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2015/08/18

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第三章 お地藏さま (四)

 

       四

 

 杉と楓の茂つた間を、幅の廣い斜面の石段が通じてゐる。私共はこの阪を登つて行くと、二頭の佛陀の唐獅子――雄は威嚇の口を開き、雌は口を閉ぢて――雌が待つてゐる。その間を通つて、寺の大きな境内へ入つた。先きの方には、まだ茂つた丘が聳えてゐた。

 寺の屋根は、靑銅の瓦、反りを打つた檐、鬼瓦、龍、悉く風雨にさびて、一面に模糊たる色合となつてゐた。障子は開いてゐるが、内から洩れる拍子を祭びた悲しげな誦言は、眞晝の勤行と知られた。僧侶が法華――梵經の漢譯――を讀誦してゐるのだ。一人の僧は讀誦し乍ら、綿を卷いた木槌で、滿面深紅と黄金色に漆を塗つた、海豚の頭のやうな怪異なものを叩いて、拍子を取つて、單調な冴えない響を出す。これは木魚である。

 寺の右に當つて小さな堂がある。その邊、線香の香りが滿ちてゐる。灰を一杯容れた小爐に立てたる六本ほどの線香柱から、靑煙が卷き上がつて行く。その間から覗き込むと、暗い奧に、冠冕を被つた、煤けた佛像が拜まれた。その稽首合掌の狀は普通の人々が、寺の入口に立つて、外から胃祈りを捧げてゐるのを、私はよく見受けるが、丁度それに似てゐた。木像の彫刻も彩色も粗末ではあるが、不靜安穩の顏は、暗示的の美を呈してゐた。

 境内を横切つて、建物の左手へ行くと、前面に今一つ石段の阪道が、巨大な樹木の間の不思議さうな、高いものの方へ通じてゐた。私はまたこの阪を上つて、二頭の小さな象徴的な獅子に護られた頂に這すると、忽然ひんやりした蔭になつて、しかし、全く見慣れぬ光景に驚いた。

 くすんだ――殆ど眞黑な土地、一面に空を塞ぐ老樹の梢間から、ところどころへ僅かの日光が渡れる欝然たる綠蔭、柔かで森嚴な薄明りの光に現された異樣なものの一大集團――灰色で、柱の如く、苔が生へた石のやうで、漢字を刻んだ記念碑らしい無數の群、その背後にも、その背後にも、沼べりに蘭の繁つた如くに、木のやうな高い細い板片に、矢張り同樣な奇妙な文宇を書いたのが、蒼然たる闇の中を貫いて數千となく聳えてゐる。

 して、私は他の微細な點を觀ない内に、古い古い佛教の墓場に來たことを知つた。

 是等の木摺を日本語で卒塔婆といふ。すべて頂點に近い兩側の緣に、五ケ所の切れ目が入れてある。して、すべて兩面に漢字が書いてある 死者の戒名のすぐ下には、必ず『爲菩提』といふ文句がある。他の一面は、いつも梵語の文句であるが、葬儀を司る僧侶もその意味を忘れずにゐる。墓が出來ると同時に、背後ヘ一本の卒塔婆を立てる。それから四十九日間、七日目に別の卒塔婆を立てる。次には百ケ日目に、更に一年毎に、三年毎にと、百年間段々長い期間を隔てて別のものを立てる。

 大概いづれの卒塔婆の集團にも、その中には、新しく削り立ての臼木のものが、古びた灰色又は黑くさへなつたのと並んで立つてゐる。また多くの更に古いのは、文字が全く消えたのもある。陰氣な地而に倒れたのもある。土地に插したまゝ、緩くなつたのも澤山あつて、僅かの嵐にも衝き當つて、がたがた音を立ててゐる。

 形狀は卒塔婆と同樣珍らしくて、しかも更に興味あるのは墓石である。ある墓の形は佛教の五原素を現してゐるのを私は知つた。立體形の上に球形、その上に尖塔形、その上に半月形の緣と、反つた角を有する淺い四角の杯形の石が載つて、杯中には梨形のものが尖端を上にして立つてゐる。是等の形のものは、人體が形成される五要素、即ち『土、水、火、風、氣』を象徴する。第六要素の『識』に對する象徴が缺けてゐることは、いかなる象徴法でも企及し得ないほどに感動を與へる。しかも、象徴の目的上、この省略は西洋人の心に浮ぶのと、同一の考で企てたのでは決して無い。

 墓石の内には、低い、扁頭の角柱形に、文字を黑や金色で現したたり、或は單に石へ刻んだのが、また澤山ある。それから、いろいろの形や高さを有し直立の平板で、大概圓頂、文字は普通浮彫なのもある。最後に、珍らしい角のある石、卸ち天然岩の唯一面に形をつけて、滑かに磨いた部分に、意匠を鏤刻したのも多い。是等の石板の不規則な形狀にさへ、何かの意味があるらしい。石を岩床から切り離す際には、必ず五つの角點で破碎したものと思はれる。して、石が臺の上に平衡を得て、垂直に立てるさまは、初めて匇卒に見ただけでは解かりにくい祕術である。

 臺石の構造もさまざまで、多くは墓碑の前部の臺面に、三つの孔がある。一つは大きな楕圓形の凹所で、その兩側に小さな圓孔がある。二つの小孔は線香のため役に立ち、大きな窪みは水が滿ちてゐる。私はよくその譯を知らないが、たゞ私の日本人の伴侶は、『このやうに死者に向つて水を灌ぐのは、日本の古い習慣です』と私に告げた。墓の兩側には、また花を插す竹筒もある。

 彫刻は冥想或は説法中の佛陀を現したのが多い。日本の子供のやうに穩かに夢みた顏をして眠つた佛陀も少々ある。これは涅槃を意味する。大抵の墓に、莖を交叉した二個の蓮花が、普通の意匠となつてゐるらしい。

 ある所に、英人の名を現して、名の上には祖末に刻んだ十字架のある墓石を私は見た。いかにも佛教の僧侶は、惠まれたる寛容を有つ。これは基督教徒の墓なのだから!

 すべての墓石は、缺けたり、崩れたり、苔が生えたりしてゐる。して、灰色の石はたゞ僅かばかり離れて、無數の列をなして、相接近して、巨樹の蔭に立つてゐる。上の方では澤山の鳥が、その歌ひ聲で空氣を和らげてゐる。背後の阪の下には、蜂の群が唸る如き、徴かに悲しげな讀經の聲がまだ聞えた。

 晃は無言のまゝ、もつと古くて、暗い墓地へ下る阪の方へ私を案内した。して、私は右手に、阪の頂上に、一團の巨大なる墓碑を見た。その高く、太く、星霜のため苔蒸した灰色の石には、二寸以上も深く字が刻してある。その背後には、高さ十二尺乃至十四尺で、寺の屋根の梁材の如く厚い、大卒塔婆が立ててある。是等は僧侶の墓である。

 

[やぶちゃん注:私は引き続き、このシークエンスも前の章の続きで現在の元町一丁目(現在の「元町プラザ」の一角)にある元町プラザの位置にあった、高野山真言宗準別格本山海龍山本泉寺増徳院の境内から同墓地(現在の外人墓地に相当)と考えている。移動と位置的も全く問題がないからである。ウィキの「横浜外国人墓地より引用しておく(アラビア数字を漢数字化した)。『横浜外国人墓地(よこはまがいこくじんぼち、単に外人墓地とも)は神奈川県横浜市中区山手にある外国人墓地。また、それを管理する財団法人』で、ここは『十九世紀から二十世紀半ばにかけての四十ヶ国余、四千四百人余りの外国人が葬られている。一八五四年(嘉永七年)に、二度目の来航により横浜港に寄港していたアメリカ海軍の水兵ロバート・ウィリアムズ(二十四歳)がフリゲート「ミシシッピ」のマスト上から誤って転落死し、艦隊を指揮していたマシュー・ペリーはその埋葬地の用意を幕府に要求したため、海の見えるところに墓地を設置して欲しいというペリーの意向を受け横浜村の増徳院の境内の一部にウィリアムズの墓が設置されたことに由来』し、『その後も外国人死者がその付近に葬られ、一八六一年(文久元年)に外国人専用の墓地が定められた』。『基本的に内部は非公開であるが、三月から十二月までの土曜日、日曜日と祝日は公開されている。また埋葬されている人々の業績を紹介する資料館を併設している。キリスト教形式の墓石が多いため意外に思われることが多いが、元々は、現在の元町にあった真言宗準別格本山増徳院の境内墓地であった。平成の初期まで、当地では増徳院による供養も行われていた』。何時かハーンが歩いたように同所を散策すれば、彼の見たものを一つでも見出せ、新たな発見もあるかも知れないとは思っている(何時になるか分からぬが)。

「冠冕」「くわんべん(かんべん)」と読む。高位高官の貴人の被った礼冠(らいかん)の一種で、本邦では狭義には特に天皇が被ったものを指す(推古一一(六〇三)年制定の冠位十二階に拠る)。唐制式を模倣した冠であって、冕板(べんばん)という長方形の板状の冠中央を基本として、その周囲に五色の飾り玉が垂れ下がる。別に玉冠・天冠とも称した。kisan 氏のブログ「日本の風俗文明」のこちらの画像をご覧あれ。

「稽首」頭を地に着くまで下げてする対象に対する周代以来の最高礼法である。

「木摺」「きずり」と訓じているものと思われる。これは狭義には建築用語で漆喰などの塗り壁の下地に用いられる薄い小幅板、業界では「ラス下地」とも称するものである。厚さは五ミリメートルで幅三十六ミリメートルの杉板材。これを一センチメートル弱の間隔を空けて間柱に釘で打ち止める。木摺り板は水平に並べるのが普通である(垂直や斜めにするケースもあり、斜めに打つことを「嵐打ち」と称するが、単に「ラス下地」の板張りのことを「あらし」ということもある)。木摺り下地壁にする場合は、壁材の剥落防止のために「下げお」という棕櫚や麻などの繊維の束を附着させるのが普通である(ここまではネット上の「CatchUP 不動産用語集」に拠る)とあったが、無論、ここでハーンが言っているのは本文にある通り、卒塔婆のことであるが、ハーンはこの時点では未だ、卒塔婆が五輪塔を簡略象徴化した供養塔の代わりであること、頭部の切れ目の形が五輪塔を模していることに気づいておらず、単なる有象無象の供養の経文片板としか認識していないことが判る。

「土、水、火、風、氣」原文は“Earth, Water, Fire, Wind, Ether,”。最後の“Ether”は古典的物理学や神智学で嘗て光波を伝える媒質として仮想されていた物質、「エーテル」である(「エーテル」或いは「アイテール」とは古代ギリシャに於ける輝く空気の上層を表す言葉であってアリストテレスによって四大元素説が拡張され、天体を構成する更なる第五元素として提唱されたものである)。これはスコラ学に受け継がれ、中世のキリスト教的宇宙観においても、天界を構成する物質とされた。。これは五輪塔の説明であるが、通常は下から方形の「地」輪(ちりん)、円形=の「水」輪(すいりん)、笠形状の「火」輪(かりん)、半月形の「風」輪(ふうりん)、宝珠或いは団形型の「空」輪(くうりん)によって構成され、古代インドに於ける宇宙の五大元と考えられていた「五大」をシンボライズしている(一般には「大日経」などの経典に出る密教思想の影響下に形成されたと考えられている)。それぞれの部位に、下から「地」=(ア:a)・「水」(ヴァ:va)・「火」(ラ:ra)・「風」(カ:ha)・「空」(キャ:kha)の梵字による種子(しゅじ)を刻むことが多い。ハーンの「エーテル」は正直言うと、一寸、私は笑ってしまう(ウィキエーテルによれば、『アリストテレスの世界像を根底から打破しようとしたデカルトは、やはり真空の存在を認めておらず、物質の粒子の間をうめるものとして「微細な物質」を想定し』、『その動きもしくは働きによって光が伝達されるとした。また近接作用のみを認めたデカルトは惑星は流動し渦巻く物質にのって運動していると考えた。これが後に物理学におけるエーテルの概念へと発展した。この意味でのエーテルは天上の物質ではなく、世界のあらゆるところに存在する』ものとされた)。落合先生は『氣』の訳で仏教のより広範な仮想元素である「空」を巧みにやり過ごした、否、失礼乍ら、誤魔化したという感じがする。何故なら、「氣」というと、陰陽五行説に於ける「気」を即、連想させるからで、これはウィキによれば、元来は『ラテン語 spiritus(スピリトゥス)やギリシア語 psyche(プシュケー)、pneuma(プネウマ)、ヘブライ語 ruah(ルーアハ)、あるいはサンスクリット prana(プラーナ)と同じく、生命力や聖なるものとして捉えられた気息、つまり息の概念がかかわっている。しかしそうした霊的・生命的気息の概念が、雲気・水蒸気と区別されずに捉えられた大気の概念とひとつのものであるとみなされることによってはじめて、思想上の概念としての「気」が成立する』。『雲は大気の凝結として捉えられ、風は大気の流動であり、その同じ大気が呼吸されることで体内に充満し、循環して、身体を賦活する生命力として働く。つまり、ミクロコスモスである人間身体の呼吸とマクロコスモスである自然の気象との間に、大気を通じて、ダイナミックな流動性としての連続性と対応を見出し、そこに霊的で生命的な原理を見るというアイディアが、気という概念の原型なのである』。『一方では人間は息をすることで生きているという素朴な経験事実から、人間を内側から満たし、それに生き物としての勢力や元気を与えている、あるいはそもそも活かしているものが気息であるという概念が生まれる。そしてまたそこには、精神性、霊的な次元も、生命的な次元と区別されずに含まれている。ただし、精神的な次元は、後代には理の概念によって総括され、生命的な力としてのニュアンスのほうが強まっていく』。『他方では、息は大気と連続的なものであるから、気象、すなわち天気などの自然の流動とも関係付けられ、その原理であるとも考えられていく。自然のマクロな事象の動的原理としての大気という経験的事実から、大気にかかわる気象関連の現象だけでなく、あらゆる自然現象も、ひとつの気の流動・離合集散によって説明される。この次元では気はアルケーとしてのエーテルである』。『この霊的な生命力として把握された気息であり、かつ万象の変化流動の原理でもあるという原点から、ついには、生命力を与えるエネルギー的なものであるのみならず、物の素材的な基礎、普遍的な媒質とまで宋学では考えられるようになった』。『こうした由来ゆえに、気は、一方では霊的・生命的・動的な原理としての形而上的側面をもちながら、他方では、具体的で普遍的な素材(ヒュレー)的基体でありかつ普遍的なエーテル的媒質であるがゆえに、物質的な形而下的側面も持つという二重性を持つことになった。気は、物に宿り、それを動かすエネルギー的原理であると同時に、その物を構成し、素材となっている普遍的物質でもある。従って、たとえば気一元論は、かならずしも唯物論とはいえない』とあり(こうした牽強付会にあってはハーンの「エーテル」はお門違いとは言えないとも言えるが)、『日本語には気と言う言葉を使う表現がいくつかある。中国哲学の気の概念のうち、物の構成要素、素材としての意味の用法はほとんどなく、「元気」などの生命力、勢いの意味と、気分・意思の用法と、場の状況・雰囲気の意味の用法など、総じて精神面に関する用法が主である。気になる、気をつける、気を使う、気が付く、気に障る、気が散る、気をやる(セックスにおいてオルガスムスに達すること)気合い、など』があるが、例えば、本邦の『慣用句「病は気から」の「気」は、本来は、中国哲学や伝統中国医学の気であるが、日本ではよく、「元気」「気分」などの意味に誤解される』とあるように、仏教の「空」はもっと広範な非物理的な形而上的概念であって、『仏教における空(くう、梵: śūnyatā , シューニャター、巴: suññatā, スンニャター)とは、固定的実体もしくは「我」のないことや、実体性を欠いていることを意味する。空は時代や学派によっていくつかの概念にまとめられるが、その根本的な部分ではほぼ変わらず、いずれも「縁起を成立せしめるための基礎状態」を指している』(ウィキに拠る)とあって、更に、大谷大学/大谷大学短期大学部公式サイトの「生活の中の仏教用語」にある一郷正道(いちごうまさみち)教授の「くう)によれば「空」とは、『仏教思想において最も重要な教えの一つである。空は無と有、否定と肯定の両方の意味をもつが、世間では「から、あき、むなしい」等の意味で把握され、「無」の面だけが強調される傾向にある』。『「空」は梵語「シューニャ」の訳語で、よく「無」とも漢訳される。しかし、その語根「シュヴィ」は「膨れる、成長する」の意味をもつ。たとえばサッカーボールは、外面的に膨らんでいても、内面的には空(から)の状態である。数字のゼロも、その原語は「シューニャ」である。ゼロは、+(プラス)、-(マイナス)両方になる可能性をもつ。我々人間という個的存在も、肉体、精神の諸要素から成る点では「膨らんだもの」であるが、一方、芯となる自己の本質、我(が)を見出せない点からすれば「うつろな、非実体的存在」である。禅者は、その「空」を象徴的に円で表現するが、単に、非存在、空白だけを意味すると誤解してはならぬ』。『インドに二~三世紀頃在世し、『般若経』を中心に空の哲学を大成したナーガールジュナ(龍樹)は、縁起思想にもとづいて「空」を理解した。「此れあれば彼あり、此れ生ずれば彼生ず・・・・・・」という成句に示される縁起の意味は、ものはすべて、なんらかの他に依存して存在する相対的なものでしかないこと、絶対的存在は決してありえないことを教える。この絶対的、実体的存在(自性(じしょう))が無いことを「空」というすべては空であって、夢・幻の如きものである。本来、聖でも俗でもないものを、聖とか俗とか判断するのは、私の心の区別、分別作用である。聖も俗も言語上の区別にすぎず、空という点では両者は不二である』。『ものは、すべて、縁起の理論で無と否定されるが、否定されて無に帰してしまうのでなく、そのまま、縁起的には有として肯定される、という両面をもった存在である』。『そうであれば、自己主張の真・正・善性を標榜し、他を排除するところに闘争がくりかえされる現代の世相を思うに、絶対性を否定し、執着からの解放を教える「空」の考え方こそ、顧みられるべきでなかろうか』とある(下線やぶちゃん)。この一郷先生の解説からも、「空」は「エーテル」のような何らかの介在伝達物質或いは存在生成「元素」ではないことがよく判る。やはりハーンの“Ether”という訳語は私は相応しくないと考えるものである。但し、当時の英語圏向けの読者へのハーンの解説としては、深慮熟考して選び出した英訳で、分かりは良かったものとは思われる。因みに、平井呈一氏も『気』と訳しておられる。個人的には意訳でよいから「空」とすべきであると私は思う。

「私の日本人の伴侶」無論、この年末の明治二三(一八九〇)年十二月に松江で結婚した小泉セツ(節子)のことを指す。本書が実際に執筆されたのは共時的ではなく、翌明治二十四年八月以降で、刊行に至っては実見から四年後の明治二七(一八九四)年九月のことであった。

「二寸」六・〇六センチメートル。

「十二尺乃至十四尺」三・六四~四・二四メートル。]

 

 

Sec. 4

Before us rises a hill, with a broad flight of stone steps sloping to its summit, between foliage of cedars and maples. We climb; and I see above me the Lions of Buddha waiting—the male yawning menace, the female with mouth closed. Passing between them, we enter a large temple court, at whose farther end rises another wooded eminence.

And here is the temple, with roof of blue-painted copper tiles, and tilted eaves and gargoyles and dragons, all weather-stained to one neutral tone. The paper screens are open, but a melancholy rhythmic chant from within tells us that the noonday service is being held: the priests are chanting the syllables of Sanscrit texts transliterated into Chinese—intoning the Sutra called the Sutra of the Lotus of the Good Law. One of those who chant keeps time by tapping with a mallet, cotton- wrapped, some grotesque object shaped like a dolphin's head, all lacquered in scarlet and gold, which gives forth a dull, booming tone— a mokugyo.

To the right of the temple is a little shrine, filling the air with fragrance of incense-burning. I peer in through the blue smoke that curls up from half a dozen tiny rods planted in a small brazier full of ashes; and far back in the shadow I see a swarthy Buddha, tiara-coiffed, with head bowed and hands joined, just as I see the Japanese praying, erect in the sun, before the thresholds of temples. The figure is of wood, rudely wrought and rudely coloured: still the placid face has beauty of suggestion.

Crossing the court to the left of the building, I find another flight of steps before me, leading up a slope to something mysterious still higher, among enormous trees. I ascend these steps also, reach the top, guarded by two small symbolic lions, and suddenly find myself in cool shadow, and startled by a spectacle totally unfamiliar.

Dark—almost black—soil and the shadowing of trees immemorially old, through whose vaulted foliage the sunlight leaks thinly down in rare flecks; a crepuscular light, tender and solemn, revealing the weirdest host of unfamiliar shapes—a vast congregation of grey, columnar, mossy things, stony, monumental, sculptured with Chinese ideographs. And about them, behind them, rising high above them, thickly set as rushes in a marsh-verge, tall slender wooden tablets, like laths, covered with similar fantastic lettering, pierce the green gloom by thousands, by tens of thousands.

And before I can note other details, I know that I am in a hakaba, a cemetery—a very ancient Buddhist cemetery.

These laths are called in the Japanese tongue sotoba. [1] All have notches cut upon their edges on both sides near the top-five notches; and all are painted with Chinese characters on both faces. One inscription is always the phrase 'To promote Buddhahood,' painted immediately below the dead man's name; the inscription upon the other surface is always a sentence in Sanscrit whose meaning has been forgotten even by those priests who perform the funeral rites. One such lath is planted behind the tomb as soon as the monument (haka) is set up; then another every seven days for forty-nine days, then one after the lapse of a hundred days; then one at the end of a year; then one after the passing of three years; and at successively longer periods others are erected during one hundred years.

And in almost every group I notice some quite new, or freshly planed unpainted white wood, standing beside others grey or even black with age; and there are many, still older from whose surface all the characters have disappeared. Others are lying on the sombre clay. Hundreds stand so loose in the soil that the least breeze jostles and clatters them together.

Not less unfamiliar in their forms, but far more interesting, are the monuments of stone. One shape I know represents five of the Buddhist elements: a cube supporting a sphere which upholds a pyramid on which rests a shallow square cup with four crescent edges and tilted corners, and in the cup a pyriform body poised with the point upwards. These successively typify Earth, Water, Fire, Wind, Ether, the five substances wherefrom the body is shapen, and into which it is resolved by death; the absence of any emblem for the Sixth element, Knowledge, touches more than any imagery conceivable could do. And nevertheless, in the purpose of the symbolism, this omission was never planned with the same idea that it suggests to the Occidental mind.

Very numerous also among the monuments are low, square, flat-topped shafts, with a Japanese inscription in black or gold, or merely cut into the stone itself. Then there are upright slabs of various shapes and heights, mostly rounded at the top, usually bearing sculptures in relief. Finally, there are many curiously angled stones, or natural rocks, dressed on one side only, with designs etched upon the smoothed surface. There would appear to be some meaning even in the irregularity of the shape of these slabs; the rock always seems to have been broken out of its bed at five angles, and the manner in which it remains balanced perpendicularly upon its pedestal is a secret that the first hasty examination fails to reveal.

The pedestals themselves vary in construction; most have three orifices in the projecting surface in front of the monument supported by them, usually one large oval cavity, with two small round holes flanking it. These smaller holes serve for the burning of incense-rods; the larger cavity is filled with water. I do not know exactly why. Only my Japanese companion tells me 'it is an ancient custom in Japan thus to pour out water for the dead.' There are also bamboo cups on either side of the monument in which to place flowers.

Many of the sculptures represent Buddha in meditation, or in the attitude of exhorting; a few represent him asleep, with the placid, dreaming face of a child, a Japanese child; this means Nirvana. A common design upon many tombs also seems to be two lotus-blossoms with stalks intertwined.

In one place I see a stone with an English name upon it, and above that name a rudely chiselled cross. Verily the priests of Buddha have blessed tolerance; for this is a Christian tomb!

And all is chipped and mouldered and mossed; and the grey stones stand closely in hosts of ranks, only one or two inches apart, ranks of thousands upon thousands, always in the shadow of the great trees. Overhead innumerable birds sweeten the air with their trilling; and far below, down the steps behind us, I still hear the melancholy chant of the priests, faintly, like a humming of bees.

Akira leads the way in silence to where other steps descend into a darker and older part of the cemetery; and at the head of the steps, to the right, I see a group of colossal monuments, very tall, massive, mossed by time, with characters cut more than two inches deep into the grey rock of them. And behind them, in lieu of laths, are planted large sotoba, twelve to fourteen feet high, and thick as the beams of a temple roof. These are graves of priests.

 

1 Derived from the Sanscrit stupa.

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