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2015/08/25

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第五章 盆市にて (二)

       二

 

 死んだ人々のお祭――盆祭又は盆供養――西洋人は燈籠の祭とも呼んでゐる――は、七月十三日から十五日に亘つて行はれる。が、毎年二回、それが行はれる地方も澤山ある。といふのは、まだ太陰曆を守る人々は、盆祭は舊暦七月十三、十四、十五日に當るべきだと考へてゐる。その日取りは太陽曆では、もつと遲くなるのだ。

 十三日の朝早く、祭のため特に編んだ、最も淸らかな稻の莚を佛壇の上や、佛間の中ヘ敷く。佛間といふのは、信仰を有つ家庭では朝夕そこへ祈を捧げる處だ。厨子と壇とは、また色紙や花や或る種類の神聖な植物の枝で綺麗に裝飾される。蓮華が獲られる場合には、いつも眞の蓮華を飾り、さもなくば、紙製の蓮華や、樒やみそ荻の枝を用ひる。それから、小さな漆塗りの膳――普通日本の食物を載せるもの――が壇前に据ゑられ、食物の献げものがその上に陳べられる。が、家庭の比較的小さな厨子では、供物は單に新しい蓮の葉に包んで、稻の莚の上に置く方が多い。

 是等の供物は、西洋索麪に類する素麺、米を煮た御飯、お團子、茄子、季節の果物――多くは瓜、西瓜、梅や桃などだ。菓子や美味の加はることも毎々だ。時には料理をしない御精進供のこともあるが、者た食物の御料供のことが普通だ。しかし勿論、魚類獸肉又は酒を含まない。淸水が幽靈の客に捧げられ、また絶えずみそ荻の枝に浸して壇上又は厨子の中に灑がれる。茶も毎時注がれ、一切のものを生きた客に對する如く小皿や、荼碗や鉢に行儀よく盛つて、箸を供へてある。かやうにして三日間、死んだ人々は饗應される。

 日沒に當つて、亡靈の訪れ來るのを導くために、各戸の前の地中に差し込んだ松の炬火に火を點ずる。また盆祭の初めの夜、村や町に近い海邊、湖畔、または河岸に、迎ひ火を點ずることがある。火の數は百八個に限る。この數は佛教の哲理上、幾分神祕的意義を有する。それから、毎夜戸口には綺麗な提燈が吊られる――盆祭の提燈――特異の色と形を有し、風景花卉などが美しく畫かれて、いつも特別な紙製の吹流しの總(ふさ)を附けて飾つてある。

 また、その夜は、死んだ知人の墓へ行つて、供物を捧げ、冥福を祈り、香を炷き、水を献げる・。花は墓毎に傍らに備へてある竹筒に活けて置く。して、墓前に提燈を掲げて火を點ずる。しかし是等の提燈には畫がない。

 十五日の夕だけ、日沒の頃、施餓鬼といふ式が寺で行はれる。その時、餓鬼道といふ圈内に居る亡靈に食物が供せられる。また死後追善を營んで呉れる遺族知人もない亡靈にも、僧侶が食物を供する。神佛へ供へるのと同じく、その供物は極めで分量が少い。

 

[やぶちゃん注:「みそ萩」バラ亜綱フトモモ目ミソハギ科ミソハギ Lythrum anceps ウィキミソハギによれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、『湿地や田の畔などに生え、また栽培される。日本および朝鮮半島に分布。茎の断面は四角い。葉は長さ数センチで細長く、対生で交互に直角の方向に出る。お盆のころ紅紫色六弁の小さい花を先端部の葉腋に多数つける』。『盆花としてよく使われ、ボンバナ、ショウリョウバナ(精霊花)などの名もある。ミソハギの和名の由来はハギに似て禊(みそぎ)に使ったことから禊萩、または溝に生えることから溝萩によるといわれる』。『近縁のエゾミソハギとも、千屈菜(せんくつさい)と呼ばれて下痢止めなどの民間薬とされ、また国・地方によっては食用にされる。千屈菜(みそはぎ)は秋の季語』である。『近縁のエゾミソハギ L. salicariaはミソハギより大型で、葉の基部が茎を抱き、毛が多い。九州以北の各地(北海道に限らない)、またユーラシア大陸や北アフリカにも広く分布する。欧米でも観賞用に栽培され、ミソハギ同様盆花にもされる』が、実はこちらの種は世界レベルでの「侵略的外来種ワースト百選定種」の一種でもあることをも知っておきたい。

「西洋索麪」「せいやうさうめん(せいようそうめん)」と読んでいよう。原文は“vermicelli”。イタリア語語源の英語で、音写すると「バーミチェリ」「バーミセリ」。所謂、スパゲッテイ(spaghettiよりも細いパスタを指す。イタリア語の原義は「細長い虫」の意味である。

「素麺」は無論、「さうめん(そうめん)」と読む。「素麺」は外に「索麺」「索麵」「素麪」そして前に出るように「索麪」とも書き、これらは総て同一物を指す。落合氏は細いスパゲッテイと本邦の素麺を差別化するために敢えて異なった漢字表記を用いたものであろう。

「御料供」「おりやうぐ(おりょうぐ)」と読んでいる(原文参照)。「霊供(りょうぐ)」と同義で、霊前に供える、通常生臭物を避けた総てに何らかの火を加えられた――料(れう/りょう)られた――食物である。平井呈一氏の訳では後に『お料供(煮た食物)』とあってルビで「(お)りょうぐ」と読ませている。但し、「御霊供膳」と書くと、現行では「おりくぜん」と当て読みで訓じているケースが頗る多いことを附言しておく。

「炬火」は「こくわ(こか)」或いは「きよくわ(きょか)」と読み、本来は松明(たいまつ)の火或いは篝(かが)り火のこと。ここは各家庭での盆の送り火で、現行では家の門口や辻に於いて「おがら」(皮を剥いだ麻(あさ)の茎)を折って積み重ねて着火するのが最も一般的であって、一見、「炬火」は大袈裟な表現にも見えるが、大文字焼きなども同じ送り火であることを考えれば、「炬火」こそは逆に本来的に正統にして正当な表現とも言えると私は思う(因みに平井呈一氏は『松明(たいまつ)』と訳しておられる)。

「施餓鬼」は「せがき」と読み、仏教に於ける法会(ほうえ)の名で「施餓鬼会(せがきえ)」とも言う。参照したウィキ施餓鬼によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した)、『訓読すれば「餓鬼に施す」と読めることからも分かるように、六道輪廻の世界にある凡夫の中でも、死後に特に餓鬼道に堕ちた衆生のために食べ物を布施し、その霊を供養する儀礼を指』し、ここでハーンも述べているように、現行でも『法会の時期は、盂蘭盆として旧暦の七月十五日(中元)に行われるのが一般的である。日本におけるお盆の場合、お精霊さま(おしょらいさま)と呼ばれる各家の祖霊が、一年に一度、家の仏壇に還ってくるものとして、盆の期間中、盆供として毎日供物を供える。それと同時に、無縁仏となり、成仏できずに俗世をさまよう餓鬼にも施餓鬼棚(せがきだな)、餓鬼棚(がきだな)や精霊馬(しょうりょううま)を設ける風習がある』。『さらに広義には、施す対象は餓鬼神に限らず、三界万霊十方至聖『大施餓鬼集類分解(原古志稽著)、立牌』にも及』び、『(上は三宝を供(くよう)し、下は万霊を済えば、其の福百倍なり。単に施鬼神食に局(かぎ)るべからず。後学、焉(こ)れを知れ。『大施餓鬼集類分解、施食の時節』)』『また、万霊とは生魂をも含』み、『(万霊というは、万は且(しばら)く大数を挙ぐ。衆生無辺なり。豈に啻(た)だ万のみならんや。霊は謂く、含霊、即ち有情なり。『釈要鈔』に云く、「含霊は即ち衆生の異目(べつめい)なり」と。『大施餓鬼集類分解、立牌』』。『施というは、梵語には檀那、此には施と曰う。但だ鬼道の飢渇に施すのみにあらずして、上は十方の諸佛に供(くよう)し、下は六道の群生に施す。故に無遮の大会と名づく。又た施食と曰い、又た水陸会と曰う。『大施餓鬼集類分解、題目』)』が、『但し、浄土真宗においては、施餓鬼会は行われない』ので注意が必要である(ハーンの記載から晃の家の宗旨も彼の学んでいる真言宗と考えてよい)。『曹洞宗においては、俗に盂蘭盆会施餓鬼と言っているが、施す者と施される者の間に尊卑貴賤の差があると、厳に戒むべきものだとして、「施餓鬼会」を「施食会」(せじきえ)と改めて呼称している』。『また、施餓鬼は盂蘭盆の時期に行われるのが通例となっているが、本来は特定の時期(つまり盂蘭盆)の時だけに限定して行われるものではない。これは、目連尊者の伝説と、阿難尊者の伝説が似ていることから、世間において誤解が広まったものとされている(後述)』。『また、水死人の霊を弔うために川岸や舟の上で行う施餓鬼供養を「川施餓鬼」といい、夏の時期に川で行なわれる』。『目連の施餓鬼は「盂蘭盆経」によるといわれる。この経典によると、釈迦仏の十大弟子で神通第一と称される目連尊者が、神通力により亡き母の行方を探すと、餓鬼道に落ち、肉は痩せ衰え骨ばかりで地獄のような苦しみを得ていた。目連は神通力で母を供養しようとしたが食べ物はおろか、水も燃えてしまい飲食できない。目連尊者は釈迦に何とか母を救う手だてがないかたずねた。すると釈迦は『お前の母の罪はとても重い。生前は人に施さず自分勝手だったので餓鬼道に落ちた』として、『多くの僧が九十日間の雨季の修行を終える七月十五日に、ご馳走を用意して経を読誦し、心から供養しなさい。』と言った。目連が早速その通りにすると、目連の母親は餓鬼の苦しみから救われた。これが盂蘭盆の起源とされる(ただしこの経典は後世、中国において創作された偽経であるという説が有力である)』。『これに対し、阿難の施餓鬼は「救抜焔口陀羅尼経」に依るものである。釈迦仏の十大弟子で多聞第一と称される阿難尊者が、静かな場所で坐禅瞑想していると、焔口(えんく)という餓鬼が現れた。痩せ衰えて喉は細く口から火を吐き、髪は乱れ目は奥で光る醜い餓鬼であった。その餓鬼が阿難に向かって『お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう』と言った。驚いた阿難が、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に問うた。餓鬼は『それにはわれら餓鬼道にいる苦の衆生、あらゆる困苦の衆生に対して飲食を施し、仏・法・僧の三宝を供養すれば、汝の寿命はのび、我も又苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう』と言った。しかしそのような金銭がない阿難は、釈迦仏に助けを求めた。すると釈迦仏は『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、この『加持飲食陀羅尼」』(かじおんじきだらに)を唱えて加持すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を証得することができる』と言われた。阿難が早速その通りにすると、阿難の生命は延びて救われた。これが施餓鬼の起源とされる』。『この二つの話が混同され、多くの寺院において盂蘭盆の時期に施餓鬼が行われるようになったといわれる』とある。但し、前章注で述べた通り、この後のハーンの行動日程から、ここで行われている施餓鬼会は新暦八月十五日に行われるととらないとおかしなことになる。

 

 

Sec. 2

From the 13th to the 15th day of July is held the Festival of the Dead— the Bommatsuri or Bonku—by some Europeans called the Feast of Lanterns. But in many places there are two such festivals annually; for those who still follow the ancient reckoning of time by moons hold that the Bommatsuri should fall on the 13th, 14th, and 15th days of the seventh month of the antique calendar, which corresponds to a later period of the year.

Early on the morning of the 13th, new mats of purest rice straw, woven expressly for the festival, are spread upon all Buddhist altars and within each butsuma or butsudan—the little shrine before which the morning and evening prayers are offered up in every believing home. Shrines and altars are likewise decorated with beautiful embellishments of coloured paper, and with flowers and sprigs of certain hallowed plants—always real lotus-flowers when obtainable, otherwise lotus- flowers of paper, and fresh branches of shikimi (anise) and of misohagi (lespedeza). Then a tiny lacquered table—a zen-such as Japanese meals are usually served upon, is placed upon the altar, and the food offerings are laid on it. But in the smaller shrines of Japanese homes the offerings are more often simply laid upon the rice matting, wrapped in fresh lotus-leaves.

These offerings consist of the foods called somen, resembling our vermicelli, gozen, which is boiled rice, dango, a sort of tiny dumpling, eggplant, and fruits according to season—frequently uri and saikwa, slices of melon and watermelon, and plums and peaches. Often sweet cakes and dainties are added. Sometimes the offering is only O-sho-jin-gu (honourable uncooked food); more usually it is O-rio-gu (honourable boiled food); but it never includes, of course, fish, meats, or wine. Clear water is given to the shadowy guest, and is sprinkled from time to time upon the altar or within the shrine with a branch of misohagi; tea is poured out every hour for the viewless visitors, and everything is daintily served up in little plates and cups and bowls, as for living guests, with hashi (chopsticks) laid beside the offering. So for three days the dead are feasted.

At sunset, pine torches, fixed in the ground before each home, are kindled to guide the spirit-visitors. Sometimes, also, on the first evening of the Bommatsuri, welcome-fires (mukaebi) are lighted along the shore of the sea or lake or river by which the village or city is situated—neither more nor less than one hundred and eight fires; this number having some mystic signification in the philosophy of Buddhism. And charming lanterns are suspended each night at the entrances of homes -the Lanterns of the Festival of the Dead—lanterns of special forms and colours, beautifully painted with suggestions of landscape and shapes of flowers, and always decorated with a peculiar fringe of paper streamers.

Also, on the same night, those who have dead friends go to the cemeteries and make offerings there, and pray, and burn incense, and pour out water for the ghosts. Flowers are placed there in the bamboo vases set beside each haka, and lanterns are lighted and hung up before the tombs, but these lanterns have no designs upon them.

At sunset on the evening of the 15th only the offerings called Segaki are made in the temples. Then are fed the ghosts of the Circle of Penance, called Gakido, the place of hungry spirits; and then also are fed by the priests those ghosts having no other friends among the living to care for them. Very, very small these offerings are—like the offerings to the gods.

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