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2015/07/20

電氣燈の感覺(徴けき夢の中より)   村山槐多 ――「全集」の驚くべき無視について――

 

  電氣燈の感覺

     (徴けき夢の中より)

 

 自分は、或る古い日の晝、嶮しき山嶽を攀じ其の頂に立つた。

 そはもはや消え渡る冬の名殘の懷かしさを、中央に都を有せる國と、中央に湖を有せる國との、一つは快活なる、一つは靜寂なる兩風景の上にのぞみ見む爲めであつた。

 自分は輝ける淋しき雲の上に立つた。

 何たる事ぞ、曇つた雨雲が天を閉して殆んど天の中心に近きこの山頂では、下界を見る事が出來ないのである。

 自分は痛く失望した。而して冷めたい感覺を底の底まで眼の當り見た。而して顫へた。

 忽然、自分は眼球が或角度をなした兩線の間を突進するが如く、漸々と壓迫を受けて來た事を感じた。忽ち眼前に出現したのは一人の女であつた。

 其の女の美しきことよ。

 この女はギリシャの星座圖に記るされたる神の名の一つを有して居る者と思はれる位に神聖であつた。其の眼は薄暮の如く靑かつた。

 其の鼻は瘦せて方解石の如くとがつてゐた。

 而して其の面は全く灰白であつた。月光の如き胴と、星光の如き四肢とは、身慄ひもしなかつた。大聲で、ラツパの如く叫んだ時、自分は戰慄した。

「少年よ我が後に從ひ來れ」

 忽ち一條の銀色に輝いた金屬の線が、魔者の如く自分にからみついた。其れと共に自分の四肢は、痛烈なる痙攣を始めた。

 自分は其の時、自己の腦にない事を呟やいた。

 次の刹那には驚く可し。自分は丈高きこの怪女の後に從いて、この山嶽の壁上の如き背を眞しぐらに走り下りつゝあつた。

 自分は爽快に耐へなかつた。この走り下る速力の中に自分の心にはこの女の心が、ありありとうつり行くのである。

 第一に自分の心に現れたのは、刄先の如く危なく、寶石の如く透明なる綠靑であつた。この透明なる綠靑は實に美しい立派な色であつた。この色は秋の大空の如く上から下へ薄くなつてゐた。そして、微細なる局部の運動が靈の如く、宏大なる全體をぱちぱちときらめかしく輝かして見せた。

 そのぱちぱちと輝く綠靑の中に、自分が第二に、千二百十一人の瘦せた、若人が、ヱヂプト浮彫の或箇所の如く、一齊に北から南へ向けて走つた其の一刹那の偉觀を見た時、再び千二百十一人の若人が氷の如く冷めたき、眼を光らせて一齊に南から北へ向けて走らんとするのを見た、其時自分はすでに、此の山嶽を下り終りて、尚麓から眞しぐらに、都のある國の中央へとかけてゐたのである。

 女の心は忽ち私の心に現れた。

「一層速く、速く、速く」

 私の胸は再び空中より落下する空中飛行家の神經の如く、恐怖の絶對に快きまで戰慄した。實に爽快である。

 自分の眼は前を行く女が、永久に一秒毎に微塵を破碎し行くが如く輝く白衣を見つめるのみであつた。

 而して一寸空が眼に入つた。

 怪しき哉そは、晴れし日の薄暮の色をなして、星がぱちぱちと輝やいてゐた。

 自分は一秒と八分毎に大なる痙攣にどきついた。かくて投槍に靈をひそめたる次の刹那女は立ちどまつた。自分の身に纏つた金屬線が悲壯な落下の音響を地面に發した時、自分の耳は悦びの地震を超した。

 恐る可し。女の消えたことに氣が附いた。

 更に驚く可し。自分の前に、擴大鏡で見たるダイヤモンドの如き一個の電燈がともつてゐたのである。

 美しい美しい電燈が銀と靑色との永劫の晝を、ぱちぱちと、玻璃の牢屋より自分に見せてゐた。

 自分は、ふと、がつかりした眼でじつと其れを見つめた其時冬の夜は身を暗中に折る樣に悲壯にこの低き都に下つてゐた。

 そして街は、北から南、西から東へかけて更に神祕なる銀白色に、きらびやかに輝いてゐた、而して北の方を見れば黑き山嶽の陰は自然の夜の冷笑を天の中心に近く落ち着けてこつちを向いてゐた。

 

 

[やぶちゃん注:既に述べた通り、クレジット・書誌情報なき散文詩(幻想小説の断片ともとれる)。私は妙に次の「太古の舞姫」と本編は親和性を感じてしまうのは、単に続けて読んだからだろうか。そして、どうしても言っておかねばならないことがある。それは、底本の大正一〇(一九二一)年に同じくアルスから刊行された山本路郎編「槐多の歌へる其後及び槐多の話」では、この詩篇の末尾に、編者によって以下の附記があることである。

   《引用開始》

(此の一文は自家に初めて電燈を引用した時、書いたものであつた。編者)

   《引用終了》

これは彌生書房版全集ではカットされており、しかも全集編者山本太郎氏は注はおろか、解題でもこの槐多の親友であった山本路郎(本名・山本二郎/同じ山本姓であるが、全く血縁関係はない)氏のこの貴重な言葉を全く載せていないという事実である。これはどういうことか? 幻想伝奇小説のように見えるこの一篇が、実は、電燈の明かりを初めて自分の家に引いて、その煌々たる明るさに心から感激した少年槐多が、そこからインスピレーションを得て創造した貴重なイリュージョンであったのだと、九分九厘、本人が山本二郎氏に語ったに違いないことは、この特異点の注からも明らかであることは言を俟たぬ。 それをかくも美事に抹消してしまった山本太郎氏の行為は、私には全く以って理解も納得も出来ない、すこぶる解せないことなのである。大方の識者の御批判を俟つものではある。

「この怪女の後に從いて」の「從いて」はママ。]

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