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2015/08/02

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第一章  私の極東に於ける第一日 (五)

       五

 

 ここに北齋畫中の人物が往來してゐる。蓑笠をかぶり、草鞋をつけて、風と日に色赭くなつて、四肢を露はした百姓。それから忍耐強い顏をした母達が、微笑んだ裸坊主の赤ちやんを背に負ひ、下駄(騷騷しい音のする、高い木製の下駄)を穿いて、ちよこちよこ歩いて行く。數へきれぬ不可思議な商品の間に坐つて、小さな眞鍮の煙管で、煙草吸ひ乍ら、商人らしいゆつたりした服を着けた商店の人々。

 それから私は人々の足が細くて恰好のよいことに氣がつく――百姓の褐色の裸色も、小さな小さな下駄をつけた子供の美しい足も、雪のやうな足袋を穿いた若い娘の足も。指狀をなせる白い足袋は、細く輕やかな足に、神話的の趣――牧神婦の足の白い裂けた美――を與へる。足袋をつけても、露はであつても、日本人の足には古代的均整がある。西洋人の足を畸形にした、憎むべき靴によつて歪められてゐないから。

 日本の下駄は一對毎に、それぞれ歩く人によつて、クリングといふ音がクラングといふ音と相異る位、少々異つた音を發する。だから、跫音の響には、音調の交互的な拍子がある。停車場のやうな舗道の上では、これが非常によく響いてくる。して、群衆が故意に歩調を整へることがある。すると、最も可笑しい、のろのろした木質の音となる。

 

[やぶちゃん注:私は何時読んでも、この短い、ハーンの視覚と聴覚によるすこぶる幻想的な足への真正の美学としてのフェティシズムに、ふっと気を失いそうになるようなエクスタシーを感ずるのを常としている。「チョッパリ」以前にこんな不思議に美しい感覚があったのだなぁ……

「牧神婦」原文“fauness”。通常の英和辞典では出てこない。ファウヌスは古代ローマの森の半人半獣(一般には上半身が人で下半身が山羊)の精霊。ギリシア神話のパーンやサテュルスのイメージの方が馴染み深いか。]

 

Sec. 5

Here are Hokusai's own figures walking about in straw raincoats, and immense mushroom-shaped hats of straw, and straw sandals—bare-limbed peasants, deeply tanned by wind and sun; and patient-faced mothers with smiling bald babies on their backs, toddling by upon their geta (high, noisy, wooden clogs), and robed merchants squatting and smoking their little brass pipes among the countless riddles of their shops.

Then I notice how small and shapely the feet of the people are—whether bare brown feet of peasants, or beautiful feet of children wearing tiny, tiny geta, or feet of young girls in snowy tabi. The tabi, the white digitated stocking, gives to a small light foot a mythological aspect— the white cleft grace of the foot of a fauness. Clad or bare, the Japanese foot has the antique symmetry: it has not yet been distorted by the infamous foot-gear which has deformed the feet of Occidentals. Of every pair of Japanese wooden clogs, one makes in walking a slightly different sound from the other, as kring to krang; so that the echo of the walker's steps has an alternate rhythm of tones. On a pavement, such as that of a railway station, the sound obtains immense sonority; and a crowd will sometimes intentionally fall into step, with the drollest conceivable result of drawling wooden noise.

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