フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015/06/30

氷の涯 夢野久作 (14)

 人間の運命といふものは大抵、一本調子の直線か弧線を描いてゐるものだが、それでも時々人を驚かす。だから、それが放物線なぞを描いて來ようものなら、ドレ位(くらゐ)、人を不思議がらせるかわからない。

 ところが僕の場合は、それが突然にポキンと折れ曲つた鋭角を描きあらはして來たのだ。

 それから一時間ばかり後(のち)の僕は、快速らしい白塗のモーターボートに乘つて、松花江(しようくわかう)を下流へ下流へと滑走していた。運轉をしてゐるのは一昨夜、僕を刺さうとしたニーナで、時速七、八哩(マイル)も出して居たらうか。

[やぶちゃん注:●「時速七、八哩(マイル)」時速十一・三~十二・九キロメートル。]

「このボートは英吉利(イギリス)の石炭屋さんが置いて行つたソアニー・クロストの十二シリンダーよ。素人(しろうと)に扱へないから買手(かひて)が無かつたんですつて……七十五哩(マイル)まで出るつて云ふのにタツタ八百五十弗(ドル)だつたのよ」

[やぶちゃん注:●「ソアニー・クロストの十二シリンダー」商標らしいが不詳。私はメカにも冥い。識者の御教授を乞う。それにしても十二気筒というのが凄いぐらいは分かる。 ●「七十五哩(マイル)」時速百二十一キロメートル(!)。 ●「八百五十弗(ドル)」ネット上の情報によれば、一九二〇年代(本作の作品内時間一九二〇年)の一米ドルは当時の日本円で二円で、凡そ現在の六百円相当とあるから、五十一万円相当となる。十九の娘の台詞としては法外な金額を「タツタ」と言うことを含め、台詞全体、完全にステキにイッてる!]

 とニーナが説明したが、しかし萬一を警戒するためにランタンを消して、成る可く岸沿(きしぞ)ひに走つてゐたので、微かな機械の音とダブリダブリと岸を打つ暗い波の音しか聞えなかつた。細い月はもうトツクに上流の方へ落ちて居たが、それでも河明りがタマラなく恐ろしかつた事を考へると僕は、いつの間にか醉ひから醒めてゐたらしい。

 ニーナは片手で巨大な日本梨(にほんなし)を嚙(かじ)つてゐた。ガソリンの罐(くわん)を蔽(おほ)うたアンペラの上に、新聞紙(しんぶんし)に包んで並べてあつた一つを、ニーナが云ふ通りに丸剝(まるむ)きにしてやつたものであつた。

[やぶちゃん注:●「アンペラ」アンペラの茎を打って編んだ筵。アンペラはイネ目カヤツリグサ科アンペライ属 Machaerinaの多年草。湿地に生え、葉は退化して鱗片状をなし、高さは〇・五~二メートル。茎の繊維が強い。熱帯地方原産。アンペラ藺(い)。呼称はポルトガル語“ampero”又はマレー語“ampela”に由来する。]

 それを受け取つたニーナは暫くジイツと考へて居た樣であつた。何が悲しいのか梨を持つた右手の黑い支那服の袖で、シキリに眼をコスリまはして涙を拭いて居る樣にも見えたが、やがてガブリと梨の横つ腹に嚙み付いて、美味(うま)さうに頰を膨らますと、汁を飮込(のみこ)み飮込み話し出した。案外に平氣な投げやりな口調で……。

[やぶちゃん注:●「何が悲しいのか梨を持つた右手の黑い支那服の袖で、シキリに眼をコスリまはして涙を拭いて居る樣にも見えた」この涙が――いい――。 ●「支那服」「全集」も同じく『支那服』である。本作から脱線するが一言言っておく。私は本作でここまで『支那人』を『中国人』と断りなしに書き換えてきた「全集」編者が『支那服』を書き換えないことを正当とする論理を全く以って認めない。おかしい。]

「……何處までもアンタと一緒に行(ゆ)くわ。アンタの樣な何も知らない正直な人間を、仕事の邪魔になるから殺す……なんて決議をした奴等は、モウ決議した時から妾(わたし)の敵だわ。日本の官憲だつて白軍だつて何だつてアンタに指一本でも指(さ)した奴はミンナ敵にして遣るわ。だつてアンタを怨んだり罰したりする法なんて何處にも無いんだもの。

 ……イイエ。アンタは何も知らないの。無賴漢街(ナハロカ)と、裸體踊(はだかをど)りと、陰謀ゴツコが哈爾賓の名物だつて事をアンタは知らないで居るのよ。殺される譯が無いつたつて殺される時には殺されるのが哈爾賓の風景なんだもの。だから何が何だか見當がつかなくなる筈よ。間違ひ無いのはお太陽樣(てんとさま)と松花江(スンガリー)が、毎日反對に流れて居ることだけなの。さうして其の中で妾(わたし)がタツタ一人ホントの事を知つてゐるだけなのよ……さうぢや無いつて云ふならアンタの手から短劍を奪(と)り上げて行つた人間の名前を云つて御覽なさい。當つたら豪(えら)いわ……ホーラ。ネ。知らないでせう……ホホホ……

[やぶちゃん注:●「無賴漢街(ナハロカ)」ナハロフカ。既注。プリスタン西側隣接地の低湿地帯で古くからの白系ロシア人難民の貧民街であった。志賀直哉に師事した女性作家池田小菊(明治二五(一八九二)年~昭和四二(一九六七)年)の、昨年発見された未発表小説の題名は「ナハロフカ(無能者)」である。池田が満州事変直前にハルピンを旅行した体験を素材に昭和七(一九三二)年に執筆したものとニュース記事にあった。ロシア語の綴りは探し得なかった。なお「全集」は『ナハロハ』とルビする。]

 ……だから妾(わたし)の云ふ事をお聞きなさいつて云ふのよ。馬鹿正直に人の云ふなりになつて、何が何だか解ら無いまゝマゴマゴウロウロして居るうちに、ヘツドライトもサイレンも番號札も何にも無いトラツクの下に敷(し)かれつ放(ぱな)しになつたら、ドウするの……誤解の解けるまでどこかに隱れて身の明(あか)りを立てなくちゃ噓だわよ。……捕まりさうになつたら構はない。此の河をハバロフスクまで行つて、あそこで油と食料を買ひ直(なほ)して、それからニコライエブスクまで下つて行(ゆ)く。そこから汽船で樺太(からふと)に渡つて日本に逃げ込むだけの事よ。妾(わたし)日本が見たくて見たくてたまらなかつたんだから丁度どいゝわ。

[やぶちゃん注:●「明り」「全集」は『証』(證)。ルビはないが、普通に読む者は「あかし」と訓ずるはずである。 ●「ニコライエブスク」「全集」は『ニコライエフスク』。現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ(Никола́евск-на-Аму́ре)はロシア極東部の文字通りの極東の町で間宮海峡の北を挟んでサハリン(樺太)の北部と対峙する。アムール川河口から八十キロメートルほど上流左岸(北岸)にある港湾都市で、ハバロフスク地方ニコラエフスキー地区の行政中心都市。漢字では「尼港」と表記された。ハバロフスクからは九百七十七キロメートルとウィキの「ニコラエフスク・ナ・アムーレ」にはある。因みに地図上で単純に直線計測すると直線でもハバロフスクからここまでが六百五十キロメートル、ハルピンからではやはり直線で千三百キロメートルを超え、気の遠くなるような涯である。そこへ行くことを隣町に行くように語るニーナ……そこから樺太へ行って、日本へ行きましょうよ! 私、日本、大好きよ!……これまたステキな少女!]

 ……妾(わたし)は主義とか思想とか云ふものは大嫌いだ。チツトも解らないし面白くも無い。「理屈を云ふ奴は犬猫に劣る」つて本當だわ。

 ……妾(わたし)には好きと嫌いの二つしか道が無いのだ。妾(わたし)はその中で好きな方の道を一直線に行くだけだわよ。

 ……妾(わたし)が赤軍に加勢して居たのは、アブリコゾフを好いてゐたからだ。妾(わたし)はツイ二三日前まで赤軍がドンナ事をして居るものなのかチツトも知らなかつたのだ。たゞアブリコゾフを生命(いのち)がけの男らしい仕事をしてゐる人間と信じ切つて居ただけだ。それ以外に何の意味も無かつたのだ。

 ……今だつてオンナジ事だ。妾(わたし)は何がなしにアンタを救ひ出さずには居られなくなつたのだ。赤とか白とか云つて卑怯(ひけふ)な陰謀の引つかけくらばつかりしてゐるサナカに、アンタみたいなお人好しの正直者を放(ほ)つたらかしておくのが恐ろしくてたまらなくなつたのだ。コンナ危なつかしい馬鹿々々しい鬼ゴツコの中から、とりあへずアンタを引つぱり出してしまひた度(た)くなつたのだ。さうして二人でコツソリと事件のドン底に隱れてゐる十五萬圓を探り出して、日本の官憲と、白軍と、赤軍を一ペンにアツと云はせてみたくなつたのだ。

[やぶちゃん注:●「引つかけくら」引っ掛けっこ。掛け合い。「くら」は「競(くら)」で、所謂、「くらべ」の略。「にらめっくら」「かけっくら」、即ち、「にらめっこ」「かけっこ」の「~こ」と全く同じで、動詞の連用形或いはそれに促音の付いた形につけることで、そうしたある種の競争をすることの意を添える接尾語である。]

 ……妾(わたし)はブルジヨアでもプロレタリアトでもない。だからブルジヨアでもプロレタリアトでも乞食(こじき)でも泥棒でも構はない。正直な一本調子(ちようし)の人間が好きだ。だから賄賂(わいろ)を取らない。噓をつかない。ニユーとしてゐる日本の官憲は、地下室にモグリ込んでゴヂヤゴヂヤした策略ばかり考へて居る露西亞人だの、ジヤンクの帆みたいに噓のツギハギをしてゆく支那人なんぞよりもドレくらゐ好きだか知れやしない。

 ……だけども惜しい事に日本の軍人はアンマリ正直過ぎる樣だ。人の良い、職務に忠實な日本の軍人は惡い知惠にかけてはトテモ普通の日本人に敵(かな)はない樣だ。銀月の女將(おかみ)と十梨(となし)通譯が書いた筋書(すぢがき)に手もなく乘せられてオスロフをどうかしてしまつたのを見てもわかる。それが大間違ひだつた事は、赤軍の連中が肩を組み合つて喜んで居たのを見てもわかる。星黑(ほしぐろ)だつてさうだ。軍人だけに正直過ぎたから殺されたのだ。日本の軍人は普通の日本人と人種が違ふのぢや無いかと妾(わたし)は思つてゐる。

 ……その日本の軍人の中でも妾(わたし)はアンタが一番好きになつちやつた。妾(わたし)はアンタが銀月の中に這入つた事を知つてゐたけど、チツトも心配なんかしなかつた。アンタは外の軍人とおんなじくらゐ正直な上に、赤の連中がピリピリするくらゐ頭がよくて、おまけにスゴイ勇氣と力を持つて居るんだからね……銀月の女將の手管(てくだ)なんかに引つかゝる氣づかひは絶對に無い。キツト無事に切り拔けて銀月を出て來るに違ひ無いと思つてゐたんだからね……。

 ……イヽエ。オベツカなんて云つたら妾(わたし)、憤(おこ)るわよ。妾(わたし)はモウ其のズツト前からアンタを見貫いて居たんだよ。……妾(わたし)がアンタを殺さうとしてタタキつけられたでしよ。あの屋上でさ。あの時からよ……あの時から妾(わたし)はアンタを殺すのを止めたんだよ。アンタが弱蟲弱蟲つて云ふ評判を聞いて居たから、眞實(ほんたう)かと思つてたら、トテモ強いんだもの……おまけに彼(あ)の素早(すばや)さつたら……トテモこの人には敵(かな)はないと思つたわ。だから助けて貰つた時には、ずゐぶん極(きま)りが惡かつたわ。

 ……アンタの手から短劍を奪ひ取つたのほ、ヤツパリ妾(わたし)よ。……ナアニ……何でもなかつたの……妾(わたし)はあの時に追つかけて來た憲兵をモウ一度裏梯子の蔭に隱れてやり過したの。どこの憲兵でも、あんなボコボコした長靴を穿いてゐるから駄目よ。犯人を逃がす爲に穿いてゐるやうなもんよ。だけど其の憲兵が行つてしまつた後で、妾(わたし)はフト短劍の鞘だけ握つて居るのに氣が付いたから、惜しくなつて

引返したのよ。キツト其處いらに落ちて居るに違ひ無いと思つてね……たゞ夫れだけの事だつたのよ……だつてアノ短劍は、モスコー出來(でき)の上等なんだもの。惜しいぢや無いの、今こゝに持つてるわ……アンタだつて拔身(ぬきみ)のまゝ持つて居たら怪我するぢや無いの……ホホホ……。

 ところが引返してみるとアンタが大舞踏室の窓から覗き込んで居るでせう。今にも飛込みさうな恰好で、妾(わたし)の短劍を逆手に握つて居るでせう。だから妾(わたし)もソーツとアンタの背後(うしろ)から室の中を覗いてみたら、タツタ一眼(ひとめ)で、何もかもが駄目になつた事が判明(わか)つたの。それと一緒にアンタが斯樣(こん)な處へ飛込んで、オスロフを助けようとするのは危險(あぶな)いと思つたから、思ひ切つて短劍を引つたくると其のままモウ一度、屋上から裏階段へ拔けて駈け降りたの。さうして通りかゝつたタクシーに飛乘つて、埠頭に來て、そこから向う岸のコサツク部落に住んで居るドバンチコつて云ふ花造りの爺(ぢい)やのところへ遁込(にげこ)んだの。

薄き雨   村山槐多

  薄き雨

 

銀の雨ふりそそぐ

或時は朱に輝きつ

また或時はほのかなる紫にしばし光りぬ

涙ぐむ空の光に

 

寶玉にたとふべき戰慄(をののき)に

とろとろとふりしきるその爲めか

櫻は花は

流れ消ゆ薄赤く

 

銀の雨大方は空にふる

また雨やむときは

いづこにか吹き鳴らす濕りたる笛もあり

ほのかなる紫にしばしきこゆる

 

たらたらと落つる寶玉

悦びとかなしみの間にて列をつくり

大空の涙まなこに

濃き薄き樂音がひびくなり

 

 

   ×

忙ぎゆくわが身に

薄暮か幽かな月夜か

美少年の汗か

何かしらぬ情念がまつはりつくす、

 

未だ道は盡きぬ燈が消えぬ

こばるとの鋭い明るい道路

春の眞晝の霞に

明りつけたる美しう鋭き道路

 

   ×

美しき酒をとうべてわが『時』は

豐かに醉へり暮迫(せま)る

雨に都は浮き漂よひ

燈は蕩殺の靑かざす

 

耐へがたきかなしみに

五月よりそひ

湯殿より見る如き

君ぞ見へたる

 

あなあはれあなあはれ

美しき時

かなしみを越へてめぐれり

空を君が方にと

 

   ×

血は増す血は増す

春赤く血に醉ひにけり

美しき遊戯の庭に

春赤く血を吸ひ出す

 

濃き赤に坐せる人人

晝もなほ燈をとぼしたり

その燈赤くおびへて

その人の血は増しにけり

 

   ×

孔雀の尾のしだり尾の

薄紫の草生に身を投ぐれば

山の色はあせ

石の原は眞靑に涙ぐむ

 

春鹽田かすたれて

ほのかに霞む心に

時しもかつと日は照る

眩しく麻醉の如く

 

孔雀の尾の紋の如

華奢をつくせし小花に

吹くは三月の強き風

またあせしわが息

 

石原をのぞめば

朱の古りし、子供が一人

草生のはての池には

冷たき水ものこるなり

 

   ×

眞紅の玻璃窓に身を凭たせ

深夜の街を見下せば

ああ遠方に雨ぞふる見ゆ

つぶやく如く泣く如く

 

薄紫と銀とに

ものうくも怖ろしくもふる雨見ゆる

惡女の赤よりあざやかに

われは眞赤にひとりこの深夜の玻璃窓に照さる

 

深夜の空の暗きをば

焦げゆく思ひ打鎭め

見入れば怪し羽根ぬれしかうもりは

薄明をともなひて街上を走り狂ふ

 

血に彩られし怪館の眞紅の玻璃窓に

われのみあざやかに目覺めたり

冷めたき外面

雨はふるふる

 

深夜の街にいま人々の

數千のその寢いきは

泣くが如

わが赤き玻璃戸を通して來る

 

   ×

身ぞ濕る廢園の春

音樂す廢地の水面(みのも)

幽かなる夕ぐれか人くるけはひ

狂嘆の古りし貴婦人

 

豪情に身をばうしなひ

恐る可き貧困ののち

なほ猛る古りし貴婦人

ふととまる

 

 

[やぶちゃん注:本篇で大正二(一九一三)年のパートが終わる。例によって、「全集」は記号(底本は「×」)で区切られている五つのパートの最終連最終行末総てに句点を打つ。

第五連一行目の「忙ぎゆく」はママ。「全集」は「急ぎゆく」とする。

同じく第五連四行目「何かしらぬ情念がまつはりつくす、」は読点の後に『」』のようなものが見えるが、植字のスレと判断して、無視した。因みに例によって「全集」は読点はない。

第七連一行目の「とうべて」はママ。「全集」では「たうべて」に訂する。「食(た)ぶ」は吞むの上代からある古語。

同じく第七連三行目の「漂よひ」はママ。

同じくだ七連四行目の「蕩殺」とは聴き馴れぬ語であるが、「たうさつ(とうさつ)」と読んでおき、すっかりとろかすしてめろめろにする、の意で私は採る。

第八連四行目の「見へたる」はママ。

第九連三行目の「越へて」はママ。

第十連一行目は「全集」では「薄き赤に坐せる人人」とある。かく対義語で訂した理由、不明。頗る不審。

同じく第十連三行目の「おびへて」はママ。

第十一連一行目「春鹽田かすたれて」意味不詳。「春鹽田か/すたれて」もリズムが悪く、無理がある。しかし「かすたる」という動詞もピンとこない。春の塩田の朧に霞む実景のようにも思われるが、識者の御教授を乞うものである。

第十六連四行目の「かうもり」はママ。

最終連第一行の「豪情」はママ。「全集」は「豪奢」に訂してしまっている。]

氷の涯 夢野久作 (13)

 それは多分午後の二時か三時頃であつたらう。間もなく誰か奧へ知らせたものらしい。奧の方から昨日の通りの水々(みづみづ)しい丸髷(まるまげ)姿の女將(おかみ)が、如何にも驚いた恰好で走り出て來た。さうして大きな聲で、

「いらつしやいませ。よくまあ…」と云つた。

[やぶちゃん注:「…」ママ。単なる誤植であろうが、特異点。「全集」は通常の『……』。]

 それから僕は其夜の十一時頃まで一歩も外へ出なかつたのだ。銀月の大建築の中でも、これが哈爾賓の市中かと思はれる位もの靜かな、茶室好みの粹(すゐ)を盡した祕密室(ひみつしつ)の見事さと、調度の上品さと、それに相應しい水際だつた女將(おかみ)の魅力に、隙間(すきま)もなく封じ籠められて居たのだ。東洋の巴里(パリ―)を渦卷くエロ、グロのドン底の、芳烈を極めた純日本式情緒を滿喫して居たのだ。

 もちろん夫(そ)れは此方(こつち)から註文した譯ではなかつた。しかし昨日(きのふ)から一生懸命になつて突詰めた氣持が、生れて初めて口にした芳醇(はうじゆん)な酒のめぐりに解きほごされ始めると、自分でも不思議なくらゐ大きな氣持になつて來たやうに思つた。ちつとも醉つたやうな感じがしないまんまに、恐ろしいものが一つもなくなつた樣な……。何でも思ふ通(とほ)りにしていゝ樣な……。

 さうしてその氣持ちが更に女將の技巧によつて解放されると、いよいよスツキリとした、冴え返つた醉ひ心地(ごこち)に變化して行(い)つた。二度ばかり湯に入つて、冷めたいシヤワーを浴びて居るうちに、頭が切り立(た)ての氷(こほり)のやうになつて、何もかもを冷笑してみたいや樣な……平生(いつも)の僕とは全然正反對な性格に變化してしまつて居ることを、自分自身に透(す)きとほるほど意識して居ることまでも自分自身に冷笑して居るやうな……。

 しかも女將は其の間ぢう、一度も事件に觸れた話をしなかつた。だから、僕も銀の莨入(たばこい)れの話なんかオクビにも出さなかつた。これが銀の莨入れと思つてゐたから…。

 二人はお互ひの身上話(みのうへばなし)を、面白をかしく打明(うちあ)け合つた。平生(へいぜい)無口の僕が妙にオシヤベリになつて、今までの投げ遣りな生活の話を、投げ遣り式(しき)にブチマケたのに對して女將は、長崎を振出(ふりだ)しにして東京、上海(シヤンハイ)と渡り歩いて來た間(あひだ)に經驗した色々な男の話をして聞かせた。さうして年の若い割に女に冷淡な男は、年を老(と)つてから情(じよう)が深くなるものである。さうして、そんな男こそは一番賴もしい男だと聞いてゐたが、けふが今日(けふ)までソンナ人間に一人(ひとり)も出會はなかつたと云つて笑つた。だから僕も笑ひながら彼女に杯(さかづき)を差した。

「それぢや十梨(となし)が可哀(かはい)さうだよ」と口元まで出かかつたのを我慢しながら……。

 ところが其時だつた。僕が凭(よ)りかゝつて居た背後(うしろ)の床柱(とこばしら)の中で……ヂヂヂ……ヂイヂイヂイ……ヂヂヂ……と妙な音がしたのは……

 ……・・・―― ―― ――・・・……SOS!……

[やぶちゃん注:●「……・・・―― ―― ――・・・……SOS!……」は底本では中間部の最初の「――」が二分の一で切れて、後に短いダッシュが続くが、これはモールス信号を文字化したものである以上、これは植字の際のカスレと見做した。「全集」は上記と同じである。]

 僕はビツクリして振り返つた。萬一の時の用心に床柱の中へベルが仕掛(しかけ)て在る事を、タツタ今聞いたばかりだつたから……。

 しかし女將は驚かなかつた。

「待つて居なさいよ」

 と眼顏(めがほ)で押へつけながら立上つて手早く帶と襟元を直した。

「ここは妾(わたし)だけしか知らない地下室だからね。平氣で丹次郎(たんじらう)をきめて居なさいよ」

[やぶちゃん注:●「丹次郎」為永春水作の人情本「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」の主人公夏目丹次郎。色白の美男の高等遊民で徹頭徹尾の優男(やさおとこ)。複数の女性に愛されることから江戸末期の柔弱な色男の代名詞となったが、現在は廃れた。一見文弱な上村を比喩して妙。]

 と云ひ云ひ先刻(さつき)這入つて來た押入の中の廻轉壁(くわいてんかべ)から出て行つた。

 僕も直ぐに落付(おちつ)いてしまつた。……女將は俺を味方に付けて何かの役に立てる積りだな……俺を片付ける積りならコンナ馬鹿念(ばかねん)の入つたもてなしをする筈は無い……という事を最初の女將の素振(そぶ)りから百パーセント感付いて居たのだから……さうしてアトは十五萬圓の在所(ありか)と、ニーナの短劍の行方を探り出せば、一切合財(いつさいがつさい)が放了(ホーラ)になるんだ……と度胸をきめながら立上つて室の隅のガソリン煖爐(だんろ)の火を大きくした。すこし醉ひ醒めがして來た樣に思つたので……。それから元の座へ歸つて、膳の横に置いて在るカツトグラスの水瓶(みづびん)へ手をかけて居る處へ、思ひもかけない次の間(ま)の衣桁(いかう)の蔭から、幽靈の樣に女將の姿が現はれたので、ちよつと眼を瞠(みは)らせられた。

[やぶちゃん注:●「放了」車の免許を持たぬだけでなく、賭け事やゲームにも私は疎い迂闊な人間である。多分そうだとは思ったが、ウィキの「和了」から引いて注とする。『和了(ホーラ)とは、麻雀において、手牌を一定の形に揃えて公開すること。他のゲームにおける「あがり」に相当する。このため、一般的にはあがりと呼ばれ、これを動詞化して「和了る」「和がる」「和る」のように表記されることもある』。『最も典型的な得点方法であり、基本的には、各プレイヤーは自身の和了を目指すとともに、他のプレイヤーの和了を阻止するよう摸打する』(「摸打」は「モウダ」「モウター」と発音し、自摸(ツモ)と打牌(だはい)からなる一連の行為を指す。ここはウィキの「摸打」に拠った)『和了によりその局は終了し、次の局に移る』とある。]

「何だつたかね」

 と僕は水を飮み飮み問うた。

 しかし女將は答へなかつた。崩れた丸髷(まるまげ)をうつむけて下唇を嚙んだまゝ、僕の前まで來てペタリと坐り込むと、イキナリ僕の手に在つた水瓶(みづびん)を取上げてゴクゴクゴクと口から口へ飮んだ。それから氣を落付けるらしくフーウツと一つ溜息をすると、僕の顏を眞正面から見い見い大きな眼をパチパチさせた。

「どうしたんだ。一體……」

 女將はちよつと舌なめずりをした。

「お前さんは此處へ來る事を誰かに云つて來たの」

「ウン別段云つた譯では無いが……あの手紙を上等兵が見て居たからね」

「……まあ……あの手紙つて何の事……」

「君が會計係の名前で出したぢやないか。銀の莨入を渡すから來いと云つて……だから來たんぢや無いか」

 女將は又、眼をパチパチさせた。シンから呆れたやうな表情で僕を見て居たが、やがてヂツと眼を閉じてうなだれた。何か考へて居るらしく肩で息をしてゐたが、そのうちに其呼吸がだんだん荒くなつた。

 僕はその間(あひだ)に冷えた盃(さかづき)を干してゐた。また何か芝居を始めるのかな……と思ひながら……。

 その眼の前で女將は一切を否定する樣な恰好で、丸髷の頭を強く左右に振つたと思ふと、やがてパツチリと眼を見開ゐた。冴え切つた顏色(かほいろ)と据わつた眼付で、今一度ヂイツと僕の顏を見た。空虛な魘(おび)えた聲を出した。

「あんたは欺(だま)されて居るのね」

 僕は返事をしなかつた。モウ一パイ冷めたい酒を干しながら次の言葉を待つた。

「あんたは憲兵を馬鹿にしてゐたでしよう。何が出來るかと思つて……」

 僕は默つてうなづいた。

「……それが、いけなかつたんだよ」

「どうして……」

 と僕は冷笑した。女將は鬢(びん)のホツレ毛を搔き上げたが、噓かホントかその指がわなないて居た。やはり靜かな魘(おび)えた聲で云つた。

「……笑ひ事ぢや無いんですよ。憲兵は最初から、あの司令部の中に赤軍のスパイが居ると思つて疑ひをかけて居たんだよ。さうして其のスパイがイヨイヨあんたに違ひ無い事がわかつたから、わざと實地調査にかこつけて搜索本部を引上げたんだよ。さうして、あんたを僞(に)せ手紙で追ひ出して置いて、あんたの私物箱から何からスツカリ搜索したに違ひ無いんだよ」

「どうしてわかる」

「あんたはわからないの」

「わからないね」

「うちの會計の阪見(さかみ)はその筋のスパイに違ひ無いんだよ。お金を取り立てに行くふりをして、色んな人達と連絡を取つて居るに違ひ無いんだよ。妾(わたし)はズツと前から感付いてゐたんだけど……」

 女將の言葉は何處までも靜かに魘(おび)えて居た。

 僕はヂツと腕を組んで考へた。此處が生死の瀨戸際だと思つて……。その間に女將は話し續けた。一々念を押す樣に繰り返して……

 ……十梨と阪見は、どちらも特務機關の參謀に直屬する軍事探偵で、十五萬圓事件は單にオスロフを葬るための芝居に過ぎなかつたらしいこと……。

 ……星黑はキツト無事でゐて、何處かに隱れて居るに違ひ無いこと……

 ……オスロフ殺しの陰謀連中(れんぢう)は、無理にも全體の責任を僕(ぼく)……上村當番卒(うへむらたうばんそつ)の仕事にして發表して、白軍と哈爾賓市中に居るオスロフの乾兒(こぶん)たちの不平を押へ付けようとして居るに違ひ無いこと……。

[やぶちゃん注:●「乾兒」音「ケンジ」で、中国語で子分・手下の意(他に男の養子の意もある)。本邦では専ら、極道の用語として用いられた。]

 ……ツイ今しがた會計の阪見が家の中をグルグルまはつて誰かを探してゐるらしかつたが、間もなく司令部から電話が掛つて、女將へ直接に、僕の行方を問合(とひあ)はせて來たこと……。

 ……だから女將は取りあえず「モウお歸りになりました」と返事して置いたが、しかし司令部が、そんな事で納得したかどうかわからない。……だからモウ銀月の周圍には、水も洩らさない網が張つて在るに違ひ無いこと……。

 ……だからその網が解けるまで此の部屋に隱れて居なければならないこと……。

 そんな話を聞いて居るうちに僕はニヤニヤ笑ひ出した。……笑はずには居られなくなつたからだ。さうして無言のまゝ立上つて、部屋を出て行(ゆ)くべく押入れの襖(ふすま)を明(あ)けた。

 その時の僕の冷靜だつたこと……氣の強かつたこと……今思ひ出しても不思議な位(くらゐ)であつた。

 流石の女將も、さうした僕の態度を見るとハツとしたらしい。長襦袢(ながじゆばん)の裾(すそ)を亂しながら中腰になつた。

「何處へ行(ゆ)くの……あんたは……」

「ウン。司令部へ歸るんだ」

「そのまゝで……」

「あゝ。何なら軍服を出して呉れ給へ」

「……出して……上げてもいいけど何しに歸るの」

「わかり切つてゐるぢやないか。自首して出るのさ」

 女將は毒氣(どくき)を拔かれたらしくペタリと坐り込んだ。今度こそホンタウに驚いたらしい。ホツと太い息を吐いた。

「……まあ……殺されてもいゝの」

 僕は冷笑し續けた。ヤツト芝居氣(しばゐぎ)の拔けた女將の態度を見下ろしながら……。

「むろん。覺悟の前(まへ)さ。僕が銃殺される前に何もかもわかるだらう。ホントの事實が……」

「…………」

「僕は噓をつくのは嫌いだ」

「……まあッ……」

 と女將が僕に飛びついて來た。色も飾りも無い眞劍な泣き預匠なつた。

「……あんたは……妾を棄てて行くの……」

「ああ。その方が早わかりと思ふからさ。なるべく身體を大切にして、餘計な氣苦勞をし無いやうにしてね……か……ハハハ……」

 女將の顏色がサッと一變した。僕の兩腕をシッカリと掴まえたまま、限を剥き出して振り仰いだ。その顏を見ると僕は何かしら、あらん限りの殘忍な言葉を浴びせてみたくなつたから、不思議であつた。

「ハハハ。何も驚く事は無いさ。女の知惠つてものは底が知れてゐるからね」

「…………」

「阪見は要するにお前さんのオモチャさ。骨拔人形(ほねぬきにんぎやう)さ。モットはつきり云へば男妾(をとこめかけ)さ。まだ會つた事は無いが、大概寸法(すんぱふ)はきまつてゐるね。……さうだらう。僕に出したアノ手紙はこの家(うち)に在る器械で打たせたんだらう。お前さんが大急ぎで阪見に口うつしにしてね…‥さうだらう‥…女の文章はぢきにわかるんだよ……僕には……」

「…………」

「それで何もかも判然(わか)るぢやないか。十五萬圓事件の邪魔になるオスロフは十梨が打つた密告文で片付いた。星黑主計も、十梨とお前さんの知惠で始末してしまつた。日本の憲兵はどこまでも日本の憲兵で内地の警察とは違ふんだから、絶對に筋書が曝(ば)れる氣遣ひは無い。アトは十梨か僕かと云ふ寸法だらう。浮氣なお前さんの事だからね。ハハ…」

「…………」

「僕はね。僕のアタマの良さに愛憎(あいそ)が盡きたんだよ。何もかも解らなくなつちやつたんだよ……タツタ今」

 眞白になるまで嚙み締めてゐた女將の唇の兩端(りやうたん)がビクビタと震へ出した。兩方の白眼がギリギリと釣上(つりあが)つて血走つた。

「……だから……僕が銃殺されたら何もかもわかるだらうと思つてね……ハハハ……」

 僕の兩腕をシツカリと握つてゐる女將の手の戰(をのゝ)きが明瞭に感じられた。さうして血走つた白眼が、みるみる金屬じみた光をキラキラさせ始めたと思ふ間もなく、女將は、素早く僕の兩腕を離して、黑繻子(くろじゆす)の帶の間(あひだ)に指を突込んだ。

[やぶちゃん注:●「黑繻子」「繻子」は「緞子」に既注済み。このシーンではグーグル画像検索「繻子」をリンクしておくに若くはあるまい。ここに底本の挿絵を配す(挿絵には「mae」と思しいサインがあるが、画家は不詳。底本とした国立国会図書館近代デジタルライブラリーでは書誌情報に本書全体が『インターネット公開(保護期間満了)』と示されているので、著作権侵害に当たらないと判断した)。
 
Koorinohate3

 豫期してゐた僕は、その手を引つ摑んで思ひ切り引寄せた。キラリと光るピストルを引つたくりざま力任せに突飛ばした。

 女將の身體(からだ)にはニーナの半分程の力もなかつた。ヒヨロヒヨロと背後(うしろ)へよろめいて行(ゆ)く拍子にガソリン煖爐(ストーブ)を蹴返(けかへ)すと、細いパイプで繫がつてゐたタンクがケシ飛んで靑い焰(ほのほ)がパツと散つた。女將の白い膝小僧(ひざこぞう)のまはりから、水色(みづいろ)のゆもじの裾(すそ)にかけて飛び付いた……と思ふうちに慌てゝ起上(おきあが)りかけた女將の顏の前を、ボロボロとオリーブ色の焰(ほのほ)が流れ擴(ひろ)がつた。

「アレツ……助けてツ」

 と叫びながら女將は火の海の中を僕の方へ這ひ出して來た。燒けた片鬢(かたびん)の毛をブラ下げながら……。

「……お金を……お金を……みんな上げるから……アレツ……」

 その地獄じみた表情を見ると僕は一層殘忍な氣持になつた。……何だ腐つた金……と云ひ度(た)い氣持ちでその顏を眼(め)がけて力(ちから)一パイ短銃(ピストル)をタヽキ付けると、立上(たちあが)りかけた女將の胸に當つた。それを慌てゝ拾ひ取りながら彼女は、僕に狙(ねらひ)をつけようとしたがモウ駄目(だめ)だつた。

 その執念深い、靑鬼(あをおに)のやうな表情が、みるみる放神(はうしん)したやうに佛顏(ほとけがほ)になつて行つた……と思ふと、白い唇を力なくワナワナと震はしながら、黑焦(くろこ)げの斑紋(はんもん)を作つてゐる疊(たたみ)の上にグツタリと突伏(つゝぷ)してしまつた。

 僕は悠々と押入れの中紅這入つて、襖(ふすま)をピツタリと閉(た)て切つた。這入りがけに見て來た通りに正面の廻轉壁(くわいてんかべ)を拔けて、木の香(か)の籠もつた湯殿へ拔けて、何の苦もなく地下室の階段に出た。

 その階段の上の廊下へ出て、マツトの下の落し戸をキチンと閉めてしまつた處へ、知らない女中が一人通りかゝつたから何喰はぬ顏で、

「僕の軍服を出して呉れないか」

 と賴んでみると、

「ハイ。かしこまりました」

 と云ふなり大きな鏡の在る西洋間に案内した。芳ばしいお茶と一緒に番號札の附いた亂籠(みだれかご)を出して呉れた。

 ……ナアンダイ……と思はせられながらチヤンと着換へて玄關を出た。

 往來を一町ばかり歩いてみたが、誰も咎める者が無い。張番(はりばん)らしい人影すら見えない。星の光りが大空一パイに散らばつてゐるばかりである。

[やぶちゃん注:●「往來を一町ばかり歩いてみたが」は「全集」では(正字化した)『往來を司令部の方向へ一町ばかり歩いてみたが』と加筆している。 ●以下、一行空き。]

氷の涯 夢野久作 (12)

 僕は今でもさう思つてゐる。

 この十梨(となし)の言葉を疑ひ得る者は、餘程の名探偵でない限り絶無であらう……と……。

 十梨は眞實、正體も無いくらゐ疲れて居たのだから。……さうして恐ろしい憲兵の前に、絶望と無力とを一緒にした身體(からだ)を曝露(さら)しに歸つて來たのだから……。

 その中でも僕は此話を最も深く信じた一人だつたらしい。……と云ふよりも十梨の立場に衷心から同情を寄せてゐた一人と説明した方が適當だつたかも知れない。實に意外極まる口供(こうきやう)の爲に、昨夜(ゆふべ)、毛布の中で、あれだけ苦心して築き上げて居た推理と、想像の空中樓閣をドン底から引つくり返されながらも、十梨から煙草を拒絶されると直ぐに一階へ飛んで降りて、熱い澁茶を一杯、酌(く)んで來て遣つた位(くらゐ)であつた。

 憲兵連中も無論の事であつた。彼等の顏は十梨の口供の途中から見る見る輝き出してゐた。搜索本部が開設されてから三日目に、早くも勝利の端緒(たんしよ)を摑んだ喜びを、互ひに目顏で知らせ合ひながら點頭(うなづ)き合つて居た。

 十梨が熱い茶を飮み終るのを待ち兼ねた憲兵中尉は、僕をさし招いて自動車を呼ばせた。一刻も猶豫(いうよ)ならんといふ風に……さうして早くもスウスウ眠り始めて居る十梨を搖り起して、

「オイオイ。十梨通譯。起きろ起きろ。處罰されるのではないぞ。いゝか、貴樣は殊勳者に違ひ無いが、一應現場(げんぢやう)を調べる迄は許す譯に行(ゆ)かんからな。氣の毒だが、えゝか」

 十梨は搖(ゆす)ぶられながら小兒(こども)のやうにグニヤグニヤとうなづいた。

 自動車が來ると皆立上つた。何でも全員一齊にやるのが憲兵の習慣らしい。さうしてめいめいは自分の机の曳出(ひきだ)しを開けて、いくらも無い書類や文房具を抱へ込んだのは、搜索本部の仕事がモウ是切(これぎ)りになつた事を豫感して居たのであらう。

 「オイ。當番。モウ此處へは來んかも知れんが、しかし今二三日の間(あひだ)、當番を解除することはならんぞ。搜索本部を解散する時には此方(こつち)から通知すると上等兵に云ふて置け」

 と憲兵中尉が宣告した。

「ハ……モウ二三日間當番を解除する事はならんと上等兵殿に云ふて置きます」

 と復誦をすると今度は珍しく曹長が笑顏を作つた。

「フフフ。うまい事をするなあ貴樣は……フフン。慰勞休暇のやうなもんぢや。……ウン。それから新聞紙(しんぶんし)を一枚持つて來い。イヤ。封筒がよからう。一枚でえゝぞ……」

「ハツ封筒を一枚取つて來ます」

 といふうちに僕は部屋を飛び出して司令部から白い横封筒を一枚貰つて來た。皆はその間(ま)に玄關に出てゐたので、僕は追つかけて、自動車の外に立つてゐる曹長に、封筒を手渡した。

 曹長は封筒を受取ると自動車に乘つた。グツタリと顏を伏せてゐる十梨の横に坐りながら、ポケツトから札束を出して數へ始めたが、三百二十圓在る事を確かめると、「ヨシ」と云ひながら扉(ドア)を閉めた。同時に二人の憲兵上等兵が左右のステツプに飛乘ると、舊式のビツクがガツクリと後退しながらスタートした。その拍子に、札束を横にして封筒に入れようとした曹長の手許が狂つて、外側の一枚の裏面(りめん)がチラリと見えた。

[やぶちゃん注:●「ビツク」私は免許を持たない化石のような男で、車には冥いが、これは恐らく、アメリカのゼネラルモーターズ(GM)が製造販売する乗用車のブランドの一つ、ビュイック(Buick)であろう。]

「……アッ…‥」

 と僕はその時に叫んだやうに思ふ。敬禮するのも忘れて自動車の跡を追つかけ樣としたが、追付けなかつたので、又立ち止まつて額(ひたひ)を押へた。不思議さうに僕の顏を見て居る歩哨の視線から逃げる樣に、地下室へ駈降りて、自分の寢臺に引つくり返つた。猛烈な勢いで活躍し始める僕の腦細胞を、押し鎭めよう押し鎭めようと努力しながら兩手をシツカリと顏に當てた。

 僕は自分の耳を疑はなかつた。今、曹長が數へてゐる三百二十圓は、たしかに十梨が、机の上に投げ出したソレであつた。星黑(ほしぐろ)が、公金の包みの中から引出して呉れたたものだと十梨が説明してゐた二十圓札の十六枚に相違なかつた。……しかも同時に僕は自分の眼を疑はなかつた。タツタ今、其一番上の一枚の裏面(りめん)がチラリと見えた瞬間に、その裏面の片隅に二つ並んだ赤インキの斑點の恰好をハツキリと僕は認めたのだ。

 僕はその赤インキの斑點に見覺えがあつた。忘れもしない前月の初めに、星黑主計が供の前で、自分の俸給を勘定して居るうちに、誤つて赤インキの附いたペン先を跳ね返した時に、くつ付いた斑點だつたのだ。

 僕は、其時に大急ぎで吸取紙を持つて行つて遣つたので、其インキの恰好をハツキリと印象して居る。大きい方が吸取紙に押へられて象(ざう)のやうな歪んだ恰好になつてゐた。そのお尻の上に小さい方の一滴が太陽の形に光線を放射してゐた。ちやうどお伽話の插繪(さしゑ)か、印度(いんど)の壁畫(へきぐわ)みたやうな赤い影繪(かげゑ)の形になつた事を、不思議にハツキリと印象して居たのだ。其時に吸取紙を投げ返した星黑が珍しく「有難う」と云つたせゐかも知れないけれども……。

 若し世の中に、同じ形の赤インキの斑點をつけた二枚の二十圓札が、絶對に存在し得ないものとすれば、かの一枚の札は確かに前月の初めに、星黑主計が自分の俸給として受け取つて、舊式な博多織(はかたおり)の札入に挾んで、内ポケツトに納めた札の中の一枚でなければならぬ。それが丸一個月(かげつ)經つた二三日前の土曜日に銀行から引出したまゝの公金の札束に挾まつて居る理由は絶對にあり得ない。金扱ひの嚴格な星黑主計が自分の紙入の中の金を、公金の札束の中へ突込むといふのは、どう考へても不自然である。

 星黑は殺されたのだ。十梨が掘つた陷穽(おとしあな)に陷つて死んだのだ。

 オベツカ上手で色男の十梨は、星黑を誘ひ出して公金を費消(ひせう)さした……その窮況(きうきやう)に乘じて星黑に官金を盜み出さした。さうして其金を奪ひ取つたのだ。そのポケツト・マネーと一緒に……。

 十梨は其樣(そのやう)な事實の一切を晦ます爲に、二日(か)二夜(や)がゝりで恐ろしく骨の折れる芝居を打つて居るのだ。星黑が生き返つて來ない限り絶對にわかる氣づかひの無い芝居を……。

 十梨の知惠には頭が下がる。實地檢分に行つた憲兵は河岸(かはぎし)で星黑の軍服の燒殘(やけのこ)りを發見するであらう。それから河岸の一軒屋を檢分するであらう。さうして十梨の言葉の眞實性を認めたが最後、猛然として三姓(せい)の方向に突進するであらう。さうしてその結果は十五萬圓と、星黑の行方を、永久に諦めて歸つて來る事になるであらう。十梨の放免もそれと同時であらう。

 かくして十梨は官憲の保障の下(もと)に十五萬圓の持主となり得るであらう。

 ……僕はイキナリ起上つて駈出したい衝動に駈られた。すぐにも憲兵隊に駈込んで十梨の奸策を發(あば)いて遣らうか……と思つたが、又、思ひ直して寢臺の上に引つくり返つた。……イヤイヤイヤ。まだ早い。まだ早い……と氣付きながら……。この事件が放射してゐる、すべての謎の焦點を解決してしまはなければ……さうして動きの取れない實物の證據を押へた上でなけれは……と考へながら……。

 彼(か)の二十圓札は星黑を殺した時に、十梨が奪つた者に相違無いのだ。さうして他の持合はせの札と合はせた三百二十圓を、正直さうに憲兵の前に提出した一種の餌に外ならない事がわかり切つて居るのであるが、しかし是は僕だけがタツタ一人認めて居るに過ぎない極めて偶然の事實である。死んだ星黑が生き返つて來て、それに相違ない事を白狀しない限り、絶對に確實な證據とは云へないのだ。かうした證據の性質を考へないでウツカリした事を云ひ出しでもしようものなら、相手が無鐵砲な憲兵の事だから、あべこべにドンナ嫌疑をかけられるか知れたものでない。

[やぶちゃん注:「奪つた者」はママ。「全集」は『物』と訂する。]

 さう氣がつくと同時に僕は思はずブルブルと身ぶるひをした。この事件を仕組んだ人間の頭のヨサに今一度舌を捲いて感心しない譯に行(ゆ)かなかつた。

 見たまへ……。

 つい今しがたまで十梨の陳述によつて木葉微塵に打碎(うちくだ)かれてゐた僕の想像の空中樓閣が又も、巍々堂々(きゝだうだう)たる以前の形にモリモリと復活して來るではないか。

[やぶちゃん注:●「巍々堂々(きゝだうだう)」はママ。「ぎぎだうだう(ぎぎどうどう)」が正しい(「全集」は『ぎぎ』と訂されてある)。「巍巍」は「魏魏」とも書き、高く大きいさま、厳(おごそ)かで威厳のあるさまを言うから、そうした厳かな様態を少しも隠すところがなく、公然としているさまをいう。]

 しかも生き生きとした現實となつて眼の前に浮き出して來るではないか。

 此事件の背後から糸を操つて居る者は、やはり銀月の女將(おかみ)に相違ないのだ。銀月の女將は表面上オスロフや星黑に好意を表しながら、内實は、十梨と肝膽相照(かんたんあひてら)し合つて居るに違ひ無いのだ。あの年増盛(としまざか)りの女將の男妾(だんせふ)、兼(けん)、番頭として十梨は何と云ふ適任者であらう。彼の露西亞通(ロシアつう)と露西亜辨(ロシアべん)と、持つて生まれた愛嬌とは、銀月の女將に取つてドレ位(くらゐ)重寶なものであらう。

[やぶちゃん注:●「露西亞通と露西亜辨」悪知恵に長けた十梨の持つ、客観的なロシア政局の情報通としての冷徹な分析力と、通訳としての堪能なロシア語の語学力の駆使を、実に上手く、皮肉に表現している部分である。]

 彼は最初から彼女の手先となつて仕事をして居たもので、しかも目下(もつか)が其の大活躍のクライマクスに違ひ無いのだ。彼は、彼が司令部の内情に精通してゐる知識を利用した、事實無根の露西亞文(ロシアぶん)を彼女の註文通りにタタキ出して、一氣にオスロフを葬り去る手段を彼女に與へると同時に、一命を賭(と)して十五萬圓の金儲(かねまうけ)を巧らんでゐるのだ。搜索本部の視線を他(た)の方面に轉向させる可く、巧妙を極めた芝居を打つて居るのだ。十梨の樣な男に取つては、あの女將の魅力が、ソレ程の苦勞に價(あたひ)するに違ひ無いのだ。犯罪の裏面(りめん)に女……何といふ古めかしい解決であらう。さうして又……。

「オイ、上村(うへむら)。手紙だぞ」

 かう呼ばれた僕は、ビツクリして寢臺の上に起上つた。見ると眼の前に上等兵が立つて居る。

「晝間から寢る奴があるか。どこか惡いんか。」

[やぶちゃん注:末尾句点はママ。]

「ハ。すこし風邪を引ゐた樣です」

 と答へながら僕は手紙の上書(うはがき)を見た。「哈爾賓、第二公園裏(うら)、銀月事、富永トミ方、阪見芳太郎(さかみよしたらう)――電二七――」とゴム印が捺してある。

「前文御めん下さいませ。先日は失禮致しました。早速ですが其節お忘れになりました銀側(ぎんがは)の卷煙草入(まきたばこい)れを只今發見致しました。御屆け致しませうか。それとも御都合よろしき時お出で願はれませうか。まことに恐れ入りますが、御(お)ついでの時お電話をお願ひ致します。取りあへず右(みぎ)まで御意(ぎよい)を得ます。

敬具   

  上村作次郎(うへむらさくじらう)樣   阪見芳太郎」

 といふ邦文タイプライターの文句が其中味であつた。

「何だ。貴樣は銀月なんぞへ行つて遊んだことがあるのか」

 と上等兵は眼を剝いて尋ねた。僕は震える手附(てつき)を見せまいと苦心しいしい辛うじて答へた。

「イーヤ、此のあひだ公用でタツタ一度行つたことがある切(き)りです」

「その時に忘れて來たんか」

「そんな記憶(おぼえ)は無いのですが……銀の卷煙草入れなぞ持つて居た事は無いのですが……」

「ハハハ……いゝぢや無いか貰つて來たら……」

「外出してもいゝでしせうか」

「搜索本部は引上げたんぢや無いだらう」

「ハイ。モウ二三日當番を解除しない樣にと中尉殿が云つて行(ゆ)かれました」

「フーン。そんなら外出はお前の勝手次第ぢやろ。俺の權限ちう譯ぢやあるまい」

「ハイ。それぢや是から出かけて來ます。少し買物がありますから」

「また書物買(ほんか)ひか。まあチツト面白い奴を買うて來いよ。讀んで遣るから。ハハハ……」

 と冗談を云ひながら上等兵は出て行つた。

 僕はすぐに外出の支度を始めた。しかし夫(それ)は上等兵の手前だけで、實は息苦しい程の氣迷(きまよ)ひの中に鎖されて居たのであつた。

 ……正直のところ……僕は靑天の霹靂(へきれき)に打たれたのであつた。噂をすれば影といふが、タツタ今、考へてゐたばかりの當の本人から、コンナ風に巧妙を極めた呼出しをかけられた僕は、ちやうど自分の想像通りの幽靈にぶつかつた樣な脅迫觀念に襲はれたのであつた。

 見たまへ……僕の想像が想像でなくなりかけて居るではないか。

 ……かうした人知れぬ手段で僕を引つぱり出して片づけようとしてゐる……もしくはこの事件に一と役(やく)買はせようとしてゐる……らしい彼女の計畫が、此手紙の書き振りを通じてアリアリと窺はれるではないか。

 ……彼女は僕が、兵卒らしくないアタマの持主である事を、タツタ一眼(め)で看破(かんぱ)してゐるのだ。同時に彼女は僕が、此事件に關する幾多の重大な祕密を握りながら、野心滿々の虎視眈々(こしたんたん)たる態度で、司令部の當番に頑張つてゐる人間であるかのやうに、想像してゐるに違ひ無いのだ。ことに依ると彼女は、僕の身體がタツタ今閑散(かんさん)になつた事實と一緒に、その理由までも、憲兵隊の大袈裟な行動によつて察知してゐるかも知れない……だからコンナ詭計(トリツク)を平氣で使つて僕に呼出しをかけて居るのぢやないか……僕が十梨や何(なに)かと同樣に二つ返事で飛んで來るであらう事を確信して……。

 さう氣が付いた僕は、猶豫(いうよ)なく此の手紙を持つて特務機關の參謀の處へ行(ゆ)かうか知らん。さうして一身(しん)の處置を仰がうか知らん……と思ひ、震える手で脚絆(きやはん)を卷いてゐた。

 ……これは俺みたいな人間の手に合ふ事件ぢや無い。いくら文學靑年でも、兵卒は兵卒の仕事しか出來ないものなんだ。そればかりぢや無い。此間(このあひだ)、銀月の應接間でウツカリ軍機の祕密を饒舌(しやべ)つて居る以上、俺はモウ國家の罪

人ぢや無いか。自訴(じそ)して出る資格は充分に在るのだ……。

 と云つた樣な事實に後から氣付きながら、帶劍の尾錠(びぢやう)をギユーギユーと締め上げて居た。

[やぶちゃん注:●「尾錠」尾錠金(びじょうがね)。帯剣ベルトのバックルのこと。]

 恐らく其時の僕の顏は血の氣(け)を無くして居たであらう。屠所(としよ)の羊(ひつじ)とでも云ひ度い氣持ちで、うなだれうなだれ地下室の階段を登つて行つた事を記憶して居る。さうしてソンナ氣(け)ぶりを察しられないやうに帽子を冠(かぶ)り直して歩哨に外出證を見せると、其儘こそこそキタイスカヤの人ごみに紛れ込んだ事を記憶してゐる。實はキタイスカヤの人通(ひとどほり)と云ふと、十人が十人外國人ばかりと云つてよかつたので、却つて人眼(ひとめ)を惹く爲に紛れ込んだやうなものだつたが、それでも、そんな人混雜の中に揉まれて行つたら、その中(うち)に何とか決心が付くかも知れない……と云つたやうな心細い空賴(そらだの)みの氣持から、さうしたのであつたかも知れない。……さうしてまだ決心が付かないまゝ、何處を當(あ)てともなく歩いて行(ゆ)くうちにトルコワヤ街か何處かであつたらう。偶然に眼に付いた立派な理髮店に這入り込んで、フラフラと椅子に腰をかけたまゝ、正面の鏡に映つて居る病人じみた自分の顏を、いつまでもいつまでも凝視してゐたことを記憶してゐる。

[やぶちゃん注:「トルコワヤ街」先に引かせて戴いた「里村欣三ホームページ」の里村の「放浪病者の手記」についての評論「満州小考」によれば、『「トルゴワヤ街」はハルビン随一の繁華街キタイスカヤ街に並行する「売買街」』(商店街の意)とあり、「埠頭区拡大図」を見ると位置が分かる。しかも現在の哈爾濱でも簡体字でズバリ、「売買街」という街路名であることが地図で分かった。]

 それから先の事が僕としては實に書きにくいのだ。何とも申譯無(まうしわけな)い、面目無(めんぼくな)い事ばかりが連續して起つて來るのだから、成(な)らう事なら割愛したいのが山々だが、しかし、それを書くのが此遺書の眼目なんだから、しかたがない。

 眼の玉の飛び出る樣な料金を取られながら、格別驚きもせずにトルコワヤ? の理髮店を出た僕は、ショーウヰンドを覗いたり、のろい貨物車に遮られてゐる踏切を眺めたり、公園の劇場の看板を見上げたりして長い事考へたあげく、ついフラフラと銀月の玄關に立つてしまつたのであつた。

[やぶちゃん注:●「トルコワヤ? の理髮店」このクエスチョンは二段前で「トルコワヤ街か何處かであつたらう」と行った先の街路が不確かであったことに基づくもの。 ●「踏切」「満州小考」の地図を見ると、トルゴワヤ街の東北直近、一区画隣に平行して鉄道が走っているのが分かる。]

 その時の僕の氣持ちは僕自身にも記憶して居ない。しかし何(いづ)れにしても持つて生まれた臆病者の僕が、自分でもハツキリした自信のない證據物件をもつて、○○機關の首腦部の足下(あしもと)へ飛込んで行く勇氣を出し得なかつたのは當然であつたらう。さう云つて自分の卑怯さを云ひ逃れる譯では無いが、そんなにしてドンドコドンドコのドン詰(づめ)まで考へまはして……イツタイ俺はホンタウに此事件に關係があるのか……無いのか……ある樣に思ふのは俺の氣の迷ひぢや無いか……とまで迷ひ詰めて、氣が遠くなる程、思ひ惱んだ僕が、結局、最後に殘る事件全體の「不可思議の焦點」に引掛つて動きが取れなくなつてしまつたのは止むを得ない歸結であつたらう。「ニーナの短劍」に關する疑問を唯一の心賴(こゝろだの)みにして……銀月の女將が僕の味方か敵かを確かめて見る氣になつて來たのは、自然の結果として見逃して貰へるであらう。

[やぶちゃん注:●「○○機關」「全集」では伏字を外して(正字化した)『特務機關』となっている。]

 勿論それは實にタヨリナイ雲を摑むやうな想像……と云ふよりも寧ろ空想に近いヤマカンであつた。非常識と云ふよりも寧ろ馬鹿々々しいくらゐ情ない「空賴(そらだの)み」式(しき)の心理狀態であつた。けれども其時の僕としては、さうしたヤマカン式の「空賴み」よりほかに辿(たど)つて行(ゆ)く道が無いのであつた。此の疑問を解決してから自首して出ても遲くは無い……此の疑問を解決する爲には何もかも犧牲に供(きよう)しても構はない……と云つたやうな絶體絶命の氣持になつたまま、色硝子(いろガラス)と、茶色の化粧煉瓦(けしやうれんぐわ)と、蛇紋石(じやもんせき)で張詰(はりつ)めた、お寺のやうな感じのする銀月の玄關に茫然と突立つて居たのであつた。

[やぶちゃん注:●「蛇紋石」serpentine(サーペンティン)。マグネシウムの含水ケイ酸塩からなる鉱物で橄欖(かんらん)石や輝石が水と反応して変質したもの。岩石の表面に蛇のような紋様が見られ、高級装飾石材。]

氷の涯 夢野久作 (11)

 あくる朝は馬鹿に早く眼が醒めた。

 氣が付いてみると當番の連中(れんぢう)は、いつの間に歸つて來たものか、僕の左右にズラリと枕を並べてグーグーと眠りこけて居る。

 便所に行つた序(ついで)に歩哨の前から、表口の往來を覗いてみると素敵にいゝ天氣である。昨日の出來事は噓のやうな感じのする靑空が、時計臺の上に横たはつてゐる。

 歩哨に聞いてみると「司令部の連中はツイ今しがた、當番連中を引き連れて、どこからか歸つて來たところだ。昨夜は何らの異狀も無かつた」と云ふ。辻々の警戒も最早、解かれて居たのであらう。朝の人通りはいつもの通りで、向家(むかひ)のカポトキンの大扉(おほど)も開かれて、四、五人の人夫が方々の窓を拭いて居る。

 僕は何だか馬鹿にされて居る樣な氣持ちになつた。しかし、さうかと云つて文句を附ける處は何處にも無いので、少々睡(ね)むいのを我慢しいしい搜索本部の掃除を濟ましたが、その序にチヨット四階のオスロフの居室の樣子を覗きまはつてみると、どの部屋もどの部屋も窓掛(まどかけ)が卸(おろ)ろされて鍵が掛かつて居る上に、向う側のブラインドが卸してあるらしく、眞暗で何も見えない。そのシンカンとした氣はいに耳を澄まして居るうちに、又も、昨夜と同じやうな寒氣がして來さうになつたから、慌てゝ階下へ駈降りた。

 下へ降りてみると食事がモウ出來てゐるのに驚いた。むろんこれは炊事係が入代つたせいであつたが、その時に初めてさうした事實に氣が付いた僕は今更のやうに、オスロフ一家がどうなつたかと考へて暗然となつた。何だか自分が意氣地(いくぢ)が無い爲に見殺しにしたやうな、たまら無い責任觀念に囚はれながら、タツタ一人で箸を取つたが、久し振りに喰(く)つた軍隊飯の不味(まづ)かつたこと……オスロフ一家の事が胸に悶(つか)へてゐたせゐばかりではなかつた。

 そのうちに上等兵が起上つて煙草を吸ひ初めたので、早速、昨夜からの出來事をコツソリ話し合つたが、双方が双方とも眼を丸くして驚き合つた事は云ふ迄もない。それから夫れへと煙草を吹かしながら聲を潜めて居るうちに、いつの間にか時間が經つたらしい。突然に、いつもと違つた長靴の音がポカポカポカポカとコンクリートの階段を降りて來た……と思ふうちに、いつの間にか出勤したものか、憲兵上等兵の一人が僕の顏を見るなり

「オイ。何をしとるか。早く來んか」

 と階段の途中から怒鳴つた。又も大事件らしいのだ。

 僕は退屈だつた昨日の午前中が戀しくなつた。タツタ一晩考へただけで、頭がくたびれてしまつたものらしい。實に意氣地(いくぢ)の無い名探偵だ……と自分で思ひ思ひ上衣(うはぎ)を着て二階へ駈上つて、搜索本部の中を一眼(ひとめ)見ると、思はずサツと緊張してしまつた。……十梨(となし)通譯が歸つて來て居るのだ。星黑(ほしぐろ)と一緒に行方を晦まして居た十五萬圓事件の片割れが……。

 十梨は僕と向ひ合つた、室の隅に近い籐(とう)の肘掛椅子に、グンナリと腰をかけてゐた。女のやうに小肥りした男だつたが、二、三日の間に薄汚なく日に燒けて、ゲツソリと頰を瘠(こ)かしてしまつてゐる。靴もズボンも泥だらけになつて、此邊(このへん)の草原(くさはら)に特有の平べつたいヌスト草(ぐさ)の實が處々にヘバリ付いてゐる。何處からか生命(いのち)からがら逃げて來た恰好で、口を利く力も無いくらゐ疲れてゐるらしい。大勢の視線に睨み付けられながら、片肘を椅子に掛けて、ウトウト睡りかけてゐる樣子である。

[やぶちゃん注:●「ヌスト草」マメ目マメ科マメ亜科ヌスビトハギ連ヌスビトハギ亜連ヌスビトハギ属 Desmodium Desmodium podocarpum ヌスビトハギ(盗人萩) Desmodium podocarpum subsp. oxyphyllum 或いはその仲間であろう。]

 ……これは、どうした事だらうか……と思ふ間もなく僕は、曹長の命令で一階へ飛んで降りた。まだ殘つてゐるオスロフ家の冷藏庫の中から白パンを半斤(はんぎん)と、牛乳を三本持つて來た。そいつを十梨の鼻の先に突付けると、ヤツト氣がついたらしかつたが、それからホコリだらけの瞼(まぶた)を開(ひら)いて飮むこと飮むこと喰(く)ふ事喰ふ事。牛乳をモウ二本と、パンをモウ半斤追加して、あとから熱い茶をガブガブと飮んでゐるうちに、みるみる大粒の汗を、ホコリだらけの顏に浮かべた。それから憲兵中尉に貰つた煙草を一本吸つてゐるうちに、又も安心したらしく、グツタリと椅子に凭(もた)れかゝるのを、引きずり起し引きずり起し審問が開始されたのであつた。

 僕は十梨の一言一句に耳を澄ました。昨夜、僕が毛布の中で築き上げた理屈と想像の空中樓閣は、十梨の出現によつてアトカタもなく粉碎されるかも知れない……さうして昨夜(ゆふべ)の事件と、十五萬圓事件とを同時に解決するホンタウの鍵が、十梨の口供(こうきよう)の中から發見されるかも知れないのだ。…‥ことに依るとニーナの短劍の行方まで推定され得ないとどうして云へよう。……しかも、それを探り出すのは僕の正當防衞を意味する大きな權利に違ひ無いのだ。世界中に僕一人が持つて居る祕密の特權……と云つたやうな興味を極度に高潮させて、胸をドキドキさせながら、ボンヤリした十梨の表情を凝視して居た。

 十梨の口供(こうきよう)は、如何にも弱々しい……それこそ夢うつゝのやうな聲で續けられた。

「御承知か知りませんが、私は此間(このあひだ)から、面倒な飜譯の仕事でスツカリ疲れて居りましたので、土曜日の晩に外出を願ひまして、日曜日の朝早くから、傅家甸(フーチヤテン)に靴を買ひに行きました。御覽の通り皮が固くなつて穴が開いて居りますので、哈爾賓(こちら)へ參りますとすぐから、買はう買はうと思つて居たものでありました。

 ところが、第八區の筋かひ道(みち)を通つて居りますと、背後(うしろ)から私を呼ぶ聲がします。振返つてみますと、支那馬車の中から星黑主計殿が顏を出されました。いつもの通りの服裝で、膝の間に新しいリユツクサツクを挾んで居られました。

「何處に行くのか」と問はれましたから、「傅家甸(フーチヤテン)へ」と答へて敬禮しますと、「さうか。俺も其方(そつち)へ行(ゆ)くから此車に乘れ」と云はれましたので一緒に乘つて行(ゆ)きました。

 ところがまだ鐵道踏切を越えないうちに、主計殿がニコニコ笑いひながら「お前は松花江(しようくわかう)の下流に行つた事があるか」と問はれましたのでチヨツト困りました。私は露西亞の地理ならば内地で研究して居りましたお蔭で少々自信がありますが、滿州方面は後まはしにして居りましたので西も東も知りません。殊に當地に來る匆々(さうさう)の八月の初めから飜譯ばかりして居りまして、一歩も市外へ出(で)ずに居りましたのでどの道が何處へ行(ゆ)くのか、どの方向にドンナ町があるか、況(ま)して何處いらから先が、馬賊や赤軍のゐる危險區域になつて居るのか、全然白紙も同樣なのです。ですから萬一案内でも賴まれては大變と思ひましたので「イヽエ」と答へますと「さうか俺は今から行(ゆ)く處だ。露西亞人の友達と一緒に行く約束をして居たんだが、そいつが風邪を引いて寢てしまつたので、俺一人で行つて呉れと云つて、案内を知つてゐる支那人を雇つて呉れた上に、御馳走をコンナに遣(よこ)した。ナアニ。危險區域と云つたつて心配する程のものぢやない。……日本軍の居ない處を全部、危險區域とばかり思つて居るのは日本人だけだ……と云つて其露人(そいつ)が笑つて居た。酒もちやうど二人前(にんまへ)ある。それあ景色のえゝ處があるさうだぞ」と云はれました。後から考へますとこれは眞赤な噓で、郊外の地理に暗い私が外出することを、前の晩からチヤント睨んで、計畫を立てゝおられたものに違ひありません。しかし其時は全く氣付きませんでしたので、非常に喜んでお禮を申しました。ステキな日曜にぶつかつたものだと思つて、靴の事も何も忘れて居りました。

 支那馬車は傅家甸(フーチヤテン)を拔けて東へ東へと走りました。腕時計を修繕に出して居りますので時間がわかりませんでしたが、同じ樣な草原(くさはら)や耕地の間(あひだ)を隨分長い事走りましたので、ツイ飜譯の疲れが出たのでせう。ウトウ卜しておりますと、正午近いと思ふ頃から、小さな川の流れに沿うて行(ゆ)くうちに、廣い廣い草原(くさはら)の向うに、松花江(しようくわかう)の曲り角が見える處まで來て馬車が停まりました。

 主計殿はそこで馬車を降りられました。さうしていつの間に勉強されたものか流暢な支那語で、駁者と話して居られましたが、そのうちにニコニコしながら此方(こつち)へ來られますと「此處から向うの丘の上まで歩いて行(ゆ)くのださうだ。あそこが一番景色がいゝさうだからね。濟まないが其の背負袋(リユクサツク)を荷(かつ)いで呉れないか。駁者は泥棒が怖いからと云つて車を離れないからね」といふ賴みです。私は「何だ。そんな目的で自分を連れて來たのか」と少々馬鹿々々しくなりましたが、今更、仕樣がありませんでしたから、リユクサツクを擔(かつ)ぎ上げて、道の無い草原(くさはら)を、河の方向へ分入つて行(ゆ)きました。

[やぶちゃん注:●「支那語」「全集」では(正字化した)『滿州語』。全集編者が他を差別言辞として「支那語」を「中国語」に書き変えていると思われる中(推測。差別表現書換注記は全集当該巻にはない)、これは久作による書き換えと考えてよい。]

 私は直ぐ鼻の先に見えてゐる河岸(かはぎし)が、案外遠いので弱りましたが、それでも二十分位(くらゐ)歩きますと、すこし小高い、見晴しのいゝ處へ來ました。あたりに人影もありませんでしたが、主計殿が「イヤ御苦勞だつた。此處(ここ)らで休もうか」と云つて腰を卸(おろ)されましたので、私も草の中に尻餅を突きました。それから主計殿はリユクサツクを引寄せて、白い新しい毛布を引つぱり出して、自分の手で草の上に擴(ひろ)げられました。

「一杯飮め」と云つて差出されたのを見ますと封印したウヰスキーの小瓶でした。主計殿も新しいのを持つておられましたので、私は遠慮なしに咽喉(のど)を鳴らしました。それから主計殿は、リユクサツクの中からサンドウヰチだのサアヂンの罐(くわん)だのを二つ三つ出して、毛布の上に並べられました。

[やぶちゃん注:●「サアヂン」老婆心乍ら、サーディン(sardine)でオイル・サーディンのこと。]

 私はトテモいゝ氣持ちになつてしまひました。眞靑な空から凉しい風がドンドン吹いて來ます。珈琲(コーヒー)色の河に區切られた綠色の海みたやうな草原が、見渡す限り雲の下で大浪を打つて居ります。その向うを薄黑い船が音もなく、辷(すべ)つてゆくのを見て居りますうちに、いつの間にかウヰスキーの瓶が空になりました。そのまゝ横になつて睡つてしまひました。

 私は其時に火事の夢を見て居りました。哈爾賓のホルワツト將軍の邸だつた樣です。私は將軍の白い髯(ひげ)が燒けてはならぬと思つて頭からバケツの水を引つ冠(かぶ)せて居(ゐ)る積りでしたが、そのうちにアンマリ噎(む)せつぽいので、眼を擦(こす)つてよく見ますと、ツイ鼻の先に鼠色の背廣を着た男がウロウロして居ります。ハテ、何者か知らんと起上つて見ましたら、それが意外にも主計殿で、遙か離れた川岸から拾つて來られたらしい流木を集めて燃やして居られるのでした。しかし、御承知の通り流木は濕つて居ります上に、火力が弱くてなかなか燃え難(にく)いので、煙(けむり)に噎せながらシキリに世話を燒いて居られる樣子でしたが、そのうちに何だかヤタラにキナ臭いのでよく氣を附けてみますと、どうでせう。其煙(けむり)の中で燻(くすぶ)つて居るのは、今まで主計殿が着て居られた軍服ではありませんか。

[やぶちゃん注:老婆心乍ら、久作の確信犯か、夢から醒める部分をぼかしてあるので注意されたい。「そのうちにアンマリ噎せつぽいので」が覚醒前後で実感、「眼を擦つてよく見ますと」が覚醒時の十梨の行動である。]

 私は其時に初めてドキンとしました。

「軍服を燃やすのですか」と思はず大きな聲を出しましたが、主計殿は返事をされませんでした。たゞ私を振返つてジロリと睨(にら)まれただけでしたが、其の顏付のスゴかつたこと……臆病者の私はガタガタとふるへ出しました。道路の方向を見ますと私達を乘せて來た支那馬車は、影も形もありません。見渡す限り草の波です。

「主計殿、歸らうではありませんか」

 私は思ひ切つて、さう云ひかけてみましたが、まだ云ひ切つてしまわぬうちに、スツクと立上つた主計殿は、煙の向うからギラギラ光る拳銃(ピストル)を差付(さしつ)けられました。さうして白い齒を出して笑ひながら近付いて來られましたので、私は草の中に四ツン這ひになつて終(しま)ひました。

「オイ、十梨(となし)。俺はお前に賴みがあるのだ。默つて其のリユクサツクを擔(かつ)いで三姓(せい)まで從(つ)いて來て呉れんか。えゝ」

[やぶちゃん注:●「三姓」松花江の下流にある現在の黒竜江省ハルビン市依蘭(いらん)県。地図上で計測してみると、ハルピンの東北東直線で二百三十キロメートル、松花江の河川実測で凡そ三百キロメートル上流、ハルピンから松花江右岸(南岸)にある現行の道路で試みに実測してみると、約二百七十キロメートルの位置にある(グーグルマップ使用)。ウィキの「依蘭県」によれば、『満州族の古くからの居住地であり、清室祖宗発祥の地』で、『依蘭とは「依蘭哈喇」の略称であり、満州語で「三姓」を意味する「イランハラ」の音写。意訳した三姓という旧称も存在する』とある。地名の由来は、満洲国が編纂した「依蘭紀略」によれば、盧(ろ)・葛(かつ)・舒(じょ)の三つの姓を名乗る一族が『居住していたことより三姓の地という地名が発生したと記載されている』という。清代より『この地域に居住する諸民族が貢納する毛皮と絹布を初めとする中国物産との交易が行われ、 三姓は松花江水運の要衝として発展していった』ともある。ここから更に松花江を下ると(直線距離で東北四百八十キロメートル)、ハバロフスクに着く。]

 私はモウ一度そこいらを見廻しましたが、河を通る船すら見えません。太陽がズツト西に傾いたせゐでせう。哈爾賓の町が黑い一線になつて上流の方向に見えて居りました。

「俺は司令部の金を持つて逃げて來たんだ。明日の今頃は大騷ぎをやつて居ると思ふんだがな。ハハ……。幾日かゝるか知らんが三姓まで來てくれたら、持つて來た金の三分一だけ分けて遣る。それでも五萬圓だ。惡くないだらう。噓ぢや無い。此通りだ」と云ふうちに主計殿は、右手のピストルを私の方に向けたまゝ、左の手をリユクサツクにかけて口を大きく開かれました。さうして底の方に在る新聞紙包を片手で破いて、チラリと見えた分厚い札束の中から、よい加減に拔出した二十圓札を口に銜(くは)へて數へられました。

「三百二十圓ある。當座の小遣ひに分けて遣る。よく調べてみよ。一枚も贋札なんか無いから……」

「ありがたう御座います。行(ゆ)きませう」

と私は答へました。容易に逃げ出せないと思ひましたから、わざと金に眼が眩んだふりをしたのです。

「ウム。一緒に飮んだ馴染甲斐(なじみがひ)があるからな。無茶な事はせぬ積りだが……俺もタツタ一人の仕事だからナ」と星黑主計殿は獨言(ひとりごと)のやうに云はれました。

 私は默つてリユクサツクの革紐に兩手を突込みました。さうして、たまらない恐ろしさと不愉快さとを我慢しいしい、主計殿の指圖に從つて、草原(くさはら)の中を歩き出しました。主計殿はいつの間にか此邊(このへん)の地理を詳しく調べて居られたらしいのです。

 そのうちに日が暮れて、五日ばかりの細い月が出ておりましたが、間もなく引込んでしまひましたので、私は星黑主計殿の懷中電燈で足元を見い見い草原を分けて行(ゆ)きました。すると、又、そのうちにリユクサツクが堪らなく重くなつて來ましたが、それでも私の姿だけが懷中電燈に照(てら)し出されて居るのですから、逃げる素振りなどミヂンも見せられません。三姓(せい)に着いたら殺されるかも知れない……とも思ひましたが、今更どうにも仕樣が無い私でした。

[やぶちゃん注:●「五日ばかりの細い月」私は先に、この十万円の横領事件が発覚した日を大正九(一九二〇)年九月六日の月曜と推定したが、これによって私の推理が正しかったことが証明された。但し、気になることが一つある。調べてみると、この夜は月齢二十二で翌日が下弦の月、半月より膨らんでいて逆立ちしても「細い月」ではない。……この話、実は――月が嘘だ――と語っているのではなかろうか?……]

 そのうちに何處だかわかりませんが、松花江の向う岸の大きい星空の下に、人家の燈火がチラチラ見え始めますと、荷物を擔いで居ながらも可なりの寒さを感じて來ました。

「何處にも泊らないのですか」と云ひながら振返りましたら、俯向(うつむ)いて何か考へ考へ歩いてゐた主計殿が顏を上げて見廻されました。「ウム。支那人の家が在つたら泊らう」と云はれましたが、そこいらは人家の影すら見當らない、河沿ひの高原地帶らしく見えました。

 それから又一里も歩きますと、肥つた私はもうへトヘトに疲れてしまひましたから、立止つて暗闇の中を振り返りました。

「こゝいらで休まして下さい」と悲鳴をあげますと、主計殿も疲れて居られるらしく案外柔和な聲で「さうだな。人家は却つて物騷(ぶつさう)かも知れん。今夜は此處で野宿とするかな」さう云はれるうちにリユクサツクを下(おろ)した私は、あんまり寒いのでガタガタ震へ出しました。「主計殿。あそこに小舍(こや)が見えますよ」

 二、三町向うの河岸(かし)に、歪んだ掘立小舍(ほつたてごや)らしいものが見えて居(ゐ)る樣でした。主計殿もうなづかれました。

[やぶちゃん注:●「二三町」二百十九~三百二十七メートル。]

「ウン丁度えゝ。行つて見よう」

 近づいて見ますとそれは渡船場(とせんば)の番人小舍でした。一間幅(けんはゞ)に二間ぐらゐの極く粗末な板造りで、向う側の破れ穴から松花江の水の光が見えました。

[やぶちゃん注:●「一間」は一・八メートル。]

「中に這入つて見よ」と主計殿が命令しながら懷中電燈を私に渡されました。さうして自分は拳銃(ピストル)を持つたまゝ、家の背後にまはつて小便をして居られる樣です。

 ……今だ……と私は胸を躍らせました。其儘(そのまゝ)家の中に這入つてリユクサツクをドシンと卸(おろ)して、其上に點(つ)けつ放(ぱな)しの懷中電燈を乘せました。すぐに戸口から這ひ出して、丈高(たてたか)い草の中を下流の方へ十間ばかり這ひ込みましたらうか……。

「オイ。十梨。何處に居るのか」

 といふ聲が風上から聞えました。拳銃(ピストル)を片手に持つた向う向きの背廣姿が、上流の方を透かしてゐる恰好が、星あかりでよく見えました。私は立上つて一散に走りました。

 ……ズダーン……ズダーン……

 といふ大きな音が私の肩を追ひ越して行きましたので、私は夢中になつてしまひました。帽子は其時に落したのでせう。草の中を轉(こ)けつまろびつして行(ゆ)きましたが、そのお陰で彈丸(たま)が當らなかつたのかも知れません。三發目の爆音が可なり遠くに聞えましたので、チヨツト振返つてみますと、四五十米(メートル)ばかり離れて追蒐(おひか)けて來る黑い姿が見えました。

[やぶちゃん注:●「追蒐(おひか)けて來る」既注。「飛蒐(とびかゝ)つて來る」を参照。「蒐」には狩り・狩猟・探すの意があるから、その辺りからの用字であろうか。]

 私の左手は仄白(ほのじろ)い松花江(しようくわかう)の水で、右手は丘つゞきの涯しもない高原らしいのです。その中をピストルの音がアトカラアトカラ縫(ぬ)うて行(ゆ)くのです。そのうちに右手の方から川緣(かわぷち)へ降りて來る小徑らしいものを見つけましたから、構はずに其中へ走り込みまして、小高い處へ駈上りました。拳銃(ピストル)の音はソレツキリ聞えなかつた樣です。

 左右から生えかゝつて來る草を押分け押分け、三十分ばかりも走りますと息が切れて堪(たま)らなくなりましたので、倒れる樣に草の中へ坐りましたが、坐つてみると又寒いのに驚いて立上りました。さうして寒さと空腹と睡(ね)むたさとに責められながら夢うつゝの樣に當(あ)てどもなく狹迷(さまよ)つて行(ゆ)きました。

 翌る日の正午頃、何處かわからない廣い通りへ出ると間もなく支那人の部落に着きました。しかし露語(ろご)が通じませんので手眞似で高梁飯(かうりやんめし)を喰(く)はして貰つて物置の藁の中に寢ました。さうして昨日(きのふ)の正午頃になつてヤツト眼を醒ましましたが、それからお禮に銀貨を一枚遣つて「哈爾賓々々々(ハルピンハルピン)」と云ひますと支那人の老爺(ぢゝい)がわかつたらしく、撞木杖(しゆもくづゑ)を突張(つゝぱ)りながら廣い畠の中を案内しいしい通拔(とほりぬ)けて、大きな道路のマン中に私を連れて來ました。さうして西の方を指して見せながら幾度も幾度も頭を下げて見せましたが、それが一昨日(さくじつ)來た道だつたかどうかは今でも私にはわかりません。モウ一度行つてみたら往(ゆ)き路(みち)も歸り路もハツキリするだらうと思ひますが……。生憎、馬車が通りませんでしたので徒歩で引返しましたが、折より夕方になつて一臺捕まへまして、夜通しがゝりの全速力で走らせました。居睡(ゐねむ)りしいしい來ましたので、幾つ村を通つたか記憶しませんが案外、道程(みちのり)が遠いので驚きました。しかし其夜(そのよ)のほのぼの明けに哈爾賓の燈火を見た時には、その爲に氣が遠くなりかけました。

[やぶちゃん注:●「しかし其夜のほのぼの明けに哈爾賓の燈火を見た時には、その爲に氣が遠くなりかけました」非常に重大な事実であるが、一九六九年第一刷一九八九年第九刷第一書房刊「夢野久作全集」第三巻の「氷の涯」のこの前後は以下のようになっている。

   《引用開始》

居睡りしいしい来ましたので、幾つ村を通ったか記憶しませんが案外、道程が遠いので驚きました。しかしその為に気がとおくなりかけました。

   《引用終了》

この『しかしその為に気がとおくなりかけました』というのはおかしくないか? 「道程が遠いので驚」き、「その為に気がとおくなりかけ」たという順接なら、いい。逆接の「しかし」は明らかにおかしい。そこでよくみると、この底本の方が実に自然な叙述になっていることが分かる。即ち、ほっとして、思わず、かえって「その爲に氣が遠くなりかけ」たというのである。――これは本当に久作が単行本化の際に削除したのであろうか?――これは素人が見ても、悪しき改稿であることは言を俟たない(「しかし」もカットすれば問題はない)。私は彼の単行本化された方を現認していないので何とも言えないのであるが……これ……もしや――「全集」自体が「其夜のほのぼの明けに哈爾賓の燈火を見た時には、」をまるまる脱字させてしまったというあり得ない可能性も捨てきれない――のである。どなたか単行本をお持ちの方、是非ご確認戴けると助かる。

 ……ハイ。貰つたお金はこれです。……二十圓札十六枚です。……ズボンのポケツトに這入つて居たのです。……疲れて居りますからモウ一度よく睡らして下さい」

 さう云ふうちに、十梨はモウ、ぐつたりと籐椅子(とういす)の中に凭(もた)れ込んだ。僕が點(つ)けてやつた煙草を、手を振つて拒絶しながらウトウトとなりかけた。

[やぶちゃん注:●以下、一行空き。ここに底本の挿絵を配す(挿絵には「mae」と思しいサインがあるが、画家は不詳。底本とした国立国会図書館近代デジタルライブラリーでは書誌情報に本書全体が『インターネット公開(保護期間満了)』と示されているので、著作権侵害に当たらないと判断した)。
 
Koorinohate2

2015/06/29

氷の涯 夢野久作 (10)

 その靑年は案外、意氣地(いくぢ)の無い男であつた。ズラリと並んだ銃劍を見まはすと一も二もなく手を合はせて泣出しながら、白狀しなくともいゝ事まで饒舌(しやべ)つてしまつた。

[やぶちゃん注:●「ズラリと並んだ銃劍を見まはすと」「全集」では(正字化した)『自分の頭の周圍にズラリと並んだ銃劍を見まはすと』と加筆。]

 彼はアブリコゾフといふ貴族出の美靑年で、相當の學問があつた上に一種の畸型的(きけいてき)な頭の冴えを持つてゐたらしい。時計の玉や、指環の寶石スリカエの熟練家(エキスパート)であつたばかりでなく、暗號解讀の天才だつたので、赤軍の細胞に捲込まれて非常に重寶がられてゐた。それが此の二三年、カボトキン百貨店の三階に在る貴金屬部に雇はれて、懷中時計の修繕と、大時計の係を引受けて居たものであつたが、そのうちに窓越しのニーナと顏を見合はせて笑ひ合つたり、顏を赤らめ合つたりする樣になつたものであつた。

 けれども二人は話をする事は愚か、手紙の遣り取りすら思ふ樣に出來なかつた。アブリコゾフの背後には赤軍の監視の眼が光つてゐるし、ニーナの蔭には年老(としと)つた女が二人も附いて居るので何樣(どう)にも仕樣が無かつたが、そのうちにアブリコゾフの方が思ひ付いて、當時大流行の仙人掌(サボテン)を應用した暗號通信法を、僅かの機會を利用してニーナに教へると、これが見事に成功した。ニーナの神速(しんそく)な記憶力と、持つて生まれた冐險癖が、見る見る驚くべき作用を現はし始めたので、其のお蔭で二人はヤツト自由自在に媾曳(あひびき)の出來る嬉しい仲になつたのであつた。

 ところが最近に到(いた)つて日本軍の司令部が、ニーナの足の下(した)に引越して來る段取りになると、此の仙人掌(サボテン)通信の甘つたるい内容が俄然として一變し始めたのであつた。冐險好きのニーナの眼と耳が、司令部の中を飛び廻はつて拾ひ集めて來る、物凄い「殺人用語」ばかりが、仙人掌の行列の中に勇躍し、呼號するやうになつた。一方にアブリコゾフも毎日正午になると時計臺の上に昇つて、時計の時差を計る。そのほかイツ何時でもニーナの合圖を受け次第に、便所に行くふりをしてはコツソリと時計臺に登つて、文字板の横の隙間から、精巧な望遠鏡を使用しながら、向家(むかひ)の屋上に並んでゐる仙人掌の番號を、右から左の順に書き取つて來る、そいつを往來から合圖する通行人や、お客の風をして來るスパイの手に渡さなければならないので、トテモ忙しくなつてゐた……現にタツタ今もニーナから受けた、

「オスロフが殺されさう……全赤軍のスパイ網が暴露した。十五萬圓……」

 といふ意味の中途半端な暗號通信を傳票の裏面(りめん)に書き取つて、下を覗くと同時に帽子をウシロ向きにした通行人に投付けて、その續きを待つて居た處であつた……云々といふのがアブリコゾフ靑年の告白の大要であつたらしい。

 此の告白を聞いた軍人たちが「テツキリこれはオスロフの仕事」と思ひ込んだのは無理も無い話であらう。そこで此報告が一直線に特務機關に飛込む……

「……猶豫なくオスロフ一家を捕縛せよ。事態切迫の虞あり」

 と云つた樣な命令が出る……といふ順序になつたものであらう。ちやうど僕を殺し損ねたニーナが裏階段を駈降りて行く姿を、いつの間にか歸つて來てゐた憲兵が認めたので、又も獨斷で追駈けて行つた留守中に、食事を終つたはかりのオスロフ一家が、有無を云はさず椅子に縛付けられて拷問されることになつた。さうして、その拷問が始まつたばかりの光景を、僕が外から覗いてゐたのであつた。

 だからその瞬間は、後から考へると實に恐ろしい瞬間であつたのだ。單に眼の前の光景が恐ろしかつたばかりでない。哈爾賓市に横溢(わういつ)してゐる最も重大な危險な諸要素が、眼にも見えず、耳にも聞えない戰慄的な波動を作つて、二重三重の渦卷を起しかけてゐる。その中心の息苦しい無風帶に、僕は何も知らずに突立つてゐるのであつた。

 事實、僕は何も知らなかつた。否、そんな事を察するだけの餘裕が無かつた。二重硝子の中に生きた活人畫(くわつじんぐわ)とも形容すべきモノスゴイ光景を、タツタ一眼見ただけで、僕はモウ、驚きと恐怖を通り越した心理狀態に追ひ上げられてゐた。二重硝子の外側に顏の半面を押しつけながら今にも左側の窓掛の陰から……ダダーン……といふ大音響の火花が、迸り出るか迸り出るかと石の樣に固くなつて居るばかりであつた。

 しかし僕がさうして居た時間は、物の五分間と經過しなかつたであらう。間もなく更に更に驚くべき事件に僕は襲はれた。その固くなつて居る僕の右手から突然に、ニーナの短劍を奪ひ取つて行つた者が在つた……と思つて振り返る間もなく、誰だか解らない疾風(はやて)のやうな人影が、ヒラリと眞暗な屋上の方へ消え失せて行つたのであつた。

 その時に僕は何かしら奇妙な聲を揚げた樣に思ふ。しかし其聲は幸か不幸か、舞踏室の内部に反響しなかつたらしい。

 僕は氣が遠くなりかけた樣であつた。舞踏室内の光景も何も全然忘れてしまつて居たやうであつた。さうして間もなく、何者かゞ飛蒐(とびかゝ)つて來るやうな次の瞬間を、暗黑の廊下で想像すると、思はず身を飜して長い廊下を一走りに、四ツの階段を駈け降りて、地下室に轉がり込んだ。そこでやつと少しばかり氣を落付けて、冷(さ)め切つた白湯(さゆ)を二三杯飮むと、そのまゝ自分の寢臺に潜り込んで、頭から毛布を冠つてしまつた。臆病者と笑はれても仕方が無い。
 
[やぶちゃん注:●「飛蒐(とびかゝ)つて來る」見かけない熟語で辞書的にもよく分からないが、泉鏡花の「古狢(ふるむじな)」に『黑雲の中から白い猪が火を噴いて飛蒐(とびかか)る勢(いきほひ)で』と用例があった。]

 だから僕はオスロフ一家の運命が、それから先ドウなつたか知らない。たゞ……其翌(あく)る日からセントランの雇人が、金聾(かなつんぼ)同樣の朝鮮人とその妻を殘して、一人も居なくなつた事を知つてゐる。さうしてその代りに日本兵の伍長以下四名の兵卒が入り込んで來て兵營式の炊事を始めたこと……オスロフ一家が、それから後一度もセントランに姿を見せなかつたこと……さうして、それから間もなくセミヨノフとホルワツト兩將軍の反目が露骨になつて、白軍の勢力がバタバタと地に墜ち始めた事をズット後(あと)になつて聞き及んでゐるだけである。

 ……とは云へオスロフの一家がコンナ悲慘な運命の坑(あな)に急轉直下して行つた原因だけは、その夜の中(うち)にスツカリ見當を付けてゐた……東亞政局の中心に穿(うが)たれた底無しの坑(あな)に、彼等一家を突落した、白い、冷たい手の動きにチヤント氣が付いてゐた。

 ……と云つたら僕がトテモ素晴らしい名探偵に見えるだらう。又は性懲りもなく、この事件の外殼を包む探偵趣味の第二層へ、突入して行つた勇者とも思へるだらう。……ところが實は、それどころの沙汰ではなかつたのだ。けふの出來事に魘(おび)え切つてゐた僕は、一刻も早く事件の眞相を發見しなければ、安心して眠れない位(くらゐ)、神經が冴え返つてゐたのであつた。……とてもヂツとしては居られない位(くらゐ)たまらない脅迫觀念に襲はれてゐたのであつた。

 これは氣の弱い、神經質な僕が、永年囚(とら)はれて來た惡癖だつた。何でも變つた出來事にぶつかるたんびに、すぐに其の原因を考へて、結論を付けてしまはなければ安心出來ない性分だつたのだ。想像でもいゝ。假定でも構はない。又は文學靑年にあり勝ちな空想的ローマンス病と笑はれても仕方がない……。

 但(たゞし)……僕は其時まで仙人掌(サボテン)暗號通信を、オスロフの指導を受けたニーナの仕事とばかり思ひ込んでゐたものであつた。……アブリコゾフの捕縛事件を全然知らなかつたのだから……。又、哈爾賓市の大警戒の狀況も、翌日の朝になつてから上等兵に聞かされて初めて驚いた位(くらゐ)の事であつた。だから僕は、其時までに見聞した十五萬圓事件とか、銀月の女將の印象とか、仙人掌の不思議とか、ニーナの怪行動とか、舞踏室の戰慄的光景とか云つた樣な表面的な印象ばかりを毛布の中でガタガタ震へながら、頭の中でグルグルグルグルと走馬燈のやうに空轉させた結果に過ぎないのであつたが、それでも其中(そのなか)から辛うじて臆測し得た事件の眞相なるものは實に身の毛も悚立(よだ)つ性質のものであつた。

 それはその「臆測の中の臆測」とも云ふべき最後の結論を先にして説明すればすぐにわかる。

 此事件の中心になつて居る者は誰でも無い。やはり彼(か)の銀月の女將に相違ないと思へるのであつた。此の事件の表面に交錯して居る直線や、曲線の出發點を求心的に探つてゆくと、縱から見ても横から見てもかの女將の魅惑的な、自由自在な表情の上に落ちてゆくのであつた。凡(すべ)てを操る眼に見えぬ糸が、彼女の白い指の先に歸納(きなふ)されてゆくのであつた。

 彼女に對する僕の第一印象は誤つていなかつた。彼女は哈爾賓と名づくる北滿の美果(びくわ)の核心に潜み隱れてゐる一匹の美しい蟲であつた。その果實の表面に、一見別々に見える巨大な病斑(びやうはん)を描きあらはして居る……。

[やぶちゃん注:●「一匹の美しい蟲」「全集」では「一匹の美しい毒蟲」である。これはもう、後者でなくてはいかん。]

 彼女は流石に、哈爾賓一流の豪華建築の女主人公として、人氣の荒つぽい北滿の各都市に雄視(ゆうし)するだけの、アタマと度胸を持つてゐる女性であつた。彼女はその冷靜、透徹した頭腦でもつて、變幻極まり無い當時の北滿の政情の動きを豫測して、銀月の經營方針と一致させることを怠らなかつた。銀月と名づくる豪華壯麗な浮草の花を、何方(どつち)の岸に咲かせようかと、明け暮れ魘(おび)え占(うらな)つて居たに違ひなかつた。何故かといふと、その當時までは哈爾賓の將來が、日本軍と、赤白(せきはく)兩軍の何(いづ)れの支配下に置かれるか……殊に日本軍の駐屯期間がいつまで續くかといふことは、哈爾賓全市…‥否、北滿全局の生命(いのち)がけの疑問として、各方面の注視の焦點となつてゐたものだから……さうしてこの問題に關する日本政府の態度に就(つい)ては、肝心カナメの日本軍の司令部自體すら、云ひ知れぬ不安を抱いてゐるらしく見えたのだから……。

[やぶちゃん注:●「雄視」威勢を張って他に対すること。]

 しかし其間(かん)にタツタ一人、彼女だけは窮しなかつた。彼女は、彼女一流の知惠を絞つて、どつちに轉んでも間違ひの無い方針を執ることにきめた。日本軍と一緒に引上(ひきあげ)るにしても、亦は踏み止まつて第二期の發展を計畫するにしても、決定的に必要な、軍機の祕密と、資金を摑む手段を考へ始めた。さうして其の解決を女性のみが實行し得る非常手段に訴へた。

 彼女はオスロフと星黑の双方に彼女自身を任せたに違ひないのだ。さうしてその結果オスロフからは軍機の重大祕密を……又、星黑からはその正反對な機密事項と同時に、多額の資金を獲得したものに相違無いのだ。しかも其機密と巨萬の金とが、之を道に利用する時は、同時に二人を別々にノツクアウトするに足る程の恐ろしい性質のものであつた事は云ふ迄もない。

 しかし極度に用心深いと同時に、あく迄も機敏な彼女は、此處でモウ一つ感覺を緊張さした。問題の根本になつてゐる日本軍の進退についてオスロフの豫測と、星黑の口占(くちうら)とのドチラが眞相に觸れてゐるかを、全然違つた方面から當つて見る可く苦心してゐた。それによつてオスロフと星黑の兩人を如何に活殺(かつさつ)したらいゝかを決定すべく、全神經を尖がらしてゐる處であつた。

 ところが、そこへ司令部の内情と、搜索本部の形勢と、哈爾賓市内の實情に通じてゐるらしい僕が、公用でやつて來る事を早くも聞き知つたので彼女は、迅速に準備を整へて待ち構へた。さうして何喰はぬ顏で應接間に引入れて、さり氣ない問答をしながら樣子を探つてゐるうちに、僕が不用意にも洩らした兵營と、飛行場に關する一言(ごん)から、彼女は早くもオスロフが、最早トツクの昔に日本軍から見離されて居るらしい……日本軍が白軍を度外視して、滿州と西比利亞に雄飛しようとして居るらしい事實を推測する事が出來た。

 彼女は大膽にも此推測を確信する事にきめた。さうしてすぐに手を廻してオスロフを排斥にかかつた。しかもその排斥の手段たるや、古來の女流政治家とか毒婦とか云ふ連中が、必ず一度は使つてみる事にきめて居る世にも冷血、邪惡な逆手段であつた。彼女はオスロフから軍機の祕密を聞き出した事實を逆に利用した誣告文(ぶこくぶん)を誰かに打たして(もしくは打たして置いたものを)僕が、銀月の應接間で眠つてゐる間(ま)に、司令部の郵便受箱に投げ込ましたものと考へられる。ところがその誣告文の内容が又、そこに暗示されてゐる通りの軍機漏洩の形跡に惱まされ續けて來た(ニーナのいたずらとは氣づき得なかつた)日本軍最高幹部の注意の焦點を、忽ちピタリと合はせる事に役立つた。「成る程、ほかに疑ふべき人物は居ない」といふ事になつた……ものと見れば、前後の事實が殆んど完全に、一貫した筋道で説明出來るではないか。……タツタ一つニーナの短劍に關する不思議を除いては……すべてが合理的に首肯(うなづ)かれて行(ゆ)くではないか。

 僕はかうして推理とも想像ともつかない……もしくはその兩方をゴツチヤにした怖ろしい結論を、ホコリ臭い毛布の中で長いこと凝視してゐた。さうしてオスロフ一家の運命が、全然オスロフの自業自得であると同時に、全然僕の責任でもあるといふ不思議な結論の交錯を、何度も何度も考へ直してみた。

 それからモウ一歩を進めた萬一の場合に、銀月の女將、富永トミの致命的な祕密を摑んでゐる僕……あの邪惡な露語の誕告文が、僕の想像通りに彼女の手から出たものに相違ない事實が、何等かの理由で彼女の立場を危(あやふ)くしさうになつた場合に、最も重要な生き證據となるかも知れない僕……彼女がオスロフと星黑から軍機の祕密を聞き出してゐる事を知りすぎる位(くらゐ)知つてゐる僕を、彼女がドンナ風に處理するか……といふ問題に考へ及んだ時、僕は思はずドキンとして寢返りを打たせられた。頭を抱へて縮み上らせられた。僕の想像が的中して居るとすれば、彼女がキツトさうするに違ひ無いであらう手段と、それに對抗する手段を、あゝか斯樣(かう)かと取越苦勞(とりこしぐらう)しない譯に行(ゆ)かなかつた。さうして彼方(あつち)へ寢返り、此方(こつち)へ寢返りして居るうちにその取越苦勞が、いつの間にかタツタ一つ、最後に殘る重大な疑問に向つて集中して來たのであつた。……この事件に對する僕の臆測の全體が、確實であるか無いかを決定するものらしく見えるタツタ一つの疑問の鍵……。

 それはニーナの短劍が描きあらはした不可思議現象に對する疑問であつた。

 ニーナの短劍に關する不可思議現象……此の事件の中心の中心とも見るべき時間と、場所を選んで突發した奇怪事(きくわいじ)……事件の根本に觸れてゐるらしいデリケートな怪事件……あの嚴重な警戒の中で、あの戰慄的な場面を眼の前にして、僕の手から、あの短劍を奪ひ取つて行つた不敵な人間は何者か。赤の手か……白の手か……それとも夫れ以外の人間の手か……あんな大膽不敵な行動を敢へてした原因が何處に在るか……さうして、あれだけの冐險を敢へてしながら僕を殺さうとしなかつた理由は如何(いかん)……といふ疑問は、この事件に對する僕の結論では、どうしても説明し切れない疑問であつた。言葉を換えて云ふと、この疑問のタツタ一つが、僕の結論の眞實性の全部を裏切つてしまつて居るとさへ思へるのであつた。此のタツタ一つが説明出來ない以上、僕の結論は一片の空中樓閣になる……。

 ……ニーナの短劍を奪つた者は、僕の味方か……敵か……。

 といふ簡單な疑問が、この事件の全體を解決する最後の鍵としか思へなくなつたのであつた。同時に、その手によつて助けられるか、殺されるかが僕の運命の分れ目だとしか考へられなくなつたのであつた。

 かうした煩悶と迷ひが、要するに、事件全體の恐ろしさに脅(おび)え切つて、疲れ切つてしまつて居た僕の神經細胞から生み出されたところの、一種の笑ふべき幻覺であつた事は改めて説明するまでも無いであらう。…‥とは云へ、かうした思ひもかけない大事件にぶつかつて、徹底的に面喰らはせられた意氣地(いくぢ)の無い人間が、コンナ樣な幻覺的な結論をドンナに一所懸命になつて固執(こしつ)し行くものか……さうして見す見す大事を誤つて、悲慘な運命に陷入つて行(ゆ)くものかといふ事實は實地の體驗を持つた人でなければ首肯(しゆこう)出來ないであらう。

 毛布の中で縮こまつた僕は、此の幻覺的な結論を解決すべく、あらん限りの想像を逞しくしてみた。しかし、これはかりはイクラ考へてもわからなかつた。ドンナ想像を附け加へても説明が出來なくなつて行(ゆ)くうちに、とうとう頭が古い鏡餅みたやうに痺(しび)れ上つて、固結して、ピチピチとヒビが這入りさうな感じがして來た。

 そのうちにニーナの顏や、銀月の女將の笑顏が、オスロフの無表情な瞳や、その母親の白髮頭の横顏などと一緒に、眼の底の灰色の空間をグルリグルリと廻轉し始めた。さうしていつの間にかグツスリと眠つてしまつたものらしい。

[やぶちゃん注:以下、一行空き。]

醉へる時に   村山槐多

  醉へる時に

 

薄紫の酒の色朱の盃に注ぐ時は

猩々の息は情に火を放ち

血の太陽の亂醉は更にその度を

西、天空に極むるかな

 

薄紅の火はつたふわが足もとを

よろめきてふみしめひよろひよろと立ち

泣き泣きてまた笑ひ世の中の

美しき薄明にさぐりあてまたも泣く

 

情の色黄金に紫に暑くうるほひ

わが顏は火のおどり場となりにけり

赤道を行く八月の船の如、

われはゆくひたすらに醉ひの潮を

 

薄紫の酒の桶あぶらに染みし手にふれて

更にまた火を口中にうつすかな

この時あはれ世の中はほのかに笑ふ

いと惡しき獸の如くわれをながめて笑ふかな、

 

   ×

金泥を落したる

美しき空はほのかにほのかに

眞晝に暮れたり

浮びし雲もほのかに

 

わが園の秉燭者(ひともしびと)

燭をもて來

わが胸は暗しこの暮春と

夏との雨の境界(さかひ)に

 

華美なる酒盞は

痛さに泣けり

そこにうつる空はほのかにほのかに

暮れゆけり

 

この酒盞に赤き光を落し

わが胸をなまめかしくせん

秉燭者燭をとぼし

とくわが園にかゝげよ

 

空はほのかにほのかに

靑き色も霞みたり

すべてに執拗なる霞は

せまり來れり

 

わが國のうら若き秉燭者

とく燭をもて來

かくてのちわが心とわが酒盞は

赤と金に輝かん

 

たとへ燭はあまりに明く

空は暗すぎることなきとも

われは耐へがたく

いま燃えたる物を思ふ

 

   ×

廢園に見たる櫻か

幽かなる夕ぐれの忙がしき化粧のひとか

何となくおちぶれし面かげを

連れそへし美しき君

 

吹き荒む西の喇叭は

氣悦どき空の豪奢に

泥醉の赤き都は

今覺めぬ眞晝まん中

 

何となく汗ぐみし君

けふわれの心に君が形は

殺したる蜜蜂の腹の蜂見たるが如く

ただ甘くただあはれなり

 

   ×

とこしなへの薄暮君が御胸に

舞ひあそぶなり

美しき幽明に打しめり

薄靑くその世を飾れり

 

とこしなへに君を愛せん

そは精靈の末路に至るまで

君をわれは愛せん

しめりたるたそがれのうすらあかりに

 

かゝる時をわれは君が御胸に

永劫なる愛の時を

君が御胸に見る

美しく打しめるとこしなへのたそがれを

 

   ×

金ぽうげ金の飾りに

あせにけり五月の晝に

酒染みし指に觸られて

哀れにもあせはてにけり

 

毒もてる薄明の莖

黄のにほひ見すぼらし過ぐ

豐なる五月の光

音曲を奏で耽れば

 

金ぽうげ金の飾りに

指ふれて醉ひにかなしき

放蕩の子の思ひには

たえまなく酒をふらしぬ

 

金ぽうげ一輪ひらく

美しき五月の草生

蒸暑き脊に汗して

目はひとりあせし晝行く。

 

   ×

こは美しき歌壇のあけぼのに

まだ消えやまぬ樂の音よ

男のかれしのどぶへに

顫(ふる)ひてやまぬ深なさけ

 

血染の酒のみほせば去る

疲れのあとに

また來る美しき頽廢の

消ゆる時なき樂の音よ

 

空こそ六月のあけぼのに靑ざめにける

雨滴を滴たらす

美しき靑さよ

すでにここに眞晝の情熱を見る

 

とこしへに避け得ざる

深く美しき樂音よ

輕らかに顫へつつ耐へがたき苦みをさそふ

晝夜なき頽廢の樂音よ

 

 

[やぶちゃん注:●第三連二行目の「おどり場」、第二十四連(最後から二連目)二行目の「滴たらす」、第十二連二行目の「忙がしき」「豐なる」、第二十連四行目の「たへまなく」、第二十二連二行目の「のどぶへ」はママ。「全集」は「をどり場」と訂し、「忙しき」と「が」を除去、「豐かなる」と「な」を送って、「たへまなく」「のどぶへ」は「たえまなく」「のどぶえ」と正常になっている。今まで同様、総てに注記も何もなしにである。

第三連三行目の「赤道を行く八月の船の如、」の読点は視認する限り、汚れではない。「全集」は無視していて、読点はない。そのくせ、今までの各篇と全く同様に、ここでは記号「×」は「全集」では前後を一行空けて「+」であるが底本では一部を除いて前を一行空けるものの、後はすぐ続く詩文行に入っている。以下ではこの注を略すが、これは視認した際に「全集」と最も違った印象を感じさせる大きな違いであるによって分けられた五つのパートの中の総ての最終連(第四・十一・十四・十七二十一・二十五連)の最終行には総て亙って句点が打たれてある。非常に不思議且つ奇異である。

●第十連冒頭の「わが國のうら若き秉燭者」の「國」はママ。「全集」でも「国」である。これは「園」の誤判読或いは誤植である可能性も高いと思われるが、以下の注で述べるように、この「秉燭者(ひともしびと)」の濫觴を考えた時、私には絶対に「園」だと断ずることに、聊か躊躇を感ずるのである。

●「秉燭者(ひともしびと)」のルビは「秉燭者」全体に附されている。「秉燭」は一般には「燭(しょく)を秉(と)る」で、燈火を手に持つが原義であるが、「へいしょく」或いは「ひんそく」と読んで、手に灯火を持つこと以外に、「火の灯し頃」「夕方」の意をも持ち、また「ひょうそく」と読むと、昔の油皿の中央に置いた灯心に火をつける灯火器具を指す。漢字表記・訓読ともに実に美しい詩語で、本長詩を強靭に鮮やかに牽引するが、槐多は恐らく「日本書紀」に出る、甲斐国酒折宮(さかおりのみや)での宴で日本武尊の歌に美事に唱和を成した老人の秉燭者(ひともしのもの)にルーツを求めているものと思われる。

●「酒盞」「しゆさん(しゅさん)」で、小さな盃、玉杯の意。

●第十三連と第十二連は実は底本では、

   *

吹き荒む西の喇叭は

氣悦どき空の豪奢に

泥醉の赤き都は

今覺めぬ眞晝まん中

何となく汗ぐみし君

けふわれの心に君が形は

殺したる蜜蜂の腹の蜂見たるが如く

ただ甘くただあはれなり

   *

と一続きになってしまっている。詩篇全体の構成から見て、ここが八行連続である必要性や可能性は私には殆んど全くないと考えられ、しかも底本では「今覺めぬ眞晝まん中」の前の部分で改頁になっていることから、単純にこのページ内での版組のミスと思われる。例外的に「全集」に拠って一行空きを施した。

●この第十三連二行目「氣悦どき空の豪奢に」はママ。これには「全集」はママ注記がないが、この「氣悦どき」というのは私には全く意味不明であった。当初は「喜悦」の意かとも思ったが、それでは「どき」と繋がらないし、そもそも前の行とも全く繋がらない。前の行の「喇叭」が「氣」の「悦ど」い「空の豪奢」に「吹き荒む」のだ読むならば、この「悦どき」とは「鋭どき」の誤字ではないかと思われてくるのであるが、さて如何であろう? 大方の御批判を俟つものである。

●第十五連三行目「美しき幽明に打しめり」の「打」は「全集」では「うち」と平仮名書きになっている。

●同じく第十七連四行目「美しく打しめるとこしなへのたそがれを」の「打」も「全集」では「うち」と平仮名書きになっている。

●「草生」「くさふ」と読み、草の生えている所、草原のこと。]

氷の涯 夢野久作 (9)

 ところで其の審問には、武裝した搜索本部の全員のほかに、オスロフも顏を知らないらしい、相當の年輩をした背廣服の二人が立會つてゐたさうである。二人とも額が白くて露語(ろご)が達者だつたと云ふから、多分それは日本軍の參謀か何かであつたらう。實に鋭い突込み方で、流石のオスロフも最初のうちは少々、受太刀(うけだち)であつたといふ。

 しかし其中(そのうち)にだんだんと樣子がわかつて來ると、其處は千軍萬馬(ぐんばんば)の陰謀政治家だけあつて、グングンと二人に逆襲し始めた。

[やぶちゃん注:●「千軍萬馬」原義は無論、非常に大きな軍隊であるがそこから転じて、その勢いが異様に強いことの形容となり、別に、数多くの修羅場を経験していること、さらに転じて、豊富な社会経験があること、多くの苦労を重ねているしたたかな老練の人の形容としても用いる(三省堂「新明解四字熟語辞典」に拠る)。]

 一、劈頭(へきとう)の赤軍スパイの件に關しては、近來市中に噂が高まつてゐる事だし、自分からも度々、日本軍の上官諸君に御注意申上げた事だからここには別に辨解しない。願わくば一日も早く、一擧に殲滅せられん事を希望するに止(とゞ)めて置く。

[やぶちゃん注:●「劈頭」最初。冒頭。オスロフを告発する密告書の最初の項を指すが、そこに書かれている彼自身の裏切りや内通の部分は馬鹿馬鹿しくて話にならないから取り立てて何も言わない、という謂いである。]

 一、自分の家族は御覽の通り、軍事や政治には全然無理解な老人と病人と、女の兒(こ)である。假(たとひ)拷問にかけられても知らない事は知らないと云ふより外は無いばかりでなく、そんな正體の知れない一片の投書によつて、諸君が狼狽して居られると、窮極する處、日本軍の權威に影響して來(き)はしないか。

 一、自分が日本軍と緊密な握手をしてゐる周圍に、どれだけの嫉妬深い、盲目の幽靈が渦卷いてゐるかを諸君は今日まで氣付かずに居られたのか。

 一、如何にも日本軍の機密に關する事項が、赤軍に洩れてゐるのは事實と認むべき理由がある。三週間ばかり前にも畠(はたけ)の向うのホルワツトと病床で面會した時に、同人からコンナ話を聞いた。「オスロフ君、君の手を通じて白軍に渡るべき日本軍の祕密通牒が、どこかで洩れてゐるのぢやないかと疑はれる事がよくあるぞ。ことに後方勤務で、日本軍と協定して糧食買込みの豫定地が、先廻りをした赤軍のスパイに荒されてゐる事がたびたびなので、實は此の間から不思議に思つてゐる次第だ。日本軍でも時々ソンナ眼に遭ふらしいが、一つ氣を付けてみたらどうか」云々と不平を並べてゐた。噓だと思はれるならばホルワツトに問うて御覽なさい。まだ畑(はたけ)の向うの舊(きう)哈爾賓の自宅に寢てゐる筈だ。自動車で行(ゆ)かれても十分とかゝらないであらう。

 一、何を隱さう今度の旅行は、其事實を實地調査に行つたものに外ならない。日軍(にちぐん)と白軍に對する自分の信用を、根底から覆(くつがへ)す大問題と思つたから、此の一週間半に亙つて、眞劍な調査と研究を遂げて歸つて來たものである。論より證據、滿州と西比利亞の地圖を持つて來て御覽なさい。此のノートに控へて來た場所と、時日と、司令部から命令の出た日附とを對照して、赤軍スパイの活動狀況を探り出すと同時に、祕密の漏洩してゐる場所を的確に推理してお眼にかけるから……。

 一、もし御面目(ごめんもく)に關しないならば、モウ一つ別に哈爾濱市街の明細圖を持つて來て頂き度い。私が今日(こんにち)まで眼をつけてゐるスパイの隱れ家らしい建築物の位置を一々指摘して印(しるし)をつけて差上げるから。但し、その中には貴官方(あなたがた)が非常に意外とされる建築物が在るかも知れないから豫(あらかじ)め御立腹の無い樣に、お斷りして置きます。

 一、尚それから序(ついで)に、十五萬圓事件の眞相は、此の密告書の出所(でどころ)と一緒に、凡(おほよそ)の見當が付くやうに思ふ。第一、この文章の語法が、露西亞人らしく無い上に、日本贔屓(びゐき)の白系露人などと、云ふまでもない無用の斷り書がして在る處から察すると、これは一種の敵本主義から出た奸策で、私といふ人間の存在を恐れてゐる、白軍赤軍以外の、或る一個人の所業(しわざ)ではないかと思ふ。甚だ抽象的な議論のやうであるが聲より姿だ(論より證據の意)。お差支へなければ詳細に事情を承つた上で、犯人の行動と、十五萬圓の所在を突き止めて遣り度いと思ふ。つまり犯人の恐れてゐる事態を實現さして、私の無罪を證明さして頂き度いと思ふがどうですか。私の部下は哈爾賓の裏面(りめん)といふ裏面のあらゆる方面に潜り込んでゐるのだから……たゞ日本軍の内部に立入つていないだけだから……。萬一此金が赤軍の手にでも這入つたら由々しい一大事だと思ひますが……ドンナものでせうか……

[やぶちゃん注:●「敵本主義」目的が他にあるように見せかけて、途中から急に本来の目的に向かうやり方。言うまでもなく、明智光秀の名台詞「敵は本能寺にあり」に基づく語。]

 と言つた樣な調子で、スツカリ煙(けむ)に捲いてしまつたものだといふ。

 尤もコンナ風に纏めて説明すると譯はないが、此の間(かん)の押問答がタツプリ三時間ぐらゐかゝつたさうである。それからオスロフは帳面を出して地圖の上に一々印(しるし)を附けながら、赤軍スパイの連絡網と活躍狀態を説明し初めたが、それが又二時間位かゝつたらしく可なり詳細を極めたものであつたといふ。

 ところでその説明を聞いてゐたニーナは、その間ぢう巨大な父親の傍(そば)へヘバリついて、それとなく圖面を覗いてゐた。さうして時々、話の切れ目切れ目に、

「サボテンが枯れる」

 と云つては父親から睨まれたり、鉛筆で頭をタタカレたりしてゐたさうであるが、しまひには泣き面(つら)になつて、

「……ねえ……お父さんてばよう……水をやりに行つていゝでしよ。ぢきに歸つて來ますから……ねえ。いゝでせう……お父さん……」

 と甘たれかゝるので、母親が無理に引取つて自分の膝に腰かけさした。ニーナは前にも云つた通り子供らしいお化粧をしてゐたばかりでなく、その態度が如何にもネンネエらしかつたので、ホントの年を知らない憲兵連中の眼には十四、五位(くらゐ)にしか見えなかつたであらう。

 その中にオスロフの説明がだんだん細かになつて來て、赤軍のスパイの活躍の中心は、どうしても此の哈爾賓市中の、しかも司令部の中か、もしくは其の付近になくてはならぬ。十五萬圓事件といふのも、其奴等(そいつら)の手で巧(たく)まれたものでは無いかと疑われる節(ふし)がある。これは自分が、奉天に滯在してゐる留守中に發せられた司令部の命令が洩れてゐる事實や、今度の不在中に、十五萬圓事件が起つた事によつても、朧氣ながら立證され得ると思ふ……云々と云ふ處まで來ると、モウ堪(たま)らなくなつたニーナがイキナリ母親の膝に突伏(つゝぷ)してワツとばかり泣き出してしまつた。

「……サボテンが枯れるよう。水を遣りたいよう……」

 とオイオイ大聲をあげ始めたのであつた。

 さすがの參謀や憲兵たちも、これには見事に引つかかつたらしい。生憎と仙人掌(サボテン)の栽培法に通じた者が一人も居なかつたばかりでなく、最早(もう)、外が眞暗になりかけて居るのだから、ドンナに聞き分けのいゝ子供でもお腹が空いてゐるに違ひない。それだのに自分の事は忘れて仙人掌の事ばかり云つて居るのだから、可なりのイヂラシイ要求と考へられたであらう。睨み付けてゐたのは話の邪魔をされた父親だけで、お祖母さんも母親も、ハンカチを顏に當てたまゝギクギクとシヤクリ上げ始めたので、とうとう審問が中絶してしまつた。

 參謀らしい背廣服の二人はそこで、何かしらヒソヒソと打合せをしてゐたが、やがて若い方の一人が舞踏室の扉(ドア)をあけて、下へ降りて行つた。それは多分、上官と電話で打合せに行つたものと思はれたが、間もなく歸つて來ると、

「今夜の十時に○○少將閣下が此處へ來られて再審問をされるから、それまでに皆、食事を濟ましておく樣に……それから其子供の事は別に許可を得なかつたが、直に歸つて來るなら出してもよからう。そんなに泣かれちや第一審問が出來ない。いゝかね。ニーナさん。直ぐに歸つて來るんだよ。御飯が來るんだから……」

 と云つた樣な事で、ニーナが外へ飛出したのが八時半頃であつたといふ。そこでニーナは水を遣るふりをしいしい、此の大事件を赤軍に報道すべく、大急ぎで仙人掌を並べ換えてゐると、突然に裏梯子(うらばしご)から僕が上つて來る足音がしたので、素早く煙突の陰に身を潜めて樣子を覗つた。すると又、意外千萬にも、平凡な當番卒とばかり思つていた僕が、仙人掌の祕密を知つてゐるらしく、熱心な態度で鉢の數を勘定したり、向家(むかひ)の時計臺を凝視したりし始めたので、彼女は思はずカーツと逆上してしまつた。

 仙人掌(サボテン)通信はオスロフ一家の知つた事ではなかつた。彼女一人が、極(ごく)祕密の中(うち)に受持(うけも)つてゐた仕事だつたのだから堪(たま)らない。同時にオスロフを密告したのも此の當番卒に違ひない。ことによるとこの當番卒は、この司令部の中でも一番恐ろしい任務を帶びてゐる密偵かも知れないとまで思ひ込んだ彼女は、僕に氣づかれない樣に煙突の蔭を出て、張番(はりばん)の憲兵の眼を忍びながら四階の物置に潛り込んだ。その奧の古新聞の堆積の間(あひだ)に隱して置いた短劍と、ピストルと、お金と、寶石を取出してシツカリと身に着けたが、出がけに物置の扉(ドア)に取付けた星形の硝子窓から覗いてみると、今まで舞踏室の廊下に張番をしていた憲兵が、廊下の角を大急ぎで曲つて來る樣子だ。しかもそのキヨロキヨロしてゐる態度が、どうやら自分を探しに來てゐるらしい樣子である。

[やぶちゃん注:●「彼女一人が、極祕密の中に受持つてゐた仕事だつたのだから堪らない」は「全集」では(正仮名正字化した)『彼女一人が、赤軍に賴まれて極祕密の中に受け持つてゐた仕事だつたのだから堪らない』と加筆されている。]

 彼女は、そこで息を殺して樣子を窺つた。そのうちに同じ憲兵が、今度は階下の方を探す可く駈降りて行つたらしいので、遣り過して置いて階段に飛出して、前後に氣を配りながら僕を狙ひ始めた。さうしてイヨイヨ暗くなつたのを見濟まして、飛びかゝつて來るまでの間が前後を合わせて約一時間……それを失敗して、裏階段から行方を晦ましたのが向家(むかひ)の大時計によると九時半前後であつた。

 ところが其のチヨツト前の九時前後と思はれる時分に、モウ一つニーナに取つて致命的な事件が發覺してゐた。それは向側(むかひがは)のカボトキン百貨店を閉鎖さして、變裝の輕機關銃隊を詰め込んで、萬一を警戒させてゐるうちに、展望哨(てんぼうせう)に立ちに行つた二人の歩哨が、時計臺の下の鐵梯子(てつばしご)の蔭に頭を突込んだまゝガタガタ震へてゐる、若い露西亞人を發見した事件であつた。

[やぶちゃん注:●以下、一行空き。]

氷の涯 夢野久作 (8)

 僕が銀月から歸つて來た時に、搜索本部がガラ空きになつてゐたのは當前(あたりまへ)であつた。

 けふの午後一時半頃(僕が出て行つてから約一時間後)に、先刻の歩哨が話してゐた赤いタイプライターの露西亞文字で表書した差出人不明の手紙が一通、司令部に屆くと間もなく、司令部と搜索本部の連中が妙にソハソハと動き出して、○團の幹部や、特務機關の首腦部宛に+++(シキフ)符號の自轉車傳令を飛ばし初めた。そのうちに司令部の連中(れんぢう)が、何事もなささうに三人四人と談笑しながら、一人殘らず出て行つたと思ふと、最後に殘つてゐた古參中尉が、當番係(たうばんがかり)の上等兵を本部の事務室に呼び付けて次のやうな嚴重な注意を與へた。

[やぶちゃん注:●「○團」「全集」では『旅團』(正字化した)。 ●「+++(シキフ)符號」不詳。「式符」か? 陰陽道や神道の呪符に描く記号をこうも言うようである。単に数「式」のような暗号「符」のことかも知れない。識者の御教授を乞うものである。]

一、明朝までオスロフの雇人を一歩も外へ出ない樣に命じて監視せよ。萬一彼等の態度に些(すこ)しでも怪しい處があつたら直ちに、歩哨と協力して引つ捕へて、四階の廊下に立つてゐる憲兵上等兵に引渡せ。

一、萬一危急と思はれる事燈を發見する樣な事があつても絶對に、銃劍を使用したり大聲(たいせい)を發したりしてはいけない。沈着した態度で歩哨の前の街路に出て、帽子を脱いで上下に二三度動かせ。

一、御用商人、オスロフの知人、その他セントラン宛(あて)の訪問客があつた場合、及(および)、電話がかゝつて來た場合には、此の部屋の扉をノツクして自分の指揮を仰げ。歩哨と協力して何者も司令部内に立入らせない樣にせよ。

[やぶちゃん注:●「自分」「全集では『自分(古參中尉)』(正字化した)と加筆。]

一、其他、司令部内の状況に關しては、一切の祕密を嚴守して、出來る限り注意を拂ひつゝ、且(かつ)、出來る限り平常通りの勤務狀態を裝ひつゝ明朝まで徹夜せよ。

 と言つた樣な奇妙な命令を下すと、自身に窓の鎧戸(ブラインド)を卸(おろ)ろして部屋の中を眞暗にしてしまつた。それから上等兵を廊下に閉め出して、内側から鍵をかけてしまつたので、上等兵は面喰(めんくら)つたまま暫くの間、廊下に突立つて、命令の意味を考へてゐたといふ。

[やぶちゃん注:●「自身に」「全集」は『自身で』とある。]

 その上等兵が翌る朝、僕に話した處によると、この日、哈爾賓駐劄(ちうさつ)の日本軍が非常警戒を始めたのが、急傳令の復命によつて司令部が引上げたのと同時刻の、二時チヨツト前ぐらゐであつたらしい。上等兵が司令部附(づき)の少尉から注意命令を受けたのが矢張り同時刻で、地階の張出窓(はりだしまど)から見える辻々に警戒兵らしい姿が見え始めたのが三時前後で、それから十分と經たないうちに向家(むかひ)のカボトキン百貨店の大扉(おほど)が閉鎖されて店の中がシンカンとなつてしまつた。それに連れて、さしもに賑やかであつた表の人通りが、次第々々に疎らになり始めた……と云ふのだから、殆んどアツと云ふ間もないうちに哈爾賓全市を押へ付ける準備が整つたものらしい。白軍と赤軍が束(たば)になつて騷ぎ出してもビクともしないと同時に、オスロフの審問を極力祕密にしてミヂンも外部へ洩らさない手配りが、それこそ疾風迅雷式(しき)に遂行されたものらしい。……しかも斯樣(かう)した物凄い事實の全部が、先刻(さつき)の奇怪な手紙の内容を如何に雄辨に裏書きしてゐたか。その文面の事項が、吾軍の首腦部を首肯させ、且、驚かすべく、どの程度までの眞實性を帶びて居(を)つたかといふ事實を、如何に有力に實證してゐたかは説明する迄もないであらう。

 オスロフは、そんな事とは夢にも知らないまゝ、二週間ばかり滯在してゐた霞支國境のポクラニーチナヤから汽車に乘つて歸つて來た。程近い停車場(ていしやぢやう)から自動車に乘つて新聞を讀み讀みヤムスカヤの近くまで來ると、偶然に故障を起したので、氣輕に車から降りてセントランまで歩いて來た。妻子の出迎へを受けて三階(がい)に上つたのが三時ちよつと前であつたと云ふが、其の時既に、極度の緊張裡(り)に手筈をきめて待ち構へてゐた搜索本部の一團は、否應なしに其の足を押へてしまつた。同人の全家族……と言つても白髮頭の母親と、オスロフ夫妻とニーナを入れた四人切(き)りであつたが……を舞踏室に連れ込んだ。さうして廊下と裏口の見張りの爲に一人の憲兵上等兵を扉(ドア)の外の窓際に立たせたまゝ、例の手紙を突き付けて、嚴重な審問を開始したのであつた。

 その手紙の内容は大略次の通りであつたといふ。(細かい點はニーナも記憶してゐなかつたが……)

 一、オスロフは歐露(おうろ)における過激派軍の優勢に鑑み、今年の春以來、白軍を裏切つて赤軍に内通し、哈爾賓奪取の計畫を立てて居たところ、既にその氣勢が充分に熟し、優秀なる赤軍スパイを全市に配備して日本軍の動向と配備を詳細に亙つて探らせてゐる形跡がある。キタイスカヤに在る日本軍司令部の祕密命令が、時々赤軍に洩れるのは此の爲である。

 一、オスロフは日本軍が、亞米利加(アメリカ)上院の壓迫外交に押されて、遠からず西比利亞を引上げるに違ひ無いと云ひ觸(ふ)らしてゐる。日本軍が哈爾賓に永久的な軍事施設を施すべく準備して居るといふのほ、不意打ちに撤兵を斷行する爲の逆宣傳に過ぎないとも強辨して居る事實がある。これは日本軍の權威を無視して自分の勢力を張る一方に、人心を動搖させて一仕事しようと試みてゐる一種の策動と認め得べき理由がある。

 一、今度の十五萬圓事件も實にオスロフが黑幕となつて決行したものである。彼は此の十五萬圓を以て家族をどこかに避難させると同時に、一擧に日本軍の司令部を殲滅し、北平(ペーピン)と上海(シヤンハイ)に根據を置く共産軍の首腦部と呼應して事を擧げようと企んで居る者である。

 右御參考までに密告する。

日本贔屓(びゐき)の一白系露人より――  

[やぶちゃん注:●「北平(ペーピン)」北京(Bĕijīng:カタカナ音写では「ベイジン」「ベイチン」に近い)の旧称。ウィキの「北京」によれば(下線やぶちゃん)、現在の北京は『春秋戦国時代には燕の首都で薊(けい)と称された。周の国都洛陽からは遠く離れ、常に北方の匈奴などの遊牧民族の侵入による被害を受ける辺境であった。秦漢代には北平(ほくへい)と称されるが、満州開発が進み、高句麗など周辺国の勢力が強大となると、戦略上、また交易上の重要な拠点として重視されるようになった』。『唐末五代の騒乱期、内モンゴルから南下してきた遼朝は、後晋に対し軍事支援を行った代償として北京地方を含む燕雲十六州を割譲された。遼はこの都市を副都の一つ南京と定めた。その後金朝が遼を滅ぼし支配権を獲得すると、金は北京に都城を定め中都とした。更にモンゴル帝国(元朝)が金を滅ぼすと大都として元朝の都城とされた』。『朱元璋が元を北方に駆逐し明朝が成立すると、名称は北平に戻され、都城は南京に定められた。しかし、燕王に封じられ北京を拠点とした朱棣(後の永楽帝)は』、一四〇二年、『建文帝に対し軍事攻撃を行い政権を奪取。皇帝に即位した後北京遷都を実行し地名を北京に改めた。辛亥革命後も中華民国は北京を首都と定めたが、南京を首都と定めた蒋介石を中心とする国民政府は、「政府直轄地域」を意味する直隷省を』一九二八年六月に『河北省へ、北の首都を意味する北京を北平(ほくへい、ベイピンBěipíng)へと、それぞれ改称した』。一九三七年から一九四五年まで続いた『日本軍占領期は北京の名称が用いられ』(公式には一九四〇年に改名とする)、『日本の敗戦によって再び北平に改称された』。一九四九年十月一日の『の中華人民共和国成立により新中国の首都とされた北京(北平)は再び北京と改称され現在に至っている。しかし、中華人民共和国の存在を承認せず、南京を公式な首都として大陸地区への統治権を主張する中華民国(台湾)では、現在でも公式名称として「北平」の名称』を用いているとある。]

氷の涯 夢野久作 (7)

  ……開いた口が塞がらないと云ふのは此時の僕の恰好であつたらう。ちよつとの間に讐敵(かたき)同志と思へる日本の憲兵と露西亞娘が、互ひ違ひに飛び出して來た……と思ふうちに、その二人を又も鮮やかに吸ひ込んでしまつた階段の口を、手品に引つかゝつた阿呆(あほう)みたやうに見下ろしながら、長いこと突立つてゐた樣に思ふ……が、そのうちにフト氣が付いてみると、僕は右の手にニーナが落して行つた短劍をシツカリと握つて居るのであつた。

 ……僕はハツとした。トタンに氣持がシヤンとなつた樣に思ふ。

 向家(むかひ)の時計臺から、霧に沁み込んで來る光線に透かしてみると、血はついていないようである。身體をゆすぶつて見ても別に怪我はしてゐない樣であるが、其代りにゾクゾクと寒氣がして來た。日が暮れると同時に急速度で寒くなるのが此邊(こゝいら)の大陸氣候だ。北の方から霧が來ると、尚更さうだ。

 その肌寒い暗黑の中に突立つてニーナの短劍をヒイヤリと凝視して居るうちに僕は、色んな事が次第次第にわかつて來る樣に思つた。今の今まで逃げ出さうと思つてゐた恐ろしい問題の渦の中へ、正反對にグングン吸ひ込まれかけてゐる僕自身を發見したやうに思つた。さうして思はずブルブルと身ぶるひをしたのであつた。

 ……ニーナは僕が、此の仙人掌(サボテン)の祕密を看破(みやぶ)つた……もしくほ看破りかけて居るものと思ひ込んで襲撃したものに違ひ無い。此の仙人掌の中に、或る恐ろしい祕密が匿されて居ることは最早(もはや)、疑ふ餘地が無いのだから……。

 ……しかも……もし左樣とすればニーナの家族は、此の司令部の上の四階に陣取つて日本軍最高幹部の嚴重な監視を受けながら、何處かと内通してゐるに違ひない事が考へられる。さうして其の内通の相手と云へば、目下の處、赤軍以外に在り得ない事が、あらゆる方面から推測されるではないか。

 ……さうして又、さうとすれば、星黑、十梨の兩人の非國民、非軍人的行爲と、オスロフの陰謀的性格と、その双方から色々な祕密を聞いてゐるらしい銀月の女將(おかみ)との間に、何らかの三角關係式の絲(いと)の引つぱり合ひが存在して居ないとはドウして云へよう……此三人の間を疑問の線で結び付けて見るのは此場合たしかに自然である。僕の知つてゐる限り此三人の間(あひだ)以外に疑問符(クエスチヨンマーク)を置く處は、哈爾賓市中に無いのだから……。

[やぶちゃん注:「此三人の間を疑問の線で結び付けて見るのは」底本は「此三人の間を疑問の線を結び付けて見るのは」。「全集」で訂した。]

 ……搜索本部はむろん、夢にもソンナ方向へ視線を向け得ないで居るのだ。世界中にタツタ一人俺だけが氣づいて居る事を彼等は……と言つてもまだ正體がハツキリしてゐないのだが……少なくともニーナだけはチヤンと看破して居るのだ。だから俺をタツタ一突(ひとつき)で沈默させようとしたのだ。

 ……俺は自分でも氣付かないうちに、今までの興味本位とは全然正反對の意味で、是非とも此事件を解決しなければならない立場に追ひ詰められてしまつて居る事がタツタ今判つたのだ……。

 ……ニーナの一擊によつて……。

 僕は斯うした事實に氣がついて來るに連れて全身を縮み上らせた。短劍を握つたまゝ其所(そこ)いらの暗黑(やみ)を見廻した。今にも何處からかピシリピシリとニツケル彈丸(だま)が飛んで來さうな氣がした。諸に聞いた名探偵の勇氣なぞは思ひも寄らない。ただゾクゾクと襲ひかゝつて來る強迫觀念を一生懸命に我慢しながら、出來る限り神經を押しつけ押しつけ本階段を降りて行つたが、その途中から又氣が付いたので、スリツパの足音を忍ばせて、用心しいしいソロソロと四階の廊下へ降りた。なほも息を殺しながら、ニーナの家族の部屋の前に來て見ると、鍵の掛つた扉(ドア)の中は眞暗で、話聲一つ聞えない。ニーナが逃込んだものかドウかすら判然としないのだ。

 ……をかしいな。こんなに早く寢る筈は無いが。それとも居ないのかな……。

 と氣が付くと、僕は又も一つの不思議に行當(ゆきあた)つた氣持になつてドキンとした。刹那的に……今まで考へてゐた推理や想像は、みんな間違つて居たのぢや無いか知らん……とも考へて少しばかり氣を弛めかけて居た樣にも思ふ……が、さう思ひ思ひフト向うを見ると、はるか向うの廊下の外れに在る大舞踏室に、カンカンと燈火(あかり)が付いてゐる樣子である。ピツタリと閉された緋色(ひいろ)のカーテンの隙間から、血のような光の曲線が一筋、微かに流れ出して居るのが見える。

[やぶちゃん注:「曲線」「全集」は『直線』。]

 ……僕は其時に驚いたか、怪しんだか記憶しない。その神祕めかしい赤い、微かな光線をドンナ性質の光線と判斷したかすら思ひ出せない。氣が付いた時には、其の光線の洩れてゐる緋色の窓掛の隙間にピツタリと眼を當てゝ、二重に卸(おろ)された分厚い硝子(ガラス)越しに見える室内の光景を一心に見守つて居た。

 窓掛(まどかけ)の隙間から辛うじて横筋違(よこすぢか)ひに見える、右手の壁のズツト上の方に、巨大な風車の在る風景畫がかかつて居る。筆者は誰(たれ)だかわからないが、多分、和蘭(オランダ)あたりの古典派であらう。その下の赤と、黄金色(わうごんいろ)の更紗(さらさ)模樣の壁に向つて三個の廻轉椅子が並んで居て、その上に白い布で眼隱しをされた人間が一人宛(づつ)、やはり壁に向つて腰をかけて居る。その人間の風采をよく見ると中央が茶革製(ちやがはせい)の狩獵服を着た鬚武者(ひげむしや)の巨男(おほをとこ)で、その右手が白髮頭のお婆さん。それから巨男の左手が瘠せこけた鷲鼻(わしばな)の貴婦人……オスロフ夫婦とその母親に間違ひないのだ。

 その中で毅然として居るのはオスロフだけであつた。あとは射たれたのか氣絶したのかわからないが、死んだやうにグツタリとなつたまゝ椅子に縛り付けられてゐた。露西亞では死刑になる事を壁に向つて立たせると云ふさうであるが、これは壁に向つて腰かけさせられて居るのであつた。相手は窓掛の蔭になつて居るから見えないが、見えなくとも解つてゐる。搜索本部の連中に相違ないのだ。

 僕は何もかもない、釘付けにされてしまつた。夢の樣だとよく云ふが、この時の氣持ばかりは、たしかに夢以上であつた。ツイ今しがたまで西比利亞(シベリア)政局の大立物だつた巨人が、その妻子と共に銃口を向けられてゐる。白い眼隱しをされたまま、石の樣に固くなつて居る。宮殿のやうな大舞踏室の中で……二重硝子(ガラス)の遮音裝置の中で……惡夢だ……惡夢以上の現實だ……。

 僕の頭の中から判斷力がケシ飛んでしまつた。夢にも想像し得なかつた事實が、あまりに突然に眼の前に實現されたので……。

 むろん僕は、さうした頭の片隅でニーナの事を考へないではなかつた。搜索本部の連中が、これだけの斷乎(だんこ)たる行動を執りながらニーナだけを見逃して居る。自由行動を執らしてゐる……といふ不可解な事實に氣付いて居るには居た。しかし、そんな事を突詰めて考へてみる餘裕がその時の僕の頭にどうして在り得よう。……ダラララツ……といふ拳銃の一齊射撃の音が、今にも二重硝子を震撼する……とばかり思つて息を殺して居たのだから……。

 ところが僕の豫期に反して、そんな物音はなかなか聞えて來なかつた。たゞ左側の窓掛の蔭から、微かな蟲の啼くやうな日本人の聲が、時々斷續して聞えて來る。それに對して背中を向けてゐるオスロフが蓬々(ぼうぼう)となつた頭をゆすぶりながらバタバタと顎鬚を上下するのが見える。……と思ふとその胴間聲(どうまごゑ)の反響が遠い風の音のやうに、あるか無いかに仄(ほの)めいて來るばかりであつたが、それは此晩に限つて近所界隈が妙にヒツソリとしてゐたお蔭で辛うじて聞き取れたものであつたらう。意味なんかはむろん判明(わか)りやうが無かつたが、それだけに室の中の形容に絶した物凄さが、惡夢以上の切實さでヒシヒシと總身(そうみ)に感じられた。さうしてその中のタツタ一言(ひとこと)でもいゝから聞き分けて遣らう……それによつてオスロフが赤軍のスパイだつた事實がどこから發覺したかを判斷して遣らう……自分の推理が如何に正しいかを證明して遣らうと焦躁(あせ)りに焦躁つてゐる僕の顏を、一層強く硝子板(ガラスいた)に引き付けたのであつた。

 ……ところが此時のかうした僕の推理や想像の殆んど全部が間違つてゐた。……同時に日本の官憲がこの時にオスロフに對して執つてゐた、かうした態度が甚しい見當違ひであつた……僕とおんなじやうな推理の間違ひから、オスロフが赤軍に通じてゐるものとばかり結論し切つてゐた官憲は、此の時に西比利亞中(ぢう)で行はれた過失の中(うち)でも最も大きな一つを演じかけてゐた事實が、ズツト後(あと)になつてニーナの實話を聞いた時に身ぶるひするほど首肯(うなづ)かれた……と云つたらこの事件の關係者は皆ビツクリするであらう。恐らく僕の虛構だと云つて、極力打ち消さうとするであらう。

 しかし僕は構はない。虛構でも何でもいゝ。話の筋を混亂させない爲に、僕が後から聞き出した事實の眞相なるものを此處にサラケ出して置く。

 僕が後で當番係(たうばんがかり)の上等兵や、ニーナから聞き集めた話の要點を綜合すると、二重硝子の中の事件の正體は、あらかた次のやうなものであつた。

[やぶちゃん注:「僕が後で當番係の上等兵や官憲の取り調べを直接に見聞したニーナから聞き集めた話の要點を綜合すると」「全集」では「僕が後で當番係の上等兵や、官憲の取り調べを直接に見聞したニーナから聞き集めた話の要點を綜合すると」と加筆されてある。

以下、一行空き。]

氷の涯 夢野久作 (6)

 僕は何が何やら譯がわからなくなつた。

 居ないとばかり思ひ込んでゐた憲兵が、突然に何處からか湧き出して來て、さうして又何處へ消えて行つたのか……何の爲にニーナを探してゐるのか……第一彼らが用事のあり相(さう)にもない、閉め切つたままの舞踏室の前で、今まで何をしてゐたのか……といふことすらサツパリ見當が付かなかつた。……否。見當が付かなかつたと云ふよりも氣が付かなかつたと説明した方がホンタウであつたらう……。

 それは無論、僕の頭が「暗號問題」の一方にばかり集中し過ぎてゐたせいに違ひ無いと思ふ。さもなければ眼の前の仙人掌(サボテン)の不思議と、眼の色を變へてニーナを探してゐる憲兵を結び付けて考へる位(くらゐ)の頭の働きは誰でも持つてゐる筈だつたから。さうして同時に、さうした二つの事實の交錯が生み出す簡單明瞭なクロスワードに氣付いて、肝を潰すか、飛び上るかする位(くらゐ)の藝當は、誰(たれ)でも出來る筈だつたのだから……。

[やぶちゃん注:●「誰(たれ)でも」特異点今まではルビは一貫して「だれ」。]

 ところが此時に限つて僕の頭はそんな方向にチツトも轉換しなかつた。ちやうど下へ降りようとする出鼻を挫かれた形で、呆然(ばうぜん)と突立つたまま憲兵の背面姿(うしろすがた)を呑み込んだ暗い、四角い階段の口を凝視して居るばかりであつたが、やがて又、吾に歸ると、急に氣拔けした樣な深いタメ息を一つした。柄(がら)にもない大きな難問題に、夢中になりかけてゐた僕自身をヤツト發見したやうな氣がしたので……。

 ……馬鹿々々……俺は何と云ふ馬鹿だつたらう。俺はタカの知れた當番の一等卒ぢやないか。特務機關の參謀連中(れんぢう)が考へるやうな仕事を、手ブラの俺が思ひ付いたつて、誰(だれ)も相手にして呉れない事は解り切つて居るぢやないか。俺はコンナ仕事に頭を突込みに出て來たのぢや無かつたではないか……。

[やぶちゃん注:●「俺はコンナ仕事に頭を突込みに出て來たのぢやなかつたではないか」「全集」では(恣意的正字正仮名で示した)『俺はコンナ仕事に頭を突込みにこの展望臺へ出て來たのぢや無かつたではないか』と加筆している。]

 ……第一いくら俺が暗號を研究しようと思つたつて、萬一それが露西亞文字で出來てゐたらドウするんだ。英語しか讀めない俺には到底、解讀出來ないにきまつてゐるぢやないか。……さうかと云つて出鱈目同樣な數字の排列を、これが暗號で御座いと云つて搜索本部に擔(かつ)ぎ込んでも果して感心して貰へるかどうか。……タカの知れた二等卒の俺が、屋上の仙人掌(サボテン)と、十五萬圓事件との間に重大な關係が在るなぞと主張しようものなら物笑ひの種になる位(くらゐ)が落ちだらう。……又、果してソンナ重大な暗示が、この仙人掌の排列に含まれてゐるか居ないかも、よく考へてみると大きな疑問と云つていゝのだ……。

 ……あぶないあぶない。今日はよつぽどドウカしてゐるらしいぞ、先刻(さつき)から飛んでもない大それた事ばかり考へてゐるやうだ。コンナ時に屋上から飛び降りてみたくなるのぢやないか……ケンノンケンノン……ソロソロ下へ降りて行くかな……。

 氣の弱い僕はソンナ風に考へ直しながら、モウ一度ホーツと深呼吸をした。タツタ今憲兵が降りて行つた本階段の前に立止つて、中央の煙突の附根に、こればかりは動かされた事のない等身大の仙人掌の藥の間に暮れ殘る、黄色い花をジイツと凝視してゐるうちにトウトウ眞暗になつてしまつた……と思ふうちに向家(むかひや)のカボトキンの時計臺の中へポツカリと燈が入つた。それがいつもよりも三時間以上遲れた九時半前後であつたと記憶してゐる。

 その時であつた。

 不意に僕の背後で、又もや何かしら人の來る氣はいがした……と思ふ間もなく、僕は夢中になつて右手を振りまはした。

 僕は喧嘩なぞした事は一度も無い。銃劍術でも駈足(かけあし)でも、中隊一番の弱蟲であつたが、この時は殆んど反射的な動作であつたらう。手應へのあつた黑い影を引つ摑んで、思ひ切り甃(タイル)の上にタヽキつけて捻ぢ伏せると、間もなくモジヤモジヤした髮の毛が左右の指に搦み付いて居るのに氣が付いた。

 相手が女だとわかると、弱蟲の僕は急に氣が強くなつた。卑怯な性格だが事實だから仕方が無い。何だか劍劇の親玉みたやうな氣持になつて、肉付きのいゝ女の右手をグイグイと背後に捻ぢまはしながら、指の間にシツカリと握つてゐる露西亞式の短劍を無理矢理に捥(も)ぎ取つてしまつた。そいつを口に啣(くは)へて片膝で背中をグイグイと押へながら、左手でモジヤモジヤした髮毛を摑んで、首から上を仰向(あふむ)かせてみると眞白にお化粧をした顏だ。眉毛の長い……眼と鼻の間の狹い……オスロフの令孃ニーナに相違ないのだ。

 僕は仰天した。實際面喰(めんくら)つた。

 早くも二人を包みかゝつた霧の影をキヨロキヨロと見まはした……「一體、何だつてコンナ事を」……と云はうとしたが、生憎、一夜漬の軍用露西亞語がなかなか急に思ひ出せない。確かに冷靜を失つて居たらしい。仕方がないからニーナにも多少わかる筈の日本語で、

「……靜かになさい……」

 と云ふと、組敷(くみし)かれたまゝのニーナが案外にハツキリとうなづいた。そこで僕は少しばかり手を緩めて、霧の中に立たせて遣らうとした……が、その僅かな隙(すき)を狙つたニーナは突然にビツクリする程の力を出して跳ね起きた。兩手を顏に當てたまゝ、濃い霧の中に身を飜して消え込んだ。階段を飛降りて行く跣足(はだし)の足音だけが耳に殘つた。

[やぶちゃん注:以下、一行空き。ここに底本の挿絵を配す(挿絵には「mae」と思しいサインがあるが、画家は不詳。底本とした国立国会図書館近代デジタルライブラリーでは書誌情報に本書全体が『インターネット公開(保護期間満了)』と示されているので、著作権侵害に当たらないと判断した)

 
Koorinohate1  

赤きじゆばん   村山槐多

  赤きじゆばん

 

血の如く赤きじゆばんは

美しき人の家の樓上にさらされ

おそろしき黄金の光に

かつと照りわたれり

 

淫情はわが眼に汗をぬぐひ

雨の如き樂音はわが眼にそゝぐ

血の如く赤きじゆばんは

太陽に強く思はれたり

 

點々と赤き血はじゆばんより

紫に打曇る天にしたゝり

また深き井戸の如くに沈思せる

わが靈にしたゝれり

 

ああわれはまたん

その主を美しきじゆばんの主を

あへかなる若き女を

この家の樓上に見出さんまで、

 

 

[やぶちゃん注:「あへかなる」はママ(「全集」は「あえかなる」)。第三連二行目の「紫に打曇る天にしたゝり」は、「全集」では「紫にうち曇る天にしたゝり」と「打」を平仮名とする。最終行末尾は「全集」では句点。]

六月の遊歩   村山槐多

  六月の遊歩

 

千花は銀のきらきらともつれたる

草生はにほひ大空は薄靑く

濁りし雲の影もなく晴れわたりたる

靜かなる日をそゞろ歩く

 

そは眞晝なりき

群靑の河上は未だ夜ならず

すべては明確なりき

螢は未だとばず

 

わが心のすきまよりもれ出でたる

朱紫のなげきはけむと消ゆ

わかき野の荊蕀のふせりたる

豪奢なる姿はそのけむに見ゆ

 

そは眞晝なりき

そゞろ歩は末路に近づきたりき

すべては明確なりき

都に燈は未だとぼらざりき。

 

 

[やぶちゃん注:「荊蕀」底本では「荊」の(くさかんむり)は(へん)の上にのみかかる。「荊棘」に同じい。「けいきよく(けいきょく)」で、薔薇や枳殻(からたち)などの棘(とげ)のある低木の総称。茨(いばら)、うばらの類。ここはこの「いばら」或いは「うばら」と私は訓じたい。最終連二行目の「そゞろ歩」は「全集」では「そゞろ歩き」と「き」を送る。]

君に   村山槐多

  君に

 

げに君は夜とならざるたそがれの

美しきとどこほり

げに君は酒とならざる麥の穗の

靑き豪奢

 

すべて末路をもたぬ

また全盛に會はぬ

凉しき微笑の時に君はあり

とこしなへに君はあり

 

されば美しき少年に永くとどまり

その品よきぱつちりとせし

眼を薄く寶玉にうつし給へり

いと永き薄ら明りにとどまる

 

われは君を離れてゆく

いかにこの別れの切なきものなるよ

されど我ははるかにのぞまん

あな薄明に微笑し給へる君よ

君に   村山槐多 (附注 「全集」版表記への大いなる疑問)

  君に

 

美しき君

實(げ)にたそがれに打沈み

伽羅國の亡國びとの

ひとり子はなげきに沈む

 

綠靑のしみ出でし

銅瓶に口つけて水呑む君

美しき頽廢に

影薄き哀歌に思沈むる君

 

げに春は消へんとし

度を過ごしたる美しき放埓(はうらつ)も

すでに君がわざをぎめきし

靑白き面を破らんとせり

 

綠靑の空に立つ

伽羅國の亡國びとの

ひとりなるなげきの歌も

すべてたそがる

 

 

[やぶちゃん注:底本と「全集」本文には看過出来ない有意な異同が複数見出される。以下、その本文全体を底本に準じて正字化して以下に示す。

 

  君に

 

美しき君

實(げ)にたそがれに打沈み

伽羅國の亡國びとの

ひとり子はなげきに沈む

 

綠靑のしみ出でし

銅瓶に口つけて水呑む君

美しき頽廢に

影薄き哀歌に思沈むる君

 

げに春は消へんとし

度を過ごしたる美しき放埓(はうらつ)も

すでに君がわざをぎめきし

靑白き面を破らんとせり

 

綠靑の空に立つ

伽羅國の亡國びとの

ひとりなるなげきの歌も

すべてたそがる

 

次に、異同箇所を併置して箇条する(【初】が「槐多の歌へる」、【全】が彌生書房「増補版 村山槐多全集」)。

①第一連第二行

【初】實(げ)にたそがれに打沈み

【全】實(げ)にたそがれにうち沈み

②第三連第一行

【初】げに春は消えんとし

【全】げに春は消へんとし

③第四連第一行

【初】綠靑の空に立つ

【全】綠靑き空に立つ

④第四連第四行

【初】すべてたそがる

【全】すべてたそがる。

 私は、現在、どれほどの村山槐多の原詩稿が残っているか知らない。

 また、槐多の詩稿についてその異同を詳述した論文を不学にして知らない。あるのであればしかし、「全集」にそれが参考文献として掲げられていなくてはならないが、それらしいものはない。「槐多の歌へる」の続編とも言うべき翌年に出たアルスの「槐多の歌へる其後」には詩篇の異同は管見する限り、載らない。或いは「参考文献」に載る草野心平・山本太郎・岩瀬敏彦氏らの論の中にあるのかも知れないが、にしてもそれらの孰れかによって校閲された旨の記載自体が全集のどこにもない。

 彌生書房版の初版(昭和三八(一九六三)年)の編者山本太郎氏の編集後記には、『全集を編むにあたり、槐多の遺稿を八方手をつくしてもとめたがついに発見する事ができなかった』とあり、槐多の「槐多の歌へる」の詩中に見られる『伏字の部分は、当時の出版コードによるものと思われるが、原典散逸していまは埋める術もない。槐多の多く好んで用いた語句とともに、明瞭に類推しうる箇所は編者註として補塡したが、大部分は伏字のまま残す事にした。徒らな歪曲をさけたい為でもある』とある。

 この記載からは――全集は原詩稿に基づく校訂を経たものではないこと――即ち――「槐多の歌へる」が元である――と考える以外にはないこと――が分かる。

 一部の詩稿が残っていて現認校閲が出来たのであれば、山本氏はそう書くはずであるが、『槐多の遺稿を八方手をつくしてもとめたがついに発見する事ができなかった』という下りは、それさえも手に入らなかったことを意味すると読める。

 なお、全集の増補版(平成五(一九九三)年)は全集初版に作品図版を加えて再編集したとあるのみ(巻末の作品図版提供者である窪島誠一郎氏の「増補版に寄せて」に拠る)で、詩篇の詩句の有意な再校訂が行われた形跡はない。

 ということは――これまで見てきた「全集」との異同――例えば――ここでの異同点の④――《鮮やかに行われている全詩の最終行への句点打ちは編者山本氏が打ったもの》――と考える以外にはないこと、その他の、現行の詩人全集の場合、一般にはママ注記を附して保存するか、訂した場合でも後に異同表を設けるのが普通である《歴史的仮名遣の誤りの本文内訂正》(ここでの②)は編者によるものであること――が分かってくる(しかも初版凡例と思しい箇所には歴史的仮名遣を訂したといった注記が一切ない)。

 しかし――これの②④は百歩譲ってよしとしたとしても(しかし私は孰れも本心としては譲れない。ママで載せるべきであると考える人間である)……では、この詩篇の①の場合はどうであろう?

 「うち」を「打」としたのは何故であろう?……詩句としては、音調を調え、すっかりの意を添えるところの接頭語「うち」は、確かに漢字より平仮名の方が見目や印象がよい――というのは《妥当と言われ易い一般的な感じ》であろう。……しかしだからといって平仮名にするのは正しい全集校訂とは私は逆立ちしても言えない。

 しかし③はどうか? これは――明らかに詩篇の文脈上の意味がひっくり返ってしまうもの――である。第二連と第四連を並べて見よう。

 

綠靑のしみ出でし

銅瓶に口つけて水呑む君

美しき頽廢に

影薄き哀歌に思沈むる君

   *

綠靑の空に立つ

伽羅國の亡國びとの

ひとりなるなげきの歌も

すべてたそがる

 

確かに「綠靑の空」(ろくしやうのそら)とは特異なイメージではある――ではあるが、私は初版を読んだ際、少しも奇異に思わなかった――。日本語と詩に相応の自負を持つ《常識的日本人》であるならば、《この「槐多の歌へる」の第四連は第二連に引かれて「綠靑き空」とあったものを「綠靑の空」と原稿の判読を誤ったものである可能性がある》、と判断するのかも知れない(私はそうは思わなかったが、私は常識的日本人でないのかも知れない)。がしかし――原稿が確認出来ない以上――《詩人の感性の中に『綠靑の空』という変なイメージが絶対に生まれない》と断言することは出来ない。可能性は低いにせよ、「初版詩集」の本文を《誤判読・誤植》として、注記も断りもなしに、いきなり「全集」本文に《訂正》して掲載するなどということが、果たして普通の詩人の全集に於いて在り得てよいことであろうか? これを決定稿とした以上、それには相応の確信犯の資料が存在するのであろうが、それが示されていないのはすこぶるおかしいと言わざるを得ない。もしかすると、この問題は研究者の間では、解決済みなのだろうか? であれば、どうかこの愚鈍な野人にお教え戴ければ幸いである。――ともかくも私独り――この違い、いっかな、納得出来ないでいる。大方の御批判を俟つものである。――【2018年8月29日追記:本電子化テクストは当時、ミクシィでも同時掲載していたが、昨日、そこに「太郎」氏より、以下の御情報を頂戴したので、転載させて戴く。

   《引用開始》

『槐多の歌へる』は1920年に初版が刊行された後、1927年に再び出版されています。たまたま新版を閲覧する機会があったのですが、ここで挙げられている4つの異同を確認した所すべて全集と同じ表記が見られました。

つまり全集は新版を底本にしていると思われます。それにしても全集に底本の記載がない上、新版が初版より原稿に即していると決まったわけでもないので、全集の本文は注意深く扱う必要があるでしょう。

三年前の記事ですが、大変興味を惹かれたためコメント致しました。ご無礼お許しください。

   《引用終了》

「太郎」氏に心より御礼申し上げるものである。】

2015/06/28

ひゞき   村山槐多

  ひゞき

 

ひゞききこゆる

美しき物美しき物をつらねし

(鎖の如くゆるる)

春銀の春の想ひに

 

或る時は泣きしきり

また或る時は

毒の草入れたるくしげ見る如く

痛くわななく

 

血に重き貴女の寶玉

愁ひたる夕暮の空は

一杯にあはれわが聞く

或るひゞき

 

そのひゞき

或る時は都に天に、紫の山にきく

ただ君が美しさにも

わが重き想ひの中に、

 

 

[やぶちゃん注:「全集」では最終連最終行末尾は句点。]

救い難い最下劣な百田尚樹という大馬鹿者

百田尚樹は彼が操作したいメディアによって逆に自己肥大した己を増殖しているというトートロジーの中にのみ生きている致命的な大馬鹿者である。

充血   村山槐多

  充血

 

充血せる君 鬼薊

金と朱の日のうれしさよ

わめきうたへる街中に

金箔をぬるうれしさよ

 

派手に派手に血を充たせ

君が面に赤き血を

たとへ赤鬼の如く見ゆるとも

ひたすらに充血せよ

 

血と金の鬼薊

屋上に狂し

美しき街は暴虐たる王の

金箔にぬりつぶされたり

 

充血の君 鬼薊

血は滴たたれり

すゆき春の面に

壯麗なる街の上に。

 

 

[やぶちゃん注:「滴たたれり」「すゆき」はママ。「すゆき」は飲食物が腐って酸っぱくなるというヤ行下二段動詞「饐ゆ」(ワ行下二段「すう」の転じたもの)を形容詞化したものか?]

血の小姓   村山槐多

  血の小姓

 

虐殺せられし貴人の

美しい小姓よ

汝の主(しゆ)の赤に金に赤に金に

ぎらぎらとだらだらと滴たる血に

じつと見入る小姓よ

 

夜が來たぞ

人もないこの無慈悲な夕(ゆふべ)

誰かが泣き出した

狂した血の小姓よ汝も

泣け、血に愛せられて、

 

 

[やぶちゃん注:「滴たる」「じつと」はママ。「全集」では最終連最終行末尾は『泣け、血に愛せられて。』と句点。]

氷の涯 夢野久作 (5)

 搜索本部はトウトウ日暮まで歸つて來なかつた。だから僕も眼を醒ますと、すぐにキチンと掃除をして室内を片付けてしまつた。それから地下室に歸つて、襯衣(シヤツ)一枚のまゝタツタ一人で夕食を濟ましたが、サテ外出しようか……どう仕樣かと思ひ思ひ向うの隅を見ると、僕の外出許可證を預つてゐる上等兵が、晝間の彈藥盒(だんやくがふ)を解くのも忘れて寢臺の上に横向きになつてゐる。スウスウと寢息を立てゝ居る氣(け)はひである。ほかの當番連中もまだ歸つて來ないらしく銃架がガラ空きになつて居る。仕方が無いから襯衣(シヤツ)一枚の上に帽子を冠(かぶ)つて、スリツパ穿(ば)きのまゝ裏口の鐵梯子傳(てつばしごづた)ひに、新しい棕櫚のマツトを踏み踏み、五階の屋上庭園に上(あが)つて行つた。これは規則違反の服裝を三階の上官連中(れんぢう)に見つからない用心であつた。サツキの歩哨の話を一寢入りした間(ま)にスツカリ忘れてしまつてゐた僕は、習慣的に三階(がい)の連中(れんぢう)が五人や十人は居るものと思ひ込んで居たのだから……。

[やぶちゃん注:●「彈藥盒」は小銃の弾薬を携帯するための小型の箱(「盒(ごう)」は蓋附きの容器の意)のこと。通常、陸軍歩兵用は前盒二箇・後盒一箇を帯革に通して携帯した。ウィキの「弾薬盒」を参照されたい。 ●「裏口の鐵梯子傳ひに、新しい棕櫚のマツトを踏み踏み五階の屋上庭園に上つて行つた。これは規則違反の服裝を三階の上官連中に見つからない用心であつた」「全集」では(恣意的に正仮名正字化した)『裏口の鐵梯子傳ひに迂囘して、新しい棕櫚のマツトを踏み踏み、五階の屋上庭園に上つて行つた。この迂囘は規則違反の服裝を三階の上官連中に見つからない用心であつた』と加筆している。]

 屋上に來てみると、黑タイルを張詰(はりつ)めた平面の處々に新しく水を零(こぼ)した痕跡(あと)がある。その片端(かたはし)に、濡れたままの如露(じよろ)とバケツが置きつ放(ぱな)しにして在るところを見ると、ニーナが水を遣りかけたまゝ何處へか行つたものであらう。往來に面した木製の棚の上に手入れを濟ましたらしい二三十の鉢が、中途切(ちうとぎ)れしたまゝ三段に並んでゐる。この鉢の並び方が同(おんな)じになつてゐた事は今までに一度もないので、大きいのや小さいのが毎日のやうに、取換(とりか)へ引つかへ置き直されて居る事を僕はズツと前から氣づいてゐた。しかもそれが向家(むかひや)の百貨店の時計臺以外に相手のない、高い五階の屋上だから、考へてみると隨分御苦勞千萬な、無意味(ノンセンス)な趣味ではあつた。

 ……僕は實を云ふと、此時この屋上に仙人掌(サボテン)を見に來たのでは無かつた。例によつて、哈爾賓を取り圍む大平原の眺望を見廻しながら深呼吸でもして遣らう……序(ついで)に銀月の方向を眺めて、十五萬圓事件の解決法でも考へて遣らうか……と云つた樣な、至極ノンビリした氣持ちに驅られて上(あが)つて來たのであつたが、しかし此時の僕の頭は最前の麥酒の醉醒(ゑひざ)めと、思ひがけなく有付けた充分な午睡(ごすゐ)のお蔭で、いつもよりもズツと澄み切つてゐたのであらう。最初は何の氣なしに見て居た此仙人掌(サボテン)の大行列が、いつの間にか世にも不思議な行列に見えて來たのであつた。

 僕は念の爲に、仙人掌(サボテン)の棚の前を、往來に向つた甃(いしだゝみ)の端まで歩いて來た。その緣端(きつぱし)に在る古風な鐵柵(てつさく)に摑(つか)まつて出來る限り頭を低くしてみたが、此の仙人掌の棚を見る場所はどう見まはしても一階低い向家(むかひや)のカボトキンの時計臺しか無かつた。そんな位置に棚を置いた理由が、どうしても解らないのであつた。

 僕はだんだん眞劍になつて來た。今日が今日まで斯樣(こん)な不思議な事實にドウして氣がつかなかつたんだらうと思ひ始めた。

 僕は何でもカンでも此理由を研究してみたくなつた。これも僕の所謂「退屈魔」がさせた氣まぐれに相違なかつたが、どうせ夜は閑散(ひま)なんだからこの薄明りを利用して一つ研究して遣れ……といふ氣になつてタイルの中央に並んでゐる鉢を四百五十幾個(いくつ)かまで數へ上げた。それから其鉢の一つ一つに立てゝ在る白塗の番號札を一から二、二から三と順々紅に拾ひ探しながら數へ上げてみると又、奇妙な事實を發見した。百以下の番號が二、三十缺(か)けてゐる上に同じ番號の札がいくつも並んでゐる。二百四十二が四ツ、三百八十五が三ツといふ風に……。しかも夫れが同一種類の仙人掌に立てたもので無い事は一目瞭然なのだ。何でもない頭で見たら、コンナ事實は、此札を立てたニーナの氣まぐれとしか考へられなかつたであらう。又は學者か何かの頭で考へたら、斯樣(かう)した現象は、ニーナが先天的に數字に對する觀念を持たない、一種の痴呆患者か何かと思へたかも知れないが、しかし此時の僕の頭にはドウシテドウシテ……身體中がシインとなる程の大發見と思へたのであつた。

 ……すぐに下から紙と鉛筆を取つて來て、この番號の缺けたところと重複したところとを順序よく書き並べてみようか知らん……序(ついで)に棚の上の行列についてゐる番號札を其の順序に書き並べて、それが何かの暗號通信になつて居るか何樣(どう)かを突止(つきと)めて遣らうか……それとも向家(むかひや)の時計臺から此暗號を讀み取つて居るであらう何者かの正體を探り出すのが先決問題か……

 ……なぞと色々に考へ直しながら、暗くなつて行(ゆ)く屋上をソロソロと行つたり來たりしてゐた。遙かに西北、松花江(スンガリー)の對岸から、大鐵橋を覆うて襲來する濃厚雄大な霧の渦卷を振り返り振り返り立止(たちど)まつたりしてゐた。

 ところが其の中(うち)に間もなく、其霧の大軍がグングン迫つて來さうに見えたので僕はトウトウ決心した。とりあへず番號だけ寫しておく積りで、裏の鐵梯子(てつばしご)の方へ鋭角(えいかく)の廻(まは)れ右をすると、それと殆んど同時に、本階段の方向から不意に、慌しげな靴音が駈け上つて來て、思ひがけない軍裝の憲兵上等兵が眼の前にパツタリと立ちはだかつたのであつた。

 僕はギヨツとして一歩退(しりぞ)いた。襯衣(シヤツ)一枚のスリツパ穿(ば)きで屋上に出る事は、風紀上嚴禁してあつたので、扨(さて)は見つかつたかと思ひながら、慌てゝ不動の姿勢を執つて敬禮した。

 ところが妙なことに、その憲兵も何かしら面喰(めんくら)つてゐるらしかつた。僕の姿を夕闇の中に認めると、ハツとしたらしく、軍刀を摑んで立ち止まつた。眼を据えて僕の顏を見たが、それが顏なじみの當番卒だつた事がわかるとホツと安心したらしい。簡單に敬禮を返しながら其處いらを探るやうに見廻して居る中(うち)に、又も僕の顏に瞳を据ゑた。

「オイ當番。此處に誰か來はしなかつたか」

「ハッ。誰も來ません」

 と云ひ云ひ僕は敬禮を續けてゐた。

「……よし。手を下(おろ)せ。…‥ニーナが來はしなかつたか……此の家(うち)の娘だ」

 僕は何かしらドキンとしながら手を下した。

「イヤ。誰も來ません」

「フーン。お前は何時から此處に居たんか」

 といふ中(うち)に、憲兵上等兵はモウ一度、疑ひ深い瞳で屋上を睨(にら)みまはした。

「ハッ。上村は一時間ばかり前から此處を散歩して居りました」

「フーム。たしかに誰も來なかつたな」

「ハッ。左樣であります」

 憲兵は依然として狼狽してゐるらしく、又も大急ぎで本階段へ降りかけたが、途中でチヨツと立止まつて振り返ると嚴重な口調で云つた。

「誰か來たらすぐに知らせよ。俺は四階の舞踏室の前にいるから……ええか……」

「ハッ。四階の舞踏室……」

 と僕が復誦し終らないうちに軍刀を押へた憲兵のうしろ姿が、階段を跳ね上り跳ね上り下の方へ消えて行つた。
 
[やぶちゃん注:以下、一行空き。]

氷の涯 夢野久作 (4)

 あの憲兵の黑い襟章といふものはナカナカ考へたものだ……と其時に僕は思つた。それだけの連中が揃ひの黑襟章でズラリと椅子にかゝつてゐる處を見ると、今にも犯人が捕まりさうな空恐ろしい氣持がした。……むろん僕が犯人では無かつたのだが……。

 その連中(れんぢう)が詰めかけて來ると間もなく當番係の上等兵の命令で、戰友の一人が當番卒を拜命して行つたが、そのうちに午後になると、上等兵がいくらかフクレ氣味になつて僕を呼び出した。

「……オイ、上村(うへむら)、濟まんが君代りに搜索本部に行つて呉れ。モツト哈爾賓の事情に明るい者を寄越せつて曹長に怒鳴り付けられたんだ。君が居なくなると司令部が不自由するんだが……」

 僕は笑ひ笑ひ身仕度をした。不平どころか……一種の探偵劇でも見るやうな漸新な氣持で、勢よく階段を駈上つたものであつた。

 行つてみると搜索本部には、今云つた六人のはかに司令部附の鬚達磨(ひげだるま)と綽名(あだな)された歩兵少佐と、特務機關から派遣されたらしい色の生白(なまじろ)い近眼鏡(きんがんきやう)の中尉と、それから當(たう)の責任者らしい上席の一等主計が控へてゐた。ちやうどセントランニヤ内部の參考人調べが濟んだところであつた。

 僕はその部屋の入口に近い當番用の卓子(テーブル)と椅子に納まつて、並居るお歷々の諸氏がドンナ搜索をするかを一所懸命に注意してゐた。むろん夫れは大きな退屈の中から絞り出された、つまらない一種の探偵趣味に過ぎなかつたが併(しか)し、それでも此部屋(ここ)に集まつて來る報告は出來るだけ頭に入れて置こう。まかり間違つたら、俺一人で犯人を捕(とら)へるのも面白からう……ぐらいの野心は聊かながら持つてゐた事を白狀する。とにかく何時も引込み思案の僕が、永い間の退屈病(たいくつびやう)に惱まされてゐたせゐであつたらう。此時に限つて、今までにない生き生きした興味の中に蘇生し始めてゐたのであつた。

 搜索本部の手は最早(もう)、午前中に八方に伸ばされてゐた。哈爾賓市中は云ふに及ばず、東は露支(ろし)國境のポクラニーチナヤ、寧古塔(ニクタ)、北は海倫(ハイリン)、西は齊々瞭爾(チヽハル)、滿洲里(マンチユリー)、南は長春(ちやうしゆん)、奉天(ほうてん)と嚴重な警戒網が張られていて、今にも犯人が引つかかるか引つかかるかと鳴りを鎭めて待つてゐる狀態であつた。

[やぶちゃん注:●「ポクラニーチナヤ」現在のロシア沿海地方、中国国境まで十三キロメートルほどのポグラニチニ(Пограничный)。ハルピンから直線で東南東へ四百十キロメートルに位置する。 ●「寧古塔(ニクダ)」(ニングダ/ねいことう)は清代から一九三〇年代初頭にかけて満州東部の牡丹江中流域にあった地名で、清が満州を統治するに当たり重要な役割を果たした場所であった。現在の黒竜江省牡丹江市寧安に相当する。参照したウィキの「寧古塔」によれば、『清代末期になると北京条約などによりアムール川以北やウスリー川以東はロシアに割譲され、毛皮貿易など少数民族相手の交易は衰える。また東清鉄道建設に伴いハルビンなどの街が建設されるが、それでも寧古塔は満州東部の数少ない都市でありロシアなどに対する軍事拠点だった。特に牡丹江沿岸にあたるため水田耕作に適した土地で』、十九世紀終わりから『漢民族や朝鮮人が周辺に移住し稲作や畑作を始めた』。『吉林省設置以降は寧安府、次いで寧安県が寧古塔に置かれたが、寧安県設置以後も寧古塔という名は慣用的に使用されていた。辛亥革命以降の混乱期には、寧古塔は中国人の革命運動や朝鮮人の抗日パルチザンなどさまざまな勢力の拠点となった』。一九三〇年代に『日本が満州国をこの地に建国してからしばらくの間も寧古塔は農林業の集散地として栄えていたが、牡丹江市の建設により農林業上・軍事上の拠点としての地位を譲ることとなった』とある。地図で確認すると街としての牡丹江はポグラニチニのほぼ西百四十キロメートルにあり、現在の牡丹市内の寧安(ここも市)は牡丹江市を貫通する牡丹江の直線で四十キロメートルほど下流にある。 ●「海倫(ハイリン)」ハルピンのほぼ北百八十キロメートルにある街。現在の黒竜江省綏化(すいか)市海倫市。ロシア国境まで二百五十~三百キロメートルほど。 ●「齊々瞭爾(チヽハル)」現在の黒竜江省(省直轄市)斉斉哈爾(チチハル)市。ハルピンの北西約二百六十キロメートルに位置する、ハルピンに次ぐ黒竜江省の大都市。 ●「滿洲里(マンチユリー)」現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ホロンバイル市内の満州里市。ハルピンの北西約八百キロメートルのロシアとの国境直近。モンゴル国境も五十キロメートルほどしか離れていない。 ●「長春」現在の省政府が置かれている吉林省長春市。ハルピンの南南西二百三十キロメートルに位置する。 ●「奉天」旧中華民国と旧満洲国にかつて存在した現在の瀋陽市に相当する都市。長春をほぼ中間点としてハルピン南南西凡そ五百キロメートルに位置した。現在の朝鮮民主主義人民共和国国境までは南東に二百キロメートルほど。]

 一體この星黑(ほしぐろ)といふ主計は、名前の通りに色の淺黑いツンとした小柄な男で、イヤに神經質に勿體ぶつた八釜(やかま)し屋であつた。ふだん戰鬪員から輕蔑される傾向を持つてゐる計手(けいしゆ)とか軍樂手とかにあり勝ちなヒガミ根性が、この男にも執念深くコビリついてゐたものらしい。戰時には餘り八釜(やかま)しく云はれない缺禮(けつれい)を、この男は發見次第に怒鳴りつけたので人氣(にんき)が恐ろしく惡かつた。

 しかし之に反して一緒に逃げた十梨(となし)通譯は格別、憎まれてゐなかつた。ちよつと見た所、何の特徴も無いノツペリした色男だつたので兵卒連中(れんぢう)から幾分、輕蔑されてゐる傾(かたむき)はあつたが、それでも外國語學校出身の立派な履歷を持つてゐたさうである。人間が如才ない上に露西亞語が讀み書き共にステキに達者なので、着任早々から三階(がい)の連中(れんぢう)に重寶がられてゐた事實と、これも如才ない一つであつたらうか、軍隊内で禁物(きんもつ)の赤い思想の話が、どうかした拍子にチヨツトでも出ると、忽ち顏色を變へて露西亞の現狀を罵倒し初めるのが、特徴と云へは特徴であつたといふ。尤も「彼奴(きやつ)は露西亞語ばかりぢやないぜ。支那語もステキに出來るらしいぞ」と云ふ兵隊も居たが、しかし本人は絶對に打消してゐたといふ。

 其二人は今や全軍の憎しみを引受けつゝ行衞(ゆくゑ)を晦ましてゐる譯であつたが併し、捕まつたといふ情報はなかなか來なかつた。さうしてその日が暮れて、翌(あく)る日の火曜日になると、もう、そろそろと大陸特有の退屈が舞ひ戻つて來た。入口の扉(ドア)に新しく「○○○○軍政準備室」と貼紙をした以外には何一つ變つた事の無い搜索本部の片隅に腰をかけて、北滿特有の黄色い窓あかりを眺めてゐるうちに、ともすると腹の底から巨大な欠伸(あくび)がセリ上(あが)つて來るのをヂツと我慢しなくてはならなくなつた。

 もつとも、それは僕一人ぢやなかつたことを間もなく發見する事が出來た。

 僕は最初のうち意兵諸君の行儀のいゝのに感心してゐた。芝居の並(なら)び大名と云つた格(かく)で、一列一體に威儀を正したまゝ、いつまでもいつまでもかしこまつてゐる。執務中のつもりであらう煙草一服吸ふ氣色(けしき)もない。時々思ひ出したやうに「電話はかゝらないか」とか「電信は來ないか」とか云つて一軒隣りの司令部に僕を聞きに遣る。さうかと思ふと又、思ひ出したやうに地圖を引つぱり出したり、一度投げ出した汽車の時間表を拾ひ上げて繰り返し繰り返し檢査したりする。……此邊(このへん)は汽車の時間表は無い方が正確なのに……と思つたが恐らくこれは退屈凌(しの)ぎの積りであつたらう。

 此連中(れんぢう)が腕ツコキと云はれてゐる理由は、發見された犯人を勇敢に追跡して、引つ捕(とら)へて、タヽキ上げて、處刑するまでの馬力がトテモ猛烈で、疾風迅雷式(しつぷうじんらいしき)を極めてゐるからであつた。たゞそれだけであつた。だから其の犯行の徑路(すぢみち)を推理したり、犯人の遁路(にげみち)を判斷したりするところの所謂、警察式の機能、もしくは探偵能力といつたやうなものは絶無なので、何でも嫌疑者と見れば片ツ端から引捕(ひつとら)へて處刑して行(ゆ)く。其中のどれかゞ眞犯人(ほんもの)であれば夫れでよろしい……といふところに黑襟(くろえり)のモノスゴサが認められて居るのであつた。これは決して惡口(わるくち)ではない。戰地では内地の警察みたやうな叮嚀、親切な仕事ぶりでは間に合はない事を僕らは萬々(ばんばん)心得てゐたのだ。從つて軍政下における「靜寂」とか「戰慄」とか云ふものは實に、かうした黑襟の權威によつて裏書きされてゐると云つてもよかつたのだ。

 彼等黑襟の諸君は、だから斯樣(かう)して威儀を正しながら偶然の機會を待つて居るのであつた。犯人が高飛(たかとび)をするとなれば必ずや鐵道線路を傳(つた)ふに相違ない。それ以外の地域はまだ交通、生命の安全を保障されていないのだからその要所要所に網を張つて置けばキツと引つ掛かるに相違ないといふ確信を持つてゐるらしかつた。しかも其要所要所に見張つてゐる黑襟の諸君が矢張りコンナ風に、その要所要所で一團となつて、威儀を正してゐるであらう光景を想像すると何ともハヤたまらないアクビがコミ上げて來るのであつた。

 そいつを我慢しいしい向家(むかひ)のカボトキンの時計臺が報ずる十一時の音を聞いた時には最早(もう)、トテモ我慢出來ない大きなアクビが一つ絶望的な勢いでモリモリと爆發しかけて來た。ソイツを我慢しようとして俯向(うつむ)きながら兩手を顏に當てようとすると、其時遲く彼(か)の時早く、その欠伸(あくび)が眞正面の中尉殿の顏に公々然(こうこうぜん)と傳染してしまつた。そこで待つてゐましたとばかり上席から末席に亙つて一つ一つに欠伸玉(あくびだま)の受け渡しが初まつたが、併し感心なことに其のやゝこしいアクビのリレーが片付いても笑ふ者なぞ、一人も居なかつた。間もなく元の通りのモノスゴイ、靜肅な搜索本部に立ち歸つてしまつたのであつた。

 僕は後悔した。僕を搜索本部の當番の刑に處した上等兵を怨んだ。汽車の通らない停車場(ていしやば)の待合室よりもモツト無意味だと思つた。

 しまいには自分自身が嚴然たる憲兵に取り卷かれて、第三等式の無言の拷問を受けてゐる犯人みたやうなものに見えて來た。……これぢや、とても辛抱し切れない。いよいよ遣り切れなくなつたら「私が犯人です」と云つて立上つてやろうか知らん。さうしたら、いくらか退屈が凌げるかも知れない……なぞと途方もない事までボンヤリと空想し初めてゐた。そのうちにヤツト晝食の時間が來た。

[やぶちゃん注:●「第三等式」程度の低い、拙劣な、という意味であろう。]

 僕は本部の連中に、辨當のライスカレーとお茶を配つた。それから自前の食事を濟ましに地下室へ降りると、そこで又、悲觀させられた。當番連中が一齊に僕の周圍に集まつて來て、

「どうだ。捕まりそうか」

 と口々に聞くのであつた。其のまわりを料理人(コツク)の支那人、雇人頭(やとひにんがしら)のコサツク軍曹、耳の遠い掃除人夫の朝鮮人と云つた連中が取卷いて、靑や、茶色や、黑の眼に、あらん限りの興味をキラキラと輝やかして居るのであつた。

[やぶちゃん注:●「濟ましに」「全集」では『済まして』となっているが、これは明らかに「濟ましに」が正しい。第一書房版全集の方の誤植である。]

 僕は手を振つて逃げる樣に自分の食卓に就いた。

「……駄目だよ。捕まつたのはアクビだけだよ」

 と云ひたいのを我慢しいしい皮のままのジヤガイモを頰張つた。

 食事を濟ました僕は、地獄に歸る思ひで地下室を出た。イヤに長い午後の時間を考へながら、屠所(としよ)の羊よりもモツト情ない恰好で、三つの階段をエンヤラヤツト登つたが、早くも出かゝつた欠伸をかみ殺し、入口の扉(ドア)を押すと同時にビツクリした。出會ひ頭に待構へてゐたらしい、曹長のキンキン聲が機關銃みたいに飛び付いて來たので……。

「オイ。當番。これを第二公園裏の銀月といふ料理屋に持つて行け。知つとるだらう。經理部の取調(とりしらべ)が濟んだから返すのだ。銀月の會計係の阪見(さかみ)といふ男に返すんだ。阪見が居らなければ銀月の女將(おかみ)に渡せ、それ以外の人間に渡すことはならんぞ。えゝか」

[やぶちゃん注:●「第二公園」本作の後の描写と、現在のハルビン(哈爾濱)の地図を眺めての印象に過ぎないが、これは松花江の南岸の市街地にある兆麟公園がモデルではなかろうかとも思われる。]

 僕は曹長の手から四角い平べつたい、靑い風呂敷包みを受け取つた。

「ハッ、復誦します。上村當番はこの帳簿を銀月の……」

「馬鹿……誰が帳簿と云ふたか」

 曹長は千里眼に出會つた樣に眼を剥(む)いた。

「その包みの内容は極(ごく)祕密になつとるんだぞ」

 僕は情なくなつた。これが帳簿だとわからない位(くらゐ)なら一等卒を辭職してもいゝと思つた。

「ハツ。上村は此の四角い箱を銀月に持つて行(ゆ)きます。そこの會計主任か、女將に渡します。それ以外の人間に渡さなけれはならない場合は持つて歸ります」

「よし……女將の名前は知つとるぢやらう」

「ハイ。知りません」

「富永(とみなが)トミといふのだ。えゝか」

 曹長は重大そのものの樣な顏をした。

 僕は卷脚絆(まききやはん)と帶劍を捲附(まきつ)つけて外へ出た。

 何を隱そうトテモ嬉しかつた。死ぬより辛い退屈地獄から思ひがけなく救ひ出された愉快さで一パイになつてゐた。相濟まぬ話だが司令部から遠ざかれば遠ざかるほど救はれたやうな氣持ちになつて行つた。

 僕は惡い事と知りつゝわざと遠まはりをした。キタイスカヤの雜沓を避けて、第二公園の方向から外(そ)れた廣い通りへ廣い通りへと出て行つた。

 道の兩側に並んだ楡(にれ)や白楊(はくやう)の上にはモウ内地の晩秋じみた光りが横溢(わういつ)してゐた。歩道の一部分に生垣をめぐらした廣い公園だの、白楊の靑白い幹が幾十となく並んだ奧に、巨大なお菓子か何ぞのやうに毒々しい色の草花を盛り上げた私人(しじん)の庭園だの、仙人掌(サボテン)、棕櫚(しゆろ)、蝦夷菊(えぞぎく)、ダリヤなぞ云ふ植物をコンモリと大らかに組合はせた花壇だのが、軒並に續き繫がつてゐるのを、僕は今更のやうにもの珍しく覗いて行つた。その奧に見える病院みたやうな窓の中から、面白さうな手風琴(てふうきん)の音(ね)が洩れて來るハルピンの午後の長閑(のどか)さ。なつかしさ……。

 靑い風呂敷包みを抱へた僕は口笛を吹きながらユツクリユツクリ歩いて行つた。さうして茶鼠色の薄い土煙を揚げる歩道をみつめながら、いつの間にか眼の前の退屈事件の事を考へ續けてゐた。

 ……星黑と十梨は今頃どこに居るだらう。

 ……二人は果して共犯者だらうか。

 假に俺が犯人とすれば、ドンナ風に逃げるだらう。搜索本部の能力を最初から看破つてゐるとすれば左程に怖がる必要は無いかも知れないが、しかし逃げる身になつてみたら左樣(さう)タカを括(くゝ)る譯にも行(ゆ)かないだらう。否でも應でも、あらん限りの知惠を絞らずには居られないだらう。搜索本部は果してソンナ處まで犯人の心理作用を警戒して居るだらうか……。

 ……汽車で逃げるのは一番捕まり易い道を行くやうなもんだ。哈爾賓以西の安全區域だけを上下してゐる、松花江通ひの汽船に乘つても同じ事だ。目下の處(ところ)日本官憲の手が屆くのは、さうした交通機關の動いてゐる範圍内に限られて居るのだから、其樣(そん)なもの利用して逃げるのは官憲の手の中を這い廻るのと同じことになる。それを知らない二人ではあるまい。

 ……ところで夫れ以外の通路を傳つて哈爾賓の外まはりの茫々たる大平原の起伏(きふく)に紛れ込んだら何樣(どう)だらう。人間も蟲(むし)も區別が付かなくなるのだから、たゞ日本の官憲に捕まらないだけが目的なら此(この)方法が一番であらう。

 ……しかしそこには日本の官憲よりもモツト恐ろしい者が知らん顏をして待ち構へてゐる虞れがある。その第一は西比利亞から北滿へかけた平原旅行に付きものゝ飢餓行進曲(きがかうしんきよく)だ。難波船の漂流譚(へうりうものがたり)を自分の足で實驗しなければならないばかりでなく、日本人と見たら骨までタタキ潰す赤(あか)の村が何處に隱れてゐるか解からないのだ。そんな村に片足でも踏込(ふみこ)んだら、最後、○○支隊(したい)でも全滅するのだから敵(かな)はない。

 ……その次はお膝元の哈爾賓市中に潜り込んで居て、ホトボリの醒めた頃、變裝の高飛(たかとび)を試みる手段がある。ナハロフカだの傅家甸(フーチヤテン)だのにはソンナ潜入孔(もぐりあな)がイクラでも有るだらう。ナハロフカは横着部落(わうちやくぶらく)といふ意味だそうだ。だから其處いらにウロ付いてゐる縮緬(ちりめん)の上衣(うはぎ)を着た唇の眞赤な露西亞女でも、赤いスウヱータを着た賭博宿(ばくちやど)の婆さんでも、十圓札の二三枚ぐらゐ見せたら一週間や十日位(くらゐ)はオンの字で奧の室(へや)を貸して呉れるであらう……。イヤイヤ、そんな劍呑(けんのん)なところへ飛込(とびこ)まなくとも傅家甸(フーチヤテン)の平康里(へいかうり)(娼婦街)に紛れ込んで、釣鐘形(つりがねがた)に紅い紙の房(ふさ)を下げた看板の下(した)を、煉瓦造(れんぐわづくり)の中へ一歩踏込めばモウこつちの物と思つていゝ。支那人が珍重する十二三の子供みたやうな女を買ひ續けて居るうちに、絶對安全の遁道(にげみち)が、自然と判明(わか)つて來るものだ……といふ話も聞いてゐる。

[やぶちゃん注:●「支那人が珍重する十二三の子供みたやうな女を買ひ續けて居るうちに、絶對安全の遁道が、自然と判明つて來るものだ……といふ話も聞いてゐる」久作節炸裂の意味深長意味不明なすこぶる妖しく怪しい淫靡隠微なるもの謂いではある。]

 ……此の三つしか目下の處、拔け路が無い樣だ。一方に星黑が想像通り露語(ろご)通譯を連れて居るものとすれば、その逃亡計畫はかなり遠大なものと見なければならないが、サテどの方法を執つてゐるのであらう。

 ……搜索本部の連中は夢にもそんな事に氣づいて居ないやうであるが……。

 そんな事を考へ考へ司令部からシコタマ溜めて來た欠伸を放散(はうさん)しいしい歩いてゐるうちに僕は、小脇に抱えてゐる帳簿の風呂敷包みが落ちさうになつたので、チヨット立ち止まつて抱へ直した。……と……同時に僕は又、心機一轉して或る重大な想像を頭の中に旋囘させ初めたのであつた。

 後から考へると僕がこの時に心氣一轉した結果が……モツト端的に云ふと、僕が此時に靑の風呂敷包みを抱へ直した一刹那が、今日のやうな重大な政局の變化を東亞(とうあ)の政局にもたらした一刹那だつたとも云へる樣に思ふ。……と云つて何も別に氣取る譯ぢやない。僕がソンナに偉かつたと云ふ説明には毛頭ならないが、所謂、魔がさしたと云ふものであらうか。哈爾賓市中を彷徨してゐる巨大な退屈魔の一匹が突然に一種の尖鋭な探偵趣味に化けて僕のイガ栗頭(ぐりあたま)に取憑(とりつ)いた結果、今日(こんにち)のやうなモノスゴイ運命に吾と吾身を陷れる事になつたとも、考へれば考へられるであらう。

 僕は帳簿の包みを抱へ直したトタンに或る一つの大きなヒントを受けたのであつた。もしや星黑主計は銀月に隱れて居るのではないか知らん……と……。

 これは單なる僕の想像程度のものに過ぎなかつたが、しかし、それでも全然理由のない考へではなかつた。今持つて行く帳簿は、星黑主計が費消した官金の行方を調べ上げる參考にしただけの物である事は解り切つてゐるが、しかし今までチツトも話を聞かなかつた銀月が、犯人の祕密の遊び場所だつたとすると、そこを犯人の有力な隱れ場所の一つとして數へ上げない譯には行(ゆ)かないであらう。これが憲兵だから氣付かないで居るやうなものゝ、内地の警察か何かだつたら、ドンナに鈍感な刑事でも、直ぐに疑ひをかけてみる處であらう。

 銀月は哈爾賓切つての一流料理店だといふ。同時に北滿切つての見事な日本建築の室があつて「莫斯科(モスコー)の洞穴(ほらあな)」を眞似た祕密の娯樂室が幾室(いくら)でも在るといふ話だが……待てよ。

[やぶちゃん注:●「莫斯科(モスコー)の洞穴(ほらあな)」不詳。モスクワの古伝承か? それとも、荘厳壮大なクレムリン宮殿の譬えか? 識者の御教授を乞う。]

 コンナ風に賴まれもしない事件の眞相をタツタ一人で……恐らく世界中にタツタ一人で眞劍に考へめぐらしながら、覺えず知らず探偵趣味を緊張させてゐるうちに、どこを何樣(どう)曲つて來たものか銀月の三層樓閣がモウ向うに見えて來た。何と云ふ式(しき)か知らないが、スレート屋根の素敵に大きい、イヤに縱長い窓を矢鱈に並べたカーキ色の化粧煉瓦張(けしやうれんぐわば)りの洋館に、不思議によく似合つた日本風の軒燈(けんとう)。二階(かい)三階(がい)の窓硝子(まどガラス)に垂れ籠めた水色のカーテン……そんなものが氣のせいか妙に祕密臭くシインと靜まり返つて、正午下りの秋日をマトモに吸ひ込んでゐた。

[やぶちゃん注:●「妙に祕密臭くシインと靜まり返つて」底本は「妙に祕密臭いシインと靜まり返つて」であるが、「全集」と校合して訂した。]

 僕はチヨット躊躇しながら往來に面した銀色のダイヤグラスの扉(ドア)を押し開ゐた。わざと玄關へ廻るのを避けて勝手口へ來たのだ。……やはり僕の探偵趣味がさうさせたのかも知れないが……。三坪ばかりの白タイル張の土間の上り口から右に廻ると直ぐに玄關へ出るらしい。一段高くズーツと奧の方へ寄木細工(よせぎざいく)の廊下が拔け通つて右と左に扉(ドア)が並んでゐる。ちやうど正午過(ひるすぎ)の掃除が始まつた時分と見えて、その扉が一つ一つに開け放されてゐた。

[やぶちゃん注:●「ダイヤガラス」古い建具などで見かける、ガラス表面に有意な凹凸があって、角度が変わるとダイヤのように輝く、本邦製のアンティーク・ガラス。よく似た輸入ガラスに「クリアテクスチャ(ダイヤクリア)」というガラスがある。こんな小道具も美事に大正ロマンを漂わせていることに着目されたい。]

 今一度、躊躇しながら上り口の呼鈴(よびりん)を押すと、奧の方からバタバタと足音がして十六、七の小娘が出て來た。その小娘がまだ立ち止まらないうちに僕が敬禮しながら、

「阪見さんは居(を)られませんか。司令部から來ましたが……」

 と怒鳴ると、ちやうど待つてゐたかのやうに直ぐ横の應接間らしい扉(ドア)が開いて、奧樣風(おくさまふう)の丸髷(まるまげ)に結つた女が顏を出した。

 與謝野晶子と伊藤燁子(いとうあきこ)の印象をモツト魅惑的に取合(とりあ)はせた見目容(みめかたち)とでも形容しようか。年増盛(としまざか)りの大きく切れ上つた眼と、白く透つた鼻筋と、小さな薄い唇が水々した丸髷とうつり合つて、あらゆる自由自在な表情を約束してゐるらしかつた。その黑い黑いうるんだ瞳と、牛乳色(ぎうにういろ)のこまかい肌が、何とも云へない病的な、底知れぬ吸引力を持つてゐるやうにも感じられた。それが僕の顏をチラリと見ると、すぐにイソイソと出て來て廊下の端にしなやかな三指を突いた。

[やぶちゃん注:●「伊藤燁子」大正三美人の一人で「筑紫の女王」とスキャンダラスに称された歌人柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん 明治一八(一八八五)年~昭和四二(一九六二)年)のこと。柳原は旧姓で、本名は宮崎燁子。伊藤は再婚相手で九州の炭鉱王伊藤伝右衛門の姓。宮崎滔天の長男で『解放』元主筆であった社会運動家宮崎龍介との駈け落ち(白蓮事件)は大正一〇(一九二一)年十月二十日のことであるから、作品内時間(大正九年)で「伊藤」姓とするのは芸が細かいとは言える。]

「……あの……阪見はちよつと出かけておりますが……妾(わたし)はアノ……富永でございますが……」

「あ、左樣ですか。富永トミさんですね」

「ハイ……」といふうちに女將は如何にも心安さうに僕の前の板張りへペタリと坐つた。一種のスキ透つた、なまめかしい匂ひをムーツと放散させながら大きな瞳をゆるやかにパチパチさせた。

 僕は固くなつた。

「司令部から來ました。……昨日(きのふ)お借りした……帳簿をお返し……しに來ました」

 と一句一句石ころみたいな口調を並べた。

「まあ。御苦勞樣。いつでもよござんしたのに……濟みません。たしかに……お受取を差上げましせうか」

「どうぞ。しかし帳簿と書かないで下さい」

「……かしこまりました」

 と云ふうちに女將は何かしらニツコリしながら風呂敷を解いた。中からは封印した新聞紙包(しんぶんしづつ)みが出て來た。

 女將の笑顏が一層、深くなつた。

「……では……あの新聞紙包み一つと書いて置きませうね」

「ハイ、結構です」

 僕はヤット冷靜になつた。コンナ處でドギマギしてゐた自分の馬鹿さ加減を自覺すると同時に、最初から僕を呑(の)んでかゝつてゐるらしい女將の感度に輕い反感をさへ感じた。

「かしこまりました……ホホ……」

 と女將は笑ひ笑ひ立ち上つたが、その序(ついで)に僕の腕章をチラリと見ると又、立ち止まつた。

「……あの……ちよつとお上りになりませんか。只今お受取をこしらへさせますから……」

 さう云ふ女將の言葉が終るか終らないうちに、小娘が飛降(とびお)りて來て、僕の靴にカバーを押し付けた。

「……や……これは……」

 とばかり僕は又も躊躇してドギマギした。むろん平常(いつも)の僕だつたら此處で九十九パーセントまで御免蒙る處であつたらう。上り口(ぐち)に腰をかけて待つて居ても用は足りるばかりでなく、たゞの當番卒でしかない僕が、公用のお使ひに來て上り込んだりするのは、非常に不自然な行動に違ひ無かつたのだから……。

 ところが此時ばつかりはソンナ遠慮氣分や、不自然な感じがチツトもしなかつたから妙であつた。多分それは何か物言ひたげな女將の素振りが、最前から動きかけてゐた僕の、銀月そのものに對する探偵趣味を示唆つたせゐであつたらう。そのうちに一種の勇氣を奮ひ起した僕は、案内されるまにまに默つて左右を見まはしながら、タツタ今女將が出て來た應接間に這入つた。

[やぶちゃん注:●「示唆つた」底本にはルビがない。「全集」には『示唆(そそ)った』とルビする。 ●「案内されるまにまに」「全集」では「案内されるままに」であるが、実は言葉としては「ままに」が一見正しいように見えるものの、ここでは上村が「左右を見まはしながら」移動するのであってみれば、私はこの「まにまに」の方が実は正しいと感じる者である。]

 それは實に立派な部屋であつた。何もかもがまだ一度も見た事のない風變りな、凝つた物であつたばかりでなく、ヒイヤリとするほど薄暗かつたので、最初のうちは何が何やら見當がつかなかつたが、よく見るとそれは印度風(インドふう)と支那風(しなふう)を折衷した、夏冬兼用の應接間であつたやうに思ふ。低い緞子(どんす)の椅子に坐ると彈力に乘せられて思はず背後の方へ引つくり返りさうになつた。トタンに頭の上のバンカアが香水を含んだ風をソヨソヨと煽(あふ)り出したので僕は思はず赤面させられた。

[やぶちゃん注:●「緞子」繻子織り(しゅすおり:経(たて)糸と緯(よこ)糸の交わる点を少なくして布面に経糸或いは緯糸のみが現われるように織ったもの。布面に縦又は横の浮きが密に並んで光沢が生すると同時に肌触りもよい高級織布。)の一つ。経繻子(たてしゅす)の地にその裏織り組んだ緯繻子(よこしゅす)によって文様を浮き表わした光沢のある絹織物。室町中期に中国から渡来した。「どん」「す」は孰れも唐音である。 ●「バンカア」底本も「全集」も濁音であるが、これは実は「パンカア」が正しいのではあるまいか? 英和辞典によれば、これはインド英語“punka”であって発音は【pˈʌŋkə】「パンカア」、マハラジャのイメージにありがちなあの、布製で天井から吊して綱で引いて扇ぐ例の大団扇、無論ここは電動のシーリング・ファン、天井から吊された麻布などで覆われた骨組みからなる大きな扇風機のことである。現在は航空機やバスなどで見かける、局所空調・換気用の、あの球面体の一部に吹出し口を設けて球面を回転させることによって吹出し方向を変えることの可能なスポット形吹出し口の一種を“punkah louver”(パンカールーバー)と呼んでいる。]

 すると又、入口の扉(ドア)が音もなく開ゐたから、モウ受取が出來たのかと思つて腰を浮かしかけると豈(あに)計らんや大きな銀盆の上に色々な抓(つま)み肴(ざかな)と、果物(くだもの)と、麥酒(ビール)を載せたものを、白い帽子に白い覆面(ふくめん)の支那人が二の腕も露はに抱へ込んで來たのであつた。

 これにはイヨイヨ驚いた。いくら哈爾賓一流の銀月でもアンマリ手廻しが良過ぎる。況んや普通の兵卒がお使ひに來たのに對して此のもてなしは少々大袈裟過ぎる……と内心疑はぬでも無かつたが、そんな考へをめぐらす隙もなく這入つて來た女將は、螺鈿(らでん)の丸卓子(まるテーブル)の向うにイソイソと腰をかけた。水蒸氣に曇つた麥酒のコツプをすゝめながら極めて自然に話しかけた。

「……どうもお待ち遠(どほ)さま。只今阪見を呼んで居りますから……お一ついかゞ……」

「濟みません」

「どう致しまして、お國の爲に遠いところからお出でになつてねえ。失禮ですけど、お國はやはり○○の方(かた)で」

「あつ。どうして解ります」

「ホヽ。お言葉の調子でわかりますわ。何時頃から司令部においでになりまして……」

「八月からです」

「御苦勞さまですわねえ。これから又ズツト哈爾賓にいらつしやるんですつてね」

「ハア……どうして御存じですか」

「ホヽヽヽヽヽ……」

 女將は生娘(きむすめ)のやうに顏を染めて笑つた。

 僕はその笑ひ聲の前で身體が縮まるやうな氣がした。こんな風に自由自在に顏を染め得る女が、如何に恐ろしい存在であるかを、僕は知り過ぎるくらゐ知つてゐた。のみならず此の女將の云葉がサツキから非常なスピードで、うち解けた合(あひ)の子語(こご)に變化してゆくに連れて、何かしら僕に重大な事を尋ね度(た)がつてゐるらしい氣(け)はひを感じてゐたが、果して……果してと氣が付くと、油斷なく腹構へをしながら冷たいビールをグツと飮んだ。

[やぶちゃん注:●「合(あひ)の子語(こご)」女将が、妙に仄かに艶めいて親しげな感じで、何か独特の、意味深長の響きを以って語りかけてくることを、かく言ったものであろう。]

「ホヽヽヽヽ。そりやあ存じて居りますわ。商賣の方と關係が御座いますからね。今、日本軍の方(かた)が引上げて行(ゆ)かれたら、此(この)店はモウとても……ねえ……さうでせう……」

 僕は深くうなづいた。成る程と氣が付いたので又も赤面した。

「……でもねえ。霹西亞人仲間に云はせると、日本軍は來年の春になつたら立退(たちの)くにきまつてゐるつて……さう云ふのですよ」

「露西亞人つてオスロフがですか」

 今度は女將の方が驚いたらしい。又も、ちよつと顏を赤らめながら衣紋(えもん)をつくろつた。

「ええ。さうなんです。公然の祕密だつて……さう云つておりますけれどね……」

「そんな馬鹿な事は無いでせう。今更(いまさら)日本軍が引上げるなんて……」

「……ねえ……さうでせう。兵營の設計もチヤント出來てゐるし、飛行機の着陸場(ちやくりくば)も松花江の近くのどこかに買つて在るつて云ふお話でせう」

「それは誰が話したのですか」

「ホヽヽヽヽ。でもほんたうでせう」

「えゝ。僕もその圖面つて云ふのを曹長に見せて貰つたんですが……若(も)しや星黑さんが話したんぢや無いでせうか……こゝで……」

 此の質問は僕としては餘りに不謹愼であつた。僕の探偵的興味が如何に高潮してゐたとは云へ、まだ女將が知つてゐないかも知れない……と同時に知つてゐるとすれば尚更(なほさら)危險な十五萬圓事件の急所を、曝露したも同樣な質問をこゝで發したのは、あまりに無鐵砲であつた。……と直ぐに氣が付いたがモウ遲かつた。

 ……女將は僕の言葉が終らぬうちにサツと顏色を變へた。眼をマン丸にして僕の顏を凝視したが、間もなく大きな瞬きを二つ三つしたと思ふと、見る見るうつむき勝ちになつて、左右の耳朶(みゝたぼ)をポツと染めた。

「えゝ。さうなんです。ですけど此の事ばかりは後生ですから内密(ないしよ)にしといて下さいましね。ドンナお禮でも致しますから……星黑さんばかりぢやありません……妾(わたし)を……可哀想そうと思(おぼ)し召して……」

 女將(ぢよしやう)は顏も得上(えあ)げないまま螺鈿(らでん)の卓子(テーブル)の上に石竹色(せきちくいろ)の指を並べた。前髮が卓子(テーブル)の平面にクツつく程お辭儀をしたが、その神妙らしい婀娜々々(あだあだ)しい技巧には又も舌を捲いて感心させられた。

[やぶちゃん注:●「女將(ぢよしやう)」ここまで「おかみ」であったものの特異点のルビである。この後は「おかみ」にまた戻る。但し、この時代のルビは校正係の担当範囲であったから、単なる誤植の可能性も高いとは言える。しかし、話柄の流れからは確かにここは一種の特異点ではあるのである。 ●「石竹色」ナデシコ科の植物セキチク(ナデシコ目ナデシコ科ナデシコ属セキチク Dianthus chinensis )花のような淡い赤色。ウィキの「石竹色」によれば、『セキチクは中国原産種でおもに観賞用に栽培され、その花は赤や白やそれらの色を組み合わせた模様など多くの種類が存在するが、色名としては桃色に近い花の色のことをさす。撫子色、ピンクととほぼ同じ色合いであり、同様の語源を持つ。英語ではチャイニーズピンク(Chinese pink)という』とある。この色である。]

 しかし幾分、麥酒が廻つてゐたせゐでもあつたらう。愚(おろか)にも僕は女將(おかみ)のかうしたデリケートな技巧を、さほど重大に考へなかつた。

(後から思ひ合はせると此の時に女將は、何處かに隱して在つた呼鈴(よびりん)の釦(ボタン)を押したに違ひないであつたが、それさへも此時には氣づかなかつた)たゞ相手に事件の内容を感付かせないまま圖星(づぼし)? を指し得たもの……とばかり考へてゐたので、多少の誇りに滿たされながら輕く頭を下げた樣に思ふ。

「……ハハハ……心配しなくともいゝですよ。僕等の眼にはゐる位(くらゐ)のことなら祕密でも何でも無いにきまつて居ますからね。……しかし星黑さんはシヨツチウ此方(こちら)へ來ましたか」

「えゝ。ほんの時々ですけど……」

「十梨君と一緒にですか」

「…………」

 女將は返事をしなかつた。ちやうどその時に最前の小娘が扉(ドア)から覗いたので、女將は何かしらうなづきながら立上つた。

  「……あの……ちよつと失禮を……」

 といふうちにパタパタと逃げるやうな足音が、重たい扉(ドア)で遮られてしまつた。

 僕はホンノリとした頰を兩手で押へた。今更のやうにフハフハする椅子の中に反(そ)りかへつてノウノウと伸びを一つした。久し振りに飮んだせいか麥酒が恐ろしく利(き)いてしまつて、何も考へる事が出來なくなつた。モウこの上に女將から事件の眞相を探り出す方法は無いものかと焦躁(あせ)りながらも、首のつけ根を通る動脈の音がゾツキゾツキと鳴るのを聞いてゐるばかりであつた。あんまり醉つたので若しや麻醉をかけられたんぢや無いか……なぞと馬鹿々々しい事を考へてゐるうちに何時の間にかホントウに眠り込んでしまつたらしい。

 扉(ドア)の開(あ)いた音で眼を醒ますと、女將がお盆の上に紙布(かみきれ)を載せながらニコニコしてはいつて來た。

「どうもお待たせしまして……阪見が先(さき)から先(さき)に廻つて居たものですから……どうぞ司令部の方(かた)によろしく……」

 僕も慌てゝ眼をコスリながら跳ね起きた。

「ヤ……どうも……」

 と頭を下げながら腕時計を見ると三時半近くになつてゐる。先刻(さつき)から二時間餘りも睡(ねむ)つてゐた譯だ。

「ホヽヽヽヽ御迷惑でしたわねえ。司令部へお電話して置きませうか。阪見が居ないので、お引止(ひきと)めしましたわけを……」

「ハア。どうか……イヤ。司令部から電話が掛つたら、さう云つといて下さい。それでいゝです……」

 と云つて女將が差出す紙包みを極力押し除(の)けながら靴カバーを除(と)るなり逃げる樣に表へ飛出した。

 ……イヤ大失敗々々。搜索本部へ歸つたら曹長に大眼玉を喰(く)ふかも知れないぞ。酒と女に心許(こゝろゆる)すな……か。イヤ大失敗々々……。」

[やぶちゃん注:●二箇所の「大失敗々々」の「々」はママ。「全集」では孰れも『大失敗、大失敗』となっている。]

云ふ中にも僕は狼狽して帶皮を締め直した。

「……失禮ですけど……これはお小遣ひに……」

 と微苦笑(びくせう)しいしい麥酒の醉ひを醒ますべく帽子を脱いでは汗を拭き拭きした。

 處がこの時に演じてゐた僕の失敗はソンナ淺墓(あさはか)なものではなかつた。銀月の應接間でウツカリ洩らした僕の一言(ごん)が、それからタワイもなく居眠りしてゐる間に驚くべき事件を誘發して、東亞の政局の中心にグングンと展開してゐた……それを夢にも思ひ知らないまゝ西日にさゆらぐ楡並木の下をセツセと司令部の方向に急いでゐるのであつた。

 僕はセントランの階段を大急ぎで二階(かい)へ駈け上つた。今一度帽子を冠(かぶ)り直しながら、搜索本部の扉(ドア)をノツクしてみたが誰も返事をしない。

 僕はチヨツト變に思つた。

 思ひ切つて扉(ドア)を開いてみると誰も居ない。……オヤ……と思つて司令部に引返してみるとここにはチヤント鍵がかかつて居る。鍵穴へ耳を當ててみたがシイーンとしてゐて咳拂ひ一つ聞えない。又……オヤと思はせられた。平生(いつも)より一時間以上早く引けて居る。

 三階(がい)へ駈け上つてみると將校以下、下士官の部屋まで一つ殘らずガラ空きになつてゐた。

 僕はその時に何かしら胸騷ぎがした。星黑主計が捕まつたにしては少し樣子が變だが……もしかすると夫れ以上の大事件では無いかと氣が付いたので、そのまゝ一階へ駈け降りて、玄關の入口に立つてゐる○○連隊の歩哨(ほせう)に樣子を問ひ訊(たゞ)してみると、歩哨も何かしら不安を感じてゐるらしく、妙な顏をしながら眼をパチパチさせた。

「……イヤ。俺は何も知らない。しかし司令部の樣子は、すこし可怪(をか)しい樣だ。……何でも俺の前の前の一時の歩哨が立つて居るうちに此の箱(歩哨の背後二、三歩(ぽ)の街路に面した壁に取りつけて在るセントラン專用の郵便受箱)の中から當番係(たうばんがかり)の上等兵が取出した手紙の中に、一通妙なものが混つてゐた。赤い露西亞活字で裏書した、白い大きな西洋封筒で、郵便切手が一枚も貼つて無いのに郵税不足(いうぜいふそく)にもなつてゐないので上等兵は歩哨に見せて「何だらう」……と話し合つた。多分ゾロゾロ通つてゐる毛唐(けたう)の中の一人が、歩哨の氣づかないうちに投げ込んで行つたものだらう。

 ……ところで上等兵に洋文字は苦手だつたらしい。階段の上を通りかかつた雇人頭(やとひにんがしら)のコサツク軍曹を、歩哨の處へ呼び下(おろ)して讀んで貰ふと「日本軍司令部御中」とだけ書いて發信人の名前が書いて無いことがわかつた。すると又ちやうど其處へ、何處からか歸つて來た憲兵中尉が二人の背後から「何だ」と云つて覗き込んだので、二人は慌てて敬禮した序(ついで)に、その封筒を見せたものださうな。

 ……何氣なく受取つた憲兵中尉はスラスラと上書(うはがき)を讀みながら、「フン。又何かの廣告だらう」と云ひ云ひ無茶作に封を切つたさうだ。ところが、その中に這入つてゐる靑い露西亞文字の奧の方をチラリと見ると中尉の顏色が少々變(へん)テコになつて來た。慌ててその手紙を握り潰したまゝ、默つて二階に駈け上つてしまつたさうだが、それから急傳令(きふでんれい)が二三人どこかへ飛んだと思ふと、上等兵を殘した當番卒の全部が召集された。さうしてその當番卒と一緒に、何かしら書類の包みらしいのを手に手に持つた司令部の連中が、愉快さうに笑つてゐる旅團參謀を先に立てながら出て行つた……といふ話だが、詳しい事情は知らない。みんな「何だらう。何だらう」と不思議がつてはゐるが、未だにその手紙の正體は判然(わか)らずに居る。しかし、そのうちに當番連中が歸つて來たらアラカタ樣子がわかるだらう。

[やぶちゃん注:●「旅團參謀」「全集」では『旅団副官』となっている。変えた意味は不明。識者の御教授を乞う。]

 ……そのほかに變つた事は一つも聞かない。……ウン……それからチヨツとした事だけれども、その後で立つた二時の歩哨が俺と交代するヂキ前の事だつたと云ふ。停車場(ていしやじやう)の方からこつちへ曲り込んで來た一臺の立派なタクシーが、向うの辻(キタイスカヤとヤムスカヤの交會點)の眞中で故障を起してしまつた。猛烈なプロペラみたいな爆音と一緒に、眞白な煙を吹き出してへタバツたので、通りがゝりの人が皆(みな)立ち止まつて見物した。するとその中から旅行服、(狩獵服の見誤り?)に黑のハンチングを冠(かぶ)つた背の高い紳士が一人、片手に新聞を持つて出て來たが、それと一緒に見物人の中で帽子を脱ぐ者がチラホラ居たので、變に思つてよく見ると、それは久しく姿を見せなかつたオスロフだつた。……オスロフはニコニコ顏で答禮しながら運轉手に金をやると、自分で鞄を提げて、何か話しかけようとする連中(れんちう)を、手を振つて追ひ退(の)け追ひ退けサツサとセントラルへ這入つて來た。……すると又、そいつを四階(かい)の窓から見て居たらしい、眞白にお化粧をした嬶(かゝあ)と娘が出迎へて、歩哨の前で飛び付いたり嚙(かじ)り付いたり、長い長いキツスをしたりしながら引込んで行つたので、かなりアテられたといふ話だ。しかし往來に立つてゐた連中は、それを笑ひもせずにヂイツと心配さうな顏をして見送つてゐたので歩哨は妙な氣がしたといふが、オスロフはソレキリ出て來ない樣だ……搜索本部の連中も最前から一人も降りて來ないのだから、みんな居ると思つて居たが、何處へ行つたんだらう。

[やぶちゃん注:●「ヤムスカヤ」は最初に司令部の位置の解説にも出てくるのであるがよく分からない。前に紹介した個人サイト「里村欣三ホームページ」の里村の「放浪病者の手記」についての評論「満州小考」にある地図を見ると、キタイスカヤ街は南の端で西北から斜めに走るより大きな街路にぶつかっているのが分かる。最初に上村は「司令部に宛てられた家はキタイスカヤ大通の東南端に近い、ヤムスカヤ街の角に立つてゐる」と記しているから、これはこの交差点よりキタイスカヤ街を入った一本目の横丁の角ということになろうか(ーグル・マップで推定位置を示す)。なお、この司令部は前に示したサイト「みに・ミーの部屋」の「満州写真館 ハルピン 2」に出る、同じキタイスカヤ大通(但し、位置はもっと松花江寄り)にあった見晴らしのよかった松浦洋行の建物がどうもモデルであるような感じがする。下から八枚目のそれを見ると「セントラン」っぽい「中央ホテル」の看板も見える。 ●「セントラル」一貫して「セントラン」であるから、これは誤字か誤植であろう。「全集」では「セントラン」となっている。]

 ……當番係の上等兵が、もちつと前に司令部附(づき)の少尉殿から呼ばれてゐたさうだが、何か知つてゐるかも知れない。聞いてみたまへ。君も宿なしになつちや困るだらう。ハハハ……しかし歩哨の守則(しゆそく)(警戒上の注意事項)は平常(いつも)の通りだから大した事件ぢやないかも知れないよ」

 ……と答へながらモウ一度眼をパチパチさせるばかりであつた。だから僕も仕方なしに要領を得ないまゝ眼をパチパチさせた。さうして今さつき入りがけに歩哨に見せるのを忘れてゐた「公用外出證」を出して見せた……。

 ……僕は此處でもウツカリしてゐたのだ。

 僕がもし此時に、今少し注意深く其處いらを見まはしたら、僕の背後の階段の陰に、此家(ここ)の雇人たちの不安相(ふあんさう)な眼が黑や、靑や、茶色を取りまぜて、憂鬱に光つてゐるのを發見したであらう。……表の往來にひしめくキタイスカヤ特有の夕暮の人出が妙に減少して向家(むかひや)のカボトキン百貨店の黄金色(わうごんしよく)の大扉(おほど)が、今日に限つてピツタリと閉まつてゐるのに氣が付いたであらう……更にモツト以前に歸つて、僕が銀月を出た瞬間から、もう少し注意深く往來を見まはして來たら、此のキタイスカヤを中心とする大通りの辻々に、平服を着た、又は勞働者や支那人に變裝した日本の軍人が三々伍々(ごゝ)と配置されてゐて、その連中の一人が片手を擧げると同時に、辻々が機關銃で封鎖されるといふ、オキマリの非常警戒の準備が出來て居ることを看破(かんぱ)したであらう。……同時に、司令部が立退(たちの)いたのは萬一の場合を警戒したものである事を察し得たであらう。……さうして司令部付(づき)の當番卒の中でタツタ一人その事情を知つて居殘つてゐる上等兵が、わざと寢臺(しんだい)の上に引つくり返つて眠つたふりをしてゐるのに氣付いたであらう。

 しかし遲刻の方にばかり氣を取られてゐた僕は、そんな重大な形勢をミジンも感づかなかつた。それよりも搜索本部が留守になつたお蔭で、豫期してゐた曹長の大眼玉とキンキン聲にぶつからなかつたのを勿怪(もつけ)の幸(さいはひ)にして、帶劍を地下室に解き棄てると、何喰はぬ顏で、空つぽの搜索本部に歸つて來たのは吾ながらおぞましい限りであつた。

 僕はそれから搜索本部の机の上をグルグルと見てまはつた。拳銃(ピストル)と帶劍と帽子がなくなつてゐる巨大な帽子掛を見上げながら、取調(とりしらべ)に關係した書類が、どこかに在りはしないかと探しまわつたが、そんな物は何處に片づけられたものか影も形もなかつた。たゞ市内で賣つてゐる、いゝ加減な案内圖だの、洋食屋の受取だの、二三枚の新聞紙が散らばつてゐる切(き)りであつた。

 僕はガツカリして入口の横の机に歸つた。その中(うち)に連中(れんちう)が歸つて來たら事情が判明するだらうと諦めを付けると、机の上に頰杖を突ゐたまゝ天下泰平の大欠伸を一つした。麥酒の醉ひが醒めかけたせゐであつたらう。女將の媚(なま)めかしい眼付だの、薄い唇だの、日本風の襟化粧(えりげしやう)だの、その上に乘つかつてゐる丸髷の恰好だのを考へてゐるうちに又もグウグウと机の上に寢込んでしまつた。

2015/06/27

苦き時  村山槐多

 

  苦(にが)き時

 

苦き時櫻實(サクランボ)に

赤き血滴たれり

美しき空のうちに

泣聲あり

 

われはひとり歩みたり

新羅の孔雀の如き

美少年も遊べり

薄紫にわがそばをゆき

 

若き櫻實に

汚れたる愁ひあり

美しき空のうちに

泣聲あり

 

われは

ひとり立ちたり

毒多くの寶玉を

この眞晝に光らしたり

泣き濃厚に過ぎたる五月を

 

濃き天   村山槐多

 
 
  濃き天

 

濃き天に

われ聯想するはきらきらと

電光に

照らされし黄金の塔の尖端

 

わが心は大和國ならねども

濃き天には豪奢をちりばめ

數月の都をめぐり

大なる叫び酒杯の如く置く

 

濃き天に

われ身を震はするは

暴君の怒りにふれし

希世の美女が生命の如く

 

ああ五月に

わが心は天平の佛教の如く

きらきらと眩しく

濃き天に震動せり

踊りのあと   村山槐多

 
 
  踊りのあと

 

靄のうち血の如く美しき

提灯の如あかき

あへかなる踊りの君は

踊りつかれて我による

 

踊りつかれて慕はしき

君が肌へわれにふる

晩春の光の刺は

君が肌へをかき破る

 

血の如く美しくして

うれしき踊りは

媚かしき疲れに導かれて

君が肌へをわれに投げかく

 

晩春にともしたる

赤き提灯の明るき

鬼薊の如き紫の

刺の身を刺す痛さ

 

君が汗はわれにのたくり

靄のうちに感動をつたふ

われは君が横顏を見つめたり

かなしみの來るまで恐ろしき戀しさに

 

あへかなる踊りの君は

この眞晝一踊りつかれて

いたましわれによる

なよなよと疲れに醉ひしれて

 

 

[やぶちゃん注:二箇所の「あへかなる」はママ。第五連の最終行は底本では「かなしみの來るまで恐らしき戀しさに」であるが、この「ら」は明らかに「ろ」の原稿の誤字或いは底本の誤植であると断じ(「全集」は無論、「恐ろしき」となっている)、訂した。]

情調   村山槐多

 
 
  情調

 (未來の日本未曾有のわが大戲曲『五色殺載』の參考)

 

櫻より生れし人は賑やかに

五つの町をかたづくり

美しき提灯は晝もなほ

薄くれなひにともしたり

 

樂しげに濕りたる空に鳴けり

小鳥群れなく

寶玉の如めざましき空の豪奢も

たけなはに靑く鳥なく

 

かくて我耳の底には

ぼかしたる音樂を沈めて積みぬ

櫻の町の一人はわれに近より

おもちやにすわが性をひたおもてより

 

街道に人はみなふりかへりつゝ

遠方に銀紙の如く見ゆ

湖は晝なるに燈をともしつゝ

燈ともして船浮びたり

 

すべて我霞に醉ひて

美しき提灯の燈にうき立ちぬ

君が眼は靑く鋭く凄くして

春の日の凝視つづくる。

 

[やぶちゃん注:「薄くれなひ」はママ。]

鬼薊   村山槐多

 

  鬼薊

 

紫の鬼薊

ぼつたりと赤血を落す時

美しき空仰ぎとめどなく

泣きたる狂女あり

 

いつまでかくは泣くぞ

豐かなる五月の外の光は

汝の執拗とその永き涙とを

濡らされて曇るに至らん

 

汝の奇怪なる姿は

赤血に濡れたり

また五月の狂女が泣涕は

耐へがたき殘酷の嬉しさをよぶ

 

ただ鬼薊

紫に人を睨み

とめどなき狂女が涙に

物凄く濡れたり

 

恐ろしき鬼薊

その銀に霞みたる莖(くき)に觸るる時

何故に痛みを出すか

女の毛の如き痛みを

 

かの狂女は哀れに叫ぶ

「鬼薊ゆるせよ」と

物凄き鬼薊そが紫に

ああ血ぞ滴たれる

 

    ○

 

大火ありかく人わめく

櫻咲く春の日中に

いづこぞと人の眼血ばむ

黑けぶりほのかに見ゆる

 

この時にわれは見つめぬ

美しきかよわき君の

靜にも、もの思ふ姿を

狂亂の花の眞中

 

 

[やぶちゃん注:「○」は底本では左右の円周部が少し切れているが、植字のかすれかも知れない(「全集」では、全く異なる「+」の記号が用いられている)。記号の直前の第六連は「全集」では「ああ血ぞ滴たれる。」と句点が打たれており、無論、最終連最終行も「狂亂の花の眞中。」となっている。]

美しき空   村山槐多

  

  美しき空

 

美しき空われに近づきたり

その空はとこしなへに

日にそがひ薄明を保つ

 

微笑なりまた未だ覺めぬ

東海の沖合なり

銀粒をちりばめたり

 

美しき空われに近づきたり

泣かんとすすべての精英は

この空より我を逃る

 

されどすべての犧牲を惜まじ

われはこの空に笛吹き

覺めざるこの空に悦ばん

 

 

氷の涯 夢野久作 (3)

 すこし脱線したやうだ。

 ニーナは十四の年に落魄(らくはく)した兩親に賣り飛ばされて、ネルチンスクから上海へ連れて行かれる處であつた。それを横奪(よこど)りして哈爾賓へ連れて來た無賴漢の手から、又逃げ出したニーナは、キタイスカヤの雜沓の中に走り込むと、向うから來かかつたオスロフの首ツ玉に飛付(とびつ)いて、

「お父さん……

 と出鱈目を絶叫したものだといふ。それから大笑ひの中(うち)にオスロフの養女になつて、語學だの、計算だの、自動車の運轉だのを教はる身分に出世(しゆつせい)したが、酒を飮ませると惡魔のやうな記憶力をあらはすので皆(みな)呆れてゐる。その中でも自動車の運轉はアンマリ上手過ぎて先生のオスロフが膽(きも)を潰すくらい無鐵砲だつたのでこの頃は禁じられてゐたといふ。むろん本人の話だから眞實(ほんとう)らしい。事實、酒を飮ませるとステキな才能と美しさを發揮する。雀斑(そばかす)までも消え薄れて氣がつかなくなるのだから……

[やぶちゃん注:「ネルチンスク」(Нерчинск)はロシア連邦ザバイカリエ地方のシベリア鉄道の都市で、チタの東三百五キロメートル、バイカル湖の東六百四十四キロメートルにあり、直線距離でハルピンの北西ジャスト千キロメートルの位置にある。]

 又、脱線しかけた。

 旅行勝ちなオスロフの留守中、司令部の上の四階には、そのお婆さんと妻君とニーナの三人が、居るか居ないか解らない位(くらゐ)ヒツソリと暮してゐた。もつともその中でニーナだけは特別であつた。彼女は所謂、少女病(せうぢよびやう)の傾向に陷り易い無邪氣な司令部の將校や下士連中(れんちう)に引張凧(ひつぱりだこ)にされてゐたので、いつもスラブ式の垂髮(おさげ)を肩の左右に垂らして、コツソリとお酒を飮んでは、三階の居室から、二階の事務室の間を、木戸御免式(きどごめんしき)の自由自在に飛び廻つてゐた。尤も誰かに戒(いまし)められてゐたらしく、二階から下へは滅多に降りて行(ゆ)かなかつたので、兵隊連中(れんちう)にはあまり評判がよくなかつた。……「あれあタヾの女ぢないぜ」……なぞと陰口を云ふ者もゐたが、併し、彼女がドンナ意味の只(たゞ)の女ぢやないかを知つて居る者は一人(ひとり)も居なかつた樣(やう)だ。

 それから次は問題の屋上であるが、これは一面に平べつたい展望臺になつてゐた。時々散歩に行つてみると中央の四本の煙突を包み圍んだ四角い裝飾煉瓦(さうしよくれんぐわ)を中心にした黑タイル張の平面に、色々な形の大小の植木鉢が、何百何十となく並んでゐた。しかもそれが皆、仙人掌(サボテン)の鉢はかりで一々番號札が付いてゐた。これは當時こゝいらで大流行をしてゐたもので、ニーナからせがまれるまにまにオスロフが買ひ集めて遣(や)つたものだと云ふ。ニーナは勉強や毛糸細工(ざいく)に飽きると、直ぐこの屋上に出て來て、小さなバケツに水を汲んで支那筆(しなふで)を濕(しめ)しながら、そんな仙人掌の一つ一つにたかつてゐる滿州特有のホコリを拂つて遣(や)る。それから大通りに面した木製の棚の上に毎日毎日並べ換えへてやるのであつた。

 しかし僕がよくその展望臺に行つたのはニーナを見る爲ではなかつた。ニーナは、此家(ここ)へ來た初めにタツタ一度、階段でスレ違ひさまに「ズアラスウヰツチ」と挨拶をしたら、ジロリと僕の顏を睨んだきり、返事もしないで逃げ降りて行つたから、ソレ以來、行き會つても知らん顏をすることにきめた位(くらゐ)だ。耳だけ發達してゐる僕の露西亞語が通じなかつたせいぢや無い。僕の興味を惹く可(べ)くニーナがあまりに小さかつたのだ。のみならず僕がアレ以來一種の女嫌ひになつてゐる事は君も知つてゐる通りだからね……

 僕がよく展望臺へ上(あが)つたのは景色がいゝからであつた。平凡な形容だが、そこから眺めると哈爾賓の全景が一つのパノラマになつて見えた。邪魔になるのは向家(むかひや)のカボトキン百貨店の時計臺だけであつた。

 哈爾賓はさすがに東洋の巴里(パリー)とか北滿(ほくまん)の東京とか云はれるだけあつた。
 
[やぶちゃん注:●「東洋のパリー」主にロシア人によって開かれたハルピンはその美しい街並みから当時は「東洋のモスクワ」「東洋のパリ」と呼ばれた。]
 
 何町(なんちやう)といふ廣い幅でグーツと一直線に引いてある薄茶色の道路からして、日本内地では絶對に見られない痛快な感じをあらはしてゐた。小さな葉を山のように着けた楡(にれ)の大木(たいぼく)が、その左右と中央を三筋も四筋も縱貫してゐる間から、露西亞式の濃艷(のうえん)な花壇がチラチラしてゐる處を見ると、それだけで異國情緒が胸一パイにコミ上げて來る。

 あつち、此方(こつち)に、コンモリとした公園が見える。その間を鐵道線路が何千哩(マイル)にわたる直線や曲線で這ひまはつて、眼の下の停車場(ていしやぢやう)を中心に結ぼれ合つたり解け合つたりしてゐる。その向うにお寺の尖塔がチラチラと光つてゐる。その又はるか向うには洋々たる珈琲〈コーヒー)色の松花江(スンガリー)が、何處(どこ)から來て何處へ行(ゆ)くのかわからない海みたように横たはつてゐる。三千百九十呎(フィート)とか云ふ大鐵橋も見える。その又向うには何千哩かわからない高梁(カウリヤン)と、豆と、玉蜀黍(たうもろこし)の平原が、グルリとした地球の曲線をありのままに露出してゐる。大空と大地とが、あんなにまで廣いものと誰が想像し得よう。司令部の地下室から出てあの景色を見廻すと僕はボーツとなつてしまふのであつた。

[やぶちゃん注:「寺」これはまず、可能性の一つは当時のハルピン(現在の中華人民共和国黒竜江省哈爾浜(ハルビン)市)にあった中央寺院(ニコライエフスキー大寺院であるが、これは文革時代に破壊されて現存しない。サイト「みに・ミーの部屋」の「満州写真館 ハルピン 2」(この写真や解説、同「ハルピン 1」の何とも言えぬ雰囲気を持った絵葉書写真は、本作を読み、それを映像化する上で絶対に必見である!)に詳しく、そこには『ハルピンの絵葉書で必ず登場する中央寺院で、尖った屋根を持つ独特の形状』を成すとあって、『駅前から伸びる主幹道路のロータリーの真ん中にあるためか有名だったようで、多くの写真がのこってい』るとあって、内部の荘厳も贅を極めたものだったらしい(前に引いた「北海道大学附属図書館」公式サイト内のギャラリーにある「ハルピンの景勝:北満洲の都市美」で「哈爾濱中央寺院」の二枚の画像が見られる)。但し、この主人公上村の言い方が、複数の「寺」の尖塔が「チラチラと光つて」見えるというのであれば、リンク先にも書かれているように、当時のハルピンにはこの中央寺院よりも『もっと大きなものは幾つもあ』つたとあるから、現存する旧聖ソフィア大聖堂(中国語「聖索菲亜大教堂」)のそれである可能性もあるか。ウィキの「聖ソフィア大聖堂 ハルビンによれば、旧ロシア正教会の聖堂で、ハルビンを象徴するロシア建築であるが、現在は教会・聖堂としては使用されず、ハルビン建築芸術館として『ハルビンの開拓期の写真をはじめ、絵画、教会堂などの模型が展示されており、観光名所となっている』(一般には「ソフィスカヤ寺院」とも表記されるが、正教会では「寺院」の呼称は用いられないとある)。日露戦争の終戦二年後の一九〇七年三月に『帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建された』。現在のそれは高さ五十三・三五メートル(但し、一九三二年に改築された後の高さ)。『ビザンチン建築の影響を強く受けており、平面がラテン十字形であり』、約二千人が『収容できる規模である。最上階の鐘楼には音の異なる』七つの鐘を有する。『内部の壁は痛みが激しく、色褪せ所々剥落しており古色蒼然たる趣がある。窓ガラスにはステンドグラスは一切使われていない。レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』のレプリカなどが飾られ、豪華なシャンデリアは特に壮大である』とある。

「松花江」(しょうかこう/中国音「ソンホワチアン」)は中国東北部を流れる川で、ウィキの「松花江」によれば、『満州語では松花江は「松阿里鳥喇(スンガリ・ウラー、sunggari ula)」すなわち「天の川」と呼ばれており、この地に入ったロシア人もスンガリ(Сунгари)と呼んだ。第二次世界大戦前の日本、殊に満州国時代の日本人の間でもスンガリ川の名で知られている』。『アムール川最大の支流で、長白山系の最高峰、長白山(朝鮮語名:白頭山)の山頂火口のカルデラ湖(天池)から発し、原始林地帯を貫き吉林省を北西に流れ、吉林省長春の北で伊通河が合流する飲馬河をあわせて松嫩平原に入り、白城市(大安市)で嫩江をあわせて北東に流れを変え』、『しばらく吉林省と黒竜江省の境の東北平原を流れてから黒竜江省に入り、ハルビン市街区のすぐ北を流れる。その後牡丹江などの大きな支流をあわせて三江平原の湿地帯に入り、ロシア国境の黒龍江省同江市付近でアムール川に合流する』。長さは千九百二十七キロメートル、流域面積は二十一万二千平方キロメートルに及ぶ。『冬季は凍結し、春になると雪解け水によって最大流量に達する』とある。

「大鐵橋」これは現在の「濱洲(ひんしゅう)鉄路橋」と呼ばれるもの。「三千百九十呎」は九百七十二・三メートルである。調べて見ると、とある実際に訪れた方の記載に、現在のこの橋は一・五キロメートルほどあると記されてあるのであるが、先の「満州写真館 ハルピン 2」に出る。これは昭和五(一九三〇)年の地図で見ると、少なくとも当時のそれ(橋部分)は本文通り、一キロメートル弱相当に見える。]

 ……スバラシイ虛無の實感……

 其の景色を眺めて居るうちに見當をつけて置ゐた地域を休みの時に散歩するのが又、僕の樂しみの一つであつた。

 十萬の露西亞人は新市街に、三十萬の支那人は傅家甸(フーチヤテン)に、五千足らずの日本人は阜頭區(ふとうく)と云つた風に、それぞれ固まり合つて住んでゐる。其のそれぞれの生活を比較して見るのが、又なかなかの樂しみであつた。キタイスカヤ界隈の傲華(がうくわ)な淫蕩氣分(いんたうきぶん)、傅家甸(フーチヤテン)のアクドい殷賑(にぎやか)さ、ナハロフカの氣味惡い、ダラケた醜怪さ……そんなものが大きな虛無の中に蠢めく色々な蟲の群れか何ぞのように見えた。

[やぶちゃん注:「傅家甸(フーチヤテン)」ハルピンの街区名。これを調べるうち、またしても必見の素晴らしいページを発見した。プロレタリア作家で戦死した里村欣三氏を顕彰する個人サイト「里村欣三ホームページ」の里村の「放浪病者の手記」についての評論満州小考である(くどいが、やはり解説と写真がマジ必見! なお、以下の引用部では「傅家甸」を「傅家甸」とするが、正しいと私が判断する「傅家甸」で統一した)。そこに掲げられた「ハルビン、都市の景観」の二枚の地図を確認されたい。本作に出る地名と位置関係がこれで完全に確認出来る。それによれば、哈爾賓(ハルビン)は、一寒村から二十年後の大正十年代には人口三十万人という『北満随一の大都市に発展したのであるが、その街区は「埠頭区(プリスタン)」「新市街(南崗)」「八区(八站)」「傅家甸」「馬家溝」「ナハロフカ」「香坊(旧哈爾賓)」に分けられる。「傅家甸(フーザテン)」は中国人街で』ある、とある。以下、そこからの孫引きとなるが、塚瀬進著「満州の日本人」(二〇〇四年吉川弘文館刊)によれば(下線はやぶちゃん)、『ハルビンは鉄道駅を中心に新市街(南崗)、埠頭区(道裡)、傅家甸(道外)などの地区からなり、日本人の多くは埠頭区に住んでいた。埠頭区は外国人商人が集まる商業街であり、横浜正金銀行や朝鮮銀行といった金融機関の支店や、三井物産や三菱商事などの支店がある場所であった。またハルビン銀座として有名なキタイスカヤ(中央大街)があり、ロシア情緒を感じる場所でもあった。(中略)傅家甸は喧噪にあふれた中国人街であった。住民の七割は労働者や小売商人といった下層の中国人が占め、市街は不潔であり、ひとたび雨が降れば走路はぬかるみ、歩行は困難を極めた。傅家甸には少ないながらも中国人に混じり奮闘する日本人もいた』とあり、越沢明著「哈爾賓の都市計画」(一九八九年総和社刊)によれば、『プリスタン(埠頭区)のメインストリートはキタイスカヤ(中国大街)であり、モデルンホテル、秋林商会、松浦洋行(松浦商会)などの大型商業建築が軒を並べていた。キタイスカヤに併行する新城大街は1920年以降に発展した商店街で中国人経営の商店が多かった。日本人の商店はモストワヤ(石頭道街)、ウチヤストコワヤ(地段街)、トルゴワヤ(売買街)の一帯に集中していた。商店の看板は各国語で表示され、国際都市としての性格を表していた。裏町は夜は歓楽街となり、ロシア・キャバレーや邦人花街(ロシア官憲により一面街に営業指定区域の許可を得る)、朝鮮人遊郭(柳町)などが集積していた』とあり、同書によれば、『新市街(南崗)と馬家溝は緑豊かな美しい街で、「鉄道会社の施設・社宅、官庁、各国領事館、兵営」のある「山の手」で』、『中国人は南崗への居住は許されなかったが、プリスタンには商人の居住が認められた。中国人の多くはプリスタン東側の鉄道付属地外に拡がる河畔の沼沢地に居住するようになり、自然発生的に中国人外が形成された。これが後に傅家甸と呼ばれる地区で、鉄道付属地の外にあるため道外とも呼ばれるようになった』。『ナハロフカ(新安埠)はプリスタンの西側隣接地の低湿地であり、白系ロシア人の難民の貧民街であった。(中略)道路も未整備で、木造家屋が立ち並ぶという住環境の悪い地区で』、『香坊は田家焼鍋という中国人集落があった場所で、「哈爾賓誕生の地であり、(中略)旧哈爾賓(スタールイ・ハルピン)と呼ばれ」る』など、本作を味わうに、非常に貴重な当時のハルピン市街の細部を伝えて呉れて、まっこと嬉しい(久作は行ったこともないハルピンをかなり正確に描写していることが分かる)。なお、本文に各地区の人口が出るが、『ハルビンの人口は、戸籍簿もなくまた調査機関も不備なため、資料および時期によって数字が大きく異なる』として、大正一一(一九二二)年の三つのデータが紹介されている。それによると、「哈爾賓乃概念」なる書には、

 ロシア人(十五万五千人)+中国人(十八万三千人)+日本人(三千八百人)

  =計三十四万三千人

とし、『哈爾賓日本商業会議所時報』(第五号・大正十一年五月十五日発行)では、

 ロシア人(五万五千人)+中国人(十九万五千人)+日本人(三千五百四十五人)

  =計二十五万四千人

で、さらに『哈爾賓日本商業会議所時報』(第十一号・大正十一年十一月十五日発行)では、

 ロシア人(八万八千人)+中国人(三十一万五千人)+日本人(三千二百三十九人)

  =計四十四万四千人

とロシア人・中国人とも各十万人もの差がある数字ではあるが、大正十一年のハルビンはほぼ三十万人都市であって、『中国人の増加とロシア人の減少という激しい人口移動が行なわれた都市であった』と述べられ最後に、但し、この大正十年代の三千から三千五百人という『ハルビンの日本人数は「日本人居留民会」下にある人々であって、旅行者等の一時滞在者や不良無頼の徒、阿片やモルヒネを扱う密売商など、この数値を相当に超える日本人がハルビンに居たと思われる』とあるから、久作の、

 ロシア人(十万人)+中国人(三十万人)+日本人(五千人足らず)

  =四十万五千人

という数値もこれ、決していい加減なものではないことが分かる。最後に。ここまでで誤解されている方がいるとまずいので言っておくが、作者夢野久作(本名・杉山直樹)は四十七年の短い生涯の中で一度も日本国外に出たことは、なかった。]

 ところが、そんな處を丹念に見まはつてゐるうちに、その副産物といふ譯ではないが、市中に在る色色な銀行や兩替店(りやうがへてん)の名前、工場、商店、料理屋の大きなもの、劇場、娘子軍(ぢやうしぐん)の巣(す)なぞ云ふものを僕はスツカリ記憶(おぼ)え込んでしまつたので、司令部のお使ひと云ふとすぐに「上村(うへむら)」と指名される位(くらゐ)、重寶がられるやうになつた。そのたんびにイヨイヨ哈爾賓通(ハルピンつう)になつて行つて、貰ひ集めたり買ひ集めたりした古雜誌(ふるざつし)の類が、整頓棚(せいとんだな)と同じ高さになつてゐた。……退屈な、話相手もない、兵卒の中の變り種である文學靑年の僕に取つては、讀書以外の何の慰安もなかつたので……

[やぶちゃん注:「娘子軍」娼婦たち(集団)を表わす隠語。ここは所謂、日本人街の「からゆきさん」らのそこだけでなく、ロシアや中国人のそうした生業(なりわい)を成している人々の居住区をも指すものと思われる。]

 事實……屋上の展望と散歩を除いた哈爾賓の生活は、僕に取つて退屈以外の何ものでもなかつた。町のスケールが大きければ大きいだけ、印象がアクドければアクドいだけ、それだけ哈爾賓の全體が無意味な空つぽなものに見えた。その中に一直線の道路と、申し合わせたやうなモザイク式花壇を並べてゐる露西亞人のアタマの單調さ、退屈さ、それは吾々日本人に取つて到底想像出來ないくらゐ無意味な飽きつぽいものであつた。その中で毎日毎日判で捺した樣な當番の生活をする僕……眺望と、散歩と、讀書以外に樂しみの無い無力な兵卒姿の僕自身を發見する時、僕はいつも僕自身を包んでゐる無限の空間と、無窮の時間を發見しないわけには行(ゆ)かなかつた。宇宙は一つのスバラシク大きな欠伸(あくび)である。さうして僕は其中にチヨツピリした欠伸をしに生まれて來た人間である……といふ事實をシミジミと肯定しないわけに行(ゆ)かなかつた。

 處(ところ)が九月初旬の何日であつたか。丁度月曜日だつたから、僕達が司令部にはいつてから五週間目だつたと思ふ。その不可抗的に大きな退屈を少しばかり破るに足る 事件が持ち上つた。むろんそれは最初のうち僕自身にだけサウ感じられたので、事實はトテモ大きい……西比利亞から北滿へかけての政局と戰局に、重大關係を及ぼすほどの事件の導火線だつたことが後(あと)になつてから首肯(うなづ)かれた。

[やぶちゃん注:「九月初旬の何日であつたか。丁度月曜日だつたから、僕達が司令部にはいつてから五週間目だつたと思ふ」本作品内時間は大正九(一九二〇)年であるから、カレンダーを見る限り、九月六日の月曜と思われる(次の月曜は十三日で最早初旬ではない)。従って、彼がハルピンの日本陸軍司令部に着任したのは、八月の第一週目であったことが分かる。]

 それは經理室附きの星黑(ほしぐろ)といふ○○主計が公金十五萬圓を搔泄(かつさら)つて、同じ司令部附きの十梨(となし)といふ通譯と一緒に逃亡した事件であつた。

[やぶちゃん注:○○主計」「全集」では『二等主計』となっている。 「搔泄(かつさら)つて」「全集」では「かっぱらって」となっている。]

 さうした事實が發覺したのは月曜日の午前中であつたが、取調べの結果判明したところによると、星黑主計が朝鮮銀行の支店から金を引出したのは土曜日の午前中であつた。それから何喰はぬ顏で經理部へ來て、平常(いつも)の通り事務を執つてゐたのだから、行衞(ゆくゑ)を晦(くら)ましたのは土曜日の晩から日曜の朝へかけての事らしかつた。なほ帳簿を調べてみると星黑主計は、それまでに千五百圓ばかりの官金を費消して居たと云ふのだから、多分、近いうちに實施の豫定になつてゐる軍經理部の會計檢査を恐れて、毒皿方針(どくざらはうしん)を執る決心をしたものであつたらう。……又、一緒に逃げた十梨通譯は七月の下旬に内地から來た者で、來る匆々(さうさう)からホルワツト將軍の手記を飜譯(ほんやく)させられてゐたものだといふ。そのうちに星黑主計とも懇意になつたらしく、よく一緒に何處かへ飮みに行く姿を見かけたものであるが、それが日曜の朝からプツツリ姿を見せなくなつたのでテツキリ共犯と睨(にら)まれてしまつたものである。……二人とも戰鬪員では無いので軍人精神が薄弱である。おまけに舊式露人(ろじん)の豪華な生活や、在留邦人の放縱な交際紅接する機會が多かつた關係から、コンナ墮落した心理狀態に陷つたものであらう……と將校連中(れんぢう)は云つてゐた。

[やぶちゃん注:「毒皿方針」老婆心乍ら、毒を食らわば皿まで、一旦、悪に手を染めたからには最後まで悪に徹しよう、というやり方である。]

 しかし、かうした憤慨は將校連中(れんぢう)よりも兵卒の方が非道(ひど)かつた。この時の戰爭の特徴として、何處を當てどもなく戰爭して來てゐるやうなタヨリない、荒(すさ)んだ氣持ちに兵隊達は皆(みな)なつてゐる處であつた。その癖、相手は何時何處でドンナ無茶を始めるかわからないパルチザンや土匪(どひ)と來てゐるのだから、何の事はない、一種の人間狩(にんげんがり)みたやうなモノスゴイ氣持ちで毎日毎日ウズウズしてゐる兵隊連中(れんぢう)であつた。そこへ思ひがけないハツキリした賣國奴同然の奴(やつ)が、二人も揃つて、味方の中から飛び出したのだからたまらない。上官だらうが何だらうが構はない。見付け次第にノちまへと云つた調子でトテモ素晴らしいセンセイシヨンを捲起(まきおこ)したものであつた。

[やぶちゃん注:「土匪」匪賊。老婆心乍ら、土着民の中で武装して集団となって略奪や暴行を行っていた賊の意であるが、特に近代史上の日本語では近代中国に於ける中国人の非正規武装集団を広く指した。]

 むろん司令部は大狼狽であつた。事件の發覺した朝のこと、僕たちがまだ何の事か判らないまゝ、眼の色を變へて出入りする特務機關所屬の參謀や、憲兵や、銀行員らしいものの顏を茫然と見まはしてゐるうちに、當番係(たうばんがかり)の上等兵が降りて來て、三階の眞中の一室に積上(つみあ)げられてゐる夥(おびたゞ)しい椅子を十個だけ殘して、あとを全部四階の大舞踏室(だいぶたふしつ)へ持つて行けと命令を下した。さうしてそのアトに急設された搜索本部(假りにさう云つて置く)に六人の憲兵がドカドカと詰めかけて來た。上席が中尉で、左右に曹長と伍長、そのはかに上等兵が三名で合計六名であつたが、みんな腕ツコキの連中(れんぢう)といふ評判であつた。

[やぶちゃん注:以下、底本では一行空き。]

氷の涯 夢野久作 (2)

 日本は現在(大正九年)歐州大戰の影響を受けて西比利亞(シベリア)に出兵してゐる。同時に北滿(ほくまん)守備といふ名目で○個○團の軍隊が哈爾賓に駐劄(ちゆうさつ)してゐる。その中で歩兵第○○○聯隊第二中隊に屬する上等兵一名を入れた七名の兵卒が、キタイスカヤに在る〇〇司令部に當番卒として、去年(大正八年)の八月に派遣された。その中に僕は居たのだ。

[やぶちゃん注:●「シベリア出兵」以下、非常に長くなるが、ウィキの「シベリア出兵」から引く。当時の派兵兵士の現状を知ることが、本作のロケーションを極めて鮮やかに描き出して呉れるからである。ともかくも騙されたと思ってお読みあれ(アラビア数字を漢数字にし、記号の一部を省略変更、段落は省略した)。一九一八(大正七)年から一九二二(大正十一)年までの間に、『連合国(大日本帝国・イギリス帝国・アメリカ合衆国・フランス・イタリアなど)が「革命軍によって囚われたチェコ軍団を救出する」という大義名分でシベリアに出兵した、ロシア革命に対する干渉戦争の一つ』。『日本は兵力七万三千人(総数)、四億三千八百五十九万円から約九億円(当時)という巨額の戦費を投入。三千三百三十三人から五千人の死者を出し』て撤退した(兵力投入はアメリカ約八千人、イギリス千五百人、イタリア千四百人と比すれば差は歴然)。『ソビエト・ロシア側の兵力・死者・損害は現在まで不明』であるが、尼港事件(ニコラエフスクで発生した赤軍パルチザンによる大規模な住民虐殺事件。パルチザン部隊四千三百名が占領、ニコラエフスク住民に対する略奪・処刑を行うとともに日本軍守備隊に武器引渡を要求、これに対して決起した日本軍守備隊を中国海軍と共同で殲滅すると、老若男女の別なく数千人の市民を虐殺した。殺された住人は総人口のおよそ半分の六千名を超えるともいわれ、日本人居留民・日本領事一家・駐留日本軍守備隊を含んでいたため、国際的批判を浴びた。ここはウィキの「尼港事件」に拠った)前後には『五千名以上が殺害されたとされ』、『また別資料では、死傷者八万人、六億ルーブル以上の被害とされる』とある。その後、一九二一(大正十)年『のワシントン会議開催時点で出兵を続けていたのは日本だけであった。会議のなかで、全権であった加藤友三郎海軍大臣が、条件が整い次第、日本も撤兵することを約束した。こののち内閣総理大臣となった加藤は一九二二年六月二十三日の閣議で、この年の十月末日までの沿海州からの撤兵方針を決定し、翌日、日本政府声明として発表。撤兵は予定通り進められた』とある。さて、問題はその現地での実情である。『日本軍は出兵当初から「露国領土の保全」と「内政不干渉」を謳った「一九一八年八月二日布告」の普及に努めたが、ロシア人住民の対日感情が芳しくないことを熟知すると、日本国内の宗教団体を利用する方式を採用し、日本正教会と西本願寺に白羽の矢が立った。前者からは、三井道朗、森田亮、瀬沼烙三郎、石川喜三郎、計四名の神父、後者からはウラジヴォストークの西本願寺布教場の大田覚眠師が工作員に指名された。彼らの活動内容を伝える資料としては、外務次官・幣原喜重郎から陸軍次官・山田隆一に宛てた通牒(一九一八年八月二十二日付)などがある。そこには「表面全然政府ト関係ナキ体裁」をとることなど、工作を実施する上での規定が詳細に記されている。日本軍特務機関および総領事と緊密な関係を保ちつつ、森田と瀬沼はウラジヴォストーク方面を中心に活動し、三井と石川は北満州・ザバイカル州方面、さらにはチタからイルクールクまで足を伸ばした。後者は遊説の傍らハルビンで購入した食料品や日用品の廉売に従事したとされる。西本願寺の大田もウラジヴォストークで宣撫活動に従事。しかし一九一九年頃まで続いた活動の成果は芳しくなかったとされる』。以下、「現地における日本軍将兵の実態」の項より。『一般兵士の間では戦争目的が曖昧だったことから、日本軍の士気は低調で、軍紀も頽廃していた。この現象は鉄道で戦地へ移動する段階から既に見られた』(以下、引用。引用文は恣意的に正字化し、一部を歴史的仮名遣に訂した)。『一般ニ士氣發揚シアラサルカ如シ 即チ戰爭ノ目的ヲ了解シアラサルノミナラス官費滿州旅行位ノ心得ニテ出征シアルモノ大部ヲ占ムルノ有樣ナリ』(朝鮮軍司令官兵站業務実施報告)『また、チェコ軍救済と称してウスリー鉄道沿いにシマノフカまで前進した日本軍先陣部隊が、その先には「ロシア人しかいないと言はれて引き返し」、その後再び前線に送り出されるという「滑稽な一幕」もあったという。士官・幹部も同様で、ウラジヴォストークの某参謀将校が毎日「裸踊り」の観覧にうつつを抜かしていたことについての報告が残っている。戦線が泥沼化した一九二〇』(大正九年。なお、以下の引用文も恣意的に正字化した)『年の段階でも同地の派遣軍首脳部は「三井、三菱に出入りして、玉突きや碁將棋に日を消し」ており、少壮将校は「酒樓に遊蕩」していたとされる。このような状況を、匿名の投書で告発する兵士も出現した。黒竜会の機関紙『亜細亜時論』へ投書された告発書は、その内容ゆえに公表が一時憚られたが、「改革カ亡國カ 隊改良ニ關スル絶叫書」(以下「絶叫書」と略記)なるタイトルが付され「極祕トシテ當路扱ヒ少數識者ノ間ニ頒ツ」(同序文)こととされた(外務省記録、「出兵及撤兵」)。同「絶叫書」の内容は全八節からなる長大なものだった。以下内容の一部を紹介する。「軍紀頽廢ノ實例」の節は、さらに「(イ)敬禮ヲ避ケル」「(ロ)社會主義ノ氣分漲ル」「(ハ)殆ド盗ヲナサザルモノナシ」「(ニ)計手ハ皆泥棒」「(ホ)歩哨ノ無價値」の各小節に分かれている。(ハ)の項では、村の民家から鵞鳥・鶏・豚・牛を盗んでは食べる兵士の不品行を糾弾している。このような事態を派遣軍司令部も把握しており、当時兵士に配布されていた「兵士ノ心得」にも不法行為を禁止する戒めの言葉が記されていたが、全く効果はなかったとされる。ロシア側の資料にも日本軍兵士による不法行為についての報告がある(「日本兵の亡狀 州里驛より中東鐡道に達せる報告に日本兵は薪及鷄類を窃み又驛員其他の家屋に押入りて婦人を辱めたり」)。また、同「絶叫書」中「最高幹部の非常識」の項では、匿名投書子は大井師団長がブラゴヴェンシチェンスク市へ入ったときにロシア人住民に対して取った「敗戰國ノ住民ニ對スル」ような態度を糾弾している。「(ロ)社會主義ノ氣分漲ル」項目では、敵=過激派による感化の事実などではなく、無知な靑年将校が理屈に合わない無茶なことを命令し、兵士を叱り飛ばす。これに少しでも不満を漏らそうものなら、すぐ「社會主義」だと決めつけ、のけものにするとし、指揮官の兵隊に対する非人間的な扱いと、それに起因する不満の鬱積を指摘している。治安当局は「過激派」による「危險思想」の伝播にも神経を尖らせており、帰還兵士の言動にも厳重な監視の目を光らせた(軍も独自に調査を行ったとされる)が、治安当局が作成した内偵資料「祕 歸還兵ノ言動」では、「危險思想」浸潤の事実よりも、将校・下士官の横暴な振る舞いを指摘する内容が圧倒的多数を占めたとされる。また一方で、将校は「戰地」では「常ニ部下ノ機嫌ヲ取ツテ居ル」という声も相当数見られる。同資料によれば、戦地では将校は「歩兵隊式」と呼ばれた結党を伴う仕返し、集団的実力行使を恐れたからだとされる。たとえば、歩兵第七十二連隊の某帰還兵士の証言によれば、第二中隊では「中隊長ハ下士以下ニ對シテ壓制ナリ」として「下士以下全員著劍シ中隊事務室ニ押掛ケ」中隊長に詫びを入れさせたとされる。また、第一中隊では平素傲慢な態度をとる特務曹長が、機関銃隊では中隊長が、それぞれ「歩兵隊式」の洗礼をうけ全治一ヶ月の重傷を負った。いずれもウラジヴォストーク滞在中の事件だが、だからその程度で済んだ、と某帰還兵はつけ加える。「戰場ナラ彼等ハ命幾何アツテモ足ラン 彈丸ハ向フヘバカリ飛バンカラ」。戦線が泥沼化した一九二〇年頃には、前線の兵士は一日も早い帰国を望むようになったとされる(「他國の黨派添爭ひに干渉して人命財産を損する、馬鹿馬鹿しき限りなり」)』。一方、以下は「白色テロへの日本軍の幇助」の項。『ロシア語学者の八杉貞利(当時、東京外国語学校教授)は、一九二〇年七月二十八日、アムール・ウスリー旅行を企てた。同旅行中の日記はシベリア戦争下の現地状況について記されており、その中には日本軍の白色テロに対する幇助の模様も含まれている』(以下の引用は恣意的に正字化した。一部を歴史的仮名遣に訂した)。『日本下級軍人が、所謂殊勲の恩賞に預からんがために、而して他の實際討伐に從軍せる者を羨みて、敵無き所に事を起こし、無害の良民を慘殺する等の擧に出ること。而して「我部下は事無き故可哀相なり、何かやらせん」と豪語する中隊長あり』。『また、別の駅では以下の話を耳にする』。『目下過激派の俘虜百名あり、漸次に解放したる殘りにて、最も首謀と認めたるものは殺しつつあり、之を「ニコラエフスク行き」と唱えつつありといふ』。更に、『各駅は日本兵によりて守備せらる。(中略)視察に來られる某少佐に對してシマコーフカ驛の一少尉が種々説明しつつありしところを傍聽すれば、目下も列車には常に過激派の密偵あり、列車着すれば第一に降り來たり注意する動作にて直ちに判明する故、常に捕らへて斬首その他の方法にて殺しつつあり、而して死骸は常に機關車内にて火葬す。半殺しにして無理に押し込みたることもあり。或時は両驛間を夜間機關車を幾囘となく往復せしめて燒きたることあり。隨分首切りたりなど、大得意に聲高に物語るを聞く。而して報告は、單に抵抗せし故銃殺せりとする也といふ。浦鹽にて聞きたることの僞ならぬをも確かめ得て、また言の出るところを知らず』とあって、もの凄いの一言に尽きる夢野久作も吃驚の猟奇頽廃何でもアリの地獄であったことが分かるのである。 ●「○個○團」「全集」では『○個旅團』。 ●「〇〇司令部」「全集」では『派遣軍司令部』で、前のも含めて、恐らく夢野自身が当局の検閲を意識して、もともと施してあった伏字であったものの、遠慮する必要のないことが分かって戻したものであろう。●「キタイスカヤ」ハルピン(現行の繁体字表記では「哈爾濱」)の中央大通街の旧名。「北海道大学附属図書館」公式サイト内のギャラリーにある「哈爾中央大街舊名キタイスカヤ街」で画像が見られる。]

 司令部に宛てられた家はキタイスカヤ大通の東南端に近い、ヤムスカヤ街の角に立つてゐる堂々たる赤煉瓦(れんぐわ)四階建の舊式建築で、以前はセントランニヤといふ一流の旅館だつたといふ。在留邦人は略してセントラン、セントランと呼んでゐるさうな。地下室が當番卒や雇人(やとひにん)の部屋と倉庫。一階が調理室、食堂、玄關の廣土間(ひろどま)等(とう)。その上の二階が本部、經理部なぞ云ふ色々な事務室、三階(がい)が將校や下士の居室、その上の四階(かい)の全部が此家(このいへ)の所有主のオスロフといふ露西亞人(ロシアじん)と其家族の部屋になつてゐた。

 ところで最初から暴露して置くが、此オスロフといふ家主(やぬし)と、其家族は、此事件の隱れた犧牲者だつたのだ。僕の罪名を彌(いや)が上にも重くすべく一家揃つて犬死にしたといふ世にも哀れな人間達だつたのだ。だから此處で些(すこ)しばかり、その家族について印象さして貰ゐ度いのだ。矢張り此事件に大關係のある屋上庭園の光景と一緒に……。

 オスロフは黑い鬚を顏一面に生やした六尺五六寸もある巨漢であつた。碧(あを)い無表情な眼をキヨイトンと見開いてゐる風付(ふうつ)きが、いかにも純粹のスラブらしかつた。いつも茶色がゝつた狩獵服や、靑いコール天(てん)の旅行服を着込んで、堂々と司令部に出たり這入(はひ)つたりしてゐた。さうかと思ふとバツタリ姿を見せなかつたりしたので、最初のうちは何處かの御用商人かと思つてゐたが、どうしてどうして極東露西亞に於ける屈指の陰謀政治家といふ事がその内にだんだんと首肯(しゆこう)されて來た。

[やぶちゃん注:●「六尺五六寸」百九十七センチメートルから二メートル。 ●「コール天」コールテン。縦方向に毛羽のある畝(うね)を持った織物であるコーデュロイ(corduroy)のこと。摩擦に強いので洋服地・足袋地等にする。「コーデュロイ」の語源は「王の綱」の意のフランス語である。実際、これは「コール天」とも表記するが、これは「corded(うね織りの)」と「天鵞絨(ビロード)」を合成した語とも、“corded velveteen” (“velveteen”綿製のビロード。べっちん)の略ともいう。]

 第一に驚かされたのは彼の居室になつてゐる四階の立派さであつた。多分、以前に一等の客室か貴賓室に宛てゝゐたものであつたらう。大理石とマホガニーずくめの莊重典麗を極めたもので、閉め切つてある大舞踏主なぞを隙見(すきみ)してみると、露西亞一流の、眞紅と黄金ずくめの眼も眩むやうな裝飾であつた。

 哈爾賓市中の商人といふ商人は皆、彼にお辭儀をしてゐた。中には、わざわざ店を飛び出して通りがゝりの彼と握手しに來る者もゐた。この邊一流の無賴漢や、馬賊の頭目と呼ばれてゐる連中(れんぢう)なぞも裏階段からコソコソ出入りしてゐた一方に、彼が銀月といふ料理屋で開く招宴(せうえん)には、日本軍の○○團長○○中將閣下も出席しなければならなかつたらしい。

[やぶちゃん注:●「日本軍の○○團長○○中將閣下」「全集」では『日本軍の司令官新納(にいろ)中將閣下』となっている。]

 彼は別に大した財産を持つてゐなかつたが、金を作ることには妙を得てゐたといふ。のみならず持つて生まれた度胸と雄辨で、日米露支の大立物を、片端(かたつぱし)から煙(けむ)に卷いて隱然たる勢力を張りつゝ、白軍のセミヨノフ、ホルワツトの兩將軍を左右の腕のやうに使つて、西比利亞王國の建設を計畫してゐたものださうな。自分の所有家屋を、軍隊經理と同價格の賄付(まかなひつ)きで、日本軍司令部に提供したのも、さうした仕事について日本軍と白軍の連絡を取るのに便利だからと云つて、進んで日本軍當局に要請したものであつたと云ふ。

[やぶちゃん注:●「白軍のセミヨノフ、ホルワツトの兩將軍」無論、ここまでの日本軍人の名は架空のものであるが、この二人は実在した人物である。ウィキの「西比利亜自治團」(「シベリアじちだん」と読む)及びそのリンク先によれば、「セミヨノフ」はグリゴリー・ミハイロヴィチ・セミョーノフ(Семёнов, Григорий Михайлович 一八九〇年~一九四六年)でロシア革命当時、ザバイカル・コサック軍(Забайкальское казачье войско)のアタマン(атаман:統領。)であり、極東三州の独占的利権を確立しようとする日本軍参謀本部によって反革命勢力の軍事指揮官に擁立された人物である。ハルビンに於いてシベリア独立を目指し、日本の後援によって沿海州占領を計画した「西比利亜自治團」(団長は哈爾賓東洋大学教授ムスチスラフ・ペトロウィチ・ゴルワチョフ)を「極東政府(臨時全ロシア政府)没落後の代表者」と呼び、ロシア帝国の公金をここに譲渡させようとしたが、失敗しているとあり、「ホルワツト」はその同ウィキの末尾の「関連項目」の項に、似たような如何にも怪しげに『東邦露人大同協会(ホルワット将軍)』とある。]

 ところが此頃になつて又すこし風向きが變つて來たといふ噂も傳はつてゐるやうであつた。

 白軍の軍資金が缺乏した爲に活躍が著しく遲鈍になつた。ホルワツト將軍は、病氣と稱して畠(はたけ)の向うの舊(きう)哈爾賓の邸宅に寢てゐるらしく、彼が行つても容易に面會しない。同時にセミヨノフ將軍も以前(もと)の樣に彼の手許へ通信をよこさなくなつた。それは日本當局が貪慾な兩將軍を支持しなくなつたのに原因してゐるといふ事であつたが、その爲に立場がなくなつた彼は目下躍起となつて日本軍の司令部に喰つてかかつて居るといふ。

[やぶちゃん注:●「以前(もと)」一例と挙げておくが、「全集」は著しくルビが少なく、例えば絶対に読めないこの「もと」などのルビも、ない。久作は非常に当て読みの多い作家である。第一書房版全集はその点でも著しく不備と言わざるを得ない。

「閣下よ。窓から首を出して哈爾賓の街(まち)を見られよ。露國人(ろこくじん)の性格は彼(あ)の通り曲線(きよくせん)を好まないのだ」……と云つて……。

 むろん是は吾々司令部の當番仲間だけが、勤務中に聞き集めた時の綜合だつたから其樣(そん)な噂がドンナ將來を豫告してゐるかは勿論のこと、果して事實かどうかすら保證出來ないのであつたが併し、何にしても哈爾賓を中心にしたオスロフの勢力が大(たい)したものであることは周知の事實であつた。其せゐか司令部の中をチヨコチヨコと歩きまはる日本の將校や兵卒が、彼を見るたんびに仰向けになつて敬禮する恰好が此上もなく貧弱で、滑稽に見えた。

 彼は以上陳(の)べたやうな偉大な勢力を象徴する立派な建物の中に、タツタ三人の家族を養つてゐた。眞白髮(まつしらが)の母親と、瘠せこけた鷲鼻(わしばな)の細君と、それから現在、僕がこの手紙を書いてゐるすぐ横で湯沸器(サモワル)の番をしいしい編物をしてゐるニーナと……。

 ことわつて置くがニーナは決して別嬪(べつぴん)では無い。コルシカ人とジプシーの混血兒(あひのこ)だと自分で云つてゐるが、其せいか身體(からだ)が普通よりズツト小さい。濃いお化粧をすると十四五位(くらゐ)にしか見えない。それでゐて靑い瞳と高い鼻の間が思い切つて狹い細面(ほそおもて)で、おまけに顏一面のヒドイ雀斑(そばかす)だから素顏の時はどうかすると二十二三に見える妖怪(ばけもの)だ。ほんとの年齡(とし)は十九ださうで、ダンスと、手藝と、酒が好きだといふから彼女の云ふ血統は本物だらう。

 性格はわからない。異人種の僕には全くわからないのだ。馬鹿々々しい話だが彼女が平生(いつも)、何を考へて居るのか、彼女の人生觀がドンナものなのか、全く見當が付かないのだ。たゞ是非とも僕と一緒に死に度いと云ふから承知してゐるだけの事だ。さうして此手紙を書いて終(しま)ふまで死ぬのを待つて呉れと云ふと簡單にうなづゐただけで、すぐに落着いて編物を始めて居る女だ。だから僕には解らないのだ。

 死ぬ間際まで平氣で編物をしてゐる女……。

カテゴリ「夢野久作」創始 / 「氷の涯」全文電子化附注 (1)

ブログ・カテゴリ「夢野久作」を突如、創始することにした。

私の偏愛する本邦稀有の猟奇的幻想作家である。

 

「青空文庫」で多くが電子化されているものの、いつまで待っても、私が殊の外偏愛する「氷の涯」が公開されない(2006年からずっと「入力中」のママだ。……ワレ! 人を舐めんなや! ただの電子化に何で9年もかかるんじゃい!)。

 

痺れがビレビレ切れた。

――切れたら自分でやろう。

――それも多分、誰も手掛けないだろう版で

――正字正仮名で

――オリジナルに注を附して、だ。……

 

頭の中で何かのスイッチが入った……

『…………ブウウ――――――ンンン――――――ンンンン………………といふ蜜蜂の唸るやな音』がして來た!……

ヤル気がムズムズわらわら湧き出してキタッツ!!……

 

本作は昭和八(一九三三)年二月刊の『新青年』に発表された。

底本は昭和八(一九三三)年五月十九日春陽堂刊日本小説文庫の単行本「氷の涯」(正字正仮名)を国立国会図書館デジタルライブラリーの画像で視認した。但し、底本は総ルビで五月蠅いから、私が難読或いは読みが振れそう或いは必要と判断したもののみのパラルビとした。踊り字「〱」「〲」は正字化した。傍点は太字とした。私が立ち止まった一部の語についてのみ、当該段落の後に簡単な注を附した。逆に言えば、私にとって達意の語については注さないということである。悪しからず。歴史的仮名遣の誤りも見られるが、そのままとして注記等は施していない。

因みに、私の所持する一九六九年第一書房刊「夢野久作全集」(第三巻所収)の同作と比すると、一部の表記・表現に改稿らしい部分が見られるが、特に大きな箇所を除いては注していない。但し、気になるのは同全集の中島河太郎氏の解題に『単行本所収に際して訂正加筆している』とある点で、この私が底本としている単行本とその全集の表記が異なることから、どうも私の底本としているのは雑誌初出形であると考えてよいようである(そもそも底本は純然たる久作の単行本ではなく、『日本小説文庫』というシリーズ本である)。私は葦書房の西原和海氏の編になる「夢野久作著作集」が全六巻で終わってしまった時、全小説作品をやってくれていたらなぁ、と秘かに残念に思った人間なのである。

 

 

 氷の涯

 

 この遺書(かきおき)を發表するなら、なるべく大正二十年後にして呉れ給へ。今から滿十個(か)年以上後(のち)の事だ。それでも迷惑のかゝる人が居さうだつたら、お願ひだから發表を見合はせて呉れ給へ。

 僕は怖いのだ。現在、背負はされて居る罪名の數々が、たまらなく恐ろしいのだ。萬一君が、僕の寃罪(むじつ)を雪(すゝ)ぐべく、この遺書(ゐしよ)を發表して呉れた場合に、こんなひどい罪に僕を陷れた責任を問はれる人が、一人でも出來てはならないと、そればかりを氣にかけてゐるのだ。そんな人々を僕が怨んでゐるかのやうに思はれるのが、自分の罪科以上にたまらなく辛いのだ。出來る事なら斯樣(こん)な未練がましい手紙なんか書かない方がいい。默つて一切合財の罪を引受けたまゝ死んで行つた方が、却つて氣樂ぢないかとさへ思ってゐる位(くらゐ)だ。

 だから僕はこの事件に關係してゐる人々の氏名や、官職名、建物(たてもの)、道路等(とう)の名稱、地物(ちぶつ)の狀況、方角なぞを、事件の本質に影響しない限り、出來るだけ自分の頭で變裝(カモフラージ)させてゐる。事實の相違や、推移の不自然を笑はれても仕方がない。たゞこの事件を記憶してゐる人々の、さうした記憶を喚び起すだけに止(とゞ)めて居る。さうして僕の此(この)事件に對する責任の程度を明らかにするだけで滿足して居る。……それ程に不愉快な、恐ろしい、驚く可き事件なのだ。

 この事件は最早、内地に傳はつて居るかも知れない。又は依然として嚴祕(げんぴ)に附せられて居るかも知れない。

 僕は現在、自分自身に對してすら辨解の出來ないくらゐ、複雜、深刻を極めた嫌疑を、日本の官憲から受けて居るのだ。捕つたら最後八ツ裂にされるかも知れない恐ろしい嫌疑を……。

 僕……陸軍歩兵一等卒、上村作次郎(うへむらさくじらう)が、哈爾賓(ハルピン)駐劄(ちゆうさつ)の日本軍司令部に當番卒として勤務中に、司令部附(づき)の星黑(ほしくろ)主計と、十梨(となし)通譯と、同市一流の大料理店、兼、待合業(まちあひげふ)「銀月(ぎんげつ)」の女將(おかみ)、富永(とみなが)トミの三人を慘殺して、公金十五萬圓を盜み出した……同時に日本軍の有力な味方であった白軍(はくぐん)の總元締(そうもとじめ)オスロフ・オリドイスキー氏とその一家を中傷、抹殺し、同氏の令孃ニーナを誘拐した上に、銀月を燒き拂つて赤軍に逃げ込んだものに相違ない……だから、それに絡まる賣國、背任、横領、誣告(ぶこく)、拐帶(かいたい)、放火、殺人、婦女誘拐、等(とう)々々……と言ったやうな想像も及ばない超記録的な罪名の下(もと)に、現在、絶體絶命の一點まで追ひ詰められて來て居るのだ。

[やぶちゃん注:●「駐劄」駐箚も同じい。外交官などが任務のために暫くの間、外国に滞在・駐在すること。 ●「拐帶」「誘拐」の意もあるが、ここは後に「婦女誘拐」が出るから、今一つの意、預けられた金品を持って行方を眩(くら)ます「持ち逃げ」の意。 ●「オスロフ・オリドイスキー」実は第一書房版全集第三巻(以下、鍵括弧附きで「全集」と呼称する)の「氷の涯」には本文三ページ目に『主な登場人物』の一覧が表になって載っている(但し、これは夢野本人の手になるものではなく、全集編者によるものである可能性があるので総てを引くことはしない)が、そこには『キタイスカヤの「セントラン」(もと旅館、今は司令部のある建物)の所収主、白露の陰謀政治家』とある。 ●「ニーナ」同前の登場人物一覧に『オスロフの養女、十九歳』とある(戦前であるから数え)。]

 勿論、そんな戰慄的な大事件が次々に哈爾賓で渦卷(うづま)き起つたのは事實だ。同時に僕が、そんな事件の中心になつて居る哈爾賓駐劄の日本軍司令部に、當番卒として勤務してゐた事も、たしかな事實に相違ない。

 しかし夫(そ)れにしても、そんな大事件を捲き起すべく餘りにも無力な僕……むしろ小さな、間接的な存在に過ぎなかつたであらう一兵卒(ぺいそつ)の僕が、どうして其樣(そん)な怪事件の大立物(おほだてもの)と見込まれるに到つたか……白狀する迄もなく、中隊でも一番弱蟲の小心者と言はれてゐた僕が、どうして日本軍、白軍、赤軍の三方(ぱう)から睨み付けられ、警戒され、恐れられて、生命(せいめい)までも脅やかされる立場に陷つて來たのか。さうして其の眞相を發表する機會をトウトウ發見し得ないまゝ、思ひもかけない氷(こほり)の涯(はて)に生涯を葬らなければならなくなつたのか……といふ疑問は、現在でも、多少に拘はらず抱いてゐる人が居るに違ひないと思ふ。たとへば僕の平生(へいぜい)を知つて居る戰友や、直屬の上官なぞ……その疑問を今から解き度(た)いと思つて居るのだ。その變幻不可解な慘劇(ざんげき)の大渦卷(おほうづまき)を作り出した眞相の數重奏(すうぢうそう)を、此の手紙の中に記錄してみたいと考へて居るのだ。

[やぶちゃん注:●「思ひもかけない氷(こほり)の涯(はて)に生涯を葬らなければならなくなつた」殆んどの読者がこれを当初、極東極寒の地の涯に果てて行った主人公の比喩的な表現としか読まないように抑制しているところに、夢野の巧さを味わいたい。驚くべきことに、実に本作本文中では「氷」はたった八回、「涯」に至っては「生涯」が二度あるのを除くと「涯(はて)」はここ一箇所でしか使われていないのである。 ●「直屬の上官なぞ……その疑問を今から」第一書房版ではここが(恣意的に正字化した)、『直屬の上官なぞ……そんな人々のそうした疑問を今から』となっている。明らかに分かり易く書き加えていることが分かる。]

 決して口惜(くや)しいから書くのぢやない。かうして正義を主張するのでもない。僕は、さうした事件の全部に對して、云ふに云はれぬ良心的の責任を負うて居るのだから……。此の事件の素晴らしい旋囘力(せんくわいりよく)に抵抗し得なかつた僕自身の無力を、中心(ちうしん)から恥ぢ悲しんで居るのだから……。

 さもなくとも戰時狀態の大渦紋(だいくわもん)の中では種々(いろいろ)な間違ひが起り易いものだ。しかも、それは、いつでも例外なしに深刻を極めた、恐怖的な悲劇であると同時に、世にも馬鹿々々しい喜劇に外ならないのだ。さうして次から次に忘れられて、闇から闇へと葬られて行(ゆ)き易いのだから……。

 のみならず僕は、君も知つて居る通りの文學靑年だ。今でもチツトモ變つてゐない。……あやまつて美術學校(チヤカホイ)に這入(はひ)つてつて、過(あやま)つて戀をして、過(あやま)つて退校されるとソレツキリの人間になつてしまつた。スツカリ世の中がイヤになつた揚句、活動のピアノ彈きからペンキ職工にまで轉落してゐるうちに兵隊に取られた。それから上等兵候補になつて、肋膜で落第すると間もなく出征して、現在、哈爾賓駐劄の○○○團(だん)司令部に所屬してゐる意久地(いくぢ)の無い一等卒だ。たゞそれだけの人間だ。惜しがる程の一生ぢやない。恥かしがる程の名前でもない。親も兄弟も無いんだからね。

[やぶちゃん注:●「美術學校(チヤカホイ)」このルビはロシア語なんどと勘違いしそうだが、調べて見ると「チャカホイ」というのは囃し文句で、『何だ此の野郎柳の毛虫、払ひ落せば又あがる チャカホイ』(一番歌)で始まる東京芸術大学美術学部の前身である東京美術学校の校歌「チャカホイ節」のことと判明した。デカンショ節と同じく学生歌かと思われるが、「全國大學專門學校高等學校校歌集」(昭和三(一九二八)年郁文堂書店刊か?)の九十一番目に載るということ(上記歌詞ともに個人ブログ「愛唱会きらくジャーナル」の「東京美術学校校歌~チャカホイ節~東京音楽学校?」記事に拠る)、歌詞が卑猥ということから戦争中に禁止されてしまったということ(pincopallino2氏のブログ「パスクィーノ~ローマの落首板」の「東京外語の歌」の記事の末尾に美術学校の歌として拠る)が載るので「校歌」なのであろう。]

 但(たゞし)……タツタ一人(ひとり)君だけは僕を惜しがつて呉れやしないかと思つて居る。僕を何(なに)かの藝術家にすべく彼(あ)れだけの鞭撻を惜しまなかつた君だからね。

 しかし僕は君の鞭撻に價しない人間だつた。僕は一種の虛無主義者(なまけもの)だつた。默々としてコンナ運命に盲從しつゝ落込んで行つた……。

 だからたゞ君に對してだけは何となく心掛りがしてゐる。此儘默つて死んで行つては濟まない樣な氣がするから此手紙を書くのだ。

 此手紙を僕は、この浦鹽(うらじほ)に居る密輸入常習の支那(しな)人崔(さい)に託する。崔は來年氷が溶けてからこの手紙を一番信用のある戎克(ジヤンク)に託して上海(シヤンハイ)で投函させる約束をして呉れた。だから此手紙が君の手に屆くのは多分夏頃になるだらう。

[やぶちゃん注:●「支那人」第一書房版全集は「中国人」となっている。言わずもがな乍ら、これは私は夢野の改訂ではないと思う。全集の解題その他には編者による差別語変更注記は、ない。こういう所も第一書房版の胡散臭いところなのである。]

 迷惑だらうが讀んでくれ給へ。あとは紙屑籠に投げ込んでもいゝ。それでも僕は報いられ過ぎるだらう。

[やぶちゃん注:以下、一行空き。]

2015/06/26

薄明   村山槐多

  薄明

 
われに來てやまざる

燈火の如く美しき薄明あり

そは惡神の如く

「汝ただれよ」と心を襲擊す

 

「こは何ぞ」

われ驚愕の餘り追憶に逃げ入れば

豪奢なる心の底に

いとかなしき答あり

 

「まことに汝見つめなば

美しきこの薄明は

時々に汝が會ひ汝が戀ひたる

君が眼の多數き凝視なりと知らん」

 

耐へがたし

またなつかしきこの後覺

わが眼は春の燈火の如き

薄明より免れ得ざるなり

 

 

[やぶちゃん注:「君が眼の多數き凝視なりと知らん」の「多數」はママ。「全集」では「君が眼の數多き凝視なりと知らん」となっている。]

消えゆく性   村山槐多

  消えゆく性

 

害はれし美しき性は

廢園にすすり泣けり

憫然たる涙もて

五月を染めたり

 

ああ美しき性は

汚れたる空に消えたり

薄紫に燒かれて

未練もなく消されたり

 

かくて害はれし性は

廢園にすすり泣けり

その涙のあはれさよ

豐かなる五月も空しく消されたり

 

(いかに哀れならずや

 かく叫ぶその聲さへ)。

 

 

[やぶちゃん注:「全集」では最終連最終行に「かく叫ぶその聲さへ)。」と句点を打つ。冒頭で述べた通り、「全集」は概ね総ての韻文詩篇がこうなっているので、特異なケースを除き、この最終連最終行末の句点注は以下、原則、省略する。]

空   村山槐多  (前掲詩篇とは同題異篇)

  空

 

美しき空に濡れて

二人歩を共にすれば

この時銀鎖は薄明の空氣を曳きて

きらきらと二人に鳴る

 

美しき樂音連續す

されば空は恍惚たり

二人は歩む

きらきらと春の光ひかる

 

美しき空の下

の形に燈きらきらと戰動す

ああ都大路に

恍惚として二人は歩みたり

 

 

[やぶちゃん注:「全集」では最終連最終行に「恍惚として二人は歩みたり。」と句点を打つ。]

空   村山槐多

  空

 

わが空はなつかしき

なつかしき

鎖の如き

うつくしきながめに連續せり

 

舞樂する伊太利亞の空

シヤヴアンヌが上より下へぼかされし

群靑の空ならねどもたゞ

なつかしきなつかしき

うつくしきながめの空なり

 

そこに君の如く

美しき物の色あり

君の如くなつかしき

空の色鎖の如く連續せり

 

 

[やぶちゃん注:「全集」では最終連最終行に「空の色 鎖の如く連續せり。」と、字空けを施して更に句点を打つ。]

血に染みて   村山槐多

  血に染みて

 

血に染みて君を思ふ

五月の晝過ぎ

赤き心そ震ふ

あはれなるわが身に

 

はてしらぬ廢園に

豪奢なる五月に

君が姿立てる時

われはなくひたすらに

 

わが血は盡きたり

われは死なむと思ふ

華麗なる殘忍なる君をすてゝ

血に染みて死なん

 

 

[やぶちゃん注:「赤き心そ震ふ」の「そ」はママ。「全集」では「赤き心ぞ震ふ」となって、さらに最終連最終行に「血に染みて死なん。」と句点を打つ。]

五月短章   村山槐多

  五月短章

 

    一

 

美しき節會(せちゑ)の庭に

箜篌(たてごと)は何とひびかむ

我知らず我は唯ひたすらに

ひたすらに君を奏(かな)でん。

 

    二

 

たそがれに物なむる風の美(うま)さよ

熱(あつ)き朧銀の日のたそがれに

或秒は君をなめまた或秒は

片戀の我をなむ

慄然と我等をばなむる風
 
 
 
 

[やぶちゃん注:「全集」では「慄然と我等をばなむる風。」と句点を打つ。]

サイト「鬼火」開設十周年記念 尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳) (訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)

サイト「鬼火」開設十周年記念
 
「尾形龜之助詩抄Ⅰ(中国語訳)」(訳注/心朽窩主人・矢口七十七 写真/矢口七十七(PDF横書版・11MB)
 
「心朽窩 新館」に公開した。11MBという、私のサイト内では単独ファイルとしては驚愕の重さであるからして、ダウンロードには少し時間がかかるものと思うが、どうか御寛恕願いたい。
 
これはここの、私のブログ・カテゴリ「尾形龜之助」で、昨年2014年10月より本2015年5月にかけて、私の盟友にして中国語に堪能な矢口七十七氏とともに行った、フォト・イメージ(撮影も矢口氏)附きの尾形龜之助の中国語訳凡そ100篇を、写真とともに一括集成したものである。
 
一括化に際しては、矢口氏が中文訳を今一度精査してかなり手を加えた。
また、出典を全篇に附し、必要と思われる注も追加、必要と考えられる注の中文訳なども増補してある。
さらに添えた写真についても、幾つかをより相応しいと判断した別なものへ差し替えたりしており、PDF版でのそれは、恐らくはブログ版とはまた異なった印象を持たれるであろうと考えている。

まずはこれが我々の尾形龜之助中文訳抄の第一弾の決定版と思って戴いて結よろしい。

特に、実質的な中文訳を担当して呉れた矢口氏より、是非とも中国人或いは中国語を母語とされる方に読んで戴きたいというメッセージを受け取っている。しかしそれは――本訳が中国語として正しいかどうか――まずは詩としての表現の基礎段階として、中国語として正しく訳されているか、中国語でちゃんと腑に落ちるかどうか――ということをネイティヴの方に忌憚なく確かめて評して戴きたい、という彼のすこぶる謙虚な思いからである。実際、本訳作業に於いては私は勿論、矢口氏も一切、訳文を中国語を解する方に読んで貰っては、いない。特に矢口氏はそれが容易な環境にいるにも拘らず、自らの今の力でのみ、本訳出を完成させるという節を、厳しく守ったのである。

矢口氏のそうした思いに加え、本詩抄で私は、現行の尾形龜之助の詩集で知られている詩形とは異なるものを敢えて掲げており、その詩形で矢口氏に訳して貰ってもいる。これは私の現行の尾形龜之助の幾つかの詩篇の扱いに対する、私の強い違和感を表明するものでもあるのである。

即ち、これはあらゆる多層的な意味に於いて――全く独自の中国語訳尾形龜之助詩抄――であるということである。

どうか、お知り合いの中国語を母語とされる方へ、本訳詩集を御紹介戴けるならば、恩幸、これに過ぎたるは、ない。――

四月短章   村山槐多

  四月短章

 

     一

 

玻璃の空眞(まこと)に強き群靑と

草色に冷たく張らる

かくて見よ人々を

木偶(でく)の如そこここに酒に耽れる

 

しかして

美しき玉の月日に悦びて

ただひとりはなれし君は

いと深き泉に思ふ

 

    二

 

銀と紫點打てる

川邊にめざめ立ちし子よ

いま日はすでに西にあり

青き夜汝(なれ)をまちてあり

行け朧銀の郊外を

あとに都に汝は行け

 

    三

 

善き笛の冷めたき穴に

こもりたる空氣をもれ

美しく歩み出でたる

君ひとり物のたまはぬ

 

    四

 

血染めのラツパ吹き鳴らせ

耽美の風は濃く薄く

われらが胸にせまるなり

五月末日日は赤く

焦げてめぐれりなつかしく

 

ああされば

血染めのラッパ吹き鳴らせ

われらは武裝終へたれば

 

    五

 

春の眞晝の霞に

鋭どき明り點(つ)けたる小徑あり

かたはらにたんぽぽのかたはらに

孔雀の尾の如き草生あり

 

そが小徑にのがれて

さびしくいこふ京人あり

美しく幽けき面

小徑がつけし明りの中に更に鋭どき明りをつけたり。

 

 

[やぶちゃん注:二箇所の「鋭どき」はママ。「全集」では二箇所とも「鋭き」となっている。また、本篇では表記の通り、「五」のパート以外ではパート内最終連最終行末尾に句点はないが、「全集」では「一」から「四」までの総てのパート内の最終連最終行末尾に句点が打たれている。]

醒めし時   村山槐多

  醒めし時

 

醒めたるは赤血色の花の中

五月の濃き空氣中なり

眞赤な入日を見る

わが夜は來れるなり

 

見る限り豐なる野なり

われ泣く

われ醒めて獨り泣く

紫靑の夜來らんとすればなり 

 

[やぶちゃん注:「全集」は最終連最終行末尾に「紫靑の夜來らんとすればなり。」と句点を打つ。]

靑色廢園   村山槐多

  靑色廢園

 

 是等の詩はわが友なるあへかなる少年のその異名を pRINCE と呼ぶに捧ぐるなり

われ切に豪奢を思ふ

靑梅のにほひの如く

感せまる園の日頃に

酒精(アルコール)なむる豪奢を

 

 

[やぶちゃん注:本前書中の「pRINCE」はママ。「全集」では「PRINCE」とする。「全集」では「酒精(アルコール)なむる豪奢を。」と句点を打つ。この前書は「是等」と複数形である以上、どこまでを指すかは不明ながら、この詩以降の複数篇を指すと考えねばなるまい。]

童兒群浴   村山槐多

  童兒群浴

 

黑き玻璃の山脈、赤き血の滴

げせぬ鋭どき天のときの聲

これらみな紫の異常になげく

夏の午後の一とき

薄紫、赤、黄は透明を傳染し

天地にみなぎりたり

硫黄泉は地底をつたふ

美しき湯氣の香はする

 

この時太陽は血潮の「能」を舞ひ

この時童子等は大川に喜戯す

紫の渦卷きに

うつれる空に喜戯せり

 

黄金の童子等は赤く笑へり

一瞬にして食人びとにとらはるゝばかりの恐れ

おしかくし勇ましく大笑す

天と地とうつしし水に

 

げに金屬の童子等は

怪しく燒けしその頰に

無窮の笑を帶ばしめつ水にとび入り

爬蟲の如く戯むれつ

 

かくも眺めてわが胸は

薄靑き珠玉の汗を宿し

この現象の惰さに全神經は

焦げはてゝじつとをのゝく

 

童子の腹赤く輝やく

五、六、七、美しき河水のそばに

おう赤き童子の群よ

太陽の祖先の如き赤さもて

 

眞赤に童子は喜戯せり

黑き玻璃の山脈にほの赤き幻燈うつる

血の滴(しづく)、低き天つたひてゆけば

天のときの聲もゝのうく消えぬ

 

寶玉の如、ものみなは輝やけり

さんらんたる思ひかや我をとり

わが眼をして大川の淺き底をも

深き天遠くに舞へる太陽をも慕はしむるは、

 

 

[やぶちゃん注:最終連最終行末尾の読点はママ。「全集」では句点。

2015/06/25

カテゴリ「村山槐多」始動 / 「槐多の歌へる」  村山槐多 詩 「二月」 

カテゴリ「村山槐多」を始動する。

私は既に心朽窩新館」に於いてやぶちゃん版村山槐多散文詩集を、また「心朽窩旧館」にて「遺書二通」の他、「癈色の少女」「鐵の童子」「居合拔き」「美少年サライノの首」「殺人行者」「惡魔の舌」「魔猿傳」「孔雀の涙」「魔童子傳」「繪馬堂を仰ぎて」『村山槐多全集「感想」所収作品』を、また「心朽窩新館」では「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」といった作品をオリジナルを電子化しているが、ふと気づいて見れば、ネット上には肝心の彼の詩集の纏まったものが、意想外にも、どこにも存在しないことに遅ればせ乍ら、気づいたのである。

かの芥川龍之介は、鋭く槐多の才能を見抜いていた(私の村山槐多遺稿詩文集「槐多の歌へる」の芥川龍之介による推賞文を参照されたい)。

これはもう……僕が始めるしか――ない。
 
オリジナルの
「村山槐多全詩集」を目指す――

底本は、まずは国立国会図書館近代デジタルライブラリーの大正九(一九二〇)年アルス刊の「槐多の歌へる(正字正仮名)の画像を視認したが、その際、平成五(一九九三)年彌生書房刊の「村山槐多全集 増補版」(但し、新字旧仮名)で校合し、注を附した。なお、同「全集」版では総ての詩篇の最終連最終行に句点が打たれて〈殺菌〉整序されているが、これは最初の数篇までの注で示すに止め、以下は原則、省略した。他に所持する昭和二六(一九五一)年改造文庫刊草野心平編「村山槐多詩集」及び昭和五五(一九八〇)年彌生書房刊山本太郎編『世界の詩70 村山槐多詩集』も参考にした。

手始めに「詩」から始める。底本は各標記年度中の短歌・日記を詩篇の後に配してあるが、これは現行「全集」同様にまず詩篇だけを纏めて電子化することとする。但し、現行全集が独立章として分割している散文詩篇は底本通り、標記年度中に含めることとする。なお、やぶちゃん版村山槐多散文詩集で電子化した、底本及び「全集」ともに大正一八(一九〇七)年パートに入れてある散文詩的「童話」(五篇)は、詩篇とは独立させて再電子化する予定である。底本の標記年度の下にある丸括弧内の数字は槐多の年齢(数え)である。なお、底本の一部では、頁の組が変更され、二字分、有意に上っている箇所が散見されるが、これは思うに、実際の槐多自身の原稿の再現というよりも(同一頁内で行われている箇所はそのようにも見える詩篇もあるが)、一行の字数が長くなる箇所では、表記字数を増やすために、二字上げを行っている可能性が強いと判読した。従って、それは再現していない(一部では注で指摘した)。くれぐれも上記リンク先の底本で確認されんことを乞う。

明日は私のサイト「鬼火」の十周年である。その前夜祭とでも言祝いでおこう。【2015年6月25日 藪野直史】

 

 

 

   千九百十三年(18

 

 

 

   二 月

 

君は行く暗く明るき大空のだんだらの

薄明りこもれる二月

 

曲玉の一つらのかざられし

美しき空に雪

ふりしきる頃なれど

晝故に消えてわかたず

 

かし原の泣澤女さへ

その銀の涙を惜み

百姓は酒どのの

幽なる明かりを慕ふ

 

たそがれか日のただ中か

君は行く大空の物凄きだんだらの

薄明り

そを見つつ共に行くわれのたのしさ。

 

    ×

 

ああ君を知る人は一月さきに

春を知る

君が眼は春の空

また御頰は櫻花血の如赤く

寶石は君が手を足を蔽(おほ)ひて

日光を華麗なる形に象めり

 

また君を知る人は二月さきに

夏を知る

君見れば胸は燒かれて

火の國の入日の如赤くたゞれ

唯狂ほしき暑氣にむせ

とこしへに血眼の物狂ひなり

 

あゝ君を知る人は三月さきにも

秋を知る

床しくも甘くさびしき御面かな

そが唇は朱に明き野山のけはひ

また御ひとみに秋の日のきらゝかなるを

そのまゝにつたへ給へり

 

また君を知る人は四月のまへに

冬を知る

君が無きときわれらが目すべて地に伏し

そこにある萬物は光色なく

味もなくにほひも音も打たへてたゞわれら

ひたすらに君をまつ春の戻るを。



 

[やぶちゃん注:「打たへて」はママ。平成五(一九九三)年彌生書房刊「村山槐多全集 増補版」(以下の注では「全集」と略す)では「打たえて」とする。「×」の記号は「全集」では、全く異なる「+」の記号が用いられている。]

毛利梅園「梅園魚譜」 柔魚(ケンサキイカ?)

 Ika
 
Ika2  
 
 
柔魚(いか)〔ナガスルメ。コモソウイカ。〕

 壽曰く、

 柔魚、風乾(すぼし)するを「閩書(びんしよ)」に「明府(めいふ)」と云ひ、

 又、「螟」に作る。「本朝式」文に、「鯣(するめ)の孚(ふ)」

[やぶちゃん字注:「」=「虫」+「府」。]

 を用ひ、「延喜」の「神祇」に、「民部主計」等

 の式に若狹・丹後・隱岐・豊後より

 烏賊(イカ)を貢(こう)すと云ふは、則ち、「スルメ」なり。

 今、肥前五嶌(ごたう)より出だすを最上とす。

 伊豆の國及び丹後・但馬・伊豫より

 出だすを次ぎとす。長門より出だすもの、其の

 大いさ、尺に至る。肉厚く、美佳(みか)也。古へより

  賀祝の席に用ゆ。

  河豚(フグ)にあたりたる者、スルメを炙(や)く

  とも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。

  河豚の毒、制伏(せいぶく)なすはこれに過ぎたるはなし。

  故に河豚の振る舞ひには必ず向附(むかうづけ)にス

  ルメの鱠(なます)・茄子の塩漬けを用ゐること、

  良方なり。

 

   同腹ノ圖

 

    乙未(きのとひつじ)十二月十日、

    眞寫す。

 

[やぶちゃん注:少々迷ったが、「全国いか加工業協同組合公式」サイト内のウェブ版の奥谷先生新編 世界イカ図鑑」を主に参考にするに、ずんぐりとした全体とヒレの形状及び分布域(江戸の梅園にもたらされた、捕獲からそう長い時間が経っていない個体といった様子)から判断すると、軟体動物門 Mollusca 頭足綱 Cephalopoda 鞘形亜綱 Coleoidea 十腕形上目 Decapodiformes 閉眼(ヤリイカ)目 Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae ケンサキイカ属 Uroteuthis ケンサキイカ(メヒカリイカ型)Uroteuthis Photololigo edulis Hoyle, 1885)ではなろうか。迷った最大の理由は体色で、ネット画像を見ると全体に強い赤褐色を示すものが多いが、これらは基本、興奮時のそれで、生体時の体色は多分に透明度が高い。キャプションの「ナガスルメ」や前半の叙述からは、開眼(ツツイカ)目 Teuthida スルメイカ亜目 Cephalopoda アカイカ科 Ommastrephidae スルメイカ亜科 Todarodinae スルメイカ属 Todarodes スルメイカ Todarodes pacificus としたくなるのであるが、スルメイカにしてはヒレが大き過ぎ、こんなに寸詰っていない。しかもそもそもがこのキャプション、広くイカ類全般に亙る概説と読め、この前後には他のイカの絵がないことからも、かく同定しておいた。使用した二枚の画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の中の保護期間満了画像である。

「コモソウイカ」不詳。形状から「虚無僧烏賊」か?
 
「閩書」「閩書南産志」。明の何喬遠撰になる福建省の地誌。

「明府」中文サイトを見ると、現在でも寧波(福建省の北の浙江省の沿岸都市)の特産として「明府鯗」(「鯗」は音「ショウ」で「干物」の意)が挙がっており、そこにはこれは烏賊を指す旨の記載がある。

「本朝式」後の「延喜」と同じく「延喜式」のこと。

「鯣の孚」乾したスルメイカの皮・殻の意であろう。人見の「本朝鑑」の「烏賊魚」の「鯣」の条に(リンク先は私の原文訳注附テクスト)、

   *

 古へは混じて「烏賊」と稱す。「延喜式」の神祇・民部・主計等の部に、『若狹・丹後・隠岐・豊後烏賊を貢する者の有り』と。是れ皆、今の鯣なり。近世、肥の五嶋より來たるを以つて上品と爲(な)し、丹後・但馬・伊豫、之に次ぐ。古來、賀祝の饗膳に用ゆ。今、亦、然り。源順、崔氏が「食經」を曳きて曰く、「小蛸魚」を「須留女」と訓ず。此れも亦、同じ種か。

   *

とあり、どうも梅園は、この必大の記述を参照したようにも見える。

「河豚にあたりたる者、スルメを炙くとも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。河豚の毒、制伏なすはこれに過ぎたるはなし」下関の「いちのせ水産」の公式サイト内のふぐ中毒・迷信あれこれに、フグ毒由来の嘔吐に対しては、『スルメを焼いて煙をかがせる』と『烏賊魚の墨をのませる』と効果があるとする。因みに本文では以下に別な解毒効果を期待出来る食材として「茄子の塩漬け」が一緒に添えるとあるが、これも同頁の解毒効果として『茄子のヘタを食べる』とある。梅園先生、「良方なり」なんどと宣うておられるが、無論、効果は――ない。

「乙未十二月十日」天保六年十二月十日で、グレゴリオ暦では一八三六年一月二十七日である。季節的にも、水揚げ後、変色腐敗するまでは比較的持ちそうな時期である。]

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一八)

        一八

 

 さて、これから私共は龍の窟を訪ねようとする。晃の説明によれば、この名は辨天の龍神が、その中に住んでゐたからではなく、洞窟の形が龍に似るからである。道は島の向う側の方へ下つて、急に靑白い堅岩へ開鑿せる石段となる。非常に嶮岨で磨滅してゐて、滑り易く危險で、海は脚下に迫つてゐる。低い靑白い岩礁、礁間に碎くる激浪、その中央に立つ石燈籠――すべでが恐ろしい絶壁の崖端から、一幅の鳥瞰圖となつて見える。私は一つの岩には、深い圓い穴をも見た。以前には、この下に茶店があつて、それを支へる柱は、それらの穴へ插してあつたのだ。

 私は用心をしながら降つて行く。草鞋穿きの日本人は滅多に滑らないが、私は案内者の手を藉つて漸つと進む。殆ど一歩毎に私は足を滑らした。屹度、是等の石段がかやうに磨減してゐるのは、たゞ石と蛇を見るために來た參詣者の草鞋のためばかりではあるまい。

 たうとう私共は絶壁に沿ふて岩や深潭の上に渡せる板の棧道へ達した。して、岩の突角を廻ってから神聖なる窟へ入った。進むに隨つて薄暗くなり、浪が暗中を後から追かけて、耳を聾せんばかりに轟き、非常な反響のため、猶音が大きくなる。振返つてみると、洞口は暗黑裡に大きな鋭角の裂目の如く、蒼空の一片を洩らしてゐる。

 私共は祀れる神のない一つの祠に達して、御賽錢を上げた。それからランプに火を點け各自それを取つて、一系の孔道を探險する。非常に暗くて三個の燈火でも初めは何も見えない。しかしやがて、私が寺の墓地で見たやうな、平石の上に彫った浮彫の石像が分った。是等の像は一定の間隔を置いて、岩壁に沿ふて安置されてゐる。案内者は一つ一つの像面に燈光を近づけ、大黑樣、不動樣、觀音樣とその名を呼んだ。像はなく、その代はりに空虛な祠ばかりの事もあって、賽錢箱が、その前に備へてある。祭神が御留守になつた是等の祠には、太神宮、八幡、稻荷樣など神道の神々の名がついてゐる。石像はすべて黑い。または黄色な燈光のため黑く見えるのだ。して、霜がふりかゝつたやうにきらきらしてゐる。私は昔の神々を葬つた地下の墓穴に居る樣な氣がした。行けども行けども盡きないやうに思はれた覆道も、矢張り際限があつて、一つの祠で了はつてゐた。天井の岩が低く垂れて、祠に達するには、手と膝で跪かねばならなかつた。しかしその祠には何も入つてゐなかつた。これが龍の尾である。

 

 私共はすぐには明るい處へ戻らないで、龍の翼なる暗い横穴へ入つた。横領されて了つた黑い佛像、空虛の祠、滿面硝石を結んだ石の顏、俯して漸つと近寄れる賽錢箱、こゝにもまたそんなものがあつた。して、木彫りのも石彫りのも、辨天の像は無かつた。

 

 私は明るい處へ戻つてきて嬉しかつた。こゝで案内者は衣を脱ぎすて裸になつて、不意に礁と礁との間の、黑い深い渦卷く潮流の中へ眞逆さまに跳込んだ。五分間の後、姿を現し攀ぢ上ぼつてきて、生きた蠢いてゐる鰒と大きな海老を私の足許へ列べた。それから彼はまた着物をつけ、私共はまた山へ上つた。

 

[やぶちゃん注:「堅岩」鉱物学や土木工学・地震学等で「ケンガン」と音読みするようである。

「崖端」は「がけばた」。崖(がけ)の端(はし)。
 
「草鞋」老婆心乍ら、「わらぢ(わらじ)」である。
 
「藉つて」は「かつて」と訓じているか。「借(か)る」の「かりて」の促音便である。
 
「突角」は「とつかく(とっかく)」で岩の突き出た角の部分をいう。

「覆道」原文は“corridor”で標準的な和訳である「回廊」と訳した方が私は江の島の岩屋の雰囲気にあっているように思う。

「横領されて了つた黑い佛像」意味不明。落合氏は盗まれてなくなってしまったという意味で訳しておられるようだが、とするとしかし、盗まれたのが「黑い佛像」とはそもそも分からぬはずなれば日本語としておかしい。これは実際に目の前に「黑い佛像」があるのだ。とすれば……原文を見ると“More sable effigies of dispossessed gods”で、“dispossess”には「人から財産(使用権)を奪う」「人を立ち退かせる」「人から財産や使用権を取り上げる」という義とは別に、「追い払う」の意がある。さればこれは――邪気を追い払うための措置が施された黒光りする彫像――で、御幣或いは注連(しめ)飾りを配した石造神仏のことを指しているのではなかろうか? 平井呈一氏の訳は、まさにそうした意味と思われる『お祓(はら)い除けをされた、まっ黒けな神の像』とある。

「硝石」天然の硝酸カリウム(KNO)。チリの砂漠地帯やアメリカ西部などの乾燥地帯に産出し黒色火薬や釉薬(ゆうやく)・食肉保存料などに用いられるが、本邦のようなしかもここのような高度の湿潤環境下では天然では産出しないから、石像に附着した海塩結晶或いは風化した岩質を硝石結晶と誤認して表現したに過ぎない。

「鰒」老婆心乍ら、「あはび(あわび)」と読む。このシーン、やっぱり芥川龍之介のあれを引用せずにはいられない。新編鎌倉の江の島の「魚板石」から私の注ごと引いておく。

   *

魚板石(まないたいし)  龍穴(りうけつ)の前にあり。面(をもて)平(たひら)かにして魚板の如し。遊人或は魚を割サき、鰒を取らしめて見る。此の石上にて四方を眺望すれば、萬里の廻船數百艘、海上にうかめり。豆・駿・上・下總・房州等の諸峯眼前に有。限り無き風景なり。

[やぶちゃん注:芥川龍之介と江の島との関連で余り取り上げられることがないが、芥川龍之介の未完作品「大導寺信輔の半生」の最終章「六 友だち」には、その掉尾に、この魚板石付近を舞台にした印象的なエピソードが語られている。私のテクストから当該部を引用しておく。

      ×

 信輔は才能の多少を問はずに友だちを作ることは出來なかつた。標準は只それだけだつた。しかしやはりこの標準にも全然例外のない訣ではなかつた。それは彼の友だちと彼との間を截斷する社會的階級の差別だつた。信輔は彼と育ちの似寄つた中流階級の靑年には何のこだわりも感じなかつた。が、纔かに彼の知つた上流階級の靑年には、――時には中流上層階級の靑年にも妙に他人らしい憎惡を感じた。彼等の或ものは怠惰だつた。彼等の或ものは臆病だつた。又彼等の或ものは官能主義の奴隸だつた。けれども彼の憎んだのは必しもそれ等の爲ばかりではなかつた。いや、寧ろそれ等よりも何か漠然としたものの爲だつた。尤も彼等の或ものも彼等自身意識せずにこの「何か」を憎んでゐた。その爲に又下流階級に、――彼等の社會的對蹠點に病的な惝怳を感じてゐた。彼は彼等に同情した。しかし彼の同情も畢竟役には立たなかつた。この「何か」は握手する前にいつも針のやうに彼の手を刺した。或風の寒い四月の午後、高等學校の生徒だつた彼は彼等の一人、――或男爵の長男と江の島の崖の上に佇んでゐた。目の下はすぐに荒磯だつた。彼等は「潛り」の少年たちの爲に何枚かの銅貨を投げてやつた。少年たちは銅貨の落ちる度にぽんぽん海の中へ跳りこんだ。しかし一人海女あまだけは崖の下に焚いた芥火の前に笑つて眺めてゐるばかりだつた。

 「今度はあいつも飛びこませてやる。」

 彼の友だちは一枚の銅貨を卷煙草の箱の銀紙に包んだ。それから體を反らせたと思うと、精一ぱい銅貨を投げ飛ばした。銅貨はきらきら光りながら、風の高い浪の向うへ落ちた。するともう海女はその時にはまつ先に海へ飛びこんでゐた。信輔は未だにありありと口もとに殘酷な微笑を浮べた彼の友だちを覺えてゐる。彼の友だちは人並み以上に語學の才能を具へてゐた。しかし又確かに人並み以上に鋭い犬齒をも具へてゐた。…………

      ×

本文中に「或風の寒い四月の午後、高等學校の生徒だつた彼は彼等の一人」とあるが、龍之介の一高卒業は大正二(一九一三)年七月であるから、これは明治四十四(一九一一)年か翌年の四月、若しくは卒業年の大正二(一九一三)年四月の間の出来事となる。私は龍之介の謂いから、このシチュエーションは正に明治の最後の江の島を活写していると読む。「遊人或は魚を割き、鰒を取らしめて見る」という二百年以上も前の記述が、ここに現前しているだけではない。それを龍之介は、美事な時代精神の批判のメスで剔抉しているのである。

 

   *]

 

Sec. 18

Now we are going to visit the Dragon cavern, not so called, Akira says, because the Dragon of Benten ever dwelt therein, but because the shape of the cavern is the shape of a dragon. The path descends toward the opposite side of the island, and suddenly breaks into a flight of steps cut out of the pale hard rock—exceedingly steep, and worn, and slippery, and perilous—overlooking the sea. A vision of low pale rocks, and surf bursting among them, and a toro or votive stone lamp in the centre of them—all seen as in a bird's-eye view, over the verge of an awful precipice. I see also deep, round holes in one of the rocks. There used to be a tea-house below; and the wooden pillars supporting it were fitted into those holes. I descend with caution; the Japanese seldom slip in their straw sandals, but I can only proceed with the aid of the guide. At almost every step I slip. Surely these steps could never have been thus worn away by the straw sandals of pilgrims who came to see only stones and serpents!

At last we reach a plank gallery carried along the face of the cliff above the rocks and pools, and following it round a projection of the cliff enter the sacred cave. The light dims as we advance; and the sea-waves, running after us into the gloom, make a stupefying roar, multiplied by the extraordinary echo. Looking back, I see the mouth of the cavern like a prodigious sharply angled rent in blackness, showing a fragment of azure sky.

We reach a shrine with no deity in it, pay a fee; and lamps being lighted and given to each of us, we proceed to explore a series of underground passages. So black they are that even with the light of three lamps, I can at first see nothing. In a while, however, I can distinguish stone figures in relief—chiselled on slabs like those I saw in the Buddhist graveyard. These are placed at regular intervals along the rock walls. The guide approaches his light to the face of each one, and utters a name, 'Daikoku-Sama,' 'Fudo-Sama,' 'Kwannon-Sama.' Sometimes in lieu of a statue there is an empty shrine only, with a money-box before it; and these void shrines have names of Shinto gods, 'Daijingu,' 'Hachiman,' 'Inari-Sama.' All the statues are black, or seem black in the yellow lamplight, and sparkle as if frosted. I feel as if I were in some mortuary pit, some subterranean burial-place of dead gods. Interminable the corridor appears; yet there is at last an end—an end with a shrine in it—where the rocky ceiling descends so low that to reach the shrine one must go down on hands and knees. And there is nothing in the shrine. This is the Tail of the Dragon.

We do not return to the light at once, but enter into other lateral black corridors—the Wings of the Dragon. More sable effigies of dispossessed gods; more empty shrines; more stone faces covered with saltpetre; and more money-boxes, possible only to reach by stooping, where more offerings should be made. And there is no Benten, either of wood or stone.

I am glad to return to the light. Here our guide strips naked, and suddenly leaps head foremost into a black deep swirling current between rocks. Five minutes later he reappears, and clambering out lays at my feet a living, squirming sea-snail and an enormous shrimp. Then he resumes his robe, and we re-ascend the mountain.

和製亞瑟拉克姆描く「愛麗絲夢遊仙境」か?!

 
 
先般、SNSでアップした「ラッカムのアリスは……マジ……好きやねん――」
 
 
 
Alice_in_wonderland_by_arthur_rackh 
 
 
に、ツイッターの相互フォローの方が、
――芳年のこんな絵と、何かしら似通ったところがあるように見えるのは錯覚でしょうか。
 
 
 
Cisfpb5usaakayp 
 
 
と応じられた。されば、
――是れ也(や)、和製亞瑟拉克姆ゑがく、「愛麗絲夢遊仙境」也(なり)! 感服し申した!!
と返した。

これは、凄!!!

2015/06/24

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 雅楽の笛の音

 我々は日本の宮廷楽師の吹奏する、最も驚く可き笛の音楽を聞いた。笛は竹で出来ていて、我国の横笛より余程大きく、穴の数も位置も我々のそれとは違っている。我々にとっては音色と音色との間の絶妙な対照が、うれしいものであった。音調は長く、そしてこの上もなく純であった。これは我々には啓示であった。我々の音楽では、人は調和によっての効果を得るが、日本の音楽には調和音は無く、諧調がある丈である。「聖パウロの聖劇楽」に於て我等の指揮者カール・ツェラーンは、「高きにいます神へ」の合唱の際、或る分節にある気持のいい最終音調を予期して、必ず特別に活発になる。

[やぶちゃん注:ここも原文を引いておく。

   *

We heard the most wonderful music of the flute by a Japanese court musician. The flute, much larger than ours, was made of bamboo, and the number and position of the openings were different from those in our flute. The enjoyment for us consisted in the delicious contrasts between note after note. The notes were long and of exquisite purity. It was a revelation to us. With harmony one gets these effects in our music, but in Japanese music there is no harmony, only melody. In the "Oratorio of St. Paul," our leader, Carl Zerrahn, always became specially alert in anticipation of a delicious terminal note in one phrase in the choral "To God on High."

   *

最早、我々にとっては“but in Japanese music there is no harmony, only melody.”という英文の方が遙かに理解し易くなっている。

「聖パウロの聖劇楽」メンデルスゾーンのオラトリオ「聖パウロ」。

「カール・ツェラーン」(一八二六年~一九〇九年)はドイツ生まれのアメリカ人フルート奏者にして指揮者で、特に合唱音楽、オラトリオでの業績が目覚ましい(英文ウィキ“Carl Zerrahn”に拠った)。

『「高きにいます神へ」の合唱』ElginChoralUnion 氏の動画“To God on High”で当該合唱曲を聴くことは出来るが、「或る分節にある気持のいい最終音調を予期して、必ず特別に活発になる」というのがどこを指しているのかは、私にはよく分からない。識者の御教授を乞うものである。]

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一七)

 
 
        一七

 

 石段をのぼると、高臺に達し、町の屋根が見おろされる。苔が蒸して、缺けた唐獅子や石燈籠が鳥居の兩側にあつて、臺の背後は神聖な山が森に蔽はれてゐる。左の方に古色蒼然たる石の欄干が、滿面藻屑の浮いた淺い池を圍んでゐる。池の對岸の叢林から、漢字で蔽はれた、奇異な形の平石が、一端で立つて、突出でてゐる。これは神聖な石で、大きな蝦蟇の形だと信ぜられてゐる。だから蝦蟇石といふ。臺の緣に沿つて、彼處此處に他の石碑がある。その一つは辨天宮へ百度參詣した連中の寄進に係るのだ。右の方にまた石段があつて、更に上の高臺に達する。臺の麓に坐つて鳥籠を編んでゐた老人が、進んで案内者となることを申出でた。

 私共は案内者に隨いて次の高臺へ上ぼつた。そこには江ノ島小學校がある。また今一つ大きな不恰好の貴い石がある。福石といふ、昔は巡禮者が、この石を手で擦ると、富を得るものと信じでゐたので、石は無數の掌によつて磨滅されてゐる。

 更にまた石段があり、綠苔の生じた唐獅子や、石燈籠があつて、それから、また高臺となつて、中央には小祠がある。これは辨天の第一の祠である。數株の短矮な棕櫚がその前に生えてゐる。祠内には何も興味あるものはない。たゞ神道の象徴だけだ。が、傍にまた一つの井があり、奉納の手拭がある。それから、六百年前、支那から齎らされ石堂がある。恐らくは此巡禮の札所が神道の祠官に渡されない前、その中には有名な像があつたことであらう。今は何も入つてゐない。その背部を成せる一本石は、上の崖から落ちた岩のため破碎してゐる。碑文も一種の浮渣で殆ど消されて、晃が讀んだのは、『大日本國江島之靈石……』餘は解することが出來ない。晃の話によると、この附近の祠に一つの像がある。が、唯だ一年に一囘、七月十五日に覽せられるとのことであつた。

 私共は、この境内を去つて、左方へ上つて行つて、海を見おろす斷崖の端を進んだ。崖端に綺麗な茶店が數軒ある。いづれも海風に面して開け放してあるから、家の中を見通しに、疊を敷いた室や漆塗りの緣側を越えて、海が繪の額緣に收まつたやうに見える。して、雪の如き帆の散點せる靑白く晴れた水平線と、幻の島の如く、温かに蒸汽の影法師の如き大島の、微かな靑い峻峰の形が見える。それから、また鳥居と石段がある。石段は高臺に通じ、臺は巨大な常盤木の蔭で殆ど黑く、海の方は苔滑かな石の欄干を繞らしてある。右の方に石段、鳥居、高臺があり、更に苔蒸せる唐獅子と石燈籠があり、また江ノ島が佛教から神道に移つた變遷を誌した石碑もある。向うの方、更に他の丘の中央に第二の辨天宮がある。

 が、そこに辨天はゐない!辨天は神道家の手によつて隱されてしまつた。この第二の祠は第一の祠と同樣に空虛だ。しかし、祠の左手の建物に奇異なる遺品が陳列されてゐた。封建時代の武具、即ち板金鎧と鏈甲の一揃、惡魔の如き鐡の假面である瞼甲の附いた兜、金龍の飾冠の附いた兜、大入道が振り廻はしさうな兩手で使へる刀劍、直径約一寸、長さ五尺以上もある巨大の箭など、ある箭には、長さ約九寸の三日月形に彎曲せる矢尻が附いてゐて、彎曲の内側は小刀の如く鋭い、かやうな矢は人の頭をはね飛ばすだらう。で、私はそんな重げな矢が、たゞ手で以て弓から射放たれたといふ晃の斷言を殆ど信じ難い。佛教の偉僧日蓮の書――紺地に金文字――があり、また更に偉大なる佛僧、書家、魔力家なる弘法大師の作と稱せらるゝ金龍が、漆塗りの厨子に入ってゐる。

 掩ひかかる樹の蔭を通つて、第三の祠へ達する。鳥居をくゞつてから、一面に浮彫の猿を刻んだ石碑の處へ來る。この碑の意味は、流石の案内者も説明が出來ない。それからまた鳥居がある。これは木製だ。が、金屬製のを夜間盜賊に盜まれたので、その代りだと私は告げられた。驚くべき盜賊!その鳥居は少くとも一噸の重さがあつたに相違ない。また石燈籠がある。それから山の絶頂に廣い境内があつて、その中央に第三番目で、且つ主要なる辨天の祠がある。祠前の雰地には墻を繞らして、祠へは全然近寄れないやうにしてある。虚榮と業腹!

 が、墻の前に、祠の石段に面して、小さな拜殿がある。そこには賽錢箱と鈴が備へてあるだけで何も無い。參詣者はこゝで賽錢を捧げて祈る。小さな壇の上に、支那式屋根を四本の素木の柱で支へて載せ、後方は胸ほどの高さに格子で仕切つてある。この拜殿から辨天宮を覗いて見ると、辨天は存在しないことがわかつた。

 が、私は天井は鏡板で張りつめてあることを認めた。して、中央の鏡板には珍らしい繪を發見した――繪畫の龜が私を瞰視してゐる。私がそれを眺めてゐると、晃と案内者の笑ふのが聞えた。して、案内者は『辨天さま!』と叫んだ。

 一匹の美しい綾織模樣の小蛇が、格子細工を傳つて、蜿蜒と昇つて行く。折々格子の目から頭を突き出して私共を眺める。蛇は毫も人を怖れる風に見えない。また怖れる必要もない。この種類の蛇は辨天の使者で、且つ祕密を明かされてゐる者と思はれてゐるから。女神自身が蛇の形相をすることもある。恐らくは彼女は私共を見ようとして出て來たのであらう。

 附近に、臺石の上に据ゑた奇異の石がある。龜の形で、龜の甲のやうな條紋を有つてゐる。これは神聖のものと考へられ、龜石と呼ばれる。しかし、私はこゝで石と蛇の外には、何をも發見し得ないだらうと、大いに懸念した。

 

[やぶちゃん注:俗に「江の島の屏風石」と呼称される「大日本國江島之靈石」など、薀蓄を述べたいところはゴマンとあるのであるが、私はもう、ハーンと一緒に江の島に入って、ともに歩いているだけで十分で、このルートや遺物及び旧跡をほぼ完全にハーンとともに追体験出来る人間なのである。ここでは、とてもインキ気臭い注を附す気が完全に失せた! 悪しからず!――なお、お暇な方は、例えば私の新編鎌倉志卷之六をご覧あれ。そこで私は「江の島の屏風石」の文字の写真を撮って添えている。また、同じく私のブログのカテゴリ「鎌倉紀行・地誌の、『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」(完結。現在、作業中の『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」の方ではない。ずっと下の方に夥しくある奴である)の膨大な「江島」パートの、私の各詳細記事を参照戴ければ、恩幸これに過ぎたるはない。そこで私はほぼ、言いたいこと、言うべきことをを総て言っているつもりだからである。

「この附近の祠に一つの像がある。が、唯だ一年に一囘、七月十五日に覽せられる」これだけご存じない方が多いと思われるので注しておく。これは江ノ島神社の辺津宮(へつのみや)の左側にある八坂神社(江戸時代までは天王社と呼称した)に祀られている素戔嗚尊(すさのおのみこと)木像を指す(私自身、拝観したことがない)。現在も八坂神社礼祭(天王祭)毎年七月中旬の日曜日に大祭がある(かつては神輿が対岸の腰越にある小動神社まで海上を渡御したが、現在は海に入るものの橋を渡っているらしい。私は未見)。

「浮渣」「フサ」と音読みしているようだが、原文の“sucum”(スカム)の、所謂、科学技術用語的な訳で如何にも硬い。現行の「スカム」は主に液体の表面に浮かぶ「泡」や「浮き滓(かす)」を意味し、現在では主に浄水場や排水処理槽などの装置にある沈殿池(槽)などで浮かぶところの、泡とも泥ともつかない物質、概ね、液体の表面に浮き溜まっている厚い油膜や油脂成分を指す語である。広義には汚物や糟(かす)の謂いもあるから、ここは「覆った汚れ」ぐらいでよいと思われる。平井呈一氏はすこぶる達意に『何だか石垢のようなものが積もって』と訳しておられ、至当である。

「板金鎧」「ばんきんよろい」と読む。一般にこれはヨーロッパ中世の騎士が装着するような“plate armor”(プレート・アーマー:人体の胸部或いは全身を覆う金属板で構成された鎧。)の訳語として知られるが、原文の“suits of plate”は、所謂、“plate armor”“armor”が甲冑一式(鎧と兜)を指す言葉であることから、ハーンは後に兜を言う関係上、鎧だけを示すために“suits”と言ったように見受けられる。

「鏈甲」「くさりかぶと」と訓じているか。原文は“chain-mail”で、“mail”自体が鎖帷子(くさりかたびら)、鎖で出来た鎧の意がある。ここは「鎖帷子」と訳してよかったのではないか。或いは落合氏はこれで「くさりかたびら」と訓じさせるつもりであったのかも知れない。

「瞼甲」原文“visors”(ヴァイザー。「サン・バイザー」などのそれ)。これは恐らく「めんぼう(めんぼお)」(面頰)と当て読みしているように思われる。兜の面庇(まびさし)である。

「五尺」約一・五メートル。ウィキ矢」によれば、『矢の長さは、自分の矢束(やづか。首の中心から横にまっすぐ伸ばした腕の指先まで)より手の指数本分長いものが安全上好ましいとされて』おり、「平家物語」には『十二束(つか)三伏(ぶせ)』(拳の幅十二個分に加えて指三本分の幅の長さ)という表記もある、とある。調べて見ると、一メートルを越える箭(や)もあるらしいが、この長さは異様で、しかも通常の実戦用の征矢(そや)で太いものでも一センチメートルであるから、「一寸」、三センチメートルというのはとんでもない代物で、源為朝ぐらいしか放てそうにない。寧ろ、張子の虎の威嚇的な神聖奉納品であろう。

「素木」「ソボク」という音読みでもよいが、ここは「しらき」(白木)と読みたい。
 

「瞰視してゐる」「カンシ」という音読みでもよいが、原義の見下ろすこと・俯瞰の意から、「みおろしている」と訓じたい。

「一面に浮彫の猿を刻んだ石碑」私の大好きな群猿奉賽像庚申塔(ぐんえんほうさいぞうこうしんとう)である。基座には弁天の使いとされる蛇が浮き彫りとなっており、四面には計三十六匹もの神猿が思い思いの仕草で山王神の神徳を奉賽するユーモラスな姿で浮き彫りされている庚申塔で三猿信仰と習合した庚申塔の中でもこれだけ膨大な数の猿を彫ったものは他に例を見ない。江戸後期に無病息災を祈念して建立されたものと考えられている。藤沢市重要有形民俗文化財である。

「繪畫の龜が私を瞰視してゐる」やはり私の大好きな江ノ島神社奥津宮の拝殿上部の酒井抱一画「八方睨みの亀」である。ハーン描写は頗る正しい。なお、現在見られるそれは一九九四年に片岡華陽の復元画である(原画は藤沢市有形文化財指定で江島神社宝蔵に保管されている)。

 

Sec. 17

Ascending the steps, we reach a terrace, overlooking all the city roofs. There are Buddhist lions of stone and stone lanterns, mossed and chipped, on either side the torii; and the background of the terrace is the sacred hill, covered with foliage. To the left is a balustrade of stone, old and green, surrounding a shallow pool covered with scum of water-weed. And on the farther bank above it, out of the bushes, protrudes a strangely shaped stone slab, poised on edge, and covered with Chinese characters. It is a sacred stone, and is believed to have the form of a great frog, gama; wherefore it is called Gama-ishi, the Frog-stone. Here and there along the edge of the terrace are other graven monuments, one of which is the offering of certain pilgrims who visited the shrine of the sea-goddess one hundred times. On the right other flights of steps lead to loftier terraces; and an old man, who sits at the foot of them, making bird-cages of bamboo, offers himself as guide.

We follow him to the next terrace, where there is a school for the children of Enoshima, and another sacred stone, huge and shapeless: Fuku-ishi, the Stone of Good Fortune. In old times pilgrims who rubbed their hands upon it believed they would thereby gain riches; and the stone is polished and worn by the touch of innumerable palms.

More steps and more green-mossed lions and lanterns, and another terrace with a little temple in its midst, the first shrine of Benten. Before it a few stunted palm-trees are growing. There is nothing in the shrine of interest, only Shinto emblems. But there is another well beside it with other votive towels, and there is another mysterious monument, a stone shrine brought from China six hundred years ago. Perhaps it contained some far-famed statue before this place of pilgrimage was given over to the priests of Shinto. There is nothing in it now; the monolith slab forming the back of it has been fractured by the falling of rocks from the cliff above; and the inscription cut therein has been almost effaced by some kind of scum. Akira reads 'Dai-Nippongoku-Enoshima-no-reiseki- ken . . .'; the rest is undecipherable. He says there is a statue in the neighbouring temple, but it is exhibited only once a year, on the fifteenth day of the seventh month.

Leaving the court by a rising path to the left, we proceed along the verge of a cliff overlooking the sea. Perched upon this verge are pretty tea-houses, all widely open to the sea wind, so that, looking through them, over their matted floors and lacquered balconies one sees the ocean as in a picture-frame, and the pale clear horizon specked with snowy sails, and a faint blue-peaked shape also, like a phantom island, the far vapoury silhouette of Oshima. Then we find another torii, and other steps leading to a terrace almost black with shade of enormous evergreen trees, and surrounded on the sea side by another stone balustrade, velveted with moss. On the right more steps, another torii, another terrace; and more mossed green lions and stone lamps; and a monument inscribed with the record of the change whereby Enoshima passed away from Buddhism to become Shino. Beyond, in the centre of another plateau, the second shrine of Benten.

But there is no Benten! Benten has been hidden away by Shinto hands. The second shrine is void as the first. Nevertheless, in a building to the left of the temple, strange relics are exhibited. Feudal armour; suits of plate and chain-mail; helmets with visors which are demoniac masks of iron; helmets crested with dragons of gold; two-handed swords worthy of giants; and enormous arrows, more than five feet long, with shafts nearly an inch in diameter. One has a crescent head about nine inches from horn to horn, the interior edge of the crescent being sharp as a knife. Such a missile would take off a man's head; and I can scarcely believe Akira's assurance that such ponderous arrows were shot from a bow by hand only. There is a specimen of the writing of Nichiren, the great Buddhist priest—gold characters on a blue ground; and there is, in a lacquered shrine, a gilded dragon said to have been made by that still greater priest and writer and master-wizard, Kobodaishi.

A path shaded by overarching trees leads from this plateau to the third shrine. We pass a torii and beyond it come to a stone monument covered with figures of monkeys chiselled in relief. What the signification of this monument is, even our guide cannot explain. Then another torii. It is of wood; but I am told it replaces one of metal, stolen in the night by thieves. Wonderful thieves! that torii must have weighed at least a ton! More stone lanterns; then an immense count, on the very summit of the mountain, and there, in its midst, the third and chief temple of Benten. And before the temple is a Lange vacant space surrounded by a fence in such manner as to render the shrine totally inaccessible. Vanity and vexation of spirit!

There is, however, a little haiden, or place of prayer, with nothing in it but a money-box and a bell, before the fence, and facing the temple steps. Here the pilgrims make their offerings and pray. Only a small raised platform covered with a Chinese roof supported upon four plain posts, the back of the structure being closed by a lattice about breast high. From this praying-station we can look into the temple of Beaten, and see that Benten is not there.

But I perceive that the ceiling is arranged in caissons; and in a central caisson I discover a very curious painting-a foreshortened Tortoise, gazing down at me. And while I am looking at it I hear Akira and the guide laughing; and the latter exclaims, 'Benten-Sama!'

A beautiful little damask snake is undulating up the lattice-work, poking its head through betimes to look at us. It does not seem in the least afraid, nor has it much reason to be, seeing that its kind are deemed the servants and confidants of Benten. Sometimes the great goddess herself assumes the serpent form; perhaps she has come to see us.

Near by is a singular stone, set on a pedestal in the court. It has the form of the body of a tortoise, and markings like those of the creature's shell; and it is held a sacred thing, and is called the Tortoise-stone. But I fear exceedingly that in all this place we shall find nothing save stones and serpents!

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一六)

        一六

 

 この珍らしい町の終端に、また鳥居がある。木の鳥居で、そこへは一層の急阪がある。阪の下に奉納の石燈籠、小さな井と石の手水鉢がある。參詣者は、手水鉢で手を洗ひ、口を漱ぐ。大きな白い漢字を書いた靑手拭が、傍に吊つてある。私は晃に文字の意味を尋ねた――

 『奉獻と漢字では、音讀しますが、日本語ではそれを獻じ奉ると讀むのです。この手拭を恭しく辨天に捧げ奉るといふ意味なので、皆これは寄進と申して、色々の種類があります。手拭を寄進する者もあれば、繪畫を寄進するのもある。瓶や、提燈や、唐金の燈籠や、石燈籠もある。普通、神樣に祈願をかける時には、そんな寄進の誓ひを立てます。よく鳥居の寄進を誓約しますが、その大いさは献げる人の富の度合によります。非常な富豪は、あの、こゝの下にある、江ノ島の門のやうな、唐金の鳥居を献上するのもあります』

 

 『いつ馬も日本人は、神樣への誓約を守りますか?』

 

 晃は可愛い微笑を洩して、私に答へた――

 『もし祈願が叶つたら、立派な金屬製の鳥居を建てることを誓つた人がありました。して、その人は思ひ通りに願が叶つたのです。すると、三本の極く小さな針で鳥居を建てたさうです』

 

[やぶちゃん注:「唐金」老婆心乍ら、「からかね」と読み、青銅のこと。中国から製法が伝わったことによる。]

 

Sec. 16

This curious street ends at another torii, a wooden torii, with a steeper flight of stone steps ascending to it. At the foot of the steps are votive stone lamps and a little well, and a stone tank at which all pilgrims wash their hands and rinse their mouths before approaching the temples of the gods. And hanging beside the tank are bright blue towels, with large white Chinese characters upon them. I ask Akira what these characters signify:

'Ho-Keng is the sound of the characters in the Chinese; but in Japanese the same characters are pronounced Kenjitatetmatsuru, and signify that those towels are mostly humbly offered to Benten. They are what you call votive offerings. And there are many kinds of votive offerings made to famous shrines. Some people give towels, some give pictures, some give vases; some offer lanterns of paper, or bronze, or stone. It is common to promise such offerings when making petitions to the gods; and it is usual to promise a torii. The torii may be small or great according to the wealth of him who gives it; the very rich pilgrim may offer to the gods a torii of metal, such as that below, which is the Gate of Enoshima.'

'Akira, do the Japanese always keep their vows to the gods?'

Akira smiles a sweet smile, and answers: 'There was a man who promised to build a torii of good metal if his prayers were granted. And he obtained all that he desired. And then he built a torii with three exceedingly small needles.'

アリス物語 ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯 (五) 芋蟲の忠告



     五 芋蟲の忠告

 

 芋蟲とアリスは、暫くの間默り込んで見合つてゐました。しかしとうとう芋蟲が口から水煙管をとつて、だるいねむさうな聲で、アリスに話しかけました。

「お前さんは誰ですか」と芋蟲はまづ訊きました。

 けれどもこれは二人の會話を、すらすら進めていくやうな、問(とひ)ではありませんでした。アリスは少し恥づかしさうに答へました。「わたし――わたし今ではよく分らないのです。――といつても、今朝(けさ)起きたときは、わたしが誰(たれ)だつたかは、知つて居たのですが、それから何度もいろいろ變つたに違ひないと思ふんです。」

「それはどういふことなのだ。」と芋蟲はきびしく言ひました。「睨明してみなさい。」

「わたし、説明なんて出來ないんです。」とアリスが言ひました。「だつてわたしはわたしでないのですから。ねえ。」

「さつぱり分らん。」と芋蟲が言ひました。

「殘念ながら、わたしにはそれをもつとはつきり、言ひ表はす事が出來ませんの。」とアリスは大層丁寧に答へました。「なぜなら、第一わたしには自分ながら、それが分つて居りませんの、そして一日の中に、いろいろと大きさが變るなんて、隨分頭をまごつかせる事ですもの。」

「そんなことはない。」と芋蟲は言ひました。

「ええ、そりやあなたは今までそんな事を、さういふものだとお感じになつた事は、ないかも知れませんけれど。」とアリスは言ひました。「でも、あなたが蛹(さなぎ)になつたり――いつかはさうなるんでせう――それから蝶蝶(てふてふ)にならなければならなくなつたら、少しは變にお思ひでせう、思はなくつて。」

「いいや、ちつとも。」と芋蟲が言ひました。

「それぢや、あなたの感じがちがふのよ。」とアリスが言ひました「わたしの知つて居る限りでは、それがとても變に感じられますの、私(わたし)にとつて。」

「お前に?」と芋蟲は馬鹿にしたやうに言ひました。「ぢやあお前は誰(たれ)なのだ。」

 そこで會話が又一番初めに戻つてしまひました。アリスは芋蟲が、こんな風に大層短い言葉しか言はないので、ぢれつたくなりました。それで背のびをして、大層真面目になつて言ひました。「わたしはね、先づあなたが自分は誰(たれ)であるか、名乘(なの)るべきだと思ひますわ。」

「何故(なぜ)?」と芋蟲は言ひました。

 これでまた面倒な問題になりました。アリスはいい理由(わけ)を考へつきませんし、一方芋蟲はひどく不愉快らしい樣子でした。そこでアリスは向ふの方(はう)に歩いて行きました。

「戻つてこい。」と芋蟲はアリスの後(うしろ)から呼びかけました。「わたしは少し大事な話があるのだ。」

 この言葉が幾分賴もしく聞えましたので、アリスは振り返つて、又戻つて來ました。

「おこるもんぢやないよ。」と芋蟲が言ひました。

「それだけなの。」とアリスは、できるだけ怒りをのみこんでいひました。

「いいや。」と芋蟲が言ひました。

 アリスは他に用がないものですから、待つてやつてもいいと思ひました。多分、何かいいことを聞かしてくれるのだらう、と思つたものですから。しばらくの間、芋蟲は何にも言はないで、水煙管(みづぎせる)をプカプカふかしてゐました。けれどもとうとう芋蟲は腕組(うでぐみ)をほどき、水煙管を、口から又とつて言ひました。「それでは、お前變つてると思ふのかい。」

「どうもさうらしいのですわ。」とアリスが言ひました。「わたし以前(まへ)のやうに、物を覺えられませんし――そして十分間(ぷんかん)と同じ大きさで居ないのです。」

「覺えらられないつて、一體何を?」と芋蟲が言ひました。

「ええ、わたし『ちひちやい蜜蜂どうして居る』を歌つて見ようと思つても、まるでちがつてしまふの。」とアリスは大層かなしさうな聲で言ひました。

「『ウリアム父さん、年をとつた』」をやつてごらん。」と芋蟲が言ひました。

 アリスは腕を組んで始めました。

 

 「若い息子が云ふことにや

 『ウリアム父(とつ)さん、年とつたな、

  お前の髮は眞白だ。

  だのに始終逆立ちなぞして、――

  大丈夫なのかい、そんな年して。』

 

  ウリアム父(とつ)さん答へるにや、

 『若い時にはその事を

  腦(なう)にわるいと案じたさ。

  だが今ぢや腦味噌もなし、

  それでわたしは何度もやるのよ。』

 

  若い息子が云ふことにや、

 『何しろ父(とつ)さん年とつた。

  それによくもぶくぶく肥つたもんだ。

  だのに戸口ででんぐり返つたり、

  ありや一體何のつもりさ。」

 

  白髮頭(しらがあたま)を振りながら、

  ウリアム父(とつ)さん云ふことにや、

 『若い時にやあ氣をつけて

  せいぜいからだをしなやかにしてたよ。

  こんな膏藥まで使つてね――

  ――一箱五十錢のこの膏藥だ――。

  お前に一組賣つてやらうか。』

 

  若い息子が云ふことにや、

 『お前は兎(と)に角(かく)年よりだ。

  お前の顎(あご)はもう弱い。

  脂身(あぶらみ)より硬いものは向かぬ筈(はず)。

  だのに鵞鳥を骨(ほね)ぐるみ、

  嘴(くちばし)までも食べちまつた。

  あれは何うして出來たのだい。』

 

  父(とつ)さん息子に云ふことにや、

 『わしが若いときや法律好(ず)きで

  何かと云へば女房と議論さ。

  お蔭で顎(あご)は千萬人力(せんまんにんりき)。

  こんな年までこの通り。』

 

  若い息子の云ふことにや、

 『お前は年とつた。

  昔通(どほり)りに目が確かだとは

  誰(たれ)か本當と信じよう。

  だのにお前、

  鼻つ先で鰻(うなぎ)を秤(はか)つたか

  何うしてあんなうまい事かやれたんだ。』

 

  父(とつ)さん息子に云ふことにや、

 『わしは三度も返事した。

  もう澤山だ。

  こんな譫語(たはごと)に相槌(あひづち)うつて、

  大事な一日つぶしてなろか。

  さあさ出て行け、

  行かぬと階(はしご)から蹴落すぞ。』

 

「間違つてるね。」と芋蟲が言ひました。

「そりやみんなは合つてゐないやうねえ。」とアリスはビクビクして言ひました。「文句が少し變つたのだわ。」

「初めから終(しま)ひまで違つて居るよ。」と芋蟲はきつぱり言ひました。それからしばらく二人は默り込んでしまひました。

 すると、芋蟲が話しだしました。

「お前はどの位(くらゐ)の大きさになりたいのだ。」

「まあ、わたしどの位(くらゐ)の大きさつて、きまつてゐないわ。」とアリスはあわてて答へました。「ただ誰(たれ)だつて、そんなに度度(たびたび)大きさが變るのは、嫌でせう。ねえ。」

「わしには分からんよ。」と芋蟲は言ひました。アリスは何も言ひませんでした。今までこんなに、反對せられたことはありませんので、アリスは癪(しやく)で堪(たま)りませんでした。

「今は滿足して居るのかい?」と芋蟲は言ひました。

「さうねえ、あ々たさへ御迷惑でなかつたら、わたしもうs少し大きくなりたいの。」とアリスが言ひました。「三寸(すん)なんてほんとに情ない背(せい)ですわ。」

「いや、それか大層いい背格好(せいかつかう)だよ。」と芋蟲は背(せ)のびをしながら、怒(おこ)つて言ひました。(芋蟲も丁度(ちやうど)三寸(すん)の背(せい)でしたから。)

「でも、わたし、この背(せい)には馴れてゐないんでうの。」と可哀想(かはいさう)なアリスは、哀れつぼい聲で言ひました。そして心の中で、「この人がこんなに怒りつぽくなければいいんだが。」と思ひました。

「今にお前馴れてくるよ。」と芋蟲は言つて、口に水煙管(みづぎせる)をくはへて、またふかし始めました。

 今度はアリスは芋蟲が、又話しかけるまでヂツと待つて居ました。一二分たつたとき、芋蟲は口から水煙管をとつて、一二度缺伸(あくび)をして、身體(からだ)を振ひました。それから蕈(きのこ)から下(お)りて、草の中へ匍(は)つていきました。行(い)きながら、ただ芋蟲は「一つの側(かわ)は、お前の背(せい)を高くし、他(ほか)の側(かは)は、お前の背(せい)を短くする。」と言ひました。

「何(なん)の一(ひと)つの側(かは)なんだらう。何の他(ほか)の側(かは)なんだらう。」とアリスは考へました。「蕈(きのこ)のだよ。」と芋蟲は丁度、アリスが大聲で尋ねでもしたかのやうに言ひました。そして直ぐ芋蟲の姿は、見えなくなりました。

 アリスはしばらくの間、考へ込んで、ヂツと蕈(きのこ)を見て居ました。そして蕈の兩側(りやうがは)とは、どこなのか、知らうとしました。けれども蕈はまん丸なものですから、これは大層むづかしい問題だと、いふことがわかりました。けれども、とうとうアリスは兩腕をグルリと廻せるだけまはして、蕈の端(はし)を兩手で、チヨツトかきとりました。

「さあどちらがどちらなのだらう。」とアリスは獨語(ひとりごと)をいひました。そしてその結果をためして見るつもりで、右側を一寸(ちよつと)かじつて見ました。と、いきなり顎(あご)の下をひどく打たれたやうな氣がしました。それは顎が足にぶつ

かつたからでした。

 アリスは此の急な變り方に、すつかり驚いてしまひましたが、身體(からだ)がドンドン縮まつていくものですから、少しもぐづぐづして居られませんでした。それでアリスは、早速(さつそく)別の端(はし)をかじることにとりかかりました。顎が足にしつかりとくつついて居るものですから、口をあく餘裕なんか、ほとんどありません。しかし、とうとう何(ど)うにかあけて、やつとのことで、蕈(きのこ)の右の端を一口のみ込みました。
 
[やぶちゃん注:「ウリアム父さん、年をとつた」原文原題は“You are old, Father William”。これはイギリスのロマン派詩人ロバート・サウジー(Robert Southey 一七七四年~一八四三年)の詩 “The Old Man's Comforts and How He Gained Them”のパロディである(リンク先は英文サイト“Poets' Graves”の当該詩篇)。なお、芥川龍之介は擬古文で書かれた「骨董羹壽陵余子の假名のもとに筆を執れる戲文の「別稿」(初出時にはあったが、単行本では削除)の「天路歷程」で、このサウジーの一八三〇年の作「天路歴程」(The Pilgrim's Progress with a Life of John Bunyan:ジョン・バニヤンの生涯と巡礼者の発展)の漢訳本に就いて触れている。よろしければ、以上の初出に復元し、且つ、私が現代語訳した『芥川龍之介「骨董羹寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文」に基づくやぶちゃんという仮名のもとに勝手自在に現代語に翻案した「骨董羹(中華風ごった煮)寿陵余子という仮名のもと筆を執った戯れごと」という無謀不遜な試み』もお読み戴ければ幸いである。]

      *  *  *  *  *  *

「ああ頭がやつと樂になつた。」とアリスは嬉しさうに言ひましたが、忽ちその聲は、驚きの悲嗚に變つてしまひました。それもその筈です。アリスは自分の肩が、どこにあるのだか見えなくなつたのでした。アリスが下を向いて見ると、見えるものは、ばかに長い頸(くび)だけで、それはアリスのずつとずつと下に擴(ひろが)つてゐる、靑い葉の間から、生えて居る莖(くき)のやうに見えてゐるのでした。

「一體あの靑いものは何かしら。」とアリスは言ひました。「そしてわたし、肩は何處(どこ)にいつたんでせう。まあ、わたしの可哀想(かはいさう)な兩手さん、わたし、

どうしてお前を見られなくなつたんでせう。」とアリスは言ひながら、手を動かして見ましたが、ただ、遙か下の綠色(みどりいろ)の葉の一部が、微(かす)かに搖れたきりでした。

 何しろ、手の方を頭に屆かせるなどといふ事は、とても出來さうもありませんでしたので、アリスは頭の方を手に屆かせてみようとやつてみました。すると嬉しいことに、アリスの首は蛇(へび)のやうに、どつちにでもうまく曲(まが)る事が分りました。アリスはこれで格好よくまげくねらせ、そして靑い葉の間に、その首を突込(つつこ)みかけました。――氣づいて見ると、それは今まで歩いて居た森の樹(き)の梢(こずゑ)でした。――が丁度そのとき鋭いヒユーといふ音(おと)が、アリスの顏をかすめたので、あわてて後退(あとすざ)りしました。大きな鳩がアリスの顏にぶつかつて、翼でアリスをひどく打(う)ちました。

「やあ蛇!。」と鳩は金切聲(かなきりごゑ)で叫びました。

「わたし、蛇々んかぢやないわ。」とアリスは怒(おこ)つて言ひました。「早くお退(ど)き!。」

「蛇だつたら蛇だよ。」と鳩は繰返(くりかへ)して言ひました。けれども、その聲は前よりやさしい調子でした。それから、泣聲で附け加へるのに、「いろいろとやつて見たが、どれもあいつには合はないやうだ。」

「お前さん一體何を言つて居るのだか、わたしにやちつとも分らない。」とアリスは言ひました。

「わたしは木の根にもやつて見たし、土手(どて)にも、垣根にもやつて見た。」と鳩はアリスに構はず言ひました。「けれどもあの蛇(へび)奴(め)、あいつばかりはどうしても氣を和げることができない。」

 アリスはますます分らなくなつて來ました。けれどもアリスは、鳩が言ひ終るまで、何を言つても無駄だと考へました。

「蛇の奴(やつ)め、卵(たまご)を孵(かへ)すなんて、何でもないと思つてやがるらしい。」と鳩が言ひました。「少しは夜晝(よるひる)蛇の見張(みはり)をしてゐなきやならん。まあ、わしは此の三週間と云ふものは、一睡(すゐ)もしないんだよ。」

「御困りのやうで氣の毒ですわ。」とアリスは鳩の云ふことが、分りかけましたので言ひました。

「それでやつと今、森の一番高い木に、巣をかけたところだのに。」と鳩は言ひ續けて居る内に、泣き聲になつてきました。「こんどこそは蛇にねらはれることがないと思つて居たのに、今度は空から、ニヨロニヨロ下(おり)るぢやないか。いまいましい、この蛇め。」

「だつてわたし、蛇でないと云ふのに。」とアリスは言ひました。「わたしは――わたしは、あの――。」

「ぢやあ、お前は何なのだ。」と鳩が言ひました。

「わしはお前が、何かたくらんでゐることを知つて居るよ。」

「わたしは――わたしは小さい娘ですわ。」とアリスは一日の中(うち)に、いろいろな形に變つたことを、思ひ出して一寸(ちよつと)疑はしさうに言ひました。

「旨(うま)く言つてやがる。」と鳩はひどく馬鹿にして言ひました。「わしは今までに澤山の娘は見て居るが、こんな首をして居る女の子なんか、見たことがないよ。ちがふよ。ちがふよ。お前は蛇なんだ。さうぢやないと、言つて見たつて無駄だよ。今度は多分卵(たまご)なんかの味は知りませんと云ふんだらう。」

「わたし卵(たまご)の味は、知つて居るわ。」とアリスは大層正直な子供でしたから、言ひました。「だつて小さい娘だつて、蛇と同じ位(くらゐ)に卵を食べてよ、さうでせう。」

「わたしには信じられないことだ。」と鳩が言ひました。「けれども、若(も)しさうだとすると、それぢやまあ娘も蛇の類(るゐ)だなあ。わしはさう云ふより外(ほか)はない。」

 鳩の言つたこの事は、アリスにとつては、全く新しい考へでしたから、アリスは一二分間(ふんかん)默り込んでしまひました。それをいい機會に鳩は話しつづけました。「おまへは卵を探して居るんだね。それにちがひあるまい。かうなりやお前が、小さい娘であらうが、蛇であらうが、わしにはどうでもよいのだ。」

わたしにはそれがちつとも、何うでもよくない事なの。」とアリスはあわてていひました。「けれどわたし、卵なんか探してゐるんぢやないの。もし探したつて、お前の卵なんか欲しくはないわ。わたし生(なま)の鳩の卵なんか好きぢやないの。」

「ふん、それぢや、去(い)つてくれ。」と鳩は巣の中に入りながら、氣むづかしい聲で言ひました。アリスは出來るだけ、こごんで樹の下を、歩いていきました。何故ならアリスの首か枝にからみつくからでした。それでその度毎(ごと)に時時止(と)まつて、ほどいていかねばなりませんでした。しばらく經つて、アリスは兩手に一本の蕈(きのこ)を、持つて居ることに氣がつきましたから、大變氣をつけて、初めに一つの側(かは)をかじり、それから別の側(かは)をかじつて、大きくなつたり、小さくなつたりして居るうちに、とうとうアリスはやつとあたり前の背(せい)になることができました。

 隨分と永い間ほんとの大きさにならなかつたのですから、始めは全く奇妙でした。が、少し經つうちに、慣れて來て、いつもの樣に獨語(ひとりごと)をいひ始めました。「さあ、これでわたしのもくろみか、半分達(たつ)しられたのだわ。あんなにいろいろ大きさが變つちや、やりきれないわ。一分間(ぷんかん)のうちに、どうなつていくのだかわからないのだもの。けれどもわたしはこれであたりまへの大きさになつたのだ。次にすることは、あの綺麗なお庭に入ることだわ。一體それには、どうすれぱいいのか知ら。」かう言ひましたとき、アリスは突然、廣廣(ひろびろ)とした場所に出ました。そこには四尺ばかりの小さい家(うち)が建つて居りました。「あすこに誰(だれ)が住んで居るにしても。」とアリスは考ヘはじめました。「わたしがこの大きさのままで會ひに行つちやあ、惡いかもしれないわ。内(うち)の人達をすつかり驚かせてしまふわ。」さう言つてアリスは又(また)蕈(きのこ)の右側を、少しかじり始めました。それで九寸ばかりの背(せい)になつたとき、はじめてその家(うち)に近寄つて行きました。

2015/06/23

深夜の人 室生犀星

 
深夜の人   室生犀星
 

[やぶちゃん注:この何とも不可思議な手触りのする奇体にして不安な夢記述の如き小品は、室生犀星が昭和九(一九三四)年一月『文学界』に発表した、畏友芥川龍之介の死後六年半の後の小説である。

 底本として昭和一八(一九四三)年三笠書房刊の「芥川龍之介の人と作品 上卷」を国立国会図書館近代デジタルライブラリーの画像を視認した。踊り字「〱」は正字化した。傍点は太字とした。

 私は思う。……過去の古びた個別的なメトニミー(metonymy:換喩)が、今現在の痙攣的な我々の現実のメタファー(metaphor:隠喩)として我々を指弾するのだ…………【2015年6月23日 藪野直史】]

 

   深夜の人

 

 雨があがると虹が立つた、素晴しい美しい虹だつた。群衆は一どきに前側に列をすゝめ巡査はなぜか危ないと云つて、群衆の亂れるのを制した。みんなは虹を見ようとしてゐるのだ、虹なんぞ見るのにこんなに人出があるなんて不思議な日である。空は薄暗がりのなかに眞中から陶器が二つに割れたやうな割目を見せてゐて、そこから一面に斜陽のやうな明るい光を見せてゐた。

 「いつたい、これはどうしたのだ、虹なんぞ見たつて仕樣があるまい。」

 死んだ小説家が僕とならんで、ちょつと虹の方を見て、愚かなることよといふやうな顏をした。

 「虹ばかり見に出たのではない、これは天變地異のある證據ぢやないか、何だか世間ががやがやしてゐる。みんなの顏を見ても眞黑になつてゐるぢやないか。」

 僕らは何やらまだお喋りをつづけて歩いてゐるうちに、群衆は一どきに感極まつて聲をあげた。聲はそらの方に向いて上げられたのだ。僕らも慌ててそらを仰ぎ見たが、僕らはそこに一頭の龍がそらから五色の雲を搔き起しながら、下界に向つておりてくる姿を眺めた。

 不思議なことにはその龍はずゐぶん大きかつたけれど、支那の竹細工で出來た龍みたいに五つの節からなり立つてゐた。頭と胴が三つ繼ぎになり、尾は伊勢鰕のやうに開いて透き徹つてゐた。伊勢鰕といえば龍の全體がそつくり途方もない大きい伊勢鰕のやうに見えた。墨と紅と白墨とでそめ上げ、ところどころに黄金の鱗が描かれてあつて、よく見るとそれは紙で作つたものらしかつた。動くたびにざわざわ音がした。にも拘らずその氣分は驚くべき立派な、古來から僕らが小説やお伽話や詩や俳句で教へられた龍にちがひなかつた。いまどきこんな龍が下界に降りるなんて奇蹟でもあるにちがひない。

 「見たまへ龍の胴ツ腹から人間の足が一杯下つてゐるぢやないか。あれは君、越後獅子のやうに紙の龍を練り歩きしてゐるのだぜ。愚人を詐らかせる惡者の仕業かも知れん。」

 成程僕は、始めて龍の頭の下にも、胴ツ腹にも、尾の方にも中にはいつて龍をかついでゐる人の足がによきによき毛脛までそよがせてゐるのを見た。しかもどの足もみな雲のやうな薄墨いろに塗つてあつて、一見、けふの怪しい曇天のいろと異つて見えるところがなかつた。

 それにしても僕は生れてはじめて龍を見た驚きを、假令、人間の足が下から覗いて見え るにしても、變へることができなかつた。

  龍はしづしづと道路をあるいて行つた。群衆は誰一人として龍に人間の足がついてゐることを嘲笑するものもいなければ、殊更に氣をつかつてゐるらしい氣はひもなかつた。 只、いちじるしい讚仰の聲と心があつたばかりだつた。感嘆の聲が寺院のなかにゐるやう に群衆をゆき亘つて、それが町ぢうに音樂のやうにひろがつて行つた。僕は龍の眼の玉が子供の石蹴り遊びのガラスの玉ほどあつて、尾が夜會の扇のやうにひろがつてゐるのを美しいと眺めた。

 「この龍はめすぢやないか。」

 「どうして君にそれがわかるの。」

 「だつて羞かしさうにお腹を時々ゆすぶつては顏を伏せて行くぢやないか。腹を見たまへ、卵が一杯詰つていゐる。駝鳥のやうな巖丈な卵をしこたま積め込んでゐやがる。」

 「あれが卵か。」

 龍の下腹は磧を逆さまにしたような卵の列で、一杯であつた。

 「なるほどめすだ、仔を生みに下界に降りに來たのだらう。」

 「この際さうみとめるのが一番早道の考へだね。」

 僕は紙づくりの龍であること、人間が擔ぎ廻つてゐることをすつかり忘れてしまつてゐことに、僕は自分の氣持を疑ふやうにもなつてゐた。

 龍は先刻もいつたやうにしづしづと通りすぎてしまつたかと思ふと拭いて取つてしまつたあとのようにきれいに龍は消えてなくなつてしまつた。しかし群衆は依然うごかなかつた。まだ何か見るものがあつてさうしてそのやうに動かずに待つてゐるやうであつた。もつと面白いことがあるかも知れない、これは見物だぞと僕は死んだ小説家をこづいた。

 彼と僕とは電信柱にもたれ、退屈と物好きであるとしか見えない群衆と同じい心をもつやうになつてゐた。群衆はがやがや囁きをはじめた。先刻の龍の下りてくる前と同じい程度のがやがやであつた。そのうち空が陶器のやうに割れるのであらうと考へると、やはりその通りであつた。明るい背光のなかからこれは又聞いたことのない悲しい音樂が起つて來たが、それは映畫などの悲しい時の氣分をあらはすにふさはしいヴァイオリンのきうきういふ音色に似てゐた。それを聞いてゐて僕は人知れずどれだけ泣いたか知れなかつた。つまり僕は大方の觀客と同じく活動を見にゆくことは、いつも泣きにゆくやうなものであつた。カイゼルはあの年になつて老の涙を映畫見物中におふきになるさうであるから、僕なんぞ泣くのはそんなに羞かしい譯のものでなかつた。女給や女學生や世帶で苦勞した女がべたべたに泣くやうに僕もまたべたべたになつて泣くのであつた。一たい僕は音樂を欲するときは大抵女にほれてゐる時か、女のことを考へてゐる時か、女のことを思ひながら詩や小説をかいてゐる時かであつた。そのほかに音樂などの必要がなかつた。女にほれてゐるときに音樂をきくと、ほれてゐる事がらが一そう樂しくあまだるくなり、とろとろになつてくるので好きであつた。音樂があるために女がうつくしく見えることも實際であつた。だから今ヴァイオリンがきうきう鳴るのをきいてゐると、女にほれてゐないときだから、ちつとも面白くないのであつた。面白いどころか、からだが寒氣がしがちがちしてくるくらゐだつた。

 よく聞いてゐるとその音樂は死の行進曲であつたのだ、悲しい筈である。死んだ小説家はそんなものに耳もくれないで、こんどは祿な行列ぢやないぜ、きうきう絃をこすりやがつていやに悲劇の前ぶれをするから面白い筈がないと云つた。それにも拘らず彼はのんきな顏をして、しげしげと天の一方をながめ込んでゐた。

 行列はまさに行列であつたが、死人の行列であつた。女なんぞはみんな裸で男もさうだつた。女の裸なぞは少しも美しくないばかりか、みんな煮しめたやうな黑いからだをしてゐた。

 しかし顏は瘦せた石佛のように美しく見えた。美しいといふよりも烈しい淸瘠さがあつたのだ。

 群衆はしんみりして了つて誰も聲も立てなかつたし、咳一つしなかつた。全く畏つてゐる姿だつた。それがあんまり靜かだつたのでちよつと反感をもつくらゐであつた。行列は相不變しづしづと歩いて行き、音樂はもう起つてゐなかつた。

 死んだ小説家は小鳥が籠から放れると、ふいに高い木の頂に止つてやはり一應籠の方をふりかへつて見るやうに、熱心に行列を見てゐた。僕は彼がにはかに知己に會つたときの元氣を取りもどしたやうになつてゐるのを感じた。

 君は死んでゐるのか生きてゐるのか、どつちなんだと云はうとして、それを云ふことが大變なことになると思うて僕はいふのを控えた。人間はいふべきことを氣のついたときには控へた方がよい、そんなことを僕は日ごろちよいちよい考へてゐた。

 行列は絶えないばかりか、群衆のなかからその行列に加はらうとするものがあつてその人が道路に出るごとに、群衆は危ないから止めろとか、連れて行かれるぞとか、かへつて來られないよとか、女房や子供を可愛さうだと思はないのかとか、あとに殘るのは日干しになるぞとか、がやがやと口々に憚るやうな聲をして囁き合うた。しかし道路に出た人間は行列のぢきちかくなると、醉うたやうになつて踊るやうな足つきで行列のなかに紛れ込んで行つた。まるでダンスみたいに踊るのだ。そんな人間はすぐ見境ひのつかない行列のなかの同じい顏に刷り込まれて行つて、見定めようとしてもまるで分らなかつた。事實、さふいふ小さい事件があるときだけ、しづしづと行くべき筈の行列が深い淵の底がとても迅いやうに、ひと呑みに呑み込まれて了ふのである。その小事件は隨所におこなはれ始めた。一人出て行くとまた一人出て行つてはつとするまに、うしろの方から落し物をさがすやうな格好をして馳つて出て又呑み込まれて行つた。僕は恐ろしくなつた。僕は馬鹿だからひよつとして人眞似をして何時どんな氣まぐれから飛び出すか分らないからだつた。僕は手に汗をにぎり喉を乾かし、じれじれして、大きな聲をしてみんな用心しろ、これはとても恐ろしい人食の行列だぞ、そんなものを見物してゐることは危險だから早く家へかへつた方がよいぞ、これは人間をだましに歩いているあくまの行列だと怒鳴らうかと思ふくらゐであつた。しかし群衆は去らうとしなかつた。ぽつりぽつりと行列にまぎれ込むものが次第に殖えて來て、何百萬ゐるか知れないが次から次へと、うぢやうぢや蛆のやうに湧いては絶えることがなかつた。

 僕は友だちの顏をながめたが、べつに變つたところがなかつた。僕は安心してにやにや笑つて云つた。

 僕はまた彼がまるで知つてゐることのやうに、尋ねるやうな形で云つた。

 「この行列はいつたい何時まで續くんだ。」

 さツきの龍のはうがどれだけ面白かつたか知れやしない。

 「この行列は多分けふ一杯つづくだけのものがあるよ、あとはまだ雲の中を歩いてゐるから。」

 彼はぐづぐづしてゐて歩き出さうとしなかつた。それに行列のなかに知り合ひでも搜し當てるやうに、ちらりちらりと鰊のやうに固くなつた顏を見くらべては、飽きる樣子もなかつた。群集から依然飛び出して列に加はるものが殖えるばかりで、もう數へることすらできない、僕はしまひに膝がしらががくがく折れ出しさうになり、さうなると道路に飛び出すやうな氣になるのだ。

 死んだ小説家がその時僕に何んでもないやうに、平氣で云つた。

 「では君、失敬。」

 かれはさういふと、なりの高い背丈を群衆から放して、列の中にまぎれ込んで行つた。あんまり突然な自然な出來事だつたやうな氣がして、僕は呆氣に取られて眺めてゐた。彼もまたお多分に漏れず行列に加はると同時に何が何やら、そしてまた誰が誰やらわからぬやうになつて了つた。

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一二)~(一五)



        一二

 

 それから、私共は音に聞えた鎌倉の觀音の前へ達した。これは、人間の靈魂を救はんがため自から永遠の平安を讓渡たし、猶億劫年間人類と惱みを共にせんがため、涅槃の幸福を放棄した、憫みと慈悲の女神なのだ。

 私は寺に通ずる石段の阪を、三つ上つて行つた。入口に坐せる若い娘が立ち上つて迎ヘて、奧へ人つて番僧を呼んできた。それは白衣を着けた老人であつた。彼は私に入るやう合圖をした。

 この寺はこれまで見た寺に劣らず大きくあるし、また他の寺々の如く星霜六百年の損傷を受けて、古色蒼然としてゐる。祈願の献納品や、字を書いたものや、種々の面白い色に染めた澤山の提燈などが、屋根から吊り下つてゐる。

 入口に殆ど對した處に、極めて人間らしい容貌で、等身大の珍しい坐像が非常に皺のよつた顏の中に埋もれた、小さな奇妙な眼で、私共を眺めてゐる。もと顏は肉色に、像の衣は淡靑色に賦彩してあつたが、今では年月と塵のため、全體一樣に灰色になつて、その色褪せた趣は、像の老朽とよく調和し、いかにも生ける托鉢僧を見るやうだ。これはお鬢づるで、無數の參詣者の指先に撫でられて形の磨滅してゐる。有名な淺草のものと同じい。入口の左右に筋肉逞しく、怖ろしげな仁王がある。深紅の胴體には參詣者の投げつけた白い紙玉が、班點をなしてゐる。壇上には、小さいけれども、頗る好ましげな觀音が、炎の明滅を模せる、長方形の金の光背を全身に負ひながら立つてゐる。

 が、この像のため、この寺が有名なのではない。今一つ別の像があるのだ。それは或る條件で拜することが出來る。老僧は立派な英語で、盛んに述べ立てられたる懇願文を私に提示した。寺と住職を支へて行くため、參詣者から幾分の寄附を仰ぐといふ趣意で、他の宗旨の人々にも『苟も人を親切にし、善良ならしむる信仰は、すべて尊敬に値する』ことを記憶するやう訴へてあつた。私は幾らかの喜捨を捧げて、大觀音の拜觀を求めた。

 すると、老僧は提燈に點火し案内して、佛壇の左の低い入口から、寺の内部の高い暗い處へ入つた。私は用心し乍ら隨いて行く。提燈の火がちらちらする外、何も見えない。やがて、何だか光つたものの前に停つた。暫くすると、私の眼が暗黑に慣れて、物の形狀が分明になつてきた。その光つたものは、次第々々に金の大きな足であることが分つて、足背の上に金の裙の紺が波を打つてゐるのが目についた。すると、片方の足も見えたから、これは立像に相違ないと思つた。私共の居る處は狹いが、餘程高い室であつて、上の方の神祕な暗黑から、金の足を照らしてゐる燈光の圈内へ繩がぶらさがつてゐるのが分つた。僧は更に二つの燈を點じて、一碼位離れて垂下した一對の繩に附着せる鈎に吊るし、それから徐々とたぐつて上げる。燈が搖れ乍ら上ぼるにつれて、金の衣はもつと澤山現れてくる。次には二つの大きな股の外形、その次には彫刻の衣裝を纏つた、圓柱のやうな股の曲線が現れる。して、燈光が猶ますますゆれつゝ上つて、金の幻影が暗中にますます高く聳えると共に、期待の心が緊張してくる。頭の上方で目に見えぬ滑車が蝙蝠の叫ぶ如く軋る外には、一つの音もしない。やがて金の帶の上の方に、胸に髣髴したものが現れた。次に祝福を示すために擧げられたる金の手が輝いて見えた。次には蓮華を持つた片方の金の手、それから最後が金の顏、久遠の若々しさと、無量の慈愛を帶びて微笑せる觀音の顏。

 神聖な暗黑の裡から、かやうにして露はされた、この神々しい女性の理想――古代が産み、古代藝術が産んだ作品――は、たゞ強い印象を與へるといふだけに止まらない。私はこれが惹起した感情を驚嘆と稱しては物足りない。それは寧ろ敬畏の念である。

 しかし、觀音の麗顏の邊で一寸停つた燈火が、また滑車の軋る音をたてて、更に上つて行くと、これはこれは、象徴の異常を極めた三重冠が現れた。幾つもの頭や、顏を疊んだ尖塔である――それらの顏は、觀音の顏の小型で、少女の愛らしい顏である。

 といふのは、この觀音は十一面觀音だから。

 

[やぶちゃん注:長谷寺の十一面観音の拝観記。本尊のそれは高さ九・一八メートルで右手に錫杖を持つ長谷寺式立像。現存する古い木造仏像では最大とされる。私は本作のこのシークエンスがたまらなく好きである。一度でよい、私はこの演出によって、かの長谷観音(これは通称で海光山慈照院が正式な寺名)を見て見たかった。私は正直、何度も金ピカの長谷観音を拝観したが、この部分を読んだ若い日ほどに感銘したことは残念なことに一度もないのである。あらゆる荘厳な宗教建築も聖像も、そして、能も文楽も歌舞伎も――今や、赤裸々に細部まで照らし出されてしまうことによって聖性を消失し、おぞましいグロテクスなものへと変容してしまっている――というのが私の思いなのである。……

「お鬢づる」「お賓頭盧(びんづる)さま」である。釈迦の弟子中、獅子吼(ししく)第一と称された十六羅漢の第一に挙げられるビンドラ・バラダージャの尊像。本邦では病者が患部に相当する本像の部位を撫で摩ると除病の功徳があるとされる(現在は新造のものが本堂内にあったように記憶する)。ハーンは「有名な淺草のものと同じい」と述べているが、これは一年後の執筆時の、後に浅草寺のそれを見たあとの感懐である。私の電子テクスト「日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 12 浅草寺にて」に絵入りで出るのが、まさにそれである(これはハーン来日の十三年前、明治一〇(一八七七)年にモースが見たもので、現在は浅草寺本堂外の宝蔵門西南側にある浅草不動尊――但し、浅草寺とは異なる天台宗宝光山大行院――に金属製の「なで仏」としてリニューアルして鎮座している)。

「裙」「もすそ」と訓じていよう。裳裾。

「一碼」既注。「碼」は「ヤード」。一ヤード(yard)は九十一・四四センチメートル。]

 

Sec. 12

And we arrive before the far-famed Kamakura temple of Kwannon—Kwannon, who yielded up her right to the Eternal Peace that she might save the souls of men, and renounced Nirvana to suffer with humanity for other myriad million ages—Kwannon, the Goddess of Pity and of Mercy.

I climb three flights of steps leading to the temple, and a young girl, seated at the threshold, rises to greet us. Then she disappears within the temple to summon the guardian priest, a venerable man, white-robed, who makes me a sign to enter.

The temple is large as any that I have yet seen, and, like the others, grey with the wearing of six hundred years. From the roof there hang down votive offerings, inscriptions, and lanterns in multitude, painted with various pleasing colours. Almost opposite to the entrance is a singular statue, a seated figure, of human dimensions and most human aspect, looking upon us with small weird eyes set in a wondrously wrinkled face. This face was originally painted flesh-tint, and the robes of the image pale blue; but now the whole is uniformly grey with age and dust, and its colourlessness harmonises so well with the senility of the figure that one is almost ready to believe one's self gazing at a living mendicant pilgrim. It is Benzuru, the same personage whose famous image at Asakusa has been made featureless by the wearing touch of countless pilgrim-fingers. To left and right of the entrance are the Ni-O, enormously muscled, furious of aspect; their crimson bodies are speckled with a white scum of paper pellets spat at them by worshippers. Above the altar is a small but very pleasing image of Kwannon, with her entire figure relieved against an oblong halo of gold, imitating the flickering of flame.

But this is not the image for which the temple is famed; there is another to be seen upon certain conditions. The old priest presents me with a petition, written in excellent and eloquent English, praying visitors to contribute something to the maintenance of the temple and its pontiff, and appealing to those of another faith to remember that 'any belief which can make men kindly and good is worthy of respect.' I contribute my mite, and I ask to see the great Kwannon.

Then the old priest lights a lantern, and leads the way, through a low doorway on the left of the altar, into the interior of the temple, into some very lofty darkness. I follow him cautiously awhile, discerning nothing whatever but the flicker of the lantern; then we halt before something which gleams. A moment, and my eyes, becoming more accustomed to the darkness, begin to distinguish outlines; the gleaming object defines itself gradually as a Foot, an immense golden Foot, and I perceive the hem of a golden robe undulating over the instep. Now the other foot appears; the figure is certainly standing. I can perceive that we are in a narrow but also very lofty chamber, and that out of some mysterious blackness overhead ropes are dangling down into the circle of lantern-light illuminating the golden feet. The priest lights two more lanterns, and suspends them upon hooks attached to a pair of pendent ropes about a yard apart; then he pulls up both together slowly. More of the golden robe is revealed as the lanterns ascend, swinging on their way; then the outlines of two mighty knees; then the curving of columnar thighs under chiselled drapery, and, as with the still waving ascent of the lanterns the golden Vision towers ever higher through the gloom, expectation intensifies. There is no sound but the sound of the invisible pulleys overhead, which squeak like bats. Now above the golden girdle, the suggestion of a bosom. Then the glowing of a golden hand uplifted in benediction. Then another golden hand holding a lotus. And at last a Face, golden, smiling with eternal youth and infinite tenderness, the face of Kwannon.

So revealed out of the consecrated darkness, this ideal of divine feminity—creation of a forgotten art and time—is more than impressive. I can scarcely call the emotion which it produces admiration; it is rather reverence. But the lanterns, which paused awhile at the level of the beautiful face, now ascend still higher, with a fresh squeaking of pulleys. And lo! the tiara of the divinity appears with strangest symbolism. It is a pyramid of heads, of faces-charming faces of maidens, miniature faces of Kwannon herself.

For this is the Kwannon of the Eleven Faces—Jiu-ichimen-Kwannon.

 

 

 

       一三

 

 この像に對して、世間の尊信は頗る篤い。その傅説はかうである。

 元正天皇の御宇に、大和の國に得度上人といふ僧がゐた。前生では法輝菩薩であつたが、俗人の靈魂を救ふため、また娑婆へ生れたのであつた。その頃、得度上人が大和の國のある谷を夜間歩いて行くとき、不思議に光り輝くものを見た。近寄つてみると、その光は大きな楠樹の倒れた幹から發してゐた。樹から芳香を放ち、光りは月の光のやうであつた。こんな奇瑞からして、上人はこの木は神聖なものと悟つて、その材木で觀音の像を彫刻させたらばと思ひ付いた。して、彼は讀經念佛して祈願を凝めた。すると忽ち彼の面前へ老人と老女が現れて、『貴僧の願は、この材木で觀音の像を彫つてもらひたいのだといふことを知りました。だから、もつと祈りをけなさい。私達が彫つて上げますから』と彼にいつた。

[やぶちゃん字注:「耀く」は底本では「耀ぐ」。誤植と断じて訂した。]

 して、得度上人はその通り祈りを續けてゐると、男女の老人達は、大きな幹を易々と二つに等分し、その一個づゝに彫刻を始めた。彼等は三日間勞作して、三日目には二體の立派な觀音が出來上つた。上人は眼前にこの驚くべき像を見て、『どうか、御兩人の御名を知らせて下さい』と云つた。老人が春日明神だと答へ、女は天照皇大神だと答へた。して、彼等の答へてゐる内に、姿が變はり、聖天して、得度上人の目から消え失せた。

 天皇がこれを聞召され、大和へ使者を遣はし、寄進の品を捧げ、また寺を建立させられた。名僧の行基菩薩も來て、觀音と寺の供養を催し、一體の像を、そこへ勤請し、『すべての生霊を救ふため、永遠こゝに留まり玉へ』と告げたが、他の一體を海中へ投じ、『すべての生靈を救ふため、何れなりとも最善の地へ行き玉へ』といつた。

 その像が鎌倉へ漂流した。夜、そこへ着いて、恰も海上に日が照つたやうに光輝を放つた。鎌倉の漁夫どもは、大きな光に目を醒まされ、舟に乘つて沖へ出て、浮べる像を發見して、濱邊へ齎らした。そこで、天皇が詔して、像のために海光山、新長谷寺といふ寺を建てさせ玉ふたのであつた。

 

[やぶちゃん注:英文にある注6(後掲)は、仏教の本地垂迹説から廃仏稀釈と国家神道化、しかし別して出雲や西日本ではずっと神道の神々が支配的であったとし、神仏習合と逆本地垂迹思想辺りまで述べようとしているように見える。

「元正天皇の御宇」女帝元正(げんしょう)天皇の在位は霊亀元(七一五)年~養老八(七二四)年。「かまくら子ども風土記 上」(昭和四八(一九七三)年鎌倉市教育研究所刊・改訂八版)では、養老五(七二一)年とする。

「得度上人」「德道」の誤り。徳道(生没年不詳。但し、講談社「日本人名辞典」では斉明天皇二(六五六)年とする。前注の養老五年が正しいとすると満六十五の時の観音造立祈願であったことになる)は八世紀前後に生存した伝説的な僧侶で奈良長谷寺の開祖とされる。出身は播磨国揖保(いぼ)郡で、俗姓を辛矢田部(からやたべ)米麻呂と称し、有力豪族であったともいうが、出家受戒して沙弥となった(師は弘福寺(川原寺)の道明とも東大寺良弁とも伝える)。「長谷寺縁起文」には、徳道が聖武天皇の勅を受けて道明の指導のもとに精舎建立を発願、長谷寺を建立するに至る経緯が述べられている。近江国高嶋郡白蓮華谷にあった霊木をもって稽主勲(けいしゅんくん)・稽文会(けいもんえ)の二人の巧匠に命じて二丈六尺(約七・九メートル)の十一面観音を造らせ,天平五(七三三)年に行基を導師として開眼供養を行ったとされる。但し、行基の関与は疑わしいところもあり、長谷寺建立の時期は七百二十年代(養老四年から神亀六・天平元年)と考えられている。なお、長谷寺縁起関係ではすべて『德道』と記されるが、「東大寺要録」の「第六末寺章長谷寺」の項では『道德』と表記されている(主に「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

「法輝菩薩」菩薩としての記載はあまりなく、不詳。この名は寧ろ、役行者の異名として知られる。

「大和の國のある谷」前掲「かまくら子ども風土記」(「子ども」と馬鹿にしてはいけない。初版は私の生まれた昭和三二(一九五七)年に刊行され、宅地開発による変容の過程をも今に伝える名著である。今ではこの本ぐらいでしか容易に知り得ぬ情報も満載で、若き日の私にとっては永らく最良の鎌倉案内書であった。改訂版執筆者には私の玉繩小学校時代の何人もの恩師が名を連ねておられる)では初瀬とし、楠からの芳香に引かれて分け入ったとあり、『そこで、その前に庵(いおり)をつくって二十一日の間』祈誓をなしていたところ、『終わりが近づいたある日、たまたま右大臣の藤原房前(ふささき)』(天武天皇一〇(六八一)年~天平九(七三七)年):藤原不比等二男。後に太政大臣)『が狩りに来てこの話を聞き感激して、このことを元正天皇に』上奏したところ、天皇よりその費用が下賜されたという。そして先に出た当時の名工であった稽文会と稽主勲に観音像を彫らせたが、その際、二人は『この楠を二つに切り二体の十一面観音を作り、木の本(もと)で作った観音をその地にとどめ初瀬町の長谷寺にまつり、木の末でつくった観音は、縁ある地へ行って、民衆を救ってくれるようにと祈って大阪から海に流し』たが、実に『それから十六年、この像は三浦郡の長井』に漂着、『そこでさきの徳道上人を迎えて寺を開き、この観音を本尊としておまつりしたのが長谷寺であるといわれてい』る、とある(なお、これも信ずるとするなら、この時、徳道は既に八十を越えていたことになる)。

「海光山、新長谷寺といふ寺を建てさせ玉ふた」海光山慈照院長谷寺の創建は寺伝によれば天平八(七三六)年とするが、これは大和長谷寺の縁起と前注の伝承に合わせたものと思われる。実際の草創年代はよく分からないが、当寺の梵鐘に文永元(一二六四)年七月十五日の銘があるから、鎌倉後期には成立していたと考えられる。]

 

Sec. 13

Most sacred this statue is held; and this is its legend.

In the reign of Emperor Gensei, there lived in the province of Yamato a Buddhist priest, Tokudo Shonin, who had been in a previous birth Hold Bosatsu, but had been reborn among common men to save their souls. Now at that time, in a valley in Yamato, Tokudo Shonin, walking by night, saw a wonderful radiance; and going toward it found that it came from the trunk of a great fallen tree, a kusunoki, or camphor-tree. A delicious perfume came from the tree, and the shining of it was like the shining of the moon. And by these signs Tokudo Shonin knew that the wood was holy; and he bethought him that he should have the statue of Kwannon carved from it. And he recited a sutra, and repeated the Nenbutsu, praying for inspiration; and even while he prayed there came and stood before him an aged man and an aged woman; and these said to him, 'We know that your desire is to have the image of Kwannon-Sama carved from this tree with the help of Heaven; continue therefore, to pray, and we shall carve the statue.'

And Tokudo Shonin did as they bade him; and he saw them easily split the vast trunk into two equal parts, and begin to carve each of the parts into an image. And he saw them so labour for three days; and on the third day the work was done—and he saw the two marvellous statues of Kwannon made perfect before him. And he said to the strangers: 'Tell me, I pray you, by what names you are known.' Then the old man answered: 'I am Kasuga Myojin.' And the woman answered: 'I am called Ten-sho-ko-dai- jin; I am the Goddess of the Sun.' And as they spoke both became transfigured and ascended to heaven and vanished from the sight of Tokudo Shonin. [6]

And the Emperor, hearing of these happenings, sent his representative to Yamato to make offerings, and to have a temple built. Also the great priest, Gyogi-Bosatsu, came and consecrated the images, and dedicated the temple which by order of the Emperor was built. And one of the statues he placed in the temple, enshrining it, and commanding it: 'Stay thou here always to save all living creatures!' But the other statue he cast into the sea, saying to it: 'Go thou whithersoever it is best, to save all the living.'

Now the statue floated to Kamakura. And there arriving by night it shed a great radiance all about it as if there were sunshine upon the sea; and the fishermen of Kamakura were awakened by the great light; and they went out in boats, and found the statue floating and brought it to shore. And the Emperor ordered that a temple should be built for it, the temple called Shin-haseidera, on the mountain called Kaiko-San, at Kamakura.

 

6 This old legend has peculiar interest as an example of the efforts made by Buddhism to absorb the Shinto divinities, as it had already absorbed those of India and of China. These efforts were, to a great extent, successful prior to the disestablishment of Buddhism and the revival of Shinto as the State religion. But in Izumo, and other parts of western Japan, Shinto has always remained dominant, and has even appropriated and amalgamated much belonging to Buddhism.

 

 

 

       一四

 

 觀音の寺を後にしてからは、最早路傍に人家はない。左右の翠丘は急峻になつて、頭上の樹陰は濃くなつた。が、それでも折々、蒼苔の蒸せる石段、彫刻を加へた山門、或は鳥居などが、私共の訪ねる遑なき社寺の存在を知らせてゐる。この邊の幾多崩壞せる祠堂は、癈都の昔の壯麗と宏大を無言に證明してゐる。して、到る處花香に混じて心地よい、樹脂の味を帶びた日本の薰香が漂つてゐる。時々私共は四角柱の斷片の如き彫刻された石――荒れ果てた墓地の古塚――が澤山散らばつた處や、夢みる阿彌陀又は微笑せる觀音の像などが淋しげに立てる邊を過ぎた。すべて古びて、色褪せ、磨損して、櫛風沐雨に見分け難くなつたのもある。私は霎時立停つて、哀れげな六個の群像に眺め入つた。死んだ小兒の靈魂を護る、美はしい六地藏も、碎けて鱗蘚を結び、苔を帶びたさま! 五個の像は、多年の祈り示す小石の埋積裡に肩まで埋もれ、亡兒の可愛さに泰納せる、さまざまの色の涎掛が、その頸に卷いてある。が、一個の塊は減茶々々に破碎されて、自から跳ね飛ばした小石の間に顚覆してゐる。通りがかりの荷車に毀されたのであらう。

 

[やぶちゃん注:順路から考えると、これは坂ノ下の虚空蔵堂の先、極楽寺坂切通の上り口にある日限六地蔵尊かと思われる。

「櫛風沐雨」「しつぷうもくう」と読む。風雨に曝されながら、苦労して働くこと。世の中の様々な辛苦に曝されることの譬え。「櫛風」は強い風に髪が櫛くしけずられるようになることを、「沐雨」は激しい雨に身を洗われることを指す。「晋書」文帝紀に基づく。

「霎時」「せふじ(しょうじ)」と読む。「暫時」に同じい。暫くの間。ちょっとの間。「霎」はさっと降っては直ぐ止む小雨、通り雨を原義とし、そこから瞬く間、しばしの意となった。

「鱗蘚」「うろこごけ」或いは当て読みで「ぜにごけ」とも読めそうだが、並列で「苔」と来るから、ここは「リンセン」と音で読むべきであろう。ゼニゴケ植物門ウロコゴケ綱ウロコゴケ亜綱ウロコゴケ目 Jungermanniales 、所謂鱗状に生え広がるゼニゴケ類を指す。ここの一文の原文は“Oh, how chipped and scurfed and mossed they are!”で、当該語の“scurfy”はフケだらけの、カサカサしたの意である。]

 

Sec. 14

As we leave the temple of Kwannon behind us, there are no more dwellings visible along the road; the green slopes to left and right become steeper, and the shadows of the great trees deepen over us. But still, at intervals, some flight of venerable mossy steps, a carven Buddhist gateway, or a lofty torii, signals the presence of sanctuaries we have no time to visit: countless crumbling shrines are all around us, dumb witnesses to the antique splendour and vastness of the dead capital; and everywhere, mingled with perfume of blossoms, hovers the sweet, resinous smell of Japanese incense. Be-times we pass a scattered multitude of sculptured stones, like segments of four-sided pillars—old haka, the forgotten tombs of a long-abandoned cemetery; or the solitary image of some Buddhist deity—a dreaming Amida or faintly smiling Kwannon. All are ancient, time-discoloured, mutilated; a few have been weather-worn into unrecognisability. I halt a moment to contemplate something pathetic, a group of six images of the charming divinity who cares for the ghosts of little children—the Roku-Jizo. Oh, how chipped and scurfed and mossed they are! Five stand buried almost up to their shoulders in a heaping of little stones, testifying to the prayers of generations; and votive yodarekake, infant bibs of divers colours, have been put about the necks of these for the love of children lost. But one of the gentle god's images lies shattered and overthrown in its own scattered pebble-pile-broken perhaps by some passing wagon.

 

 

 

       一五

 

 行くに隨つて道は前下りになつて、大溪谷の壁のやうな絶崖の間を降つて、曲がると不意に峽間を脱し海に出でる。海は晴空の如く靑い――柔かな夢みるやうな靑色。

 道は鋭く右に轉じ、廣い鼠色の沙濱を見おろした、磯山傳ひに迂折して行く。して、海風は心地よい潮の香を吹き送つて、肺を極度まで充滿させる。遙か向うに森に蔽はれた島の、綺麗な高い綠色の塊が、陸地から四分の一哩ほどの所に水上に聳えたのが見える。それは海の女神、美の女神を祀つた神聖なる江ノ島である。私は既にその嶮しい傾斜面に、灰色に散らばつてゐる小さな町を見ることが出來た。確かに今日は徒歩で、そこへ渡つて行ける。潮が落ちてゐて、私共が近づきつゝある向うの村から、堤道の如く伸びた、長い廣い沙洲が露出してゐるから。

 島の對岸の小村、片瀨で私共は、人力車を棄てて歩行せねばならぬ。村から濱へ出る砂丘は、砂が深くて車を曳くことが出來ない。澤山他の人力車もこの村の狹い通りで、先きに行つた客を待つてゐた。が、今日辨天の祠に參詣した西洋人は、私だけだとのことであつた。

 私共の二人の車夫が先きに立つて砂丘を越えて、やがて私共は濡れた固い砂地に下つた。私共が島に近くにつれて、小さな町の建築の細部が、海の微靄を透して面白く分かつてきた――怪奇な彎曲した靑い屋根、輕快な露臺、高く尖つた破風が、不思議な文字を一杯書いた、異樣な旗の翩翻たる上に見える。私共は平沙を越えた。すると、海の都、女神龍神の都の、いつも開かれた門である。美くしい鳥居が、私共の面前にあつた。それは全部靑銅で、上には靑銅の七五三繩が附いてゐて、また『江島辨天宮』と書いた眞鍮の額が掛つてゐる。太い柱脚には、渦卷く浪にもがく、龜の浮彫がある。これは陸路からは、辨天宮に面して實際、町の門である。が、片瀨の村につゞくものから云へば、第三番目の鳥居に當る、私共は海岸の方から來たので、村にある他の鳥居を見なかつたのだ。

 さて、江ノ島へ來た。眼前に一筋の町が上ぼつてゐる。廣い石段の多い暗い町で、紺布に白い奇異な文字の交つたのが、海風にひらひらしてゐる。料理屋や小店が並んでゐて、一軒毎に私は立ち停らずには居られなかつた。日本の店頭へ立つて何かを視ると、必ず買ひたくなる、それで私は買つて、また買つた。

 何故となれば、江ノ島は實際靑貝の都だからである。何れの店にも文字を染め拔いた暖簾の後ろに、法外に安い驚くべき貝細工を賣つてゐる。蓆を敷いた臺の上に平らかに載せた玻璃張りの箱や、壁に立て据ゑた棚の附いた陳列箱は、いづれの箱も眞珠母のやうな、非常に珍らしく、信じ難いほどに巧妙を凝らした品で、燦爛としてゐる。眞珠母製の魚や、鳥を絲に繫いだものは、虹の色に輝いてゐる。眞珠母で作つた子猫もある。小狐もある。子犬もある。それから娘の櫛、卷煙草の吸口、使用するには惜しいほど、綺麗な煙管がある。志(シリング)銀貨の大いさほどもない、貝製の龜は、輕く一寸觸はれば、頭と足と足を一齊に動かし、足を交互に引込めたり出したりする。眞正の龜かと思つて、びつくりさせられる。鶴、鳥、甲蟲、蝴蝶、蟹、蝦、悉く貝細工で巧みに作られ、手を觸れて見ねば、生物でないとは信じ難い。貝の蜂が貝の花の上に留まつてゐる――針金に停まつたのを花に插してあるのが、もし一枚の羽先きで動かせば、ぶんと唸りさうにも見える、日本の娘が愛好するもので、名狀し難い貝細工の寶玉類、さまざまの形狀に彫つた簪類、襟止、頸珠などがある。江ノ島の寫眞もある。

 

[やぶちゃん注:私の電子テクスト『大橋左狂「現在の鎌倉」 20 江の島』の注で述べたが、江の島に初めて本格的な桟橋が架けられたのは、このモースが訪れた翌年明治二四(一八九一)年のことであった(但し、砂州の途中からであった)、以下の原文の最初の一文中の“cañon”(キャニョン:峡谷/スペイン語であろう)の“ñ”は、文字化けしていたので、英文サイト“Internet Archive”“Glimpses of Unfamiliar Japan : Lafcadio Hearn”の原本画像を視認して挿入した。しばしばお世話になっているサイト「江の島マニアック」の「江の島の古写真」をリンクしておく。

「四分の一哩」一マイルは一六〇〇メートルであるから、四〇〇メートル。

「微靄」老婆心乍ら、「びあい」で、微かな靄(もや)である。

「七五三繩」老婆心乍ら、「しめなは(しめなわ)」である。

「靑貝」原文の“Mother-of-Pearl”は、ここでは広義の真珠層を持った貝類を総称する語で、所謂、以下に出る本格的な「靑貝」細工、即ち、螺鈿(らでん)細工、及び、屑青貝(この場合は狭義のアワビ・サザエ・シンジュガイ・ヤコウガイ・オウムガイといった螺鈿細工の材料に用いる真珠光沢を持った貝類を指す)を用いた安価でちゃちな貝細工総体を指している。次の「眞珠母のやうな」という訳はやや上手くないように思われる。「眞珠母」は真珠層の別名で、ここの原文“opalescent with nacreous things”は、“nacreous things”が具体的な「真珠層を砕いて得たピース」を指しており、それが“opalescent”、「パールのような光を発していて」という謂いであろう。ここで「眞珠母のやうな」と訳してしまった結果、「いづれの箱も眞珠母のやうな、非常に珍らしく、信じ難いほどに巧妙を凝らした品で、燦爛としてゐる。眞珠母製の魚や、鳥を絲に繫いだものは、虹の色に輝いてゐる。眞珠母で作つた子猫もある」と、直後の「眞珠母製の魚」「眞珠母で作つた子猫」との流れが、それこそ曇って淀んでしまっているように思われるのである。なお、平井呈一氏はここを『ことごとく螺鈿(らでん)のようなもので、乳白色に光り輝いている』と訳しておられる。落合氏よりも達意の訳であると思うが、これも気になる。何故なら、ここでの対象は「螺鈿のようなもの」なのではなく、如何に安っぽいものであっても、これら皆、「螺鈿」、「靑貝細工」であると私は思うからである。

「志(シリング)銀貨の大いさ」本邦の骨董販売サイトのリストの中に、一八九一年鋳造貨のシリング銀貨で、直径二・三五センチメートル、重さ六グラム、厚さ一・五ミリメートルとあった。

「蝴蝶」胡蝶と同字。]

 

Sec. 15

 

The road slopes before us as we go, sinks down between cliffs steep as the walls of a cañon, and curves. Suddenly we emerge from the cliffs, and reach the sea. It is blue like the unclouded sky—a soft dreamy blue.

And our path turns sharply to the right, and winds along cliff-summits overlooking a broad beach of dun-coloured sand; and the sea wind blows deliciously with a sweet saline scent, urging the lungs to fill themselves to the very utmost; and far away before me, I perceive a beautiful high green mass, an island foliage-covered, rising out of the water about a quarter of a mile from the mainland—Enoshima, the holy island, sacred to the goddess of the sea, the goddess of beauty. I can already distinguish a tiny town, grey-sprinkling its steep slope. Evidently it can be reached to-day on foot, for the tide is out, and has left bare a long broad reach of sand, extending to it, from the opposite village which we are approaching, like a causeway.

At Katase, the little settlement facing the island, we must leave our jinricksha and walk; the dunes between the village and the beach are too deep to pull the vehicle over. Scores of other jinricksha are waiting here in the little narrow street for pilgrims who have preceded me. But to-day, I am told, I am the only European who visits the shrine of Benten.

Our two men lead the way over the dunes, and we soon descend upon damp firm sand.

As we near the island the architectural details of the little town define delightfully through the faint sea-haze—curved bluish sweeps of fantastic roofs, angles of airy balconies, high-peaked curious gables, all above a fluttering of queerly shaped banners covered with mysterious lettering. We pass the sand-flats; and the ever-open Portal of the Sea- city, the City of the Dragon-goddess, is before us, a beautiful torii. All of bronze it is, with shimenawa of bronze above it, and a brazen tablet inscribed with characters declaring: 'This is the Palace of the Goddess of Enoshima.' About the bases of the ponderous pillars are strange designs in relievo, eddyings of waves with tortoises struggling in the flow. This is really the gate of the city, facing the shrine of Benten by the land approach; but it is only the third torii of the imposing series through Katase: we did not see the others, having come by way of the coast.

And lo! we are in Enoshima. High before us slopes the single street, a street of broad steps, a street shadowy, full of multi-coloured flags and dank blue drapery dashed with white fantasticalities, which are words, fluttered by the sea wind. It is lined with taverns and miniature shops. At every one I must pause to look; and to dare to look at anything in Japan is to want to buy it. So I buy, and buy, and buy!

For verily 'tis the City of Mother-of-Pearl, this Enoshima. In every shop, behind the' lettered draperies there are miracles of shell-work for sale at absurdly small prices. The glazed cases laid flat upon the matted platforms, the shelved cabinets set against the walls, are all opalescent with nacreous things—extraordinary surprises, incredible ingenuities; strings of mother-of-pearl fish, strings of mother-of-pearl birds, all shimmering with rainbow colours. There are little kittens of mother-of-pearl, and little foxes of mother-of-pearl, and little puppies of mother-of-pearl, and girls' hair-combs, and cigarette-holders, and pipes too beautiful to use. There are little tortoises, not larger than a shilling, made of shells, that, when you touch them, however lightly, begin to move head, legs, and tail, all at the same time, alternately withdrawing or protruding their limbs so much like real tortoises as to give one a shock of surprise. There are storks and birds, and beetles and butterflies, and crabs and lobsters, made so cunningly of shells, that only touch convinces you they are not alive. There are bees of shell, poised on flowers of the same material—poised on wire in such a way that they seem to buzz if moved only with the tip of a feather. There is shell-work jewellery indescribable, things that Japanese girls love, enchantments in mother-of-pearl, hair-pins carven in a hundred forms, brooches, necklaces. And there are photographs of Enoshima.

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一一)

(★本日はサーバーのメンテナンスにより、これ以降は更新が出来ない。フェイスブック及びミクシィの方では暫定更新を予定している。)
 


       一一

 

 大佛の境内へ入つてから、すぐ大佛は見えない。こゝの寺は疾くに無くなつてゐる。芝生の中に通じた敷石道を進むと、大きな樹木が像を隱してゐる。が、少し曲がると、不意に全部が見えてびつくりする。幾ら澤山その巨像の寫眞を見たことのある人でも、實物を初めて見ては驚く。それから、像は少くとも百碼の遠くにあるけれども、あまり近過ぎはせねかといふ氣になる。私ももつとよく見るやうにと、すぐ三四碼後へ退いた。すると、像が生きてゐると思つて、私が怖がつたのだと車夫は考へて、笑ひ乍ら手眞似をして私を追ひかけた。

 しかし、假令その像が活きてゐても怖れる者はあるまい。あの容貌の柔和、夢みる如き平靜、全體の無限なる沈着は、美と魅力に滿ちてゐる。して、あらゆる期待に反して巨大なる佛陀に近寄れば近寄るほど、魅力が偉大になる。その莊嚴美麗の顏を仰いで、半ば閉ぢた眼を覗きこむと、靑銅の眼瞼から恰も幼兒の如くやさしく、その眼が注がれでゐるやうで、この像こそ東洋の精神に潛める一切の優しく、且つ落着いたものを具像化してゐると感ぜられる。然かも日本人の考でこそ始めて、これが創作され得たのだと思はれる。その美、その品位、その完全な沈着は、これを想像に描いた民族の一段優れた文明を反映してゐる。そして毛髮の扱ひ方や、種々の象徴的記號が示す通り、印度の模型から思ひ付いたのであらうが、技巧は日本的なのである。

 像が壯麗を極めてゐるために、高さ優に一丈五尺もある立派な靑銅の蓮華の莖も、暫くは看者の眼に入らない。これは像の前面、線香が燃えてゐる大三脚臺の兩側に立ててある。

 佛陀が安坐し玉ふ大蓮華の右側に孔口があつて、そこから胎内巡りが出來る。内部には觀音の小厨子、祐天上人の像、及び南無阿彌陀佛と漢字を刻した石碑がある。

 梯子で上ると、巨像の内部の肩まで行ける。そこに二個の小窓があつて、廣く境内を見渡される。此際案内の僧が、この像は六百三十年を經てゐると述べ、して、像を容れて雨露を防ぐべき寺院の新築費として、僅かの喜捨金を求める。

 それは昔は、この佛陀のために、寺が建ててあつたからである。地震に續いて海嘯が起つて、寺の壁も屋根も一掃して了つたが、巨像はそのまゝ殘つて、依然蓮華を眺めて瞑想をしてゐる。

 

[やぶちゃん注:「百碼」「碼」は「ヤード」と読む。一ヤード(yard)は九十一・四四センチメートルであるから九十一メートル強、なお、次の「三四碼」は原文を見て頂ければ分かる通り、「三、四十碼」の誤りで、二十八~三十七メートルである。なお、大仏の座長は十一・三一二メートル、台座を含むと十三・三五メートルで、仏重量は百二十一トンに及ぶが、本像は上体が下部に比べて大きく造立されており(大仏の面長は二・三五メートルで全長の五分の一強を占める。以上のデータは高徳院公式サイトに拠る)、本体から五メートル程度離れた位置から眺めると遠近の錯視効果によって釣り合いが取れて見えるようになっている。

「一丈五尺」約四・五メートル。原文は“fifteen feet”で一フィートは三十・四八センチメートルであるから、ここでの落合氏の換算表記は極めて正確。

「祐天上人」浄土宗大本山増上寺第三十六世法主でゴーストバスターとしても知られた祐天(ゆうてん 寛永一四(一六三七)年~享保三(一七一八)年)。ウィキ高徳院」から引いておく。本寺は、現在は正式には大異山高徳院清浄泉寺と号し、『鎌倉のシンボルともいうべき大仏を本尊とする寺院であるが、開山、開基は不明であり、大仏の造像の経緯についても史料が乏しく、不明な点が多い。寺の草創については、鎌倉市材木座の光明寺奥の院を移建したものが当院だという説もあるが、定かではない。初期は真言宗で、鎌倉・極楽寺開山の忍性など密教系の僧が住持となっていた。のち臨済宗に属し建長寺の末寺となったが、江戸時代の正徳年間』(一七一一年~一七一六年)に、『江戸・増上寺の祐天上人による再興以降は浄土宗に属し、材木座の光明寺(浄土宗関東総本山)の末寺となっている。「高徳院」の院号を称するようになるのは浄土宗に転じてからである』。「吾妻鏡」には暦仁元(一二三八)年、『深沢の地(現・大仏の所在地)にて僧・浄光の勧進によって「大仏堂」の建立が始められ』、五年後の寛元元(一二四三)年に『開眼供養が行われたという記述がある。同時代の紀行文である『東関紀行』の筆者(名は不明)は』、仁治三(一二四二)年に『完成前の大仏殿を訪れており、その時点で大仏と大仏殿が』三分の二ほど『完成していたこと、大仏は銅造ではなく木造であったことを記している。一方で「吾妻鏡」には建長四(一二五二)年から『「深沢里」にて金銅八丈の釈迦如来像の造立が開始されたとの記事もある。「釈迦如来」は「阿弥陀如来」の誤記と解釈し』、この年から造立が開始された大仏が『現存する鎌倉大仏であるとするのが定説である』。なお、前述の一二四三年に開眼供養された木造の大仏と、「吾妻鏡」で一二五二年に起工したとする銅造の大仏との関係については、『木造大仏は銅造大仏の原型だったとする説と、木造大仏が何らかの理由で失われ、代わりに銅造大仏が造られたとする説とがあったが、後者の説が定説となっている』。「吾妻鏡」によれば、『大仏造立の勧進は浄光なる僧が行ったとされているが、この浄光については、他の事跡がほとんど知られていない。大仏が一僧侶の力で造立されたと考えるのは不合理で、造像には鎌倉幕府が関与していると見られるが、『吾妻鏡』は銅造大仏の造立開始について記すのみで、大仏の完成については何も記しておらず、幕府と浄光の関係、造立の趣意などは未詳である』。『鎌倉時代末期には鎌倉幕府の有力者・北条(金沢)貞顕が息子貞将(六波羅探題)に宛てた書状の中で、関東大仏造営料を確保するため唐船が渡宋する予定であると書いている(寺社造営料唐船)。しかし、実際に唐船が高徳院(鎌倉大仏)に造営費を納めたかどうかはこれも史料がないため、不明である』。『大仏は、元来は大仏殿のなかに安置されていた。大仏殿の存在したことは』、二〇〇〇年から二〇〇一年にかけて『実施された境内の発掘調査によってもあらためて確認されている』。「太平記」には、建武二(一三三五)年に『大風で大仏殿が倒壊した旨の記載があり』、「鎌倉大日記」によれば大仏殿は』応安二(一三六九)年にも倒壊している。『大仏殿については、従来、室町時代にも地震と津波で倒壊したとされてきた。この津波の発生した年について』は、「鎌倉大日記」が明応四(一四九五)年とするものの、「塔寺八幡宮長帳」などの他の史料から明応七(一四九八)年九月二十日(明応地震)が正しいと考証されている。一方、室町時代の禅僧万里集九の「梅花無尽蔵」には文明一八(一四八六)年に『彼が鎌倉を訪れた際、大仏は「無堂宇而露坐」であったといい、この時点で大仏が露坐であったことは確実視されている』。先に記した境内発掘調査の結果、応安二(一三六九)年の倒壊以後には『大仏殿が再建された形跡は見出され』ていないとある(とすれば、ハーンが見上げた百二十五年前の明治二三(一八九〇)年時点で露座となって五百二十一年、現時点で六百四十六年ということになる)。白井永二編「鎌倉事典」(昭和五一(一九七六)年東京堂出版刊)では『もと光明寺奥院』と断定し、その後さらに、その清浄泉寺の『支院であった高徳院のみが残ったもの。祐天再興の時、山号を獅子吼山と改めたというが、今は大異山に復している』とある。

「六百三十年を經てゐる」明治二三(一八九〇)年から逆算すると、一二六〇年で正元二・文応元年となり、前注で示した大仏造立推定から見ても妥当な年数である。

「海嘯」老婆心乍ら、音で「かいせう(かいしょう)」、訓じて「つなみ」と読む。「大辞林」によれば、特に昭和初期までは地震によって発生した「地震津波」を指したとある。]

 

Sec. 11

You do not see the Dai-Butsu as you enter the grounds of his long- vanished temple, and proceed along a paved path across stretches of lawn; great trees hide him. But very suddenly, at a turn, he comes into full view and you start! No matter how many photographs of the colossus you may have already seen, this first vision of the reality is an astonishment. Then you imagine that you are already too near, though the image is at least a hundred yards away. As for me, I retire at once thirty or forty yards back, to get a better view. And the jinricksha man runs after me, laughing and gesticulating, thinking that I imagine the image alive and am afraid of it.

But, even were that shape alive, none could be afraid of it. The gentleness, the dreamy passionlessness of those features,—the immense repose of the whole figure—are full of beauty and charm. And, contrary to all expectation, the nearer you approach the giant Buddha, the greater this charm becomes You look up into the solemnly beautiful face -into the half-closed eyes that seem to watch you through their eyelids of bronze as gently as those of a child; and you feel that the image typifies all that is tender and calm in the Soul of the East. Yet you feel also that only Japanese thought could have created it. Its beauty, its dignity, its perfect repose, reflect the higher life of the race that imagined it; and, though doubtless inspired by some Indian model, as the treatment of the hair and various symbolic marks reveal, the art is Japanese.

So mighty and beautiful the work is, that you will not for some time notice the magnificent lotus-plants of bronze, fully fifteen feet high, planted before the figure, on either side of the great tripod in which incense-rods are burning.

Through an orifice in the right side of the enormous lotus-blossom on which the Buddha is seated, you can enter into the statue. The interior contains a little shrine of Kwannon, and a statue of the priest Yuten, and a stone tablet bearing in Chinese characters the sacred formula, Namu Amida Butsu.

A ladder enables the pilgrim to ascend into the interior of the colossus as high as the shoulders, in which are two little windows commanding a wide prospect of the grounds; while a priest, who acts as guide, states the age of the statue to be six hundred and thirty years, and asks for some small contribution to aid in the erection of a new temple to shelter it from the weather.

For this Buddha once had a temple. A tidal wave following an earthquake swept walls and roof away, but left the mighty Amida unmoved, still meditating upon his lotus.

2015/06/22

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一〇)

 
 
       一〇

 

 この怪奇な古寺には、その傳説がある。

 七百年前といふ事だ。大佛師の雲慶蘇生が死んだ。雲慶蘇生といふのは、冥途から蘇生した雲慶の意である。その譯は、雲慶が閻魔の前へ行つた時、靈魂の裁判官閻魔は、『生前、汝はおれの像を作らなかつた。今おれを見たからには、地上へ歸つて、おれの像を作つて見よ』と云つた。そこで雲慶は忽然人間界に戻された。前に彼を知つてゐた人々は、彼を見て驚いて、雲慶蘇生といふ名を附けたのである。運慶蘇生はいつも閻魔の顏を念頭に浮べつつ、この像を作つたから、今猶ほ看者に恐怖を與へる。彼はまたこの寺にある、獰猛な十王の像をも作つた。

 

 私は閻魔の畫を一枚購ひたかつたので、番人にその希望を通じた。畫を買ふことは出來るが、それよりも先づ鬼を見せるとのことであつた。私は番人に隨いて寺を出で、苔の生えた石段を下り、村の本道を越えて、一つの小舍に入つて床に腰をかけた。番人は障子の奥へ入つて、やがて鬼を引摺つてきた。裸で、血の如く赤く、醜惡を極め、高さ三尺許りのものである。棒を振り翳して、威嚇の態で立ち、圖々しい眼を持つて、頭は鬪犬の頭の如く、足は獅子のそれに似てゐる。番人が極めて眞面目にこの怪物をぐるぐる廻はして、私にそのあらゆる恰好を見せた。開いた戸の外には、無邪氣な群集が寄つて、異人と鬼を眺めてゐた。

 それから番人は、粗末な閻魔の木版繪に、經文の印刷してあるものを探して呉れた。私がその代を拂ふや否や、彼はそれに寺の印を捺すことに取りかかつた。印は驚くべき漆塗りの箱に納めて、柔皮で幾囘も卷いてあつた。それが解かれてから、私は印を調べてみた。長方形で、朱色の磨いた石に、凹彫で意匠が刻んである。彼は印の面を赤い墨で濡して、それを凄い畫の描いてある紙の一角に捺した。して、私の奇異な買物の證據は、永遠確實となつた。

 

[やぶちゃん注:私はこの章段がすこぶる附きで好きである。――奇っ怪な鬼の像を眺める奇っ怪な鬼のような異人の姿に見入る鎌倉の村人たち――私は大学一年の時、図書館でこの箇所を落合氏のこの訳で読んだ際、《その光景》が白昼夢の如く、渋谷の夕暮れの大学の図書館の閲覧室の中に《現前した》のを覚えているのだ。――私は《思い出した》のだ! 確かに《私はその場にいた》のだ! 私は何を隠そう、《その鬼と異人をおっかなびっくり見ている村人の中の一人》であったことを鮮やかに蘇らせていたのである!……

「七百年前といふ事だ。大佛師の雲慶蘇生が死んだ。……」本閻魔像(重要文化財指定)は像高百九十・五センチメートル。ここで新編鎌倉志卷之七の、「新居閻魔堂」の条と私の注を引いておく。この頃は未だ、由比ヶ浜にあった。

   *

〇新居閻魔 新居閲魔(あらゐのえんま)は、由比の濵大鳥居の東南にあり。新居山と號す。堂に圓應寺(えんわうじ)と額あり。開山は知覺禪師、建長寺の末寺なり。寺領は、建長寺領の内にて、三貫文を附す。別當は山伏(やまぶし)にて、寶藏院と云。堂に閲魔の木像あり。昔し運慶頓死して地獄に至り、直に閻魔王を見、蘇生して作たる像なりと云傳ふ。倶生神(ぐしやうじん)・奪衣婆(だつえば)〔俗に三途河(さんづがは)の姥(うば)と云ふ。〕の木像もあり。しかれども寛文十三年に此閻魔の像を修する時、腹(はら)の中より書付(かきつけ)出たり。建長二年出來、永正十七年再興、佛師下野法眼如圓、建長の役人德順判、興瑚判とあり。【建長寺維那(いの)帳】に、德順は明應七年、興瑚は永正五年の所に見へたり。【鎌倉年中行事】に、七月十六日、濵(はま)の新居の閻魔堂(えんまだう)、閻王寺と號す。應永大亂の時の亡魂御弔(とむらひ)の爲に、施餓鬼之事を、扇が谷海藏寺へ仰(をほ)せて修せらるとあり。源の成氏(しげうぢ)の時なり。

[やぶちゃん注:この新居閻魔堂は往古は由比の郷にある見越ヶ嶽(大仏東側の山)に建てられたと推定されるが(本文で開山を建長寺開山蘭渓道隆の弟子智覚大師とするが、これは建長寺落慶以前であり、智覚大師の事蹟とも合わず、信じ難い)、後に滑川の当時の川岸近く(現在の鎌倉市材木座五丁目十一番地付近)に移された。なお、その後、本書が刊行された貞亨二(一六八五)年から十八年後の、元禄十六(一七〇三)年十二月三十一日に発生した元禄大地震の津波によって当時の建物が大破し、翌年に建長寺門前の以前に建長寺塔頭大統庵があった場所(現在の鎌倉市山之内の円応寺)に移転している。

「寛文十三年」は西暦一六七三年。

「建長二年」は西暦一二五〇年であるが、先に示したようにこの造立時期は容易には信じ難い。

「永正十七年」は西暦一五一二年。この年の「再興」とは、明応七(一四九八)年八月二十五日に発生したマグニチュード8を越えるとも言われる東海道沖大地震による津波被害を受けてのことかと思われる。二〇一一年九月の最新の研究によれば、この時、鎌倉を推定十メートルを超える津波が段葛まで襲い、高徳院の大仏殿は倒壊、以後、堂宇は再建されずに露坐となったとも言われている。この時、伊勢志摩での水死者が一万人、駿河湾岸での水死者は二万六千人に上ったと推定されている。

「應永大乱」は、室町時代、応永六(一三九九)年、旧鎌倉幕府御家人であった守護大名大内義弘が室町幕府第三代将軍足利義満に対して反乱を起こし、堺に籠城の末に滅ぼされた一件を言う。この時、第三代鎌倉公方足利満兼は同心して討幕軍を進めたが、当時の関東管領上杉憲定に諌められて中止、戦後に義満に謝罪している。

「源の成氏」足利成氏。第五代鎌倉公方。永享の乱で自害した第四代鎌倉公方持氏の遺児で満兼の孫に当たる。

 なお私は円応寺というと、十王の一人初江王の裳裾の躍動感もさることながら、同じく国宝館に展示されている人頭杖が頗る附きで大好きだ。これは倶生神の持物とされ、杖の柄の部分鍔のような大きな円盤の上に、恐ろしい三眼の忿怒相の鬼神の首と妙齢の美女の首の二つが寄り合って載っている(一説に前者は泰山府君、後者は財利をもたらす弁財天の姉で、妹と反対に喪失神である暗闇天女とも言われるが、少なくとも前者はどう見ても違う感じがする)。私の記憶では、実はこの忿怒相の首が亡者の生前の善行を、可愛い(しかし如何にも冷たい眼をした)女の首が悪行を語るはずである。バーチャル・リアリティみたような浄玻璃何かより、こっちの方が断然、いいね!

最後に。円応寺の閻魔の首と言えば、私は、この元禄十六(一七〇三)年の津波から程ないことかと思われる、鎌倉の昔話として伝わる、あるエピソードが忘れられぬ。

――津波に襲われ、辛うじて閻魔像の首だけが残った閻魔堂跡の掘っ立て小屋。

――供僧がせめてもと、閻魔像の首を横に渡した板の上に置き、香華などを供えて祀って御座った。

――ふと覗いた旅の男、

「こりゃ面白れえ! へッ! まるで閻魔の首級の晒首じゃ!」

と、呵々大笑して去っていく。……

――蔭で聞いていた供僧、おずおずと閻魔の前に進み出でると、

……かくなる理不尽なる物言い……閻魔大王様……さぞかし、御無念、御腹立ちのことと……存じまするッ……

と泣きながら呻くように申し上げた――――

――閻魔の首が答えて言った。

「腹もなければ腹も立たぬ」――

……お後がよろしいようで……

   *

以上で概ね語り尽くしているが、駄目押しで附すと、ウィキ寺」の閻魔像の記載に、『現存する像は頭部のみが鎌倉時代の作で、体部は江戸時代のものに変わっている。運慶作との伝えもあるが』、当寺の創建とされる建長二(一二五〇)年には既に『運慶は没しており、伝承にすぎない。関東大震災後にも像の補修が行われている』とある。但し、「鎌倉市史 社寺編」(吉川弘文館昭和三四(一九五九)年刊)には、十王像の内、非常に優れた造形を示す初江(しょこう)王は建長三年の運慶の系統を引いたことが確認されている鎌倉仏師幸有(こうゆう)の作であることが判明しており、運慶ではないにしても、その流れを引く者の手になることは間違いない(円応寺に現存するものではこの閻魔王・俱生神(ぐしょうしん)・鬼卒(後注)・人頭杖(前の引用に出る)が鎌倉時代の作で、他は新しいとされる)。ウィキには更に、『像の表情が笑っているようにも見えるため「笑い閻魔」とも呼ばれる。また参拝客の子供を食べたという伝承から、別名「人食い閻魔」とも呼ばれる。「笑い閻魔」・「人食い閻魔」と呼ばれる由縁についてはそれぞれ伝承が残っている』とし、「笑い閻魔」については、『運慶が死んで地獄に落ちたが、閻魔大王に「生き返らせてやるから自分の像を作れ」といわれ蘇生した。生き返った運慶が笑いながら彫ったため、閻魔像も笑っているような表情になった。このため、この閻魔像は笑い閻魔と呼ばれるようになった』とあり、また「人食い閻魔」の方は、『円応寺がまだ滑川沿いにあった時、閻魔像は瘧を直すご利益があるとされ信仰を集めていた。ある日瘧にかかった子供を連れ、親が「この子の願いを聞いてください」と願ったところ、「この子を召し上がってください」と聞き違えて子供を食べてしまった』と記す。なお、落合氏が「雲慶」と表記していることについて、とやかく言う必要はない。この表記違いはしばしば見られるもので、ウィキの「運慶」には、治承四(一一八〇)年の『兵火で主要伽藍を焼失した東大寺復興造仏には、康慶を中心とする奈良仏師が携わって』おり、建久五(一一九四)年から『翌年にかけて、東大寺南中門二天像が造立されたが、このうち西方天担当の小仏師として「雲慶」の名が記録にみえる』とある。

「先づ鬼を見せる……」堂守の自宅の奥から引き出されたこの鬼の立像は、やや総高が高いものの――「三尺」(九十センチメートル)とあるが、原文は“three feet”で九十一センチメートル――恐らくは円応寺蔵で現在は鎌倉国宝館寄託となっている重要文化財指定の木造鬼卒立像であろう。因みにこの鬼卒像の高さは七十九・一センチメートルである。私の電子テクスト「鎌倉攬勝考卷之七」の「新居(あらゐの)閻魔堂」の条の附図の脱衣婆の右に立つのがそれである。グーグル画像検索「鬼卒立像でも一発で分かる(因みにそこに出る絵はまさに私の上記リンク先の絵なのである)。]

 

Sec. 10

 

Now this weird old temple has its legend.

Seven hundred years ago, 'tis said, there died the great image-maker, the great busshi; Unke-Sosei. And Unke-Sosei signifies 'Unke who returned from the dead.' For when he came before Emma, the Judge of Souls, Emma said to him: 'Living, thou madest no image of me. Go back unto earth and make one, now that thou hast looked upon me.' And Unke found himself suddenly restored to the world of men; and they that had known him before, astonished to see him alive again, called him Unke- Sosei. And Unke-Sosei, bearing with him always the memory of the countenance of Emma, wrought this image of him, which still inspires fear in all who behold it; and he made also the images of the grim Jiu- O, the Ten Kings obeying Emma, which sit throned about the temple.

I want to buy a picture of Emma, and make my wish known to the temple guardian. Oh, yes, I may buy a picture of Emma, but I must first see the Oni. I follow the guardian Out of the temple, down the mossy steps, and across the village highway into a little Japanese cottage, where I take my seat upon the floor. The guardian disappears behind a screen, and presently returns dragging with him the Oni—the image of a demon, naked, blood-red, indescribably ugly. The Oni is about three feet high. He stands in an attitude of menace, brandishing a club. He has a head shaped something like the head of a bulldog, with brazen eyes; and his feet are like the feet of a lion. Very gravely the guardian turns the grotesquery round and round, that I may admire its every aspect; while a na´ve crowd collects before the open door to look at the stranger and the demon.

Then the guardian finds me a rude woodcut of Emma, with a sacred inscription printed upon it; and as soon as I have paid for it, he proceeds to stamp the paper, with the seal of the temple. The seal he keeps in a wonderful lacquered box, covered with many wrappings of soft leather. These having been removed, I inspect the seal—an oblong, vermilion-red polished stone, with the design cut in intaglio upon it. He moistens the surface with red ink, presses it upon the corner of the paper bearing the grim picture, and the authenticity of my strange purchase is established for ever.

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(九)

 
 
       九

 

 私共が進んで行くにつれて、道は高い崖の間を曲つて、狹くなり陰氣になつた。『おい待て!』と私の佛教信者なる案内人は、優しく車夫を呼んだ。して、私共の二臺の車は、巨樹の葉陰から洩れて、古い苔の蒸した阪に照る一筋の日光の中へ停まつた。『こゝに冥途の王の寺があります。閻魔堂と云ひます。寺は禪宗に屬し、禪王寺といひ、七百餘年を經てゐて、有名な像もあります』と友は云つた。

 私共は堂の立つてゐる小さな境内へと登つた。石段の頂に、右手に當つて、古碑があつた。閻魔堂といふ意味の漢字が、花崗石に一寸深く刻んであつた。

 この寺は外景内觀とも、私共が是まで訪ねた寺々に似てゐた。鎌倉の釋迦や地藏の寺と同じく敷石の床だから、入るのに靴を脱ぐに及ばない。一切のものが磨損し、くすんで、模糊たる灰色を呈し、黴びた臭が鼻を衝く。柱の彩色は夙に剝げて、生地が露はれてゐる。左右の高い壁を後ろにして、九個――一方に五個、他方に四個――の獰猛な像が並んで聳えてゐる。喇叭のやうな飾の着いた、奇怪な冠を披つて、灰色に古び、私が久保山で見た閻魔像に非常によく肖てゐるので、『これは皆閻魔か?』と私は尋ねた。『いえ、十王といいつて、閻魔の從者です』と案内者が答へた。『でも、たゞ九個ではないか?』と私が問ふた。『九個と閻魔と併せて十王となるのです。まだ閻魔を御覽になつてゐませんよ』

 閻魔は何處に?室の奧の方に、階梯のついた高座の上に壇が見えた。が、像は無くて、普通佛壇にある、金塗りの眞鍮又は漆塗りの器物だけあつた。壇の後ろには、たゞ方六尺許りの幕が見えた。甞ては暗紅色であつたのが、今は殆ど判然たる色もなく、床の間を蔽ふてゐるらしく思はれた。番人がきて、私共を導いて高座へ上らせた。その疊を敷いた處へ上るに先つて、私は靴を脱ぎ、幕の前、壇の背後へと番人について行つた。彼は身振りで私に知らせて、長い竿で幕をもたげ覗かせた。その陰氣な幕で蔽はれてゐた、不思議さうな、深い眞暗の裡から、忽然一つの姿が私を睥睨した。一見私は覺えず飛び退いた――一切の期待に超えた怪物の顏。

    註 一つの痛快な日本の諺がある。そ

    の諧譃の充分なる意義に、諺の文句に

    指した像の藝術的表現を見た人でなく

    ては、味到し難い『借るときの地藏顏、

    濟すときの閻魔顏』

 素敵に威嚇的な恐ろしい顏で、赤熱の鐡が灰色に冷めかかつたやうな鈍赤色を呈してゐた。最初の激感は疑もなく、幕を上げて急に暗黑から現れた、幾らか芝居じみた方法に多少は基いてゐるが、驚愕の消え去るにつれて、私はこの像の凄い彫刻家の意想の偉大なる力、その神祕なる根原を認め出した。この作品の不思議は、虎のやうなしかめ顏、怒つた口の猛烈さ、または頭全部の兇暴と怖しい色に存するのでなく、眼――惡夢の眼に宿つてゐるのだ。

 

[やぶちゃん注:「禪王寺」原文“Zen-Oji”。本寺は建長寺の向い、小袋坂坂上にある円応寺(えんのうじ:新居(あらい)閻魔堂・十王堂とも呼称する。臨済宗建長寺派で古くは現在の材木座、由比ヶ浜直近にあった。)の誤りであるが、「えんのうじ」の発音は「えんおうじ」ともなり易く、文字自体が普通はそう読みがちであるから、この場合、晃がかく発音し、それをローマ字に移し取った際、“En-O-ji”となり、直前で“Zen sect—”と記したのに引っ張られたものと考えると腑に落ちる。

「一寸深く」これは「ちよつとふかく」ではなく、「いつすんぶかく」であるので注意。「一寸」は三・〇三センチメートルである。但し、原文は“an inch deep”であり、一インチは二・五四センチメートルであるから、厳密には「八分(はちぶ)」或いは「九分(くぶ)」と訳すべきところではある。

「七百餘年」円応寺の前身である旧新居閻魔堂の創建は建長二(一二五〇)年と伝えるから、この明治二三(一八九〇)年から遡ること六百四十年であるが、この手の数字はえてして事大主義の寺側からドンブリ勘定で伝えられたものであることが多いから、問題とするには及ばぬ。

「久保山で見た閻魔像」不詳。久保山墓地(既注)のどこでどのような閻魔像を見たものか? ネットで調べる限りでは縁が分からぬ。八雲が久保山で見た閻魔像――識者の御教授を、是非とも乞う。

「方六尺」約一・八二メートル四方。以下、当時の拝観時の演出が偲ばれて、すこぶる興味深いシーンである。

「借るときの地藏顏、濟すときの閻魔顏」老婆心乍ら、「借る」は「かる」で、「濟す」は「なす」と訓ずる。物を借りる折りには下手に出てにこにしているが、いざ、返済する段になると渋い顔になることの譬え。「借る時の恵比須顔」ともいう。

「鈍赤色」「にびあかいろ」と訓じていよう。灰色がかった赤の意であるが、原文の“dull red”は暗褐色のこと。]

 

Sec. 9

As we travel on, the road curves and narrows between higher elevations, and becomes more sombre. 'Oi! mat!' my Buddhist guide calls softly to the runners; and our two vehicles halt in a band of sunshine, descending, through an opening in the foliage of immense trees, over a flight of ancient mossy steps. 'Here,' says my friend, 'is the temple of the King of Death; it is called Emma-Do; and it is a temple of the Zen sect—Zen-Oji. And it is more than seven hundred years old, and there is a famous statue in it.'

We ascend to a small, narrow court in which the edifice stands. At the head of the steps, to the right, is a stone tablet, very old, with characters cut at least an inch deep into the granite of it, Chinese characters signifying, 'This is the Temple of Emma, King.'

The temple resembles outwardly and inwardly the others we have visited, and, like those of Shaka and of the colossal Jizo of Kamakura, has a paved floor, so that we are not obliged to remove our shoes on entering. Everything is worn, dim, vaguely grey; there is a pungent scent of mouldiness; the paint has long ago peeled away from the naked wood of the pillars. Throned to right and left against the high walls tower nine grim figures—five on one side, four on the other—wearing strange crowns with trumpet-shapen ornaments; figures hoary with centuries, and so like to the icon of Emma, which I saw at Kuboyama, that I ask, 'Are all these Emma?' 'Oh, no!' my guide answers; 'these are his attendants only—the Jiu-O, the Ten Kings.' 'But there are only nine?' I query. 'Nine, and Emma completes the number. You have not yet seen Emma.'

Where is he? I see at the farther end of the chamber an altar elevated upon a platform approached by wooden steps; but there is no image, only the usual altar furniture of gilded bronze and lacquer-ware. Behind the altar I see only a curtain about six feet square—a curtain once dark red, now almost without any definite hue—probably veiling some alcove. A temple guardian approaches, and invites us to ascend the platform. I remove my shoes before mounting upon the matted surface, and follow the guardian behind the altar, in front of the curtain. He makes me a sign to look, and lifts the veil with a long rod. And suddenly, out of the blackness of some mysterious profundity masked by that sombre curtain, there glowers upon me an apparition at the sight of which I involuntarily start back—a monstrosity exceeding all anticipation—a Face. [5]

A Face tremendous, menacing, frightful, dull red, as with the redness of heated iron cooling into grey. The first shock of the vision is no doubt partly due to the somewhat theatrical manner in which the work is suddenly revealed out of darkness by the lifting of the curtain. But as the surprise passes I begin to recognise the immense energy of the conception—to look for the secret of the grim artist. The wonder of the I creation is not in the tiger frown, nor in the violence of the terrific mouth, nor in the fury and ghastly colour of the head as a whole: it is in the eyes—eyes of nightmare.

 

5 There is a delicious Japanese proverb, the full humour of which is only to be appreciated by one familiar with the artistic representations of the divinities referred to: Karutoki no Jizo-gao, Nasutoki no Emma- gao.

   'Borrowing-time, the face of Jizo;

  Repaying-time, the face of Emma.'

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(八)

 
 
       八

 

 晃はまた私に次の話をした――

 鎌倉誌第七卷に書いてある話。昔鎌倉の延命寺に、裸地藏といふ有名な地藏像があつた。像は實際裸の彫刻であるが、それに着物をきせて、兩足を碁盤の上にのせて、直立してゐた。參詣者が一定の料金を献げるとき、寺僧が像の衣を除ける。すると、像の面は地藏の顏であるが、胴體は女身であることが見えるのであつた。

 この有名な裸地藏の緣起はかうであつた。或る時、平時賴公が大勢の客の面前で、妻と碁を打つてゐた。數局の後、二人の約束で、この次に負けたものは碁盤の上へ裸になつて立つといふことに決まつた。して、次の勝負に敗けた妻は、裸になる恥を救はせ玉へと地藏に祈願した。地藏はそれを聽入れ、そこへ現れ碁盤の上に立つて、自らの衣を脱ぎ、急にその體を女身に變へたのであつた。

 

[やぶちゃん注:「鎌倉誌第七卷に書いてある話」正しくは「新編鎌倉志」。以下、私の電子テクスト「新編鎌倉志卷之七」の「延命寺」から私の注も含めて引く。

   *

〇延命寺 延命寺は、米町(こめまち)の西にあり、淨土宗。安養院の末寺なり。堂に立像の地藏を安ず。俗に裸(はだか)地藏と云ふ。又前出(まへだし)地藏とも云ふ。裸形(らぎやう)にて雙六局(すごろくばん)を蹈せ、厨子(づし)に入、衣(きぬ)を著(き)せてあり。參詣の人に裸にして見するなり。常(つね)の地藏にて、女根(によこん)を作り付たり。昔し平の時賴(ときより)、其の婦人との雙六(すごろく)を爭(あらそ)ひ、互ひに裸にならんことを賭(かけもの)にしけり。婦人負けて、地藏を念じけるに、忽ち女體に變じ局(ばん)の上に立つと云傳ふ。是れ不禮不義の甚しき也。總じて佛菩薩の像を裸形に作る事は、佛制に於て絶へてなき事也とぞ。人をして恭敬の心を起こさしめん爲の佛を、何ぞ猥褻の體(てい)に作るべけんや。

[やぶちゃん注:編者は珍しく、聖なる地蔵を女体に刻んで、あろうことか会陰まで施すなんどということは破廉恥極まりないと不快感を示し、吠えている。面白い。白井永二編「鎌倉事典」によれば、この本尊は江戸への出開帳も行ったとあり、恐らくこの秘所を参拝者に見せることが行われていたのではなかろうか。現在okado氏のブログ 「北条時頼夫人の身代わりとなったお地蔵さま~延命寺~」でかなり古い法衣着帯の写真を見ることが出来る。「總じて佛菩薩の像を裸形に作る事は、佛制に於て絶へてなき事也とぞ」とあるが、これは感情的な謂いで、正しくない。鎌倉期には仏像のリアルな写実性が追及され、また生き仏のニュアンスを与えるために裸形の仏像に実際の衣を着せることが一部で流行した。奈良小川町にある伝香寺の裸地蔵、同じく奈良高御門町の西光院の裸大師、西紀寺にしきでら町の璉城寺れんじょうじの光明皇后をモデルとしたとされる裸形阿弥陀如来像、奈良国立博物館所蔵裸形阿弥陀如来立像等がそれで、実際に私は以前にある仏像展の図録で、そうした一体の裸形地蔵写真を見たことがあるが、その股間には同心円状の何重もの渦が彫り込まれていた。聖なる仏にあっては生殖器は正に異次元へと陥入して無限遠に開放されているといった感じを受けた。但し実はそれは私には、デュシャンの眩暈の「回転硝子盤(正確さの視覚)」を見るようで、デシャン的な意味に於いて、逆にエロティクに見えたことを付け加えておく。]

   *

ハーンの記すのと異なるのは「碁」が「雙六」であることだが、恐らく語った真鍋晃が双六では来日したばかりのハーンには理解出来ないと考えての、言い換えではあるまいかと思われる。因みに、「新編鎌倉志」の総監修者である黄門さま水戸光圀は実はファンダメンタルな神道家で(因みにかの国民的ドラマは徹頭徹尾真っ赤なウソであることは人口に膾炙しているものの、彼が生涯で旅をしたのは実は六浦鎌倉の一回だけであって事実はあまり知られているとは思われないので敢えてここに注しておく)、訪問先の神社にあった地蔵像などを棄却するなど、無体非道な行いを成している。

「献げる」「ささげる」と訓ずる。]

 

Sec. 8

Akira also tells me this:

It is related in the seventh volume of the book Kamakurashi that there was formerly at Kamakura a temple called Emmei-ji, in which there was enshrined a famous statue of Jizo, called Hadaka-Jizo, or Naked Jizo. The statue was indeed naked, but clothes were put upon it; and it stood upright with its feet upon a chessboard. Now, when pilgrims came to the temple and paid a certain fee, the priest of the temple would remove the clothes of the statue; and then all could see that, though the face was the face of Jizo, the body was the body of a woman.

Now this was the origin of the famous image of Hadaka-Jizo standing upon the chessboard. On one occasion the great prince Taira-no-Tokyori was playing chess with his wife in the presence of many guests. And he made her agree, after they had played several games, that whosoever should lose the next game would have to stand naked on the chessboard. And in the next game they played his wife lost. And she prayed to Jizo to save her from the shame of appearing naked. And Jizo came in answer to her prayer and stood upon the chessboard, and disrobed himself, and changed his body suddenly into the body of a woman.

2015/06/21

アリス物語   ルウヰス・カロル作 菊池寛・芥川龍之介共譯 (四)兎が蜥蜴のビルを送出す

    四 兎が蜥蜴(とかげ)のビルを送出(おくりだ)す

 

 それは白兎でした。ノロノロと歩いてか來ながら、まるで何か落し物でもしたやうに、周圍を、ヂロヂロと見て居ました。そしてアリスは、兎が獨(ひとり)で次のやうにぶつぶつ言つて居るのを耳にしました。「公爵夫人、公爵夫人、まあ、わたしの足、まあ、わたしの毛皮と鬚(ひげ)、夫人はわたしをきつと死刑になさることだらう。わたしどこで落したんだらうかなあ。」アリスは直ぐに兎が、扇子と白いキツドの手袋を探して居るのだと考へました。そこで親切氣(しんせつぎ)を出して、探してやりましたが、どこにも見當りません。――アリスが池の中で泳いでからはすつかり何もかも變つてしまつたやうに見えました。ガラスのテーブルや、小さな扉のある例の大きな廣間はすつかり消えてなくなつてゐるのでした。

 アリスが探し廻つて居ます中(うち)、兎はすぐにアリスを見つけて怒つた聲でどなりました。「おい、メーリー・アン、お前はここで何をして居るのだ。直ぐ家(うち)へ走つて歸つて、手袋と扇子を持つてこい。さあ早く。」

 アリスはこの言葉に驚いて、人違ひだと言譯(いひわけ)をするひまもなく、兎の指ざざした方(はう)へと、直ぐに走つて行きました。

 「あの人、わたしを女中と思つたんだわ。」と、アリスは走りながら、獨語(ひとりごと)を言ひました。「わたしが、誰(たれ)だか分つたら、どんなに驚くことでせう。でも、手袋と扇子をとつて來てやつた方がいいわ――もし手袋と扇子か見つかるものならねえ。」かう言つて居るとき、アリスは小さいキチンとした家(うち)の前に出ました。その家の玄關の戸には、ピカピカする眞鍮の名札に「W. Rabbit(ダブリユ ラビツト)(兎(うさぎ))」と、彫りつけてありました。アリスは案内も乞はずに、あわてて二階へ上(あが)りました。それは手袋や扇子を見つけない中(うち)に、ほんたうのメリー・アンに會つて、追ひ出されるといけないと思つたからでした。

[やぶちゃん注:「W. Rabbit(ダブリユ ラビツト)(兎)」の「ダブリユ ラビツト」は「W. Rabbit」の部分のルビで、「(兎)」の部分は本文である。しかもそれに「うさぎ」のルビがついているのである。ここは童話なら表札の絵にした方が効果的なところである。]

「ずゐぶん妙ねえ」とアリスは、獨語(ひとりごと)をいひました。「兎のお使ひをするなんて。此の次にやデイナーがわたしを、お使ひに出于すかも知れないわ。」かう言つてアリスは、これから先き起つて來ない事でもない、さういふ事を考へて居りました。

「アリス孃(じやう)さん、すぐいらつしやい。御散歩(ごさんぽ)のお仕度(したく)をなさいませ。」「ばあや、直きに行つてよ、でもね、わたしデイナーが歸るまで、此の鼠の穴を見張りしてやる事にしたの。鼠が出ないやうにね。」――などとアリスハしやべり續けました。「だけれど、もしデイナーがうちの人達にこんなに用をいひ付けるやうになつたら、うちの人達はデイナーを内には、おかないでせうねえ。」

 この時アリスは、小綺麗な室に人つていきました。窓際にテーブルが、一つ置いてありました。その上には「アリスが望んだやうに」一本の扇子と小さい白のキツドの手袋が、二三對(つゐ)置いてありました。アリスは扇手と袋を、とり上げて、室を出て行かうとしまむたとき、鏡のそばにあつた小さな壜(びん)に、ふと目を留めました。今度は「お飮み下さい」と云ふ札は、貼つてありませんでしたが、それでも構はず栓を拔いて、唇にもつていきました。そして獨語(ひとりごと)に「何かしら、面白いことがきつと起るのね、何か食べたり、飮んだりするといつも。だから今に此の壜(びん)のおかげでどなる か試してやらう。わたし元通りに大きくなりたいわ。こんなちつぽけなものになつて居ることなんか、あきあきしてしまつたんだもの。」そして實際その飮物は、力をあらはしました。しかもそれはアリスが思つたよりズツと早く、半分