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2015/05/15

堀辰雄 曠野 (正字正仮名版) 三

        三

 

 それから半年ばかり立つた。

 近江の國から、或郡司(ぐんじ)の息子が宿直のために京に上つて來て、そのをばにあたる尼のもとに泊ることになつたのは、ちやうど秋の末のことだつた。

 それから何日かの後、郡司の息子が異樣に目を赫(かが)やかせながら言つた。「きのふの夕方、向うの壞れ殘りの寢殿(しんでん)に焚きものを搜しに往きますと、西の對にちやうど夕日が一ぱいさし込んでゐて、破れた簾(すだれ)ごしにまだ若さうな女のひとが一人、いかにも物思はしげに臥せつてゐるのがくつきりと見えましたので、私はおどろいてその儘歸つて來てしまひましたが、あれはどなたなのですか。」

 尼は當惑さうに、しかしもう見つけられてしまつては爲方がないやうに、その女の不爲合せな境涯を話してきかせた。郡司の息子はさも同情に堪へないやうに、最後まで熱心に聞いてゐた。

 「そのお方にぜひとも逢はせて下さい。」息子は再び目を異樣に赫やかせながら、田舍者らしい率直さで言つた。「そのお方のはうでもその氣になつて下されば、わたしが國へ歸るとき一緒にお伴れして、もうそのやうなお心細い目には逢はせませんから。」

 尼は、それを聞くと、まあこんな自分の甥ごときものがと思ひながら、それでも彼の言ふやうに女も一そそんな氣もちにでもなつた方が行末のためにもなるのではないかと考へもした。

 尼はいくぶん躊躇しながらも、何時かその甥の申出を女に傳へることを諾(うべな)はないわけにはいかなかつた。

 

 或野分(のわき)立つた朝、尼はその女のもとに菓子などを持つて來ながら、いつものやうに色の褪めた衣をかついだ女を前にして、何か慰めるやうに、

 「あなた樣もどうして此の儘でいつまでも居られませう」と言ひだした。「こんなことはわたくしとしては申し上げ惡いことですけれど、いまわたくしの所に近江からいささか由緣(ゆかり)のありますものの御子息が上京せられて來てをられますが、そのものがあなた樣のお身の上を知つて、ぜひとも國へお伴れしたいと熱心にお言ひになつて居りますけれど、いかがでございませうか、一そそのもののお言葉に從ひましては。此の儘かうして入らつしやいますよりは、少しはましかと存じますが。」

 女はそれには何にも返事をしないで、空しい目を上げて、ときをり風に亂れてゐる花薄の上にちぎれちぎれに漂つてゐる雲のたたずまひを何か氣にするやうに眺めやつてゐたが、急に「さうだ、わたくしはもうあの方には逢はれないのだ」とそんなあらぬ思ひを誘はれて、突然そこに俯伏してしまつた。

 夜なかなどに、ときをり郡司の息子が弓などを手にして、女の住んでゐる對の屋のあたりを犬などに吠えられながら何時までもさまよふやうになつたのは、そんな事があつてからのことだつた。夜もすがら、木がらしが萩や薄などをさびしい音を立てさせてゐた。どうかすると、ひとしきり時雨の過ぎる音がそれに交じつて聞えたりした。さうでなければ、郡司の息子が、ときどき自分の怖ろしさを紛らせようとでもするのか、あちこちと草の中を歩きまはつてゐた。……

 そんな夜毎に、女は妻戸をしめ切つて、ともし火もつけず、身の置きどころもないかのやうに、色の褪めた衣をかついだまま、奧のはうにぢつとうずくまつてゐた。かくも荒れはてた棲み家では、奧ぶかくなどにぢつとしてゐると、その儘何かの物のけにでも引つ張り込まれていつてしまひさうな氣がされて、女は怯え切り、殆ど寢られずに過ごすことが多いのだつた。

 或しぐれた夕方、尼は女のところに來ると、いつものやうに沁々(しみじみ)と話し込んでゐた。

 「ほんたうにいつまで昔のままのお氣もちでいらつしやるのでございませう。」尼はことさらに歎息するやうに言つた。「それは今のやうにでもして居られますうちはまだしも、此のわたくしでも若しもの事がございましたら、どうなさるお積りなのですか。しかし、やがてさういふときの來ることは分かつてゐます。」

 女は數日まへのことを思ひ出した。――數日まへ、尼にその話をはじめて切り出されたとき、突然はつとして「自分はもうあのお方には逢はれないのだ」と氣づゐたときのいまにも胸の裂けさうな思ひのしたことを思ひ出した。あのときから女の心もちは急に弱くなつた。それまでのすべての氣強さは――畢竟、それはいつかは男に逢へると思つての上での氣強さであつた。――女はもう以前の女ではなかつた。

 その晩、尼は郡司の息子をその女のもとへ忍ばせてやつた。

 

 それから夜毎に郡司の息子は女のもとへ通ひ出した。

 女はもう詮方盡(せんかたつ)きたもののやうに、そんなものにまですべてをまかせるほかなくなつた自分の身が、何だかいとほしくていとほしくてならないやうな、いかにも悔(く)やしい思ひをしながら、その男に逢ひつづけてゐた。

 漸く任が果てて、その冬のはじめに近江へ歸らなければならなくなつたときには、郡司の息子はもうすつかり此の女に睦(むつ)んで、どうしてもその儘女を置きざりにして往く氣にはなれずにしまつた。

 女はそれを強ひられる儘に、京を離れるのはいかにもつらかつたけれど、しかし自分の餘りにもつたなかつた來しかたに抗(あらが)ふやうな、さうして何か自分の運を試(た)めしてみるやうな心もちにもなりながら、その郡司の息子について近江に下つていつた。

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