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2015/06/25

カテゴリ「村山槐多」始動 / 「槐多の歌へる」  村山槐多 詩 「二月」 

カテゴリ「村山槐多」を始動する。

私は既に心朽窩新館」に於いてやぶちゃん版村山槐多散文詩集を、また「心朽窩旧館」にて「遺書二通」の他、「癈色の少女」「鐵の童子」「居合拔き」「美少年サライノの首」「殺人行者」「惡魔の舌」「魔猿傳」「孔雀の涙」「魔童子傳」「繪馬堂を仰ぎて」『村山槐多全集「感想」所収作品』を、また「心朽窩新館」では「やぶちゃん版村山槐多散文詩集」といった作品をオリジナルを電子化しているが、ふと気づいて見れば、ネット上には肝心の彼の詩集の纏まったものが、意想外にも、どこにも存在しないことに遅ればせ乍ら、気づいたのである。

かの芥川龍之介は、鋭く槐多の才能を見抜いていた(私の村山槐多遺稿詩文集「槐多の歌へる」の芥川龍之介による推賞文を参照されたい)。

これはもう……僕が始めるしか――ない。
 
オリジナルの
「村山槐多全詩集」を目指す――

底本は、まずは国立国会図書館近代デジタルライブラリーの大正九(一九二〇)年アルス刊の「槐多の歌へる(正字正仮名)の画像を視認したが、その際、平成五(一九九三)年彌生書房刊の「村山槐多全集 増補版」(但し、新字旧仮名)で校合し、注を附した。なお、同「全集」版では総ての詩篇の最終連最終行に句点が打たれて〈殺菌〉整序されているが、これは最初の数篇までの注で示すに止め、以下は原則、省略した。他に所持する昭和二六(一九五一)年改造文庫刊草野心平編「村山槐多詩集」及び昭和五五(一九八〇)年彌生書房刊山本太郎編『世界の詩70 村山槐多詩集』も参考にした。

手始めに「詩」から始める。底本は各標記年度中の短歌・日記を詩篇の後に配してあるが、これは現行「全集」同様にまず詩篇だけを纏めて電子化することとする。但し、現行全集が独立章として分割している散文詩篇は底本通り、標記年度中に含めることとする。なお、やぶちゃん版村山槐多散文詩集で電子化した、底本及び「全集」ともに大正一八(一九〇七)年パートに入れてある散文詩的「童話」(五篇)は、詩篇とは独立させて再電子化する予定である。底本の標記年度の下にある丸括弧内の数字は槐多の年齢(数え)である。なお、底本の一部では、頁の組が変更され、二字分、有意に上っている箇所が散見されるが、これは思うに、実際の槐多自身の原稿の再現というよりも(同一頁内で行われている箇所はそのようにも見える詩篇もあるが)、一行の字数が長くなる箇所では、表記字数を増やすために、二字上げを行っている可能性が強いと判読した。従って、それは再現していない(一部では注で指摘した)。くれぐれも上記リンク先の底本で確認されんことを乞う。

明日は私のサイト「鬼火」の十周年である。その前夜祭とでも言祝いでおこう。【2015年6月25日 藪野直史】

 

 

 

   千九百十三年(18

 

 

 

   二 月

 

君は行く暗く明るき大空のだんだらの

薄明りこもれる二月

 

曲玉の一つらのかざられし

美しき空に雪

ふりしきる頃なれど

晝故に消えてわかたず

 

かし原の泣澤女さへ

その銀の涙を惜み

百姓は酒どのの

幽なる明かりを慕ふ

 

たそがれか日のただ中か

君は行く大空の物凄きだんだらの

薄明り

そを見つつ共に行くわれのたのしさ。

 

    ×

 

ああ君を知る人は一月さきに

春を知る

君が眼は春の空

また御頰は櫻花血の如赤く

寶石は君が手を足を蔽(おほ)ひて

日光を華麗なる形に象めり

 

また君を知る人は二月さきに

夏を知る

君見れば胸は燒かれて

火の國の入日の如赤くたゞれ

唯狂ほしき暑氣にむせ

とこしへに血眼の物狂ひなり

 

あゝ君を知る人は三月さきにも

秋を知る

床しくも甘くさびしき御面かな

そが唇は朱に明き野山のけはひ

また御ひとみに秋の日のきらゝかなるを

そのまゝにつたへ給へり

 

また君を知る人は四月のまへに

冬を知る

君が無きときわれらが目すべて地に伏し

そこにある萬物は光色なく

味もなくにほひも音も打たへてたゞわれら

ひたすらに君をまつ春の戻るを。



 

[やぶちゃん注:「打たへて」はママ。平成五(一九九三)年彌生書房刊「村山槐多全集 増補版」(以下の注では「全集」と略す)では「打たえて」とする。「×」の記号は「全集」では、全く異なる「+」の記号が用いられている。]

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