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2015/09/17

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第九章 子供の精靈の――潜戸 (三)

 

          三

 天空は世界の果てまでも靑く澄み渡つて、微かな東風がやつと海に皺を刻むほどではあるが、たしかに『髮の毛三本を動かす』だけ位ではない。然し船頭の男女とも心配さうな風に見えないので、私は有名な禁制も神話ではないかと疑ひ出した。透徹つた海水があまりに愉快さうだから、灣を出ない内に私は飛び込んで、舟の後方から泳いで行くといふ誘惑に從はざるを得なかつた。舟へまた攀ぢ上つた時には、右方の岬を廻はる處であつた。して、この小舟は搖ぎ出した。こんな弱い風でも、海は長いうねりをして動いて居る。陸が西の方へ走つてゐるのについて、外洋へ出ると、私が見た中で最も凄い海岸の一つの沖で、墨の如く黑い深海の上を走りつゝあつた。

 暗黑で鐡色な絶壁のすさまじい線が、沙濱はなくて直ちに海となつてゐる處から聳えて、しかも頂上から下には一點の綠色も無い。この怖ろしい壁面に沿ふて、彼處此處に奇怪な突出や、罅隙や、地震の割れ目や、轉倒した處がある。すばらしい粉碎のために、天空ヘ向け擲げ上げられた地層が線を顯したり、或は地層が海中へ突入して、長さ數哩に亘つて立體形の絶壁が顚落してゐる。想像もつかぬ形の穴の前に、巨大な岩塊がすべて凶相猛狀を呈して、深淵から立上つてゐる。して、今日は風が息を抑へてゐるらしいが、白浪は絶壁の遙か上まで打ち上げて、碎けた岩面へ泡沫を投げつけてゐる。私共は沖に遠く離れてゐるから、磯浪の雷音を耳にしない。然しその凄い稻妻の光は、充分に髮の毛三本の話を説明する。成る程、荒天の日に於て、この妖怪の如き海岸一帶では、どんな強い游泳家でも、どんな堅牢な船でも、助かる見込はあるまい。何處にも足がかり、手がかりの場所はない。たゞ鐡壁に向つて暴ばれ狂ふ海があるばかりだ。今日でさへ、最も微弱な風の呼吸の下にも、大きなうねりがざんぶざんぶと舷側に當つては、私共に飛沫を浴びせる。して、二時間といふ長い間、この壁岩で睨めつけるやうな顏をした海岸が、舟の側に屹然としてゐて、進むにつれて、岩礁がぐるりに黒い齒の如くに現れる。して、始終遠い彼方には執念深き斷崖の脚下に碎けた浪の泡が光つてゐる。しかしうねりが通る際に漣を起したり、水を撥たりする音と、櫓杭の上で軌る單調な櫓の響の外、何等の音もない。

 たうとう大きな綺麗な灣が見えた。薄綠色の丘陵が半月形をして連つて、遙かに靑い山脈がその上に聳えてゐる。灣の最遠の一地點に小村があつて、その前面に多數の船が碇泊してゐる。これが加賀浦なのだ。

 が、私共はまだ加賀浦へは行かない。潜戸(くけど)は其處ではない。灣の廣い口を横切つて、凄い懸崖は更に半哩ほどついて行つて、それから露出した閻王岩の高い岬に向つた。岬の威嚇する如き麓に沿ふて行つてその横を通りぬけると、忽然、一角に何くべき洞孔の半圓形の目が開いてゐる。洞孔は廣く高く且つ充分明るく、床は無くて、海である。中へ入ると、二丈も下の岩礁が見える。海水が空氣の如く明澄だ。これを新潜戸といふのだ。しかも人間の歷史よりは十萬年も古いに相違ない。

    譯者註。ヘルン先生は夏を愛し、水
    泳を好み、水泳に巧みであつた。美
    保の關の海水浴場などでは、漁師達
    もその上手なのに感服してゐた。海
    豚さへ居ない海ならば、半日でも沖
    の方で游いで居ることが出來ると、
    譯者に語られたこともあつた。たし
    かに加賀浦への舟行には、海は幾多
    の誘惑を與へた。先づ舟が御津浦を
    出でると、飛び込んで舟について泳
    いで行つた。潜戸の洞内の蒼淵は非
    常な衝動を與へたが、舟人の諫止で
    思ひとゞまらざるを得なかつたのは、
    頗る御不平であつたと、當時同行さ
    れた小泉夫人は思ひ出話をされたこ
    とがある。

[やぶちゃん注:「透徹つた」老婆心乍ら、「すきとほつた(すきとおった)」と読む。

「灣」御津浦。

「彼處此處」通常は「此處彼處」(此処彼処)の順で「ここかしこ」と読むが、この語順ではそうは読めない。字をそのままに読もうとするなら、「かしこここ」はどう考えても変だから「ここあそこ」或いは「そこここ」とはなろうか。しかし、これは実は落合氏の書き癖で「ここかしこ」のつもりでこう書いてしまったものかも知れない。取り敢えず緊急避難として私は「ここかしこ」と訓じておく

「罅隙」「かげき」と読む。裂け目。割れ目。亀裂。罅(ひび)割れた隙き間である。例によってこの辺り、例の落合氏特有の佶屈聱牙な表現が畳み掛けられるのであるが、寧ろ、不思議にこのシークエンスでは、それがまさにハーンが述べる如く、もの「凄い」剥き出しの断崖絶壁、崩落ガレ場をリアルに描出して、美事に成功しているように感じられる。

「數哩」一マイルは約一・六一キロメートルであるから、凡そ十キロメートルほどか。試みに御津浦湾奧から加賀の潜戸までの海岸線を地図上で辿って計測してみると、十一キロメートルほどになるから、ハーンの描写からは御津浦の湾口付近(湾奥から一キロ強はある)から潜戸までのことをここでは述べていると考えられるから、非常に正確である。後に本箇所を書く際に地図上で確かめたものかとも思われる。

「凶相猛狀」原文は“nightmarish shapes”で、「悪夢のような形」「夢魔に魘されているかのような印象の形状」であるが、この一見、造語的に見える「凶相猛狀」と云う語句はこれまたその物凄さを伝えて慄っとするほど素敵な訳と感ずる。但し、これは凶悪な様子を意味する「凶相」と「猛狀」をたまたま繋げたものであって、「猛狀」はネットで調べて見ると、精神医学や内科学の用語で、広く、見た目の「激しい症状」や実際の「荒れのひどい状態」の意として用いらているようなので、造語というには当たらないと考えている。

「漣」老婆心乍ら、「さざなみ」と読む。

「撥たりする音」老婆心乍ら、「撥たり」は「はねたり」と読む。

「櫓杭」「ろぐひ(ろぐい)」と読む。「艪杭」とも書き、和船にあって艫(とも:船尾)の櫓床(ろどこ)に出っ張っている小突起のこと。櫓の入れ子(孔)をこれに嵌めて、櫓を漕ぐ際の支点とする。私には「櫓臍(ろべそ)」の方が馴染みが良い。

「軌る單調な櫓の響」「軌る」が読めない。「軌」には動詞として「したがう」「寄る」ぐらいの意味しかなく、「よる」ではおかしく、そもそもここの前後部分は原文が“and the monotonous creaking of the sculls upon their pegs of wood.”で、“creaking”が訳の相当箇所に当たるが、“creak”は自動詞で「きしる」「キーキーという音を出す」の意である。私はこれは正直、「軋る」の誤植ではないかと疑っている。なお、平井呈一氏は『櫓べその上で櫓のきしる単調な音』と、まさに私好みの訳をなさっておられる。

「半哩」「はんマイル」。一マイルは千六百九メートルであるから、その半分で八百四メートル弱となる。地図上で見ると加賀浦の湾が湾として見え始めるのは沖の馬島(まじま)と陸地に近い栗島の間辺りではないかと思われ(馬島の沖を通ると明らかに波が荒くなると推定される)、その辺り(馬島と栗島の間)から加賀の潜戸までは凡そ八百十五メートルを計測するからハーンの謂いは正しいと言える。

「閻王岩の高い岬に向つた。」潜戸の西北二百メートルほどのところにある潜戸鼻(くけどのはな)のことか。しかし「閻王岩」は不詳。ネット検索をする限り、少なくとも検索現在は潜戸の近くにこのような固有名詞の岩はないようである。しかしこれ、原文を見るとfinally make for a lofty promontory of naked Plutonic rock.となっていて、これは――最後に、裸の冥界の王(閻魔大王)みたような岩の高く抜きん出た鼻(岬)に向う――の意であって、単にハーンがその形及び潜戸の引き起こすイメージの影響下に於いて印象した表現であって固有名詞ではないと私は読む。実際、平井氏の訳を見ると、『やがて、裸の閻魔みたいな高い岩のはない着く』と訳しておられる。実際に現地に「閻王岩」或いは閻魔岩なるものがあるのであれば、是非とも御教授戴きたい。

「二丈」六・〇六メートル。

「新潜戸」「しんくけど」と読む。既注

「人間の歷史よりは十萬年も古いに相違ない」信頼出来る学術的資料によれば、島根半島は新生代中新世(約二千三百万年前から約五百万年前までの期間)の中頃である千四百万年前には総てが海底にあった。その後、この加賀の潜戸附近では、丁度そこあった巨大な海底火山が活発に活動し、島嶼化から陸繋島、そして半島状になったと推定されている。因みに加賀の潜戸は典型的な海食洞である。現在の知見では、人類の誕生は現時点で化石人類(猿人)中、最も古いとされているのがエチオピアに棲息していたアルディピテクス属(哺乳綱霊長(サル)目真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト亜族アルディピテクス属Ardipithecus 。現在のところ同属には、アルディピテクス・ラミドゥス Ardipithecus ramidus 及びそれ以前に棲息していたと考えられる異種アルディピテクス・カダッバ Ardipithecus kadabba の二種がいる)で、アルディピテクス属の誕生は約五百八十万年前から約四百四十万年前(中新世末期のメッシニアン中期から鮮新世初期のザンクリアン初期)までしか遡れないから(ここまでのアルディピテクス属についてはウィキアルディピテクス属に拠った)、ハーン先生、ここはもっともっと気前よく――数百万年も古い――と言ってよかったのです!

「海豚さへ居ない海ならば、半日でも沖の方で游いで居ることが出來ると、譯者に語られたこともあつた」ハーン先生、意外や意外、イルカが嫌いだった!?! なお、紹介が遅れてしまったが、訳者について述べておく。

   *

落合貞三郎(おちあいていざぶろう 明治八(一八七五)年~昭和二一(一九四六)年:パブリック・ドメイン)は英文学者で郷里島根県の松江中学及び東京帝大に於いてラフカディオ・ハーン/小泉八雲に学んだ。卒業後はアメリカのエール大学、イギリスのケンブリッジ大学に留学、帰国後は第六高等学校、学習院教授を勤めた(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。

   *

則ち、落合氏はまさに純粋培養に近いハーン/八雲の教え子であったのである。

「潜戸の洞内の蒼淵は非常な衝動を與へたが、舟人の諫止で思ひとゞまらざるを得なかつたのは、頗る御不平であつたと、當時同行された小泉夫人は思ひ出話をされたことがある」このシークエンスは実際に次章でリアルに細かく描出されるが、これは漁師が海食洞に流入流出する海水の中深層での海水の激しい勢いを経験的に知っていること以外に、加賀の潜戸という冥界との境界域での民俗的な危うさや禁忌があってのことであろう。また、この落合氏の註があることによって、少なくともこの潜戸参りの折りは妻セツ(事実婚らしい。「八雲会」の「松江時代の略年譜」によれば、この半月程前の八月十四日に『セツと伯耆へ新婚旅行に出る』とある)が同行していたことがここで初めて判るのである。 

 

Sec. 3

The day is clear blue to the end of the world, with a faint wind from the east, barely enough to wrinkle the sea, certainly more than enough to 'move three 
hairs.' Nevertheless the boatwoman and the boatman do not seem anxious; and I begin to wonder whether the famous prohibition is not a myth. So delightful the transparent water looks, that before we have left the bay I have to yield to its temptation by plunging in and swimming after the boat. When I climb back on board we are rounding the promontory on the right; and the little vessel begins to rock. Even under this thin wind the sea is moving in long swells. And as we pass into the open, following the westward trend of the land, we find ourselves gliding over an ink-black depth, in front of one of the very grimmest coasts I ever saw.

A tremendous line of dark iron-coloured cliffs, towering sheer from the sea without a beach, and with never a speck of green below their summits; and here 
and there along this terrible front, monstrous beetlings, breaches, fissures, earthquake rendings, and topplings-down. Enormous fractures show lines of strata pitched up skyward, or plunging down into the ocean with the long fall of cubic miles of cliff. Before fantastic gaps, prodigious masses of rock, of all nightmarish shapes, rise from profundities unfathomed. And though the wind to-day seems trying to hold its breath, white breakers are reaching far up the 
cliffs, and dashing their foam into the faces of the splintered crags. We are too far to hear the thunder of them; but their ominous sheet- lightning fully explains to me the story of the three hairs. Along this goblin coast on a wild day there would be no possible chance for the strongest swimmer, or the stoutest boat; there is no place for the foot, no hold for the hand, nothing but the sea raving against a precipice of iron. Even to-day, under the feeblest breath imaginable, great swells deluge us with spray as they splash past. And for two long hours this jagged frowning coast towers by; and, as we toil on, rocks rise around us like black teeth; and always, far away, the foam-bursts gleam at the feet of the implacable cliffs. But there are no sounds save the lapping and plashing of passing swells, and the monotonous creaking of the sculls upon their pegs of wood.

At last, at last, a bay—a beautiful large bay, with a demilune of soft green hills about it, overtopped by far blue mountains—and in the very farthest point of 
the bay a miniature village, in front of which many junks are riding at anchor: Kaka-ura.

But we do not go to Kaka-ura yet; the Kukedo are not there. We cross the broad opening of the bay, journey along another half-mile of ghastly sea-precipice, 
and finally make for a lofty promontory of naked Plutonic rock. We pass by its menacing foot, slip along its side, and lo! at an angle opens the arched mouth 
of a wonderful cavern, broad, lofty, and full of light, with no floor but the sea. Beneath us, as we slip into it, I can see rocks fully twenty feet down. The water is clear as air. This is the Shin-Kukedo, called the New Cavern, though assuredly older than human record by a hundred thousand years.

 

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