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2015/09/01

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (五)

        五

 

 手を拍つ音が歇んで、一日の仕事が始まり出だす。からからと下駄の音が、漸次高く響いてくる。大橋の上で下駄の鳴る音は、何うしても忘れられない――速くて、陽氣で音樂的で、盛んな舞踏のやうだ。實際また舞踏だ。みんなが爪先で歩んで行く。朝日の射した橋上を通る數へきれぬ人の足が、ちらちらするのは驚くべき光景だ。その足は皆細くて、恰好が均齊を得て、希臘の古甕に描いた人物の足のやうに輕やかで、して、足を運ぶとき、指を先きに下ろす。實際下駄では外に仕樣がない――それは腫は下駄にも着かねば、地にも着かないし、足は楔形の木の臺を前に傾けては進むのだから。單に一足の下駄の上に立つだけでも、慣れぬ者に取つては困難であるのに、日本の子供は三寸もある臺の下駄を履いて、拇指と他の四本の指の間に挾んだる前緒だけで足に固定させて、全速力を出して馳せて行く。しかも躓きもしないし、下駄もまた外づれない。更に珍らしいのは、大人が木履で歩行く光景である。これは木のに高さ五寸もある齒が附いて、全體の構造は木製長椅子の漆塗りの標本かと思はれるほどだ。それでも、そのものを履いた人は、全く何も足に着けてゐないかのやうに、樂々と濶歩する。

 やがて學校へ急ぐ子供達が出でてくる。彼等の駈るとき、綺麗な飛白の着物の澗い袖が波動すると、大きな蝶が羽搏をするやうに見える。親船は白色や黃色の大きな翼を擴げるし、埠頭の側で夜中睡つてゐた小蒸汽船は煙筒から煙を吐き始める。

 對岸の埠頭に繫げる湖水通ひの小蒸汽船が、今しもその汽笛を開いて、最も異樣な、耳を劈くやうに猛烈な叫聲を發した。その聲を聞くと、誰も笑ふ。他の小蒸汽船は、皆たゞ悲しげな吼音を發するのみである。この船に限つて――反對派の會社の新造船で、近頃進水したもの――最も激しい敵意と挑戰を表した音を立てる。善良なる松江の人々は、始めてその音を聞いたとき、狼丸といふ適當な新名を附して、それを言ひ觸らした。

 

[やぶちゃん注:「歇んで」ここは状況から「やんで」と読んでいよう。

「三寸」九・〇九センチメートル。

「木履」これは下駄の意もあるが、ハーンは前に出した下駄と区別して出しており、実は原文はbokkuri or takagetaとなっているから、所謂、足駄(あしだ)である。雨の日などに履く高い歯の下駄で、歯は差し歯になっていて磨り減ると差し替える高下駄(たかげた)のことである。男物は歯が厚く、女物は薄い。雨、雪の日は爪革 (つまかわ) を掛ける。かつては旧制の高校生が好んで履き、「守貞漫稿」によると近世の上方には「足駄」の語がなく「高下駄」を使ったというと「大辞泉」にはある。それとは別に、この「木履」現行では「ぽくり」「ぽっくり」と読むと、女児用の駒下駄 (こまげた) の一つで、厚い台の底を刳り抜き、後ろを丸くして前部を前のめりにして漆を塗ったものをも限定的に指すが、ここでハーンはこれを総て「大人」が使用するとしているから、ここはこれではない。但し、読みは原文音写にある通り、「ぼくり」或いは「ぼっくり」と読みたい(平井氏は『木履(ぽくり』とルビするが従わない)。

「五寸」十五・一五センチメートル。

「飛白」老婆心乍ら、「かすり」と読む。

「親船は白色や黃色の大きな翼を擴げるし、埠頭の側で夜中睡つてゐた小蒸汽船は煙筒から煙を吐き始める」平井氏は『川では、そろそろ船が大きな白帆を上げはじめる。船着き場では、ひと晩眠っていた小蒸気船が煙突からけむりを吐きはじめる』とあって、平井氏の方が達意の訳と言える。大川の小さな渡し場専用の渡船と(後に、その中の大型の例外の宍道湖通いの――これは観光船も兼ねたものであろう――蒸気船をハーンは如何にもにがにがし気に語るのであるが、それはまず語らずに)、宍道湖に出漁せんとするそれらよりも相対的に大きな漁船(原文は“The junks”で実際に大型なのではなく、小蒸気に比べると大きいのである)を「親船」と称して(というより落合氏は訳して)対比しているのである。

「劈く」老婆心乍ら、「つんざく」と読む。「擘く」とも書く。

「他の小蒸汽船は、皆たゞ悲しげな吼音を發するのみである」「吼音」は音読みで「こうおん」と読むしかないが(「吠え声」の意)、例によって如何にも佶屈聱牙である。原文は“plaintive mooings”で「哀しげな鳴き声」であるが、平井氏はここを『ほかの小蒸汽船は、どれもみな、ただ悲しそうな汽笛を鳴らすだけなのに』と実に平易に訳しておられる。「吼音」という訳語は寧ろ、この場違いな近代資本主義の金儲けの権化を象徴する大型蒸気船の「最も異樣な、耳を劈くやうに猛烈な叫聲」たる耳を塞ぎたくなる汽笛の音にこそ、相応しいとは言えまいか? 平井氏はこの章の最後を『おとなしい松江の人たちは、この叫び声を聞いたときに、「オオカミ丸」という、いかにもその船に打ってつけの仇名をつけて、いいはやしたものだ』という美事な訳で締めくくっておられる。私はこれこそハーンの感性が松江の人々とシンクロしていることがよく感じられる名訳と思うのである。]

 

 

Sec. 5

The clapping of hands has ceased; the toil of the day begins; continually louder and louder the pattering of geta over the bridge. It is a sound never to be forgotten, this pattering of geta over the Ohashi -rapid, merry, musical, like the sound of an enormous dance; and a dance it veritably is. The whole population is moving on tiptoe, and the multitudinous twinkling of feet over the verge of the sunlit roadway is an astonishment. All those feet are small, symmetrical—light as the feet of figures painted on Greek vases—and the step is always taken toes first; indeed, with geta it could be taken no other way, for the heel touches neither the geta nor the ground, and the foot is tilted forward by the wedge-shaped wooden sole. Merely to stand upon a pair of geta is difficult for one unaccustomed to their use, yet you see Japanese children running at full speed in geta with soles at least three inches high, held to the foot only by a forestrap fastened between the great toe and the other toes, and they never trip and the geta never falls off. Still more curious is the spectacle of men walking in bokkuri or takageta, a wooden sole with wooden supports at least five inches high fitted underneath it so as to make the whole structure seem the lacquered model of a wooden bench. But the wearers stride as freely as if they had nothing upon their feet.

Now children begin to appear, hurrying to school. The undulation of the wide sleeves of their pretty speckled robes, as they run, looks precisely like a fluttering of extraordinary butterflies. The junks spread their great white or yellow wings, and the funnels of the little steamers which have been slumbering all night by the wharves begin to smoke.

One of the tiny lake steamers lying at the opposite wharf has just opened its steam-throat to utter the most unimaginable, piercing, desperate, furious howl. When that cry is heard everybody laughs. The other little steamboats utter only plaintive mooings, but unto this particular vessel—newly built and launched by a rival company—there has been given a voice expressive to the most amazing degree of reckless hostility and savage defiance. The good people of Matsue, upon hearing its voice for the first time, gave it forthwith a new and just name— Okami-Maru. 'Maru' signifies a steamship. 'Okami' signifies a wolf.

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