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2015/08/28

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第六章 盆踊 (二)

 

       二

 

 山脈の眞中で、稻の田を見下ろした絶壁の緣に沿つて車が駛せ行くとき、私は道路の上へ張出でた崖の凹所に小祠を發見した。祠の兩側と傾斜せる屋根は、扁平な天然石をそのまゝ用ひたのであつた。祠内には粗末に彫つた馬頭觀音の像があつて、その前に野草の花束、素燒の線香立、ばらばらに撒いた米粒などが捧げてあつた。奇異な名が示すのとは異つて、この觀音の像は、馬の頭を有しないで、馬の頭が觀音の冠に彫つてある。して、この象徴の意は、祠側に立てられた大きな卒塔婆に、『馬頭觀世音菩薩、牛馬菩提繁榮』と書いてある文字で充分説明された。馬頭觀音は百姓の牛や馬を保護する。それで百姓はその啞者たる奴隸が、單に病氣に罹らないやう觀音に祈るばかりで無く、更にまた死後牛馬の魂が一層幸福な境遇に入るやうに祈るのだ。卒塔婆の側に四尺四方ほどの木造の枠が立つてゐて、それには澤山の小さな松板の札が相並んで、一枚の滑かな面をなしてゐた。何百も列んだ。是等の木札の上に、像と祠堂のために醵金した人々の名が書かれて、その人數は一萬人と發表してあつた。しかし全部の費用は拾圓を越さないだらうから、銘々の寄附者が一厘より多くは出さなかつたらうと私は推量する。何故といふに、百姓【註】は非常に貧乏だから。

[やぶちゃん注:ここに出る馬頭観音、いろいろ調べて見たが、今も残るものかどうか、何処のどの馬頭観音かも分からず仕舞いであった。小泉八雲の研究家の御教授を切に乞うものである。なお、馬頭観音の濫觴はウィキの「馬頭観音」によれば(注記号を省略した)、『梵名のハヤグリーヴァ(音写:何耶掲梨婆、賀野紇哩縛)は「馬の首」の意である。これはヒンドゥー教では最高神ヴィシュヌの異名でもあり、馬頭観音の成立におけるその影響が指摘されている。他にも「馬頭観音菩薩」、「馬頭観世音菩薩」、「馬頭明王」、「大持力明王」に加え、チベット密教のニンマ派では『八大へールカ法』の「パドマ・スン」(蓮華ヘールカ)、一般には「タムディン」(rta mgrin)、「ペマ・ワンチェン」。中国密教では「馬頭金剛」、「大持力金剛」など様々な呼称がある。衆生の無智・煩悩を排除し、諸悪を毀壊する菩薩である』。『転輪聖王の宝馬が四方に馳駆して、これを威伏するが如く、生死の大海を跋渉して四魔を催伏する大威勢力・大精進力を表す観音であり、無明の重き障りをまさに大食の馬の如く食らい尽くすというところから、「師子無畏観音」ともいう』。『他の観音が女性的で穏やかな表情で表されるのに対し、一般に馬頭観音のみは目尻を吊り上げ、怒髪天を衝き、牙を剥き出した憤怒(ふんぬ)相である。このため、密教では「馬頭明王」と呼ばれて仏の五部で蓮華部の教令輪身(きょうりょうりんじん)であり、すべての観音の憤怒身ともされる。それゆえ柔和相の観音の菩薩部ではなく、憤怒相の守護尊として明王(みょうおう)部に分類されることもある。 また「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏としても祀られる。さらには、馬のみならずあらゆる畜生類を救う観音ともされていて』、「六字経」を典拠とし、『呪詛を鎮めて六道輪廻の衆生を救済するとも言われる「六観音」においては、畜生道を化益する観音とされる』とあり、更に『馬頭観音の石仏については、馬頭の名称から身近な生活の中の「馬」に結び付けられ、近世以降、民間の信仰に支えられて数多くのものが残されている。また、それらは「山の神」や「駒形神社」、「金精様」とも結びついて、日本独自の馬頭観音への信仰や造形を生み出した』とあり、『近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道』(中馬街道は「ちゅうまかいどう」と読むと思われ、江戸時代の信濃国及び甲斐国で発達した陸上運輸手段を指し、徳川家康によって作られた尾張名古屋と信州飯田を結んでいる現在の国道一五三号(愛知県名古屋市~豊田市~長野県飯田市~伊那市~塩尻市)である旧飯田街道等を指すものと思われる。詳しくはウィキの「中馬」を参照されたい)『などで見られる。なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多くが愛馬への供養として祀られたものである。また、千葉県地方では馬に跨った馬頭観音像が多く見られる』とある。]

 

    註。百姓といふ言葉を作つてゐる二個

    の漢字の「百」と「姓」から推して、

    それは『彼等の名は大軍團である』〔無

    數といふも可なり〕といふ英語の成句

    に殆ど等しいだらうと論じたくなる。

    そしてある日本人の友は、この推論は

    左ほど誤つてゐないと斷言した。昔、

    百姓は姓を有たなかつた。銘銘自分の

    個人的名稱に、その所有者又は支配者

    たゐ領主の名を添へて名乘つたのであ

    つた。だから或る一つの領内に於ける

    百人の貧農は、すべて彼等の領主の名

    を帶びてゐた。

    譯者註。大軍團とは昔、羅馬に三千乃

    至六千人といふ多數を以て一團を編成

    せる軍隊があつたので、一集團で數の

    多いものを表すため、右のやうな成句

    がある。

 

 かゝる人里遠く淋しい山中で、その小祠を見出したことは、嬉しく安全の思を起させた。牛馬の亡魂【註】のために祈るほど優しい心を有つた人民からは、たしかに親切の外、何を期待し得られないだらう。

 

    註。この動物らのため祈る習慣は、必

    ずしも一般ではない。しかし、私は西

    部日本の諸國でかやうな祈願の述べら

    れた家畜の葬式を幾つも見た。いづれ

    の場合にも、土に埋めてから線香を墓

    の上に立て、火を點じ、祈りが囁き聲

    で繰返された。東京の友人は、私に次

    の珍らしい報告を送つてくれた。「東

    京」の回向院では、動物の位牌の預け

    られたのに對しては、其菩提のため、

    毎朝祈りが捧げられる。料金三十錢を

    納めると、すべて小さな愛養の動物を

    寺院境内へ葬つて貰ひ、簡短の式を營

    んで貰ふことが出來る』屹度、同樣の

    寺が他にもあるだらう。人間に取つて

    啞の友人であり、啞の奴僕であるもの

    に對して、苟も愛情を惑じ得る人々は

    是等の優美なる習慣を嘲笑することは

    出來ない。

[やぶちゃん注:「簡短」はママ。

「三十錢」この明治二三(一八九〇)年当時白米一升が九銭であるから、決してはした金ではないことに注意されたい。因みに、ネット上で現代のペットの供養料を探ってみると、合葬料(火葬料は別・読経料込み)で下はだいたい五千円、卒塔婆や個別建墓料(火葬料別)で一万五千円、私の知人(横浜市内)のケースでは二~三万円(火葬料別)したようである。ここに出る両国の回向院を調べてみると、公式サイトには出ていないが、とある個人の二〇〇八年のブログ記事を見ると、火葬費用は重量別で、遺体重量が三キログラムまでは個別葬の場で三万円+供養料心附けとある(なお、その方の住まうところの市の火葬場の動物用での個別収骨料金は三千円だそうである)。]

 

 私共が急に傾斜を下るとき、車夫があまり突然に、一方へ逸れたので私は喫驚した。何故と云へば、道が數百尺の深谷を見おろす處であつたからだ。車夫の行爲は、單に道を横切つて進んでゐた無害の蛇を傷めないためであつた。蛇もあまり人を怖れないで、道の緣に達してから、頭を轉じて私共を見送つてゐた。

[やぶちゃん注:「喫驚」音は「きつきやう(きっきょう)」だが「吃驚」と同義で、おどろくこと、びっくりすることであり、ここは「喫驚(びつくり)した」と訓じてよかろう。

「數百尺」「百尺」は三十・三メートルであるから、高低差百八十二~二百十二メートルほどの渓谷と思われる。]

 

 

Sec. 2

In the very heart of a mountain range, while rolling along the verge of a precipice above rice-fields, I catch sight of a little shrine in a cavity of the cliff overhanging the way, and halt to examine it. The sides and sloping roof of the shrine are formed by slabs of unhewn rock. Within smiles a rudely chiselled image of Bato-Kwannon—Kwannon-with- the-Horse's-Head—and before it bunches of wild flowers have been placed, and an earthen incense-cup, and scattered offerings of dry rice. Contrary to the idea suggested by the strange name, this form of Kwannon is not horse-headed; but the head of a horse is sculptured upon the tiara worn by the divinity. And the symbolism is fully explained by a large wooden sotoba planted beside the shrine, and bearing, among other inscriptions, the words, 'Bato Kwan-ze-on Bosatsu, giu ba bodai han ye.' For Bato-Kwannon protects the horses and the cattle of the peasant; and he prays her not only that his dumb servants may be preserved from sickness, but also that their spirits may enter after death, into a happier state of existence. Near the sotoba there has been erected a wooden framework about four feet square, filled with little tablets of pine set edge to edge so as to form one smooth surface; and on these are written, in rows of hundreds, the names of all who subscribed for the statue and its shrine. The number announced is ten thousand. But the whole cost could not have exceeded ten Japanese dollars (yen); wherefore I surmise that each subscriber gave not more than one rin—one tenth of one sen, or cent. For the hyakusho are unspeakably poor. [2]

In the midst of these mountain solitudes, the discovery of that little shrine creates a delightful sense of security. Surely nothing save goodness can be expected from a people gentle-hearted enough to pray for the souls of their horses and cows. [3]

As we proceed rapidly down a slope, my kurumaya swerves to one side with a suddenness that gives me a violent start, for the road overlooks a sheer depth of several hundred feet. It is merely to avoid hurting a harmless snake making its way across the path. The snake is so little afraid that on reaching the edge of the road it turns its head to look after us.

 

2 Hyakusho, a peasant, husbandman. The two Chinese characters forming the word signify respectively, 'a hundred' (hyaku), and 'family name' (sei). One might be tempted to infer that the appellation is almost equivalent to our phrase, 'their name is legion.' And a Japanese friend assures me that the inference would not be far wrong. Anciently the peasants had no family name; each was known by his personal appellation, coupled with the name of his lord as possessor or ruler. Thus a hundred peasants on one estate would all be known by the name of their master.

3 This custom of praying for the souls of animals is by no means general. But I have seen in the western provinces several burials of domestic animals at which such prayers were said. After the earth was filled in, some incense-rods were lighted above the grave in each instance, and the prayers were repeated in a whisper. A friend in the capital sends me the following curious information: 'At the Eko-in temple in Tokyo prayers are offered up every morning for the souls of certain animals whose ihai [mortuary tablets] are preserved in the building. A fee of thirty sen will procure burial in the temple-ground and a short service for any small domestic pet.' Doubtless similar temples exist elsewhere. Certainly no one capable of affection for our dumb friends and servants can mock these gentle customs.

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