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« 譚海 卷之一 越中國もず巣をかくるをもて雪を占事 | トップページ | 小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(二一) »

2015/08/01

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第四章 江ノ島巡禮(二〇)

 

       二〇

 

 歸りには別の途を取つた。

 暫くの間、道は樹木生ぜる小山の間の、長い狹いうねうねした谷の中を曲つて行く。谷は見渡す限り稻田で占めて、空氣は濕つぽい凉しさを帶びでゐる。して、水田の間を通じて築いた凹凸のある道路の上を、人力車ががたつき乍ら走り行くとき、恰も無數の四竹ががちやがちやする如く、蛙の鳴く聲ばかり聞えた。

 右手の森の麓に沿ふて進むとき、私の伴侶は車夫に合圖をして停まらせ、彼も車から下りて、綠丘の上に高く棲まつた小寺の靑い庇を指した。『日に照され乍ら、あそこへ登つて行く骨折り甲斐があるでせうか?』と私が問ふた。『さうですとも、あれは鬼子母神――鬼の母――の寺です』

 廣い石段の阪を上り、頂上で唐獅子を見、それから寺の立つてゐる小さな境内に入つた。老婦人が、その着物には子供がすがりついたまゝ、隣りに建物から出でてきて、私共のために障子を開けてくれた。私共は靴を脱いで寺へ入つた。外観は古びて陰氣であるが、内部は全く小綺麗であつた。障子を開放した處から、六月の太陽は光りを注ぎ込んで、神像、提燈、繪畫、金文字、瑤珞など、優美な形の眞鍮製のものや、種々の色彩の品々が、藝術的に入り亂れてゐるのを輝らした。佛壇が三つあつた。

 中央の壇の上方に、阿彌陀如來が師尊の態度で、神祕的金蓮の上に坐してゐる。右方の壇には、五つの金色の小段階を有する厨子が光つてゐる。段楷毎に、或は坐し或は直立し、女神の如き、又は大名の如き服裝で、男女の小像が列んでゐる。これは三十番神である。下方、壇の正面には勇者が怪物を殺す繪がある。左方の壇上には、鬼子母神の厨子がある。

 彼女の物語は恐ろしい傳説である。前生に犯せる或る罪のため、彼女は自らの子供を喰殺す鬼と生まれた。が、佛陀の教に救はれて、聖者となり、專ら嬰兒を愛護するものとなつた。で、日本の母親達は、その兒童のため彼女に祈願を捧げ、また妻達は美麗なる男兒を授かるやうにと祈る。

 

    註。鬼子母神は梵語、ハリーテイー。

      鬼子母神の一形式を日本にて

      訶利提母と呼ぶ。

 

 鬼子母神の顏は眉目好き女の顏である。が、その眼は凄い。右手に蓮華を持ち、左手には裸の赤兒を衣の折目に包んだのを、半ば蔽へる胸に當ててゐる。厨子の脚部には、錫杖に倚れる地藏樣が立つてゐる。が、佛壇及び像が寺内の驚くべき特色を成すのではない。全然珍らしく感ぜらるゝのは、寄進品である。厨子の前面に高く、竹竿と竹竿との間に緊かり張つた絲から幾十、否幾百の美麗なる小さな着物――さまざまの色の、日本の赤ん坊の着物が吊るしてある。大抵地質は貧弱だ。貧亡で質朴な女、田舍の貧しい母が、その子供のために祈願を聽入れられた感謝の捧げものなのだから。

 して、一枚毎にその欣喜と、苦痛の物語を飾り氣なく物語つてゐる。是等の小さな着物――賤しい母達の柔順忍耐な指端で、形を作られ縫はれた是等の小さな着物は、突然世界的母性愛の啓示の如くに、強い感動を與へた。して、斯やうに信仰と感謝を示した質朴な人々の優しさは、夏の嵐が人の肌を撫でる如く物柔かに、私の身邊に浸み渡つてゐるやうであつた。

 戸外の世界が不意に美しくなつたやうに思はれた。日の光りは更に麗はしく、永久の蒼空にさへ新しい魅力が加はつたやうであつた。

 

[やぶちゃん注:この章以降については、同定地に就いて現在、実地に調査する必要を強く感じている。しかも実は私が強く同定地として内心比定している寺は今私が住んでいる場所から徒歩十五分ほどの地点にさえあるのである。しかし乍ら、全くの私的な理由から、それを容易に実施出来ずに比定地に気づいてから早や一と月ばかりも経過してしまったのである。私はこの停滞の無駄な時間を内心忸怩たる思いで過ごしてきた。これ以上、本文テクスト自体の作成をペンディングすることは私の欲求が許さない。されば、本章及びその地域同定に関わってくると私が考える残りの四章総てについては、本注の大部分をペンディングすることにし、今はごく僅かな語釈のみとすることとした。数少ない奇特な読者の方々には誠に悪いが、よりよい注を附すための私の節であり仕儀であるとお考え戴き、御寛恕願いたい。

「鬼子母神」「きしもじん」と読むのが正しい(後注参照)。ウィキの「鬼子母神」から引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略、改行部を繫げた)。『仏教を守護するとされる夜叉で女神ヤクシニーの一尊。梵名ハーリティーを音写した訶梨帝母(かりていも)とも言う。なお、「きしぼじん」という読み方は正確には間違いである』(これは「ボ」が仏教用語に於ける通例とされる呉音ではなく、漢音であることに因る。因みにウィキのこの部分は私が分かり易くこの注を附す際に補足をした箇所である)。『三昧耶形は吉祥果。種子(種子字)はウーン(huuM)。吉祥天の母でもある』。『夜叉毘沙門天(クベーラ)の部下の武将八大夜叉大将(パーンチカ、散支夜叉、半支迦薬叉王)の妻で、五百人(一説には千人または一万人)の子の母であったが、それらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べてしまっていた。そのため多くの人間から恐れ憎まれていた。それを見かねた釈迦は、人間を救うと共に彼女をも救済することを意図して、彼女が最も愛していた末子・愛奴児(ピンガーラ、プリンヤンカラ 嬪伽羅、氷羯羅天、畢哩孕迦)を隠した。彼女は半狂乱となって世界中を七日間探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋ることとなる。そこで釈迦は、「多くの子を持ちながら一人を失っただけでお前はそれだけ嘆き悲しんでいる。なら、数人しか持たぬ子を失う親の苦しみはいかほどであろうか。今のお前にはその苦しみが分かるはずだ」と話し、隠していた子を戻した上で「子を想う気持ちには人間と鬼神に違いは無い」と諭し、自分の行いの過ちを悟らせ仏法に帰依させた。かくして彼女は仏法の守護神となり、また、子供と安産の守り神となった。盗難除けの守護ともされる。インドでは、とりわけ子授け、安産、子育ての神として祀られ、日本でも密教の盛行に伴い、小児の息災や福徳を求めて、鬼子母神を本尊とする訶梨帝母法が修せられたり、上層貴族の間では、安産を願って訶梨帝母像を祀り、訶梨帝母法を修している。また、法華経において鬼子母神は、十羅刹女(じゅうらせつにょ)と共に法華信仰者の擁護と法華経の弘通を妨げる者を処罰することを誓っていることから、日蓮はこれに基づき文字で表現した法華曼荼羅に鬼子母神の号を連ね、鬼子母神と十羅刹女に母子の関係を設定している。このことが、法華曼荼羅の諸尊の彫刻化や絵像化が進むなかで、法華信仰者の守護神としての鬼子母神の単独表現の元となった。その像は天女のような姿をし、子供を一人抱き、右手には吉祥果を持つ。なお吉祥果をザクロで表現するのは中国文化での影響であり、これは仏典が漢訳されたときに吉祥果の正体が分からなかったため、ザクロで代用表現したものである。よって仏典には吉祥果を持つとあるが、ザクロを持つとは書かれて』おらず、『仏典中の吉祥果とザクロは同一ではない。また鬼子母神が人間の子を食べるのを止めさせるために、人肉の味がするザクロを食するように釈迦が勧めたからなどと言われるのは、日本で作られた根拠のない俗説にすぎない』。『日蓮宗では、子安鬼子母神が祀られるほか、近世に入って以降、法華経陀羅尼品に依拠する祈祷が盛んとなって鬼子母神を祈祷本尊に位置付けるに至ったこともあり、鬼形の鬼子母神像も多く造られるようになった。これは、法華経の教えを広めることを妨げる者(仏敵)を威圧する破邪調伏の姿を表現したものである。この鬼形鬼子母神の造像については、明確な区分ではないものの、関東と関西では異なる傾向がみられる。関東では総髪で合掌した姿であり、子供を伴ってはいない。一方関西では、総髪ではあるものの角を生やし、口が裂け、子供を抱く(あるいは、左手で子供と手を繋ぐ)ものである。 また、子どもを抱き宝冠を付けた姿は一見すると天女形であるが、形相が天女形から鬼形に変容する過程にあると思われる珍しい像が存在することも確認されている』(下線やぶちゃん)。

「三十番神」国土を一ヶ月三十日の間、交替して守護するとされる三十の神。神仏習合に基づいた法華経守護の三十神が著名。初め天台宗で後に日蓮宗で信仰された。見られたことない方にはイメージしにくいと思われるので、グーグル画像検索「三十番神」をリンクさせておく。

「貧亡」ママ。]

 

Sec. 20

We return by another route.

For a while the way winds through a long narrow winding valley between wooded hills: the whole extent of bottom-land is occupied by rice-farms; the air has a humid coolness, and one hears only the chanting of frogs, like a clattering of countless castanets, as the jinricksha jolts over the rugged elevated paths separating the flooded rice-fields.

As we skirt the foot of a wooded hill upon the right, my Japanese comrade signals to our runners to halt, and himself dismounting, points to the blue peaked roof of a little temple high-perched on the green slope. 'Is it really worth while to climb up there in the sun?' I ask. 'Oh, yes!' he answers: 'it is the temple of Kishibojin—Kishibojin, the Mother of Demons!'

We ascend a flight of broad stone steps, meet the Buddhist guardian lions at the summit, and enter the little court in which the temple stands. An elderly woman, with a child clinging to her robe, comes from the adjoining building to open the screens for us; and taking off our footgear we enter the temple. Without, the edifice looked old and dingy; but within all is neat and pretty. The June sun, pouring through the open shoji, illuminates an artistic confusion of brasses gracefully shaped and multi-coloured things—images, lanterns, paintings, gilded inscriptions, pendent scrolls. There are three altars.

Above the central altar Amida Buddha sits enthroned on his mystic golden lotus in the attitude of the Teacher. On the altar to the right gleams a shrine of five miniature golden steps, where little images stand in rows, tier above tier, some seated, some erect, male and female, attired like goddesses or like daimyo: the Sanjiubanjin, or Thirty Guardians. Below, on the façade of the altar, is the figure of a hero slaying a monster. On the altar to the left is the shrine of the Mother-of-Demons.

Her story is a legend of horror. For some sin committed in a previous birth, she was born a demon, devouring her own children. But being saved by the teaching of Buddha, she became a divine being, especially loving and protecting infants; and Japanese mothers pray to her for their little ones, and wives pray to her for beautiful boys.

The face of Kishibojin [7] is the face of a comely woman. But her eyes are weird. In her right hand she bears a lotus-blossom; with her left she supports in a fold of her robe, against her half-veiled breast, a naked baby. At the foot of her shrine stands Jizo-Sama, leaning upon his shakujo. But the altar and its images do not form the startling feature of the temple-interior. What impresses the visitor in a totally novel way are the votive offerings. High before the shrine, suspended from strings stretched taut between tall poles of bamboo, are scores, no, hundreds, of pretty, tiny dresses—Japanese baby-dresses of many colours. Most are made of poor material, for these are the thank- offerings of very poor simple women, poor country mothers, whose prayers to Kishibojin for the blessing of children have been heard.

And the sight of all those little dresses, each telling so naively its story of joy and pain—those tiny kimono shaped and sewn by docile patient fingers of humble mothers-touches irresistibly, like some unexpected revelation of the universal mother-love. And the tenderness of all the simple hearts that have testified thus to faith and thankfulness seems to thrill all about me softly, like a caress of summer wind.

Outside the world appears to have suddenly grown beautiful; the light is sweeter; it seems to me there is a new charm even in the azure of the eternal day.

 

7 In Sanscrit 'Hariti'—Karitei-Bo is the Japanese name for one form of Kishibojin.

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