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2015/08/25

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第五章 盆市にて (三)

 

        三

 

 佛説孟蘭盆經に載つてゐる施餓鬼の由來は斯うだと晃が語つた。

 佛陀の大弟子、大孟健蓮は功績によつて六神通力を得た。その力に因つて餓鬼道にある母の魂を見ることが出來た。そこは前生に犯した罪を贖ふために、亡靈が飢餓に苦しまねばならぬ世界である。孟健蓮は母が甚(いた)く惱んでゐるのを見た。彼は母の苦痛のため大いに悲しんで、最も美味の食物を椀に盛つて、母に送つた。母がそれを食べようとするのが見えた。が、食物を唇まで持ち上げようとする度毎に、それが火と變はり、餘燼となつて、食べることは出來なかつた。そこで、孟健蓮は母の苦しみを救ふ法を佛陀に尋ねた。佛が『七月十五日に、諸國の大僧侶達の亡靈に食物を供へよ』と云つた。孟健蓮がその通りにすると、母は餓鬼の狀態から解放され、欣舞するさまが見えた。これがまた日本中、盆祭の第三日の夜に行はれる盆踊の起源である。

 

    註。同書にまた、孟健蓮の母に、何う

    して餓鬼道に苦しむやうになつたかと、

    阿彌陀が佛に訊ねた時、佛がそれは彼

    女が前生にて、貪慾のため、或る旅僧

    に食を施すことを拒んだからであると

    答へたことが、記されてある。

 

 第三日の夜、即ち最後の夜に、施餓鬼よりも一層哀れで、盆踊よりも更に珍らしい、奇異に美はしい式――お別れの式がある。

 生きてゐる人たちが、死んだ人々を欣ばせる爲めに盡くし得る、有らん限りのことが、既に盡くされたのだ。幽冥界の主宰者が、亡靈のこの世を訪れる爲めに許した時間も、殆ど盡きてきたので、遺族友人はそれを見送らねばならない。

 亡靈に對して一切の準備が整つてゐる。どこの家にも、麥稈を細かく編んで作つた小舟にに、精進した食物、小さな燈籠、信仰と愛の文句を書いたものなどが積んである。舟は二尺より長いことは殆どない。しかし死者には、あまり廣くなくてもよろしい。それから、纎弱な小舟は運河、湖水、海、或ひは河に流される――それぞれ船首には小燈が輝き、船尾には香が炷かれて、空の晴れた夜には、遠方へまで航路をつゞけて行く。長汀曲浦を下つて、まぼろしの小艦隊は、ちらちら光つて海へ行く。して、海は滿目、死人の光りで水平線の際涯まで閃き渡り、海風は香煙で芳ばしい。

 が、殘念!今頃は大きな港では精進舟を流すことが禁ぜられた。

 

[やぶちゃん注:「佛説孟蘭盆經」略して単に「盂蘭盆経(うらぼんきょう)」とも言う。ウィキの「盂蘭盆経によれば、只管に父母の恩に報いることを説く儒教的人倫の教えを説く偽経「仏説父母恩重難報経(ぶっせつぶもおんじゅうなんほうきょう」(略して「父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」ともいう)等と同様に中国で「孝」の倫理を中心にして成立した偽経。ハーンの注にある『釈迦十大弟子の一人である目連尊者が餓鬼道に堕ちた亡母を救うために衆僧供養を行なったところ、母にも供養の施物が届いた、という事柄が説かれている』というが、『死者に対する廻向の思想そのものはパーリ語経典『餓鬼事経』にも見られる』とあってトンデモ偽経とは言えないようである。概要はハーンの語る通り、『安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった』。『哀れに思って、釈迦に実情を話して方法を問うと、「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った』とある。

「大孟健蓮」大目犍連(だいもくけんれん)或は単に目連(もくれん)とも言うが、正しくは「目犍連」、略して「目連」の称で現行では知られる。釈迦十大弟子中「神通第一」と賞された。以下、ウィキの「目連」によると、「目連」は梵語で“Maudgalyāyana”(マウドゥガリヤーヤナ)/パーリ語で“Moggallāna”(モッガラーナ)。漢字音写では「目犍連」「目健(腱)連」、漢訳では「菜茯根」「采叔氏」「讃誦」など。また仏弟子中筆頭あったことからその称号である“Mahā”(漢字音写:「摩訶」/漢訳:「大」)を附して「摩訶目犍連」や平井呈一氏の訳にある「大目犍連」などとも記されるらしい。但し、ここに出る落合氏の「大孟健蓮」という漢訳は現行では見られない。『マガダ国の王舎城北、拘利迦(コーリカ、或いはコーリタ)村の Moggaliya というバラモン女性の子で、もとは拘律多(コーリタ)といった。なお『盂蘭盆経』では父を吉懺師子(きっせんしし)、母を青提女(しょうだいにょ)』(別に「せいだいじょ」とも読まれる)『というが、これは中国において作成された偽経とされている(後述)』。『容姿端麗で一切の学問に精通していた。幼くから隣村ナーラダの』舎利弗(しゃりほつ)と『仲がよく、ある日、人々が遊び戯れている姿を見て、厭離の心を生じ出家を共に決意し合ったという。彼らは当初』、五百人に及ぶ『青年の仲間達を引き連れて』六師外道(ろくしげどう:ゴータマ・シッダッタ(ブッダ)と同時代にブッダが布教に力を入れたマガダ地方に於いて活躍した六人(或いは集団)の異端思想家達を指す卑称)の一人でインド懐疑論者の巨魁『サンジャヤ・ベーラッティプッタに弟子入りしたが満足せず、「もし満足する師が見つかれば共に入門しよう」と誓った』とされる。『後に舎利弗が阿説示(アッサジ)に出遭い釈迦とその法を知るや、目連に知らせて共に五百人のうち半分の弟子衆を引き連れて竹林精舎に到り仏弟子となった』。『目連は後に証果(悟り)を得て、長老といわれる上足の弟子に数えられ、各地に赴き釈迦の教化を扶助した。彼は神通によって釈迦の説法を邪魔する鬼神や竜を降伏させたり、異端者や外道を追放したため、多く恨みをかったこともあり、逆に迫害される事も多かったという。特に六師外道の一とされるジャイナ教徒からよく迫害された。提婆達多の弟子達に暗殺されかかったともいわれている』。『また釈迦族を殲滅せんとしたコーサラ国の瑠璃(ビルリ、ヴィドゥーダバ)王の軍隊を撃退しようとして、釈迦から制止されたりしたこともあった』。『伝説では、釈迦の涅槃に先だって上足の二弟子がまず涅槃するのは、三世(過去現在未来)諸仏の常法といわれる。また』「阿毘曇八健度論(あびどんはっけんどろん)」巻二十八には、『目連と舎利弗が釈迦に先んじて滅したのは、釈迦の説法が正しいことを証明するために成仏の実相を示した、と説かれているが、彼の臨終の模様については』、以下のように伝わる。『舎利弗と目連は、釈迦が涅槃せんとするのを知り、夏坐竟』(げざおわり)『てまさに涅槃とす。この時目連は羅閲城に入って行乞した。外道である執杖梵士は彼を見て、「これは沙門瞿曇(釈迦)の弟子だ、かの弟子中でも目連の上に出るものはいない。我等が共に囲んで打ち殺そう」と言った。諸の梵士共に囲って之を打ち捨てて爛尽し苦悩甚だしく、この時目連は神通で脱し祇園精舎に還り舎利弗の所へ至った』。『舎利弗は「世尊第一の神通の弟子であるのに、なぜ神通を以って避けられずや」と問うと、「我が宿業極めて重く、我れ神の字に於いて尚憶ふと能わず、況(いわん)や通を発せんをや、我れ極めて疼痛を患う。来たって汝に辞して般涅槃を取る」といった。舎利弗は「汝、いま少し停(とどま)れ、我れまさに先ず滅度を取るべし」といった。舎利弗は釈尊の所へ至り辞して、去って本生処に至り説法して滅度を取った」(「増一阿含経」)』、『阿闍世王は、目連が梵士に打ちのめされ瀕死となっているのを聞き、極めて瞋恚して(怒って)大臣に「かの外道を探索してこれを焼き殺せ」と命じた。目連はこれを聞き報じて曰く「尊命違い難く、もし捉え得れば但国を出でしむべし」』と言い放ったという(「毘奈耶雑事」)。然るに目連には二人の弟子があり、『いわゆる六群比丘』(ろくぐんびく:釈迦弟子中で悪事を働いた釈迦や仏弟子らを困らせた六人を言う。彼らの存在故に釈迦の僧団に於いて多くの戒律が制定されたとも言い、また「摩訶僧祇律」によれば彼らは皆、「提婆達多派」の徒であったとする)の『馬宿と満宿が、師である目連の撲殺されるを聞き、憤怒に堪えず、身毛悉く堅ち、大力士の力を以って尽し執杖梵士を捕えて殺した』という。『後にある弟子(比丘)が釈迦にこの件について質問した。聖者目連は何の業があって外道にその身を粉砕せられたのかと問うと、「目連はかつて過去世に、バラモンの子となりその婦人に婬溺して母に不幸した。ある日母を怒り悪語を発す、曰く如何ぞ勇力の人を得てかの身形を打たんと。この麁悪語に依って五百生の中に於いて当に打砕せられ今日聖道を証し神通第一なるも、なおこの報いを受く」と説明した』(「毘奈耶雑事」に拠る)。『また、彼は昔、弊魔たる時、しばしば拘楼孫仏(過去七仏の一仏)の上足の弟子尊者・毘楼を触嬈し、化して小児となり大杖を以って彼の首を撃ち血を流した。その時に地獄に堕した。その宿業に依って今日釈迦文仏の上足となり外道の為に撲殺された』のだとも記す(「魔嬈乳経(まじょうにゅうきょう)」に拠る)。以下、「目連と盂蘭盆」の項がありそれによれば、『下記に記す盂蘭盆の逸話により、目連が日本におけるお盆及び盆踊りなどの行事の創始者として受け取られている』という。『目連がある日、先に亡くなった実母である青提女が天上界に生まれ変わっているかを確認すべく、母の居場所を天眼で観察したところ、青提女は天上界どころか餓鬼界に堕し地獄のような逆さ吊りの責め苦に遭っていた。驚いて供物を捧げたところ供物は炎を上げて燃え尽きてしまい、困り果てた目連は釈迦に相談する。釈迦は亡者救済の秘法(一説には施餓鬼の秘法)を目連に伝授し、目連は教えに従って法を施すとたちまちのうちに母親は地獄から浮かび上がり、歓喜の舞を踊りながら昇天した』ことを盂蘭盆の濫觴とするという(下線やぶちゃん)。]

 

 

Sec. 3

Now this, Akira tells me, is the origin of the Segaki, as the same is related in the holy book Busetsuuran-bongyo:

Dai-Mokenren, the great disciple of Buddha, obtained by merit the Six Supernatural Powers. And by virtue of them it was given him to see the soul of his mother in the Gakido—the world of spirits doomed to suffer hunger in expiation of faults committed in a previous life. Mokenren saw that his mother suffered much; he grieved exceedingly because of her pain, and he filled a bowl with choicest food and sent it to her. He saw her try to eat; but each time that she tried to lift the food to her lips it would change into fire and burning embers, so that she could not eat. Then Mokenren asked the Teacher what he could do to relieve his mother from pain. And the Teacher made answer: 'On the fifteenth day of the seventh month, feed the ghosts of the great priests of all countries.' And Mokenren, having done so, saw that his mother was freed from the state of gaki, and that she was dancing for joy. [1] This is the origin also of the dances called Bono-dori, which are danced on the third night of the Festival of the Dead throughout Japan.

Upon the third and last night there is a weirdly beautiful ceremony, more touching than that of the Segaki, stranger than the Bon-odori—the ceremony of farewell. All that the living may do to please the dead has been done; the time allotted by the powers of the unseen worlds unto the ghostly visitants is well nigh past, and their friends must send them all back again.

Everything has been prepared for them. In each home small boats made of barley straw closely woven have been freighted with supplies of choice food, with tiny lanterns, and written messages of faith and love. Seldom more than two feet in length are these boats; but the dead require little room. And the frail craft are launched on canal, lake, sea, or river—each with a miniature lantern glowing at the prow, and incense burning at the stern. And if the night be fair, they voyage long. Down all the creeks and rivers and canals the phantom fleets go glimmering to the sea; and all the sea sparkles to the horizon with the lights of the dead, and the sea wind is fragrant with incense.

But alas! it is now forbidden in the great seaports to launch the shoryobune, 'the boats of the blessed ghosts.'

 

1 It is related in the same book that Ananda having asked the Buddha how came Mokenren's mother to suffer in the Gakido, the Teacher replied that in a previous incarnation she had refused, through cupidity, to feed certain visiting priests.

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