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2015/08/31

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (二)

       二

 

 明方のこんな物音に醒されて、私は二階の障子を開け、河畔の庭から、伸びた春の若葉の軟かな綠の雲越しに、朝景色分眺めやる。大橋川の幅廣い、河口が、遠くの方では、わなゝくやうに、萬象を映寫して、微かに光つてゐる。この川は宍道湖に向つてを口を開け、湖は右手へ擴がつて、杳乎たる連丘に包まれてゐる。私のすぐ對岸には、靑く目塗してある日本の家屋は、戸が皆閉つてゐるので、恰も箱を閉ぢたやうだ。夜は明けたが、日はまだ出ないから。

 幽靈のやうに捕捉し難く、戀愛のやうに深い早朝の色が、睡眠の如くふんわりした水煙に浸つてゐたのが、拔け出でて、明かに蒸氣となつて騰つて行く奇觀絶景!遙かに見渡すと、薄色の霞が湖水の盡端に長く渡つてゐる――星雲狀の長帶だ。それは讀者が、日本のの繪本に見る通りであつた。實際の現象を眺めたことがないと、繪本の景色も、畫工が奇を衒つたとのみ思はれたらう。山といふ山の裾を、この霞が蔽ふてゐる。して、高い峯のいろいろの高さの處で、際涯知れぬ長さの紗のやうに横に延びてゐる(この妙な有樣を日本人は『棚引く』と名ける)だから、湖水は實際よりも遙かに大きく見え、而して眞の湖でなく、昧爽の空と同じ色で、且つ空と入り交つた、美しい幻の海となつて見える。山山の嶺は、霧に俘んだ島嶼となり、夢のやうな一帶の丘陵は、果てしのない堤道かと怪まれる――巧妙優美な混沌界だ。霧が立ち上がるにつれて、絶間なくその趣はゆるゆる變幻を極める。旭日の黃色な綠が見えてくると、今までのよりは更に強く細やかな光線――分光鏡の紫と靑貝色――が水面を射す。梢の上は弱い光を受ける。水のかなたにある、ペンキを塗らぬ高い建物の正面は、その木地の色が、美しい靄の色のために、蒸汽の立つ黃金色へと變はる。

 朝日の方へ向くと、澤山橋杭が並ぶ木造の橋のかなた、長い大橋川の方に、高い後甲板のある一艘の船が、今しも帆を揚げようとしてゐる。私はこんな奇異な恰好で、美しい船を見た例がない。――正にこれ蓬萊の夢だ。霞のために何とも云へなく醇化されてゐる。船の精だ。が、この幽靈は雲と同樣に光線を受けていゐるので、一見半透明な、黃金の霧で出來た一個の實體となつて、薄靑い光の中に懸つてゐる。

 

[やぶちゃん注:「蒸氣」「蒸汽」は孰れもママ。

「杳乎たる」老婆心乍ら、形容動詞「えうこ(ようこ)たり」の連体形で、深く広いさま、遙かなさまを言う。

「昧爽」「まいさう(まい そう)」と読み、「昧旦」とも言う。「昧」は「暗い」、「爽」は「明るい」の意で、一般には暁(あかつき)を指すと辞書にあるが、日本語に於ける暁とは、朝であるが真っ暗で、薄らと白んでくる曙(あけぼの)の前段階を指す語であって、以下のハーンの叙述はそんな真っ暗な暁では、とても見てとれない情景である。原文は“the dawn-sky”で、この“dawn”は「夜が明ける・空が白む」の意であり、ここは寧ろ、そうした光の変化を微妙に示し出すところの広義の夜明け方の有意な時間帯、暁の終りから曙そして東雲(しののめ)にかけてと考えた方が私は相応しいと思う。平井呈一氏は『夜明けの空』と訳しておられる。

「私はこんな奇異な恰好で、美しい船を見た例がない」私は何となく訳がヘンな気がして、なじめない。これでは「私はこんなだらしのない格好――寝乱れた浴衣姿――で、こんなに美しい船を見たことがなく、何とも気恥ずかしい思いをした」という意味にも読めてしまうからである。英文を見ても私には細部はよく分からないものの、無論、ここは、「こんな奇異な恰好」の船と、「美しい船」という並列する形容なのであって、「私はいろいろな国を放浪して来たけれど――この眼前にある和船の奇妙な形からそこに張られつつあり、風をはらみつつある奇体な白い帆に至るまで――こんな不可思議千万な恰好のこの世の物とも思われない美しい――曙と東雲の微光によって夢幻的に輝く――船を見た例(ためし)がない」と讃歎しているのである。平井氏はここを『夢のようなこんな美しい舟を、私はまだ見たことがない』と訳しておられ、一歩も躓かずに読める。

「蓬萊の夢」原文は“a dream of Orient seas”。平井氏は『東瀛(とうえい)の夢』と訳されている。古代中国に於いて仙人の住むとされた東方の三神山(他は蓬莱と方丈)の一つであった。そこから転じて、日本を指す雅称や、中国大陸から見て東方の大海である東海をも指すようになった。少なくとも蓬莱は海の遙か上に浮遊するラピュタのような仙山とされる。参照したウィキ東瀛には『現在でも漢民族は日本のことを東瀛とも言う』とある。平井氏の訳の方が英語の意味(東方の大海群)に忠実だが、最早、若い読者には注を附さなければ難解で分からぬ。高校古典で蓬莱は未だ頻繁の登場するから、まだ落合氏の「蓬萊の夢」の方がすんなり腑に落ちるはずである。

「醇化」老婆心乍ら、「じゆんくわ(じゅんか)」と読む。ここでは、余分なものを取り除き、混じり気のない純粋なものに変化させることを言う。因みに、別に「手厚い教えによって感化すること」の意もあるので注意されたい。]

 

 

Sec. 2

Roused thus by these earliest sounds of the city's wakening life, I slide open my little Japanese paper window to look out upon the morning over a soft green cloud of spring foliage rising from the river-bounded garden below. Before me, tremulously mirroring everything upon its farther side, glimmers the broad glassy mouth of the Ohashigawa, opening into the grand Shinji Lake, which spreads out broadly to the right in a dim grey frame of peaks. Just opposite to me, across the stream, the blue-pointed Japanese dwellings have their to [1] all closed; they are still shut up like boxes, for it is not yet sunrise, although it is day.

But oh, the charm of the vision—those first ghostly love-colours of a morning steeped in mist soft as sleep itself resolved into a visible exhalation! Long reaches of faintly-tinted vapour cloud the far lake verge—long nebulous bands, such as you may have seen in old Japanese picture-books, and must have deemed only artistic whimsicalities unless you had previously looked upon the real phenomena. All the bases of the mountains are veiled by them, and they stretch athwart the loftier peaks at different heights like immeasurable lengths of gauze (this singular appearance the Japanese term 'shelving'), [2] so that the lake appears incomparably larger than it really is, and not an actual lake, but a beautiful spectral sea of the same tint as the dawn-sky and mixing with it, while peak-tips rise like islands from the brume, and visionary strips of hill-ranges figure as league-long causeways stretching out of sight—an exquisite chaos, ever-changing aspect as the delicate fogs rise, slowly, very slowly. As the sun's yellow rim comes into sight, fine thin lines of warmer tone—spectral violets and opalines-shoot across the flood, treetops take tender fire, and the unpainted façades of high edifices across the water change their wood-colour to vapoury gold through the delicious haze.

Looking sunward, up the long Ohashigawa, beyond the many-pillared wooden bridge, one high-pooped junk, just hoisting sail, seems to me the most fantastically beautiful craft I ever saw—a dream of Orient seas, so idealised by the vapour is it; the ghost of a junk, but a ghost that catches the light as clouds do; a shape of gold mist, seemingly semi-diaphanous, and suspended in pale blue light.

 

1 Thick solid sliding shutters of unpainted wood, which in Japanese houses serve both as shutters and doors.

2 Tanabiku.

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