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2015/09/29

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十一章 杵築のことゞも (七)

        七

 

 だが、出雲で夜間に、歩き廻はると信ぜられでゐる像は、唐金の馬だけではない。少くとも他に同樣の凄い性癖を有するものと、思はれてゐる藝術的作品が二十位もある。杵築の拜殿の入口の上に蟠屈する龍の彫刻は、夜間屋根を匍匐ひ廻つたといふことだ――たうとう大工に命じて、その咽喉を鑿で切らせた。それからは龍が徘徊を止めた。その咽喉の鑿痕は、誰の目にもありありと見える!松江の壯麗な春日神社には、牝牡二個の等身大の立派な鹿がある。その頭だけは別に鑄造して、あとから巧みに胴へ打付けたもののやうに私に思はれた。が、私はある親切なる田舍人から、もとは一つの完全な鑄像であつたが、後に及んで、夜間靜かにしておく爲めに、頭を切斷せねばならなくなつたのだといふことを告げられた。しかしこの種の薄氣味のわるい仲間の内で、夜間出逢つて最も凄いのは、松平家代々の瑩域たる松江の月照寺境内の奇怪なる龜であつたらう。この石の巨像は長さ殆ど一丈七尺で、頭を六尺も地上からあげてゐる。その今では破碎せる背面には高さ約九尺の大きな立體の一本の石に、半ば消滅せる碑文を書いたのが立つてゐる。出雲の人々が想像してゐたやうに、この墓地の悪夢が、夜半動き出して、附近の蓮池で泳がうとするのを想像して見るがよい!さて、この怖ろしい脱線的行動のために、龜の像は遂に折らねばならなかつたと傳へられてゐる。しかし實際で見ると、たゞ地震で壞はれたに過ぎないかのやうになつてゐる。

 

[やぶちゃん注:ここに出る龍と鹿の話は現在のネット上には不思議なことに見当たらない。

「瑩域」「えいいき」と読み、墓所のこと。

「月照寺」松江市外中原町にある浄土宗歓喜山(かんきさん)月照寺。ウィキの「月照寺松江市)によれば(アラビア数字を漢数字に代えた)、『この地には洞雲寺(とううんじ)という禅寺があった。永く荒廃していたが、松江藩初代藩主・松平直政は生母の月照院の霊牌安置所として、一六六四年(寛文四年)に、この寺を再興した。浄土宗の長誉を開基とし、「蒙光山(むこうさん)月照寺」と改めた』。『直政は一六六六年(寛文六年)に江戸で死去したが、臨終の際に「我百年の後命終わらば此所に墳墓を築き、そこの所をば葬送の地となさん」と遺した。二代藩主・綱隆は父・直政の遺命を継ぎ境内に直政の廟所を営んだ。この際に山号を現在の「歓喜山」と改めた。以後、九代藩主までの墓所となった』(松江藩は十代松平定安まで)。『茶人藩主として著名な七代藩主・不昧の廟門は松江の名工・小林如泥の作によるとされ、見事な彫刻が見られる。境内には不昧お抱えの力士であった雷電爲右衞門の碑がある。また、不昧が建てた茶室・大円庵がある』。『一八九一年(明治二十四年)、松江に訪れた小泉八雲はこの寺をこよなく愛し、墓所をここに定めたいと思っていたそうである』。以下、ちゃんと「大亀伝説」の項があり写真も掲げられてある。『六代藩主・宗衍』(むねのぶ 享保一四(一七二九)年~天明二(一七八二)年 第七代松平 不昧治郷(はるさと)の実父)『の廟所にある寿蔵碑の土台となっている大亀は、夜な夜な松江の街を徘徊したといわれる。下の蓮池にある水を飲み、「母岩恋し、久多見恋し…」と、町中を暴れ回ったという。この伝説は八雲の随筆『知られざる日本の面影』で紹介されている。この「母岩、久多見」とはこの大亀の材料となった石材の元岩とその産地のことである。不昧は三十キロ西方の出雲市久多見町の山中より堅牢で緑色の美しい久多見石を材料として選ぶが、この岩はかつてクタン大神(出雲大社に功有りとし本殿おにわ内にクタミ社として単独社を設けられ祀られる神)が逗留したとされる神石で、切り出しや運搬には難儀を極めたようでもある。こうした神威を恐れた不昧公はお抱えの絵師に延命地蔵像を描かせ、残った岩に線刻し崇めている。この延命地蔵は不昧にあやかり「親孝行岩」として現在も信仰されている。 現在ではこの大亀の頭を撫でると長生きできると言われている』とある(下線やぶちゃん)。

「一丈七尺」五・一五メートル。

「六尺」一・八メートル。

「九尺」二・七メートル。

「龜の像は遂に折らねばならなかつたと傳へられてゐる。しかし實際で見ると、たゞ地震で壞はれたに過ぎないかのやうになつてゐる」現在はちゃんと繋がっている。修復されたものらしい。]

 

 

Sec. 7

The Horse of Bronze, however, is far from being the only statue in Izumo which is believed to run about occasionally at night: at least a score of other artistic things are, or have been, credited with similar ghastly inclinations. The great carven dragon which writhes above the entrance of the Kitzuki haiden used, I am told, to crawl about the roofs at night—until a carpenter was summoned to cut its wooden throat with a chisel, after which it ceased its perambulations. You can see for yourself the mark of the chisel on its throat! At the splendid Shinto temple of Kasuga, in Matsue, there are two pretty life-size bronze deer, -stag and doe—the heads of which seemed to me to have been separately cast, and subsequently riveted very deftly to the bodies. Nevertheless I have been assured by some good country-folk that each figure was originally a single casting, but that it was afterwards found necessary to cut off the heads of the deer to make them keep quiet at night. But the most unpleasant customer of all this uncanny fraternity to have encountered after dark was certainly the monster tortoise of Gesshoji temple in Matsue, where the tombs of the Matsudairas are. This stone colossus is almost seventeen feet in length and lifts its head six feet from the ground. On its now broken back stands a prodigious cubic monolith about nine feet high, bearing a half-obliterated inscription. Fancy—as Izumo folks did—this mortuary incubus staggering abroad at midnight, and its hideous attempts to swim in the neighbouring lotus- pond! Well, the legend runs that its neck had to be broken in consequence of this awful misbehaviour. But really the thing looks as if it could only have been broken by an earthquake.

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