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2015/06/22

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(八)

 
 
       八

 

 晃はまた私に次の話をした――

 鎌倉誌第七卷に書いてある話。昔鎌倉の延命寺に、裸地藏といふ有名な地藏像があつた。像は實際裸の彫刻であるが、それに着物をきせて、兩足を碁盤の上にのせて、直立してゐた。參詣者が一定の料金を献げるとき、寺僧が像の衣を除ける。すると、像の面は地藏の顏であるが、胴體は女身であることが見えるのであつた。

 この有名な裸地藏の緣起はかうであつた。或る時、平時賴公が大勢の客の面前で、妻と碁を打つてゐた。數局の後、二人の約束で、この次に負けたものは碁盤の上へ裸になつて立つといふことに決まつた。して、次の勝負に敗けた妻は、裸になる恥を救はせ玉へと地藏に祈願した。地藏はそれを聽入れ、そこへ現れ碁盤の上に立つて、自らの衣を脱ぎ、急にその體を女身に變へたのであつた。

 

[やぶちゃん注:「鎌倉誌第七卷に書いてある話」正しくは「新編鎌倉志」。以下、私の電子テクスト「新編鎌倉志卷之七」の「延命寺」から私の注も含めて引く。

   *

〇延命寺 延命寺は、米町(こめまち)の西にあり、淨土宗。安養院の末寺なり。堂に立像の地藏を安ず。俗に裸(はだか)地藏と云ふ。又前出(まへだし)地藏とも云ふ。裸形(らぎやう)にて雙六局(すごろくばん)を蹈せ、厨子(づし)に入、衣(きぬ)を著(き)せてあり。參詣の人に裸にして見するなり。常(つね)の地藏にて、女根(によこん)を作り付たり。昔し平の時賴(ときより)、其の婦人との雙六(すごろく)を爭(あらそ)ひ、互ひに裸にならんことを賭(かけもの)にしけり。婦人負けて、地藏を念じけるに、忽ち女體に變じ局(ばん)の上に立つと云傳ふ。是れ不禮不義の甚しき也。總じて佛菩薩の像を裸形に作る事は、佛制に於て絶へてなき事也とぞ。人をして恭敬の心を起こさしめん爲の佛を、何ぞ猥褻の體(てい)に作るべけんや。

[やぶちゃん注:編者は珍しく、聖なる地蔵を女体に刻んで、あろうことか会陰まで施すなんどということは破廉恥極まりないと不快感を示し、吠えている。面白い。白井永二編「鎌倉事典」によれば、この本尊は江戸への出開帳も行ったとあり、恐らくこの秘所を参拝者に見せることが行われていたのではなかろうか。現在okado氏のブログ 「北条時頼夫人の身代わりとなったお地蔵さま~延命寺~」でかなり古い法衣着帯の写真を見ることが出来る。「總じて佛菩薩の像を裸形に作る事は、佛制に於て絶へてなき事也とぞ」とあるが、これは感情的な謂いで、正しくない。鎌倉期には仏像のリアルな写実性が追及され、また生き仏のニュアンスを与えるために裸形の仏像に実際の衣を着せることが一部で流行した。奈良小川町にある伝香寺の裸地蔵、同じく奈良高御門町の西光院の裸大師、西紀寺にしきでら町の璉城寺れんじょうじの光明皇后をモデルとしたとされる裸形阿弥陀如来像、奈良国立博物館所蔵裸形阿弥陀如来立像等がそれで、実際に私は以前にある仏像展の図録で、そうした一体の裸形地蔵写真を見たことがあるが、その股間には同心円状の何重もの渦が彫り込まれていた。聖なる仏にあっては生殖器は正に異次元へと陥入して無限遠に開放されているといった感じを受けた。但し実はそれは私には、デュシャンの眩暈の「回転硝子盤(正確さの視覚)」を見るようで、デシャン的な意味に於いて、逆にエロティクに見えたことを付け加えておく。]

   *

ハーンの記すのと異なるのは「碁」が「雙六」であることだが、恐らく語った真鍋晃が双六では来日したばかりのハーンには理解出来ないと考えての、言い換えではあるまいかと思われる。因みに、「新編鎌倉志」の総監修者である黄門さま水戸光圀は実はファンダメンタルな神道家で(因みにかの国民的ドラマは徹頭徹尾真っ赤なウソであることは人口に膾炙しているものの、彼が生涯で旅をしたのは実は六浦鎌倉の一回だけであって事実はあまり知られているとは思われないので敢えてここに注しておく)、訪問先の神社にあった地蔵像などを棄却するなど、無体非道な行いを成している。

「献げる」「ささげる」と訓ずる。]

 

Sec. 8

Akira also tells me this:

It is related in the seventh volume of the book Kamakurashi that there was formerly at Kamakura a temple called Emmei-ji, in which there was enshrined a famous statue of Jizo, called Hadaka-Jizo, or Naked Jizo. The statue was indeed naked, but clothes were put upon it; and it stood upright with its feet upon a chessboard. Now, when pilgrims came to the temple and paid a certain fee, the priest of the temple would remove the clothes of the statue; and then all could see that, though the face was the face of Jizo, the body was the body of a woman.

Now this was the origin of the famous image of Hadaka-Jizo standing upon the chessboard. On one occasion the great prince Taira-no-Tokyori was playing chess with his wife in the presence of many guests. And he made her agree, after they had played several games, that whosoever should lose the next game would have to stand naked on the chessboard. And in the next game they played his wife lost. And she prayed to Jizo to save her from the shame of appearing naked. And Jizo came in answer to her prayer and stood upon the chessboard, and disrobed himself, and changed his body suddenly into the body of a woman.

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