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2015/07/02

金剛光中の遊戯   村山槐多

  金剛光中の遊戯

 

    l

とある日紫の空そよとも動かず

太陽の金絲は重たく輝やけり

とある廢園の垣のすきまより

覗き見たるわれはおどろけり

    2

三人の貴婦人遊戯するなり

何事とも知らざれど遊びたはむる

まばゆき金剛光の中に

なまめかしくそが紅の着物は戯むる

    3

あるひは泣き或は美しく

あるひは悦び或はみにくし

すべてあでにみやびやかなる振舞にて

ひたと耽れり美しくあやしき遊戯に

    4

金剛光はかきみだされふみにぢられて

かしこにここにあへぐなり

貴婦人の貴き四肢のふるまひに

寶玉の冷たさを打消しつ

    5

われその美しさに面あかめつ

見入りし時貴婦人の綠と群靑と櫻色との

三すじの帶はゆるやかにまたいとも鋭く

ふと三角形をつくりけり金剛光のその中に

    6

あなはしけやき貴婦人の遊びは

金剛光のその中に花とにほひつ

われには見えぬ大なるブラジルのダイヤモンドの遊戯

この晴れし日の廢園に

    7

太陽の金絲はすべてこの貴婦人に耽溺し

空はそよとも動かざりき

なべての物は重たくは見えたれども

すべてみなカラツトをもて計られたり

    8

美しき鋭き女聲は

印度の舞妓の豪奢なる衣をまとひ

あでやかに空におどれり金剛光の中を出でて

紫に銀に靑に

    9

われはみとれて時忘れしが

いつしかに靑きたそがれ落ちきたりて

廢園の貴婦人の遊戯も去りて

空なる金剛光演劇の舞臺の燈よりあざやかにあとに殘りぬ。

 

 

[やぶちゃん注:「4」の「ふみにぢられて」「あへぐなり」、「5」の「三すじ」、「8」の「おどれり」はママ。なお、本篇末には編者山本太郎氏による『註』が附されてあり、『金剛光とは鑛物學上金剛石の發する光の事 adamautive 』とある(改造文庫版註もこの綴り)。この最後にある英語は普通の辞書には載らない語であるが、研究社の「リーダーズ+プラス」を見ると、「非常に固い・堅固無比の・磐石の・不屈の」という形容詞“adamant”には、名詞としては詩語で「鉄石のような固さ」、古語として「無砕石」(想像上の石で実際にはダイヤモンドや鋼玉などを指す)があり、形容動詞として“adamantly”もある。さらに「光沢などがダイヤモンド(金剛石)のような」という意の“adamantine”という単語も見出せる。接尾語“-ive”は「~の傾きのある」「~の性質を有する」の意を意味するが、概ね、名詞として用いられるものが多いから、ここは編者山本太郎氏は「ダイヤモンドのような光」の意でこの単語を出しておられるものかとは思われるものの、一般的な英語とは思われず(ネット検索でも見当たらない)、失礼乍ら、この“adamautive”という綴りは“adamantive”の誤植(活字がひっくり返った)としか思えないのであるが、如何であろう?

全篇の最後、「8」の最終行の「金剛光演劇」は「全集」では「金剛光遊戯」となっている。これも例外的に原稿が残っていて、かく校訂したものなのだろうか?

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