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2015/08/02

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第一章  私の極東に於ける第一日 (二)

       二

 

 表意文字が日本人の頭腦に作る印象は、字母或は字母の連結――聲音の漫然生氣なき符號――が、西洋人の頭腦に作るのとは、同樣ではない。日本人の頭腦に取つては、表意文字は躍如たる繪畫である。活きて、物を言ひ、身振りもする。然かも日本の町には、滿目かやうな活きた文字――絶叫して眼に訴へる字形、顏の如く微笑したり顰蹙したりする言語――が一杯である。

 我我の生命なき文字と比べて、かかる文字が如何なるものであるかは、極東に住んだ人によつてのみ理解される。日本文字或は支那から輸入された漢字の印刷文字では、同一の文字を碑文の裝飾として、彫刻用として、或は最も卑近の廣告用として、いろいろ變更修飾して書いた美しさに就て、暗示だも與へる事が出來ないからである。何等の窮屈な月並の規則が、書家や意匠家の空想を束縛しない。銘銘が他人に勝つて、その文字を立派にしようと努力する。して、世世の藝術家が茫乎たる大昔から、かく競爭的に骨折つてきたので、その長い世紀の倦まざる勉勵研究によつて、原始的象形文字又は表意文字が、云ひやうなく美しいものに發達した。この文字はただ幾つかの筆畫から成立つてゐる。が、一畫毎に、優美、均整、微細な曲線に關して、端倪すべからざる祕法があつて、その文字を全く生かして見せ、また藝術家が揮毫の電光石火の瞬間さへ、その文字の頭から尾に至るまで、始終一樣に全字畫を通じて、理想的恰好の形を出さうと、筆を以つて摸索してゐたことを示す。しかし字畫の妙諦が全部ではない。字畫の連結する祕法こそ、魅力を生ずるものであつて、屢々本人自身をさへ驚倒させる。貴い名人が筆を揮つた文句が化身して、扁額から降りてきて、人間と言葉を交はしたといふ書道の不思議な傳説が存在するのは、實際日木文字の奇異に人格的な、生生した、祕傳的の方面を考へると、敢て怪むに足らぬ。

 

[やぶちゃん注:「何等の窮屈な月並の規則が、書家や意匠家の空想を束縛しない。銘銘が他人に勝つて、その文字を立派にしようと努力する。」逐語的には分かるが、どうも私は少し読解に足踏みしてしまう。私の偏愛する平井呈一先生の訳を見たい(一九七五年恒文社刊「日本瞥見記(上)」)。

   《引用開始》

肉筆文字といっても、もちろん、そこにはいろいろむずかしい厳密な方式があるわけだが、それでいて、そうしたむずかしい法式のために、それを書く書家や図案家が、自分の意想を束縛されるというような窮屈さはぜったいにない。そういう連中は、十人十色、各自が思い思いに、なんとかして自分の書く文字を、人のより美しいものにしたいと、おたがいがそのことに心をこめている。

   《引用終了》

すっきりと躓かずに読める。

「端倪」底本では「端」が(にんべん)であるが、表示出来ないので通用字とした。

「貴い名人が筆を揮つた文句が化身して、扁額から降りてきて、人間と言葉を交はしたといふ書道の不思議な傳説」確かに何かで読んだ記憶があるのだが、思い出せない。識者の御教授を乞うものである。]

 

Sec. 2

An ideograph does not make upon the Japanese brain any impression similar to that created in the Occidental brain by a letter or combination of letters—dull, inanimate symbols of vocal sounds. To the Japanese brain an ideograph is a vivid picture: it lives; it speaks; it gesticulates. And the whole space of a Japanese street is full of such living characters—figures that cry out to the eyes, words that smile or grimace like faces.

What such lettering is, compared with our own lifeless types, can be understood only by those who have lived in the farther East. For even the printed characters of Japanese or Chinese imported texts give no suggestion of the possible beauty of the same characters as modified for decorative inscriptions, for sculptural use, or for the commonest advertising purposes. No rigid convention fetters the fancy of the calligrapher or designer: each strives to make his characters more beautiful than any others; and generations upon generations of artists have been toiling from time immemorial with like emulation, so that through centuries and centuries of tire-less effort and study, the primitive hieroglyph or ideograph has been evolved into a thing of beauty indescribable. It consists only of a certain number of brush- strokes; but in each stroke there is an undiscoverable secret art of grace, proportion, imperceptible curve, which actually makes it seem alive, and bears witness that even during the lightning-moment of its creation the artist felt with his brush for the ideal shape of the stroke equally along its entire length, from head to tail. But the art of the strokes is not all; the art of their combination is that which produces the enchantment, often so as to astonish the Japanese themselves. It is not surprising, indeed, considering the strangely personal, animate, esoteric aspect of Japanese lettering, that there should be wonderful legends of calligraphy relating how words written by holy experts became incarnate, and descended from their tablets to hold. converse with mankind.

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