フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 堀辰雄 曠野 (正字正仮名版) 四 / 了 | トップページ | 堀辰雄「曠野」原典――「今昔物語集」 卷第三十 中務大輔娘成近江郡司婢語 第四――やぶちゃん現代語訳 »

2015/05/15

堀辰雄「曠野」原典――「今昔物語集」 卷第三十 中務大輔娘成近江郡司婢語 第四――原文及びやぶちゃん注

■原典

[やぶちゃん注:以下は堀辰雄が本「曠野」の原拠とした「今昔物語集」巻第三十「中務大輔娘成近江郡司婢語第四(なかつかさのたいふむすめあふみのぐんじのひとなることだいし)」である。底本は池上洵一編「今昔物語集 本朝部 下」(岩波文庫二〇〇一年刊)を用いたが、恣意的に漢字を正字化し、読みは必要と思われる箇所に歴史的仮名遣でオリジナルに附し(一部、底本に従わない読みを附した)、一部は私が追加した(底本は現代仮名遣)。また、記号の一部を変更した。]

 

   中務の大輔の娘、近江の郡司の婢と成れる語 第四

 

 今昔(いまはむかし)、中務(なかつかさ)の大輔(たいふ)□の□と云ふ人有(あり)けり。男子(をのこご)は無くて、娘只獨(ひとり)のみぞ有ける。

 家貧(まづし)かりけれども、兵衞(ひやうゑ)の佐(すけ)□の□□と云ける人を其の娘に會(あは)せて、聟(むこ)として年來(としごろ)を經(へ)けるに、此彼(とかく)構(かまへ)て有(あら)せけるに、聟も去難(さりがた)く思(おもひ)て有ける程に、中務の大輔失(うせ)にければ、母堂(ぼだう)一人して、萬(よろづ)を心細く思(おもひ)けるに、其れも指次(さしつづき)煩(わづらひ)て、日來(ひごろ)に成(なり)にければ、娘、糸(いと)哀れに悲(かなし)く歎(なげき)ける程に、母堂も失(うせ)にければ、娘獨り殘居(のこりゐ)て、泣悲(なきかなし)びけれども甲斐(かひ)無し。

 漸(やうや)く家の内に人も無く出畢(いではて)にければ、娘、夫(をうと)の兵衞の佐に「祖(おや)御(おは)せし限(かぎり)は、此彼(とかく)構(かまへ)て有(あら)せ聞えしを、此(か)く便(たより)無く成(なり)にたれば、其(そこ)の御繚(おほむあつかひ)なども不叶(かなはず)。宮仕(みやづかへ)は何(いか)でか見苦くても御(おは)せむ。只、何(い)かにも吉(よ)からむ樣(やう)に成り給へ」と云ければ、男、糸惜(いとほし)くて、「何(い)かで見棄(みすて)むずるぞ」となど云て、尚(なほ)棲(すみ)けれども、着物(きもの)なども見苦く、只成りに成り持行(もてゆ)けば、妻(め)、「外也(ほかなり)とも、糸惜(いとほし)と思(おもひ)給はむ時は、音信(おとづれ)給へ。何(い)かでか、此(かく)ては宮仕へはし給はむ。見苦き事也」と、強(あながち)に勸(すすめ)ければ、男、遂に去(さり)にけり。

 去れば、女獨りにて、彌(いよい)よ哀れに心細き事限無(かぎりな)し。家も澄(すみ)て、人も無かりければ、只幼き童(わらは)一人なむ有けるも、衣(きぬ)着る事も無く、物食ふ事も難(かた)くて、破無(わりな)かりければ、其れも出て去にけり。

 男も、然(さ)こそ、「糸惜(いとほし)」と云けれども、人の聟に成にければ、音信(おとづれ)をだに不爲(せ)ざりければ、出(いで)て其れも云はむや、來る事は絶(たえ)にけり。然れば、樣惡(さまあし)く壞(こぼれ)たる寢殿(しむでん)の片角(かたすみ)に、幽(かすか)にてぞ獨り居たりける。

 其の寢殿の片端(かたはし)に、年老たる尼の宿(やどり)て住(すみ)けるが、此の人を哀れがりて、時〻菓子(くだもの)・食物(くひもの)など見(み)けるをば、持來(もてき)つゝ志(こころざし)ければ、其れに懸りて年月を經(へ)ける程に、此の尼の許(もと)に、近江國(あふみのくに)より長宿直(ながとのゐ)と云ふ事に當(あたり)て、郡司(ぐんじ)の子なる若き男の上(のぼり)たりけるが宿(やどり)て、其の尼に、「徒然(つれづれ)なる女の童部(わらはべ)求めて得させよ」と云ければ、尼、「我れは年老て行(ありき)も不爲(せ)ねば、女の童部の有らむ方も知らず。然(さ)て、此の殿(との)にこそ、糸(いと)嚴氣(いつくしげ)に御(おは)する姫君は、只獨り有難氣(ありがたげ)にて御(おは)すれ」と云ければ、男、耳を留(とどめ)て、「其れ己(おのれ)に會(あは)せ給へ。然(さ)て、心細くて過(すぐ)し給はむよりは、實(まこと)に嚴(いつくし)くは、國に將下(ゐてくだり)て妻(め)にせむ」と云ければ、尼、「今、此の由を云はむ」と受けり。

 男、此(か)く云ひ始めて後(のち)は、切(しきり)に切(しきり)て責(せ)め云ければ、尼、彼(か)の人の許に菓子(くだもの)など持行(もてゆき)たる次(つい)でに、「常には何(い)かでか此(かく)ては御(おはし)まさむと爲(す)る」など云て後に、「此(ここ)に、近江より、可然(しかる)べき人の子の上(のぼり)たるが、「然(さ)て御(おはし)ますよりも、國に將下(ゐてくだ)り奉らむ」と、切々(せちにせち)に申し候ふを、然樣(さやう)にもせさせ御(おはせ)ませかし。此(か)く徒然(つれづれ)に御(おはし)ますよりは」と云ければ、女、「何(い)かでか然(さ)る事はせむ」など云ければ、尼返(かへり)ぬ。

 此の男、此の事を切(せち)に思(おもひ)て、弓など持(もち)て、其の夜、其の邊(ほとり)を行(ゆき)ければ、狗(いぬ)吠(ほえ)て、女(をむな)、物怖しく常よりも思えて、侘しく思ひて居たりける程に、夜明(あけ)て、尼亦(また)行(ゆき)たるに、其の人云く、「今夜(こよひ)こそ物怖しく破無(わりな)かりつれ」と。尼、「然(さ)ればこそ申し候へ、『然(さ)申す者に打具(うちぐ)して御(まし)ませ』とは。侘しき事のみこそ御(まし)まさむずれ」と云成(いひな)しければ、女、「實(まこと)に何(いか)がせまし」と思(おもひ)たる氣色を、尼見て、其の夜忍(しのび)て此の男を入れてけり。

 其の後、男馴睦(なれむつ)びて、不見習(みなら)はぬ心に難去(さりがた)く思(おもひ)て、近江へ將下(ゐてくだり)ければ、女も、「今は何(いか)がはせむ」と思て、具して下(くだり)にけり。其れに、此の男、本(もと)より國に妻(め)を持(もち)たりければ、祖(おや)の家に住(すみ)けるに、其の本の妻、極(いみじ)く妬(ねた)み喤(ののしり)ければ、男、此の京の人の許には寄(より)も不付(つか)ず成(なり)にけり。然(しか)れば、京の人、祖(おや)の郡司に被仕(つかはれ)て有ける程に、其の國に新(あたらし)く守(かみ)成(なり)て下(くだり)給ふとて、國擧(こぞり)て騷ぎ合(あひ)たる事限無(かぎりな)し。

 而る間、「既に守(かう)の殿(との)御(おはし)ましたり」とて、此の郡司の家にも騷ぎ合(あひ)て、菓子(くだもの)・食物(くひもの)など器量(いかめし)く調へ立(たて)て、館(たち)へ運びけるに、此の京の人をば、「京(きやう)の」と付(つけ)て、郡司年來(としごろ)仕(つかひ)けるに、館(たち)へ物共(ども)運(はこび)けるに、男女(なんによ)の多く入(いり)ければ、此の京のに物を持せて館(たち)へ遣(やり)けり。

 而る間、守(かみ)、館(たち)にて多(おほく)の下衆共(げすども)の物を持運(もちはこ)ぶを見ける中(なか)に、異下衆(ことげす)にも似ず、哀れに故有(ゆゑあり)て京のが見えければ、守(かみ)、小舍人童(こどねりわらは)を召(めし)て、忍(しのび)て、「彼の女は何(いか)なる者ぞ。尋(たづね)て夕(ゆふ)さり參らせよ」と云ければ、小舍人童尋ぬるに、然〻(しかじか)の郡司の徒者(とものもの)也。聞(きき)て、郡司に、「此(かく)なむ、守(かう)の殿御覽じて仰せらるる」と云ければ、郡司驚て、家に返(かへり)て、京のに湯浴(ゆあみ)し、髮洗(あらは)せ、と返〻(かへすがへ)す傅立(かしづきた)て、郡司、妻(め)に、「此れ見よ、京のが爲立(したち)たる樣の美(うるはし)さを」とぞ云ける。然(さ)て、其の夜、衣(きぬ)など着せて奉てけり。

 早(はよ)う、此の守(かみ)は、此の京のが本(もと)の夫(をうと)の兵衞(ひやうゑ)の佐(すけ)にて有し人の成たりける也けり。然(さ)れば、此の京のを近く召寄(めしよ)せて見けるに、怪(あやし)く見し樣(やう)に思(おぼ)えければ、抱(いだき)て臥(ふし)たりけるに、極(きはめ)て睦ましかりければ、「己(おのれ)は何(いか)なる者ぞ。怪く見し樣に思ゆるぞとよ」と云ければ、女、然(さ)も否(え)心不得(こころえ)ざりければ、「己(おのれ)は此の國の人にも非ず。京なむ有(あり)し」なむ許(ばかり)云ければ、守(かみ)、「京の者の來(きたり)て、郡司に被仕(つかはれ)けるにこそと有らめ」など、打思(うちおもひ)て有けるに、女の娥(うるはし)く思(おぼ)えければ、夜〻(よなよな)召(めし)けるに、尚(なほ)怪(あやし)く物哀れに、見し樣(やう)に思(おぼ)えければ、守、女に、「然(さ)ても、京には何也(いかなり)し者ぞ。可然(さるべ)きにや、哀れに糸惜(いとほし)と思へば云ふぞ。不隱(かく)さで云へ」と云ければ、女、否不隱(えかく)さで、「實(まこと)に然〻(しかじか)有(あり)し者也。若し、舊(ふる)き男(をとこ)にて有(あり)し人の故(ゆゑ)などにてもや御(おはし)ますらむと思(おぼ)ゆれば、日來(ひごろ)は申さざりつるに、此(か)く強(あながち)に問はせ給へば申す也」と、有(あり)のまゝに語(かたり)て泣(なき)ければ、守(かみ)、「然(さ)ればこそ、怪(あやし)く思(おもひ)つる者を。我が舊(ふる)き妻にこそ有(あり)けれ」と思ふに、奇異(あさまし)くて、涙(なむだ)の泛(こぼるる)を然(さ)る氣無(けな)しに持成(もてな)しれて有る程に、江(え)の浪(なみ)の音(おと)聞えければ、女、此れを聞(きき)て、「此(こ)は何(な)にの音(おと)ぞとよ。怖(おそろ)しや」と云ければ、守、此(かく)なむ云ける。

 

  これぞこのつひにあふみをいとひつゝ

     世にはふれどもいけるかひなみ

 

とて、「我れは、實(まこと)然(さ)には非ずや」と云て泣ければ、女、「然(さ)は此(こ)は我が本(もと)の夫(をうと)也けり」と思けるに、心に否(え)や不堪(たへ)ざりけむ、物も不云(いは)ずして、只(ただ)氷(ひえ)に氷痓(ひえすくみ)ければ、守、「此(こ)は何(いか)に」と云て騷(さはぎ)ける程に、女(をむな)失(うせ)にけり。

 此れを思ふに、糸(いと)哀れなる事也。女、「然(さ)にこそ」と思けるに、身の宿世(しくせ)思ひ被遣(やられ)て、恥(はづ)かしさに否不堪(えたへ)で死にけるにこそは。男(をとこ)の心の無かりける也(なり)。其の事を不顯(あらは)さずして、只(ただ)可養育(やういくすべ)かりける事を、とぞ思(おぼ)ゆる。

 此の事、女死(しに)て後(のち)の有樣は不知(しら)ず、となむ語り傳へたるとや。

 

■やぶちゃん注

 以下に示す「伊勢物語」第六十二段は圧縮されているが、シチュエーションと隠されたロケーション(近江)の酷似から本話の源泉を共にする異伝と考えられよう。

   *

 昔、年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけむ、はかなき人の言(こと)につきて、人の國なりける人に使はれて、もと見し人の前に出で來てもの食(く)はせなどしけり。夜さり、「このありつる人たまへ」と、あるじに言ひければ、おこせたりけり。男、「われをば知らずや」とて、

 

  いにしへのにほひはいづら櫻花

    こけるからともなりにけるかな

 

といふを、いと恥づかしと思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせぬ」と言へば、「涙のこぼるるに、目も見えず、物も言はれず」といふ。

 

  これやこのわれにあふみをのがれつつ

    年月(としつき)ふれどまさりがほなき

 

といひて衣(きぬ)ぬぎて取らせけれど、捨てて逃げにけり。いづちいぬらむとも知らず。

   *

この「伊勢」の和歌を注しておくと、「いづら」不定代名詞で「どこ」であるが、ここは感動しての「おやうまあ、どうした」の意をも含ませるものである。「こけるから」は「扱(こ)ける幹(から)」で「花を扱(しご)き落してしまった桜の枝」、女の容色のすっかり衰えたことを指す。「あふみ」夫たる私と「逢ふ身」に「近江」を掛けるから、ここの「近江」はこの元の夫と住まいしていた所であったのであろう。「まさりがほ」は「優り顔」で、他の誰より幸せである、暮らし振りがよい、といった顔つき。本話とは異なり、男のねちねちとした恨み節が不快である。寧ろ、まだ「伊勢」で、この二つ前にある類型話をカップリングさせると、本話の濫觴の風景が見えてくるようにも思われる。以下にその第六十段も示しておく。

   *

 昔、男ありけり。宮仕へいそがしく心もまめならざりけるほどの家刀自(いへとうじ)、まめに思はむといふ人につきて人の國へいにけり。この男宇佐(うさ)の使(つかひ)にて行き(い)きけるに、ある國の祇承(しぞう)の官人(くわんにん)の妻(め)にてなむあるとききて、「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飮まじ」といひければ、かはらとりていだしたりけるに、肴(さかな)なりける橘(たちばな)をとりて、

 

  五月(さつき)待つ花橘の香(か)をかげば

    昔の人の袖の香ぞする

 

といひけるにぞ思ひ出でて、尼になりて山に入りてぞありける。

   *

これも少し注しておくと、前に「宮仕へいそがしく」とあることから分かるように、「心もまめならざりける」というのは「家刀自」(妻)に対して夫が多忙を口実に誠実ではなかったことを指している。「宇佐の使」は豊前国(大分県宇佐市)にある宇佐八幡宮へ天皇の即位や国家の大事・天変地異などの際に奉幣をする勅使で、「祇承の官人」(「祇承」は慎み仕えるの意)とはこうした勅使らに供奉して接待役を勤めるところの地方役人を指す。「かはらけとらせよ」「瓦笥(かはらけ)」は素焼きの杯であるが、「かはらけとる」で酒を勧めるの意。「橘」柑子蜜柑は上古より酒の肴とされた。「いだし」ゲストたる勅使は簾中に居る。まだしも本話の方がマシであるのがお分かり戴けよう。

・「中務大輔」中務省の次官(同省長官である「卿(きょう)」に次ぐ)で正五位上相当。天皇補佐及び詔勅宣下・叙位など朝廷に関する職務の全般を担っていた中務省は八省中最も重要な省とされた。

・「兵衞の佐□の□□」「兵衞の佐」兵衛府の次官(同府長官である「督(かみ)」に次ぐ)で従五位上相当。御所警衛・行幸の供奉・京師の巡視などを司った。兵衛府は左兵衛府と右兵衛府の二府があり、左右の近衛府(大内裏の中でも宣陽門・承明門・陰明門・玄輝門の内側の警備を担当し、行幸などの際の護衛や皇族・高官の警護も担当した近衛兵団)と衛門府(大内裏の外郭の中で建春門・建礼門・宜秋門・朔平門より外側で陽明門・殷富門・朱雀門・偉鑒門より内側の警備を担当すること職掌だったが、後には検非違使庁によって奪われ、有名無実化した)と合わせて五衛府を構成した。「の」以下の「□□」は、底本の注によれば、実際には文字が詰めてあるものの欠字があったと推定される部分である。

・「此彼(とかく)構て」「此彼」の二字で「とかく」と読ませる。あれこれと気を配って。妻問婚であったこの当時、婿の衣食住の世話は妻の家で調えるのが常識であった。

・「煩て、日來に成にければ」病いに伏せるようになって、それが永がの患いとなってしまったので、の意。

・「便無く成」父母の死して経済的援助受ける背景を喪失してしまったことを指す。

 

・「繚(あつかひ)」「繚」はまとう・まつわるの意で、「其(そこ)」(対称の人称代名詞)、夫の身辺周囲、その日常の世話を指す。

・「何でか見苦くても御せむ」以下の夫の台詞の「何かで見棄むずるぞ」、同じ妻の台詞「何かでか、此ては宮仕へはし給はむ」と同じく、反語。

「吉(よ)からむ樣」あなたが良いと思われるように。あなたがこうしたいと思う通りに。

・「只成りに成り持行けば」ただもう矢継ぎ早に見苦しくなってゆくばかりなので。

・「外也(ほかなり)とも」他所へお出でになったとしても。あなたが他の女性とお暮らしになられたとしても。

・「家も澄て」がらんとして。

・「音信」手紙。

・「出て其れも云はむや」底本の池上氏の脚注には、『(女の方から)表面に出て手紙が来ない不満など言うはずもなく。このあたり解釈に諸説がある』とし、小学館日本古典全集(馬淵和夫他訳注昭和五一(一九七六)年刊)「今昔物語集四」の頭注によれば、『この一句、意・接続ともに不明。あるいは、前後に脱文あるか』とする。

・「長宿直」当時は地方荘園の侍が、京の当該荘園の領主の邸宅に於いて長期間に渡って宿直(とのい:警固役。)の当番を勤めるために上った。

・「嚴氣」美(いつく)し気(げ)。元来は、威厳を持っている・堂々として立派であるの意であったが、容姿・態度が優れている・美しい・心が穏やかで非の打ち所がないの意となった。

・「將下(ゐてくだり)て」「將る」(「将」の原義は「率いる」「従える」である)は「率(ゐ)る」とも書く。

・「切(しきり)に切(しきり)て」前は「頻(しき)りに」で副詞、程度の甚だしいさま、ひどくの意、後の「しきり」は動詞「頻(しき)る」で度重なる・何度も続いて起こるの意。

・「何かでか然る事はせむ」反語。どうしていままでの京での暮らし方を変えることなど出来ましょうや、いえ、出来ませぬ、という申し出への拒絶である。

・「弓など持て、其の夜、其の邊を行ければ」これはこの男が女を怖がらせて、次のステップへと向かうために行った戦略である(私は流れから見て尼の提案によるものと考える)。足音や物音、それに感じた「狗」の「吠」え声と、ホラー効果を否応なく上げて女を恐怖させるのである。弓は自身の護身・魔除け(鳴弦用)のためであろう。

・「喤(ののしり)」原義は小児の泣き立てる声で、そこから怒る・喧(かまびす)しいの意となった。

・「男、此の京の人の許には寄も不付ず成にけり」以下、父郡司の家の婢となっていることから見て、男は今日からこの女を連れて近江に戻ったが、自分は正妻の家に戻って、連れて来た彼女は実父である郡司の館に住まわせておいたと推定出来る。

・「新く守成て下給ふ」郡司の上司である国守(国司)の任期は四年(初期は六年)。

・「國擧て騷ぎ合たる事限無し」小学館日本古典全集の頭注には、『新しい国守を迎えることはその地方の人々にとっては政治そのものが新しくなることであり、租税その他のことで期待と不安があった』とある。

・「守(かう)の殿(との)」「かう」は「かみ」の転音で高官のこと。国守の敬称。

・「器量(いかめし)く調へ立(たて)て」盛大な饗応の準備をして。

・「京の」彼女の呼称。「京の者」の謂いであろう。

・「年來(としごろ)」郡司の息子に捨てられて相応の時間が経過していることを示す。

・「異下衆」彼女以外の他の下人。

・「小舍人童(こどねりわらは)」貴人の雑用係の少年。特に近衛の中将・少将(三衛(近衛府・中衛府・外衛府)における三将官制官職の第二位・第三位。平安初期の衛府制改革によって三衛が左右近衛府に整理統合されて以降は左右近衛中将を指す。ともに四等官制の次官に当たる)が召し使った少年を指す。彼女の元夫は、夫であった頃に兵衛の佐であったから、そこから着実に転任・累進したことが分かる。

・「然々の郡司の徒者也」底本の池上氏の脚注には『「従者」が正か』とある。

・「傅立(かしづきた)て」「傅」は音「フ」で、大切に種々の世話をすることを意味する。

・「早う」副詞で、なんと、驚くべきことに。ある事態に初めて気づいたことを示すが、後文に「然も否(え)心不得(こころえ)ざりければ」とあることから分かるように、これに気づくのは本話柄の語り部である点に注意されたい。

・「睦ましかり」近親のように親しく心惹かれる、の意。

・「とよ」格助詞「と」+間投助詞「よ」。文末に用いると詠嘆の意を添える。

・「京なむ有らめ」底本脚注に『「になむ」が正か』とある。

・「なむ許云ければ」底本脚注に『「なむど」または「など」が正か』とある。

・「被仕けるにこそと有らめ」底本脚注に『「と」は衍字か』とあり、小学館日本古典全集の頭注には、衍字かとした後、『あるいは、……というのだろうかぐらいの気持で用いられたものか』と附す。

・「娥(うるはし)く」「娥」(音「ガ」)は単漢字では美しい・器量が良い・見目良いの意。小学館日本古典全集の頭注には、「今昔物語集」では特に麗しい『女の形容』や『香の匂い』『など、女性的な感じを受ける場合に用いられ』ているとある。

・「可然きにや、哀れに糸惜と思へば云ふぞ」底本脚注に、『しかるべきわけ(前世からの因縁など)があるのだろうか、しみじみいとしく思』えばこそかく言うのであるぞ、とある。

・「舊き男にて有し人の故などにてもや御ますらむと思ゆれば」小学館日本古典全集には、『前の夫であった人の縁故の方などでいらっしゃるかと思いましたので。昔の夫と少しも気づかず、また知られないように意識している心情であろうが、数年前に別れた男女がお互いにわからなくなるという筋立てはいささか無理。』『いくら風体は変わっていても、昔の人と気づくのが自然であろう』と注するが、これは寧ろ「いささか」無粋な注と言いたくなる。

・「奇異(あさまし)くて」原義の吃驚するほど意外だの意。後に意味として付帯してくるところの批判的ニュアンスはない、と私は読む。

・「然る氣無しに持成しれて有る程に」小学館日本古典全集の頭注には、『元の妻が零落したことに対する心の驚きを無理に押えた態度をとっている時に』とある。

・「江」近江。

・「怖しや」小学館日本古典全集の頭注には、『京の相当の身分の妻のだった女にとって、ひなびた地方の海のような荒々しい音は恐ろしかったのである』とある。当時の近江の国府は滋賀県大津市大江神領にあったことが分かっている。ここは琵琶湖の南端瀬田川に掛かる現在の瀬田大橋右岸側から一・二キロメートルしか離れていない。郡司が近江国のどの郡であったかは分からないが、少なくとも琵琶湖の沿岸ではなかったことが知れる。

・「これぞこのつひにあふみをいとひつゝ世にはふれどもいけるかひなみ」「あふみ」は男女が逢瀬をするその二人の「逢ふ身」と「近江」の掛詞で、さらに生きる「甲斐」に琵琶湖の「貝」を掛ける。底本注で池上氏は『これこそ近江の湖の音だよ。これまで逢う身(近江)を避けて過ごしてきたが、あなたと一緒でなければ、生きている甲斐がない』と通釈されておられ、また小学館日本古典全集では、『男が女を前妻と知って、自分が真に愛情を抱いていたことを今確認したと告白し、逢う瀬を喜び、夫であることを名のる歌』と解説している。……しかしこの手放しの言祝ぎの歌こそが、ざわざわとひた寄せる妖しい水界と逢魔が時に感応して、悲しみと恥ずかしさの余り、魂(たま)も消え入らんとしている女のそれを増幅させ、遂にはその命をも奪ってしまうのである……

・「氷痓(ひえすくみ)ければ」「痓」は音「シ」で手足の引き攣ることを言う。小学館日本古典全集では『死後硬直』とするが無粋である。これは重度の痙攣症状、ヒステリー弓を指していると私は読む。

・「男の心の無かりける也」小学館日本古典全集の頭注はここを批判して、『もともと歌を中心に作られた物語であろうから、これを「男の心なさ」で締めくくるのは酷で、編者の文学的感覚の乏しさを語ることになろうか』と評しておられるが、説話集としての型として教訓を附すのが定式化している「今昔物語集」にあって、かく指弾すること自体が寧ろ、私には「酷」と思われる。但し、確かに「男の心の無かりける也。其の事を不顯さずして、只可養育かりける事を、とぞ思ゆる」という二文は本話にあっては聊か瑕疵とは言える。

« 堀辰雄 曠野 (正字正仮名版) 四 / 了 | トップページ | 堀辰雄「曠野」原典――「今昔物語集」 卷第三十 中務大輔娘成近江郡司婢語 第四――やぶちゃん現代語訳 »