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« 夏の夜   夢野久作 (五七調定型詞) | トップページ | 製作と感想   村山槐多 »

2015/07/09

空飛ぶ吾   村山槐多

 
 
  空飛ぶ吾

 

吾は汝等より遙に高く飛べり

汝等は汝等相互につとめいそしめよ

吾は汝等に關するものにあらず

 

吾身體を金色の明光刺貫き

吾靈はダイヤモンドの如く光る

吾は身の重さを高く天空に上げて

飛び行くなり高く高く

 

汝等の小さき成功は大正の時代を象作り

汝自身の高慢を形成す

よし汝等はよし汝等はよき者共なり

されどいかに汝等大なりといへども

吾は汝等を高く飛べり

 

吾と相共にかける諸々の靈共よ

ヂオツトよ、ポンペー人よ、ギリシア人よ

またエジプトの藝術家よ

汝等は吾に驚くや、目を見はるにあらずや

吾は飛べり貴き天界に

「新らしき古代」の美麗なる雲のうちを

はるかにはるかに凡庸の上を飛べり

 

    ×

君よ

君が端麗なる容姿は

常に忘れがたし

常に來たりてわが心をおのゝかしむ

 

君はわが世界のすべてに宿る

その一つ紫の矢車草の花にわれ見たり

君の微笑の影を

そは心を波打たし泣かしめたり

 

    ×

戀がおれをひつゝかんだぞ

ああかうなると

繪が何だ、繪が何だ

が俺は有難く思はうよ

物の象を描くのを仕事にする人間の一人に

おれはなつてゐる事を

 

そしてやつぱりおれは繪描きで居よう

このおもしろい職業に止どまろう

 

そうしてそうして戀をするのだ

繪をすてずに戀人を持たう

 

戀人にすてられた時に繪があり

繪にすてられた時戀人がある

 

心の淸い人の怒ることを俺は言つたな

 

がおれはそうして暮すのだ

その他にどうして俺の生きて行く手段があらう

 

    ×

貴樣等はすべて臭い

貴樣等は豚だ、賤民だ、

 

俺には貴樣等の口から出る惡嘲に、

自尊の言葉にまたその糞眞面目に

しつぺ反しをする犬の精氣がある

確にある、

 

俺の力量が現れ奔ばしる時を俺は豫言する

その時貴樣らの惡嘲が

臺灣のやもりより澤山ふるとも

俺はびくともしないのだ、

 

哀しいかな過去の俺が

その時を有たなかつた、

是は敗北だ、貴樣らの腹中に住む條蟲より

更に俺は劣惡であつたのだ、

 

が俺は現はれて見せる、きつと必ず

貴樣らはその時を待つて居ろ、

まつて居ろ、まつて居ろ、

ああ肥へた善い豚共、

 

     ×

K――よ

俺は貴下に感謝する

貴下はわれらの國より明確なる素質を檢出し

われらをして強い力を得せしめた、

われらは貴下ありしがために

始めて聲を上げることが出來る、

世界に向つて飛び込む事が出來る、

貴下は開拓者だ、水先案内人だ、

貴下の藝術を見る時俺は是等の讃唱の念に涙ぐまずには居られない、

貴下よ、

貴下の恐ろしい躍進の力が更に更に強く

更に大きくならんことをのぞむ、

貴下が大なる阿修羅の如く日本國に出現せんことをのぞむ、

世界が貴下に驚ろかされんことをのぞむ、

貴下は強き光曜だ、

貴下と對批する時、俺は恥ぢざるを得ない

すくなくとも現在の俺は。

が貴下よ、

俺はとび越すであろう

貴下の頭上を

高く必ず飛び越へるであろう

その時がいつか、

それは知らぬ、

吾力がいつ君の力に追ひつくか、

それも知らぬ

たゞ貴下よ

貴下を飛び越すことは現在の俺の強い心願だ、欲求だ、

俺は現在遊んで居る

けれど俺が俺の素質に驚ろき

猛烈な勤勉に至る時を俺は近き未來に要言する、

貴下よ、

ぐんぐん描いて呉れ、

われらの腐りかゝつた頭を

君のトアールでどやしつけて呉れ、

頭の上らぬ程どやしつけて呉れ

俺は俺は

必ず貴下を躍り越して見せる、

 

       ×

出來るだけの事を正直に極めて正直に俺はして行かう、

俺が惡い時は惡くならう、

俺が愚な時には愚にならう、

この外にどうして人間としての道があるのであらうか、俺の道があらうか、

一切のまどわしにまどわされぬ、

もう一人のまねはしない、

この事を痛切に俺は感じて居る、

すべての手段と云ふ事は忌むべきことだ、

とりわけて空なる物を空ならずと見せる手段は、

 

       ×

俺の生命は美麗極まるのだがそれは酸化して居る

現在はそれが酸化の狀態から還元しないまでゝある

心が俺の生命が輝き弄はしる時が來る丁度一點のマツチの火が大火となつて紫の夜半の暗黒に燃え上る樣に

その時こそああ實にその時からこそ

俺の眞の藝術家としての生活が始まるのだ

見よ群集は愚である彼等は愚な事をして居る

彼等の愚昧は續く事であらう彼等のあるものは覺めて居る

力強く覺めて居るそれらの覺醒を吾はその非常の時に對する彼等が用意たらしめよ俺は潛んで居るそして微笑して居るこの微笑は人の知らぬ處である

がその非常時は來る必ず來るその輝くダイヤモンドがこの年に一九一五年の秋に投ぜられるであろう

群集の上に。大日本の矢天に。

 

       ×

一九一五年をして赤く明るき年たらしめよ、

たゞれたる美の時間たらしめよ

俺は摑むのだ、その恐ろしき時間をしつかと握むのだ、

そして吹き出すのだ、

俺の畫布の面に、

必ず俺の畫布は輝やくであらう、

深き健康と歡樂との光に、

ああ二十才の年齡よ、

俺がどうしてこの美麗なる讃すべき年齡に捧物をせずに居られやうか、

この時間は俺にとつて全能の王だ、俺はその臣下だ、

 

見よ、日本國に藝術が起りつゝある、

天才は出でんとして居る、それらの秀れたる種子が、打出されたる彈丸の如くに生長し行く時、

何として俺が安閑として居られやう、

一切を棄てよ、

汝に安住を得せしめ平和を感ぜしむる一切を唾棄すべし

汝の職業は戰鬪だ、

恐ろしい戰鬪だ、

「汝、衆に近づくな

孤獨に生きよ」これは眞理だぞ

そして力をこめて、錬金道士の苦しい努力を以つて汝の美しい輝いたる生命を自らのうちに還元しろ

一體何をして居たのだ、汝は是までの貴とい歳月を、

汝は落ちた、俗衆の唯中に落ちた、

 

 

[やぶちゃん注:「おのゝかしむ」「止どまろう」「そうしてそうして」「がおれはそうして暮すのだ」「肥へた」「俺はとび越すであろう」「高く必ず飛び越へるであろう」(「越へる」「あろう」の二箇所)「一切のまどわしにまどわされぬ」(「まどわし」「まどはされぬ」の二箇所)「までゝある」(通常は濁点付きを繰り返す場合、「ゞ」とする。「全集」はそうなっている)「輝いたる」は総てママ。「全集」はこれらが総て〈殺菌〉訂正されてある。なお、底本では二〇八頁をめくると、「是は敗北だ、貴樣らの腹中に住む條蟲より」から同連続パートの終る「ああ肥へた善い豚共、」が前頁と同じ位置に印刷されているにも拘わらず、続く記号「×」以降の「K――よ」以下が総て二字上げとなっている。しかし、その左見開きの二〇九頁以降、日記などを含む「千九百十五年」パートが終了する二三四頁まで総てがその二字上った版組となっていて、次の「千九百十六年」パートの初めである二三七頁では再び二字下がった版組に戻っている。これは単純な植字台の版組の誤りで、無視した。

「ヂオツト」中世後期のフィレンツェのお抱え絵師としてイタリア・ルネサンスの先駆けとなった名匠ジョット・ディ・ボンドーネ(Giotto di Bondone 一二六七年頃~一三三七年)。代表作はパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂の装飾画で、参照したウィキジョット・ディ・ボンドーネによれば、『この一連のフレスコ壁画は聖母マリアとイエス・キリストの生涯を描いたもので、初期ルネサンス絵画の中でも最高傑作のひとつといわれている』とある。

「ポンペー人」かの古代ローマのポンペイの民。ポンペイの守護神は美と恋愛の女神ウェヌスであり、しばしば「快楽の都市」と称されるから、槐多が突如、名を出すのも不思議ではない。

「臺灣のやもり」「やもり」は底本では傍点「ヽ」。ネット検索をかけると、台湾ではヤモリをよく見かけるという記載が有意にある。品川の「天来書院」の公式サイト内の「たびかがみ」の【解説】ヤモリという虫という面白い解説中にかなり学術的にも詳しい記載があり、必読である。また、ヤモリについては、私の直近の生物學講話 丘淺次郎 第十二章 戀愛(9) 四 歌と踊り(Ⅰ)の『樹の枝で「とかげ」の類がなかなかよく歌ふ』の注も参考になろうとは思う。

「貴下は強き光曜だ」の「光曜」はママ。「光耀」の誤字か誤植であろうが、そのままとした。「全集」は「光耀」である。

「K」不詳。イニシャル「K」で始まる名匠画家或いは彫刻家は私はちょっと思い浮かばない。識者の御教授を乞う。
 
「對批」はママ。「全集」は「對比」(正字化した)するが、微妙に留保したい。槐多にとってはここは「批」でなくてはならなかったような気がするからである。

「トアール」トワール・トワル、フランス語の“toile”のことであろう。原義は彫塑に用いる型取り用の粗布(そふ)であるが、そこから本邦では、人台(じんだい:デッサン・裁縫・デザインに使用する人体模型)を指す。

「この外にどうして人間としての道があるのであらうか、俺の道があらうか、」「全集」はこの二つのの読点を除去した上、「俺の道があらうか」を改行している。不審である。

「心が俺の生命が輝き弄はしる時が來る丁度一點のマツチの火が大火となつて紫の夜半の暗黒に燃え上る樣に」これで有意に長い一行であるので注意。

「力強く覺めて居るそれらの覺醒を吾はその非常の時に對する彼等が用意たらしめよ俺は潛んで居るそして微笑して居るこの微笑は人の知らぬ處である」これで有意に長い一行であるので注意。「全集」は「處」を「所」としているが単に新字表記ならば「処」とすべきであって正当な校訂とは言えない。

「がその非常時は來る必ず來るその輝くダイヤモンドがこの年に一九一五年の秋に投ぜられるであろう」「あろう」はママ。これで有意に長い一行であるので注意。槐多はこの前年(大正三(一九一四)年に京都から東京へ上京、画家小杉未醒(放庵)の田端の家に寄寓、同年九月に日本美術院研究生となって、十月の二科展には四点を出品、この大正四年三月には奇作「尿(すばり)する裸僧」や未完となった大作「女子等と癩者」が、また十月にの第二回美術院展には水彩の名品「カンナと少女」を出品して院賞を受賞する一方、怪奇小説「魔猿伝」を執筆、少年誌『武侠世界』に掲載されている。また私生活では前年末より酒量が増し、両親が上京して東京で住むようになって、特に父との葛藤からデカダンへの傾斜が著しくなったと彌生書房版全集年譜(山本太郎編)にはある。因みに、これはあくまで槐多の内的世界や美術への宣言ではあるが、大正四(一九一五)年前後の日本の美術界を見ると(以下、ウィキの「日本美術史」よりの引用)、『大正期の洋画界では、前衛美術の影響から自然主義的な官展の画風を嫌い在野の立場から反官展を表明する美術団体の結成が相次ぎ、大正元年に高村光太郎・斎藤与里らが中心となり、後期印象派やフォーヴィスムの画家が終結したフュウザン会、大正3年にはニ科会、大正4年には岸田劉生らの草土社が結成され、ニ科会と草土社は双璧となる』。『一方、文部省は官展の停滞を打破するため大正8年に帝国美術院を設置し、従来の文展を廃止し新たに帝国美術院展示会(帝展)を開催し、帝展では従来の外光派的写実主義の画家が中心でありつつも、フォーヴィスム等の前衛画風を取り入れた独自のスタイルを生み出していた』。翻って彼を包む外界に目を転ずると、この大正四(一九一五)年は第一次世界大戦開戦二年目であって、この年の一月に日本は中華民国に対し、所謂、「対華二十一ヶ条の要求」を突きつけて大陸での権益を増強させ、軍国主義への傾斜が増して行き、対して中国での反日運動が激化していった年でもあった。

「矢天」ママ。意味不詳。軍国主義昂揚の時期と同期するから字面は感覚的には腑に落ちるような感じはするが、これは単に植字工が「天」を誤って「矢」と拾い、正しく「天」を入れたものの、「矢」を抜き忘れただけのものかも知れない。因みに「全集」はただ「天」となっている。

「俺は摑むのだ、その恐ろしき時間をしつかと握むのだ、」の「握む」はママ。「全集」はこちらも上と同じく「摑む」となっている。

「ああ二十才の年齡よ、」槐多は明治二九(一八九六)年九月十五日生まれ。無論、数え二十である。

「天才は出でんとして居る、それらの秀れたる種子が、打出されたる彈丸の如くに生長し行く時、」「全集」は読点を除去した上、「打出されたる彈丸の如くに生長し行く時」を改行している。またしても不審である。]

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