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2015/08/08

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第三章 お地藏さま (一)

      第三章 お地藏きま

 

 

       一

 

 私は神社佛閣の間に彷徨して、また一日を過ごした。幾多の珍しいものを見た。が、まだ佛陀の顏を見ない。

 毎度長い退屈な石段を登りて、鬼瓦――象の頭や獅子の頭の恰好をした――の多い門をくゞり、それから、靴を脱いで、薰香の匂ふ薄暗い室へ入り、造花の金蓮を飾つた不可思議な花園のやうな所で、私の眼が朦朧さに馴れてくるまで待つたが、佛像は見當らなかつた。ただ夥しくぴかぴかしたものが、半分だけ見えて、ごちやごちやして、妙な形に捻じじけた金塗の眞鍮、名狀し難き容器、謎の如き金字の經文、きらきらする神祕的な、垂れ下つたものなど取りとめのない、はでやかな壇上の什器裝飾品――これらのものが、堅く戸を鎖した厨子を圍んでゐるだけであつた。

 私に最も多くの印象を與へたのは、一般民衆の信仰が、いかにも愉快らしいことである。私は獰猛な、嚴肅な、或は自己抑壓的なものを毫も見ない。眞面目に類するものさへ目にとまらない。社寺の陽氣な境内や、石段にさへ、珍しい遊戯をして、嬉々たる子供が群がり、お祈りのため堂内へ入りくる母は、赤兒を疊の上に這ひ囘はらせ、歡聲を揚げるままに放任して置く。誰も宗教を輕快に、樂しいものに考へてゐる。大きな賽錢函へ貨幣を投げ入れ、手を拍つて、極めて短い祈りを囁いてから、振り向いて入口の前で笑つたり、話したり、細い煙草を吸つたりする。ある堂では、參詣者が内へ入らないのを私は見受けた。單に戸の前に立つて、數秒間のお祈りと、少しばかりのお賽錢を捧げるだけだ。自分で作つた神佛を、あまりに甚しく恐れない彼等こそ幸福である。

 

[やぶちゃん注:「鬼瓦――象の頭や獅子の頭の恰好をした――の多い門」「鬼瓦」(平井呈一氏も同訳)であるが、これは寧ろ、原文そのまま「ガーゴイル」と訳すか、或いは「怪物彫刻」としてルビで「ガーゴイル」とした方がよいように思われる。何故なら、ハーンが指すのは文字通りの「鬼」を描いた「瓦」ではないことがダッシュ以下で分明だからである。さても――前章の最初の寺について、公開直後に私の若い教え子の女性(正覚寺と同定したのは古い男性の教え子で別)が実際に本覚寺の近くに住んでおり、早速、写真を撮って送って呉れたことは以前にブログで紹介したが、その中の、山「門」の「ガーゴイル」を写した一枚を見て頂こう。
 

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ハーンが見て、大いに印象づけられたそれは、やっぱりまさにこの――本覚寺の山「門」の正面左右に突き出た「ガーゴイル」のような奇体な「象の頭」であり「獅子の頭」であった――と言ってよいのではあるまいか!]

 

 

Chapter Three Jizo

 

Sec. 1

I HAVE passed another day in wandering among the temples, both Shinto and Buddhist. I have seen many curious things; but I have not yet seen the face of the Buddha.

Repeatedly, after long wearisome climbing of stone steps, and passing under gates full of gargoyles—heads of elephants and heads of lions— and entering shoeless into scented twilight, into enchanted gardens of golden lotus-flowers of paper, and there waiting for my eyes to become habituated to the dimness, I have looked in vain for images. Only an opulent glimmering confusion of things half-seen—vague altar- splendours created by gilded bronzes twisted into riddles, by vessels of indescribable shape, by enigmatic texts of gold, by mysterious glittering pendent things—all framing in only a shrine with doors fast closed.

What has most impressed me is the seeming joyousness of popular faith. I have seen nothing grim, austere, or self-repressive. I have not even noted anything approaching the solemn. The bright temple courts and even the temple steps are thronged with laughing children, playing curious games; arid mothers, entering the sanctuary to pray, suffer their little ones to creep about the matting and crow. The people take their religion lightly and cheerfully: they drop their cash in the great alms-box, clap their hands, murmur a very brief prayer, then turn to laugh and talk and smoke their little pipes before the temple entrance. Into some shrines, I have noticed the worshippers do not enter at all; they merely stand before the doors and pray for a few seconds, and make their small offerings. Blessed are they who do not too much fear the gods which they have made!

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