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« 氷の涯 夢野久作 (14) | トップページ | 三十三間堂   村山槐多 »

2015/07/01

吾詩篇   村山槐多   ――彌生書房版「村山槐多全集」の校訂の杜撰さを糾弾する――

 
 
 
千九百十四年(19
 
 
 

 

     吾詩篇

        フライムの子らは武具ととのへ

        弓をたづさへしに戰の日にうし

        ろをそむけたり

          (詩篇第七十八篇九)

 

第一、喇叭にあはせてうたひたる村山槐多の歌

一、もろもろの民は愚なるかな。彼等は豚と童子との雜種兒なり 二、彼等はその心のうちに『人間』を幽閉す。彼等は『人間』のバスチエーユを負ふ。その牢獄を破れよ 三、汝は汝の神なり。汝よ。汝その牢獄を破り『人間』をして豚と童子とに代らしめよ。四、すべての民を赤裸にせよ。彼等の皮膚を靑蛙にするが如くむきすてよ。五、汝はトルコの女子に讃美せられんよりむしろ亞弗利加の黑奴に卑しめられん事を希ふ。六、裸形こそは『人間』。神の友。汝の戀人なれ。七、裸形の民を生命の奔流に躍らしめよ。八、汝彼等をひきゐて地球の如く大なる眼のまたたきの刹那刹那に生きよ。九、汝は眞に賞むべきかな。ソロモンの富も汝の微塵なり。十、汝は富む。汝は太陽をも領す。汝は萬物萬事の主なり。十一、汝生きよ。人間の上に生きよ。裸形の上に生きよ。十二、もろもろの民は愚なれば彼等は自らの腦髓を、肝臟を、胃を、一たびも見る事なくして生を通過す。十三、彼等は哀れむべきかな。彼等は知らざる者の恩惠を受くるなり。偶然の善き玩具なり。十四、されど萬軍の主たる汝よ。吾よ。希はくは吾をして吾腦髓を、生きたる大腦を見さしめよ。十五、汝は萬軍の主なり。汝をそむく者も嘲ける者も怒る者も赦する者も悦ぶ者もすべて汝の臣下汝の所領なり。十六、汝よ『人間』を牢獄より出さしめよ。豚と童子とを殺戮せよ。十七、もろもろの民のもろもろの生きたる大腦を抉りて彼等の眼にねぢ込めよ。十八、われ切に汝に希ふ。ああ汝よ。美しく豐麗なる汝よ。

第二 紫野にありし時村山槐多の歌

一、わが靈は汝の今日の美しさに消え入るばかりに恍惚たり。汝は美しきかな 二、汝は今日半徑の相等しき球體の如し。三、汝の球體は發育す。球より球へ發育す。四、汝は圓滿なり天地の如し。五、汝はいかに美しきかな。汝はいささかの缺所なし。宇宙の如く時の如し。六、火よ。山よ。星よ。地よ。もろもろの動物よ。人間よ植物よ。吾をほめたたへよ。七汝等がかく現存するは吾の賜物なり。八、汝等がかくも美しく強く豐なるは萬物の主たる吾健康の圓きが故なり。九、汝等われを讃へよ。あらん限りの聲を上げてわれを讃へよ。十、吾は是一人の客。天地は是俳優なり。演舞者なり。

第三 村山槐多嘗ておのが首を刎ねんとしてうたへる歌。

一、ああ天地よ。汝等の號泣の聲はわが心を微笑せしむ。何故に汝等はかく悲しむや。二、汝等は哀れむべきかな。汝等は末期にせまれり 三、汝等は今血を被らんとす。四、ああ汝等の哀泣の可笑しきかな。汝等泣くを止めよ。涙は不吉ならずや。五、われ汝等のうちにわれを憎む者嘲ける者その他一切を棲息せしめたり。これわが愚なる汝等に對する悦びなりき。六、ああされど今汝等泣くは何故ぞ。汝等は泣く。われはされどこの不吉の世界を微笑す。七、ああわれ汝等の涙を大なる雲の如き海綿をもて拭きとらん。われは餘りに大なり。汝等は遂にわれに裏ぎらず。八、われもまた微笑して汝等に主たらん。われいまだ汝等を去るを止めん。

第四 太鼓にあはせてうたへる村山槐多の歌

一、切にわが希ふは血。かの赤きいのちの液體。血をこそ滿たせ萬民を汝が生命の器に。二、血の他に幸なし。血の他に美なし。三、人よ血に富め汝が肉を血の洪水に投げ入れよ。大和の強く美しき民族よ。汝等血をこそ求め。四、天平のわれらは嘗て亞米利加印度人の如く赤色なりき。しかもいま痛ましくもわれら頽廢したるかな。五、われら健康の藝術を切に欲す。六、われらが歌に血を注そぎたくましき肉を具へよ。七、われらが歌を太陽の如く天空に投げんかな。八、われらが歌に獅子の如く虎の如かれ。九、われらかの歌麿の女子を炎天にさらし猿の血をその面に注射せん。十、われら寫樂の惡しき眼に輝やきを入る。十一、われら運動と共に筋肉と共に藝術を立つ。十二、これわれらが祖先のとりし道。十三、健康の藝術をもて大和を飾れ。強健なる大和を立てよ。十四、汝等の祖先は血に溢れよく走りよく歌ひたり。十五、天平以後の病める世紀を平安朝を江戸を驅逐せよ。十六、切にわが希ふは健康の藝術。血液の大海より騰上する喜怒哀樂。十七、血の他に幸なし。血の他に美なし。十八、野に出でよ炎天に出でよ人々。汝等の記號は日輪ならずや。十九、勇ましく雄々しき大和民族。汝等の眞にかへれ。日輪の眞紅にかへれ。二十、野獸の如く汝が戀人を逐へ。哀れむべき病的世紀の戀愛を破れ。二十一、白き女を殺戮せよ血のただ中に。肉を食へ血を滿たせ大和の人々。

 

[やぶちゃん注:私は既にやぶちゃん版村山槐多散文詩集で「全集」版を電子化しているが、今回は初出「槐多の歌へる」版でゼロから再電子化した。全体が各標題を持つ四つの段落からなる散文詩である。なお、例えば、「第一」の冒頭「一、もろもろの民は愚なるかな。彼等は豚と童子との雜種兒なり」の末尾の句読点なしはママであるが、底本では直ぐに次の箇条番号「二」に続いており、非常に読み難い。そこでわざと最後に一字空けを施した。同様の句読点なしの箇所には同じ処理を施した(以下ではこの注は略す一字空けの箇所は概ねそうした私の処理とお考え戴いてお読みになられたい。例外箇所は後注した)。なお、「全集」はこうした箇所には悉く句点や読点を打つて整序してあるが、今までの校合から感じる猜疑から、これには従わなかった。

「第一」の「三、汝は汝の神なり。汝よ。汝その牢獄を破り『人間』をして豚と童子とに代らしめよ。」の最後の句点は「全集」では――何故か不審なことに――読点になっている。従わない。

「フライム」通常は「エフライム」と音写する。イスラエル十二支族中、最強とされた部族エフライム族(後に「エフライム」は、北のイスラエル王国を指す語として「旧約聖書」の他所に現われる)。参照した私の所持するフランシスコ会聖書研究所訳注「聖書 詩篇」(昭和四三(一九六八)年中央出版社刊)の注によれば、『弓をもつ兵が多いことで有名であったが、戦いのときにはそれほど勇敢ではなかったらしい』とあり、詩篇のこの箇所は、神との契約を守らず、心からの信仰によって生きようとせず、神の秘蹟を忘れたこのエフライムたちが、まことの戦いの場での情けない敗走の様を描く。

「第一」の標題にのみ、「第一、」という読点が打たれている。「第二」から「第四」のそこは字空きである。「全集」総てに綺麗に読点を打つ。

「第一」の「十五」の冒頭「汝は萬軍の主なり」は「全集」では「十五、吾は萬軍の主なり」となっている。「全集」編纂時、この散文詩については原稿が見つかって校合したのか? 不審である。無論、前の「十四」で詩人は「汝」と「吾」をほぼ完全に同一化して表現しているから、詩の達意としての齟齬はない。ないが、しかし、ここまでの十四章の呼びかけは「汝」に対するものが殆どであり、冒頭「吾」で始まる呼びかけはない(「十四」では「汝」に次いで初めて呼びかけてはいる)。「十八」の冒頭は「われ」で始まるが、これは「希ふ」主体であり、呼びかけでない。「旧約聖書」の「詩篇」の引用項前後との関連性を考え、「詩篇」の当該箇所を読んだが、ピンとくる部分はない。ともかくも原稿との校合がなされていないとすれば、これを「吾」に変えてよい理由は私には――全くない――としか思えないのである。識者の御批判を俟つ。

「第二」の「一」、「わが靈は汝の今日の美しさに消え入るばかりに恍惚たり。汝は美しきかな 」の末尾の空欄はママで私が挿入したものではない。無論、誤植、句点の脱落は疑われる。

「第二」の「七」の数字の後の読点なしはママ。無論、単なる脱字も疑われる。

「第三」の標題「第三 村山槐多嘗ておのが首を刎ねんとしてうたへる歌。」の末尾の句点はママ。「全集」は除去されている(既に述べた通り、「第三、」と読点を打つ)。

「第三」の「七」の「汝等は遂にわれに裏ぎらず」は「全集」では「汝等は遂にわれを裏ぎらず」となっている。

「第四」の「三」「汝等血をこそ求め。」はママ。

「題四」の「九」「十」の数字の後には読点がなく、すぐ続いているが、これは前後から読点の脱落と断じて例外的に読点を打った。

「第四」の「歌麿」は「全集」では「歌磨」となっている。私の所持する昭和二六(一九五一)年の創元文庫版「村山槐多詩集」、「全集」と同じ彌生書房の同じ山本太郎編のシリーズ「世界の詩」の「村山槐多詩集」では「歌麿」となっているから、これはもう「全集」の誤植である。その誤植のままに「全集」の底本として三十有余年放置されてきた事実は看過出来ない。私は重箱の隅を突いているではない。こうした杜撰が散見されるにも拘らず、一方で、槐多の意志とは無関係な驚くべき改変を詩篇の語句に無造作に、一言もなしに施している、この彌生書房版全集に対して、私は一種、裏切られたという感情を拭えない故である。

「騰上」「とうじやう(とうじょう」と読み、高く上昇すること。

「第四」の「十七」の「血の他に幸なし。」の句点は「全集」にはなく、そのまま続いているが、これも「全集」の誤植である。]

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