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2015/06/12

柳田國男 蝸牛考 初版(9) その種々なる複合形

       その種々なる複合形

 

 方言は乃ち右のごとき場合に於て、單なる消滅以外にも、尚色々の感化を受けなければならなかつたのであらう。前掲の諸表を見渡しても知れるように、曾て全國に亙つて案外に廣い領土を持って居たらうと想像せられるのは、たゞ單純なるマイマイの形としてゞあつて、それが童兒の唱へごとに適した、七言または五言の長い名となる頃には、必ず地方によって思ひ思ひの變化を見て居る。二三の例外のまだ解説し難いものはあるが、大體においてマイマイツブロは、關東も主として東京灣の四周にのみ行はれて居る。其中でもことに上總下總の間に、此種の複合の多く行はれて居るのを見ると、或は此の方面の今一つ以前の語が、ツブロであつた爲かとも推測せられるのである。陸前の遠田郡などでメンメンダバゴロ、九州では筑後三瀦郡においてマメツングリ、肥前の佐賀でメエメエツングラメといふことは、何よりも有力なる一箇の旁證である。なぜかといへば蝸牛の方言が、仙臺領においてはタマクラまたはタンバクラであり、九州は又弘くツグラメである故に、それとマイマイとが結托すれば、當然に此の語を作るべきだからである。私は最初德川氏が東國移封に際して、多くの文物をその郷里から持ち込んだことより類推して、このマイマイツぶロもまた一種の三河屋では無いかと思つて居た。併し立戻つてその本國の實状を檢めてみると、彼地には寧ろ是と近いものが無かつたのである。三河では海上尾張と交通の多い日間賀島に、越中とよく似たメイメイツノといふ語がある。又天龍川を登りに信州の下伊那郡に入って行くと、ここではダイロと結合してマンマイダイロ、若しくはママダイロという方言も發生して居るのである。

[やぶちゃん注:「三瀦郡」「みず眞」と読む。既注。

「メエメエツングラメ」は改訂版では『メェメェツングラメ』。

「檢めて」「あらためて」と訓ずる。]

 

 それから今一つ、是は何れの側面からの刺戟でも無く、殆ど獨立して出來たかと思ふメエメエコンジョ、もしくはメエメエクンジョウといふ一語がある。それが東三河の寶飯八名等の諸都に行われ、北して設樂に入ると、早くもメメクジとつまつて、甚だしく蛞蝓の名と近くなって居るのは、また一つの新らしい暗示である。我々は他日或はこの事例の精細なる考察によつて、個々の單語の力の補充、即ち當初其語を作り出した動機が不明になって後、更に別方面から新たなる支持者を見付け出さうとする、社會的傾向を立證し得るかも知れない。果してさういふ傾向があるものとすれば、是は國語史學の可なり大切なる問題であつて、效果は獨り所謂民間語原説の、由來を明らかにするのみでは無いのである。蝸牛を右に近い語で呼ぶ例は、東京の近くにも亦偶然に一處あつた。武藏の山村から甲州にかけては、蝸牛の方言はマイマイツブロでは無かつた。入間郡の一部にはメエメエズ、北多摩郡大和村でもメエメエズ、西多摩郡氷川ではマイモズ、それが甲府の周圍に行くとメンメンジョウとなり、その中間には前に擧げた北都留郡のモモウズを生じ、やや飛び離れた下野の上都賀郡にも、マメジツコといふ語を殘して居るのであるが、丁度さういふ例ばかりで取圍まれた中に、孤立して又一つのメエメエコウジがある。村岡良弼氏の下總方言一斑の中に、相模では蝸牛をメメクジと謂ふとあるのは、多分亦之れを指したのであろうと思うが、馬入川左岸の津久井の山村に於ては、今でも實際「めえめえこうじ、やあこうじ、角を出せ槍を出せ云々」といふ童詞が行はれて居るのである(相州内郷村話)。さうして是と同じ種類の章句は、又三河の寶飯郡にもあり、西は名古屋の市中に於ても、近年の流行かは知らぬが、やはり採集せられて居るのである(俚謠集拾遺)。

[やぶちゃん注:以上の段落中の蝸牛の方言名で「メエメエ」を含むものは、総てが改訂版では『メェメェ』となっている。

「宝飯八名」愛知県東部にあった、旧宝飯(ほい)郡(現在の豊川(とよがわ)市の内)と旧八名(やな)郡(現在の豊橋市・新城市・豊川市の各一部が相当)。

「設樂」愛知県の旧設楽(したら)郡。現在の北設楽郡と新城市の豊川以北に当たる。

「上都賀郡」栃木県西の中部にあった。現在の栃木市・鹿沼市・日光市の各一部が相当。

「村岡良弼」(りょうすけ 弘化二(一八四五)年~大正六(一九一七)年)は法制学者で地理学者。下総香取郡出身。旧姓は渋谷。昌平黌の明法(みょうぼう)科に学び、司法省・宮内省などで初期の法制整備を勤めた。退官後は地誌や国史を研究、「日本地理志料」七十二巻・「続(しょく)日本後紀纂詁」二十巻などを著わした(以上は講談社「日本人名辞典」に拠る)。

「俚謠集拾遺」先立って明治三八(一九〇五)年に、文部省が各都道府県から蒐集、大正三(一九一四)年に刊行された「俚謠集」に収録されなかったものを集めたもので、大正四(一九一五)年刊。]

 

   めえめえこんしよ角う出せ

   粉糠三升やらあに

 

[やぶちゃん注:「めえめえこんしよ角う出せ」改訂版では

 

   めえめえこんじょ角う出せ

 

となっている。]

 

 この歌の文言を見れば、コウジもクンジョもともに小牛のつもりであつたとは、もう疑ひが無いのである。蝸牛は常陸の多賀郡でべコ、石城も津輕もともにツノベコといふ名を用ゐているのみならず、支那の蝸牛といふ語が亦既に渦紋ある牛の義であった。二つの角を振りまわす貝蟲を、牛に譬へるといふことは小兒の自然で、少しも異とするに足らぬやうなものだが、私は尚一つ以前の誘因がなかったならば、特にこれを「小牛」と呼ぶやうな、地方的の變化は起らなかつたのでは無いかと思つて居る。然らばこの相州と三河と、二地に偶發した變化の共通の誘因は何であつたか。是は蝸牛をもナメクジと呼んだ、又一つの方言がかつてあったといふことから、説明してかゝるより他は無いのである。

[やぶちゃん注:「石城」「いはき」と読み、福島県の太平洋岸東南端にあった旧石城郡。現在のいわき市の内。

「支那の蝸牛といふ語が亦既に渦紋ある牛の義であった」不審。辞書類を見ても、そのような意味は出てこないし、聴いたこともない。「廣漢和辭典」には中国での「蝸牛」の意味としては「カタツムリ」の意以外には、「指紋」の意を示すのみである。「咼」は、「肉を抉り取った占い用の骨」の形が元で「えぐる」「あな」であるが、「亘」に通じてここでは「めぐる」「渦を巻く」の意、「渦を巻くような」の殻を持った、「牛」の角のような触角を有する「虫」が解字であって、ここで柳田の言うような実用上の意(義)は記されていない。識者の御教授を乞う。]

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