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2015/07/23

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十九章 一八八二年の日本 東京女子師範学校卒業式来賓となる

 七月十五日、私は東京女子師範学校の卒業式に行き、壇上ですべての演習を見得る場所の席を与えられた。主要な広間へ行く途中で、私は幼稚園の子供達が、可愛らしい行進遊戯をしているのを見た。そのあるものは床に達する程長い袂の、美しい着物を着た、そして此の上もなく愛くるしい顔をした者も多い、大勢の女の子達は、まことに魅力に富んだ光景であった。

[やぶちゃん注:「東京女子師範学校」明治七(一八七四)年に設立された官立師範学校。モースが臨席したこの三年後の明治一八(一八八五)年の東京師範学校への統合を経、明治二三(一八九〇)年に女子高等師範学校として分離・改組され、明治四一(一九〇八)年には東京女子高等師範学校に改称された。現在のお茶の水女子大学の旧制前身校(以上はウィキ東京女子師範学校に拠った)。]

 

 これが済むと彼等は大広間に入って行ったが、子供達はヴァッサー大学卒業の永井嬢がピアノで弾く音楽に歩調を合わせて、中央の通路を進んだ。彼等が坐ると、先生の一人によってそれぞれの名前が呼び上げられ、一人ずつ順番に壇上へ来て、大型の日本紙の巻物と、日本の贈物の手ぎれいな方法で墨と筆とを包み、紐の下に熨斗(のし)をはさんだ物とを、贈物として受けるのであった。彼らは近づくと共に、非常に低くお辞儀をした。両手で贈物を受取ると、彼等はそれを頭の所へ上げ、また一低くお辞儀をして、段々の所まで後退した。実にちっぽけな子供までが、ヨチヨチやって来たが、特別に恥しそうな様子の子が近づくと、壇上の皇族御夫妻から戸口番に至る迄一同が、うれし気な、そして同情に富んだ微笑を浮べるのは、見ても興味が深かった。

[やぶちゃん注:「ヴァッサー大学」原文“Vassar College”ウィキヴァッサー大学より引く。『アメリカ合衆国ニューヨーク州ポキプシー町に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1861年に設置された。 リベラル・アーツ・カレッジ。著名女子大学群であるセブンシスターズの一校として設立、1969年に男女共学化を実施。各誌の大学ランキングにおいて、最難関校またリベラル・アーツ教育のトップ大学のひとつとして数えられる』。

「永井嬢」永井繁子(後の婚姻後は瓜生(うりゅう)姓 文久二(一八六二)年~昭和三(一九二八)年)。ウィキ瓜生繁子より引く(一部、個人サイト「日本キリスト教女性史(人物編)」の瓜生繁子に載る情報を附加した)。『佐渡奉行属役・益田孝義の四女として江戸本郷猿飴横町(現・東京都文京区本郷)に生まれた。益田孝』(三井財閥を支えた実業家)『の実妹。幕府軍医永井久太郎の養女。夫は海軍大将の瓜生外吉男爵』。明治四(一八七一)年十一月に、岩倉使節団に随行して津田梅子・吉益亮子・上田貞子・山川捨松らとよもに『新政府の第一回海外女子留学生として渡米、ヴァッサー大学音楽学校に入学』(、それより十年間をアメリカで過ごした。明治一五(一八八二)年、『海軍軍人瓜生外吉と結婚』、後、明治一九(一八八六)年十月には東京女子高等師範学校兼東京音楽学校教員となったとある。「日本キリスト教女性史(人物編)」の記載によれば、『繁子は、結婚後もピアノ教師として多くの弟子を育成して音楽教育に重きをなした。彼女は日本でいち早く正式にピアノを習い、それを弟子に教授した女流音楽家であろう』とあり、また明治二五(一八九二)年三月の『読売新聞社の和洋婦人音楽家の人気投票で、幸田延』(繁子より八つ年下の当代の女流ピアニストでバイオリニスト)『の307点に次いで、繁子は288点を得ていることから推しても繁子の当時の名声が高かったことをうかがい知ることができる』と記されてある。本時制は明治十五年で、モースが『嬢』(原文“Miss Nagai”)と呼んでいることから見ると、結婚の直前であったものと思われる。]

 

 広い部屋を見渡し、かかる黒い頭の群を見ることは奇妙であった。淡色の髪、赤い髪はいう迄も無し、鼠色の髪さえも無く、すべて磨き上げたような漆黒の頭髪で、鮮紅色の縮緬や、ヒラヒラする髪針(ヘアピン)で美しく装飾され、その背景をなす侍女達は立ち上って、心配そうに彼等各自の受持つ子供の位置を探す可くのぞき込んでいる。小さな子供達が退出すると、次にはより大きな娘達が入場したが、そこここに花のように浮ぶ色あざやかな簪(かんざし)は、黒色の海に、非常に美しい効果を与えた。大きな娘達は、名前を呼ばれると主要通路を極めて静かに歩いて来て、壇上の皇族御夫妻並びに集った来賓に丁寧にお辞儀をし、机に近づき、また低くお辞儀をして贈物を受取り、それをもう一つのお辞儀と共に頭にまで持ち上げ、徐々に左に曲って彼等の席に戻った。彼等の中には卒業する人が数名いたが、それ等の娘達は、畳んだ免状を受取ると後向きに二歩退き、行儀正しく免状を開いて静かにそれを調べ、注意深く畳んでから、特殊な方法でそれを右手に持ち、再びお辞儀をして退いた。

 

 卒業式が済むと来賓は、日本風の昼餐が供される各室へ、ぞろぞろと入って行った。ある日本間では卒業生達に御飯が出ていたが、私は永井嬢と高嶺若夫人とを知っているので、庭を横切って彼等のいる部屋へ行き、そこに集った学級の仲間入りをして見た。美しく着かざった娘達が、畳の上にお互に向き合った長い二列をなして坐り、同様に美しく着かざった数名の娘にお給仕されているところは、奇麗であった。私は彼等のある者と共に酒を飲むことをすすめられ、また見た覚えのない娘が多数、私にお辞儀をした。式の最中に、我々の唱歌が二、三歌われた。「平和の天使」「オールド・ロング・サイン」等がそれであるが、この後者は特に上出来だった。続いて琴三つ、笙三つ、琵琶二つを伴奏とする日本の歌が歌われた。これは学校全体で唄った。先ず一人の若い婦人が、長く平べったく薄い木片を、同じ形の木片で直角に叩くことに依て、それは開始された。その音は鋭く、奇妙だった。彼女はそこで基調として、まるで高低の無い、長い、高い調子を発し、合唱が始った。この音楽は確かに非常に妖気を帯びていて、非常に印象的であったが、特異的に絶妙な伴奏と不思議な旋律とを以て、私がいまだかつて経験したことの無い、日本音楽の価値の印象を与えた。彼等の音楽は、彼等が唄う時、我々のに比較して秀抜であるように聞えた。勿論彼等は、我等の音楽中の最善のものを歌いもせず、また最善の方法で歌いもしなかったが、それにもかかわらず、ここに新しい方向に於る音楽の力に閑する観念を確保する機会がある。

[やぶちゃん注:「高嶺若夫人」既出既注の、今回の来日でも一緒になった旧知の、東京師範学校(本エピソード当時)で教えていた高嶺秀夫。

「平和の天使」既注

「オールド・ロング・サイン」オールド・ラング・サイン」スコットランド民謡で非公式乍ら準国歌とされる“Auld Lang Syne”)。「蛍の光」の原曲である。

「長く平べったく薄い木片を、同じ形の木片で直角に叩くことに依て、それは開始された」この楽器は何だろう? 当初、「直角に叩く」というところから子切子(こきりこ)かと思ったのだが、竹ならばモースは竹と言うはずであり、竹製の子切子をモースが「長く平べったく薄い木片」「同じ形の木片」とはまず表現しない。拍子木や柝(き)であったら「直角」には打たない。そもそもがこの後、モースが「非常に妖気を帯びてい」る(“very weird”)とする楽曲とは一体、何なのか? そんなにマイナーな曲とは思われず、しかも合唱出来るというのだが、和楽には全く冥い私にはおよそ見当がつかない。どうか、曲名だけでも識者の御教授を乞うものである。]

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