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2015/05/17

堀辰雄「曠野」 正字正仮名版 やぶちゃんオリジナル原典訳注附 PDF縦書版

 
『堀辰雄「曠野」 正字正仮名版 やぶちゃんオリジナル原典訳注附』(PDF縦書版)
 
を公開した。総てルビ化を施しており、原典はブログ公開分より読みを大幅に追加してある。少なくとも原典についてははすこぶる読み易くなっている――というより目障りな( )を気にせず――読む気になれる――のでご覧になられたい。
またブログ公開版にさらに以下の私の感想を追加した。

【附説】
 堀辰雄の「曠野」では、トリック・スターである軽薄な田舎の青侍の出番が大幅に減ぜられて、悲恋の湖の深淵に一途に静かに読者が沈み得るように創られてある。しかも、原典にある、青侍が女の対の屋の辺りを企略を以って徘徊するというシークエンスを、そっくり元夫が忍んで垣間見する印象的なものに換骨奪胎したのは、原典を超えて優れて辰雄調のオリジナルな恋愛世界にメタモルフォーゼさせた一番の手柄と言える(但し、原話のこの場面も、これはこれで原作に於いて次の展開への極めて自然なリアルなテンポを与えてもいるのであって、原作者の「才」をこそ寧ろ私はここに感ずるものでもあるのである)。
 なお、辰雄は後半の再会のロケーションにやや手を加えていて、再会は公庁の国府館ではなく、郡司の屋敷という設定にしてある。これは、原話が再会の貢納の場の段以降、実際には女〈京の〉と郡司とが慌ただしく国府館と郡司の館を行き来する五月蠅さを嫌ったものであろう。確かに辰雄の方がずっと落ち着いてしみじみとしており、最後の悲劇的なコーダへのジョイントもすこぶるよい。
 ただしかし、私はそうした操作の結果として、看過出来ない矛盾が生じているようにも感ぜられるのである。それはこの郡司の館の位置の問題である。郡司の館については、元夫である新任国守が着任早々、国内巡検に出た際、「郡司の館のある湖(みづうみ)にちかい村にかかつたときは、ちやうど冬の初で、比良(ひら)の山にはもう雪のすこし見え出した頃だつた」と述べている。この「比良の山」は古くから近江八景の一つとして知られる「比良の暮雪」の比良、現在の滋賀県琵琶湖西岸に連なる比良山地(最高峰は武奈ヶ(ぶなが)岳(たけ)で一二一四・四メートル)を指す。このシーンは振り仰いでいるのではなく、遠景に雪を頂く比良の山々を見た謂いであろう。とすれば「曠野」の方の「郡司」が治めていたのは琵琶湖の東岸の南、後代の郡区分ではあるが、滋賀郡・蒲生(がもう)郡・愛知(えち)郡・犬上郡辺りでなくてはならない。しかし何故それが齟齬と私が言うのかというと、辰雄の言うように、「郡司の館のある湖(みづうみ)にちかい村」という設定では、最後の印象的な、女が琵琶湖の打ち寄せる浪の音を聴き馴れぬ不思議な怖ろしい音と聴いて最後に問いかけるという大切なシーンが、如何にも奇異に映るからである。
 実際、私は「曠野」を最初に読んだ際、この女は哀しみと恥ずかしさの余り、精神に異常をきたして、幻聴と言わぬまでも、湖畔の浪音が異様に増幅して聴こえたのであろうか?……はたまたそれは不吉な死を呼び込む魔性の「音」であって、実は浪の音ではなかったのではないか?……(或いは無粋にも)彼女はこの瞬間、脳溢血等の症状をきたしており、その場合に耳の背後で聴こえるというざわざわという音を幻聴しているのではなかろうか?……といった藪医者的推理まで仕出かしたのであった(無論、こうした視聴覚的な対象の見当識欠如は「伊勢物語」や「源氏物語」に現われる如く高貴な出の女の典型的カマトト属性ではある。それでも普段聴いたことのある音を怖れるという嘘を彼女らはつかないであろう)。しかし、私は寧ろ原話では――郡司は近江の国でも有意に湖岸からは離れた(湖岸の浪の音が聴こえない程度に。但し、国司庁と数時間で行き来出来る程度の位置に郡司の館はある)東の方の郡(野洲(やす)郡・甲賀郡などの内陸地域)域を治めていた――だからそこで婢として仕えていた〈京の〉は琵琶湖の漣さえ知らない――だから『江(え)の浪(なみ)の音(おと)聞えければ、女、此れを聞(きき)て、「此(こ)は何(な)にの音(おと)ぞとよ。怖(おそろ)しや」と』言ったのだ――と考えて初めて腑に落ちるのである。少なくとも原話のくだくだしい〈京の〉が毎晩郡司の館と国司館を行ったり来たりする事実の背後に、逆にそうしたすこぶる「自然」な事実が隠されているように私には思われるのである。

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