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2015/06/21

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(六)・(七)

       六

 

 『天下禪林』の門と『巨福山』の門を經て、次の寺の建長寺の境内へ入ると、妙な間違で、また圓覺寺の境内へ入つたやうな氣がする。それは、私共の面前にある第三の門と、その向うの堂々たる寺院は、先きに見たものと同一の方式で、同一の建築家の造營だからである。この巨大莊嚴なる第三門を通つてから、私共は寺院の玄關前にある靑銅の泉水ヘ來た。金屬製の大きな美しい蓮華が、廣く淺い池を成して、中央の噴水によつて、漫々たる水を湛へてゐる。

 この寺にも黑と白の四角な石板が敷きつめてあつて、靴のまゝ入られる。外側は圓覺寺と同樣に素朴莊嚴であるが、内部は色の褪めた華麗の壯觀を留めてゐる。光炎を背景として坐せる黑い釋迦の代りに、こゝには巨大の地藏樣がある。火の後光を負つて、車輪大の一本の金輪が、三點で熖の舌を吐き出してゐる。その座は、色の曇つた大なる金蓮華で、高い緣の上には、地藏の衣が裾を垂れてゐる。その後ろの高く連つた金色の段階には、地藏の小像が、きらきら群つてゐる。千地藏である。その上の天井からは、一種の天蓋形の薄黑く輝いたもの――緣飾(ふさ)の如く垂れたものの輪――が、長年月の塵網の間から微かに光つてゐる。して、天井もその昔は驚異であつたに相違ない。全部鏡板に磨かれて、一枚一枚金地に飛鳥の彩色繪が描いてある。屋根を支へる八本の大きな柱も、昔は金塗りであつたが、今はその蟲に蝕まれた面と柱頭の處々に、痕を留めるだけである。それから戸の上の欄間には、灰色に褪めた古い浮彫刻で、笛と琵琶を奏する天人の翩翻たる狀が現れてゐる。

 右方に、重い板戸で通廊と界せる一つの室があつた。管理の僧が、その板戸を開けて私共をその室へ入らせた。こゝに眞鍮の臺の上に、私がこれまで見た中で最も大きな、周圍一丈八尺もある太鼓がある。その傍に表面全部に經文を刻した大鐘がある。それを鳴らすことを禁じてあつたのは、遺憾であつた。その外には何も見るべきものはなく、たゞ卍――日本で萬字と呼ぶ佛教の神聖なる象徴――を書いた暗い提燈のみであつた。

 

[やぶちゃん注:「先きに見たものと同一の方式で、同一の建築家の造營だからである」北条氏の私的な菩提寺ともいうべき建長寺の創建は建長五(一二五三)年で(第五代執権北条時頼を開基、蘭渓道隆を開山)、得宗祈願寺乍らも元寇の戦没者追悼を目的とした幕府の准公的寺院としての性格を持つ円覚寺の方は弘安五(一二八二)年(時頼嫡男で第八代執権時宗を開基、無学祖元を開山)で二十九年後のことであった。ハーンは断言しているが、実際には同一の設計者・施行者であった事実を示す資料はない(と私は思う)。但し、確かに両者の主要な建築物やその配置はよく似たコンセプトであることは間違いなく、同一の設計師と匠の手によって施行された可能性は確かに高い。

「一丈八尺」五・四五メートル。現在の方丈である龍王殿には龍王太鼓と呼ばれる大太鼓が確かにあるが、八雲が見たものがこれであるかどうかは確認していない。

「大鐘」総高二・〇八九メートル、口径一・二四三メートル、厚さ一〇・五センチメートルで、当時の関東鋳物師棟梁であった物部重光の鋳造になる、当時の日本の鋳造文化の頂点を示す名鐘(国宝)である。特にその撞座は『恐らく鎌倉現存鐘中の最優秀』(「鎌倉市史 考古編」)とされる立体感のよく出た荘厳ながらも美しいものである。]

 

Sec. 6

Entering the grounds of the next temple, the Temple of Ken-cho-ji, through the 'Gate of the Forest of Contemplative Words,' and the 'Gate of the Great Mountain of Wealth,' one might almost fancy one's self reentering, by some queer mistake, the grounds of En-gaku-ji. For the third gate before us, and the imposing temple beyond it, constructed upon the same models as those of the structures previously visited, were also the work of the same architect. Passing this third gate—colossal, severe, superb—we come to a fountain of bronze before the temple doors, an immense and beautiful lotus-leaf of metal, forming a broad shallow basin kept full to the brim by a jet in its midst.

This temple also is paved with black and white square slabs, and we can enter it with our shoes. Outside it is plain and solemn as that of En- gaku-ji; but the interior offers a more extraordinary spectacle of faded splendour. In lieu of the black Shaka throned against a background of flamelets, is a colossal Jizo-Sama, with a nimbus of fire—a single gilded circle large as a wagon-wheel, breaking into fire-tongues at three points. He is seated upon an enormous lotus of tarnished gold— over the lofty edge of which the skirt of his robe trails down. Behind him, standing on ascending tiers of golden steps, are glimmering hosts of miniature figures of him, reflections, multiplications of him, ranged there by ranks of hundreds—the Thousand Jizo. From the ceiling above him droop the dingy splendours of a sort of dais-work, a streaming circle of pendants like a fringe, shimmering faintly through the webbed dust of centuries. And the ceiling itself must once have been a marvel; all beamed in caissons, each caisson containing, upon a gold ground, the painted figure of a flying bird. Formerly the eight great pillars supporting the roof were also covered with gilding; but only a few traces of it linger still upon their worm-pierced surfaces, and about the bases of their capitals. And there are wonderful friezes above the doors, from which all colour has long since faded away, marvellous grey old carvings in relief; floating figures of tennin, or heavenly spirits playing upon flutes and biwa.

There is a chamber separated by a heavy wooden screen from the aisle on the right; and the priest in charge of the building slides the screen aside, and bids us enter. In this chamber is a drum elevated upon a brazen stand,—the hugest I ever saw, fully eighteen feet in circumference. Beside it hangs a big bell, covered with Buddhist texts. I am sorry to learn that it is prohibited to sound the great drum. There is nothing else to see except some dingy paper lanterns figured with the svastika—the sacred Buddhist symbol called by the Japanese manji.

 

 

 

       七

 

 晃は私に、建長寺の大地藏に關して、『地藏經古趣意』といふ本に書いてある、次の傳説を語つた。

 昔、鎌倉に曾我貞義といふ浪人の妻がゐて、蠶を飼ひ絹絲を集めて糊口の業とした。

    註 浪人といふ語の充分なる意義を知る

      ためには、讀者はミツトフオード氏

      の名著、「舊日本物語」を參照され

      い。

 彼女は毎々建長寺へ參詣したが、或る寒い日に參詣した時、地藏の像が寒さに苦しむやうに見えたので、地藏の頭を温かくするため、田舍の人が寒い日に被ぶるやうな、頭巾を作つて上げようと決心した。して、家に歸つてから、頭巾を作つて、『私が富裕であつたら、御尊體全部を蔽ふものを獻上致したいのですが、貧乏の身は詮方ありませぬ。こんなお粗末なものを恐れ入りますが』と云つて、それを地藏の頭に着せた。

 さて、この女は治承五年〔譯者註〕十二月、齡五十歳のとき、急死したが、死體は三日間も温かいので、親類が葬らずに置いた。すると、三日目の晩、彼女は蘇生した。

 それから彼女は語つた。死んだ日に彼女が閻魔王廰に行くと、閻魔は彼女を見て怒つて、『佛の教へを輕じた惡女奴。蠶を湯に入れ、その生命を滅ぼして、一生涯を暮してきたのだ。钁湯地獄へ行つて、罪の贖はれるまで焚かれるがよい』と云つた。直ちに彼女は鬼どもに捉へられ、引ずられて、溶けた金屬の滿てる大鍋に投込まれた。彼女が激しく叫喚すると、忽然、地藏樣が溶けた金屬の中の彼女の傍へ降りてきて、金屬は油が流れる如くになり焚えることが止み、地藏は兩手を延べ、彼女を抱いて扛上げた。して、彼女を伴れて閻魔の前へ行き、生前の善行によつて地藏と結緣であるからと云つて、彼女の赦免を求めた。それで彼女は赦されて娑婆へ歸つたのだ。

 『では、佛教に從へば、絹を着るのは不正となる譯だ。さうか?』と私は晃に質問を發した。

 『實際不正です。で、佛陀の掟に於ては、明白に僧は、絹を着てはならぬとしてあります』と晃は答へ、『しかし』と言葉を加へて、例の穩かな微笑を洩したので、私は諷刺の暗示を悟つた。『大概の僧侶は絹を着てゐます』

    譯者註 治承の年號は四年にて終はる。

        暫く疑を存しておく。

 

[やぶちゃん注:「治承五年〔譯者註〕」この「譯者註」は底本では「治承五年」の右にポイント落ちで附されてある。

「地藏經古趣意」不詳。そもそもこの伝承自体が現在の鎌倉ではよく知られているとは言えないもので、年号など(後注する)不審な箇所が多い(そもそもが地獄を具体に語る「地蔵経」自体が一種の偽経である)。私は不審な「治承」という古い年号からは、当地が地獄谷と呼んだ刑場であったことに基づく別な地蔵伝説である「済田地蔵」の伝承が背後に潜んでいるような気がしてならない。詳しくは私の電子テクスト「新編鎌倉志卷之三」の「建長寺」の「佛殿」の記載をお読みになられたい。

「曾我貞義」不詳。

「ミツトフオード氏」イギリスの貴族で外交官のアルジャーノン・バートラム・フリーマン=ミットフォード(Algernon Bertram Freeman-Mitford 一八三七年~一九一六年)。幕末から明治初期にかけて外交官として日本に滞在した。ウィキの「アルジャーノン・フリーマン=ミットフォード(初代リーズデイル男爵)」によれば、慶応三(一八六六)年十月に来日(当時二十九歳)し(着任時に英国大使館三等書記官に任命)、明治三(一八七〇)年一月一日に離日している。『当時英国公使館は江戸ではなく横浜にあったため』、『横浜外国人居留地の外れの小さな家にアーネスト・サトウ』『と隣り合って住むこととなった』。約一ヶ月後、『火事で外国人居留地が焼けたこともあり、英国公使館は江戸高輪の泉岳寺前に移った。ミットフォードは当初公使館敷地内に家を与えられたが、その後サトウと』二人で『公使館近くの門良院に部屋を借りた。サトウによると、ミットフォードは絶えず日本語の勉強に没頭して、著しい進歩を見せている。また住居の近くに泉岳寺があったが、これが後』に、「昔の日本の物語」(次注)を執筆し、『赤穂浪士の物語を西洋に始めて紹介するきっかけとなっている』とある。また、彼は慶応四(一八六八)年二月四日に起った『備前藩兵が外国人を射撃する神戸事件に遭遇し』ており、『事件の背景や推移には様々な見解があるが、ミットフォードはこれを殺意のある襲撃だったとしている。なお、この事件の責任をとり、滝善三郎が切腹しているが、ミットフォードはこれに立会い、また自著『昔の日本の物語』にも付録として記述している』とある。

「舊日本物語」離日した翌年の一八七一年に刊行されたミットフォードの“Tales of Old Japan”。前注の「昔の日本の物語」と同じ。

「治承五年十二月」西暦一一八一年に相当する(源頼朝の鎌倉入城は前年の十月七日、平家の壇ノ浦での滅亡は四年後の文治元(一一八五)年三月二十四日)。この年は七月十四日に治承五年から養和元年に改元してはいる。但し、これは平家政権の行った改元であって、頼朝の関東政権に於いてはこの先の養和や寿永の元号を使わずに治承を引き続き使用しているので、鎌倉を舞台とした伝承としては、訳者の指摘するような疑義は寧ろ、ないと言ってよい。……いや、それよりも落合先生……まんず、建長寺が出来る七十二年前の話に建長寺が出てきちゃいかんで、しョウ!

「钁湯地獄」「くわくたうじごく(かうとうじごく)」と読む。地獄の責め苦の象徴としてしばしば出る「刀山剣樹钁湯」の一つで、ぐらぐら煮え滾(たぎ)る熱湯に投げ入れられる一地獄である。

「扛上げた」「扛」は音「カウ(コウ)」であるが、原義が上げる・さし上げる・両手で持ち上げるの意であるから、ここは「さしあげた」と訓じていると読む。]

 

Sec. 7

 

Akira tells me that in the book called Jizo-kyo-Kosui, this legend is related of the great statue of Jizo in this same ancient temple of Ken- cho-ji.

Formerly there lived at Kamakura the wife of a Ronin [4] named Soga Sadayoshi. She lived by feeding silkworms and gathering the silk. She used often to visit the temple of Kencho-ji; and one very cold day that she went there, she thought that the image of Jizo looked like one suffering from cold; and she resolved to make a cap to keep the god's head warm—such a cap as the people of the country wear in cold weather. And she went home and made the cap and covered the god's head with it, saying, 'Would I were rich enough to give thee a warm covering for all thine august body; but, alas! I am poor, and even this which I offer thee is unworthy of thy divine acceptance.'

Now this woman very suddenly died in the fiftieth year of her age, in the twelfth month of the fifth year of the period called Chisho. But her body remained warm for three days, so that her relatives would not suffer her to be taken to the burning-ground. And on the evening of the third day she came to life again.

Then she related that on the day of her death she had gone before the judgment-seat of Emma, king and judge of the dead. And Emma, seeing her, became wroth, and said to her: 'You have been a wicked woman, and have scorned the teaching of the Buddha. All your life you have passed in destroying the lives of silkworms by putting them into heated water. Now you shall go to the Kwakkto-Jigoku, and there burn until your sins shall be expiated.' Forthwith she was seized and dragged by demons to a great pot filled with molten metal, and thrown into the pot, and she cried out horribly. And suddenly Jizo-Sama descended into the molten metal beside her, and the metal became like a flowing of oil and ceased to burn; and Jizo put his arms about her and lifted her out. And he went with her before King Emma, and asked that she should be pardoned for his sake, forasmuch as she had become related to him by one act of goodness. So she found pardon, and returned to the Shaba-world. 

'Akira,' I ask, 'it cannot then be lawful, according to Buddhism, for any one to wear silk?'

'Assuredly not,' replies Akira; 'and by the law of Buddha priests are expressly forbidden to wear silk. Nevertheless.' he adds with that quiet smile of his, in which I am beginning to discern suggestions of sarcasm, 'nearly all the priests wear silk.'

 

4 Let the reader consult Mitford's admirable Tales of Old Japan for the full meaning of the term 'Ronin.

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