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2015/08/01

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(二三)

       二三

 

 恐らくは斯道に通ぜざる人々の目には、是等の多頭多手の神佛は、初めは――いつも基督教的頑迷の目に映ずる通り――たゞ奇怪とのみ見えるだらう。が、一切の宗教の中に神性を感ずる人に、彼等の意味がわかつてくるときには、彼等は東洋及び東洋思想を毫も解せざる人々が思ひもよらぬほどに強く、一段高尚なる審美主義、精紳的美感に訴へ來ることが見出三れるだらう。私に取つて千手觀音の像は、彼女の名を有する、如何なる他の人間的な愛らしさを理想化せる像――『無量』、『莊嚴』、『平安』或ひは一片の蓮の花瓣にて作れる紅い舟に采つて、月の照らす水上を駛せ行く『白い水月』でさへ――にも劣ることなく立派なものと思はれる。して、三重の頭ある釋迦に於ては、私はかの幾つもの太陽が共同して照らす如くに、三世の世界を照らす眞理の偉力を認めて尊敬する。

 が、すべての神佛の名と性質を覺えようとするのは無駄である。彼等は自分で增加して來て、恰も研究者を愚弄するやうに見える。大慈大悲觀音は百觀音として現れ、六地藏は千地藏となる。して、彼等は穿鑿に先んじて增加するから、形が變つてくる。この東洋的爲信仰の幻影は、流水よりも多樣、複雜、捕捉し難い。その中へ、宛然無底の海中への如く、印度、支那、及び遠東から、神話が續々と落ち込んで吸收されて了つた。して、その深淵を覗き込む西洋人は、アンデイーンの物語に於ける如く、波のうねり毎に、或は凄く、或は美しく、或は怖ろしさうな顏の出沒隱見する水流を眺めたやうな氣になる――不可解的に入り替るり、入り混じり乍ら、しかも永遠に宇宙萬物を作つては、また作りかへる無限未知力、變幻自在を表す萬象の海――最も古い無邊の海――の岸に立つたやうに覺える。

   譯者註。アンデイーンは水の妖精。

 

[やぶちゃん注:この章、本邦独特の習合によるシンクレティズム(混淆主義)を簡潔にしかも美事に語っていると私は思う。
 
「駛せ行く」「はせゆく」と読む。走らせて行くの意。

「アンデイーン」原文“Undine”でお分かり戴けると思うが、ドイツ語の「ウンディーネ」、私の偏愛するフーケの小説で知られるそれである。英語も同じ綴りであるが音写すると「アンダイン」或いは「アンディーン」となる。ウンディーネは、ヨーロッパ中世の神話の中に登場する(恐らくはそれ以前の非キリスト教的な土俗的なアミニズムの世界に生きていたであろう存在)四つの精霊(地・水・風・火の四大元素の中に住まうとされる不可視の自然の生きもの)の内で水を司るとされた精霊である。ウィキ「四精霊(同じウィキウンディーネ」よりも概説に関してはこちらの方が私はうまく書かれていると思うのでこちらを採った。アラビア数字を漢数字に代えた)によれば、『水の精。パラケルススの『妖精の書』によればニンフともいう。 名はラテン語の unda (波)と女性形の形容詞語尾 -ine から来ており、「波の乙女」「波の娘」というほどの意味』。イギリスの美術史家でオカルティズムの研究で知られる『フレッド・ゲティングスによれば、別名はニンフであり』、神智学で言う目に見えないアストラル界(幽界)の『住民で、霊視者には虹色に輝く体に見えるという』。『基本的に人間と変わらない容姿であるとされ、人間と結婚して子をなしたという伝説も多く残されている。『妖精の書』によれば、形は人間に似るが魂がなく人間の愛を得てようやく人間と同じく不滅の魂を得るとされる。しかし、水の近くで男に罵倒されれば水中に帰らねばならず、夫が別の女性に愛を抱くと夫を必ず殺さねばならないなど、その恋には制約が多い。シュタウフェンベルクの男が水の精と婚約したが、次第に婚約者を疎ましく思うようになり別人と結婚式を挙げたせいで水の精の呪いで死んだという話が『妖精の書』に紹介されている。この伝説が元になった創作物で騎士フルトブラントとウンディーネの悲恋を描いたフーケの小説『ウンディーネ』が有名で、ウンディーネを題材にした作品にはこの小説をもとに書かれたものが多い。派生作品のうち主なものだけでも、ジャン・ジロドゥの戯曲『オンディーヌ』、ホフマンの歌劇『ウンディーネ』、チャイコフスキーの歌劇『ウンディーナ』、ボードレールに絶賛されたベルトラン(フランス語版)の詩集『夜のガスパール』のうちの一篇の散文詩「オンディーヌ」、前記の詩集をイメージしたラヴェルのピアノ曲『夜のガスパール』第一曲「オンディーヌ」、ドビュッシーのピアノ曲『プレリュード』第二集第八曲「オンディーヌ」、ハンス・ヴェルナー・ヘンツェ作曲、フレデリック・アシュトン振り付けのバレエ『オンディーヌ』などがある』。『主題として扱われてはいないが、その他の文学作品にもしばしば登場している。ゲーテの『ファウスト』では、ファウストの呪文に登場。ポープの『髪盗人』では、心優しい女性が死ぬとウンディーネになるとされ、ヒロインである少女ベリンダの守護精霊として登場している』とある。]

 

Sec. 23

Perhaps to uninitiated eyes these many-headed, many-handed gods at first may seem—as they seem always in the sight of Christian bigotry—only monstrous. But when the knowledge of their meaning comes to one who feels the divine in all religions, then they will be found to make appeal to the higher aestheticism, to the sense of moral beauty, with a force never to be divined by minds knowing nothing of the Orient and its thought. To me the image of Kwannon of the Thousand Hands is not less admirable than any other representation of human loveliness idealised bearing her name—the Peerless, the Majestic, the Peace-Giving, or even White Sui-Getsu, who sails the moonlit waters in her rosy boat made of a single lotus-petal; and in the triple-headed Shaka I discern and revere the mighty power of that Truth, whereby, as by a conjunction of suns, the Three Worlds have been illuminated.

But vain to seek to memorise the names and attributes of all the gods; they seem, self-multiplying, to mock the seeker; Kwannon the Merciful is revealed as the Hundred Kwannon; the Six Jizo become the Thousand. And as they multiply before research, they vary and change: less multiform, less complex, less elusive the moving of waters than the visions of this Oriental faith. Into it, as into a fathomless sea, mythology after mythology from India and China and the farther East has sunk and been absorbed; and the stranger, peering into its deeps, finds himself, as in the tale of Undine, contemplating a flood in whose every surge rises and vanishes a Face—weird or beautiful or terrible—a most ancient shoreless sea of forms incomprehensibly interchanging and intermingling, but symbolising the protean magic of that infinite Unknown that shapes and re-shapes for ever all cosmic being.

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