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2015/05/25

「今昔物語集」卷第二十七 本朝付靈鬼 於内裏松原鬼成人形噉女語 第八

「今昔物語集」卷第二十七 於内裏松原鬼成人形噉女語 第八

 

[やぶちゃん注:これは私の偏愛する短篇である(その理由は注の最後で明らかにしよう)。本話は池上氏の岩波文庫版には所収しないので、小学館昭和五四(一九七九)年刊の馬淵和夫・国東文麿・今野達校注「日本古典文学全集 今昔物語集四」の原文を底本とし、片仮名を平仮名に直し、恣意的に漢字を正字化して示した。ルビは私が当初の凡例に準じて取捨選択した(底本のルビは歴史的仮名遣)。]

 

   内裏の松原にして、鬼、人の形と成りて、女を噉(くら)ひし語(こと)第八

 

 今昔、小松の天皇の御代に、武德殿の松原を若き女(をむな)三人(みたり)打群れて内樣へ行けり。八月十七(じふしち)日の夜の事なれば、月は極めて明(あか)し。

 而る間、松の木の本に男一人出來たり。此の過(すぐ)る女の中に一人を引(ひか)へて、松の木の木景(こかげ)にて女の手を捕へて物語しけり。今二人の女は、「今や物云畢(ものいひをはり)て來(きた)る」と待立てりけるに、やや久しく見えず。物云ふ音(こゑ)もせざりければ、「何(いか)なる事ぞ」と怪しく思(おもひ)て、二人の女寄(より)て見るに、女も男も無し。此(これ)は何(いづ)くへ行(ゆき)にけるぞと思て、吉(よ)く見れば、只(ただ)女の足手許(ばかり)離れて有り。二人の女此れを見て、驚(をどろき)て走り逃て、衞門(ゑもん)の陣に寄て、陣の人に此の由を告(つげ)ければ、陣の人共驚て、其の所に行きて見ければ、凡そ骸(かばね)散りたる事無くして、只足手のみ殘(のこり)たり。其の時に人集り來(きたり)て、見喤(みのの)しる事無限(かぎりな)し。「此れは鬼の、人の形と成(なり)て、此の女を噉(くひ)てけるなりけり」とぞ人云ける。

 然れば、女然樣(さやう)に人離れたらむ所にて、不知(しらざ)らむ男の呼(よば)むをば、廣量(くわうりやう)して不行(ゆく)まじき也けり。努々(ゆめゆめ)可怖(おそるべ)き事也、となむ語り傳へたるとや。

 

□やぶちゃん注

 本話の内容は、宇多天皇の勅命により藤原時平らが撰した延喜元(九〇一)年成立した歴史書「日本三代実録」の最後の第五十巻に載る、仁和三(八八七)年八月十七日の条に記す以下の記録に出るものと同じ事件を扱っている(以下は『岩手大学教育学部附属教育実践研究指導センター研究紀要』(第五号・一九九五年)に載る中村一基氏の「鬼譚の成立 <仁和三年八月一七日の鬼啖事件>をめぐって」の冒頭に引用されているものの、句読点の一部を改変して示した。同論文はまさにこの奇怪な出来事を細部まで徹底的に掘り下げたが記述論文で必読である)。

   *

○十七日戊午。今夜亥時、或人告、「行人云、武德殿東松原西有美婦人三人、向東歩行。有男在松樹下、容色端麗。出來與一婦人携手相語、婦人精感、共依樹下。數尅之間、音語不聞。驚恠見之。其婦人手足折落在地、無其身首。」。右兵衞右衞門陣宿侍者、聞此語往見、無有其屍、所在之人、忽然消失。時人以爲、鬼物變形、行此屠殺。又明日可修轉經之事。仍諸寺僧披請、宿朝堂院東西廊。夜中不覺聞騷動之聲、僧侶競出房外。須臾事靜、各問其由、不知因何出房。彼此相性云。是自然而然也。是月。宮中及京師、有如此不根之妖語、在人口。卅六種、不能委載焉。

   *

「亥時」は午後十時頃であるが、これは事件の起こった時間ではなく、この怪奇事件を「或人」が報告した時間である。従って事件そののもは最低でも三十分以上は前のことであるから、私は事件の発生は午後八時かそれ以前ではなかったかと想定している。「精感」とは「精(まこと)に感じて」とでも訓ずるか。私は――如何にも親しげに――程度の意味で採る。但し、底本日本古典全集の冒頭解説では、『しかし、本話が直接それに依拠したかどうかは疑問で、寧ろ両者間には仲介的文献を配慮すべきか』とも述べてある。

 寧ろ、これを後半部も含めてほぼそのまま書き改めたと思しいものが、「古今著聞集」巻十七の「變化」第二十七の冒頭の一篇(体系本通し番号五百八十九)である。以下に、西尾・小林校注になる新潮日本古典集成版を底本としつつ、恣意的に正字化して示す。

   *

 

   仁和三年八月武德殿の東松原に變化の者出づる事

 

 仁和三年八月十七日、亥の時ばかりに、あるもの道行人に告げけるは、武德殿の東の松原の西に、見めよき女房三人東へゆきけり。松下に容色美麗なる男いできて、一人の女の手をとりて物語しけるが、數刻(すこく)をへて聲もきこえずなりぬ。おどろきあやしみて見ければ、その女、手足をれて地にあり、頭は見えず。右衞門左兵衞陣に宿侍(しゆくじ)したる男、この事をきゝて、ゆきて見ければ、そのかばねもなかりけり。鬼のしわざにこそ。

 次の日、寺の僧を請ぜられて讀經の事ありけり。その僧どもは、朝堂院の東西の廊に宿侍したりけるに、夜中ばかりに騷動のこゑのしければ、僧ども坊の外へ出て見れば、やがてしづまりて、なに事もなかりけり。「これはされば何の事によりていでつるぞ」と、おのおのたがひに問ひけれども、たれもわきまへたる事なかりけり。物にとらかされたりけるにこそ。この月に、宮中京中かやうの事どもおほく聞へけり。

   *

広範の話柄の「朝堂院」は八省院とも言い、変事のあった松原の南直近の豊楽院の東、大内裏中央南寄りに位置する。北部分に大極殿があってその南庭であり、十二同堂が置かれた朝政の場。松原の南西直近である。「とらかされたり」の「とらかす」(盪す・蕩す)は金属を火にかけて溶かすの意の「とろかす」の転訛で、迷わす・たぶらかすの意。

・「小松の天皇の御代」第五十八代光孝天皇(天長七(八三〇)年~仁和三(八八七)年)。陽成天皇が藤原基経によって廃位された後の元慶八(八八四)年三月に五十五歳の高齢で即位、実質的な在位は四年に満たなかった。質朴な文化人として知られるが、彼はまさにこの怪事件の翌月、八月二十六日に崩御している。この大内裏内での凄惨な猟奇的事件が事実とすれば、魔界が大内裏の中にまで侵入している顕著な証しで、これらの多発したという怪事と翌月の薨去とが結びつけられたりはしなかったのであろうか?

・「武德殿の松原」「武德殿」は大内裏の西の中央やや北に或殷富(いんおう)門を入って右近衛府(北側)と右兵衛府(南側)の間を抜けた直近にある小さな凸方をした小さな殿舎で、駒牽き・騎射・競(くら)べ馬などを天覧する際に用いられた。弓場殿(ゆばどの)とも読んだ。そこと宜秋門(エントランス状の通路を経て内裏の西の中央門である陰明門に繋がる)と間に、本事件の発生した「松原」、非常に広い「宴(えん)の松原」と称された広場がある。ここで我々は、かの資料集の復元地図でご大層に書かれていた大内裏の中が、この当時、普通に市井の民の通路になっていたことが分かる。いや、それどころか、「今昔物語集」の他の複数の怪異譚を読むと、まさにこの「宴の松原」は平安後期に於いて既に狐狸妖怪の類いが盛んに出没する立派な心霊スポットとして超弩級に有名であったことが分かるのである。私も高校時代からお世話になっている京都書房の「新版国語総覧」(一九九二年刊)によれば、「宴の松原」とは言うものの、『宴会に用いられた事例は知られず、寧ろ早くから』かく狐狸の棲む『ような恐ろしい場所とされ』、『平安末期の大火以後、官衙の債権が行われないまま大内裏は衰微して野原となり、中世では内野と呼ばれるようにな』ってしまったとある。この四神相応の鉄壁の平安京の、その神聖の中心たるはずの大内裏の中に大きな魔界への入口が黒々と開いていたのである。いや、寧ろ神聖不可侵の聖なる空間の周縁にこそそれに相応した魔が召喚されてしまうのが民俗社会の常なのである。

・「内樣」東の内裏方向。

・「八月十七日の夜」実録にある仁和三(八八七)年八月十七日はユリウス暦で九月八日、グレゴリオ暦に換算すると九月十二日に相当する。

・「若き女三人」そもそもがこの悪所の呼び名高い「宴の松原」を仮に宵の頃であったとしても、女だけの三人連れで行くというのは、如何にも解せない。ここで一人の女が非常に仲のいい馴染みの男(に化けた鬼)に逢うというのも変である。この女たちは所謂、体を鬻いでいる連中であったのだと思う。残りの二人が話し終るのを待っていたのというのは、彼女の商談がつくのを待っていたのである(但し、その場合、女が妙にその男と親しそうに話していたところから彼が以前にその引かれた女郎仲間を買ったことのある馴染みだと思った可能性はある)。幾らなんでも、こんなおどろおどろしい場所でナニをやらかそうとは女二人も思わぬからである。或いはこの殺された女が三人の姐さん格で、三人連れで遊ぼうというのを期待して待っていたものとも考えられよう。ともかくも、学者先生たちはこうしたことについて分かり切ったことだからなのか、一言も注しておられない。私がずっとアカデミストの注が不審にして不満なのはそうした事実によるのである。

・「衞門の陣」左右衛門府の役人の詰所(左近衛府は大内裏の反対側の東の陽明門を入ったすぐ北にあった)。右衛門の陣は先に示したように、豊徳院から宴の松原を真東に突っ切った宜秋門のすぐ内側にあった(左衛門の陣はやはり反対側の建春門内にあった)。彼らが事件に遭遇した場所を「宴の松原」の真ん中辺りと仮定すると、ここまでは恐らく二町(二百五十メートル)程しか離れていなかったはずである。

・「此れは鬼の、人の形と成て、此の女を噉てけるなりけり」私は鬼は女を食ったのではないと考えている。かといって、ここで昨今起きているような猟奇的なシリアル・キラーを比定しようというのではない。私はこの話をやはり殊の外偏愛する「長谷雄草紙」の確かな、サイド・ストーリー、一種のスピン・オフとして読むのである。……公卿で文人として知られ、「竹取物語」の作者の一人とも目される双六の名手紀長谷雄(きのはせお 承和一二(八四五)年~延喜一二(九一二)年)が主人公。彼は鬼の化けた男と朱雀門楼上で双六で勝負をして勝ち、鬼が賭けた絶世の美女をまんまと手に入れる。鬼は百日の間、この女に触れてはならぬ、という忠告とともにその女を長谷雄に与えるが、八十日が過ぎる頃、辛抱我慢のならなくなった長谷雄はつい女を抱いてしまう。すると女は、みるみるうちに水と変じて消えてしまうのであった。この女は実は、鬼が数々の人の死体から目・鼻・胸・腰の良いところばかりを集めて合成したものであって、惜しいかな、百日を経れば真の人間となるはずであった、という奇っ怪い極まるストーリーである。……そうだ……私はまさにこの朱雀門に巣くっていた鬼こそが、本話の鬼であった、その彼が、謂わば「フランケンシュタインの花嫁」を創るために、この女の首と胴体を奪った、と読みたいのである。「長谷雄草紙」の成立は鎌倉から南北朝頃とされるが、その遠い濫觴の一つを例えばこの話に求めるということが、私には強ち、見当違いなこととは思われぬのである。……

 

□やぶちゃん現代語訳

 

 

   内裏の松原に於いて鬼が人の姿に変じて女を喰らった事 第八

 

 今となっては……昔のことじゃ……小松の天皇(すめらみこと)の御代のこと、武徳殿の松原を、若き女が三人、うち連れて内裏の方へと歩いておったと。八月十七日の夜(よ)のことなればのぅ、月影のこれ、まっこと、明るぅ御座った。……

 すると、とある松の木下闇(こしたやみ)より男が一人出でて参って、通り過ぎんとしておった三人の女の中の一人に、声をかけて引きとめ、松の木の木蔭に誘って、その女の手を親しげに取り、何やらん、如何にも親しげに話をし始めた。残りの二人の女は、

「じき、話をつけて戻って来はるやろ。」

とその近くで立ちんぼうして待っておったが、これ、なかなか戻って来ぬ。

 それどころか、先ほどまで聴こえて御座った二人の話し声もこれ、全く聴こえずなって御座ったによって、

「どないしたんやろ?」

と怪しゅう思うて、その二人の女、かの松の下へと行って見たところが、女も男も、これ、おらぬ。

 これは、いったい何処へ行ってしもうたんかと思うて、木下闇の辺りをよぅく見てみて御座ったところが……ただ……

――女の足と手(てぇ)ばかりが

――それも

――それぞれ

――恐ろしく

――遠いところに

――ばらばらになって

離れて落ちておった!……

 二人の女はこれを見るや、驚くまいことか、脱兎の如く先へ先へと走り逃げ、幸いにも、すぐ東の門の内にあった衛門(えもん)の陣へと駆け込んで、陣に御座った侍に件(くだん)の由を慌てふためいて告げたによって、陣の者どもも大きに驚き、女どもの申す場所へと馳せ参じたところが、およそ屍(かばね)の首や胴は一向、見当たらず、確かに、ただ、散じたる足や手(てぇ)だけが残っておったのじゃった。……

 それを聴いて、またまた人々がそこへ雲霞の如く集まり来たって、惨状を見ては、口々に勝手なことを申し、大騒ぎと相い成って御座った。

 大方の者どもは、

「……こ、これは……お、鬼が……人の姿となって……そ、その女を……く、喰ろうて、しもうたのじゃ!……」

と噂し合ったと申す。

 されば、女は、このように人気のないような所で、見知らぬ男に声をかけられたる折りには、うかうか気を許してついて行くようなことはこれ、あってはならぬ、よくよく、気をつけねばならぬことじゃと、かく、語り伝えているとかいうことである。

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