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2015/06/24

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(一七)

 
 
        一七

 

 石段をのぼると、高臺に達し、町の屋根が見おろされる。苔が蒸して、缺けた唐獅子や石燈籠が鳥居の兩側にあつて、臺の背後は神聖な山が森に蔽はれてゐる。左の方に古色蒼然たる石の欄干が、滿面藻屑の浮いた淺い池を圍んでゐる。池の對岸の叢林から、漢字で蔽はれた、奇異な形の平石が、一端で立つて、突出でてゐる。これは神聖な石で、大きな蝦蟇の形だと信ぜられてゐる。だから蝦蟇石といふ。臺の緣に沿つて、彼處此處に他の石碑がある。その一つは辨天宮へ百度參詣した連中の寄進に係るのだ。右の方にまた石段があつて、更に上の高臺に達する。臺の麓に坐つて鳥籠を編んでゐた老人が、進んで案内者となることを申出でた。

 私共は案内者に隨いて次の高臺へ上ぼつた。そこには江ノ島小學校がある。また今一つ大きな不恰好の貴い石がある。福石といふ、昔は巡禮者が、この石を手で擦ると、富を得るものと信じでゐたので、石は無數の掌によつて磨滅されてゐる。

 更にまた石段があり、綠苔の生じた唐獅子や、石燈籠があつて、それから、また高臺となつて、中央には小祠がある。これは辨天の第一の祠である。數株の短矮な棕櫚がその前に生えてゐる。祠内には何も興味あるものはない。たゞ神道の象徴だけだ。が、傍にまた一つの井があり、奉納の手拭がある。それから、六百年前、支那から齎らされ石堂がある。恐らくは此巡禮の札所が神道の祠官に渡されない前、その中には有名な像があつたことであらう。今は何も入つてゐない。その背部を成せる一本石は、上の崖から落ちた岩のため破碎してゐる。碑文も一種の浮渣で殆ど消されて、晃が讀んだのは、『大日本國江島之靈石……』餘は解することが出來ない。晃の話によると、この附近の祠に一つの像がある。が、唯だ一年に一囘、七月十五日に覽せられるとのことであつた。

 私共は、この境内を去つて、左方へ上つて行つて、海を見おろす斷崖の端を進んだ。崖端に綺麗な茶店が數軒ある。いづれも海風に面して開け放してあるから、家の中を見通しに、疊を敷いた室や漆塗りの緣側を越えて、海が繪の額緣に收まつたやうに見える。して、雪の如き帆の散點せる靑白く晴れた水平線と、幻の島の如く、温かに蒸汽の影法師の如き大島の、微かな靑い峻峰の形が見える。それから、また鳥居と石段がある。石段は高臺に通じ、臺は巨大な常盤木の蔭で殆ど黑く、海の方は苔滑かな石の欄干を繞らしてある。右の方に石段、鳥居、高臺があり、更に苔蒸せる唐獅子と石燈籠があり、また江ノ島が佛教から神道に移つた變遷を誌した石碑もある。向うの方、更に他の丘の中央に第二の辨天宮がある。

 が、そこに辨天はゐない!辨天は神道家の手によつて隱されてしまつた。この第二の祠は第一の祠と同樣に空虛だ。しかし、祠の左手の建物に奇異なる遺品が陳列されてゐた。封建時代の武具、即ち板金鎧と鏈甲の一揃、惡魔の如き鐡の假面である瞼甲の附いた兜、金龍の飾冠の附いた兜、大入道が振り廻はしさうな兩手で使へる刀劍、直径約一寸、長さ五尺以上もある巨大の箭など、ある箭には、長さ約九寸の三日月形に彎曲せる矢尻が附いてゐて、彎曲の内側は小刀の如く鋭い、かやうな矢は人の頭をはね飛ばすだらう。で、私はそんな重げな矢が、たゞ手で以て弓から射放たれたといふ晃の斷言を殆ど信じ難い。佛教の偉僧日蓮の書――紺地に金文字――があり、また更に偉大なる佛僧、書家、魔力家なる弘法大師の作と稱せらるゝ金龍が、漆塗りの厨子に入ってゐる。

 掩ひかかる樹の蔭を通つて、第三の祠へ達する。鳥居をくゞつてから、一面に浮彫の猿を刻んだ石碑の處へ來る。この碑の意味は、流石の案内者も説明が出來ない。それからまた鳥居がある。これは木製だ。が、金屬製のを夜間盜賊に盜まれたので、その代りだと私は告げられた。驚くべき盜賊!その鳥居は少くとも一噸の重さがあつたに相違ない。また石燈籠がある。それから山の絶頂に廣い境内があつて、その中央に第三番目で、且つ主要なる辨天の祠がある。祠前の雰地には墻を繞らして、祠へは全然近寄れないやうにしてある。虚榮と業腹!

 が、墻の前に、祠の石段に面して、小さな拜殿がある。そこには賽錢箱と鈴が備へてあるだけで何も無い。參詣者はこゝで賽錢を捧げて祈る。小さな壇の上に、支那式屋根を四本の素木の柱で支へて載せ、後方は胸ほどの高さに格子で仕切つてある。この拜殿から辨天宮を覗いて見ると、辨天は存在しないことがわかつた。

 が、私は天井は鏡板で張りつめてあることを認めた。して、中央の鏡板には珍らしい繪を發見した――繪畫の龜が私を瞰視してゐる。私がそれを眺めてゐると、晃と案内者の笑ふのが聞えた。して、案内者は『辨天さま!』と叫んだ。

 一匹の美しい綾織模樣の小蛇が、格子細工を傳つて、蜿蜒と昇つて行く。折々格子の目から頭を突き出して私共を眺める。蛇は毫も人を怖れる風に見えない。また怖れる必要もない。この種類の蛇は辨天の使者で、且つ祕密を明かされてゐる者と思はれてゐるから。女神自身が蛇の形相をすることもある。恐らくは彼女は私共を見ようとして出て來たのであらう。

 附近に、臺石の上に据ゑた奇異の石がある。龜の形で、龜の甲のやうな條紋を有つてゐる。これは神聖のものと考へられ、龜石と呼ばれる。しかし、私はこゝで石と蛇の外には、何をも發見し得ないだらうと、大いに懸念した。

 

[やぶちゃん注:俗に「江の島の屏風石」と呼称される「大日本國江島之靈石」など、薀蓄を述べたいところはゴマンとあるのであるが、私はもう、ハーンと一緒に江の島に入って、ともに歩いているだけで十分で、このルートや遺物及び旧跡をほぼ完全にハーンとともに追体験出来る人間なのである。ここでは、とてもインキ気臭い注を附す気が完全に失せた! 悪しからず!――なお、お暇な方は、例えば私の新編鎌倉志卷之六をご覧あれ。そこで私は「江の島の屏風石」の文字の写真を撮って添えている。また、同じく私のブログのカテゴリ「鎌倉紀行・地誌の、『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」(完結。現在、作業中の『風俗畫報』臨時増刊「鎌倉江の島名所圖會」の方ではない。ずっと下の方に夥しくある奴である)の膨大な「江島」パートの、私の各詳細記事を参照戴ければ、恩幸これに過ぎたるはない。そこで私はほぼ、言いたいこと、言うべきことをを総て言っているつもりだからである。

「この附近の祠に一つの像がある。が、唯だ一年に一囘、七月十五日に覽せられる」これだけご存じない方が多いと思われるので注しておく。これは江ノ島神社の辺津宮(へつのみや)の左側にある八坂神社(江戸時代までは天王社と呼称した)に祀られている素戔嗚尊(すさのおのみこと)木像を指す(私自身、拝観したことがない)。現在も八坂神社礼祭(天王祭)毎年七月中旬の日曜日に大祭がある(かつては神輿が対岸の腰越にある小動神社まで海上を渡御したが、現在は海に入るものの橋を渡っているらしい。私は未見)。

「浮渣」「フサ」と音読みしているようだが、原文の“sucum”(スカム)の、所謂、科学技術用語的な訳で如何にも硬い。現行の「スカム」は主に液体の表面に浮かぶ「泡」や「浮き滓(かす)」を意味し、現在では主に浄水場や排水処理槽などの装置にある沈殿池(槽)などで浮かぶところの、泡とも泥ともつかない物質、概ね、液体の表面に浮き溜まっている厚い油膜や油脂成分を指す語である。広義には汚物や糟(かす)の謂いもあるから、ここは「覆った汚れ」ぐらいでよいと思われる。平井呈一氏はすこぶる達意に『何だか石垢のようなものが積もって』と訳しておられ、至当である。

「板金鎧」「ばんきんよろい」と読む。一般にこれはヨーロッパ中世の騎士が装着するような“plate armor”(プレート・アーマー:人体の胸部或いは全身を覆う金属板で構成された鎧。)の訳語として知られるが、原文の“suits of plate”は、所謂、“plate armor”“armor”が甲冑一式(鎧と兜)を指す言葉であることから、ハーンは後に兜を言う関係上、鎧だけを示すために“suits”と言ったように見受けられる。

「鏈甲」「くさりかぶと」と訓じているか。原文は“chain-mail”で、“mail”自体が鎖帷子(くさりかたびら)、鎖で出来た鎧の意がある。ここは「鎖帷子」と訳してよかったのではないか。或いは落合氏はこれで「くさりかたびら」と訓じさせるつもりであったのかも知れない。

「瞼甲」原文“visors”(ヴァイザー。「サン・バイザー」などのそれ)。これは恐らく「めんぼう(めんぼお)」(面頰)と当て読みしているように思われる。兜の面庇(まびさし)である。

「五尺」約一・五メートル。ウィキ矢」によれば、『矢の長さは、自分の矢束(やづか。首の中心から横にまっすぐ伸ばした腕の指先まで)より手の指数本分長いものが安全上好ましいとされて』おり、「平家物語」には『十二束(つか)三伏(ぶせ)』(拳の幅十二個分に加えて指三本分の幅の長さ)という表記もある、とある。調べて見ると、一メートルを越える箭(や)もあるらしいが、この長さは異様で、しかも通常の実戦用の征矢(そや)で太いものでも一センチメートルであるから、「一寸」、三センチメートルというのはとんでもない代物で、源為朝ぐらいしか放てそうにない。寧ろ、張子の虎の威嚇的な神聖奉納品であろう。

「素木」「ソボク」という音読みでもよいが、ここは「しらき」(白木)と読みたい。
 

「瞰視してゐる」「カンシ」という音読みでもよいが、原義の見下ろすこと・俯瞰の意から、「みおろしている」と訓じたい。

「一面に浮彫の猿を刻んだ石碑」私の大好きな群猿奉賽像庚申塔(ぐんえんほうさいぞうこうしんとう)である。基座には弁天の使いとされる蛇が浮き彫りとなっており、四面には計三十六匹もの神猿が思い思いの仕草で山王神の神徳を奉賽するユーモラスな姿で浮き彫りされている庚申塔で三猿信仰と習合した庚申塔の中でもこれだけ膨大な数の猿を彫ったものは他に例を見ない。江戸後期に無病息災を祈念して建立されたものと考えられている。藤沢市重要有形民俗文化財である。

「繪畫の龜が私を瞰視してゐる」やはり私の大好きな江ノ島神社奥津宮の拝殿上部の酒井抱一画「八方睨みの亀」である。ハーン描写は頗る正しい。なお、現在見られるそれは一九九四年に片岡華陽の復元画である(原画は藤沢市有形文化財指定で江島神社宝蔵に保管されている)。

 

Sec. 17

Ascending the steps, we reach a terrace, overlooking all the city roofs. There are Buddhist lions of stone and stone lanterns, mossed and chipped, on either side the torii; and the background of the terrace is the sacred hill, covered with foliage. To the left is a balustrade of stone, old and green, surrounding a shallow pool covered with scum of water-weed. And on the farther bank above it, out of the bushes, protrudes a strangely shaped stone slab, poised on edge, and covered with Chinese characters. It is a sacred stone, and is believed to have the form of a great frog, gama; wherefore it is called Gama-ishi, the Frog-stone. Here and there along the edge of the terrace are other graven monuments, one of which is the offering of certain pilgrims who visited the shrine of the sea-goddess one hundred times. On the right other flights of steps lead to loftier terraces; and an old man, who sits at the foot of them, making bird-cages of bamboo, offers himself as guide.

We follow him to the next terrace, where there is a school for the children of Enoshima, and another sacred stone, huge and shapeless: Fuku-ishi, the Stone of Good Fortune. In old times pilgrims who rubbed their hands upon it believed they would thereby gain riches; and the stone is polished and worn by the touch of innumerable palms.

More steps and more green-mossed lions and lanterns, and another terrace with a little temple in its midst, the first shrine of Benten. Before it a few stunted palm-trees are growing. There is nothing in the shrine of interest, only Shinto emblems. But there is another well beside it with other votive towels, and there is another mysterious monument, a stone shrine brought from China six hundred years ago. Perhaps it contained some far-famed statue before this place of pilgrimage was given over to the priests of Shinto. There is nothing in it now; the monolith slab forming the back of it has been fractured by the falling of rocks from the cliff above; and the inscription cut therein has been almost effaced by some kind of scum. Akira reads 'Dai-Nippongoku-Enoshima-no-reiseki- ken . . .'; the rest is undecipherable. He says there is a statue in the neighbouring temple, but it is exhibited only once a year, on the fifteenth day of the seventh month.

Leaving the court by a rising path to the left, we proceed along the verge of a cliff overlooking the sea. Perched upon this verge are pretty tea-houses, all widely open to the sea wind, so that, looking through them, over their matted floors and lacquered balconies one sees the ocean as in a picture-frame, and the pale clear horizon specked with snowy sails, and a faint blue-peaked shape also, like a phantom island, the far vapoury silhouette of Oshima. Then we find another torii, and other steps leading to a terrace almost black with shade of enormous evergreen trees, and surrounded on the sea side by another stone balustrade, velveted with moss. On the right more steps, another torii, another terrace; and more mossed green lions and stone lamps; and a monument inscribed with the record of the change whereby Enoshima passed away from Buddhism to become Shino. Beyond, in the centre of another plateau, the second shrine of Benten.

But there is no Benten! Benten has been hidden away by Shinto hands. The second shrine is void as the first. Nevertheless, in a building to the left of the temple, strange relics are exhibited. Feudal armour; suits of plate and chain-mail; helmets with visors which are demoniac masks of iron; helmets crested with dragons of gold; two-handed swords worthy of giants; and enormous arrows, more than five feet long, with shafts nearly an inch in diameter. One has a crescent head about nine inches from horn to horn, the interior edge of the crescent being sharp as a knife. Such a missile would take off a man's head; and I can scarcely believe Akira's assurance that such ponderous arrows were shot from a bow by hand only. There is a specimen of the writing of Nichiren, the great Buddhist priest—gold characters on a blue ground; and there is, in a lacquered shrine, a gilded dragon said to have been made by that still greater priest and writer and master-wizard, Kobodaishi.

A path shaded by overarching trees leads from this plateau to the third shrine. We pass a torii and beyond it come to a stone monument covered with figures of monkeys chiselled in relief. What the signification of this monument is, even our guide cannot explain. Then another torii. It is of wood; but I am told it replaces one of metal, stolen in the night by thieves. Wonderful thieves! that torii must have weighed at least a ton! More stone lanterns; then an immense count, on the very summit of the mountain, and there, in its midst, the third and chief temple of Benten. And before the temple is a Lange vacant space surrounded by a fence in such manner as to render the shrine totally inaccessible. Vanity and vexation of spirit!

There is, however, a little haiden, or place of prayer, with nothing in it but a money-box and a bell, before the fence, and facing the temple steps. Here the pilgrims make their offerings and pray. Only a small raised platform covered with a Chinese roof supported upon four plain posts, the back of the structure being closed by a lattice about breast high. From this praying-station we can look into the temple of Beaten, and see that Benten is not there.

But I perceive that the ceiling is arranged in caissons; and in a central caisson I discover a very curious painting-a foreshortened Tortoise, gazing down at me. And while I am looking at it I hear Akira and the guide laughing; and the latter exclaims, 'Benten-Sama!'

A beautiful little damask snake is undulating up the lattice-work, poking its head through betimes to look at us. It does not seem in the least afraid, nor has it much reason to be, seeing that its kind are deemed the servants and confidants of Benten. Sometimes the great goddess herself assumes the serpent form; perhaps she has come to see us.

Near by is a singular stone, set on a pedestal in the court. It has the form of the body of a tortoise, and markings like those of the creature's shell; and it is held a sacred thing, and is called the Tortoise-stone. But I fear exceedingly that in all this place we shall find nothing save stones and serpents!

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