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2015/07/12

生物學講話 丘淺次郎 第十三章 産卵と姙娠(7) 三 子宮

     三 子 宮

Kamonohasi_fe

[「かものはし」の雌の生殖器]

Kangaroo_fe

[「カンガルー」の雌の生殖器]

 

 鳥類などでは卵が卵巣を離れてから體外へ出るまでに通過する管を全部輸卵管と呼ぶが、獸類ではこの管を三部に區別し、卵巣に最も近くて卵が單に通過するだけの部を輸卵管または喇叭管といい、その次にあつて子がその内で育つ處を子宮といひ、子宮から體外に開くまでの間を膣といふ。この中で最も大切な所は子宮であるが、種々異なつた獸類を比べて見ると、初め鳥類のと少しも違はぬやうな輸卵管が左右に一本づつあるものが、下端の方から漸々相合著して終に人間に見るやうな一箇の子宮が體の中央線に位するに至るまでの進歩の道筋が明に知れる。まづ「かものはし」などを見ると、輸卵管は左右別々に肛門の内側に開き、相合して一本となつて居る處はどこにもない。出口に近い處に卵が暫く留まつて、その内の子が發育するから、その部を子宮と名づけるが、鳥類と同じことで、特に膣と稱すべき部は全くない。次に「カンガルー」の類では如何にといふに、この類では膣の開口は一つの孔であるが、その内は直ちに二本に分れて居る。これに準じて雄の方の交接器も左右二本に分れてある。膣が左右に分れて居るから、それより奥の子宮や輸卵管は勿論左右に一つづつある。生殖器の開口と肛門とは別の穴であるが共同の輪狀筋肉で恰も巾著の口の如くに括(くゝ)られて居る有樣は、鳥類や「かものはし」の類と普通の獸類との中間に位するものといへる。「うさぎ」・「ねずみ」などを見ると膣は單一であるが、子宮は明らかに二つ竝んであつて、その膣に續く孔も左右別々に開いて居る。また犬・猫などになると、子宮は下の方は合して一つとなり、上の方は左右に分れて居るから、恰も人といふ字を倒した如くである。最後に猿・人間などでは子宮は全く單一となり、ただ喇叭管だけが左右一對をなして居る。このやうに種々の獸類を比べて見ると、人間や猿などの如くに、膣の奧にたゞ一個の茄子狀の簡單な子宮があるのは、初め「かものはし」に於る如き左右一對の長い輸卵管が出口の方から少しづつ相合著して、一歩一歩進み來つた最後の階段であることが明に知れるであらう。

[やぶちゃん注:「雄の方の交接器も左右二本に分れてある」ネット上の画像などを見ても、このカンガルーののペニスの二股というのは上手く現認出来ない。記載でも妖しげな漢方サイトの精力剤としての販売解説に『カンガルーの雄のペニスは二股に分かれていることでも知られてい』るなんどと力説されてあるのばかりが目立つので、何だか眉唾っぽく感じ始めたりもしていたのだが、東京都豊島区の「みわエキゾチック動物病院」公式サイト内の「フクロモモンガについて」同種は和名に「モモンガ」とつくが、カンガルー目フクロモモンガ上科フクロモモンガ科フクロモモンガ Petaurus breviceps で立派な有袋類、齧歯(ネズミ)目リス科リス亜科モモンガ族モモンガ属 Pteromys momonga とは全く関係ない生物であるので要注意!)の「ペニス脱」の項に(改行部を繫げた。下線はやぶちゃん)、『フクロモモンガをはじめ、有袋類は他の哺乳類とは解剖学的に大きな違いがいくつかあります。その一つがペニス(陰茎)の形と陰嚢の位置です。ほとんどの哺乳類のペニスは陰嚢より頭側にありますが、フクロモモンガでは陰嚢の方がペニスよりも頭側にあります。また、ほとんどの哺乳類はペニスを一本しか持っていませんが、フクロモモンガのペニスは先端が二つに分かれてまるで2本のペニスを持っているように見えます。このため、フクロモモンガの雌の膣の構造も他の動物とは大きく異なっています。雄のフクロモモンガはペニスを出したり引っ込めたりすることがよくあります。このとき何らかの理由でペニスがもとに戻らなくなるとフクロモモンガ自身が気にして舐めたりかじったりしてしまいます。初期の段階であれば元に戻すことも可能ですが、赤黒く腫れ上がったり、真黒に壊死したりしてしまうとペニスの先端部を切除しなければいけません。ペニスが出っぱなしになって、気にして舐めたりかじったりしている場合にはできるだけ早くフクロモモンガの診察が可能な動物病院で診てもらいましょう』とあることで、悩み解消! 正式な獣医の方のこの書き方から、下線部はカンガルーにも通ずることは明白である。未だ疑惑をお持ちの方は、そうさ、FUKU♥MOMO氏のブログ「ほっとひといき~FUKU♥MOMO CAFE~」のこちらの記事に、飼っておられる「チッチ&カー君」の睡眠中のその現象(ペニス脱)を撮った画像が出る! 二股ッツ! 文句あるまい!

「巾著」老婆心乍ら、「きんちやく(きんちゃく)」(巾着)、財布のことである。]

 

 さて子宮なるものは、これを具へる個體の生存を標準として考へると、なくとも日々の生活には差支のない筈のものを暫く貯へ置く袋に過ぎぬから、尿を貯へるための膀胱と同じ價値のものであるが、種族の生存を標準として見ると、極めて重大な價値を有する。子宮内に子を入れて居る間は、母親は種族の生命を己が手に預かつて居るやうなもので、自分が死ねば種族の將來をも亡ぼすことに當る。即ち子が早く死んで出ても、親は生き殘るが、親が死ねば子は到底助からぬから、姙娠中の母親は種族維持の上には最も大切なもので、この點では大に父親と違ふ。長い間餘計な重さを支へ、餘計な食物を食ふのも、最後に非常な苦しみを怺へるのも、一として自己一身のためではなく、全く種族のためであるゆえ、姙娠は、いはば種族のために個體が奉公をして居る如きものである。されば姙娠中の婦人は自己の屬する種族の維持繁榮のために一身を捧げて居るわけに當るから、周圍の者からは特別の待遇を受け、ただならぬ身として鄭重に取扱はれるが、自身も當然のこととして敢へてこれを辭せぬ。受精の際に他人に見られたならば恥じて絶え入るべき程の婦人が、受精の結果なる姙娠を幾分か誇るが如き態度の見えるのは、おそらく種族のために重大な任務を盡くして居るといふ無意識的の自覺が、どこかに潜んで居るからであらう。いづれにしても、子宮は個體の一小部分でありながら、全く種族のために働く特別の器官であるから、その影響する所も頗る廣く、子宮に何か異常があれば全身はそのために健康を失ふ。何處の病院に行つても婦人科はあるが、男子科はない。そして婦人科の病といふのは、殆ど皆子宮に關係のある病ばかりである。

[やぶちゃん注:「怺へる」「こらへる」と訓ずる。
 
「姙娠は、いはば種族のために個體が奉公をして居る如きものである。されば姙娠中の婦人は自己の屬する種族の維持繁榮のために一身を捧げて居るわけに當るから、周圍の者からは特別の待遇を受け、ただならぬ身として鄭重に取扱はれるが、自身も當然のこととして敢へてこれを辭せぬ。受精の際に他人に見られたならば恥じて絶え入るべき程の婦人が、受精の結果なる姙娠を幾分か誇るが如き態度の見えるのは、おそらく種族のために重大な任務を盡くして居るといふ無意識的の自覺が、どこかに潜んで居るからであらう」
これはまっこと、賢明にして唯一の人間哲学の表明であると私は思う。マタニティ・ハラスメントに対して逆批判する輩は、この生物学者丘先生の真理を今一度、黙考するべきであろう。また、「同性としていい迷惑」的な逆批判をする女性には丘先生が妊婦に対して行った精神分析と同じ対偶分析がなされねばなるまい、という気が大いにした。]

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