかたむいた稻の苗も一瞬にしてかさかさとなつた。村人の顏は失望に曇つた。無論、この夕立が河童となんの關係もない偶然であつたことはいふまでもない。しかし、ひとつの動議が出された。神主は希望にあふれた面持をして大演説をはじめた。河童の魂膽がいまや明らかになつた。子供一人を得たためとにかく雨を降らせたが、それは思はせぶりである。もつと雨を降らせてやるから、もつと子供をよこせといふ謎にちがひない。死滅寸前にある村を救ふためには人身御供(ひとみごくう)が必要だ。河童は自分と遊んでゐた子供の贄を欲しがつてゐる。いまは河童の願望どほりにするほか村を復活せしめる方法はない。この提案に庄屋も贊成した。彼はやはりさつきから頭のなかでは將棋の手ばかり考へてゐたが、神主の動議に贊成演説をして、この案は王手飛車のやうな妙手で、河童を負かすにはこの一手しかない、自分も率先して伜を人身御供にささげたいと結んだ。庄屋は、自分が將棋ばかり指してゐる間に、女房が間男をしてこしらへた子供をもてあましてゐたので、これ幸と贄として提出したのであるが、この血肉をも犧牲にする庄屋の崇高な精神は村人を感動させずには置かなかつた。投票がおこなはれた。民主主義といふのは多數決のことだと思ひこんでゐる人たちばかりなので、選ばれた五人の子供たちはのがれることが出來なかつた。そのなかには庄屋の不義の子とともに、河童を投げたふした若者の弟もゐた。子供たちは泣き叫んだ。河童には逢ひたいけれども、井戸の中に投げこまれるのは怖(こは)かつた。しかし大人たちは決議のとほり、次々に子供たちを井戸の中に落しこんだ。長い圓筒形の井戸の内側に悲しい叫び聲がこだまし、そのこだまは井戸の上の藤の花をゆるがして、たくさんの花びらを散らせた。

 河童は忍耐の限度をうしなつた。人間たちの奇怪な行動がこのむざんさに發展するにおよんで、やうやく井戸をすてる決心がついたのである。歷史と傳統と權威とによつて、永世の棲家(すみか)と定められてはゐるのだが、こんなにも荒されては、到底これ以上住むに耐へられなかつた。可愛いい子供たちには逢ひたくてたまらなかつたが、屍骸と遊ぶことは出來ない。絶望した河童は井戸の底から飛びだした。その拍子にまた多くの藤の花を散らしたが、河童の姿を見てざわめく人間たらには眼もくれず、一散に入道雲の方角にむかつて走り去つた。

 五人の子供が投げこまれた後も、雨の降るきざしはなかつた。靑空と白雲と太陽とは永遠の裝置のやうに變化を見せようとはせず、村人たちの期待は裏切られた。しかし、加持祈禱と占ひの名人である神主によつて、新しい解決法がとられたのである。御幣を打ちふつて不思議な呪文をとなへてゐた神主は、霹靂(へきれき)は井戸のなかにあると宣言した。さつき河童が退散して行つたとき、自分は彼の言葉を聞いた。河童は旱魃の田を救ふためにこの井戸水を使用してもよいといつた。この深い井戸の水は數日の雨量に匹敵してゐるから、天の雨を待つ必要はない。われわれは河童の義俠心に感謝しなくてはならない。この神主の言葉に村民たちはどよめきたつた。庄屋は立ちあがつて、ただちに井戸の水を田へ移せと命令した。短軀醜面の指揮官は一向勇しく見えなかつたけれども、その金切聲は威嚴に滿ちてゐた。絶動員で灌漑作業がはじまつた。井戸から汲みあげられる水はどんどん田へ引きこまれ、白く乾いてゐた土は黑くしめり、やがて水の下に沈んだ。稻の苗も活きかへつた。神主のいつたとほり、井戸水は豐富で無盡藏の感があつた。みるみる村の田には水がそそぎこまれ、百姓たらは活氣づいてよろこびの歌をうたひだした。田とともに人間も生色をとりもどした。

 井戸の緣には泣きながら母親たらがたたずんでゐた。村人たちは人身御供はすつかり河童から食べられてしまつたと信じてゐたけれども、六人ともそのままだつた。遺骸は引きあげられて手あつく葬られた。神主はきつと尻手玉が披かれてゐるにちがひないといつたが、河童はどこにも手をつけてゐる痕跡はなかつた。

 

 

 

 埃(ほこり)の舞ひあがる炎熱の街道を、河童は喘ぎ喘ぎ歩いてゐた。もう若者から投げられたときの傷は醫えたと思つてゐたのに、歩きつづけてゐるうらにまた痛みだし、全身にそのうづきが傳はつた。背の甲羅は外れさうになつてぎすぎすと鳴り、頭の皿の水ははげしく蒸發して氣力が衰へた。しかし附近には水を補給出來る川も沼も井戸もなかつた。見わたすかぎりすべてが乾ききり、ただ陽炎(かげろう)がえんえんと燃えてゐるばかりである。花の下の井戸を追放されては行くところといへば兄のところしかない。深い森のなかのきたない泥沼で、淸澄な水に住みなれた身には快適とはいひがたいが、萬やむを得なかつた。久しぶりになつかしい兄に逢ふよろこびも手つだつて、河童は道を急いでゐた。兄へなにもかも話さうと息ふ。きつと兄も人間の仕打らについて怒るだらう。たしか兄も前になにか人間といざこざをおこして、手痛い目にあはされた經驗があるはずだ。人間と接觸して得になつたためしがない。人間の相手になるなといふのはきびしい傳説の掟になつてゐる。子供ならいいだらうと思つたのが不覺であつた。河童は早く山の沼にたどりつきたかつた。しかし皿の水の乾燥とともに疲隴困憊(こんぱい)の極に達し、あと一里はどのところに來て、もう一歩も進むことが出來なくなつた。腹も減つたし、河童は路傍の石に腰をおろして吐息をついた。瘦せこけた膝を抱いてあたりを見ました。水のにほひは相當遠くからでも鼻にかひいて來るのであるが、どこにも水氣のある氣配はなかつた。きびしい山中である。ここでのたれ死にするのかと情なかつた。どうやら日の暮れに近く、深い杉林は暗くなつて、どこかで梟(ふくろう)が鳴いてゐた。天をあふぐと、うす靑い黄昏の空に爪あとのやうな細い月が浮いてゐる。星もかがやきを増しはじめた。

 河童は耳をすました。眼をかがやかした。たしかに足音だ。兄が水を持つて迎へに來てくれたのではあるまいか。河童はさつきから氣分が惡くなつて嘔氣(はきけ)をもよほし、耳鳴りまでもしはじめたので、死期が遠くないことを悟つた。けれどもいま水を持つて兄が迎へに來てくれれば充分助かる。河童は眼をこらして足音の方角を見た。すでに聽覺も麻痺してゐたのか、足音は沼とは反對の方からであつた。一人の年老いた樵夫(きこり)があらはれた。河童にひとつの思案が湧いた。足もとに生えてゐる蕗(ふき)の大きな葉を一枚もぐと、それに指の爪で手紙を書いた。いま沼に近いところまで來てへたばつてゐるから、すぐに水を持つて、迎へに來て下さい。兄への傳言である。樵夫が近づいて來ると呼びとめた。樵夫はちよつとおどろいた顏つきをしたが、へとへとになつてゐる河童の樣子を見て哀れがり、河童の依賴を引きうけた。河童はこの蕗の葉を沼のなかに投げこんで下さればいいのだといひ、頭を下げて拜む恰好をした。ふだんならうつかり頭は下げられないのだが、もう水分がほとんど涸渇してゐるので、水が流れる心配はない。樵夫は承知し、その蕗の手紙を持つて沼の方への道へ去つて行つた。日が落ちて山は暗くなつた。樵夫が鼻唄をうたひながら山道を進んで行くと、前方から一人の僧侶がやつて來た。やあ、和尚さん、今晩は、と樵夫は挨拶した。和尚はにこにこして、今お歸りかのといつたが、樵夫の持つてゐる蕗の葉に眼をとめて、妙なものを持つてゐるがそれはなんぢやねと訊(き)いた。へい、いまあそこで河童からことづかつた手紙です。その河童への手紙をどうするんぢや。沼にほりこんでくれと賴まれました。さうかい、それはをかしな賴まれごとをしたもんぢやが、あの沼にも河童が居る。なにかの連絡ぢやらう。したが、ちよつとその河童の郵便をわしに見せてみなきれ。和尚は蕗の葉をうけとり、丸い表面に爪でのたくつてある字を見た。アブストラクト模樣のやうだが、無論、和尚には讀めなかつた。しかし、神主とか坊主とかいふものはインテリで物識りといふことになつて居り、まつたくわからないでは沽券(こけん)にかかはる。また實際に和尚は民俗學の知識があり、諸國の河童の生活や言動についても多くの薀蓄(うんちく)があつた。そこで、聲をひそめものものしい樣子になつて樵夫に耳打ちした。あんたはたいへんな手紙をことづかつた。手紙には、これを持つて行く男は紫尻で、たいそうおいしい尻子玉の所有者だから、すぐに沼に引きこんでおいてくれ、自分もあとから行つて御馳走になる、と書いてあるんぢや。こんな例は前にもあつた。すんでのところで河童の餌食になるところであつたが、わしに逢つたのが佛のみちびきぢや。こんな手紙破つてすてなはれ。樵夫は仰天してすぐに蕗の葉をずたずたとちぎりすて、河童のたくらみの恐しさに今さら膽を冷した。そして、さらに草鞋(わらぢ)の下で手紙をふみにじると、道を變へ、沼を避けて家路についた。和尚は人助けしたことに滿悦し、佛の慈悲の廣大無邊に感謝しつつ、珠數をつまぐり、念佛をとなへながら、足どり輕く山をくだつて行つた。

 藤の花の下の井戸の水は汲みつくされた。無盡藏のやうに見えたけれどもさうではなかつた。村の水田は生きかへったが、井戸は涸れた。藤はおしやれな花で、下に水鏡の出來る水がないと花を開かないといはれてゐる。それかあらぬか、水のなくなつた井戸の上で、その年から藤はまつたく花を咲かせなくなつた。

 いま旅人はこの井戸のほとりに三つの碑を見ることが出來る。一つは將棋をさしながら死んだといふ庄屋の墓で、將棋盤の形に刻んだ四角な石の上に、駒の形の石がのせてあり、四角院金銀桂香居士の戒名が彫られてある。一つは雨乞ひの犧牲となつた六人の子供の供養塔。最後の一つは、義俠心に富んだ河童の頌德(しようとく)碑で、えらい儒者が選文したといふ碑文には、最大級の讚辭がつらねられてある。しかし、これらの碑は特に藤棚の下に建てられたといふけれども、藤はいつ枯れたのか見ることが出來ず、ただ古びはてた井戸の桁に、河童の爪痕らしいものがかすかに殘つてゐるにすぎない。

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