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2015/05/06

大和本草卷之十四 水蟲 介類 牡蠣

カキ・フリークの僕の渾身注である。実は勘違いで「ウニ」「ヨメガカサ」「マテガイ」を飛ばしたことについさっき気づいたが、やり出して丸一日半でやっと今完成、公開しないのは癪に障る。「四生」説についての私の見解はちょっとばっかしリキが入った。お暇な折りに御笑覧頂けるならば、こんなに嬉しいことは、ない。――



牡蠣 海邊ノ石ニツキテ自然ニ化生ス海人打クダキテ肉

ヲトル大小アリ冬春味ヨシ四月以後秋マテ不可食

故海人トラス凡介ノ類胎生ス又卵生アリ只蠣ノミ

化生ス蠣ノ殻ヲヤキ其灰ヲ以テ壁ヲヌル事本草ニ見ヱ

タリ又泉南雜志曰泉無石灰燒蠣房爲之堅白細

膩久不脱○今按スルニ畿内ニハ石灰ヲ用ヒ西州ニハ

蛤蠣ノ灰ヲ用テカヘヲヌル又蠣肉蟹トナル○

蠣殼ノ高山ノ上ノ大石ニツキテアル事中華ノ書ニ見ヘタ

リ日本諸州ニモ往々有之邵子 説ニ天地一元ノ壽

數ヲ十二會ニ分テ凡十二萬九千六百ヲ以天

地ノ壽數トス其數ヲハレハ天地萬物滅ヒテ又改リ

生ス一會ヲ一萬八百年トス今ハ子ノ會ヨリ六萬年餘

ニアタレリトス天地ノ改ル時土地萬物ハ皆變滅ストイヘ

ドモ只石ハ不亡然ラハ高山ノ蠣殻ハ前ノ天地ノ時ノ大石

ニ付タルカ今ノ天地トナリテ高山ノ上ニノホルナルヘシ此説

ニヨレハ無疑○凡蠣ハ石ニ付テ生シ一處ニアリテ動カ

ス故ニ牝牡ノ道ナシ子ヲウマス皆牡ナリ故牡蠣ト云

是本草陳藏器李時珍カ説ナリ一處ニアリテ不動モ

ノ蠣ノ外ニハマレナリ又弘景曰以口在上擧以腹向

南視之口斜向東則是左顧○本草原始曰左顧

者雄也故名牡蠣篤信云此前説皆牡ナル故牡蠣

ト名ツクト云ニ不同今按醫書以左顧者爲佳左顧

トハ其口東方ニ向タルヲ云是陶説ナリ蠣肉性ヨ

シ本草ニミヱタリ薑醋ニテ生ニテ食ヒ炙リテ食フトイ

ヘリ○ヲキカキ海中フカキ處ニアリ大ニシテ色黄ナリ夏

食ス常ノ蠣ハ石ニ附テ生ス故ニ殻偏ナリヲキカキハ偏

ナラス其殻蚌ノ如ク外ハ皆殻ナリ味ハヲトレリ又コロヒ

カキト云蚫ノ大サナルアリ猶大ナルアリ泥海ニ多シ

○やぶちゃんの書き下し文

牡蠣(かき) 海邊の石につきて、自然に化生〔(かしやう)〕す。海人、打ちくだきて肉をとる。大小あり。冬春、味、よし。四月以後、秋まで食ふべからずと。故に海人、とらず。凡そ介の類、胎生す。又は卵生あり。只だ、蠣〔(かき)〕のみ化生す。蠣の殻をやき、其の灰を以つて壁をぬる事、「本草」に見ゑたり。又、「泉南雜志」に曰く、『泉に石灰、無し。蠣房〔(れいばう)〕を燒きて之と爲〔(な)〕す。堅白・細膩〔(さいじ)〕、久しく脱(を)ちず。』と。今、按ずるに畿内には石灰を用ひ、西州には蛤蠣〔(がふれい)〕の灰を用ひて、かべをぬる。又、蠣の肉、蟹となる。蠣殼〔(かきがら)〕の高山の上の大石に、つきて、ある事、中華の書に見へたり。日本諸州にも往々、之れ有り。邵子〔(せうし)〕の説に、『天地一元の壽數〔(じゆすう)〕を十二會(ゑ)に分けて凡そ十二萬九千六百を以つて天地の壽數とす。其の數、をはれば、天地萬物、滅びて、又、改まり、生ず。一會を一萬八百年とす。今は子の會より六萬年餘に、あたれり。』とす。天地の改まる時、土地・萬物は皆、變滅すといへども、只だ、石は亡びず。然らば、高山の蠣殻は前の天地の時の大石に付きたるか。今の天地となりて高山の上のぼるなるべし。此の説によれば疑ひ無し。凡そ蠣は石に付きて生じ、一處にありて動かず。故に牝牡〔(めすおす)〕の道、なし。子を、うまず。皆、牡なり。故に牡蠣と云ふ。是れ、「本草」の陳藏器・李時珍が説なり。一處にありて動かざるもの、蠣の外にはまれなり。又、弘景が曰く、口、上に在るを以つて、擧(みな)、腹を以つて南に向けて之を視るに、口、斜めに東に向く。則ち、是れ左に顧〔(み)〕るなり。「本草原始」に曰く、『左に顧る者は雄なり。故に牡蠣〔(ぼれい)〕と名づく。』と。篤信〔(あつのぶ)〕、云ふ、此れ、前説、皆、牡なる故、牡蠣と名づく云ふに同じからず。今、按ずるに、醫書、左に顧る者を以つて佳と爲〔(な)〕す。左顧とは其の口、東方に向きたるを云ひ、是れ、陶が説なり。蠣肉、性〔(しやう)〕、よし。「本草」にみゑたり。薑醋〔(しやうがず)〕にて生にて食ひ、炙りて食ふといへり。「ヲキガキ」海中ふかき處にあり。大にして、色、黄なり。夏、食す。常の蠣は石に附き生ず。故に、殻、偏〔(へん)〕なり。「ヲキカキ」は偏ならず。其の殻、蚌〔(どぶがひ)〕のごとく、外ハ皆、殻なり。味は、をとれり。又、「コロヒカキ」と云ふ蚫〔(あはび)〕の大いさなるあり、猶ほ大なるあり。泥海に多し。

[やぶちゃん注:取り敢えずは現行の食用種として、斧足綱ウグイスガイ目イタボガキ科マガキ属マガキCrassostrea gigas・イワガキ Crassostrea nipponaスミノエガキCrassostrea ariakesis シカメガキ Crassostrea sikamea 及びイタボガキ属イタボガキOstrea denselamellosa の五種を挙げておく(ヨーロッパヒラガキ Ostrea edulis の移入は近代以降と考えられるので除外る)。基本的な標準記載のそれは現在のマガキCrassostrea gigas と同定してよく、独立して挙げられる「ヲキガキ」沖牡蠣というのは現在の岩牡蠣、イワガキ Crassostrea nippona と考えてよいと思われる。ただ、最後に出る「コロヒカキ」(「コロビガキ」かも知れない)はいろいろ考えたが同定に至らなかった。まず、イタボガキOstrea denselamellosa ならば、本州以南と棲息域が広範で殻が円形を帯び、大きい(肉量も多く、美味で盛んに食用に供されてきた)から、この叙述に最も合致するとは言えるが、それにしては棲息域を「泥海」というのは引っ掛かる。寧ろ、四国・九州の潮線下と限定されるものの、有明海の河川河口の澪筋などに現在も棲息するスミノエガキ Crassostrea ariakesis ならばこれに相応しいようにも思われる。しかし、ともかくもこの不思議な「コロヒカキ」の名が何処かで生き残っていれば分かるのだが。識者の御教授を乞う。

 

「化生」本来は仏教に於ける生物発生説、生まれ方の違いに拠った四分類法である「四生(ししょう)」(生命体、通常は動物類の出生時の方法によって四つに分類したもの。それぞれの頭をとって「胎卵湿化」などとも称する)の一つである。現行では生物学用語の「胎生」「卵生」をそれぞれ「せい」と音読みする関係上、私なども古文献にあって、つい「湿生(しっせい)」「化生(かせい)」と読んでしまうが、本来は「しやう(しょう)」が正しい。以下、仏教の四生観をもカバーしながら、ここでやや長くなるが、私が認識する伝統的な博物学上の「四生」の定義を以下にオリジナルに示したい。

○胎生(たいしょう)

 母胎内から出生(しゅっしょう)するもので、衆生の中でも正常な人としての衆生の生まれ方に象徴され、しかもそれ以下の畜生である獣類をも含むところの出生形態を指す。現行のヒト・類人猿以下の哺乳類全般と、成体に相同か相似な小型個体を産出するか或いは産出するかのように見える動物群が含まれる。現行の卵胎生性が普通に視認出来るか或いは卵発生が普通に視認出来ずに小さな子が生まれるかのように見える動物群(タナゴやタニシなどの他、場合によっては分裂や出芽によって単為発生するか或いは擬似的にそう見える動物群、例えば一部のイソギンチャク類などで見られるようなものもこれに含まれて認識されていた可能性が高い)も古くから極めて例外的にこれに含まれてきたようである。但し、著しく異なる形状の場合は正常な胎生とは考えられなかったと考えられ、寧ろ、形状が著しく異なるものは「化生」に誤認されるか、或いは異物・奇形の異常出生と認識された可能性が高いと思われる。

○卵生(らんしょう)

 卵状或いは粒状の物体から孵化するもの或いはそのように見えるもので、現行の鳥類以下、魚類までの脊椎動物群の殆んどと、卵状粒状の物体からの発生が普通に視認出来る無脊椎動物群が含まれる。但し、卵が有意に微細な昆虫類などの無脊椎動物の場合は、次の湿性か、或いは微細卵から孵化した親に著しく相似した不完全変態幼体が親の身体近くに接触して守られているのがはっきりと視認され得る場合などは寧ろ、例外的に胎生として認識されていたものもないとは言えないであろう。但し、次の湿生で述べるように、昆虫類を中心とした、容易に視認得るような大型の卵を持たず、「虫けら」として人の関心を集めなかった粗方の無脊椎動物群は、「蟲類(ちうるい)」(ちゅうるい)として、卵生ではなく、殆ど総てが湿生と認識されていたように思われる。

○湿生(しっしょう)

 卵が微細で視認困難であるか、或いは胎生出生或いは卵とその孵化などが、ヒトの日常的空間内で観察出来ないか或いは人の日常生活に関係の薄い動物群の内、大気や水中・土中の概ね湿気を含んだ空間中から産み出されてきたかのように見えてしまったものを総てこれで纏めた。生物学的観察の関心が及ばなかった古い仏教時代の認識や、とりわけ大陸の本草書の強い影響から、近世の博物学の発展を見るまでは、昆虫類を含む、卵胎生発生や卵や孵化の実際を人が日常的に見ることがない(と言うよりも関心が働かない)無脊椎動物群の多くはこの湿生類に分類され、十把一絡げに「蟲類」と(少なくとも多くの庶民には)考えられていた観がある。但し、湿生と認識していても、それらの動物群(特に昆虫)の中には形状や色が有意に異なることから、かなり古くから庶民が雌雄を認めていたものもあり、そこで本草家の間では湿生から雌雄の交尾による卵生への格上げが急速に行われてゆく過程、卵生類と湿生類の部分集合の増大、昆虫類の正統な博物学的分類発展が、やはり同時に古くからかなりあったのだと考えてよい。例えば、寺島良安の「和漢三才図会」の「巻第五十二」の「蟲部」を見ると、「卵生類」として、

蜂(はち)・大黄蜂(やまばち)・胡蜂(くろばち)・赤翅蜂(あかばち)・螳蜋(かまきり)・桑螵蛸(おおじがばち)・蠶(かいこ)・蝶(ちょう)・燈蛾(ひとりむし)・鳳蝶(あげはちょう)・蜻蛉(とんぼ)・水蠆(たいこむし)・斑猫(はんみょう)・蜘蛛(くも)・絡新婦(じょろうぐも)・草蜘蛛(くさぐも)・壁銭(ひらたぐも)・蠅虎(はえとりぐも)・全蠍(さそり)・蛭(ひる)・蟻(あり)・*[「*」=「龍」(上)+「虫」(下)。](はあり)・蠅(はえ)・狗蠅(いぬばえ)・壁蝨(だに)・蝨(しらみ)・陰蝨(つびしらみ)・牛蝨(うしのしらみ)

などを挙げている(一部の読みは東洋文庫版現代語訳第十八巻の総目次を参考にした。種を想起し易い種と漢字表記出来るもののみを挙げたもので総てではない)。この内、例えば「蛾」は大谷大学公式サイト内の「生活の中の仏教用語」にある日本近世近代宗教史の木場明志(きばあけし)教授の「化生」を見ると、湿生の項に『蚊・蛾などの虫類』とあって、古くから仏教では湿生として捉えられていることが分かる。また、「巻第五十四」の「蟲部」「湿生類」には、

蟾蜍(ひきがえる)・蟾酥(かえる)・蛙(あまがえる)・蜈蚣(むかで)・蚰蜒(げじげじ)・蠼螋(はさみむし)・蚯蚓(みみず)・蝸牛(かたつむり)・蛞蝓(なめくじ)

が挙げられてある。

○化生(けしょう)

 胎生でも卵生でもなく、また、湿気に分類し得るような有意な出生(しゅっしょう)空間や要因を持っているようには見えず、しかも、何もない時空間から突然突如、人知を越えて出現すると思った或いは生じたかのように思われたものを、仏教の前世の「業(ごう)」におって忽然と出生する、生じたものとして、かく呼称した。謂わば、論理的説明のつかないような、湧いて出る、怪しい生物群がこれに割り当てられた。前に引いた寺島良安の「和漢三才図会」の「蟲部」の「卵生類」に続く「化生類」を見てみよう(参考その他は同前)。

蝎(きくいむし)・蠋(はくいむし)・蚇蠖(しゃくとりむし)・螟蛉(あおむし)・蟬(せみ)・蟪蛄(くつくつぼうし)・茅蜩(ひぐらし)・田鼈(たがめ)・蜉蝣(せっちんばち)・天牛(かみきりむし)・螻蛄(けら)・螢(ほたる)・衣魚(しみ)・蜚蠊(あぶらむし)・行夜(へひりむし)・莎鷄(きりぎりす)・蟋蟀(こおろぎ)・螽斯(はたおり)・松蟲(まつむし)・金鐘蟲(すずむし)・吉丁蟲(たまむし)・金龜子(こがねむし)・叩頭蟲(こめつきむし)・蚊(か)・孑孑(ぼうふら)・蚋子(ぶよ)・蚤(のみ)・蓑衣蟲(みのむし)

しかし、この「化生」は、まがまがしい存在に限定した「化生のもの」という謂いが固定化したために、異常で邪悪なものとしての認識が殆どであるが、これは本来は誤りであると思う。先に掲げた木場明志の「化生」を見ると、『よりどころなしに、自らの過去の業力(ごうりき)によって忽然(こつぜん)と生まれるもの。天の神々、地獄の住人、前世の死の瞬間から次の生を受ける瞬間までの中間的存在である中有(ちゅうう)の生きもの。…であって、化けものを「化生」とすることは、死から次に転生(てんしょう)するまでの中間における霊的存在を表わす用例の一つであろう』と語りだされており、『化生には化身の意味の用例もある。『今昔物語集』には「義淵僧正という人ましましけり。…これ化生の人なり。」と、仏・菩薩の化身とおぼしき人に化生の語を用いている。仏・菩薩が人として現れることは化生としか説明できないのであろう』と述べておられるのが私の謂いに正統性を与えてくれる。『ところで、自らの業力による生まれ方を化生とすることは、現在の自分のあり方への認識次第で、人間が仏に化生することが可能であることを意味する。『仏説無量寿経』は』、『これらの衆生[人々]、…かの仏[無量寿仏]に随(したが)いてその国[浄土]に往生せん。すなわち七宝華の中より自然に化生し、不退転に住せん』と、『浄土に往生する生まれ方の一つとして、無量寿仏[阿弥陀仏]の教えに帰することによる化生があると説く。親鸞も「化生のひとは智慧すぐれ無上覚(むじょうかく)をぞさとりける」[『正像末和讃』]と、浄土への化生をほめたたえ、勧めている。仏になることと化けものになること、共に化生であるのには妙に考えさせられる』と解説しておられる。

 ともかくもしかし、益軒がこの時代にあっても牡蠣を化生としていたことは興味深い。それは本文で以下「凡そ介の類、胎生す。又は卵生あり。只だ、蠣のみ化生す」(およそ貝の類は皆、胎生或いは卵生であるが、ただこの牡蠣(かき)のみが化生である)と語る通り、中国の本草書による「牡蠣」の、雄しかいない、という間違った釈名や集解が、如何に近世の博物学を誤った方向に呪縛し続けていたかがよく分かる一例だからである。但し、益軒はご覧の通り、後で雌雄があるという食い違う本草の説(後注する)を提示して不審がってはいる。

 

「冬春、味、よし。四月以後、秋まで食ふべからずと。故に海人、とらず」人見必大の「本朝食鑑」の「牡蠣」に、

   *

自九十月至春三月味美夏月肉脆味甚鹹不宜食故海俗不采之

(九・十月より春三月に至るまで、味はひ、美なり。夏月、肉、脆くして、味はひ、甚だ鹹(しほから)し。食するに宜しからず。故に海俗、之を采(と)らず。)

   *

とある。記載は陰暦であるから、美味いとする「九・十月より春三月」は、新暦の九月下旬から十一月上旬より三月下旬から五月上旬までということになる。これは西洋から伝来し、まことしやかに言い慣わされている「英語でRのつかない月(五~八月)には食べるな」という謂いとほぼ一致する。世間では如何にも「科学的」に、夏場は菌の繁殖が活発となって食中毒の恐れがあり、産卵期には身が痩せて美味しくないからだ、というのであるが、これはどう考えてもおかしいのだ。食中毒はまだしも、産卵期に入る直前は素人から見たって産卵のためにカキは栄養を蓄え、旨味成分であるグリコーゲンが最も高くなるに決まっていることは明白だからである。実際、販売が中止される三月下旬から五月頃の産卵直前のマガキこそが非常に美味いのである。美味いがしかし、これは「養殖業者にとっては食されては困る」というのが真相なのである。近年は、養殖業者の中にはそうした事実を明らかにしているサイトもあるが、未だに「Rのつかない月にカキを食べると当たる」と平然と主張している記載も多く見かける(無論、産卵を終わってしまったものは瘦せてまずいのは事実である)。産卵期が後ろへずれる(六~八月)イワガキを夏ガキと称して食べることを慫慂するのは、そうした間隙を埋めるための戦略でもあると私は真面目に思ってもいるのである。無論、産卵前の乱獲による個体数の激減こそが悪質にして致命的なことは言うまでもなく、それを悪質だと言っているのではない。しかし、大衆を一見科学的に見える誤魔化しの隠れ蓑で以って「危ないぞ」と脅すのはおかしいということを私は言いたいのである。カキ・フリークとしてこれだけは何時か言わねばならぬと思っていたことなのである。

『蠣の殻をやき、其の灰を以つて壁をぬる事、「本草」に見ゑたり』李時珍の「本草綱目」の「牡蠣」の「集解」に、

   *

時珍曰南海人以其蠣房砌牆、燒灰粉壁、食其肉謂之蠣黃。

 

とある。

「泉南雜志」明の陳懋仁(ちんもじん)の書いた泉州(福建省にかつて存在した州。閩(びん)州)の地誌。

『泉に石灰、無し。蠣房を燒きて之と爲す。堅白・細膩、久しく脱ちず。』中文サイトの「泉南雑志」の引用に、

   *

牡蠣、麗石而生、肉各爲房、剖房取肉、故曰蠣房、泉無石灰、燒蠣爲之、堅白細膩、經久不

   *

とある。これから「蠣房」は身を除いた殻のことを指すことが分かる。この「房」は実はカキ独特の集合着生に基づく謂いで、寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「牡蠣」に、『相ひ連なること、房のごとし。呼びて蠣房と爲す』とある。泉州では石灰を産出しなかったので、牡蠣殻を焼いてこれを石灰となして壁を塗ったが、それは非常に堅く白く、「細膩」(「膩」はあぶらの意)――きめ細やかですべすべして――、しかも年月を経ても剥落しない、というのである。

「西州」西日本。

「蛤蠣」二枚貝の殻とカキの殻。にも述べたが、益軒は本書の配置からも「牡蠣」を二枚貝ではない特別な貝類と考えているのである。但し、困ったことに「蛤蠣」は現代中国語ではハマグリの別名でもあるので注意が必要。

「蠣の肉、蟹となる」これは恐らく、カキの殻の中に寄生蟹ピンノ類(二枚貝・巻貝・腕足類・ナマコ類などの外套腔や排泄腔などに入り込んで片利共生(私は寄生と言いたい)する軟甲綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾下目カクレガニ科カクレガニ科 Pinnotheridaeに属するカニ類の総称)を見て、かく化生したと誤認したものと思われる。しばしばマガキの生体で見かけるものはアルコテレス属オオシロピンノ Pinnotheres sinensis である。それでも一・五センチメートル程度で、蟹となったとはあまり感じられない大きさではある。或いは、ピンノの寄生を見、後に死貝から身が腐って脱落したものの中にたまたま蟹類が棲家としていたのを見て、そうした化生過程と誤認したものかも知れない。

「蠣殼の高山の上の大石に、つきて、ある事、中華の書に見へたり」寺島良安「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「牡蠣」に、「本草綱目」からとして、

   *

初生、止(た)だ拳石(こぶし)のごとし。四面漸く長じて、一~二丈に至るは、嶄巖(ざんがん:とがって鋭い様。)として山のごとし。俗に「蠔山(がうざん)」と呼ぶ。

   *

とある。これは中文サイトの引用で「本草綱目」のある一本の「牡蠣」の「集解」に、

   *

引蘇頌曰、初生止如拳石、四面漸長、至一二丈者、嶄巖如山、俗呼蠔山。

   *

とあるものに拠るものらしい(「本草綱目」には諸版がある)。

「邵子」は北宋の儒者邵康節(しょうこうせつ 一〇一一年~一〇七七年)のことであろう。名は雍(よう)、字は尭夫(ぎょうふ)、康節は諡号。易学に基づく天象の数理的学説を李之才より受け、易に精通した。程顥(ていこう)・程頤(ていい)・朱熹らに影響を与えた。著作に「皇極経世」「伊川撃壌集」など。

『天地一元の壽數を十二會に分けて凡そ十二萬九千六百を以つて天地の壽數とす。其の數、をはれば、天地萬物、滅びて、又、改まり、生ず。一會を一萬八百年とす。今は子の會より六萬年餘に、あたれり』天地の寿命(命数)を十二の時期に分けて、十二万九千六百年個人ブログ「論語を詠み解く」のこちらの頁に、北宋末・南宋初の詩人で学者の呂本中(りょほんちゅう 一〇八四年~一一三八年)の「童蒙訓」が載り、その中に(一部の漢字と表記を変更した)、

   *

邵康節は自由に十二萬四千五百年を以て一會と爲す。開闢より堯の時に至るは、正に十二萬年の中数に当たる。故(もと)より先生の名は雍、字は堯夫。名の雍は、「黎民は變事にも雍なり」より取る。字の堯夫は堯の時の中数に当たるより取る。「四千五百年」の數は、詳(つまびら)かならず。其の洛陽に居るも、亦た天地の中を取ればなり。

   *

とあってその部分のブログ主の方の注釈に、

   《引用開始》

「皇極経世書」に中国暦が紹介されており、その中で、一世が三十年、一運が十二世で三百六十年、一會が三十運で一万八百年、一元が十二會で十二万九千六百年に相当すると書かれている。今これらの数字と異なることが記されているが、詳細は解らない。尚、今年平成二十四年は、開闢以来六万九千五十八年に当たるらしい。地球の寿命は、一元の二乗だという。「黎民於変事雍」なる言葉は書経堯典にあるもので、その意味は、「堯帝の力を以てしても抑えられない天変地異が起こっても、民人は堯帝を信じて安心立命の境地を以て泰然自若としている」と云うもの。

   《引用終了》

とある。それにしても何でここで天地開闢から消滅までが語られないといけないのだろうと不審に思ったところが、実は益軒の「養生訓」の巻第一の「総論上」にも、

   *

天地のよはひは、邵堯夫(せうげうふ)の説に、十二萬九千六百年を一元とし、今の世はすでに其半に過たりとなん。前に六萬年あり、後に六萬年あり。人は万物の靈なり。天地とならび立ちて、三才と稱すれども、人の命は百年にもみたず。天地の命長きにくらぶるに、千分の一にもたらず。天長く地久きを思ひ、人の命のみじかきをおもへば、ひとり愴然としてなんだ下れり。かかるみじかき命を持ながら、養生の道を行はずして、みじかき天年を彌(いよいよ)みじかくするはなんぞや。人の命は至りて重し。道にそむきて短くすべからず。

   *

とあるのを知った(本底本と同じ中村学園大学の、同大学校訂になる「養生訓」テキストを元に恣意的に正字化した)。益軒にとっては、この遠大な一つの世界にも寿命があるという認識こそが何を語る際にも非常に重要なものだったことが分かる。しかもその「天地の改まる時、土地・萬物は皆、變滅すといへども、只だ、石は亡びず。然らば、高山の蠣殻は前の天地の時の大石に付きたるか。今の天地となりて高山の上のぼるなるべし。此の説によれば疑ひ無し」と述べているので、彼は岩から化生する牡蠣というのは、我々のこの天地一元の前の、別な天地、時空間の時の大石に附着していた霊的な生命体であったことは疑いようがない、という驚くべき哲学を述べているのだということが分かってくるのである。実はそうした異次元の生命体だからこそ、次の「本草綱目」の見解が引き出されて来ると言っているのではあるまいか?

『蠣は石に付きて生じ、一處にありて動かず。故に牝牡の道、なし。子を、うまず。皆、牡なり。故に牡蠣と云ふ。是れ、「本草」の陳藏器・李時珍が説なり』まず最初に雄しかいないという記載を検証する。岩波書店のアリストテレス全集の複数の動物論中のカキの記載箇所を縦覧してみたが、アリストテレスは♂のみであるというような記載はしていない。雄山閣昭和六一(一九八六)年刊の中野定雄他訳になるプリニウスの「博物誌」では、第十巻の「生殖についての他の不思議なこと」には『カキやその他の浅い水底や岩にとりついている動物も無性』であるとし、『自己発生の動物』と呼んでいるところは化生説であるが、やはり♂だけだとは言っていない(下線やぶちゃん)。第三十二巻では「カキ」の独立項があって生態や生産地・薬効を仔細に述べるが、♂だけという記載はない。即ち西洋の博物学ではカキが♂だけであるという発想はなかったと考えてよいであろう。

 ところが、中国の本草書では一大潮流として(そうではない、雌雄があるという説も後述されるが)、ここで益軒が言っているようにまさに「牡蠣」には文字通り、♂しかいないという認識が古くからあったのである。ここで益軒の言うように、本邦本草学が強力に依拠した李時珍の「本草綱目」の「牡蠣」の「釈名」には、

   *

藏器曰天生萬物皆有牡牝、惟蠣是鹹水結成、塊然不動、陰陽之道、何從而生。「經」言牡者、應是雄耳。

   *

とあって――ただこの牡蠣だけは塩水が凝結結成したもので、塊となって生物体となったものの全く動かないから、陰陽(雌雄)の道理が、どうしてその牡蠣の生に適用出来ようか、いや、出来ない。「食経」にこれを「牡」と言うのは、まさにこれは雄のみしかいないからに他ならない――という謂いであろう。そうして、

   *

時珍曰蛤蚌之屬、皆有胎生・卵生。獨此化生、純雄無雌、故得牡名。曰蠣曰、言其粗大也。

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ともあるのである。

「一處にありて動かざるもの、蠣の外にはまれなり」……これは稀じゃあるまいよ、フジツボだってカメノテだってホヤだって全然、動かんぞ!……と一読思った。……と……校合用に参考視認している国立国会図書館デジタルコレクションの画像の「大和本草」の当該頁の手書頭書に、

 

 ホヤモ石ニ付テ不ㇾ動

 

とあるじゃないか! 私と同(おんな)じ不服を持った人がいたんだなあ!……と何だか、馬鹿みたいに嬉しくなりました。……

「弘景が曰く、口、上に在るを以つて、擧(みな)、腹を以つて南に向けて之を視るに、口、斜めに東に向く。則ち、是れ左に顧〔(み)〕るなり」これは既出の六朝時代の本草学者陶弘景(四五六年~五三六年)が前漢の頃に成立した中国最古の薬学書「神農本草経」を整序して五〇〇年頃に著わした「本草経集注」に載るもので、やはり「本草綱目」の「集解」に、

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弘景曰今出東海、永嘉、晉安。云是百雕所化。十一月採、以大者爲好。其生著石、皆以口在上。舉以腹向南視之、口斜向東、則是左顧。出廣州南海者亦同、但多右顧、不堪用也。[やぶちゃん注:以下略。]

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と出るのに拠る(これもとんでもない化生説から始まっていることに注意されたい。何と、カキは百歳を経た長寿の鵰(チョウ:大鷲。)が化して成ったものだと断言しているのである!)。以下は実は薬用にする殻「左顧」の説明で――石に附着した牡蠣はどれもが皆その口を上に向けている(この「上」という叙述によって殻頂(蝶番部分)が下方に当たることになる)。そのため、腹を南に向けては、口を上にして、腹(膨らんでいる現在で言うところの左殻を言うのであろう)側を南に向けてこれを上から見た時、二枚の殻の間の口が斜めになって東に向かっているのが見える。その東に向かっている方の殻が左顧という。――という恐ろしく迂遠な判断方法なのであるが、これはおそらく、現在の、質量も大きい深く膨らんだ左殻の方であろうと思われる。問題は最後の「出廣州南海者亦同、但多右顧、不堪用也」の部分で、当初、よく意味が分からなかったのであるが、これを解く鍵も「本草綱目」にあったのだ。「牡蠣」の冒頭である。

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釋名牡蛤〔別錄〕蠣蛤〔本經〕弘景曰道家方以左顧是雄、故名牡蠣、右顧則牝蠣也。或以尖頭爲左顧、未詳孰是。

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――道家ではこの「左顧」を以って「雄」として薬用処方とし、故に「牡蠣」と名づくのであって、「右顧」は則ち、「牝」の「蠣(かき)」なのである。或いは頭の尖った方の殻を以って「左顧」とするも、未だ孰れがこれはかは詳らかではない――というのである。即ち、元に戻ると、この「但多右顧、不堪用也」とは――広州や南海に産するカキもこの「左顧」と同様には見えるものの、それらは「右顧」で雌が多く、薬用としては用いない――という既にして雌雄のあることを意味する矛盾叙述の始まりでもあったのである。

「本草原始」明の李中立の本草書。

「篤信」貝原益軒の本名。

「此れ、前説、皆、牡なる故、牡蠣と名づく云ふに同じからず」一見、そうは見える。しかし、そうだろうか? 寧ろ、「出廣州南海者亦同、但多右顧、不堪用也」の部分に拘るから袋小路に陥るのではないか? この「右顧」「左顧」は一個体の薬用にする際の殻の左右の判別法を言っているに過ぎないのではないか? そして「右顧」を別に牡蠣殻の「牝」と呼び、「左顧」を別に牡蠣殻の「牡」と名指しただけなのではないか?  絶対の陰陽道の二元論的中国では、至極、普通の呼称である。そしてそれは意味ではなく、符号に過ぎないのだ。さらに言うなら、広州や南海産の牡蠣殻の「左顧」は実は薬剤の性質に於いて「右顧」の効能しか持たない似非「左顧」の左方の殻が圧倒的に多い、だから薬方としてはあちらの牡蠣殻は「左顧」であっても生薬素材としては用いないという意味にはとれまいか? だから「牡蠣」という「生体には牡(♂)しかいない」のだ、しかし牡蠣「殻の牝牡(メスオス)はある」んだ、であってなんらおかしくないのではなかろうか?!

『蠣肉、性、よし。「本草」にみ植ゑたり』やはり「本草綱目」の「集解」に、

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頌曰今海旁皆有之、而通、泰及南海、閩中尤多。皆附石而生、蠣房。晉安人呼爲毎一房有肉一塊、大房如馬蹄、小者如人指面。毎潮來充腹。海人取者、皆鑿房以烈火逼之、挑取其肉當食品、其味美好、更有益也。海族属最貴。

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とある(下線やぶちゃん)。]

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