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« アリス10歳 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十三章 習慣と迷信(5)/第二十三章~了 »

2015/09/30

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二十三章 習慣と迷信(4)

 友人竹中は、私のもとめに応じて、夏体中に、下層階級の間に行われる迷信と習慣とを、いくつか集めて記録した。彼は時々、私が執筆出来ぬ程つかれていない時に、手帖から読んで聞かせる。日本人は迷信を意味する一般的な名を持っていないが、迷信的な人は「御幣かつぎ」と呼ばれる。「御幣」は神官が持つ、奇妙な形に切った紙で、「かつぐ」は持って歩くことを意味する。こんな品を持って廻る人は、迷信的だと見られるのである。

[やぶちゃん注:家のどこかに日本の迷信を総覧した本が何冊かあるはずなのだが、見当たらない。出てきたらまた、注を追加するかも知れない。悪しからず。

「竹中」宮岡恒次郎の実兄竹中成憲。既注であるが、再掲しておく。竹中成憲八太郎(元治元(一八六四)年~大正一四(一九二五)年)は明治八(一八七五)年に慶応義塾入学、次いで東京外語学校を経て、明治一三(一八八〇)年には東京大学医学部に入学、同二〇年に卒業後軍医を経て、開業医となった。実弟とともにモースやフェノロサの通訳や助手を務めた。以上は「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によるが、同書には竹中八太郎成憲の肖像写真が載る(二五八頁)。]

 

 人が死ぬと、死人の友人達は、通常、その家族に贈物をする。主として封筒に入れた金銭だが、この封筒の糸は赤と白とで無く、黒と白とでなくてはならぬ。赤は幸福の象徴で、幼児の衣服には必ず赤い糸か紐がついている。結び目は四角く結び、蝶結びその他の形であってはならぬ。封筒には普通「花のために」とか「線香のために」とか書く。線香は棒状の香である。然し、お金は何に使用しても差支えない。漆塗の器物に入れた、食品や菓子を持って行くこともある。受取った者はそれを出して皿にのせ、漆の箱には一回か二回折った一枚の紙、あるいはその紙の代りに薄い木片二個を入れる。これ等の供物は、死体がまだその家にある間か、又は葬式直後に於てなされる。家中が非常に悲しんでいる時や、死んだすぐ後だと、箱の中に紙を入れず、受取人はそれを注意深く清めるが、さもない時には、希は洗わずに返す。

[やぶちゃん注:私は後段のマナーについては見たことも聴いたこともない。識者の御教授を乞う。]

 

 仏教の僧侶が四十九日間、七日目ごとに来てお経をあげる。葬式が済むと、主人なり主婦なりが、会葬者のそれぞれに、小麦でつくった菓子を五つずつやり、三十五日たつと菓子九つをそれぞれの家に届ける。赤が幸福の表徴であることは前にいったが、祝日には赤い色をした飯を供する。貧乏の神様は、赤い御飯や黒い豆腐が嫌いなので、この悪神を追払うために、それ等の食物を神棚や床間にのせておく。

[やぶちゃん注:ネット検索では如何にもな道学風の働き者が嫌い、などという民俗学的につまらん記載が多いが、古里紅子氏の「まんが日本昔ばなし〜データベース〜」の「おいだせ貧乏神」のシノプシスによれば、越後国高田の貧乏神は自身で、『念仏』と正月十四日に『小豆粥を若木で焚いて出る煙が嫌いだ』と答えている(「国際日本文化研究センター」公式サイト内の私には重宝な「怪異・妖怪伝承データベース」の新潟県中頚城郡吉川町源での採話の「貧乏神」でも、一月七日に若木を山から戴いて参って同十四日に燃やして小豆を煮るが、これはその昔、貧乏な親爺が夜逃げをしたところが貧乏神がついてきたので話をしたところ、『貧乏神が生木を燃して小豆を煮るのが嫌いだと』答えたことによる、とあってほぼ完全に一致する)。「フジパン株式会社」公式サイト内の「民話の部屋」の香川県の民話に基づく節分と貧乏神では、やはり貧乏神の直話でともかくも増えるものが嫌いで、「豆腐とおからが一番好かん」と答え、「豆の一升でも煮たら余計増えるけに大嫌いじゃ」といったようなことを告白している。]

 

 それぞれの年には、特別な名がついている。今年(一八八二年)は馬の年である。閹牛(えんぎゅう)の年に生れた者は、十五歳以上になったら鰻を食つてはならぬ。父親が四十一歳の年に生れた子は、よい子と認められぬ。いうことを聞かぬ子になるというのである。かかる場合、親はその子を連れて友人の所へ行き、上の子を棄てるがひろってくれるかといい、往来へ置いておく。友人はそれをひろって家へ持って帰る。翌日親が、土産を持って友人を訪れ「私には子供が無い、あなたの子供をくれぬか」という。するとそれが行われるが、実は同じ子が返される迄の話で、而もこの莫迦げた真似をすることによって、その子は持って生れた悪運から解放されたことになる。この場合贈物は通常「鰹節」(材木みたいに固く乾した魚)で、これには例の熨斗(のし)をつけない。魚を贈る時にはすべて熨斗(紙を一種異様な形にたたみ、中に鮑(あわび)の乾した肉片を入れたもの)をつけない。鰻を食うことに関しては、十五歳以上の子供がそれを食えば、利口にもならず、出世もしないとされている。

[やぶちゃん注:「馬の年」「閹牛の年」には底本ではそれぞれ石川氏の「馬〔午〕の年」「閹牛の年〔丑〕」という割注が入っている。「閹牛」の「閹」は門番・刑罰として去勢された人・宦官の意で、平凡社「世界大百科事典」には、古くは去勢された牡馬を騸(せん)、去勢された牡牛を「閹牛(えんぎゅう)」と呼んだという記載が出て来た。「閹牛」自体はそんな意味だろうとは踏んでいたが、しかし!――十二支の「牛」は去勢されたの牛だったのね!――

 

 八月十五日(旧暦)、人は九月十三日までその場所にいなくてはならぬ。若し急用が起れば、立ち去つてもよいが、九月十三日にはそこへ帰って来ねばならぬ。これ等の日には、月に菓子を供えねばならぬ。毎月十五日、人は月を静視して、花と菓子を供えねばならぬ。一のつく日、即ち一日、十一日、二十一日には、木を伐ってはならぬ。二のつく日、即ち二日、十二日、二十二日には火の力が非常に強いから、リューマチスの反対刺戟材である艾(もぐさ)を、その熱が他日より強いというので使用する。三のつく日には庭の土を掘ってはならず、四のつく日には竹を切ってはならず、五のつく日には食料品――米、豆、すべての種子――を家へ持って帰ってはいけないし、米を買ってもいけない。六のつく日には井戸替えすべからず、七のつく日には知らぬ人を家へ招くべからず、八のつく日に婚礼の話をすると後で夫婦別れが起り、九のつく日に茄子(なす)を食うと縁起がいい。九月九日は九月も第九の月にあたるので特にいいとされ、この日には茄子の形をした徳利を使用する。十のつく日、即ち十日、二十日、三十日には便所の掃除をしてはならぬ。これ等の禁を犯すと、不幸か悪運かに見舞われる。

 

 大根を供する時には、必ず皿に二切をのせる。一切はヒトキリといい、一片を意味すると同時に「人切」を意味し、三切はミキレで、また「身切」を意味する。茄子その他の野菜類は大坂を除いては縦に切り、輪切りにしない。輪切りにすると残酷に見えるからである。

 

 二つで割り切れる数は運がいいとされているので、お菓子は二つに折った一枚の紙の上にのせて出され、また餅は、二、四、六、八その他の偶数で贈られる。

 

 塩をまくことは清浄化することと思われているので、偶然塩をこぼすと縁起がいいとされる。葬式から帰って来た人には召使いが塩を振りかける。

 

 眠る時には頭を南へ向けるのがよいとされる。人が危篤に陥ったり、あるいは死んだりした時には、頭を北向きにしなくてはならぬ。坐位で埋葬する時、死体はどっちを向いていてもよい。

 

 耳たぼの大きい人は、幸福な素質を持っていると見られる。

 

 足の人差指が拇指よりも長い人は、父親よりも高い位置を占める。長い舌や腕は泥棒のしるしである。

 

 左利きは、母親が赤坊に初めて着物を着せる時、左手と左腕とを先ず着物に通すことから起る。

 

 一度嚏(くさめ)をするのは、誰かが讃めているしるし、二度すれば女が惚れている、三度すれば誰かがほめるなりけなすなりしている、四度すれば風邪を引いたのだ。備前の国では、一回の嚏は嫌われたしるし、二回は好かれ、三回と四回は風邪を引いたことを示す。

 

 右の耳がかゆければいい事を聞く、左の耳なら悪い知らせ。婦人ではこれが反対である。

 

 灯火のしんに滓(かす)がたまれば誰か来る。油と灯心とが入っている浅い皿は、別の皿によって支えられるのだが、滓を下方の皿に入れることが出来れば、来訪者は贈物を持って来る【*】。

 

   * 同様な迷信が、米国や大英帝国に於

   て見出される。恐らくヨーロッパ大陸に

   もあるのだろう。

 

 烏が屋根にとまるのは、その家で誰かが死んだしるしである。

 

 夜、爪を切ってはならぬ、それは彼が狂人になるしるしである。

 

 御飯を着物や畳の上にこぼした子供は、それを食わぬと盲になる。

 

 腹切をしようとする人に飯を出すには、あたり前に出さず、飯槽の蓋をお盆に使用する。

 

 頭のかゆいのは幸福であるしるし、雲脂(ふけ)が落ちるのは理智のしるし。

 

 夏、すこし雷鳴がすれば、稲に危険な虫が沢山わく。

 

 ある人が貧乏に、不運になると、「アノシト ノウチ ワ ヒダリ マイ ニ ナル」という言葉を使用する。それは「あの家の人は着物を左にたたむ」というので、これは縁起の悪いこととされる。死体には着物を左たたみに着せる。

 

 病気、ことに痘瘡(ほうそう)を家に近づけぬには、馬の字を三つ紙に書き、それを戸口にはりつけると、非常にききめがあるとされる。また手に墨をつけ、それを紙に押したものを戸口につけても、この目的を達する。

 

 中禅寺では、鹿の胎児四匹が、炉の上にぶら下っているのを見た。それ等は煙に乾燥して変色していたが、婦人産後の病にきくものとされている。

 

 往来で櫛を見つけたら、ひろい上げる前に、左足からそれに近寄らねばならぬ。然らずんば一生涯を泣いて暮さねばならぬようになる。

 

 男は、自分より四歳年長又は年少の娘と結婚してはならぬ。若し結婚すれば、家内に面倒が起る。それ以外ならば、いくつ違ってもかまわない。

 

 芥子をまぜるには、怒ったような顔をしてかきまわさねばならぬ。そうすれば芥子は強くピリピリするが、まぜながら笑っていては、微温的な味なものになって了う。

 

 ある種の神(妙見)に祈る人は、八種類の食物を食ってはならぬ。然らずんば、この神は祈りを聞き届けてくれない。これ等の食物は鰻、うみがめ、飴、鯉、野鴨、鵞鳥、葱、それから葱と同じような野菜の一種である。

 

 男にとっては三、七、十九、二十五、四十二、五十三という年齢が殊に悪く、女には十六、二十五、三十三、五十六、五十七が悪い。また一般に七と九で終る年齢はよくないとされる。

 

 人が死んでから一年後に家族が集って荘厳な儀式をする。これは三年、七年、十三年、十七年、二十五年、三十三年、百年というように行われ、その後は五十年ごとに行う。

 

 朝夙(はや)く烏がカー カー 即ち「女房」と鳴く。だから神さんは亭主よりも早く起きねばならぬ。

 

 葬式の時には会葬者の名前を一枚の紙に書きしるす。この目的に使用する筆は、莢(さや)を脱がずに莢から押し出す。故に、それ以外の時にこんな真似をしては縁起が悪い。死体を家からはこび出す時、この役をつとめる人は、家に出入するのに履物を脱がぬ。だから新しい下駄を畳の上で履いて見ている人があると、友人が「どうぞそんなことをしないで下さい、縁起が悪いから」という。

 

 お茶の葉が茶碗の中で縦に浮けば、幸運が来るかいい便りを聞くかである。芸妓達はこれ等の葉をつまみ上げて左の袂に入れ、同時にこのいい前兆を確実ならしめる為に、鼠の鳴くような啜音を立てることを慣とする。

[やぶちゃん注:「啜音」「すすりね」と訓じていよう。]

 

 手首と足首とに糸をまきつけておけば、風邪を引かぬという。

 

 迷信的な人は、自分の歩いて行く道路の前方を鼬鼠(いたち)が横断すると、直ちにあと戻りをして旅行の目的を放棄する。若し極めて大切な用事があれば、別の路を行かねばならぬ。

[やぶちゃん注:ウィキイタチには、『日本古来からイタチは妖怪視され、様々な怪異を起こすものといわれていた。江戸時代の百科辞典『和漢三才図会』によれば、イタチの群れは火災を引き起こすとあり、イタチの鳴き声は不吉の前触れともされている。新潟県ではイタチの群れの騒いでいる音を』、六人で『臼を搗く音に似ているとして「鼬の六人搗き」と呼び、家が衰える、または栄える前兆という。人がこの音を追って行くと、音は止まるという』。『またキツネやタヌキと同様に化けるともいわれ、東北地方や中部地方に伝わる妖怪・入道坊主はイタチの化けたものとされているほか、大入道や小坊主に化けるという』。『鳥山石燕の画集『画図百鬼夜行』にも「鼬」と題した絵が描かれているが、読みは「いたち」ではなく「てん」であり』、『イタチが数百歳を経て魔力を持つ妖怪となったものがテンとされている』。『別説ではイタチが数百歳を経ると狢になるともいう』とあり、この謂いも腑に落ちる。]

 

 二つの葬式がすれ違うのは、両方にとって縁起がよいが、一つが一つに追いつくことは悪い。

 

 下駄の鼻緒が後方で切れるのはよいが、前方で切れるのは縁起が悪い。

 

 朝鮮から海を越して来る鶴は、足に一種の植物を持っていて、海上に降りる時にはこの植物を浮に使用すると信じられている。

 

 竜は竜巻(たつまき)と一緒に昇天するものとされている。その脚や足をチラリとでも見た人は、偉人になると信じられる。

 

 日本人は、狐に関する奇妙な迷信を沢山持っている。狂人は狐につかれたとされる。狐の精神が指の爪から身体に入るというので、つまりこれが爪の下から侵入し、そして狂人をして狂人の行為をさせるというのである。以前は政府に狂人保持の規則があり、家族が狂人の世話をし、狂暴であれば檻に入れた。下流社会ではまた狐を信心することが盛で、狐を養った人が幸運によって金満家になったというような話が多い。若い狐を檻に入れ、然るべく養えば、裕福になると信じられている。

 

 外国人がこの人々の間に科学を持ち来たしてから、かかる迷信はすみやかに消え失せつつある。

 

 私は竹中に、退職した人は何をするかと質問した。彼は、概していうと、暮し向きの楽な人は、六十になると仕事をやめるといった。彼は事業上の業務をすべて息子にまかせ、隠退生活を送り、たいていは道楽に、珍しい植物、羊歯(しだ)、陶器、石器その他を蒐集する。彼は夏は五時、冬は六時に起きる。火鉢には茶を入れる水の入った鉄瓶を熱する為の火があり、彼は茶を濃く入れる。彼は寒天菓子の一種である羊羹と、醗酵した豆でつくった味噌汁とを取る。彼は歌をつくる。九時になると旧友をたずねたり、たずねられたりする。一日中碁を打つ。若し彼が飲酒家であれば、九時から飲み始めて床につく迄それを続ける。昼間、公園なり、田舎の景色のいいところなりへ、遠足することもある。

 

 竹中は衛生局長から、徳川将軍時代には、今よりももっと飲酒が盛だったと聞いて来た。その頃訪問した友人には必ず酒を出し、それをこばむことは無礼とされていた。現在ではお茶が出され、若し酒が出るにしても、人は好みに従ってそれを飲んでも飲まなくても、礼を失することにはならぬ。その頃は、酒宴の席では、只一つの盃が用いられ、それは次の人に廻す前に、飲みほさねばならなかった。現在では各々が盃を持ち、気兼すること無しに飲酒を調節することが出来る。酒飲みは、生菓子や砂糖菓子のような、甘い物を好まない。

 

 興味があるとか、奇妙であるとかいうことを意味する言葉はオモシロイで、直訳すれば「白い顔」となり、白い顔が奇妙な観物であった昔の時代から伝って来た。今日、滑稽新聞は、「興味ある」をオモクロイという。「黒い顔」の意味である。

[やぶちゃん注:「滑稽新聞」原文“the comic papers”で一般名詞として用いていることが判る。所謂、猟奇的或いは不道徳で好色な事件報道や有名人のゴシップ報道などに力を入れた大衆紙、今のタブロイド誌のような新聞を指す。因みに、反骨のジャーナリスト宮武外骨が大阪で発行した知られた『滑稽新聞』はずっと先の明治三四(一九〇一)年一月の発刊である。]

 

 日本の社会は今や公に、上弦、中流、下流の三つにわけてある。現在の日本人は、以前にくらべて、人力車夫やその他の労働者に、余程やさしく口を利くようになった。

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