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2015/05/19

「今昔物語集」卷第三十一 本朝付雜事 太刀帶陣賣魚嫗語 第三十一

恐らくはこのよく知られた短い一篇に、未だ嘗て誰も附したことがない内容を注で考証したという特異点に於いて、自信作であると言える。――
 
 
 
   太刀帶(たてはき)の陣に魚を賣る嫗(おうな)の語(こと)第三十一

 

 今昔、三條の院の天皇の春宮(とうぐう)にておはしましける時に、太刀帶の陣に常に來(きたり)て魚賣る女ありけり。太刀帶共此れを買はせて食ふに、味ひの美(うま)かりければ、これを役(やく)と持成(もてな)して菜料(さいれう)に好みけり。干したる魚の切〻(きれぎれ)なるにてなむ有ける。

 而る間、八月ばかりに、太刀帶共小鷹狩に北野に出て遊けるに、この魚賣りの女出來たり。太刀帶共、女の顏を見知りたれば、「此奴(こやつ)は野にはなにわざするにか有らむ」と思ひて、馳寄(はせより)て見れば、女、大きやかなる蘿(したみ)を持たり。亦楚(すはえ)を捧げて持ちたり。この女、太刀帶どもを見て、怪しく逃目(にげめ)を仕ひてただ騷ぎに騷ぐ。太刀帶の從者(ずさ)ども寄て、「女の持たる蘿には何の入たるぞ」と見むと爲(す)るに、女惜しむで見せぬを、怪がりて引き奪て見れば、蛇を四寸(しすん)許に切りつゝ入たり。奇異(あさまし)く思ひて、「此(こ)は何の料ぞ」と問へども、女さらに答ふる事無くて□□て立てり。早う此奴のしけるやうは、楚を以て藪を驚かしつつ、這出る蛇を打ち殺して切りつゝ、家に持行て、鹽を付て干て賣ける也けり。太刀帶共、其れを不知(しら)ずして、買はせて役と食ひけるなりけり。

 これを思ふに、「蛇は、食つる人惡し」と云ふに、何(な)ど蛇の不毒(どくせ)ぬ。

 然れば、その體(てい)※(たしか)に無くて切〻ならむ魚賣らむをば、廣量(くわうりやう)に買ひて食はむ事は可止(とどむべ)しとなむ、此れを聞く人云繚(いひあつらひ)けるとなむ語り傳へたるとや。

[やぶちゃん字注:「※」=「忄」+「遣」。]

 

□やぶちゃん注

 前の条の注でも述べた通り、芥川龍之介はかの「羅生門」で、女の死骸から髪を引き抜く老婆を問い詰めたシークエンスで老婆が自己合理化の釈明をするシーンの老婆の台詞に登場する話として人口に膾炙している。老婆を抑え込んで「今までけはしく燃えてゐた憎惡の心を、いつの間にか冷ましてしま」い、「或仕事をして、それが圓滿に成就した時の、安らかな得意と滿足と」に浸っている優位な下人が「老婆を見下しながら、少し聲を柔らげて」質すシーンから引く(底本は岩波旧全集版。読みは必要と思った箇所にのみを採った)。

   *

 「己は檢非違使の廳の役人などではない。今し方この門の下を通りかゝつた旅の者だ。だからお前に繩をかけて、どうしようと云ふやうな事はない。ただ、今時分、この門の上で、何をして居たのだか、それを己に話(はなし)しさへすればいゝのだ。」

 すると、老婆は、見開いてゐた眼を、一層大きくして、ぢつとその下人の顏を見守った。眶の赤くなつた、肉食鳥のやうな、鋭い眼で見たのである。それから、皺で、殆、鼻と一つになつた唇を、何か物でも嚙んでゐるやうに、動かした。細い喉で、尖つた喉佛の動いてゐるのが見える。その時、その喉から、鴉の啼くやうな聲が、喘あえぎ喘ぎ、下人の耳へ傳はつて來た。

 「この髮を拔いてな、この髮を拔いてな、鬘(かつら)にせうと思うたのぢや。」

 下人は、老婆の答が存外、平凡なのに失望した。さうして失望すると同時に、また前の憎惡が、冷やかな侮蔑と一しよに、心の中へはいつて來た。すると、その氣色が、先方へも通じたのであらう。老婆は、片手に、まだ死骸の頭から奪(と)つた長い拔け毛を持つたなり、蟇(ひき)のつぶやくやうな聲で、口ごもりながら、こんな事を云つた。

 「成程な、死人(しびと)の髮の毛を拔くと云ふ事は、何ぼう惡い事かも知れぬ。ぢやが、こゝにいる死人どもは、皆、その位な事を、されてもいゝ人間ばかりだぞよ。現在、わしが今、髮を拔いた女などはな、蛇を四寸ばかりづゝに切つて干したのを、干魚(ほしうを)だと云うて、太刀帶(たてはき)の陣へ賣りに往んだわ。疫病(えやみ)にかかつて死ななんだら、今でも賣りに往んでいた事であろ。それもよ、この女の賣る干魚は、味がよいと云うて、太刀帶どもが、缺かさず菜料(さいれう)に買つてゐたさうな。わしは、この女のした事が惡いとは思うてゐぬ。せねば、饑死(うゑじに)をするのぢやて、仕方がなくした事であろ。されば、今又、わしのしてゐた事も惡い事とは思はぬぞよ。これとてもやはりせねば、饑死をするぢやて、仕方がなくする事ぢやわいの。ぢやて、その仕方がない事を、よく知つていたこの女は、大方わしのする事も大目に見てくれるであろ。」

 老婆は、大體こんな意味の事を云った。

   *

 この原話を「羅生門」の授業の中で実際に読むことは、存外、ないと言ってよい。私は教育実習を含めて都合、十数回「羅生門」の授業をしているが、この原話を読ませた記憶がない。高校一年生相手の「羅生門」というのは、実はそれでなくてもなかなかに時間がかかるもので(私は「羅生門」は高校一年生向きの分かりの良い教材ではないと考えている。寧ろ「鼻」に差し替えるべきであるとさえ考えている。――今もどこかの若い教師が「闇に消えた下人はこの後どうしたでしょう?」などという見当違いのテクストの外へ向かって道徳の授業のように問いかける姿を想像しただけで、「黑洞々たる闇」以上に気味が悪くなるのを常としている――)、とてもそんな余裕はないし、これは今も変わらないであろう。さればこそ、せめて私はここでその出来なかったことをやろうというのだよ。……私に高校一年生の時に「羅生門」を教わった諸君。……

 そもそもがこれを「羅生門」の授業で参考資料として挙げるには物理的な時間以外にも、私は出したくない理由があるのである。それは本話の構成上の問題で、「羅生門」が明らかに人間の生存に関わる必要悪、ひいては人間の存在悪を突きつけるのであってみれば、本話の詐欺の実相の暴露が結局、この反道徳的な鬻ぎ女が断罪されたであろう推測を容易にしてしまうプチ構成にある。彼女が公的に処罰されたかどうかは問題ではない。そうではなくて、「羅生門」の悪の哲学を考察するには、この事実提示は寧ろ、邪魔でしかない、ということである。理屈を捏ねる背高の若造に限って、この原話を提示すると、その構成を捉えて、因果応報どころか、正義は必ず事実を明らかにせずんばならずという、私に言わせれば、すこぶる退屈な独り合点を引き出させかねないからである。

 さて、蛇は説話集にあっては忌まわしき執念のシンボルのチャンピオンであるものの、それがかくも女に反用されると、その執拗(しゅうね)きパワーも日干しにされて美味い干し魚ともなる言という点では面白く、いつも驕り高ぶっていたに違いない武士(もののふ)の太刀帯どもも、いい面の皮で痛快ではある。が、私はまた、『奇異(あさまし)く思ひて、「此は何の料ぞ」と問へども、女さらに答ふる事無くて□□て立てり』という辺りには鋭いリアリズムが漂っていて、何か穏やかならざる映像が髣髴としてくる気もしないでもないのである。公的に処断された可能性はどうかといえば、本文に出る「蛇は、食つる人惡し」という当時の一般通念を杓子定規に当て嵌めるなら、これは馬鹿馬鹿しいものの十分にあり得るであろう。しかし寧ろ、相手が老女とはいうものの、騙されていた太刀帯らの激怒を考える時、私刑としてのリンチの如き、何やらん、おぞましい光景も見えては来ぬか? 小学館の日本古典全集の解説には、『行商婦の詐欺的商売を摘発し、読者に注意を喚起しながらも、どこかに哀れさの残る話で』とするが、この附言に私はすこぶるつきで共感出来るのであるが、それは恐らく解説者の意識とは幾分ずれたところでの私の『哀れさ』でもあるのである。この女が「さらに答ふる事無くて□□て立てり」という何とも言えずセピア色になった草原のシーンが、私には確かにある不吉な哀しさの風音を伴って妙に鮮烈に見聴きされてくるのである。

・「太刀帶の陣」「太刀帶」は平安時代以前、春宮坊(皇太子に奉仕し、それに係わる事務を執った役所。内裏の東にあった。東は陰陽五行説で春に当たることから東宮の「東」に「春」の字を当てても書かれたのである)に属して帯刀して皇太子の警護に当たった武官。舎人(とねり)の中から武芸に優れた者が選ばれた。底本の脚注に『定員は当時は三十人』とある。その詰め所が「太刀帯の陣」。

・「三條の院の天皇の春宮にておはしましける時」第六十七代三条天皇(天延四(九七六)年~寛仁元年五(一〇一七)年)。当時は居貞(おきさだ/いやさだ)親王。冷泉天皇の第六十三代第二皇子で第六十五代花山天皇の異母弟に当たる。ウィキの「三条天皇」によれば、例の藤原兼家や息子道隆・道兼らの策略によって花山天皇が寛和二(九八六)年六月二十三日に出家し、七歳の懐仁(やすひと)親王に譲位して一条天皇が即位した。一条天皇は居貞親王の従弟に当たったことから兼家の後押しによって、同年七月十六日にこの居貞親王が十一歳で春宮となっている。冷泉・円融両統の迭立(てつりつ:代わる代わる立てること)に基づく立太子であったが、春宮の方が天皇より四歳年上であったために、「さかさの儲けの君」といわれた。『この立太子の理由は次の様に考えられている。すなわち、兼家は冷泉・円融の両天皇に娘を入内させていたが、円融天皇と不仲であったこと、冷泉天皇は』超子との間に三人の『親王を儲けていたことから、冷泉系をより重要視していた』。『また、孫(一条帝)は天皇、娘詮子は皇太后となり、自らは摂政となった兼家の自己顕示欲によって、もう一人の孫である居貞親王も東宮とされた』。『外祖父兼家に容姿が酷似し風格があったといい、兼家の鍾愛を受けて育ったことが『大鏡』に見える』ともある。眼病を患ったため、『仙丹の服用直後に視力を失ったされる』とあり、在位は寛弘八(一〇一一)年~長和五(一〇一六)年)と頗る短い。以上から、本話の時制は彼が春宮となった寛和二(九八六)年七月十六日から即位した寛弘八(一〇一一)年六月十三日までの閉区間の出来事となる。

・「役と」これで副詞。専ら・殊更・大層の意。

・「持成して」珍しいもの、素晴らしいもの、美味いものとしてもて囃す、言いたてるの意。

・「八月」新暦では八月下旬から十月上旬頃に当たるロケーションは秋の野をイメージされた方がよい。この時期の蛇類は越冬のためにエネルギーを蓄える時期で、肥えて脂も乗ってくると言え、但し、現在の十月頃になると蛇類は一斉に冬眠モードに入り始めて姿を見かけなくなるから、この時の「八月」は現在の九月頃と想定した方がよい。

・「小鷹狩」小振りの鷹を用いて鶉(うずら)や雲雀(ひばり)などの比較的小さな鳥を対象にして秋に行った鷹狩り。初鳥狩(はつとがり)とも言った。冬に行った鶴・雉子・雁(かり)などの大型の鳥類を獲る「大鷹狩(おほたかがり)」の対語である。

・「北野」大内裏の北側の野の意で、現在の京都市上京区の北野天満宮付近の地名。

・「蘿(したみ)」竹で編んだ、底が四角で上部が丸い形をした駕籠や笊(ざる)。古くは汁や酒を漉すのに用い、後には釣った魚を入れておく魚籠(びく)に用いられたから、干魚との連関が認められる。

・「楚(すはえ)」原義は細く真っ直ぐな若枝で、主に刑罰などに鞭として用いた。笞(しもと)。

・「逃目(にげめ)」逃げるようとする目つきや素振りを見せることを言う。

・「四寸」約十二センチメートル。蛇を開き干して干魚として誤魔化すには丁度よい長さではある。彼女は獲った傍から、まずぶつ切りにしたらしい。恐らくはその後に開いて生皮を引き剝いだ上で干したもののであろう。蛇の皮は生の方が綺麗に剥けるように私には思われる。

・「□□て」底本注では、『「あきれ」の漢字表記を期した欠字』とある。私は説話集の欠字にしばしば見られる、この『漢字表記を期した欠字』という説明に実は昔からかなり疑問を持っている。「期する」という語は、必ず実現しようと決めておくことを言うのであるが、だとすると、書いている時に具体的な人名地名が不明であったからとか、言葉が浮かばないか、漢字が思い出せなかったから、後で書き入れようとしてそのまま欠字となってしまったというニュアンスなのであるが、寧ろ、こうし欠字のうちには、特に人名や地名が特定出来ないよう、また、あまりにおぞましい様態や憚られる表現である場合、それを伏せることを殊更に意識的に「期した」欠字とも感じられることがままあるように感じられるからである。ここも寧ろ、読者にその詐欺女の居ても立ってもいられぬ様を読者に想像させるために確信犯で欠字にしたというニュアンスが大きいと私には思われるのだが? 研究者はまさにそういう意味で「期する」を持ちいているようにも見える場合もあるけれども、「期する」にはそうした確信犯的ニュアンスはないように私には思われる(なお私はこれらの「期する」は「きする」と読み、「ごする」とは読んでいない)。私が馬鹿なのか、「きする」「ごする」の読みも含め、研究者の方の御教授を是非とも乞うものである。現代語訳は「あきれて」(強烈な当惑や驚きを意味する古語としての「呆(あき)る」)で採った。

立てり。早う此奴のしけるやうは、楚を以て藪を驚かしつつ、這出る蛇を打ち殺して切りつゝ、家に持行て、鹽を付て干て賣ける也けり。太刀帶共、其れを不知(しら)ずして、買はせて役と食ひけるなりけり。

・「蛇は、食つる人惡し」本草書類では概ね、薬餌としての記載が多い。寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類」を見ると(細かな語注はリンク先の私の注を参照されたい)、まず、「うはばみ ※蛇」(「※」=「虫」+「冉」)の項に、「本草綱目」から引いて、

   *

土(ところ)の人、其の肉を截り、膾(なます)に作りて食ふ。其の膾、醋に着くれば、能く人の筯〔(はし):箸。〕に卷きて、終に脱すべからず。惟だ芒草(かや)を以て筯(はし)と作(な)さば、乃ち可なり。

   *

とあるが、本種を私は本邦にいないヘビ亜目ムカシヘビ上科ニシキヘビ科ニシキヘビ属ビルマニシキヘビ Python molurus bivittatus と考えている(但し、寺島は『本朝にも深山の中に之有り』とする)。次の「やまかゞち おろち 巨蠎」の条でも、「本草綱目」を引き、

   *

土人、殺して之を食ふ。膽を取りて疾治す。黄鱗なる者を以て上と爲す。甚だ之を貴重とす。

   *

とするが、これもやはり本邦産ではないニシキヘビ科ニシキヘビ属 Python の大型個体或いはニシキヘビ科ニシキヘビ属アミメニシキヘビ Python reticulatus を私は同定している。次の「しろくはじや 白花蛇」も「本草綱目」から引き、

   *

長さ一~二分(ぶ)、腸(はらわた)の形、連珠のごとく、多く石楠藤に上に在り。其の花葉を食ひて、人、此れを以て、尋ね獲る。先づ沙土一把を撒く。則ち蟠(わだかま)りて動かず。叉(さすまた)を以て之を取る。繩を用ひて懸け、※1刀(かつふり[やぶちゃん字注:※1=「蠡」+「刂」。])を起て、腹を破り、腸物を去り、則ち尾を反し、其の腹を洗ひ滌(すゝ)ぎ、竹を以て支へ定め、屈曲盤起して、紮縛(くゝ)り、炕(あぶ)り乾かす。[やぶちゃん注:中略。]

肉【甘鹹、温。毒有り。】風藥と爲(す)ること、諸蛇より速(すみや)かなり【頭尾、各々一尺に大毒有り。只だ中段を乾せる者を用ふ。酒を以て浸し、皮肉を去る。其の骨の刺(はり)、須らく遠く之を棄つべし。人を傷つくる其の毒、生者と同じ。】。

   *

として蛇類では初めて服用薬であるが、「肉」の項が初めて出する。但し、これも私は本邦には産しないクサリヘビ科マムシ亜科ヒャッポダ Deinagkistrodon acutus を同定している。しかしその製法は、本条の注に相応しいとは思う。少し飛んで、「さとめぐり 黄頷蛇」辺りから本邦産が登場するように私には思われる。そこではまず「本草綱目」から、

   *

-兒(ものもらひ)、多く養ひて戯弄(ぎろう)と爲し、死すれば則ち之を食ふ。』と。

   *

と引いた後に、良安の言として、

   *

△按ずるに、黄頷蛇は、人家に竄(かく)れ棲(す)んで、鼠及び燕子を呑む。人を嚙まず、倉廩に有りて米を食ふがごとき者は、長大にして二~三丈の者有り。捕へて三~四尺ばかりの者を丐兒女(こじきむすめ)の頸に纏(まと)はしめ、「因果の所業」と稱して錢を乞ふの類、和漢共に然り。

   *

とあって、食用記載ではないものの、当時の日本人が蛇をそうした因業なる生き物として捉えていた事実は本注に記して意味があろう。次に「はみ まむし はんび 蝮蛇」の項を見ると、

   *

肉【甘、温。毒有り。】 活きたる者一枚を取り、醇酒(じゆんしゆ)一斗を以て浸し封じ、馬の溺處(いばりするところ)に埋み、周年にして取り開き、蛇、已に消化して酒の味、猶ほ存すといへども、一升以來に過ぎず。以て飲まば、當に、身、習習として、病、愈ゆることを覺ゆべし。最も癩病を治す。此の疾ひは、天地肅殺の氣を感じて成る惡疾なり。蝮蛇は、天地陰陽の毒烈の氣を稟(う)けて生ずる惡物なり。毒物を以て毒病を攻む。

   *

と「本草綱目」を基にしたマムシ酒の効能が出現し、さらに続く良安の解説では、

   *

毎(つね)に好んで山椒の樹に蟠まる。故に蝮の身に山椒の氣香(かざ)有り。土人、之を取るに、皮を剝ぐ。但だ上下唇を以て之を裂けば、則ち、皮・肉・骨、分かち三段と爲る肉、潔白にして雪のごとし。寸寸(ずたずた)に切りても亦、能く蠢動(うごめ)く。梅の醋を用ひ、蓼に浸し、食ふ。甘美なり。氣力を益し、神志を強くす。又、黑燒にして藥と爲す。名を隱して五八草と曰ふ【又、十三草と名づく。】。能く血を止め、惡瘡を治す【其の燒粉、若し雨に値(あ)はば変じて小虫と成る。】。

   *

と、遂に明確な食品としての調理法や見た目、その味わいの記載を見出せるのである。しかも「甘美」と断定していることに注意されたい。但し、やはりそれは「名を隱」さねばならぬどことなく忌まわしきものであったことも同時に窺えることにも着目したい(下線部やぶちゃん)。

 まあ、こんなもんだろうと思っておられる御仁のために言っておくと、元禄一〇(一六九七)年刊の本邦最初の本格的食物本草書である人見必大の「本朝食鑑」には「蛇蟲類」の項があり、そこにはちゃんと「蛇」の項があることも述べおきたい(当該書は本草書であるから薬物として載っているわけだが、それでも本邦の「食物」として彼がしっかり「食」として名指している事実は重く受け止める必要がある)。但し、その蝮についての記載を見ると、良安が引いた「本草綱目」の効能を挙げた上で、

   *

凡山野之人毎謂食蛇及眞蟲則氣盛志猛予未試之。

(凡そ山野の人、毎(つね)に謂ふ、「蛇及び眞蟲を食ふ時は、則ち、氣、盛んに、志し、猛けん」と。予、未だ之を試みず。)

   *

と告解しているのが面白い。さらに見ると、東日本に稀におり、西南日本に多く見られる「烏蛇(からすへび)」という種を挙げて、

   *

野人食之者多言甘平無毒予未試之。

(野人、之を食ふ者、多し。言ふ、甘平(かんへい)にして、毒、無しと。予、未だ之を試みず。)

   *

ともある。この「烏蛇」というのは、ヘビ亜目ナミヘビ科ナメラ属シマヘビ Elaphe quadrivirgata の黒化型(melanistic:メラニスティック)個体の別名と考えてよい(通常のシマヘビは淡黄色の体色に四本の黒い縦縞模様が入る)。されば、かつてはシマヘビ食も地方で頻繁に行われていたことが窺える。なお、さらに「本朝食鑑」では、鰻ほどの大きさで黄黒色で纈紋(けつもん:鹿子絞りの紋様)が体表にある「水蛇」という種を掲げ、

   *

釣鱔者儘得之識者不食之不識者混而炙食亦中毒少矣。

(鱔(うなぎ)を釣る者、儘(まま)、之を得て、之を識る者は食はず、之を識らざる者は混じて炙り食す。亦、毒に中(あ)てらるは少なし。)

   *

とするのであるが、私は鰻と蛇を混同して食べてしまうことはまずあり得ないから、これは恐らく条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目タウナギ目タウナギ科タウナギ Monopterus albus を指していると私は推定していることを言い添えておく。

・「何ど蛇の不毒ぬ」当時の本邦の有毒蛇である二種、爬虫綱有鱗目ヘビ亜目クサリヘビ科マムシ亜科マムシ属ニホンマムシ Gloydius blomhoffii 及びヘビ亜目ナミヘビ科ヤマカガシ Rhabdophis tigrinus (毒牙は上顎の奥歯にあって非常に短いことから深く咬まれるないと注入されないことから長く毒蛇として認識されていないが、実際にはマムシ毒の三倍の毒性を持つとされている)生食して毒腺や毒液をじかに飲んで、しかもその飲食者の口腔や内臓に傷があった場合に限って中毒する可能性はある。しかし、女は洗浄して干していたであろうから、その可能性はゼロと言える。されば、『これを思ふに、「蛇は、食つる人惡し」と云ふに、何ど蛇の不毒ぬ』と疑問を感じた筆者のそれは、本邦に一般的な蛇食文化を開き得る一歩となっていたかも知れないのである。私はそれを幽かに残念に思う。クジラやイルカを食うことを、ウシやブタをずっと昔から食い続けてきた野蛮人が、野蛮な文化だと指弾する昨今、そんなことをふと思った。

・「※(たしか)に」(「※」=「忄」+「遣」。)「※」の字は不詳(「廣漢和辭典」にも不載る)。底本・諸本ともにかく訓じている。意味は「確か」にと同じものとして訳した。

・「廣量に」形容動詞。軽率に行動したり、うっかり気を許すさま。

・「云繚(いひあつらひ)」「云ひ扱ふ」に同じ。噂する。取り沙汰する。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

   太刀帯(たてわき)の陣に魚(さかな)を売る嫗(おうな)の話 第三十一

 

 今となっては昔のことじゃ……そうさ、あれは、三条の院さまが天皇(すめらみこと)の春宮(とうぐう)さまであらせられた頃のことじゃった……

 太刀帯の陣に、いつも来たっては魚(さかな)を売る女の御座った。太刀帯どもはこの女の売れるものを従者(ずさ)に買いとらせては食うて御座ったが、これがまた、その味わい、すこぶる美味(うも)ぅ御座ったによって、専らこれを珍重なし、好んで飯のおかずに致いておったと申す。それは――干した魚(うお)にて――食べ易き大きさに切れ切れに致いたもの――にて御座った。

 さても、八月頃のことで御座った。

 太刀帯ども、小鷹狩りとて、北野に出でて遊んでおったところが、かの魚売りの女が、原の中ほどより、ふっと出でて参ったに出逢った。

 その場にあった太刀帯やそのお附きの者どもは皆これ、この女の顔をよぅ見知っておったによって、誰もが、

『……こやつ……魚を鬻(ひさ)いでおるに……このようなる草深き野っ原にては何をしておるものか?……』

と不審に思うたによって、馳せ寄りて取り囲んで見れば、女は、如何にも大振りなる蘿(したみ)を持っておって、また、高く揚げたる長き楚(すわえ)をも一本持っておった。

 しかもこの女、太刀帯どもを見るや、怪しいことに、逃げ腰となり、尻もすっかり退(の)いて、何やらん、しきりに慌てふためいておるのが分かった。

 太刀帯の従者(ずさ)どもが、さらに円陣の中へと踏ん込(ご)んできっと寄り、

「ワレ! 持ったるその、えろう大きな蘿(したみ)には、これ、何んが入とるんじゃ?」

と、覗き見ようとしたところが、女はしきりに身を屈め、手にて覆い隠しては見せようとせなんだによって、皆々ますます怪しく思うて、一人の従者(ずさ)が、無理矢理、その蘿(したみ)引き奪って中を覗いてみたところが……その中にはこれ……蛇を――四寸(しすん)許りの大きさに――ぶつぶつに斬り刻んだものが――これ仰山、詰っておった。……

 あまりの惨状に驚き呆れて、

「……こ、これは……な、何(なん)に、す、す、するもんじゃいッツ!……」

と問うたれども、女はこれ、ぎゅうっと唇を噛んだまま、一言も発することのぅ、如何にも、意外なところで意外なものを見られたという風に、ただただ、途方に暮れて立ち竦んでおるばかりであった。……

 何と! こ奴がこの北野の原にて致いたおったことは、楚(すわえ)を以って藪を打ち叩き打ち叩きしては、そこに潜みおる蛇を驚かして這い出たを、これまた、楚(すわえ)を以って頭(ず)をさんざんに敲いて殺し、やおら、それをぶつ切りに致いて、家に持ち帰り、それに塩をつけて干し――「干し魚(うお)」と称して売っておった――ので、御座ったじゃ。……

 太刀帯どもは、それを知らずに、買わせては食い、しきりに美味い美味いと言うて、食うては買わせておったのじゃった、と。……

 この一件について思うことはまず、「蛇は、食った人はこれ、必ず毒にあたる」と言い慣わしておるにも拘わらず、どうして太刀帯らは蛇の毒にやられなかったのか? という疑問である。

 また――されば、その見た姿形が最早分からずなっておるような魚の切り身を売っておる場合には、これを安易に買(こ)うて食うなどということは、ゆめゆめせぬがよろしい――と、この一件を聴いた人々はしきりに取り沙汰して御座ったと、かく、語り伝えているとかいうことである。

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