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2015/08/23

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第三章 お地藏さま (六)

       六

 

 して、私共は墓地の端の大きな森の庭へきた。

 森の彼方には、何といふ愛撫するやうな、やさしい日光、何といふ靈的に美はしい姿!熱帶の空は、低く懸つてゐて、どこの屋根から手を伸ばしても、その生温い液體のやうな靑色の中へ指が浸るばかりに、いつも私に思はれたが、こゝの空は、もつと柔かで、色が淡く、一層大きな遊星の天かと思はるゝほど、廣漠渺茫たる穹窿に亘つてゐる。それから、雲さへ名雲でなくて、靄然として、たゞ雲の夢である。雲の幽靈、透明な怪物、幻影!

 突然私の前に一人の子供が立つてゐるのに、私は氣がついた。極、若い娘が不思議さうに、私の顏を見上げてゐる 彼女の輕い跫音は、鳥の聲と木葉の囁きのために聞えないほどであつた。服裝こそぼろぼろの日本服であるが、眼眸とゆるやかな金髮は、日本風のみではない。他の人種――恐らくは私と同じ人種――の幽靈が、彼女の美しい碧眼から覗いてゐる。この子供に取つて、こゝは奇異な遊び場に相違ない。この周圍一切の事物が、その小さな魂に取つて、いかにも不思議と見えないか知らん。が、否、彼女には私がたゞ不思議に見えるだけだ。この子供は前生とその父の世界を忘れてゐる。

 この異國の港に於て、美しくて、貧しい、混血兒!御身のためには、こゝの墓中の人人と共にゐた方が更によからう!この輝いだ柔かな靑空の下にゐるよりも、暗黑界が更によからう!そこでは、柔和な地藏が御身を守護り、大袖の下に匿して、禍を避けしめ、一緒に遊んでも呉れるだらう。それから御身のために今私に慈善を乞ひに來た、夫に捨てられたる御身の母親は、忍耐強い日本人の微笑をたゝへ乍ら、御身の珍らしい美しさを無言で指示しつゝ、御身の平安のための、地藏の膝の上に小石を積み上げるだらう。

[やぶちゃん注:ここでハーンが辿りついたのは、現在の「港の見える丘公園」附近ではあるまいか? 事実上の一般人の入ることの出来る公園としての開園は、ウィキの「港の見える丘公園」によれば戦後のアメリカ軍による接取解除後の昭和三七(一九六二)年十月二十五日以降のことであるとある。但し、この箇所には要出典要請が掛けられてあるので無批判には信じ難い。ただ、私はその二年後の鎌倉市立玉繩小学校二年生の時(昭和三十九年)の春か秋の遠足に於いてここを訪れた明確な記憶があるから、その時には既に公園化されていたことは確かではある。また、ルートそのままを素直に信ずるならば、現在の外人墓地の南端、元町公園の最上部附近ともとれなくはないが、あそこでは当時でもここでモースが感じたような開けたロケーションは今一つ望めないように私には思われるが、ただこれは、現行の立て込んだ私の感ずる状況印象によるものでしかなく、事実的な確信と言うわけではない。実際にここであっても可笑しくはないであろう。しかし、あそこでは今は無論、当時も遠景にさえ「港」は見えかったはずで、それだけで本シーンのロケ地からは心情的に敢えて外したくなる暗鬱な場所である。これは個人的にあの場所が思い出したくない私的経験のある一瞬を自動的に引き出してしまい、実はある種の強い不快感と嫌悪感を絶対的に引き起こさせるからでもあることを自白しておく)。地元の郷土史研究家の方の御指導を切に乞うものである。ともかくも地蔵信仰に感銘したハーンが、ここでまさにこの混血の、美しい、故にこそ救われねばならないと思う、「ぼろぼろの」和服を着た少女に出逢ったということは、霊の国日本という不可思議な力を彼が強く感じたと考えることに難くない。短いが一読忘れ難い、とても印象的なシークエンスであると言える。

「穹窿」老婆心乍ら、「きゆうりゆう(きゅうりゅう)」と読み、原義は「弓なりを成す」で、そこから大空の意となった。原文は“arches”であるが、そもそもこの「穹窿」自体が西洋の特に教会等の半球状天井や丸天井、弓形を基本形として構成構造されたワインや食料品の長期地下貯蔵室などをも含む曲面天井の総称として特に“vault”(ボールト)とも呼ばれ、まさにキリスト教に於ける(但し、ハーンは大のキリスト教嫌いであることに注意されたい。私は実は――ハーンにとっては如何にも無抵抗主義や人生の有り難味をこれ見よがしに見せつけているような架刑のイエス像やぷくぷくと豊満にして処女を称する気持ちの悪いマリア――だいたいからして性行為なしに子が出来るというのは今も昔も永遠に絶対失笑物の大馬鹿話である――因みに私の知る限りでは双子の胎児が体内残っていた奇形の二重体症による擬似出産様の事例、及び、二人の幼い妹に対して変態の兄が睡眠中に自慰行為を毎夜仕掛け、その精液が両妹の子宮内に美事に侵入、目出度く二人とも妊娠してしまったというおぞましい異常性欲事件ケース以外には全く聴いたことがない。婚約者ナザレのヨセフの種でなきゃ、マリアの不倫相手としか考えられないのが普通である。タルコフスキイの「アンドレイ・ルブリョフ」を最初に見た二十の頃――その頃の私は未だ女性を知らなかったが――ロシアを蹂躙したタタール人が、手引きしたツアーリの弟から処女マリアの懐胎の話を聴くや、目を剝いて嘲笑したシーンで、私は心中、快哉を叫び、事実、映画館で大声を出して笑ったことを鮮やかに思い出す)像なんぞよりも、遙かに奇体なガーゴイルの方が怖れつつも親密な存在だったのではないか? と勝手に信じている人間である)天空としての「アーチ」状の「ドーム」をも指すから、英訳の和訳としては頗る的を射ているものと私は思う。因みに偏愛する平井呈一氏の訳では『無窮の弓形』とされるが、私のような日本人には如何にもこなれ切れていないキリスト教に媚びた半可通な日本語のように思われ、珍しく好きになれない。

「混血兒」彼らが如何に恐るべき仕打ちを受けたかは、横浜の桜木町直近の大岡川に架かる……ほら! 君も普通に渡ったことのある弁天橋だよ!……実は明治四(一八七一)年に架けられた初代の木造の橋が直きに朽ち果ててしまってね……二年後の明治六(一八七三)年に二代目の「弁天橋」が再架橋(木造アーチ橋。現在の物は四代目)されたんだがねぇ……私のブログ記事のアクセス数の特異点である「明治6年横浜弁天橋の人柱をお読みぃな……当時の異人相手のラシャメンが産み落とし、不良として逮捕され西戸部監獄に収監されていた混血少年四人が縛られた、そのままに……当時の竣工間近であった弁天橋の工事現場まで大岡川を小舟で送られたんだ……そうして……橋脚(推定)に四人全員が……秘かに……橋の安全祈願として――「人柱」として生き埋め(推定)にされた――んである……。知ってたかい? この話?……

「輝いだ」はママ。]

 

 

Sec. 6

And we come to the end of the cemetery, to the verge of the great grove.

Beyond the trees, what caressing sun, what spiritual loveliness in the tender day! A tropic sky always seemed to me to hang so low that one could almost bathe one's fingers in its lukewarm liquid blue by reaching upward from any dwelling-roof. But this sky, softer, fainter, arches so vastly as to suggest the heaven of a larger planet. And the very clouds are not clouds, but only dreams of clouds, so filmy they are; ghosts of clouds, diaphanous spectres, illusions!

All at once I become aware of a child standing before me, a very young girl who looks up wonderingly at my face; so light her approach that the joy of the birds and whispering of the leaves quite drowned the soft sound of her feet. Her ragged garb is Japanese; but her gaze, her loose fair hair, are not of Nippon only; the ghost of another race—perhaps my own-watches me through her flower-blue eyes. A strange playground surely is this for thee, my child; I wonder if all these shapes about thee do not seem very weird, very strange, to that little soul of thine. But no; 'tis only I who seem strange to thee; thou hast forgotten the Other Birth, and thy father's world.

Half-caste and poor and pretty, in this foreign port! Better thou wert with the dead about thee, child! better than the splendour of this soft blue light the unknown darkness for thee. There the gentle Jizo would care for thee, and hide thee in his great sleeves, and keep all evil from thee, and play shadowy play with thee; and this thy forsaken mother, who now comes to ask an alms for thy sake, dumbly pointing to thy strange beauty with her patient Japanese smile, would put little stones upon the knees of the dear god that thou mightest find rest.

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