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2015/09/09

小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第七章 神國の首都――松江 (二〇)

       二〇

 

 屢々夜の街頭で、特に祭禮の夜、ある小さな小屋掛けの前を、全然無言で鑑賞し乍ら通つて行く群集の光景に、私共の注意は引かれるだらう。その小屋掛けを覗いて見る機會を得るや否や、私共はそこには唯だ敷個の花瓶に花の小莖、或は花樹から新たに剪つた、輕い優美な枝を插したのがあるばかりのことを發見する。それは單に小さな花の展覽會だ。或は一層正確に云へば、活花に於ける巧妙なる技倆の自由なる展覽だ。何となれば日本人は私共野蠻人がする如く、花だけを亂暴に切り取つて、それを集めて無意味な團塊にするのでない。彼等は自然を熱愛するから、そんなことをしない。彼等は花の自然の美は、いかに多くその背景と裝置如何に因り、その葉や幹に對する關係如何に因るものであるかを知つて居る。して、彼等は自然が作つたまゝの一本の優美な枝や莖を選擇する。門外漢なる外國人諸君は、最初は毫もかゝる展覽を理解しないだらう。かゝる點に關しては、諸君の周圍に立つて見てゐる日本の最も平凡な人夫に比してさへ、諸君はまだ野蠻人だ。が、諸君が未だこの簡單な小展覽會に對する一般的興味を不思議と思つて見てゐる内に、その美が諸君の上にも生じてくるだらう。一種の天啓となつてくるだらう。して、諸君の西洋的自己優越感にも關らず、諸君が從來西洋で見た一切の花瓣展覽會は、是等の簡素なる數莖の自然美と比すれば、怪醜畸形に過ぎなかつたといふことを悟つて、屈辱を感ずるだらう。諸君はまたいかに花の背後にある、白又は薄靑の屛風が、洋燈又は提燈の光によつて、花の效果を增してゐるかに氣が付くだらう。何故と云へば、屛風は植物の影の美しさを見せるといふ特別の目的を以て排列してあるからだ。して、その上に投ぜられた莖や花の影法師は、いかなる西洋の粧飾藝術家の想像よりも遙かに美しい。

 

[やぶちゃん注:このシークエンスも美しい。ここを読むと私は直ちにかつて二十三の時に訪れた神津島の墓地を思い出す。……神津島では誰の墓とも分からなくなった壊えた墓石に至るまで、毎日、美しい色とりどりの花を老婆たちが供えていた。……私は深夜に独り、その瑞々しい花々に包まれた墓地を訪ねた。……それは……不思議な……あの世の楽園……そのものであったのである……

ハーンが、自らを含めた――というよりハーンはこの語り出す時にもう「西洋人」であることをやめて「既にして心から日本人」になっているのである――文明的に優勢に進化したと自負している西洋人――特に欧米列強諸国の白人――をあろうことか――「野蠻人」“barbarians”と呼称している――点を見逃してはならない。

「粧飾藝術家」原文は“decorative artist”。「粧飾」は「しやうしよく(しょうしょく)」と読み、美しく装(よそお)うこと、飾ることで「装飾」に同じい。平井呈一氏は『装飾美術家』と訳しておられる。“decorative”(デコラティヴ)自体は元来、実用性よりも美的な要素を重視して飾るという意で、現行でも肯定的好意的或いはフラットな表現としても頻繁に用いるが、ここは無論、ごちゃごちゃがちゃがちゃと、けばけばしく五月蠅く、猥雑に飾り立てる、自称芸術家ども、という過激なアイロニーとしてハーンは用いている。]

 

 

Sec. 20

Often in the streets at night, especially on the nights of sacred festivals (matsuri), one's attention will be attracted to some small booth by the spectacle of an admiring and perfectly silent crowd pressing before it. As soon as one can get a chance to look one finds there is nothing to look at but a few vases containing sprays of flowers, or perhaps some light gracious branches freshly cut from a blossoming tree. It is simply a little flower-show, or, more correctly, a free exhibition of master skill in the arrangement of flowers. For the Japanese do not brutally chop off flower-heads to work them up into meaningless masses of colour, as we barbarians do: they love nature too well for that; they know how much the natural charm of the flower depends upon its setting and mounting, its relation to leaf and stem, and they select a single graceful branch or spray just as nature made it. At first you will not, as a Western stranger, comprehend such an exhibition at all: you are yet a savage in such matters compared with the commonest coolies about you. But even while you are still wondering at popular interest in this simple little show, the charm of it will begin to grow upon you, will become a revelation to you; and, despite your Occidental idea of self-superiority, you will feel humbled by the discovery that all flower displays you have ever seen abroad were only monstrosities in comparison with the natural beauty of those few simple sprays. You will also observe how much the white or pale blue screen behind the flowers enhances the effect by lamp or lantern light. For the screen has been arranged with the special purpose of showing the exquisiteness of plant shadows; and the sharp silhouettes of sprays and blossoms cast thereon are beautiful beyond the imagining of any Western decorative artist.

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