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2015/07/12

譚海 卷之一 勢州龜山の醫師三折の事

 勢州龜山の醫師三折の事

○勢州龜山に三折と云(いふ)醫師有(あり)。豪富(がうふ)にて伎能(ぎのう)も勝(すぐれ)たりしが、臨終に遺言しけるは、我(われ)死たりとも寺へ葬るべからず、路邊へ埋め墓所を建(たつ)べし、凡(およそ)疾病有(ある)人我を禱(いのり)願ふ者あらば、其病(やまひ)の内一つは愈しやるべし、我(わが)云(いふ)事僞(いつはり)なくば墓所へ泉を出(いだ)すべし、是(これ)をしるしとおもふべしと云(いひ)ける。はたして墓所近き谷に淸水わき出(いづ)。人々奇特(きどく)の事に思ひていのり願ふに、病氣平癒せずといふ事なし。今は墓邊の田地みな人家に成(なり)て、往來群集し、茶屋芝居のたぐひ軒をならべて繁華の地と成(なり)ぬとか。

[やぶちゃん注: 「勢州龜山」現在の三重県亀山市にあった伊勢亀山藩。東海道で鈴鹿峠越えを控えた亀山宿の宿場町として栄えた城下町。この話、同亀山市の公式広報サイト内の「温故知新」の中の「東海道の昔の話(19) 亀山の名医」という投稿記事に、全く同じ話が別ソースの現代語で載っている。そのソースは恐らくは小寺玉晁(こでらぎょくちょう)の「見聞録」とあるのだが、旧尾張名古屋藩陪臣で随筆家であった小寺玉晁(寛政一二(一八〇〇)年~明治一一(一八七八)年:本名は広路、字(あざな)は好古、別号に連城亭・随筆園など。書画・香道・算術・狂歌・国学などを学び、好事家・雑学者として知られ、「尾張芝居雀」「見世物雑誌」「反古袋(ほごぶくろ)」など百五十余の著作を残した。ここは講談社「日本人名大辞典」に拠る)の書いた「見聞雑々集」(リンク先は早稲田大学古典籍データベース)であろうと思われる。それ(先の現代語訳)には以下のような細部補足がある。

●嘉永年間(一八四八年~一八五三年)の実話である。

●三折の開業していたのは亀山の東町であった。

●『彼は豪快な気風で医術も優れており、患者を親身になって診察し、弱者、貧者からは一銭も報酬を受けとらないほど、仁徳すぐれた医者で知られていた』という。この部分、本文が「豪富」とする部分と字面が微妙に似ていながら、中身はかなり違う印象を受ける

●三折が病に倒れたのは『六十才を過ぎて間もなく』のことであった。

●『親族は他の有名な医者にかかるよう勧めたが』、三折は「自分は医者である。自分の身体のことは自分が一番よく判っている。」と、頑として『自分の意思を曲げず。弱った不自由な身体に鞭打って患者の施療を続けていた』が遂に臨終を迎えることとなった。

●その遺言の内容は『私が死んだときは盛大な葬式をしないでください。また寺に埋葬する必要もありません。どこかの路辺に私の身体を埋めて墓標を立てるだけでけっこうです。私は死んでも怪我や病気で悩む人を必ず助けます。長年医者だった私が云うことに間違いはありません。いつか私の墓所に清水が涌き出ますから、それを服用してください。これを信じてください。かならず治るはずです』であった(下線やぶちゃん)。これは本話よりもより叙述が整理されて分かり易く、納得し易く出来ている。霊水湧出が予言の信憑性を高めるだけでなく、その霊水を服用することで諸病悉く平癒するという箇所が論理的に腑に落ちるように密接に構成されているのである。

●三折の墓は遺言に従い、亀山或いはその辺縁の『路辺の谷間に埋葬』され、『簡単な白木の墓標』が立てられた。

●予言通りに霊水が湧出し、人々は『奇特なことと思って墓所に祈り、半分疑いながらも病や怪我を抱えた人びとはこの清水を服用した』ところが、『病気や傷も日にちを経ていくうちに治ってい』き、それどころか『他の医者に見離された重い病人も平癒』したのであった。

●そうしてその『噂が噂を呼び、亀山の彼の墓所には沢山の参詣する人が来訪し、そばから涌き出る清水を求める人々で溢れるようになった』という。いわば、その結果としてその辺りが繁華な町となったという謂いと読める。地図上で見ると東町自体は亀山城の東三百メートルほどに位置する繁華街のように思われるが、ただ、三折の墓は『路辺の谷間』であって、この現在の東町の中に建てられていたとは到底思われないので、東町以外の近在地でなくてはならないと私は思う。

●最後にニュース・ソースについて投稿者が記したと思しい、『これは嘉永年間に尾張名古屋城下に伝わってきた亀山の噂話で』、『これを尾張藩の学者が書きとめたものだが、主人公の医者の三折と墓所、そして清水についての詳しいことはいまも判らない』と記すので、この伝承地を現在ではもはや同定出来ないことが分かる。]

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