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2015/07/23

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 モース、浅草花やしきにて山雀の芸に驚嘆する語(こと)

 

 東京の一区域で浅草と呼ばれる所は、立派な寺院と、玩具店と奇妙な見世物とが櫛比する道路と、人の身体にとまる鳩の群とで有名である。ドクタアと私とは、かかる見世物の一つを訪れた。三、四十人を入れる小さな部屋には高く上げた卓子(テーブル)があり、その後方に、我国の雀より小さくて非常に利口な、日本産の奇妙な一種の鳥を入れた籠がいくつかおいてある。彼等を展観した男は、この上もなく親切な態度と、最も人なつっこい顔とを持っており、完全に鳥を支配しているらしく見えた。小鳥達は早く出て芸当をやり度くてたまらぬらしく、籠をコツコツ啄(つつ)いていた。芸当のある物は顕著であった。見る者は、それ等の鳥が、如何にしてこのような事をするように馴らされたか、不思議に思う。

[やぶちゃん注:「ドクタア」ビゲローのこと。

「我国の雀より小さくて非常に利口な、日本産の奇妙な一種の鳥」スズメ目スズメ亜目シジュウカラ科シジュウカラ属ヤマガラ Parus varius である。ウィキのヤマガラの「人間との関係」の項に、『日本では、本種専用の「ヤマガラかご」を使い平安時代には飼育されていた文献が遺されている。学習能力が高いため芸を仕込む事もでき、覚えさせた芸は江戸時代に盛んに披露された。特におみくじを引かせる芸が多く、1980年ごろまでは神社の境内などの日本各地で見られた。そのため年輩者には本種はおみくじを引く小鳥のイメージが強いが、おみくじ芸自体は戦後になってから流行し発展してきたもので、曲芸は時代の変化とともに変遷してきた事が記録から読み取れる。しかし鳥獣保護法制定による捕獲の禁止、自然保護運動の高まり、別の愛玩鳥の流通などにより、これらの芸は次第に姿を消してゆき、1990年頃には完全に姿を消した。このような芸をさせるために種が特定され飼育されてきた歴史は日本のヤマガラ以外、世界に類例を見ない』『なお、1945年以降消滅するまで代表的だったおみくじ引き以外にも、以下のような芸があった』。として「つるべ上げ」「鐘つき」「かるたとり」「那須の与一」「輪ぬけ」といった、まさにモースの見た演目を含むものが記されてある。川端たぬき氏のブログ「二〇世紀ひみつ基地」の画像(ここに出るモースのそれもある)も動画もある「小鳥のおみくじ芸・伝統の見世物」をご覧あれ! その記事によってまさにモースとビゲローが行ったのは、かの「花やしき」であることが判るのである!(以下、引用させて戴く)『牡丹と菊細工を主とした花園(植物園)として嘉永6年(1853)に誕生した、日本最古の遊園地とされる浅草「花やしき」。明治初年から遊戯施設が置かれ、珍獣・猛獣が飼育された「花やしき」でも「ヤマガラの芸」が評判を呼ぶ』とあるのである(「浅草公園 花やしき引札」の「山がら奇芸」の画像も必見!)。私も幼稚園の頃、大泉学園の寺の縁日で、カーバイトの光りに照らされたおみくじを引くヤマガラを見た、遠い遠い記憶がある。……私はリンク先の動画を見ながら、何かひどく懐かしい思いと同時に、ある致命的な欠損にかかる、不思議に深い耐え難い淋しさを感じてしまった……。]

M628

628

M629

629

M630

630

 私は実に大急ぎで写生をしたが、それでもそれ等は、如何なる記述よりも芸当が如何なるものであるかを、よく示すであろう。図628では籠が一フィートをへだて、お互に相面して開けてあり、その間に小さな玩具の馬が一置いてある。この曲芸では、一羽が馬にとび乗り、他の一羽が手綱を嘴にはさんで、卓の上をあちらこちらヒョイヒョイと曳いて廻る。鳥が籠から出て自分の芸当をやるのが、如何にも素速いのは愛嬌たっぷりであった。又別の芸当(図629)では、鳥が梯子を一段々々登り、上方の櫓(やぐら)に行ってから嘴でハケツを引き上げる。たぐり込んだ糸は脚で抑えるのである。その次の芸(図630)では、四羽の鳥がそれぞれの籠から出て来て、三羽は小さな台に取りつけた太鼓や三味線をつつき、一羽は卓上によこたわる鈴やジャラジャラいう物やを振り廻す。勿論音楽も、また拍子も、あったものではないが、生々とした騒ぎが続けられ、また鳥が一生懸命に自分の役をやるのは、面白いことであった。

[やぶちゃん注:「一フィート」三十・四八センチメートル。]

M631

631

M632

632

 

 図631では、鳥が籠から売り出し、幾段かの階段を登って鐘楼へ行き、日本風に鐘を鳴らすように、ぶら下っている棒を引く。図632は弓を射ている鳥である。この鳥が実際行うのは、馬の頭(日本の子供に一般的である木馬)で終っている棒にある刻み目から、糸を外すことであるが、然し矢は射出され、的になっている扇がその支持柱から落ちる。

M633

633

 

 図633では、鳥が走り出して、神社の前にある鈴を鳴らす糸を引く。鳥はそこで一つの箱の所へ走り寄り、卓上から銅貨を拾ってそれ等をこの箱の内へ落し入れる。日本の教会或は寺院には、数個の鈴が上方に下げてあり、その横に紐が下っていて、この紐に依て鈴を鳴らすことが出来る。参詣者は祈禱する時これを行う。寄進箱は柄のついた小さな物で一週間に一度廻すというのでなく、長さ四、五フィート、深さ二フィートの大きな箱で、上方が開いているが、金属の貨幣が落ちる丈の幅をへだてて、三角形の棒で保護してある。この箱は一年中神社仏閣の前に置いてある。人は往来で立ち止り、祈禱をつぶやき箱の内に銭を投げ込むのだが、その周開の地上に、数個の銭が散在していることによっても知られる如く、屢々的が外れる。

[やぶちゃん注:「一週間に一度廻すというのでなく」この前後は原文は“The contribution box, instead of being a small affair on the end of a handle, passed around once a week, is a huge box, even four or five feet long and two feet deep, open above, but protected by triangular shaped bars just wide enough apart to allow the metal coin to drop through.”であるが、この箇所の意味が英語の苦手な私にはよく解らない。週に一度は必ずお参りして、の謂いだろうか? 識者の御教授を乞うものである。

「長さ四、五フィート、深さ二フィート」横幅一・三~一・五メートル、深さ約六十一センチメートルの賽銭箱。]

M634

634

 

 最も駕く可き芸当は、図別634に示すものである。鳥は机の上から三本の懸物を順々に取上げ、小さな木にある釘にそれ等をかける。釘に届くために、鳥は低い留木にとび上らねばならぬ。小鳥を、このような行為の連続を行うべく仕込むには、無限の忍耐を必要とするに相違ない。別の芸当では、鳥が梯子をかけ上って台へ行き、偉い勢でいくつかの銭を一つずつ投げた。更に別の芸当では、傘を頭上にかざして長い梯子を走り上り、綱渡りをした。また一定の札を拾い上げ、箱に蓋をしたりした。鳥馴しの男は、喋舌(しやべ)る鸚鵡(おうむ)と、大きな鸚鵡に似た鳥とを持ち出し、一羽ずつ手にのせてそれ等に「如何ですか」とか「さよなら」とかいう言葉を、勿論日本語でだが、交互に喋舌らせた。それは全体として、私が見たものの中で最も興味のある、訓練された動物の芸当であった。芸当のあるものは、例えば物をつまみ上げるとか、巣をかける時に糸を引張るとかいう風な、鳥が日常生活にやる自然的の動作そのものであったが、それにしても、どうして鳥を、絵画をひろい上げ、それをそれぞれに適当した釘にかけるように仕込んだかは、我々には想像も出来ない。

[やぶちゃん注:モースが改行をしながらこれだけ語っているのは、本書では特異点で、彼がこの鳥たちの芸にいたく感動したことを物語っている。

「喋舌る鸚鵡と、大きな鸚鵡に似た鳥」わざわざこう言っているところを見ると、オウム目オウム科 Cacatuidae の中でも前者は普通のそれ、後者は有意に大きな別種であるらしい。鳥類は私の守備範囲にない。これらの識別のおつきになられる方は是非、御教授頂きたい。]

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