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2015/08/06

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第一章 私の極東に於ける第一日 (九)

 

    九

 

 『寺ですか』

 『左樣、寺』

 が、ただ僅かの間、日本町を横切つただけで、人家が分離し、丘麓に沿つて散らばつてくる。市は小さな谷の中を段々細くなつて行つて、たうとう背後に消えてしまつた。それから、海を見おろす迂回した道を通つて行く。右手には、靑い丘が道際まで嶮しく傾斜してゐる。左手には、遙か下方に鼠色の沙濱や、海水の溜瀦が擴がつて、遙かに一本の白絲が動いてゐるとしか見えない磯浪の線へまで續く。潮は引いてゐる。で、澤山の鳥貝拾ひが濱邊に散らばつて、遠くの方で屈んだ姿の、ちらちらする干潟の面に散點して見えるのは、蚊の大いさに過ぎない。して、滿載の笊を提げて向うから私どもの道を歸つてくるのもある――娘達の顏は、殆ど英國の娘と同じほど薔薇色を呈して。

 人力車の轉じ行くに從つて路傍の山は高くなつた。忽然車夫は、今までの中で最も高峻な寺の階段の前で、また停つた。

 私は登り登つて行く。四頭筋の烈しい痛みを和げる和げるために、止むなくやがて休む。頂上に達すると、全く息が切れさうであつた。して、左右に獅子の像があつて、一方のは齒牙を露はし、他方のは口を噤いでゐる。前面には三方低い崖に圍まれて、樹木の無い、狹い高臺の先端に、古色蒼然たる一つの小寺が立つてゐる。建物の左に當る岩壁から、小さな瀑布が柵を繞らした水溜へ奔下する。その轟きに壓せられて他の一切の音は聞えない。刺すやうな風が海に吹いてきて、日を受けた場所さへ冷かに、荒涼たる境内は、百年も祈りの聲が聞かれなかつた如く物淋しい。

 寺の磨滅せる木造の階段で、私が靴を脱ぐ間、車夫はコツコツと叩いて呼びかける。少し待つた後、紙障の後ろから、包んだやうな跫音の近づくのと、空咳の音が聞えた。紙障が開かれると、白衣の老僧が現れ、低い辭儀をして、私に入るやう身振で示した。彼は親切さうな顏をしてゐて、歡迎の微笑は、私が受けたうちの最も優しい一つであつたと思ふ。それからまた彼は咳をした。その咳は餘程苦しげだつたので、今後私が再びここヘ來ることがあつても、後に逢へるか知らんと思はれた。

 私は内へ通つた。すべて日本の建物の床が蔽はれてゐる、あの柔かな、淸い疊を足の下に感じた。寺に必要缺くべからざる鐘と漆塗りの机の前を過ぎてから、また他の紙障が立てられて、床から天井へまで達してゐる。老人はまだ咳をしながら、一枚の紙障を右に開けて、薰香の微かに漂ふ暗い内陣へ、手眞似で私を導き入れた。太い軸に金龍の縺れた唐金の大燈籠が、私の眼についた最初のものであつた。して、その傍を通るとき、私の肩が觸れて、その蓮花狀の頂から垂れてゐる、小さな鈴生りの花綵を鳴らした。それから、まだ判然物形を識別しかねて、摸索し乍ら、佛壇に達した。が、僧は紙障を一枚一枚繰つて、金色の眞鍮製裝飾品や、刻銘に光を注いだ。そこで私は渦卷形の燭臺の立並んだ間に、神又は主靈の像を探した。すると、私はただ鏡――磨いた金屬の光淡き圓盤を見た。しかも、その中に私の顏が映つてゐて、更に私の似顏の後ろには、遠くの海の幻影があつた。

 ただ鏡!何を象徴するのだらう?幻想を?それとも、宇宙は我々の心の反映としての存在に過ぎないといふことを?或は自個の心中にのみ佛を求めねばならぬといふ支那の古い教を?恐らくは他日私にすべて是等のことのわかる折があるだらう。

 辭して行かうとして、階段に腰をかけ、靴を穿きかけてゐると、親切なる老僧は、また近づいてきて會釋をして、茶椀を進めた。私は佛教の喜捨鉢と思つて、その中へ幾らかの貨幣を落してから、湯が一杯入つてゐるのを發見した。が、老人の美はしい慇懃さは、私をての過失の無作法さを感じさせないやうに、救つてくれた。一言も云はずに、厚意の微笑を湛へたまま、それを持去り、やがて別に空の茶椀を持出でて、小さな湯沸から湯を注いで、私に飮むやう身振で示した。寺では、參詣者に茶を薦むるのが、最も普通であるが、この寺は極めて貧しいので、この老僧は一般誰人も缺くべからざる品に窮することも折々あるらしい。私が風當りの強い坂を道路へ下るときに、彼はまだ私を見送つてゐて、今一度彼の嗄れた咳が聞えた。

 それから、私はまた鏡の愚弄を思ひ出した。私の求めるものを私自身以外、即ち私自身の想像以外に、發見し得ることがあるか知らんと疑ひ出した。

 

[やぶちゃん注:やっと私にも非常によく分かる場所が出て来た。この冒頭、「チア」さんはモースを乗せて、百段公園を恐らく代官坂上方向へ向かって北の谷へ下り、北方(きたかた)に出ると、そこを東に尾根を巻きながら箕輪・本牧・間門へと辿ったに違いない。現在の間門の信号のところは、当時は直下がもう海になっており(現在は無粋な埋立によって海岸線は七百メートル近く沖に行ってしまってハーンの見た)、後はまさに「右手」「は靑い丘が道際まで嶮しく傾斜してゐる、現在は根岸加曽(加層)台と呼んでいる切り立った海岸段丘である。そこを西へ向かって八百メートルほど行く(行くときは国道十六号ではなく、その北に入った段丘下を東西に走る旧道を行かれることを強くお勧めする。この道筋は私が偏愛する道なのである)と、ここに描かれた白滝不動尊下の階段下に着く。実はここ(現在の本牧にある三溪園の松風閣(海側の見晴台)の下の切岸や間門から根岸駅方向への海食崖)は、嘉永六(一八五三)年にペリー艦隊が来航してこの沖を通過した際、ミシシッピー出身の船員たちが故郷を思い出し、「ミシシッピ・ベイ」と名附けた景勝地として近代の初めから既に有名であったのである(私の電子テクストである田山花袋の「一日の行楽」より「杉田の梅花」を参照されたい)。

 また、この時、「チア」さんがハーンを引っぱったルートこそ、実は何と、「外人遊歩道」と呼ばれた居留地の外國人のために江戸幕府が作った遊歩道だったのである。やまちゃんのブログ「地図豆」の地図を広げて街歩き 「外国人遊歩道」 をたどるによれば、生麦事件(文久二年八月二十一日(一八六二年九月十四日)を受けて、『英仏両国公使は幕府に、山手一帯に遊歩道を建設するように申し入れ』て出来上がったのがこれで、現在の『山手下の元町を通って地蔵坂を上がり、根岸森林公園を抜け不動坂を下り海にそって本牧を廻り本牧から千代崎町そして桜道を通り地蔵坂へ戻るルートで坂の各所には石畳が敷かれていたといわれる』ものだったのである。

 また、Shintaro 氏のサイト「横浜今昔物語」に四枚の明治の不動坂の写真が載る。必見!

 さてここで我々は不思議なことに気づく。それはハーンがさてもこの寺で見たのは不動ではなく、一枚の、ハーンの顏とその背後の遠い海が映る神鏡(神仏習合時代の名残か?)ばかりであった(しかし、この映像はこれはこれでまっこと素晴らしい)。訳が分からない。考えてみると、本覚寺でもハーンは一体の仏像だに見ていないのである。何だか妙だ。おかしい。「テラ!」と渇望しながら、何故、ここまでハーンは仏像に出逢えないのであろう? どうもおかしい。全く以って「ヘン!」ではないか?

 なお、往時の地図を見ると、寺から波打ち際(国道十六号附近)までは百六十メートルほどしかない。潮の香りと美しい海を想像で見下ろしながら、お読み戴きたいのである。

 因みに、私は緑ヶ丘高等学校奉職時代(私は三十五年の教員生活の中でここでの九年間が一番幸せだった。生徒は勿論、よき同僚に恵まれた)に糖尿病を宣告され、運動療法として一年ばかり、毎日七キロメートル以上を歩いた。通勤時に山手で降りずに根岸や磯子で降りては歩き、帰りも同じように歩いた。その折り、この白滝不動や他の二本の段丘上へ登る道はまさに馴染みのルートであったのである。……しかしその時分の私は悲しいことにはるか昔に詠んだこの章の記憶を全く忘失していたのであった。何と、哀しいことだろうか……。

「溜瀦」音は「ちよりゆう(ちょりゅう)」で、水を貯める・水が溜まるの意。ここはすっかり凪いで鏡のようになった海を指していよう。平井呈一先生は『池のような海』と訳されておられる。

「潮は引いてゐる」この明治二三(一八九〇)年四月の月齢を見るとハーンが来日した四月四日(金曜)がまさに大潮の初日で五日が満月、八日から十一日までは中潮である。細かな理由は省くが、私の推理ではこの「第一章 私の極東に於ける第一日」は五日か六日ではないかと踏んでいるので、潮干狩り(次注参照)にはもってこいの大潮であったのである。

「鳥貝拾ひ」原文は“cockle-gatherers”“gatherer”は「収集者」の意)。“cockle”という単語は貝殻表面の放射肋と、その形がハート形の小舟のような殻形状を持つ斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科 Cardiidae の仲間及びそれに類似した殻を持つ貝類の英語の総称である。狭義にはヨーロッパ産の食用貝であるザルガイ科ヨーロッパザルガイ Cardium edule を指す(因みに和名のザルガイは形状と放射肋を笊に譬えたもの)。本邦で一般的に知られ、食用とされるザルガイの仲間はザルガイ科トリガイ Fulvia mutica である。ザルガイ Vasticardium burchardi 自体も美味らしいが(私は食したことがない)、流通では見かけない。トリガイも獲れるであろうが、これは時期から見てもアサリを主体とした潮干狩りと思われる。

「蚊」原文は“gnats”。これは確かにイエカをも指すが、寧ろ、我々には蚋(ぶよ)の印象の方が強い。

「四頭筋」老婆心乍ら、これは「したうきん(しとうきん)」と読む。大腿四頭筋である。

「噤いでゐる」「噤」は「つくぶ」「つぐむ」と訓じ、口を閉じる・黙る・噤(つぐ)むの意である、ここは「ふさいでゐる」ろ訓じているものと思われる。

「紙障」これは障子ではなく、「ふすま」(襖)と訓ずる。]

 

 

Sec. 9

'Tera?'

'Yes, Cha, tera.'

But only for a brief while do I traverse Japanese streets. The houses separate, become scattered along the feet of the hills: the city thins away through little valleys, and vanishes at last behind. And we follow a curving road overlooking the sea. Green hills slope steeply down to the edge of the way on the right; on the left, far below, spreads a vast stretch of dun sand and salty pools to a line of surf so distant that it is discernible only as a moving white thread. The tide is out; and thousands of cockle-gatherers are scattered over the sands, at such distances that their stooping figures, dotting the glimmering sea-bed, appear no larger than gnats. And some are coming along the road before us, returning from their search with well-filled baskets—girls with faces almost as rosy as the faces of English girls.

As the jinricksha rattles on, the hills dominating the road grow higher. All at once Cha halts again before the steepest and loftiest flight of temple steps I have yet seen.

I climb and climb and climb, halting perforce betimes, to ease the violent aching of my quadriceps muscles; reach the top completely out of breath; and find myself between two lions of stone; one showing his fangs, the other with jaws closed. Before me stands the temple, at the farther end of a small bare plateau surrounded on three sides by low cliffs,-a small temple, looking very old and grey. From a rocky height to the left of the building, a little cataract rumbles down into a pool, ringed in by a palisade. The voice of the water drowns all other sounds. A sharp wind is blowing from the ocean: the place is chill even in the sun, and bleak, and desolate, as if no prayer had been uttered in it for a hundred years.

Cha taps and calls, while I take off my shoes upon the worn wooden steps of the temple; and after a minute of waiting, we bear a muffled step approaching and a hollow cough behind the paper screens. They slide open; and an old white-robed priest appears, and motions me, with a low bow, to enter. He has a kindly face; and his smile of welcome seems to me one of the most exquisite I have ever been greeted 'with Then he coughs again, so badly that I think if I ever come here another time, I shall ask for him in vain.

I go in, feeling that soft, spotless, cushioned matting beneath my feet with which the floors of all Japanese buildings are covered. I pass the indispensable bell and lacquered reading-desk; and before me I see other screens only, stretching from floor to ceiling. The old man, still coughing, slides back one of these upon the right, and waves me into the dimness of an inner sanctuary, haunted by faint odours of incense. A colossal bronze lamp, with snarling gilded dragons coiled about its columnar stem, is the first object I discern; and, in passing it, my shoulder sets ringing a festoon of little bells suspended from the lotus-shaped summit of it. Then I reach the altar, gropingly, unable yet to distinguish forms clearly. But the priest, sliding back screen after screen, pours in light upon the gilded brasses and the inscriptions; and I look for the image of the Deity or presiding Spirit between the altar- groups of convoluted candelabra. And I see—only a mirror, a round, pale disk of polished metal, and my own face therein, and behind this mockery of me a phantom of the far sea.

Only a mirror! Symbolising what? Illusion? or that the Universe exists for us solely as the reflection of our own souls? or the old Chinese teaching that we must seek the Buddha only in our own hearts? Perhaps some day I shall be able to find out all these things.

As I sit on the temple steps, putting on my shoes preparatory to going, the kind old priest approaches me again, and, bowing, presents a bowl. I hastily drop some coins in it, imagining it to be a Buddhist alms-bowl, before discovering it to be full of hot water. But the old man's beautiful courtesy saves me from feeling all the grossness of my mistake. Without a word, and still preserving his kindly smile, he takes the bowl away, and, returning presently with another bowl, empty, fills it with hot water from a little kettle, and makes a sign to me to drink.

Tea is most usually offered to visitors at temples; but this little shrine is very, very poor; and I have a suspicion that the old priest suffers betimes for want of what no fellow-creature should be permitted to need. As I descend the windy steps to the roadway I see him still looking after me, and I hear once more his hollow cough.

Then the mockery of the mirror recurs to me. I am beginning to wonder whether I shall ever be able to discover that which I seek—outside of myself! That is, outside of my own imagination.

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