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2015/05/05

堀辰雄  曠野 (正字正仮名版) 一 

曠野   堀辰雄

 

[やぶちゃん注:先般、ここで電子化した堀辰雄満三十六歳当時の書簡体小説「十月」を受け、そこで霊感が発せられて創作された「曠野」を正字正仮名で電子化する。底本は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの角川書店昭和二三(一九四八)年刊の「堀辰雄作品集 六 花を持てる女」所収のものを視認した。最後に原典となった「今昔物語集」巻第三十の「中務大輔娘成近江郡司婢語第四(なかつかさのたいふむすめあふみのぐんじのひとなることだいし)」の原文と訳注を附す予定である。【2015年5月5日始動 藪野直史】]

 

 

 

   曠野(あらの)

 

 

 

          忘れぬる君はなかなかつらからで

          いままで生ける身をぞ恨むる

                    拾遺集

 

 

 

        一

 

 そのころ西の京の六條のほとりに中務大輔(なかつかさたいふ)なにがしといふ人が住まつてゐた。昔氣質の人で、世の中からは忘れられてしまつたやうに、親讓りの、松の木のおほい、大きな屋形の、住み古した西の對(たい)に、老妻と一しよに、一人の娘を鍾愛(いつく)しみながら、もの靜かな朝夕を過ごしてゐた。

 漸くその一人娘がおとなびて來ると、ふた親は自分等の生先(おひさき)の少ないことを考へて、自分等のほかには賴りにするもののない娘の行末を案じ、種々(いろいろ)いひ寄つて來るもののうちから、或兵衞佐(ひやうゑのすけ)を選んでそれに娘をめあはせた。ふた親の心にかなつたその若者は、何もかもよく出來た人柄だつた上、その娘の美しさに夢中になつてしまつてゐることは、はた目にもあきらかだつた。さうしてそれからの二三年がほどといふものは、誰にとつても、何もいふところのない月日だつた。

 が、さうやつて世の中から殆ど隔絶してゐるうちに、その中務大輔のところでは暮らし向きの惡くなつてゆく一方であることは、毎日女のもとに通つて來る壻にも漸くはつきりと分かるやうになつた。そのなかでは、男だけは以前と變らずに手厚いもてなしを受けてはゐた。それはかへつて男には心苦しかつた。が、女との語らひは深まる一方だつたので、男はその女のもとをばもはや離れがたく思ふやうになつてゐた。

 ところが、或年の冬、中務大輔は俄かに煩ひついて亡き人の數に入つた。それから引きつづいて女の母もそのあとを追つた。女は悲歎(なげき)のなかに一人きりに取り殘されて、全く途方に暮れずにはゐられなかつた。勿論、男は相變らず夜毎に來て、さういふ女をいたはり盡してはくれた。だが、世の中を知らない二人だけでは、すべてのことがいよいよ思ふにまかせなくなつて來ることは爲方がなかつた。毎日宮仕に出てゆく男のためにもそれまでのやうに支度を調へることも出來惡かつた。それがことに女には苦しかつたけれども、どうすることもその力には及ばなかつた。

 再び春の立ち返つた或夕方、女は端近くにゐた夫を前にして、この日頃思ひつめてゐたことを口にする決心が漸つとそのときつゐたやうに、こんなことを言ひ出した。

 「わたくし達もこの儘かうして暮らして居りましては、あなた樣のおためではないのが漸つとはつきりと分つて參りました。父母のをりました間は、それでもまだ何かとお支度などもお調へしてさし上げられてをりました。けれども、かう何かと不如意になつて來ましては、それも思ふにまかせなくなり、お出仕の折などにさぞ見苦しいお思ひもなされることがおありでございませう。ほんたうに私のことなどは構ひませぬから、どうぞあなた樣のお爲めになるやうになすつて下さいませ。」

 男はぢつと默つて聞いてゐた。それから急に女を遮つた。「ではこの己にどうせよといはれるのか。」

 「ときどきわたくしのことが可哀さうにお思ひになりましたなら――」女は切なげに返事をした。「餘所(よそ)へいらしつてゐても、その折にはどうぞいつでも入らつして下さいませ。どうしていまの儘では、見苦しい思ひをなさらずに宮仕などがお出來になれませう。」

 男はしばらく目をつぶつて聞いてゐた。それから急に男は女のはうへ目を上げ、素氣ないほどきつぱりと言つた。

 「この己にこの儘おまへを置きざりにして往かれると思ふのか。」

 それきりで、男はわざと冷やかさうに顏をそむけ、破れた築土(ついぢ)のうへに葎(むぐら)がやさしい若葉を生やしかけてゐるのを、そのときはじめて氣がつゐたやうに見やつてゐた。

 やがて女の漸つとこらへてゐたやうな忍び泣きが急にはげしい嗚咽に變つていつた。……

 

 男は、さうやつて女のはうから別れ話をもち出されてからも、一日も缺かさず女のもとに來ながら、以前とはすこしも變らないやうに女と暮らしてゐた。しかしだんだん女の家から召使ひの男女の數も乏しくなり、築土なども破れがちになつて來、家に傳はつた立派な調度などもいつか一つづつ失はれてゆき出してゐるのが、男の目にもいつまでも分らないはずはなかつた。男の樣子が昔から見るとよほど變つてきて、以前よりか一層寡默(むくち)になりだしたやうに見えたのは、それから程經てのことだつた。しかし男はその樣子がさう少し變つただけで、女をいよいよゐたはり盡すやうにしてゐた。それが逢ふ毎に女にはたまらなく思はれて、どうしたらいいのか、ただもうあぐね果てるばかりだつた。

 とうとうまた、或夕方、女はこらへかねたやうに言つた。

 「いつまでもかうしてわたくしと一緒にゐて下さるのは、わたくしは嬉しがらなくてはならないのですが、どうもそれ以上に心苦しくてなりませぬ。わたくしはかうしてあなたのお傍に居りましても、あなたのそのお窶(やつ)れになつたお姿を見ることが出來ませぬ。のみならず、この頃あなた樣はわたくしに隱して、何かお考へになつていらつしやるのでせう。なぜそれをわたくしに言つては下さらぬのです。」

 男は物を言はずに、女をしばらく見てゐた。

 「己がおまへに隱して考へごとなどをしてゐるものか」と男は何か言ひにくさうに口をきゐた。「おまへが自分のことに構はずに、己のことばかり構はうとしてゐるのが己には窮屈でならないのだ。己だつて、もう少ししたら、どうにかなるだらう。さうすれば、おまへ一人位はどうにでもしてやれるのだ。それまで、いま少し、辛抱してゐてくれ。」

 男はさう言ひながら、ひと時、いかにもゐたゐたしさうな目つきで女を見た。しかし女はいつかそこに袖を顏にして泣き伏してゐた。男はしげしげと女の波うつてゐる黑髮を見てゐた。それから自分も急に目をそらせて、ふいと袖を顏にもつていつた。

 男がその女の家に姿を見せなくなつたのは、それから何日もたたないうちだつた。

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